65 初陣
おおおおおおおおお!
今までとは違う、勝利の雄叫びが廊下の曲がり角の先から響いてきた。
西階段の奥、三番目のそして最後のバリケードの中で、ロルダグルクはその雄叫びを、まるで遠い世界での出来事のように聞いている。
もうすぐ、あの雄叫びを上げた敵が、此処に襲い掛かってくるだろう。
どうせ、私はここで死ぬんだわ。
そんな諦めの気持ちが、ロルダグルクを達観させている。
他の四人の少女達は、その雄叫びに振るえていた。
"死にたくない""生きたい"と言う、人としてごく真っ当な思いが、少女達を恐怖させている。
ロルダグルクは、そんな少女達を冷めた目で見つめた。
もう、泣こうが喚こうが、どうせ死ぬのよ。
あきらめなさい。
口には出さないが、そう思っている。
もちろん、彼女とて腐っても穢れなきバラ親衛隊の隊員である。
最後はちゃんと戦って死のうと言う思いはちゃんとある。
しかし、それよりも『ここで私が奮闘しても、大局にはさほど影響ない』と言う諦めの気持ちが強かった。
「敵、見えました!」
四人の少女達の中でまだ比較的平常心を保ち、バリケードの外を見張っていたフレヤが報告する。
廊下の先をみると確かに、角から敵が数人、顔を出してこちらの様子を見ている。
敵はこちらのバリケードの存在を確認してから、一度、顔を引っ込めた。
無駄だと思いつつもロルダグルクは命令を出す。
「敵が角から姿を出ししだい 矢を放て!」
そして自分自身も、すぐさま矢を放てるようにと弓に矢をつがえ、弦を引き構える。
敵が飛び出してくるであろう、廊下の角に狙いを定めた。
……
……
だが、敵は廊下の角から姿を現さない。
なに?
盾の準備でもしているの?
いや、でも、他のバリケードを突破するのにすでに盾を使っている。それを再度使えばいいだけのはず。
矢をつがえた弓の弦は、張り詰めたままだ。
いや、弦だけでは無い。
腕の筋肉も、心の緊張も、まるで膨らみきった風船のように極限まで張り詰めている。
今にも、悪い意味で爆発しそうだった。
グギャアァアアアアアア
不意に、悲鳴が廊下に響く。
グァギャギャアアァアア後ろグワァア迎え討ギャアア止めてくれ助けてギャブゥ何がグギャ斬れギャゥワァ後ろだ後ろガアア引くなアアァアアア止めろギャアギャァアァアア神よグワァァクルツアルケルよ我をギャァァアアアグワァアア応戦しろガアアアグアア逃げるなウウゥウウ
曲がり角の向こうから、いくつもの怒号と叫び声と悲鳴が、混じって聞こえてくる。
なにがあったの?
姿は見えない為に、何が起こっているのかは解らない。
だが、ロルダグルクは混乱しながらも、その悲鳴から事態を推測した。
敵が、後ろから攻撃されている?
とうとう王都防衛の第八軍が来たの?
いや、本当に第八軍が来たにしては、変だわ。
軍勢が来たのなら、指示する声や雄叫びの一つも聞こえそうな物なのに、それらは一切聞こえてこない。
敵の混乱具合も、妙。
と、言う事は……
"少数の味方が、敵の後ろから奇襲攻撃を仕掛けた"
状況から、そう推測する。
今だ!
ロルダグルクが、心の中で叫ぶ。
今なら、挟撃できる。
不意に、そう思いつく。
せっかく後ろから奇襲した少数の味方がいても、すぐに殺られてしまうかもしれない。
それから敵が体勢を立て直してしまったら、結局は、勝ち目がない。
今しかない。
"生き残れるかもしれない"
ほんのわずかな希望。
本当にあるのかどうか妖しい、微小な希望の光だった。
だが、その僅かな希望が、ロルダグルクの中に残っていた生への執着心に、火をつける。
「全員、抜刀! バリケードを出て攻めるのよ!」
だが、ロルダグルクの命令を叫んでも、少女四人はもちろん動けない。
「死にたくなければ、動きなさい! この雛鳥ども!」
彼女は少女の頬を、ひとりづつ叩いていった。
震えるアンディーの頬を叩き、目の焦点のあっていないカミラの頬を叩き、一人正気を保ってるフレヤの頬も、ついでの気合入れの為に叩く。
最後、壁際で頭をかかえて座り込んしまっているエッダには、横っ腹に蹴りを入れ地面に転がしてから、腕をとり無理矢理に立たせた。
それから、改めて命令を発する。
「突撃!!」
ロルダグルクが、バリケードを乗り越え、先陣を切って廊下を走りだす。
その後ろ姿を追って、少女達も走りだした。
アンディーが、泣きながら、涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながらも、恐怖を振り払い、走る。
カミラが、黒い髪をなびかせ、真っ白な顔を恐怖で引きつらせながらも、走る。
フレヤが、普段はおっとりしていておとなしい彼女が恐怖を押さえ込んだ表情で、走る。
エッダも、蹴られた痛みで現実へと引き戻されたのか、失禁している自分に対して開き直ったかのように全力で、走る。
そのままの勢いで、曲がり角を曲がる。
そこに見えたのは、後方に気をとられ、此方にまったく無防備な後ろ姿を晒す敵の姿だった。
「くらえ!」
その隙だらけの後姿に、ロルダグルクが剣を突き刺した。
完璧なタイミングの挟撃だった。
敵は総崩れになる。
敵兵の集団の向こう側に、わずかに猫耳が見えた。
西階段に攻め込んできた敵の後ろから、奇襲攻撃を仕掛けていた者の正体。
それはニエスだった。
ニエスは強い。
一緒にいるディケーネが強すぎるが為に、見落とされがちだが、彼女は強かった。
基本的に半獣半人"猫耳"の彼女は、反射神経やスピードにおいて、人種を上回る。
奴隷身分でありながら、かなりしっかりと剣術の訓練も幼少の頃から行っており、荷物運びなどで現場に触れて、経験も積みあげてきている。
さらに、若干体力には見劣りするもののスピードのあるニエスに、レーザー拳銃は非常に相性の良い武器だった。
また、敵の司令官は実は兵の質や建物の構造から『西階段は囮だろう』と推測していた為に、西階段を攻めてきていた兵は、本命の東階段よりも、兵数も質も若干劣っていた。
その敵兵たちは、第二バリケードまででかなり兵数を減らしていた所を、ニエスから奇襲を受けた。
そして、更に穢れなきバラ親衛隊に挟撃されたのだ
その攻撃に、敵兵が耐えられるはずもなかった。
――――――
「貴方のおかげで、助かったわ。有難う」
敵を殲滅し、ロルダグルクは、何とか生き残ることのできた。
彼女は、救世主とも言うべきニエスへと感謝の意を述べる。
「いえいえー、私こそ、不用意に突っ込んじゃってちょっと危なかったです。
挟撃してくれて助かりましたー」
ニエスはニッコリと笑ってから言葉を続ける。
「実は御主人様に、南館は大丈夫そうだから姫様の護衛に就くようにって、言われて来たんです。
この奥にいる姫様は大丈夫でした?」
「この奥には姫様はいないわ」
「へっ?」
ロルダグルクの言葉に、ニエスが何とも言えない微妙な表情を浮かべる。
「こちらはの西階段は囮よ。姫様は東階段の奥にいるわ」
「えええええええ? 私 間違えちゃいましたー?!」
慌てた様子でニエスは、踵をかえして走りだす。
「私、東階段に向かいます。あ、御主人様にはこのこと内緒にしといてくださいー」
そう叫びながら、走り去ってしまった。
ポツンと、ロルダグルクは、その場にとり残された。
……間違え……
ニエスの言ったその言葉が彼女の心に底に、ゆっくりと繰り返す。
……間違えた……
あはははっははっははははは あはははっははああああはははっはは
突然、投げやりな渇いた笑いをロルダグルクはあげる。
私は……
私は、間違いで助けられたのね。
助けられる価値など無いのに、間違って助けられた。
いかにも、私らしいわ。
そう、間違って助けられて、間違って生き残った。
やっぱり、私なんて、そんな程度よね。
あはははははぁははぁあははっはは
渇いた笑いが止まらない。
彼女の中で、灯り直しかけていた心の火が、再び消えいるように小さくなっていく。
どれだけ、そうやって笑っただろうか。
ふと気がつくと、アンディーが自分のすぐ横に立っていた。
アンディーだけではない。
生き残った四人の少女達が、集まってきている。
涙と鼻水でグチャグチャになったアンディーが一歩進み出て、頭を下げて言った
「あ゛りがどうございましだ」
なにが?
ロルダグルクは困惑する。
そんな泣きながら礼を言われる覚えなど彼女には無い。
真っ白い顔が、僅かに頬に赤みの戻ったカミラ。改めてみると同性でもゾクリとするような美少女のカミラも一歩進みでて、頭をさげ、消え入りそうな小さな声で言う。
「あ、ありがとうございました」
だから何よ?
更にロルダグルクは困惑する。
普段は大人しいが、今回一番まともに正気を保っていたフレヤが、やはり一歩進み出て、しっかりした口調で言った。
「ロルダグルク先輩の指示のおかげで、生き残ることができました。本当に有難うございました」
そう言われて、やっとロルダグルクは、少女達の行動の意味を理解する。
四人の少女達は、生き残れた事を、ロルダグルクに対して感謝しているのだ。
彼女達が生き残った一番の理由は、ニエスの襲撃だ。
突撃の命令を出したロルダグルクには、少女達を助けるつもりは、さほど無かった。
あくまで、ここを任された穢れなきバラ親衛隊の隊員として当然の行動したつもりだ。
だが、客観的な事実として、確かに彼女の瞬時の判断と行動が、少女達を助けたことも間違いではない。
恐怖に我を忘れていた自分たちを叱咤し奮い立たせ、そして、先陣を切って敵に突撃したロルダグルク。
極限の精神状態だった彼女達にはその背中があまりに大きく見え、そして、その後姿に、勇気付けられたのだった。
正気にもどり、いつもの勝気な雰囲気を取り戻したエッダも一歩進み出る。他の少女達とは比べ物にならないくらい大きな声で、何かを振り払うように言った。
「みっともない姿を晒してしまって、本当に申し訳ありませんでした!
こんな自分を叱咤し勇気付けてくれたロルダグルク先輩には、感謝してもしきれません。
本当に有難うございました!」
別に、お前達の為にやったわけじゃないわ。
ロルダグルクは、そんな思いが、そのまま口から出そうになる。
だが、ふと思う。
確かに私なんて、間違いで生き残ったような者だ。私なんて、その程度。
だけど、彼女達は違う。
まだ幼さの残る彼女達は、まだ十分に未来に可能性がある。
こんな所で、初陣で、何もできずに死んでしまっていては確かに、あまりに可哀相すぎる。
例え、間違いだろうが、なんだろうが、彼女達が生き残ることが出来たのは、本当に良かった。
ロルダグルクは、本心から、そう思えた。
……嬉しい。
ふいに、ロルダグルクそんな思いが湧いてきた。
何が嬉しいのか、最初は解らなかった。それでも、混乱しながらも、嬉しいという気持ちが湧きあがってくるのが止められない。
少女達が生き残った事が、もちろん嬉しかった。だが、それだけではない。彼女達が生き残ったことで、今の戦いに意味があったと思えることが嬉しかった。
いや、それだけでもない。
たとえ、どんな事情でもニエスに助けてもらったことが嬉しかったし、自分の命令が間違っていなかったことが嬉しかった。
そして、純粋に自分が生き残れた事も、本当は、嬉しかった。
これは、あれね。
戦闘に勝利し死の恐怖を乗り越えた後は、妙に興奮して感情が高ぶってしまうことがある。
この気持ちも、そのせいだわ。
そんな、斜に構えた考えが頭の隅に浮かんでくる。
だが、純粋に嬉しいと思う気持ちを止める事などできなかった。
嬉しいという思いが、心の中から湧いてきて止まらない。
ロルダグルクは、もう少しで、感情に身をまかせ、声をあげ泣き出してしまうところだった。
だが、私が泣き出すわけにはいかない。
そう、自分は誇り高き穢れなきバラ親衛隊の先輩なのだ。
彼女の中に残っていた僅かな『誇り』が、彼女を支える。
こんな事を言うのは自分らしくない。
そう心の中で思いつつも、彼女は、穢れなきバラ親衛隊の先輩として、少女達に声をかけた。
「皆が生き残れたのは、皆が力を合わせた結果よ。
見事な初陣だったわ、本当によく頑張ったわね」
その言葉を聞いた少女達は、感極まって抱きついてきた。
「ロルダグルク先輩!」
四人の少女達はロルダグルクに抱きつき、その名を呼びながらワンワンと泣き出してしまった。
彼女は、そんな少女達を抱きしめ、頭をやさしく撫でてやる。
良かった。
本当に、皆、生き残れてよかった。
ロルダグルクは心の底から、本当にそう思えたのだった。




