67 花瓶
「どうすれば、いいの?」
彼女はそう呟いてから、もう一度、窓の外を覗き込む。
王城の中にある、その一室の窓からは、煙が見える。
だが、王城のどこから火の手があがっているのかまでは、解らない。
窓を離れ、自分用の執務席に座りこみ、途方にくれる。
彼女は何も出来ないまま、もうすでに、何十回と呟いたその言葉を、また呟いた。
「私はどうすれば、いいの?」
白亜宮で、防衛戦が始まった頃。
王城の中にある、穢れなきバラ親衛隊本部執行室の中。
彼女は、ただ呟き続けている。
「どうすれば、いいの?」
彼女の名は、マルティナ・ミュラー
『穢れなきバラ親衛隊』の序列三位
背は低くはないのだが、線が細く、ちょっとなで肩で、あまりに非力な見た目だ。
顔つきも整っていて美人なのだが、金髪を単に短くきっただけの髪形と、機能だけを追求した垢抜けないデザインの眼鏡のせいで、かなり野暮ったい見た目になってしまっている
そんなマルティナは、剣術や体術では親衛隊の中でも、ダントツで弱く、最下位である。
だが、そんな彼女の穢れなきバラ親衛隊序列は三位だ。
序列一位のダフネ隊長と、二位のリュウド副隊長がいない今、親衛隊において序列三位の彼女が、最高位である。
なぜ非力な彼女の序列が高いのかといえば、彼女は魔法使いであるからだ。
魔法使いとしての真名は"マルティナルス・ドナルド・ハ・ミュラー"
彼女は国立魔法学院をトップクラスの成績で卒業後『穢れ無きバラ』へ着任した、超エリートの魔法使いであった。
ちなみにアルフォニア王国には、国立の魔法学校は二つある。
アルフォニア王立魔法大学と、アルフォニア国立魔法学院だ。
どちらも"魔法を学ぶ学校"であるが、その目指すべき所はまったく異なる。
アルフォニア王立魔法大学は、現在の大学に感覚的に近い学校だ。
入学の為に推薦状こそ必要なものの、どんな身分の者でも、どんな年齢の者でも入学可能で、そこで行われる魔法の授業も、研究も非常に多種多様だ。魔法使いの育成と共に、魔法の研究、発展も趣旨とした組織である。
かなり自由な校風で、大学長を務めるブンデル氏も『国からは、予算は出してほしいが、口は出して欲しくない』と公然と発言して、本音を隠そうともしない人物だった。
それに比べアルフォニア国立魔法学院は、まったく趣旨が異なる。
魔法学院は、アルフォニア王国の為の魔法エリート人材育成機関であった。
入学は基本的に、10~12歳、学業優秀で魔法の素質の高い者のみ。
4年間をほぼ宿舎と学校の中だけで過ごし、卒業後は、自動的にアルフォニア王国の為に働く役職につく事となる。
覚える魔法も、アルフォニア王国が各部署ごとに必要だと思う魔法を重視して学ぶ事になっていた。
アルフォニア王国が必要だと思う魔法。
それは、他の魔法使い達が弟子を取って教える魔法とは、まったく違う。
巷にいる一般的な魔法使い達は、攻撃魔法を好む。
もちろん死が身近にあるこの異世界において、生き残る為には攻撃魔法が必要だと言う、切羽詰った理由もある。
その為、偉大な魔法使い達の弟子となり教わる者たちは、攻撃魔法を学ぶ事が多い。
だが、王国として必要とされ、魔法学院でもっとも力をいれて教育を行う魔法は、ふたつ。
それは、探知魔法と、念話魔法だった。
手から火の球を出す火炎魔法などの攻撃魔法は、国立魔法学院では殆ど教えない。
なぜなら攻撃魔法は、個人の才能によって使える魔法の種類も、攻撃力も大きく異なる。
才能ある若者を百人揃えて同じ内容の魔法教育を与えても、その百人は、魔法の種類も、攻撃力も、魔法詠唱にかかる時間もバラバラの結果となるのだ。
国にとっての攻撃力とは、軍隊である。
そして、軍隊としては そんなバラバラの能力の魔法使いを並べて使っても、不合理でしかなく、まともな戦力にならないのだった。
しかも、その百人をそろえるのに、どれだけの予算と年月がかかる事だろうか。
数万の農民を徴兵して、弓矢を持たせた方が、ずっと簡単に安く実戦では役にたつ軍隊を編成できる。
『攻撃魔法を操る魔法使いの軍団をつくる』
それは、どんな国の王であっても、一度は考える案だ。
だが、現実の運用の難しさとかかる費用との兼ね合いで、結局は計画だけで止めてしまうのが常だった。
非常に地味とも思える探知魔法と、念話魔法。
この二つを、魔法学院では、重視して徹底的に訓練を行う。
特に念話魔法は必須だ。
王国内の拠点や各部隊には、かならず念話魔法を使える者がいて王国独自の魔法通信網を構築している。
と言っても、遠くの街にいる相手と念話できるような優秀な魔法使いは、数年に一人の割り合いぐらいでしかいない。
多くの者は数キロの距離しか念話魔法が届かない。
それでも戦場などでは、非常に有用なのだった。
国立魔法学院をトップクラスの成績で卒業したマルティナ・ミュラーも、当然のように、攻撃魔法は殆ど使えず、遠距離念話魔法や、探知魔法が得意な魔法使いだった。
彼女は非常に優秀な人材である。
魔法使いとして優秀なのはもちろん言うまでもなく、地味に親衛隊の事務処理等も担当して、日頃からダフネ隊長を補佐していた。
だが、そういった平時に優秀な人物に限って、緊急時の対応が苦手な者がいる。
マルティナは、その典型的なタイプの人物だった。
この非常時に、彼女は何も選択することができない。
「どうすれば、いいの?」
そう呟くだけで何も決断できず、妨害されて繋がない念話魔法を、無駄だと知りながら、何度も繰り返すだけだった。
「はいりますわよ!!」
ノックもなく、蹴り破るような勢いで、執務室のドアが開けられた。
ドアの向こうにいたのは穢れなきバラ親衛隊きっての問題児二人。
"我侭お嬢様"エレーナ・ラ・クルスノルド
『穢れなきバラ親衛隊』 現序列五位
元は序列八位だったが、ダーヴァで襲撃を受けた際、上位1名が死亡、1名が半身不随で引退、1名が精神を病んで自殺した為に繰り上がり、現序列は五位になっている。
貴族出身で騎士らしからぬ優雅で豪華な雰囲気のある彼女が、巻き毛の金髪を揺らしながらズカズカと部屋に入ってくる。
"死にたがり"ノレル・ノレルノレ
『穢れなきバラ親衛隊』 現序列四位
元は序列七位だったが、やはり繰り上がり、現序列は四位である。
褐色の肌、黒い目、黒い髪を持ち、地方の少数戦闘部族の最後の生き残りの彼女は、エレーナの後ろから足音もなく部屋にはいってきた。
二人共が、純白の鎧を着込み腰に剣をさげ完全武装している。
その物々しい格好と、勢いに気圧されながらマルティナは当然の質問をした。
「なに? なんの用事?」
「なんの用事ですって? この非常時に、なんの用事もくそも無いですわ。とっととベルガ姫を連れて逃げるわよ!」
エレーナの言葉に、マルティナは目を丸くする。
「逃げる? なぜ? 『逃げろ』って言う命令が、どこからかあったの?」
そんなマルティナを、エレーナは馬鹿にしたように鼻で笑う。
「命令なんて、ある訳無いですわ。序列三位で、今残ってる騎士の中で最上位のあんたが、命令するんですのよ! このポンコツ魔法使い!」
「ポ、ポンコツって、そんな酷い言い方しなくても」
「ポンコツがいやなら、スットコドッコイ魔法使いでも、イカレポンチ魔法使いでもいいですわ。
とにかく、さっさと逃げるように命令出しなさい!」
「でも、王城の中で何が起こってるのかすら解らないのよ。何から逃げるの? どこへ逃げるの? それに勝手に逃げたりしたら、後から責任問題になるんじゃない?」
「ごちゃごちゃと文句ばっかり、うっるさいわねぇこのダサメガネ魔法使いは。武装蜂起がおこっていて、危険が迫ってるのよ。逃げなきゃいけないに決まってるじゃない。
責任問題がどうとか言ってる場合じゃないでしょう!」
「でも、本当に逃げる必要なんてあるの?
何が起こってるか解らないけど、待っていれば、王城の守備隊が鎮圧してくれるんじゃないの?」
マルティナは、若干ヒステリック気味に叫ぶ反論してくる。
あーー 駄目ですわね。
このボンクラ魔法使い。本当に解ってないのですのね。
エレーナは、愚か者を見る目で、しみじみとマルティナを見つめる。
「いい アタマデッカチ魔法使いちゃん。その魔法使う以外まったく役にたたない脳みそをちょっと動かして考えてみなさい。他国からの攻撃でなく、この王城で、いきなり武力蜂起が起こったんですよ。
これは武力政変よ。
そして、そんな事をする、そんな事ができる人物なんて、一人しかいないでしょう」
「え? 誰ですか? それ」
まったく解らないといった表情のマルティナ。
エレーナはあきれ、心底マルティナを侮蔑しながら言った。
「そんな事ができる人物はたった一人。
アルフォニア王国第二王子、クルスティアル・アヴェイラ・ロナード・フォン・アルフォニア。
姫様の父親よ!」
ちなみにエレーナは、まったく想像だけでこんな事を言っているわけでは無い。
彼女は元々貴族出身で、王城内に知り合いも多く、普段から政情に詳しい。
さらに、確固たる彼女独自の情報もあるのだった。
この異世界では情報伝達方式が進化していない分、逆に情報の価値が高い。
より情報を得る者が優位に立てるのだ。
その為に王国でも 魔法使い達の作る魔法情報網には非常に力を入れている。
そして王城内には、魔法情報網に匹敵する程の大規模かつ、多大な情報が行き交う別の情報網が存在する。
それは、メイドや召使などの女達による『口コミ情報網』。
これが中々馬鹿に出来ないモノであった。
そして、エレーナにはかわいい同性の恋人が複数人居る。
そのかわいい恋人達の中には、王族のメイドも数人いて、その口コミ情報網からの情報を教えてくれているのだ。
その口コミ情報網の中で、話題になっている事があった。
メイドの中に数人、クルスティアル王子の護衛任務にあたっていた兵士と付き合っている者がいるのだが、それらのメイド達が口々に言っていたのだ。
『私の恋人が、ダーヴァから帰ってきていない』
そう、エレーナは知っていたのだ。
クルスティアル王子が国王から与えられダーヴァに連れていった1万の兵士達。
その中身が、そっくり別の兵に入れ替わって、帰ってきた事を。
「本当にクルスティアル王子が?! 本当ですか?
もしそうだとしても、なんで娘の姫様には何も言われてないんですか? 内緒なんですか?」
「クルスティアル王子以外に誰がいるのよ!
それに武力政変を実行するのに、家族にだって言うわけないじゃない!
実行者のごく一部しか知らないものよ。どこから情報が洩れるかもしれないのだから」
「でも、武装蜂起しているのが、姫様のお父上の兵ならば、余計に逃げる必要無いじゃないですか?
姫様には、手を出さないでしょう?」
「あのねぇ~。
もし武力政変が失敗したら、姫はどうなると思います?
首謀者の娘。悪ければ斬首、良くて一生幽閉ですわよ。
この武力政変が成功するか、失敗するかなんて知りませんわ。
でも、結果が出てからではまちがいなく逃げられなくなりますのよ」
それに……、
自分でクルスティアル王子が起こした武力政変と言ったものの、それだけじゃない気がする。
まだ『何か』あるような気もしますわ。
そうエレーナは考えていたが、そのことを言っても面倒なだけなので、言わずにおいた。
「でも、それって全部エレーナさんの想像で、確証なんて無いですよね。
けっきょく、本当に逃げる必要があるのかなんて解らないじゃないですか」
まだぶつくさと文句を言いいますの、このアンポンタン魔法使い!
もう、めんどくさいですわ!!
エレーナが、内心でぶち切れる。もともと彼女は我慢強い性格ではない。
執務机の上に飾ってある花瓶を手に取った。
彼女の眼が、怪しく光る。
「ああ! 困ったわ! 偶然! 手が! 滑ってしまいましたわ!!」
そう叫びながら、手に持った花瓶で、マルティナの側頭部をおもいっきり殴りつけた。
ゴン
鈍い音が響く。
殴られた側頭部から血を流しつつ、マルティナが睨みつけてきた。
「なっ? 何するのよ?!」
「あら。もっとパリィーンって花瓶は綺麗に割れて、マルティナは気絶する予定だったんですけど……
そんな巧くはいかないモノですわね」
「あ、あなた、何言ってるの? 気でも狂ったの? とにかく上司への暴行で 軍法会議に……えッ!?
今までずっと後ろで黙って二人のやり取りを聞いていたノレルが、音も無くマルティナの後ろに回りこむ。と、同時に、腕を喉元に蛇のように巻きつけ、頚動脈をしめつけた。
抵抗する間もなく、意識が落ちる。
マルティナの身体の力が抜け、唇の端から涎をたらしながら床にグニャリと崩れ落ちた。
「あらあら、偶然にも、マルティナは気絶してしまいましたわね。
これで今、王城に残っている親衛隊で最上位の序列は、序列四位のノレル。
あなたに指揮権が移ってしまったわ」
愉しそうに言うエレーナに対して、ノレルは冷たい態度でそっけなく答えた。
「私には指揮なんて出来ない。貴様に指揮権をゆだねる。好きにしろ」
エレーナは、唇の端をつりあげて、満面の笑みを浮かべながら、言った。
「じゃあ、さっさと、逃げ出しますわよ!」
――――――
おかしい。
なぜだ? どう考えても納得できん。
ダフネ隊長は、不快そうに唇の端をゆがめる。
北館での攻防は、すでに終了している。
正面の南館も、確認に行かせた者の報告によると、見事に『名無き者』が勝利をしたとの事だ。
まだ、この白亜館を取り囲むように敵は残っているが、包囲するだけで攻めて来る様子はない。
戦力が残り少ない事を考えても、"逃がさない為の包囲"では無くて、あくまで"見張り"だろう。
多分、こっちが包囲の突破を試みれば、敵は無理に戦わず、簡単に突破を許すはずだ。
そして、その後に、距離を置いてずっと追跡して来るだろう。
突入を担当した部隊が全滅したのに、無駄に仕掛けてこない。
それぞれの部隊が、それぞれの役割をきっちり果たし、命令も徹底されている。
ダフネ隊長は、ますます不快そうに、唇の端をゆがめる。
「おい、生きてる敵兵を探せ」
ダフネ隊長が、指示を出す。
「そいつから、この連中が何者なのか吐かせろ。
拷問も許可する。もちろん拷問は姫様には知られないように、場所を考えて、静かにやれよ。
あ、あと一応、『名無き者』達にも、知られないようにしておけ」
ダフネ隊長自身は、姫様を守る為なら、何をするのも躊躇しない。
だが、義を重んじる『名無き者』が、拷問を良しとしない可能性を考慮した。
それから、ダフネは窓際に移動し、王城をの方向に目をやる。
遠くに王城から上がる煙を見ることができた。
なぜだ?
ダフネ隊長は、蒼い空に立ち登る黒い煙を見ながら、思案する。
今、王城で兵を挙げる理由があって、更に、実際に兵を挙げられる人物といえば、一人しかいない。
それは、この国の第二王子であり、姫様の父上のクルスティアル王子だ。
だが、なぜだ?
クルスティアル王子の兵に、姫を襲う理由なんてもちろん無い。
それなのに、明らかに同じタイミングで、この白亜宮は襲撃された。
なぜ、こいつらは"王城の騒乱"と同時に、姫を襲うことができた?
偶然? そんな事は、有り得ない。
それに、これだけの数の兵をどうやって王都内に侵入させた?
しかも大型の弩など、やたらと装備も充実してたぞ。
こいつら、何処から来たんだ?
誰の命令で、姫を襲ったんだ?
穢れなきバラ親衛隊の騎士が、死体の山の中から、まだ息のある敵兵を数人みつけて、引っぱりだしている。
ダフネ隊長は、念を押すようにつけ加えた。
「命令の徹底されかたからも、こいつらが簡単に吐くとは思えん。
時間がもったいない。まず指を全部切り落とし拷問してから、尋問を始めろ。その方が早い。
いいか、拷問のやりすぎで殺してもかまわん、徹底的にやれ!
とにかく、何でもいいから情報を吐かせるんだ!!」




