32.大人
無言でその手を取り、立ち上がる。
落ち着いた雰囲気のあるその人は、俺の顔を見て微笑む。
「綺麗になったね、 優咲さん。」
「えっと…誰の名前、ですか。」
「おや?君は優司くんと
麗子さんのお子さんだよね?」
「そう、ですけど…」
やっぱり、とにっこり笑いかけてくる。
俺を優咲と呼ぶこの人は何者なのだろう。
沢山の大人を引き連れてやって来たし、
きっと偉い人ではあるんだろうけど…。
「は、かはっ、ごほごほごほっ」
「! 白燈っ」
急に咳き込み出す白燈。
苦しそうに床にうずくまっている。
慌てて駆け寄ると、目を押さえている事に気付いた。
「どうした?怪我か?」
「ち、違っ、目が、急に、痛み出して…」
「痛い?」
目からは大量の涙が流れ出し、目の周りは擦ったのか赤くなっている。
突然の激痛に混乱し、呼吸も乱れている。
俺はどうしていいのか分からなくて、
ひとまず呼吸を落ち着かせるため背中をさすってみる。
それでも痛みが酷くなっている様で、
白燈の唸り声は少しずつ大きくなっていく。
それを見ていたスーツの人が近づいて来た。
跪いて白燈の背中に手を添える。
「大丈夫、落ち着きなさい。深呼吸をして息を整えるんだ。
呼吸が落ち着けば、痛みも引いてくるから。」
「はっ、はっ、うっ…はぁはぁ、」
咳き込みながらも少しずつ落ち着いてくる呼吸。
唸る事もなくなり、目から手を離した。
白燈の目元は真っ赤になっていた。
「君は…彼女の息子さんか。」
「え、?」
「…ふむ、どうやら私は君らと話をする必要がある様だ。
さて、立てるかい?」
1人で納得し、かと思うと白燈に手を貸しながら立ち上がる。
どうやら俺と白燈の親の事を知ってるらしい。
それどころか、俺らを見ただけで気付いた。
本当に何者だ…?
俺は白燈に手を貸しながら、
案内された車まで歩いた。
「怪我をしていた男の子と、親父殿は病院へ搬送した。
付き添いには…すまない。名前が分からないが、
倒れていた男の子の側にいたもう1人の男の子にお願いしてある。
私たちも今からその病院に向かおう。」
車に乗るなり、そう説明された。
運転手は既に行き先を知っていた様で、俺たちが乗るとすぐに出発した。
革の匂いのする車内に、ここに来る時の事を思い出す。
緊張はするものの、車内の空気はどこか柔らかく感じる。
俺と白燈は綺麗な車に落ち着けず、
広い座席に対して肩同士がぶつかる程くっついて座っていた。
俺と白燈は進行方向に向いている座席に座り、
スーツの人は進行方向に対して横を向いた座席に座っている。
長い脚は組まず堂々とした姿勢で座る姿には、
かっこいいという言葉がぴったりだった。
「さてまずは、お互いに自己紹介をしよう。
私は燿、迅李の父の猪倉だ。
仕事は警察官だったが、今は教会関連の仕事で代表をしている。」
「お、俺は黒埜、です。」
「 白燈です。…僕は目が見えません。
ですが基本1人で行動出来るので、気にしないでください。」
白燈は少し俯き気味に、早口で答えた。
猪倉さんの表情は常に柔らかい。
あの無表情な燿と同じ血が流れているとは思えなかった。
でも何処か燿を思わせる顔立ちは、
血縁関係のある親子なのだと納得するには充分だった。
「君たちがどこまで知っているのか分からないが、
私は君たちの親御さんと面識がある。
初めて会ったのは3人とも病院だった。 」
「俺の両親と面識があった事は聞いた。
白燈のお母さんとは、どうして?」
「彼女とは地元が一緒だったんだよ。
しばらく会ってなかったが、偶然入院した病院に彼女も居た。
久々に再開した時は色々話をしたよ。」
白燈のお母さんと地元が同じな事は意外だった。
まさかそんな接点があったとは。
白燈も驚いた表情をしている。
「彼女の身体の弱さは昔からだった。
病院に居た事なんてしょっちゅうだったし、疑問は持たなかったな。
お腹に子供が居ると聞いた時は、さすがに驚いたけど。
私は妻を亡くしてすぐの頃だったから、
話をしたらすごく怒られたのを今でも鮮明に覚えているよ。」
軽く目を閉じて、天井に顔を上げる。
懐かしむその姿から、仲が良かった事が伺える。
白燈は何を思っているのか、ただ黙って話を聞いてる。
ふと視線を下げると、両手を強く握り締めているのが見えた。
それを見た途端、無意識に手が伸びていた。
手を掴んで初めて、 白燈が震えていた事に気付く。
肩をぴくりとあげて、顔を俺に向ける。
俺はただ黙って手を握っていると、手を握り直された。
振りほどかれなかった事と、恋人繋ぎに驚いたが握り返す。
白燈はその繋いだ手を空いた方の手で包む。
俺の手は白燈の両手でがっちり掴まれてしまった。
…まぁ俺からはじめた事なので何も言えないが。
予想外の反応に少し戸惑った。
そんな俺と白燈の様子に、 猪倉さんは微笑んでいた。
「 陽司神父の教会の方針は知っているが…。
君らは親御さんがくれた“名前”を知らないんだね?」
「…そう。俺は両親が残した日記があるけど、
まだ読んでもなくて。…先生からも聞いてない。」
「それは、どうしてなのか。理由を聞いても?」
「……俺はつい最近まで親が居たなんて知らなかった。
誰かに言われた訳じゃないけど、捨てられたんだと思ってた。
…本当は、ちゃんと望んでくれて、愛されてた。
それなのに俺は、知らずに勝手に恨んで。そんな俺に愛情なんて。
慣れないからかもしれないけど、怖い、って思ってしまう。」
「無償の愛、だね。突然自分の事を
無条件に愛すよと言われて、戸惑うのは当然だね。」
恐る恐る言ったが、あっさり受け入れられてしまった。
拍子抜け、というか。
ずっとおかしい事なんだと思っていた。
愛されて怖いなんて、自分が異常なんだと。
「俺に、感情が足りないから。怖いと感じるんじゃないの?」
「そう思っていたのかい?うーん、むしろ逆じゃないかな?
想像してごらん。それぞれの感情ごとに引き出しがあるとしよう。
喜怒哀楽、それ以外にもっと細かく引き出しが分かれていて。
引き出しの数によって、物事の受け取り方は全然変わってくる。」
「…引き出し。」
「君にはたくさん感情の引き出しがあって、
“怖い”1つでもいくつか引き出しがあるんだ。
引き出しが少ないのなら、怖いとは思っても不安ではない。
もちろん逆に不安であっても怖くはない、ってね。感情は唯一無二のもの。
おかしい事は1つだってない。何かと比べるから“おかしい”と感じる。
君の持つ感情や、不安だって幸福感だって誰とも比べるものじゃない。」
すとんと、心に直接落ちてくる様な言葉。
肯定される事が、こんなにも心を軽くしてくれるのか。
心臓辺りに手を当ててみる。
…絡まっていた糸が解けた感覚だった。
「じゃあ白燈くん。
辛い事を思い出させてしまうかもしれないが…。
彼女が、君のお母さんが亡くなったのは、君が4歳くらいの時だったよね。
当時の事はどれくらい覚えているのかい?」
「……、…ほとんど、覚えていません。」
「そっか、まぁ4歳だし仕方な…」
「違う、違うんです。」
遮って否定する白燈。
心なしか悲しい様な、苦しそうな表情に見える。
また白燈の身体の震えが強くなる。
何もしてやれない自分に、焦りを覚えた。
「僕、僕は7歳の時。今の教会に来ました。
でも、…その以前の事全ての記憶が、ありません。」
「…陽司神父は知っているのかい。」
「一応、知ってます。引き取られた親戚の家で保護された時に、
記憶の一部がない事に気付いたのが、先生だったので。
僕自身、どれ程の事を忘れているのか、分からないんです。
それに、僕は。…生まれつき、目が見えなかった訳じゃない。らしいです。」
「自分では目が見えていた頃の記憶はない、と。」
「……はい。」
白燈の声は重たげだ。
記憶がないのは、どれ程の恐怖だろう。
今となっては“白燈”と言う名前があるが、
当時は名前も、家族も、何もない。
本当に、1人だった白燈。
親戚宅で育児放棄、裏社会の仕事を強要されていたんだったか。
…考えるだけで、心臓が痛い。
「そうか、ありがとう話してくれて。突然なんだが、
…もしかするとその目、治せるかもしれないよ。」
「…は?」
本当に突然の話に驚きの声をあげたのは俺だった。
白燈は猪倉さんの方に顔を向けたまま動かない。
ずっと何年もの間使われる事のなかった目。
………白燈の目を見れる?
真っ先に頭に浮かんだのはそんな気持ちだった。
「あ、それは、どんな…」
やっとの事で声を振り絞る白燈。
それもそうだ。今までそんな事思いもしなかった。
まさか、この目が見える様になるなんて。誰も、思わない。
白燈には目が見えていた記憶がない。
生まれてからずっと、目が見えてないのと同じ。
それに、終わりがあるなんて。誰が予想していただろう。
「 白燈くん、君は先程。
突然目が痛み出していた。その前は何をしていたんだい?」
「えっと、たくさんの人の足音が聞こえて。
とにかく黒埜の元に行こうと思って…。
そしたら、……。あ、そうだ、貴方の、 猪倉さんの声が、」
「ふむ、やはり私の声に反応したのか。」
「???」
俺はよく分からずただ黙って2人の会話を聞くが、
聞いてもよく分からなかった。
握ったままの白燈の手にうっすらと熱を感じる。
いつも体温が低いイメージのある白燈だから、
それだけでどれ程緊張しているのかが伝わってきた。
「私は幼い頃の白燈くんに、会った事がある。
それは1度じゃない、何度もだ。
そして当時の君は、目を開けていた。…見えていたんだ。」
「…。」
「これは私の推測でしかないが、もし君の目が突然痛み出しのが
私の声を聞いたからだったとしたら…。
目が見えなくなった事に、精神的な要因が関わっているのかもしれない。」
白燈は複雑そうな顔をしていた。
過去に会った事のある人を忘れていた事、
もしかしたら回復するかもしれない目の事。
記憶のない自分への嫌悪と、見え始めた希望。
2つの感情が白燈の中で渦巻いている。
しかし猪倉さんは自分が忘れられている事について、
特に何も言わないし反応しなかった。
それは白燈の方がショックを受けている事を気遣ってなのか。
本当に何も思わないのかは分からないが。
「それが解決出来れば、その目は再び、
光を取り戻すんじゃないかなと思っている。」
「それは具体的に、どうすれば…?」
俺は我慢出来ず横から口を挟む。
猪倉さんの声に反応したのは、
忘れている記憶の部分が反応したからだろうか。
だとすると分かっている白燈の昔の記憶と言えば、
白燈のお母さんの事か。
でももう白燈のお母さんは…。どうすれば?
猪倉さんはポケットからスマホを取り出し、
何かを確認している。そして打ち込み出した。
それが終わるとスマホをしまって、こちらを向いた。
「病院に行くと言ったが…。予定変更しよう。
どうやら陽司神父も、
怪我をしていた男の子も意識もあって大丈夫な様だ。
…おい、“あそこへ”向かってくれ。」
「かしこまりました。」
2人の容体を聞いて、少し肩の力が抜ける。
運転手は1度車を停め、Uターンをはじめた。
「今から君たちの産まれた病院のある…。
“故郷”と呼ぶべきかな?そこへ向かう。」
「…って事は、俺の両親の、」
「そう、もう燃えてしまってはいるが…。研究所があった街だ。」
俺はゆっくりの息を飲んだ。
俺が産まれ、両親の死んだ土地。
背中には冷たい汗が流れて、
白燈は俺の手を痛いくらいに握り締めていた。




