悲しみの結末3
「櫂柚!」
エドは慌てて櫂柚の体にすがりついた。しかし櫂柚の体はぴくりとも動かなかった。
「兄上駄目です。もう櫂柚は助かりません」
朱里の宣告をエドは呆然と受け止めた。朱里は形勢不利なはずなのに、今もまだ冷静なままだった。
「小僧。ずいぶんと大人しいな。反逆が失敗するというのに」
アルの疑念に朱里は淡々と答えた。
「はい。すべては予定通りですから。反逆が失敗するのも、兄上が櫂柚にとどめを刺すのも」
「予定通り? 誰のたてた予定だ?」
「櫂柚です。兄上、櫂柚から預かっている物があります。お受け取り下さい」
朱里が取り出したのは巻物のようなものだった。エドはわけもわからず受け取ると、櫂柚の形見を開いて見た。
「これは!」
「反対派有力者の血判状です。この証拠があれば反対派を一掃できます」
エドは雷に打たれたようにショックを受けていた。
「……では、櫂柚が私に逆らったのは……これを手に入れるため?」
「反対派をまとめ上げて証拠をいぶり出す事。そして兄上へ、帝としての自覚を促すためです」
「私の自覚?」
「兄上は弱気になっておられた。私に帝位を譲って退こうとまで考えていた。だから兄上に自分を殺させて追い詰めて、自分の命をかけて兄上が帝位につく自覚を持つようにうながした」
「朱里は知ってたの? 櫂柚さんが黒幕だった事も。その真意も」
「以前反対派につかまった時に、密かに会って話しました。全ては兄上のためと聞き、協力したのです。私が反対派に協力すれば、私もまた処分される。私に帝位を譲る事は出来なくなりますから」
「朱里……私のためにばかな事を……」
エドは悲しい目で朱里を見つめた。朱里は微笑んでいた。それは剣を突きつけられた時の櫂柚の表情に似ていた。
ああ……。櫂柚も朱里と同じだったんだ。全てはエドのため、帝国のため、自らをかけた覚悟が達成した微笑み。
朱里はエドの前で跪き、頭を下げたまま言った。
「碧海帝国王子、エドガー殿下。このたびの不始末、どのような処分もうけます。私と櫂柚の首を捧げますので、臣下達には寛大なご処置を」
毅然とした態度でエドに対した朱里に刺激されたように、呆然としたままだったエドが怒りの表情を浮かべた。朱里の頬を叩き立ち上がる。
「朱里。死ぬ事は許さぬ。生きて罰を受けよ」
エドの表情はいつもの無愛想な顔になっていた。でも私はわかっている。この表情はエドの仮面だ。本当の気持ちを押し隠して表情を作っている。
エドの目にだけ真意が垣間見えた。今にも泣きそうなほど悲しげな目の色だった。
その後しばらくはエドは大忙しだった。朱里を捕縛し、櫂柚の遺体を処理し、本国と連携をとって反対派の人間達の粛正にまでとりかかった。
その間、私達一行はカナーン公国に足止めされ、私とアルとジルは暇をもてあましていた。
「朱里殿は蟄居謹慎の処分になるそうですよ。帝位継承権は剥奪されないそうですから、ずいぶんと甘い処分です。まだ成人したばかりで、櫂柚にそそのかされただけという事も考慮されたのでしょうね」
どこから調べてきたのか、ジルはそんな事を教えてくれた。
「死んだ櫂柚が全ての罪を被ったのね。信じられない。命もかけて、死んでも不名誉のまま。それでも櫂柚さん、本望だったのかな」
「本望でしょう。本当に忠義心の固まりのような方でしたね。明殿を襲った時も迫真の演技でした」
「演技だったのかな? あれ」
「演技でしょうね。手加減していなければ、本をぶつけた程度で、私達が逃げられるはずがない」
演技だったならそれはそれで迫真すぎて怖い。アカデミー賞ものだよ。
「それより、いいんですか? こんな所でのんびりしてて。最近エドガー殿下に会っていらっしゃらないでしょう」
「だってエド忙しそうだもん。邪魔しちゃ悪いし」
「そうですか。逃げてるのかと思いました」
ジルに痛いところを突かれて、私は顔をしかめた。エドは2人に裏切られ、それが自分のためにした事だったと知ってショックを受けているはずだ。
今はやらなければいけない事があるから、責任感で感情を押し殺して、働いているのかもしれない。つらい思いをしているなら助けてあげたい。でも私はどうやって慰めたらいいのかわからず、迷ってエドを避けていた。
「どうしたらエドを助けてあげられるんだろう」
「さあ。私はエドガー殿下とお会いして日も浅いですから、わかりませんね。ただ一つ言える事があります」
「何?」
「優しくする事だけが人を助ける事ではない。櫂柚殿も朱里様も、エドガー殿下を傷つける事を覚悟の上でなされたのでしょう。私はお二人の覚悟はご立派だったと思いますよ」
優しくする事だけが人を助ける事ではない。その言葉を聞いて、私はエドに会う決心を固めた。