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公爵夫人としての試練

本編後のお話です。

※今回はヴィンセント出てきません。


☆お知らせ☆

この度、『視える令嬢とつかれやすい公爵』のコミカライズが決定しました!1月14日から、ゼロサムオンライン様にて連載開始となります。

応援してくださる皆様のおかげです、ありがとうございます。


 静かな部屋だった。少し身じろぎするだけで、布が擦れる音が、椅子が軋む音が、紙を捲る音が反響する。

 そしてとうとう糸が切れたように、私、フィオナ・メラレイアは大きく息を吸い、吐いた。


「さっぱり、わからない……」


 僅かに開いた口から零れるのは、心の底から漏れ出た嘆き。

 難解な文字の上に、力尽きたように被さった。ほんのりとした、なんとも言えない紙のにおいが、鼻をくすぐる。

 少し顔を横にずらせば、積み重なった本。本自体は数冊ではあるものの、一冊一冊が分厚いために、塔のように高い。


 あれから、ユーリア殿下の後押しもあって正式にヴィンセント様の婚約者となり、あとはイチャイチャラブラブの幸せな毎日が……なんてことはなかった。

 今の私は、魂の抜けたような空っぽの目をしているに違いない。

 もちろん、ヴィンセント様の婚約者であることが不満なわけではなく――


「フィオナ様、手が止まっていますよ。それ以前に机に突っ伏すなど言語道断です。しゃんとなさってください」


 視線だけ動かせば、呆れたように私を見下ろすヴィンセント様の執事。グレイス様だ。

 執事とは言っても、もとは由緒正しい子爵家の長男。仕草姿勢が、彼は貴族なのだと物語っている。


 そして今は、ヴィンセント様の執事兼、私の教育係である。


 ヴィンセント様の婚約者となり、その後はどうなったかというと。

 ご覧の通り、未来の公爵夫人として最低限の知識やマナーを叩き込まれる日々。今日もこうして、公爵邸に赴き難しい本との睨めっこ。本日のメニューは外国語らしい。


 私だって、メラレイア伯爵の娘として、令嬢として遜色ない知識やマナーは身につけてきたつもりだ。引きこもりだった分、実践には弱いかもしれないけれど。ともあれ、今までのどこぞと知れた伯爵令嬢なら及第点だったはず。

 しかし、誰もが憧れるロイシュタイン公爵夫人となれば、話は別。グレイス様曰く、落第点も落第点、てんでダメだという。


 ヴィンセント様も、最近は王城に呼び出される事が多く、すれ違ってばかりだ。つまり、全く会えていない。

 勉強が辛いのも勿論なのだが、どちらかと言えばヴィンセント様に会えない事の方が私には堪える。


 ヴィンセント様だって、せっかく身体が良くなってきたのに、これだけ離れてたらどうなっていることやら! 多忙と精霊のせいで、倒れてないといいけれど。


「……というか、外国の勉強が必要なんて初めて知りました」


 項垂れる私に、グレイス様は薄紫の目をぱちりと瞬いた。トレードマークである眼鏡は変わらずだが、以前よりもずっと表情は読みやすくなったように感じる。


「あぁ、そうかもしれませんね」

「?」

「この国は、あまり外交に積極的ではなかったですから。国外の知識は不要と判断して、教育に組み込まない貴族は多いと思いますよ」

「でも今、勉強してますよね」


 手持ち無沙汰に、判読不能のページを無意味に捲る。

 一応目で追ってはみるものの、ただ水が流れるのを眺めるのと同じように、私の頭には一切情報が入ってこない。


「過去形です。最近は、随分と外交に力を入れているようですよ」

「最近なんですか?」

「えぇ、ユーリア殿下が国政に介入するようになってからです。主人も以前はあんな感じでしたし、現国王も外交には消極的でしたから手こずられていたようですが」


 ヴィンセント様が頻繁に呼び出される理由は、それか。 


「でも、どうして今になって外交に? この国は、そんなことをしなくても順調だったように思いますが」

「……フィオナ様のようなお方が、沢山おられるからですよ」

「え」


 グレイス様は、失望したような哀れな子羊でも見るような冷たい目を向けてくる。

 私の言葉の、一体何が駄目だったのか。少しだけ身体を引いた。


「外交はなにも、国の不足を補うためだけに行われるものではありません。文化、言葉、考え方、様々な知識の交流のためでもあります」

「で、でも。国外からなにを取り入れる必要が」

「――では、この例えでしたら理解できますか」


 グレイス様がすっと目を細めるので、私は口を閉ざす。


「『紫の瞳』は不吉である」


 聞きなれた不快な単語に、ぴくりと肩が揺れる。感情が顔に出ていたのか、グレイス様は私を見て少しだけ口角を上げた。


「私たちは当事者ですから、よく分かるでしょう。今までこれを至極当然のように受け入れ、疎外されてきました。ですがこの考えは、長きにわたってこの国に根付いてきた、いわばこの国だけの文化です。海を越えた陸には、また違った考え方があるはずですよ」

「あ」


 ふと、私はある言葉を思い出した。


『どこかの国では、紫の瞳はめずらしいが故に高貴なものとして扱われることもあるんですって』


 これを教えてくれたのは、ローザリア様だ。あの時は私を励ますためだとも思っていた。ローザリア様の考えに救われた。

 けれど、そうではなかったとしたら。


 物心着く頃から『紫の瞳は不吉』と教えられてくれば、周囲にそういう人しかいなければ、どれだけ月日がたっても考えを変えることは難しいはずだ。

 ではなぜ、ローザリア様は『めずらしいが故に高貴』などという考えに至ったのか。


「閉鎖的になれば、新しい風は吹いてこない。凝り固まった頭の貴族ばかりで、発展などしない。ユーリア殿下やヴィンセント様はそれを危惧され、動いておられるのですよ」


 アデレイド侯爵家もまた、国外に目を向けていたのだろう。この国の発展のため、未来のために。

 無知な引きこもりの私は、そんなことも知らず――


 無意識に、手に力がこもった。


「フィオナ様は仰っていましたね。私どものような思いをする人が、少しでも減ればいいと。精霊をハッキリと視ることのできるフィオナ様にしか出来ないこともございましょうが、ロイシュタイン公爵夫人にしか出来ないことも沢山あるはずです」

「この力と、公爵夫人の立場を存分に使うと」

「端的に申し上げればそうなりますね」

「……その為には、国外の知識は必要不可欠、だと」

「そうです」


 再び、机の上に広げられた難解な文字に視線を落とした。

 今まで私は、狭いカゴの中で理不尽な差別に嘆くことしか出来なかった。いや、そんな事実すら知らないまま、『不吉な瞳を持った引きこもり令嬢』として人生を終えるかもしれなかった。


 真っ直ぐと、グレイス様を見上げる。


「私にしか――()()()で、出来ることがあるということですか」


 ヴィンセント様に出会って、自分の存在を知った。人ならざるモノがなんなのかも知れた。そして、ヴィンセント様のおかげで、このカゴの中から飛び出すチャンスが与えられている。

 ――でも、全部全部、ヴィンセント様がいたから、ヴィンセント様の力のおかけで出来ていること。決して、私の力じゃない。


「断定は出来ませんが、きっと」


 ちらと、机の隅っこに佇む精霊に目を向ける。なんの形か分からないが、三角の耳らしきものがぴょこぴょこと動いている。

 精霊のことを分かったつもりになっていたが、あくまで『人ならざるモノ』と認識していた頃に比べてに過ぎない。


 これは、この国だけの存在なのだろうか。他の国にも存在しているのだろうか。存在しているとしたら、どんな人が視えて、どんな扱いを受けているのだろう。

 私やグレイス様のように、『不吉』だと蔑まれて苦しんでいる人を減らすためには、知る必要があるのではないか。


「こちらを。フィオナ様へ届いております」

「手紙……? この紋章は」


 手紙を受け取ってまず目に入ったのは、花と冠が彫られたシーリング。

 私は思わず目を見開く。


(なんで、私に……?)


 間違えているのではないかと、ひっくり返して宛先を確認するが、やはりヴィンセント・ロイシュタインではなくフィオナ・メラレイア宛で。


「ユーリア殿下より、王城へ赴くようにとのお達しがございました。日程は三週間後――いかがなさいますか?」


 あの話を聞いたあとだ。タイミングとしては、狙っていたのかと思うほど恐ろしいくらいに完璧であるが、これを断る理由も立場でもない。

 まぁ、殿下も何かを考えての呼び出しなのだろうけれど。


「――もちろん、行きます」



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