Episode3 - 虚脱(コラプス)
こにゃにゃちわ~。今日も今日とて虚しく生きる、虚無で~す。俺は今、行きつけの『ヴィーガン料理店』に来ていて、好物の『ヴィーガン・ミート・サンドウィッチ(肉は未熟なパラミツの果肉で作った代替肉)』のセット(付け合わせはサラダとフライド・ポテト)と、抹茶アイス・クリーム(牛乳・卵未使用)を食べているんだ。
普段は自炊して節約している俺だが、たまに辛いことがあったときなどにこうやって、自分にご褒美を与えてもいるのだ――特に最近、いろいろとあったので……(前回のお話を見てくれ涙)……もうヤケ食いするしかないのである!(モグモグ)
ちょうど店内のテレビではドキュメンタリー番組がやっていて、今回は『超高齢化社会』について特集しているようだ。何でも、日本の総人口に対する65歳以上の人の割合(高齢化率)は、令和6年度時点で29.3%となっているようで(もう白状すると、俺は今2026年にいる)、昔は高齢者のうち女性が占める割合が圧倒的に高かったが、今ではその差は埋まってきているとのこと。
ほぼほぼ現役世代1人が、高齢者1人を支える社会になっていて、年間の社会保障給付費(年金・医療・福祉などを合わせた額)が国民総所得に占める割合は、驚異の33.7%となっている(日本の高齢化率は世界トップなので、『これでもまだ低い』という見解を示している経済学者もいる)。
その背景にあるのは、言わずもがな『国民の栄養状態の改善』、『医療技術の発達』、『少子化』であり、国民全体が老いているというよりは、数値の上での『年齢』の平均値が引き上げられている状態なのである(昔の40歳と今の40歳は、生物学的には全くの別物)。
平均寿命よりも健康寿命の延びが著しく、今では65歳以上でも当たり前のように働いていて、パソコン・スマホなどの電子機器を使っていて(文字通り、『コンピューターおばあちゃん』がいっぱい!)、アクセルとブレーキを踏み間違えることなく自動車を運転しているのである(返納せぇやっ!!)。
反出生主義者の俺としては、このまま世界の少子高齢化が加速度的に進行し、全人類が緩やかに老衰していき、やがて天寿を全うした後滅亡を迎えるのが、最良の結末だと確信してはいるが、現実問題、全人類がその真理に気づくまでには、あと100~200年は必要だろうと見ている。
まぁこのまま自然淘汰が進み、少数精鋭ばかりが生まれる世界になってしまうと、それはそれで『世界の虚しさ』が見える機会も減少してしまい、また同じ過ちが繰り返されて、無限ループになる可能性も大いにあるが……(その場合は、もういい……とっとと安楽死制度を導入して、好きなだけガチャガチャしなさいな……)。
話を元に戻すと、現在我が国では『介護従事者』の需要が急増しており、目下AIには代替不可能な分野であることから、介護職の有効求人倍率は高水準をキープしているようだ。介護保険制度における『要介護・支援』の認定を受けた人を『要介護・支援者』と呼ぶが、令和6年では第1号被保険者(65歳以上は全員自動的に加入する介護保険への加入者)のうち、実に19%が要介護・支援者なっている。
彼らを介護・支援している者の半数程度は同居人であり、その大半が60歳以上である――いわゆる『老老介護』となっているが、介護施設・有料老人ホームの定員数が年間増加していることからも、単順に老老介護だけを問題視すべきでないことは明白である。
俺個人の意見としては、むしろ老老介護を推進すべきだと考えている。なぜなら、一つに『老老介護は、介護者の運動習慣に繋がり、健康寿命のさらなる進展が期待できる』からだ(介護者が身内ならば、合わせて被介護者の健康意識も増進される)。
そして二つ目は、純粋に『老人介護という職業自体が、虚しいから』である……。これは、ずっと俺が思っていることなのだが、『まだ未来のある若者(前途有望とまでは言えずとも)が、すでに充分に生きた高齢者の世話をするために、貴重な時間やリソースを割いている』という現象そのものが、あまりにも虚しいのである(障害者支援の場合は一旦別と考えて)。
そのお年寄りたちは年金(場合によってはプラスして貯金)の一部を使ってサービスを受けているが、その年金の一部を稼いでいるのも彼ら若者であり、それでご老人たちが毎日生き生きと幸せを謳歌しているならいざ知らず、実際は『死にたくとも死ねないから……』『本当に申し訳ないねぇ……』と思いながら、必死に延命処置しているに過ぎないのである。
こうなるといよいよもって、『こ、ここは虚しさを製造する永久機関か……?』と思わざるを得ないわけで、とりわけ20代・30代の若者が介護職に就いているというのは、悲劇以外の何ものでもないのである(やはり安楽死は正義)。
『失敬な! 高齢者だってみんな幸せだわ!』と反論する人もいるかもしれないが、それが若者の幸せとトレードオフになっている点が問題なのである。考えてもみてほしい、あなたは10代・20代のとき、ヨボヨボな高齢者を見てこうは思わなかっただろうか? 『たとえ1億――いや、1兆円貰っても、あぁはなりたくないな』、と。
そう思うのは当然である。なぜなら若さ(美しさと健康と純粋さ)こそが、この世界にとっての唯一の善であり、それ以外はその善を生み出す過程で生じた、言わば『終末糖化産物』みたいな物だからだ。
高齢者にとっての一年は、若者にとっての一週間にも満たず、高齢者の元気のMAXは、若者の微熱のちょっと下、ゆえに高齢者の幸せと若者の幸せを同一視すべきではないのである。
また、先ほどの1億円の話に付け加えると、現在では二人以上で暮らしている世帯の貯蓄残高のうち、世帯主が65歳以上の世帯では、4000万円以上の貯蓄を有する世帯が18.8%にも上っているである。で、彼らが皆幸せなのかと言うと……そんなことは、全くない。
貯蓄残高が高いということは、必ずしも彼らが高給取りだったことを意味してはおらず、むしろ大半は盲目的に『幸せを先送りにしてきた』結果、必然的にそうなったのであって、彼らの考えていた『資産形成』とはすなわち、『当時の幸せの放棄』に他ならなかったわけである。
65歳で1億円を持って途方に暮れている誰かよりも、30歳で1000万円をパーッと使って、すぐさま死を選ぶ誰かの方が、何倍も賢明であり、本当……『DIE WITH ZERO(ゼロで死ね)』とはよく言ったものである。
――さて、ようやく食事も済んだので、俺はもう家路に就こうと思うよ(帰る前にスーパー・マーケットに寄って、食料品でも買っていくつもり)。「ごちそうさまでした、っと――」両手を合わせることもなく、ただ一人でにそう呟きながら、席を立つ俺。
それにしても、相変わらずこのお店の料理は絶品だった(君たちもぜひ、最寄りの『ヴィーガン料理店』に行ってみるといい。どのメニューも意外なほど『イケる』はずだ)。それじゃあ会計も済んだので、そろそろ出発しようか――。
*(それから数分後)
ってなわけで、近所のショッピング・モールにやってきた俺は、今、店内を悠々と闊歩しながら、一階の食料品売り場へと向かっている。このモールは、都会としてはイイ感じに寂れていて(語弊があるね。普通に空いてるって意味)、特に平日の昼間ともなるとなおさらだった。
さてと、今晩は何を食べようかなぁ~? 久々に『蕎麦』ってのも悪くないな~。確か『植物出汁のそばつゆ』がまだ残ってたはずだからぁ……とりあえず蕎麦だけ買ってぇ……それからサイド・メニューはぁ……無難に『豆腐ハンバーグ』にでもするかぁ~。
そうと決まれば、買うべき物はあれと、あれと……あぁ、あと『キャット・フード』も買っていくか。また『あいつ』、来っかもしんないもんな――。そんなことを考えながら、俺がショッピング・カートの列へと向かっていた、ちょうどそのとき! 近くにいた老人が胸を押さえながら、ゆっくりと床に崩れ落ちていったのだ!
俺は内心、かなりの驚きと戸惑いを覚えたのだが、長年の善行で鍛えられた俺の身体は、ほぼ反射的にそちらへと方向転換していた。そう……これまでこういった事態を、一度も想定していなかったわけではないのである。どうやら俺は今日、脳内で幾度となく繰り返してきたシミュレーションを、実行に移す機会に巡りあったようである……。
ついに――。
『さぁ、救済を始めよう』
こういう場合まず、その人の容態を確認することが先決だ。はっきりとした声で呼びかけつつ、同時に背中を摩ったりもして、相手の反応を窺ってみよう。こんなふうに――。「大丈夫ですか!?(トントン) おじいさん?(トントン) 聞こえますか?(トントン)」しかしながら、本当に危険な状態にある人ほど、ここで応答できないものである――今回のおじいさんもそうだった。
こうなれば仕方ない。速やかに『119番通報』して、プロに任せるのが正解だ。自分のスマホがあるならそれを使えばいいし、無いなら倒れた人のスマホか、もしくは公衆電話を使うという手もある。
[各デバイスの緊急通報機能の使い方]
iPhoneの場合:
電源ボタンと音量ボタンを同時長押しし(もし反応がなければ、電源ボタンを5回素早く押してみて)、表示された『緊急電話』と書かれたスライドを右にスワイプ。出てきた各番号の項目のうち、当てはまるものをタップすると発信される。
Androidの場合:
電源ボタンを5回素早く押して、表示されたナンバー・パッド画面の下にある『緊急通報』というボタンをタップ。ナンバー・パッド画面が赤く切り替わるので、そのまま番号を入力して発信する(※できない場合は、緊急SOS機能が設定でオフになっている)。また、その画面の上に表示されている持ち主の名前を2回タップすると、その人に関する医療情報が表示されたりもする(その人が入力していれば)。
Galaxyの場合:
こちらも電源ボタンを5回押して、緊急SOS機能を呼び出すのだが、そのとき警報が鳴って5秒間のカウントダウンが始まった場合は、そのカウントが終わったところで自動的に発信がなされ、そうならなかった場合には『スワイプして発信』のところをスワイプする必要がある。Android同様、緊急SOS機能が起動しなかった場合は設定でオフになっていて、またGalaxyは通報できる番号が予め設定したもののみとなっている。
※『Live119』という、通報中にスマホのカメラを使って、リアルタイムで現場の映像を指令センターに送信できるサービスもあり、もし指令員がその協力を求めてきた場合、率先して協力するのがいいだろう。ただしそれには、SMSメールに送られてくるURLをタップする必要があるので、自分のスマホがないときには使えない。
公衆電話の場合:
受話器を上げて、『赤い緊急通報ボタン』を押し、発信音が聞こえたら番号を入力する。もし赤いボタンがないタイプの機種だったら、受話器を上げてそのまま緊急通報番号を入力すれば発信される。
今回に関しては、俺は自分のスマホを持っているので、そちらで通報することとする。「イチ、イチ、キュウッ、発信っと――」以降の流れは俺も初体験なので、できればそこにいて、俺が”まごつき”ながら善行している姿を見守っていてほしい。どうやらこの近くには、他に人影もないようなので……(仕方ない、念のため人を呼び寄せておくか――)。
「誰かっ!」
俺はひと言そう叫び、付近の人の注意を引くことにした。するとすぐさま、少し離れた場所から「はいっ?」と返事がある。それと重なるようにして、電話の方からも「はい、こちら通信指令センターです。火事ですか? 救急ですか?」と応答がある。俺はスマホのマイクを手で押さえながら、天井に向かって「こっちです! 人が倒れています!」と叫んだ後、電話を耳に引き寄せて、「救急です」と伝える。
すると指令員が「分かりました。では場所と状況を教えてください」と言ってくる――それと同時に、先ほど返事してくれた人が駆けつけてきてくれたので、俺はその人(薄色のサングラスをしているが、ひと目で分かるほどめっさ若い)に対して片手を掲げて『今、取り込み中です』アピールを行いつつ、その人にも状況が伝わるようはっきりした声で、指令員からの質問に答えていく。
俺「○○県○○市、○○区、○○にある◎◎(ショッピング・モールの名前)内の食品売り場前で、6、70代と思われる男性が倒れています。ちょうどこの人が倒れたところに、自分が居合わせていたので、今はまだそうなってから1分ほどしか経っていません。呼びかけても応答がありませんが、浅く呼吸しているのは確認できます」
指令員「分かりました。すぐそちらへ救急車を向かわせますので、電話はこのまま繋げた状態にして、もし可能ならば、これから私の言う指示に従ってください」
俺「はい。大丈夫です。指示をください」
指令員「ではまず、周囲の人に頼んで『AED(自動体外式除細動器)』を持ってきてもらってください」
俺「了解です――(傍にいる協力者に対して)AEDを持ってきてください」
協力者『(`Д´)ゞ ビシッ!』→(からの)『ε=(((((ノ`・Д・)ノスタスタスタッ』
指令員「それが済んだら次は、もう一度その方に呼びかけてみて、意識があるか確認してください」
俺「はい――(おじいさんに対して)聞こえてますか? おじいさん? 聞こえてたら返事してください」
おじいさん「っ……」
俺(指令員に対して)「辛うじて聞こえてはいそうですが、反応はほとんどなく、意識も混濁していそうです」
指令員「分かりました。ではその方の首や手首に、何かアクセサリーのようなものはありませんか? 持病やアレルギーを持っている方のなかには、『メディカル・アラート(医療用ID)』と呼ばれる医療情報を記載したタグを持っている方もおられます」
俺(軽く確認した後)「それらしいものはありません。ですが、左手首にスマート・ウォッチがありました」
指令員「了解です。でしたらスマート・ウォッチの画面を点けて、その方の心拍数がどうなっているか確認してください」
俺(傷病者の時計を操作した後)「心拍数……197です。何か、アラートみたいなものが出ています」
指令員「197、了解です。恐らく『心室頻拍』が起こっていて、その方はそれによる『虚脱(失血・中毒・心臓疾患などにより、血液循環が著しく阻害されたために起こる、急速な意識障害)』状態に陥っているものと思われます。一刻を争うので、これからはさらに迅速な対応をお願いします」
俺「分かりました(内心ドキドキ)」
指令員「今度は、その方の持ち物を調べてみてください。特に財布の中など、カード型のメディカル・アラートがあるかもしれません。もし無ければ、スマートフォンの緊急情報を確認してみましょう」
俺「はいっ――(ガサゴソ、ガサゴソ)あっ、ありました。財布の中に、『ヘルプカード』という物が」
指令員「記載内容を読み上げてください」
俺「『慢性心不全』あり、胸に『ICD(植え込み型除細動器)』あり……だそうです」
指令員「ICD、了解です。恐らくその方は、普段から不整脈の症状があったものと思われます。通常ならICDが作動して、直ちに心拍を正常に戻しますが、今はICDの電気ショックが効いていないか、あるいはICDのバッテリーが切れている可能性が高いです。AEDが到着したら、直ちに使用してください」
「ピーッ、ピーッ、ピーッ!」おじいさんの時計からアラートが鳴って、それまで微かな身動きがあった彼の身体からも、その生命の息吹が完全に見られなくなった。俺は三度彼に呼びかけながら、同時に時計の心拍数を確認し、何が起こったのかを指令員に逐一伝えていく。
俺「ヤバいです。心拍数208まで上昇。患者の意識・呼吸ともに、ほとんどありません」
指令員「直ちに心肺蘇生(CPR)を行います。スマホをスピーカーに切り替えて、地面に置き、それから患者の身体を仰向けて、蘇生の準備をしてください」
俺(せかせかと行動した後)「できましたっ(とは言え、まだ覚悟はできていない)」
指令員「利き手の掌の付け根を、患者の胸骨――胸の中央に当てて、もう一方の手をその手の上から、指を絡ませるようにして重ねてください」
俺「できました(無理やり覚悟完了)」
指令員「肘を伸ばして、体重をかけて圧迫してください。リズミカルに、イチッ、ニッ、サンッ、シッ、くらいの早さで。圧迫は思い切って、胸が5cm沈むくらいの強さで行ってください」
俺「イチッ、ニッ、サンッ、シッ、ゴッ……」
指令員「そう、上手です(優しいエスパー)。AEDが到着するまで、しばらく続けてください」
俺「ジュウシッ、ジュウゴッ、ジュウロクッ、ジュウシチッ……(いちおう指令員に聞こえるように、声に出している)」
※ここで一つ豆知識。心臓マッサージの理想的なテンポは『毎分100回』なのだが、いざというときそんな、正確なリズムを刻めるのかと、不安に思うかもしれない。そんなときは、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』でお馴染みのあの曲、『Bee Gees』の『Stayin' Alive』を口ずさんでみることだ。
あの『Ah, ha, ha, ha, stayin' alive, stayin' alive(ア、ハ、ハ、ハ、生きてる、生きてる)』というパートである。この曲は『BPM104』なので、心肺蘇生の際の指針になると、2008年にアメリカの『イリノイ大学医学部』の研究チームが発表している。もっとも、このときの俺は完璧に失念していたが……それではお話に戻ろう――。
胸骨圧迫の47回目が過ぎたとき、待望のAEDが到着する。
協力者「お待たせしましたっ。AEDです」
俺(蘇生を続けながら)「AEDが来ましたっ!」
指令員「蓋を開いて、音声ガイドに従ってください! 胸骨圧迫を一旦中止し、患者の服を脱がせて、胸が見えるようにしてください」
俺&協力者「はい!(せかせか)」
AED「成人モードです。意識・呼吸を確認してください……胸を裸にして、AEDの蓋から、四角い袋を取り出してください……袋を破いてパッドを取り出してください……パッドを青いシートから剥がして、図のように右胸と左脇腹に貼ってください」
俺&協力者「完了っ!」
AED「身体に触らないでください。心電図を調べています……身体に触らないでください……電気ショックが必要です。充電しています……身体から離れてください。点滅ボタンをゆっくりと押してください」
協力者「押しますっ――」ピッ――ドクンッ(ほんの僅かに、患者の身体が跳ねる)。
AED「電気ショックを行いました。身体に触っても大丈夫です。直ちに胸骨圧迫と、人工呼吸を始めてください」
俺「イチッ、ニッ、サンッ……」
指令員「もし可能なら、胸骨圧迫30回につき、2回人工呼吸を行ってください! 患者の顔をやや上に反らせて、気道を確保した後に、口から2回、大きく息を吹き込みます!」
俺「はいっ――ジュウキュッ、ニジュッ、ニジュイチッ……」
協力者「もしあれなら、僕がやりましょうか?」
俺「いやっ、大丈夫。俺がやる……(えぇいっ! ままよっ!)……ニジュキュッ、サンジュッ――」
俺は言われた通り、患者の胸を30回圧迫した後、躊躇うことなく人工呼吸へと移っていった。「気道確保。ふぅぅぅぅぅぅぅ――」もちろん、抵抗感がなかったわけではないが、その迷いが命取りになっては元も子もないので、腹を括ったのである(それに幸い、俺は”ファースト・キス”は済ませてるんでね……)。
ひと呼吸置いて、二度目の息を吹き込む俺。「ふぅぅぅぅぅぅ――」伴って、患者の胸がすーっと膨らむ(白状すると、大きな風船を膨らませてるみたいで、少し楽しかった)。
それから再び圧迫→人工呼吸と行ったところで、AEDが再度、心電図の解析→心室細動の検知を告知してきて、例のごとくショック→(からの)心肺蘇生を繰り返していく。そして俺が、三回目の人工呼吸を行おうとした寸前、待ちに待った『ヒーローズ』が到着する。
指令員「救急隊が到着しました! すぐそちらへ向かってます! 今しばらく蘇生処置をお願いします!」
俺は大きく息を吸った後、ありったけの肺活量を駆使して、患者の肺へと酸素を送り続けた。
*
救急隊員「もう大丈夫です! あとは私たちが引き継ぎます」
駆けつけてきた救急隊の一人から、そう言われたところで俺は、患者の身体から離れて(同時に床のスマホを拾い上げ)、呆然と立ち上がる……。それからは救命士の人たちが迅速に行動し、救命処置を引き継いでいく姿を、後ろから眺めるのみだった。頻拍、とまでは言わずとも、俺の心拍数もかなりの早鐘を打っていた。
救命士の一人が、専門道具を使って患者の肺に空気を送っていく(後から知ったが、あの道具は『バッグ・バルブ・マスク』と呼ばれる、手だけで人工呼吸ができる器具のようだ)。もう一人が訓練された動きで心肺蘇生を行っていくと、やがてAEDが「電気ショックは必要ありません」のお墨付きをくれる。どうやら心室細動は治まったようだ。
指令員「この度は、迅速な通報および救命処置へのご協力、ありがとうございました。もう電話を切っても構いませんよ」
スマホのスピーカーから指令員の人にそう言われたところで、俺は我に返って「あっ、分かりました。この度は的確な指示を、ありがとうございました」と言って通話を終了する。
それから俺は、今しばらく救命士たちがテキパキと、患者に人工呼吸器を装着したり、担架に乗せてベルトで固定したりしていく様子を眺めてから、やがて『ふー』っと溜め息を吐いては、傍にいた協力者へと向き直るのだった。
俺「あの、先ほどは助太刀どうも。ホント、助かりました……一人じゃどうなることかと……」
協力者(爽やかな笑顔で)「いえいえ、僕はたまたま居合わせただけですから……。それよりもあなたの方こそ、お疲れさまでした。とても勇敢だったと思います。誰にでもできることじゃありませんよ」
俺(歪んだ照れ笑いを浮かべて)「い、いや……俺なんか……」
協力者「それじゃ、僕もう行きますね。さよならっ――」
オシャレなグラサンを隔てていても分かる、とてつもない好青年オーラ……彼はそんなキラー・スマイルで俺に別れの挨拶を告げてから、颯爽とモールのどこかへと消えていった。俺はしばし、この非日常的な高揚感に浸ってから、やがてトイレで口を濯いだ後、満を持して当初の目的を遂げに、食料品売り場へと入っていった。
*
その日の夜。晩飯を食べ終わって、リビングでくつろいでいた俺の耳に、何者かがベランダの窓を叩いたときに鳴る、お馴染みの「カチカチッ」という音が届いた。俺は『待ってました』とばかりに、昼に買っておいた”ブツ”を持ってベランダへと向かっていき、来訪者の正体を確かめるべく、何の警戒もなくカーテンを開くのだった。
シャッ――。すると案の定、窓の外には、俺が想定していた『訪問者』の姿があった。俺がそっと窓を開けてやると、そいつは隙間からシュルンと家に入ってきて、すぐさま物欲しげな顔で俺のことを見上げては、「にゃ~ん」と鳴くのである。
こいつは『虚費』。俺がこのアパートで一人暮らしを始めてからというもの、たまに俺のところに餌を強請りにくる、俺とはそこそこ気心が知れた仲の、近所に住まう『雑種のネコ』だ。
首輪をしているので、恐らくどこかの飼い猫なのだろうが、飼い主から充分な餌を貰えてないのか、こいつはかなりの頻度で俺のところにやってきては、俺にそのクリクリな目を向けて物乞いするのである。
俺は面倒な誓約に生きる偽善者なので、こんな乞食が現れたら、餌付けしないわけにはいかない……よってこいつは俺の『無駄使い』を誘発するとして、俺が勝手に”虚費”と名付けたのである(本当の飼い主が聞いたら、さぞ心外だと思うだろうな)。
「何だぁ、お前……また飼い主から”虐待”されたのかぁ……?」俺がそう言うと、虚費は先ほどと全く同じトーンで、再度「にゃ~ん」と鳴いてくるのみだ(か、完全に一致! 何て強情な奴だっ!)。対して俺が、「待ってな。ほら……今、お前の好物出してやるから――」と言って、買ってきた餌(飼い猫にとっても、かなりのご馳走)を皿に出してやると、虚費は遠慮の欠片もなく(少しは”拒否”しろ!)、その肉にがっつき始める(そう……こいつは俺に『ヴィーガンのルール』を破らせる、罪深い猫なのだ!)。
俺はしゃがみ込み、ふとその背中を撫でながら、いつものように虚しい独話を始める。「なぁ、聞いてくれよ虚費……今日は俺、『心臓麻痺で倒れた人を救済』したんだぜぇ? 救急車呼んだり、心臓マッサージしたりしてさぁ……ワイルドだろぅ?」
虚費「はぐっ……はぐっ……(まだがっついてる)」
俺「あの人がどういう人なのかも知らないし、生きたいと願っていたのかも知らないし、今日の行動で本当に救えたのかも、分からないんだけどなぁ……やっぱ俺って、虚しいと思うか?」
虚費「ウーウー、ウマいウマい♪(絶品にありついているときの猫がよく出す音。たま~に『キャラメルダンセン』に聞こえる)」
俺「それにこの前はさぁ……俺、『窮地に陥っていたアイドルを助けようとした』んだぜぇ? まぁ、結局救えなかったけどなぁ……けど、これだけは信じてくれ。俺、マジで頑張ったんだぜ……マジで……だから、なぁ……もしよければ、褒めてくれね? 虚費……」
虚費「にゃ~ん(おかわりくれぇ~)」
俺「ありがとな……やっぱ俺のこと分かってくれんのは、お前だけだわ……虚費……今度、もっとご馳走買ってきてやるからな? そのときまでせいぜい、運動して腹空かせておけよ? 万が一太ったら、飼い主からもっと餌貰えなくなっかもしれないからな?」
虚費「うにゃ~ん(いいからくれぇ~)」
こうして、俺の何気ない一日は過ぎていった。このときの俺はまだ知らなかった。この先、俺の生活・哲学が、大きく脅かされることになろうとは……。
第三話『虚脱』 完




