81 尊敬
夜。
勇一とアマウリが、熱く見つめあい、語り合っていた。
二人は、更に熱気をおび、その間にはなんびとたりとも、入り込むことのできない。
めくるめく、男二人だけのあつい空間。
そんな世界を、毎晩のように二人は繰り広げている。
実はここの所、毎晩のように勇一とアマウリの二人は、お互いの知識や情報を交換しあう、勉強会をやっているのだった。
一応、ディケーネも諦めずに、その場に居ることは居るのだが、まったく二人の話についていけていない。
王都を脱出してからすでに一週間程経過しているが、アリファ姫様と、姫を守る穢れなきバラ親衛隊の一団の旅路は、今の所、順調であった。
確かに王都は中央ルシア正統皇帝国の7万の兵士によって占領されている。
だが、皇帝国軍が占拠しているのはあくまで王都のみで、王国全体の支配に成功したわけではない。
王都付近の最重要拠点には、兵を派遣していたが、それ以外の場所に、皇帝国軍が居るわけではなかった。
アリファ姫の一団は皇帝国軍が占拠している拠点をさけるようにして移動しているし、白亜宮を脱出した時から一定の距離を置いて、ずっと追いかけてきていた一団も撃破した。
実の所、皇帝国軍は、完全にアリファ姫の一団を、見失ってしまっている。
もちろん皇帝国軍も必死になって探索部隊を派遣しているが、今の所、発見にいたっていない。
帝国魔法師団によって千里眼魔法を使っての探索もおこなっているが、これはアマウリの強力な妨害魔法によって、完全に阻止されていたのだった。
そんな訳で、敵の追手を一旦は振り切っていた。
とは言うものの、旅路の先はまだまだ長い。
無理な行軍をして、体力を消耗してしまったら、敵の襲撃を受けた時に逆に不利になるだけだ。
ダフネ隊長やリュウド副隊長が立案し、更に勇一やアマウリなどの意見を取り入れた、かなり長期的な移動計画が立案されている。昼間の移動も無理をせず睡眠と休息を十分に取り、更にできるだけ栄養のある食事を多めに取っている。
更に、夕食後には自由時間も設けていた。
そして、その自由時間などを使い、勇一とアマウリが、勉強会を行っているのだ。
話は、少しだけさかのぼる。
勇一は、この逃避行が始まった際、改めて本格的に世界の魔法や知識やその他の情報について、深く追求したいと考えていた。
ディケーネが知る限りの事を教えてもらっているが、かなり限界がある。
できれば、明らかに多くの知識を持つであろうアマウリから、色々と聞き出したいと考えていた。
だが、アマウリと言う人間は、情報の価値を知っている。
この異世界は、ちょうど元の世界の中世のように一部の上流階級の人々が知識を独占している。
一般市民は知識など持たないほうが、支配者階級の人間には都合が良いのは、どこの世界でも一緒だ。
この世界では、知識や情報は、圧倒的な"価値"があり、持っているだけで"力"なのだ。
それ故に、アマウリは、無償で人に情報を与えるような馬鹿ではない。
あくまでギブアンドテイクだ。何かしらの情報を差し出す代わりに、情報を得る。
ダーヴァから王都への移動中にアマウリは、勇一と魔法談義を行なっていたが、あれはあくまで談義が目的だった。
一方的な情報の提供ではなく、勇一からレーザー小銃などの魔法具について聞きだそうと言う思いがアマウリにあったからこそ乗ってきたのだ。
単純に勇一がアマウリから知識や情報を得るには、何かしら取引として、差し出す知識が必要だった。
元の世界ではネットがあり、ウィキでもググれば、すぐに有益な知識や情報が引き出せる。
知識や情報は、無料であふれ、誰でも簡単に手に入る物だった。
例えば料理の情報や、薬品の情報など、どんな知識でも情報でも、この異世界では非常に役にたつだろう。
だがネットなど、そんな物はもちろんこの異世界には存在しない。
特別な趣味もなく特別の知識もない一般的な高校生で 平日は普通に学校に通い土日は部屋に閉じこもってゲームばかりしていた勇一。
異世界に来る前に役に立ちそうな情報を覚えておいた訳でも、もちろん無い。マヨネーズの作り方すら、知らない。
勇一が、自分の記憶の中に持っている物だけが、自分のもつ情報なのだ。
その情報の中で、もっとも価値の有る情報。
勇一が勇一なりに考えに考えて、出た結論。
それは『学校の勉強で習った事』だった。
特に、数学と化学がアマウリの興味を引いた。
数学に関しては、この異世界の一般的教養がどのくらいか解らないが、元貴族でそれなりの教育を受けたディケーネは、普通に加法、減法、乗法、除法が混じった四則計算は行える。
そしてアマウリは普通に、y = ax + b 1次関数を知っていたのだった。
へー、この異世界にも1次関数ってあるのか。
と、勇一は内心驚きを隠せない。
しかし、もっと驚いたのはアマウリの方だ。
「ユーイチ殿は関数を知っているのですか?!!?」
思わず、大きな声で叫ばれてしまう。
なにせ王国内で1次関数の観念を理解している者は、アマウリと彼の師匠、そして王国立大学の数学者達など、僅かな者しかいない。
その関数を!
この、正直あまり頭が良さそうに見えないユーイチ殿が!
完全に理解している!
アマウリの驚愕は並大抵なものではない。
しかも、この異世界では2次関数と言う思考法は、まだ存在しなかった。
当然といえば、当然だろう。
2次関数の存在が明確に発見されたのは、元の世界でも16世紀以降だ。
勇一が、2次関数をグラフ化し、グラフの平行移動や、方物線の移動などを説明すると、アマウリの目の色が変わった。
1次関数の発見から2次関数が発見されるまでは、数百年の時間がかかっている。
だが、すでに法則を知っている勇一が教ると、アマウリは、ものの1時間ほどで2次関数をおおよそ理解してしまう。それは、数百年分の知識の蓄積を飛び越えた事に等しい。
さらに、アマウリからは、的確かつ細かい質問がどんどん出てくる。
勇一が忘れている所などは、逆に『ひょっとしてこうでは、無いですか?』と色々と提案してきて、二人で肯定式を解いたりした。
正弦定理については、勇一が思い出しつつ、アマウリが質問したりしながら一緒に考え頭をひねり、定理を完全な式にして証明できたときなどは、思わず二人でハイタッチしてしまったくらいだ。
そして、数学よりも更にアマウリにとって価値のある情報。
それは化学だった。
その中でも、特にアマウリが反応したのは、勇一が必死に思い出して書き出した『元素の周期表』だった。
H He Li Be B C N O F Ne Na Mg Al Si P S Cl Ar K Ca
水兵リーベ僕の船 七曲がりシップスクラークか。
の、語呂合わせで有名な、あの周期表である。
じつは周期表という物は、数多の錬金術師、化学者、物理学者、科学者などによって、血のにじむような努力によって作り上げられた、"知の集大成"である。
元素の性質を簡潔かつ完成度が高く示した周期表は、元の世界でも"化学のバイブル"とも呼ばれていた。
この異世界の文化レベルは、元の世界の騎士が活躍した中世の時代の文化レベルと、ちょうど重なるくらいだろう。
元の世界の中世時代の後期は、錬金術師アルベルトゥス・マグヌスによりヒ素の発見以降、錬金術師の手によって、次々と元素が発見されていく時代でもあった。
この異世界では便利な魔法があるが故に、かなり文化の進み方に差異がある。
それでも、やはり錬金術師によって元素が発見されていて、一部の先見性のある錬金術師たちが、すでに、元素には周期的な特徴があることすら推測し初めている。
そして、アマウリも、その一人であった。
だがしかし、この異世界では発見された元素も少なく、その法則性も発見されておらず、周期表を作ることなど、まだまだ夢のような話である。
それが!
その元素の周期表の完成した表が!
今、私の手の中にある!
「素晴らしい! 素晴らしすぎます! これはまさに"知の集大成"ですよ!」
感極まったアマウリは大声で叫び、さらに勇一に抱きついて、ほっぺたにキスまでしてきた。
周りで偶然目撃したニエスや、親衛隊員達が、あらぬ誤解をしてしまったくらいだ。
アマウリが狂喜乱舞するのも無理からぬ事ではある。
周期表が発表されたのも、元の世界で19世紀に入ってからだ。アマウリにしてみれば数世紀先レベルの知識を真の当たりにして手にしている事になる。
ちなみに元の世界での錬金術は、当初は不死の研究や文字どうり金の精製を目指す研究が行われていたが、徐々にオカルト的な要素や魔法的な要素が排除され、やがて『化学』へと昇華していった。
だが、実際に魔法が存在するこの異世界での錬金術は、より魔法に特化した『魔学』へと進化していっているのだった。
しっかし、あれだ。
意外だよな。
ぶっちゃけ『学校の勉強』なんて……、
異世界では一番、役に立たない知識だと思ってたんだけどなあ。
元素の周期表などに狂喜するアマウリの姿をみながら、勇一は、そんな事を思ってしまう
だが、実際の所、学校で教えてくれる内容と言うのは、多くの研究者や科学者や教育者達が、ものすごい長い年月をかけ試行錯誤を重ねながら積みあげてきた『知の結晶』だ。
知らない者から見れば、喉から手が出るほどに欲しい"宝"と言って、差し支えない。
元の世界でも、発展途上国が発展する為に一番必要だとされるのは知識であり、その知識を与える教育だ。
学校で教えられる知識こそが、国を豊かにし、生活を豊かにし、幸せな生活を送るための基礎となるのだ。
『学校で教えられている勉強』
その素晴らしい価値を一番解っていないのは、間違いなく、毎日勉強している当の日本の学生達だろう。
まあ、とりあえず
選択で理数系を取ってて良かったよ。
文型の現国や古典や英語系は、ひまひとつ役に立ってないからな。
そんな事を勇一は暢気に考える。
勇一がそれだけの情報を与えれば、もちろんアマウリも情報を返してくれる。
彼が知る限りのすべての知識を、惜しみなく余す事なく、親切丁寧に教えてくれた。
そして、両者が、自分の持てるかぎりの知識と情報を熱く語りあう勉強会が毎日のように行われる事となったのだ。
一応、ディケーネとニエスも最初は勉強会に一緒に参加していた。
だが、ディケーネは途中でついて来れなくなって根をあげてしまい、ただ黙って邪魔にならないようにその場にいるだけだ。
ニエスにいたっては最初の十分くらいで『あ、私、電動バギーを洗ってあげなくちゃ』と言い出して逃げ出してしまっていた。
たまに、好奇心の強い穢れなきバラ親衛隊の隊員も覗きにきたりしていた。
親衛隊員達はそれなりに高い教育を受けている。
とくに副隊長のリュウドなどは普段から隊の中で予算管理や物資管理などを担当し、日常的に帳簿管理も行っていた。
その為『自分はそこそこ数字に強い』と自負していた。実際、彼女は本当に頭が良くて計算が速い。大量の数字を即座に計算し、実の所、暗算などは勇一よりも数倍速い。
だが、あくまで彼女が扱うのは現実に即した実数の計算であり、関数と言う思考自体が理解できていない。
勇一とアマウリが描く、二次関数のグラフを見て『まずい。これは私が知っている算術とは、違うようだ』と、ほうほうのていで、逃げ出していってしまった。
また、魔法使いのクワイなども錬金術の延長として化学を一緒に習ったりした。
だが、彼女はもともと魔法学院の座学でも落ちこぼれ気味の生徒だった人物である。
すぐに、無言で逃げ出していった。
結果として、『まったく解らんが、とにかくユーイチ殿とアマウリ殿は、天才のようだ』と、噂だけが、広まった。
とにかく、そのような経緯をへて、毎日のように暇さえあれば語り合い、さらに食事後の自由時間は勉強会にいそしむ事になったのだった。
そして、勉強会を重ねるごとに、アマウリの勇一を見る眼が明らかに変わってきていた。
なにせ、彼は知識こそ最大の力と信じているような人間だ。
勇一は、彼が知るどんな研究者よりも、そう、人生の総てを数字に捧げた数学研究者よりも、世俗との繋がりを捨て家族を捨て名誉も捨ててひたすら研究に没頭する錬金術師よりも……、圧倒的な知識を持っているのだ。驚愕したといわざる得ない。
勇一が魔法については、ズブの素人であることは、とっくに理解している。
だが、そんな事はもはや些細な事でしかない。
有能な者の知識が偏っていて、自分の専門分野以外はまったく無知と言うのも良くあることだ。
言うなれば、数学論者や化学に特化した錬金術師が、魔法の素人であろうとまったく問題ないことだ。
最近のアマウリが、勇一を見る目には、本当に純粋な"尊敬"と"畏怖"が加わってきていたのだった。




