波乱万丈の予感3
聖マルグリット国内は平地が多く、まっすぐに舗装された街道を何日もひたすら走り続けた。少しでも時間を稼ぎたいのかだいぶ飛ばしているようだ。いくつかの宿場で馬を変えなければならない程、馬を酷使している。馬車の乗り心地が最悪なのはこのスピードの出しすぎが原因なんだと思う。
乗り物酔いで吐くし、気分が悪いから食欲もないしで、とうとう吐くものがなくなるぐらい、しばらく食べられない状態が続いた。
見かねたエドが予定を変更して、綺麗な小川が流れる森のそばで長めの休憩を取ってくれた。
木の下に敷き布をしいてクッションを置いた上に座り、木の幹にもたれかかってゆっくりと呼吸をする。新緑の香りと小川のせせらぎに、気分の悪さが少しましになった。
少し離れた所でアルと朱里がまた喧嘩をしている。最近はあの2人の喧嘩は日常茶飯事だ。大人げなくアルが朱里の頭を押さえつけ、朱里はリーチの差で手が届かないため、悔しそうに腕をぐるぐる回している。
子供同士のじゃれあいの様に微笑ましい光景に自然と笑みがこぼれる。
「明。大丈夫か?」
エドは水筒に組み立ての水を持ってきてくれた。冷えた水が喉を潤し、気分をすっきりとさせてくれた。
「ありがとう」
「食欲なくても少しは食べた方がいい。近くにカラヤの実があった」
エドが差し出したのは、目にも鮮やかなターコイズブルーの色をした、楕円形の果物だった。私の常識では食べ物とは思えない色で、できれば遠慮したい所だが、エドの気遣いを無駄にできなくて、恐る恐る口にした。
「美味しい」
お世辞じゃなく驚いた。りんごかなしの様にシャリシャリとした食感で、みずみずしく、香りも爽やかだ。食欲がなかったはずなのに、思わずがっついてしまうぐらい衝撃的に美味しかった。見た目で判断しちゃだめって事ね。
「口にあったようでよかった。私も好きなのだが、残念ながら帝国ではとれないし日持ちもしない。聖マルグリット王国に来た時のひそかな楽しみなのだ」
嬉しそうに語るエドはいつもの無愛想な表情よりずっと柔らかい。私の隣に腰を下ろして、エドもカラヤに齧り付いた。本当に美味しそうに食べている。
確かにカラヤは美味しいが、たぶん空腹という名の最高のスパイスのおかげであって、普通の時に食べたら素朴な美味しさだと思う。
王子だったらもっと豪勢な食べ物だって食べられるだろうに、ずいぶん庶民的な味覚だなと思った。
私はエドを友達だと思っているけど、帝国の王子って事以外何も知らない。
何も知らないけど思うのだ。無愛想で不器用で、でも優しくて気配りの人で。
王子らしく命令したり交渉する時は、堂々として威厳もあるけど、本当はそんな仕事むいてないんじゃないかな?無理してるんじゃないか?
だって城にいた時より、自然の中でカラヤを食べている方がずっと生き生きしている。
「ねえ、もしもエドが王子じゃなかったら何がしたかった?」
エドは雷に打たれたように、驚いた顔をした。少し脈絡がなかったけど、そんなに驚くような事かな?もしも話なんてたわいもない世間話だ。
「間違ってたらごめん。なんかエドって王子にむいてない気がして。優しすぎて、真面目すぎて、きっとそういう性格で国を治める仕事って大変じゃないかなって。だから他にどんな事ならむいてるのかな?とふと思いついただけ。気にしないで」
エドは私のそんな勝手な考えに怒ったりしなかった。むしろ嬉しそうに眼を細めて私をじっと見つめた。めったに笑わない人の笑顔って最強だよね。しかもそのままじっと見つめられたら、ドキドキして落ち着かない。
「そうだな……出来る事なら職人になりたい」
「職人?」
「明にはまだまだ満足してもらえないだろうが、あの馬車は私が支援している工房の職人が作った物なのだ。時間がある時はよく見に行って作る所を眺めている。いつまで見てても飽きない。あんな風に地道に物を作る仕事がしたい」
地道にコツコツ、愚直な職人姿のエドを想像してみた。すごい似合ってるかもしれない。だから私は素直に思った通りの事を言った。
「エドにむいてそうな仕事だね」
「本当にそう思うのか?」
エドはやっぱり驚いている。自分でやりたいって言ったのに、むいてそうって言われて驚くなんて変わってるな。
「明は不思議だな?」
「何で?」
「私は王子になるべく生まれて育ち、周りもそれを当り前だと思っている。それなのに、明は私には王子より職人の方が向いているというのだな」
「気を悪くしたならごめん」
「違う。嬉しいんだ。今までこんな話、誰にもした事がなかった。明のように理解してくれる人はいないと思っていたから。だからありがとう」
気づけばエドは大きな手で私の手を握りしめていた。感動の握手ってやつ?
エドの手は無骨な大きな手で、所々にタコがあったりして、綺麗ではなかったが男らしい手だった。アルは女の私から見ても羨ましいぐらい、細くて綺麗な指してた。同じ男性の手とは思えない違いに、まじまじと観察してしまった。
「もしも叶うなら、私は職人になって、小さな工房を構えて、一日中物作りをしていたい。そしてその時は明がそばにいてくれたら嬉しい。毎日明の手料理が食べたい」
まるでプロポーズのようなセリフに、ぎょっとして慌てて顔を上げた。とろけるような甘い笑顔で私を見るエドと目があって、私は金縛りにあったように動けなかった。
ちょっと何これ?冗談だよね?こういう甘い空気はアルの専門で、エドはもっと誠実で真面目で純朴じゃないと。そうじゃないと私が困ってしまう。
「もしもだよね、冗談だよね」
「無論私は王子を辞めるわけにはいかないから、もしもの話だ。しかし私が冗談を言うような人間だと思うか?」
冗談じゃなく、さらりと口説き文句言うなー。エドが男好きだなんて言った奴出てこい!私が殴る。こんな甘い口説き文句言う男が女嫌いなわけあるか。
まてよ。両刀、どちらでもかかってこいなフリーダムな人だったらどうしよう。しかも普段真面目で不器用なのに、口説くときだけ甘いとか。
それ反則だ。純情乙女の心をもて遊ぶな!こっちは彼氏いない歴=年齢。初恋は幼稚園の先生以来特になし、という超奥手なんだよ。そんな高度な技に勝てるか!
固まったままそんな事をぐるぐる考えてしまい、私の頭はショート寸前だった。神よ。乙女のピンチをお助けください……って私が神だった。
「何をしてる。貴様」
意外に近くに救いの神はいたらしい。気付けばすぐそばに、仁王立ちで見降ろすアルがいた。最凶に凶暴な顔して睨んでる。
「これには何か事情があるんですよね?王子」
隣で必死のフォローをする朱里。しかしアルの怒りも朱里の心配もまったく気にも留めずにエドは言った。
「明と一緒に暮らしたいという話をしていた」
空気読めよ!正直すぎだろエド!
案の定アルは烈火のごとく怒りだし、朱里が必死でエドを守ろうと間に入る。
「冗談だ」
エドはしれっとした顔でそろそろ出立の準備をしなくてはとかなんとか言って、逃げ出そうとする。
エドの態度があまりにあっさりしすぎてて、がっかりした。あれ何でがっかりしてるんだろう私。
でもまあ、やっぱりさっきのプロポーズみたいな言葉は冗談だったのか。
ああ口説かれたのかと思って心配して損した。ドキドキ損だよまったく。
エドの背中に舌出して睨んだら、エドが振りかえった。微かに笑ってまた前を向いて歩き出した。その顔を見てふと思った。もしかして私が悩まないように、冗談にして流してくれた?気遣いの人エドならやりかねない。
本気と冗談どっちなの?しばらく私の頭はこの問題でぐるぐるし続けるのだった。