28.親心
「母は俺を愛せなくて自ら死を選んだ。
… 黒埜の両親は違うって思ってたのに。
俺を愛してくれなかった。」
「………それが、動機?」
問いかける先生の声は震えていた。
燿は答える気はない様で、
背もたれに身体を預けて天井を見上げる。
かと思うと胸ポケットからたばこを取り出した。
火をつけて口に咥えたかと思うと、
ゆっくりと煙を吐き出しながらまた天井を見上げる。
…こいつ、喫煙者だったのか?
たばこを日常的に吸っているのなら、
特有の匂いがしてもいいはずなのに。
それなのに燿からそんな匂いはしなかった。
「あぁ、仕事が立て込んでたり苛ついてたり。
理由は様々だけど基本はストレスかなぁ。
溜まると冷静になりたくて吸うんだよねぇ。」
普段はたばこなんて嫌いなんだけどね、なんて
説得力のない事を呟いている。
その話の途中で俺をちらりと見たから、
俺に対して話しているんだろう。
とことん俺以外の人と会話するつもりはないらしい。
…俺だけでも会話出来るだけ、まだマシか?
「…それが、お前の、優司さんや、麗子さんを、
こ、ろす動機なんだとしたら。」
「うるせぇな。俺に話しかけてく…」
「うるせぇのはどっちだよ。さっきから無視しやがって。
まどろっこしい事はいいからさっさと続きを話せ。」
先生への冷たい態度に反応した龍。
龍も相当、頭にきているらしい。
そんな龍の言葉に、
あからさまに嫌そうな表情をする燿。
大袈裟にため息をついたのはわざとなのだろう。
それでも渋々、話を続ける。
「…それから何日も、愛情について考えてた。
どうして母はあの日、命を絶ったのか。
なぜ俺を見てくれなかったのか。でもそこで
ある考えにたどり着いた。」
「…ある考え?」
「そう。母は親父を愛するあまり、俺が見えてなかった。
…だから死んだ。それなら俺を通して我が子を想ったあの2人も、
…死ぬべきだって。」
あまりに自分勝手な考えに、絶句する。
自分が愛されないから、殺した?
何も、何もしてないじゃないか。
むしろ両親は話を聞いた限りではあるが、
燿を可愛がっていた。
それなのに、愛してないだと?
俺は無言で、立ち上がる。
先生と楓は様子の変わった俺に、
何も言わず掴んでいた手を離した。
一歩、前に出る。…また一歩、また一歩。
静かに自分の足元だけを見て、
龍と白燈の間を通る。
頭の中は意外と冷静で、透き通っている。
燿の前まで来て、止まった。
視界には俺の足と、燿の足。
「…。」
「…さっきも言ったけど、俺は両親の事を、
誰よりも知らない。先生の方が圧倒的に両親と居た時間は長いし、
多分お前の方が俺よりずっと、両親を知ってる。」
今頭の中に、これといって言いたい事がある訳じゃない。
何も考えずに、無意識に、自然に出た言葉。
強く、両手を握り締める。
その手が震えるのは、恐怖か怒りか。
口から生暖かい液体が流れて初めて、自分が下唇を噛んでいた事に気付く。
「でも、それでも、俺が誰より両親の事を知らなくても。」
「…。」
ただ黙って俺の話を聞く燿。
全身に力が入って、声まで震えだす。
喉の奥の方が焼ける様に熱い。
身体の底の方から確かに湧き上がってくる“何か”がある。
「優司って人間も、麗子って人間も。
……お前のじゃない。俺のっ!!!
俺を産んでくれたっっっ!!俺の親なんだよ!!!!!」
叫んだと同時に振りかざした拳を燿に向けた。
拳は真っ直ぐ燿の顔に向かって、
そのまま椅子から崩れ落ちる。
床に倒れた燿に馬乗りになって胸ぐらを掴んだ。
「愛されない?思い上がるなよ。
じゃあお前は愛されようと努力したのかよ。」
「…。」
「…俺の、両親は、馬鹿みてぇにお人好しらしいからよぉ。
そんな、お前でも、自分勝手なお前の事も、ちゃんと、愛してたよ。」
「…はっ、何を言って」
「これだよ。」
俺の言葉に動揺を隠せない燿。
冷たい目が確かに、揺らいだのが見えた。
後ろから先生の声がして、燿から手を離し立ち上がる。
燿は驚きで身体を動かす事も忘れてしまったのか、
動けず目線だけを先生に向けた。
先生が持っていたのは、両親が残してくれたあの“ノート”。
俺はまだ読んでいない。
内容は先生しか知らないけど、俺は直感した。
もしかしたらとか、多分じゃなくて。
……絶対。
書いてあるって、あの2人ならって。
「これに、書いてあった。もし黒埜が帰る事を
嫌がったら説得する時に使えるかと思って持ってきたけど。
君の話を聞いて思い出した。確かに書いてあったよ、君の事。」
「な、なん、て…」
燿の目は動揺から、揺らいでいる。
こんなノートが残っていたのも、自分の事が書いてある事も。
きっと予想外だっただろう。
だってそれはあの日、家と彼らと共に自らが燃やしたはずのもの。
燿はゆっくり上半身を起きあげる。
先生は無言でノートを開く。
しばらくページをめくる音だけが響いて、そして止まった。
「『今日最近親しくなった男の子がお家に来た。
お父さんのお仕事の関係で今日だけ一緒に過ごす事になった。
男の子だからと少し気が引けたけど、裁縫を教えたらすぐに上達して
とっても楽しそう。教えて良かったなぁ。』」
「…っ」
「『でも最後帰る時、何だか様子が違かった様な気がする。
気付かない所で嫌な思いさせちゃったかな。
次来てくれる時は気を付けないと。
彼は何ヶ月か前にお母さんを亡くしたらしい。私に、出来る事あるかな。
新米で、お母さんなんてまだやった事もないけど。
彼にとって、お母さんみたいな、そんな存在になれたらいいなぁ。』」
「そ、そんな、だって…!」
「…燿、君は会話の一部始終を聞いただけ。
君からしたら愛されてないって、
そう聞こえる様な会話だったのかもしれない。」
先生はそう言いながらノートを閉じた。
そしてもう一冊、別のノートを開く。
優司さんの、ノート。
「『今日来た燿って子!すごい大人しいけど、
優しくてめっちゃいい奴!俺より裁縫出来るんだって!
まじか!!悔しいけどすげぇ!!
産まれてくる我が子と仲良くなってくれるかな?
仕事がなかったら一緒に遊べたんだけどなぁ〜。
なんか急に息子が出来たみたいですっごい嬉しい!!』って。』
「…………。」
燿は声も出なくて、
絶望という言葉がピッタリな顔をしていた。
俺の中にはもう、こいつへの殺意は残っていなかった。
燿は頭を抱えて床にうずくまる。
「う、嘘だ。そんな訳がない。俺は愛されなかった。
だから殺した。そして今度は、両親の愛情を失った黒埜が、
俺を恨んで殺すんだ。俺は、全てを失ってきた俺は、
両親を失ってもなお、誰かに愛されてきた黒埜の手で、」
ぶつぶつと呪文の様に呟き続ける。
何かに取り憑かれた様に言葉を吐き続けるその姿は、
哀れで滑稽な背中は、震えていた。
頭を押さえながら、床に拳を叩きつけ始める。
その手から血が流れ出すのに時間はかからなかった。
あっという間に血だらけになっていった。
「俺の、俺の命でぇ、黒埜の手を汚せるなら。
死んだって構わないんだよぉ。両親の次はぁ、黒埜のぉ人生を、
奪ってやるってぇ。俺をぉこんなにした黒埜は、悪魔なんだ。
俺が、俺がぁ黒埜の全てを奪ってぇやるんだ。…あぁゔぁああ」
唸り出す燿は遂に頭を床に叩きつけ出した。
思わず止めに入ろうとした手を、白燈に掴まれた。
気付くと龍が燿の前に立って、見下ろしていた。
龍はしばらく、狂った燿をただ見ていた。
「現実から逃げるなよ。お前は、罪のない人を殺した。
…ただの、人殺しだ。」
「っっ!!!違うっ、違うぅうゔゔぅゔ!!!
俺は、そこに居る悪魔をっ」
「悪魔はてめぇだ。」
顔を上げた燿の顎を龍は容赦なく蹴り上げた。
短い唸り声をあげ、口から血を吐き出しながら後ろに倒れる。
龍は無表情のまま、また燿との距離を縮める。
燿は起き上がりもせず、顔を押さえて唸っている。
その顔は涙か、汗なのか。ぐっしょりと濡れている。
さっきまで冷静な彼はもう居ない。
まるで子供がお菓子を買ってもらえなくて駄々をこねている様な。
龍は燿を跨いで、顔の近くに立った。
そして勢いよく顔を踏みつけた。
手ごと踏まれた燿は、また短い唸り声をあげたかと思うと静かになる。
全身の動きが止まった。
「お前は殺す価値もねぇよ。死にたいなら勝手に1人で静かに死ね。」
一瞬強く踏み込んで、足を離した。
龍は俺と白燈の所に歩いて来る。
燿はぴくりとも動かない。
そう思って一瞬、目線を龍に向けた時だった。
「…!!!龍っっ危なっい…」
「!!?」
1番に気付いた白燈が叫ぶ。
それに反応して振り向く龍、俺もその目線の先を追う。
そこに居たのはさっきまで倒れていたはずの燿。
いつの間にか龍のすぐ目の前まで迫っていた。
気配も、音もなかった。
白燈に言われなければきっと、気付かなかった。
とっさの事に反応しきれず、腕で顔を覆う龍。
燿の目には血管が浮かび、冷静さなど微塵も感じられない。
龍はその燿の蹴りを正面から受け、
俺や白燈よりも後方へ飛ばされていった。
正面に居た俺に龍が衝突しなかったのは、
白燈が俺を引き寄せてくれたから。
俺は燿から目線を外せなかった。
にたりと、引きつった笑顔を浮かべている。
「 龍っ!! 龍っっ!!!」
「…はっ、りゅ、う、」
名前を叫ぶ白燈の声で、現実に引き戻される。
龍の元へ走る白燈を追おうとした。
しかし後ろから強く引かれる。
振り向くとまだあの引きつった笑顔の燿が居た。
さっきから身体が思う様に動いてくれない。
周りの音が遠くて、自分の呼吸音だけが妙に脳に響く。
「君は、”こっち側“の人間だろう?」
「…。」
そう呟く燿に何も返せない。
”こっち側“とは、何の話をしているのだろう。
そんな呑気な事を考えられる程、冷静なのに。
…いや俺は混乱のあまり、
そんな事を考えてしまっているのかもしれない。
無抵抗の俺を抱き寄せる。その手は大きく震えていた。
心臓の、人間の生きる音が聞こえる。
「君が俺を、殺してくれるんだろう。
俺はずっと、今日を、この時を。
君の両親を殺したあの日からずっと、待ち望んでいた。」
両手で優しく俺を抱き締める。
俺が、この音を、止めるのか。
遠くで聞こえる白燈の声。
龍の苦しそうな声。
先生と楓の、泣き声に似た叫び声。
燿の心臓の音と、自分の呼吸音。
もう、何が、正解なのか、
「っ分からないんだよ………。」
苦しくて辛くて痛くて。絞り出した声。
何も聞こえない。何も感じない。涙が溢れる。
まるでここに居るのが俺だけみたいに。
すると燿の身体が後ろに引かれて、俺も顔を上げた。
「もう、辞めたら。」
冷たい声。
でもきっと今ここに居る誰よりも冷静な言葉。
顔を上げて視界に入ってきたのは、迅李だった。
迅李は蔑む様に燿と俺を見ていた。




