38 微笑
『紫檀の風』は、城壁を越えた後、一番奥にある建物の右側へと回りこむために、庭園を抜ける。
先頭には、もちろんリーダーのアドリアーンが、身を隠しながらも、それでいてどこか威風堂々と進む。
その後ろに、"烈風"のムトゥー、"疾風"のライ、"突風"のルッカの三人の剣士が続く。
一番後ろに、魅惑の魔法使いアマウリがついて行く。
リーダーが先頭を切って進むのは珍しいが、5人で組むその陣形は、ごくごく一般的な基本的な陣形だ。
またパーティーの中に魔法使いが一人だけという人員構成は、ダーヴァやその周辺の街の冒険者ギルドの冒険者パーティーとして一般的なものである。
国立魔法学校も無く、沢山の弟子がいるような高名な魔術師も殆どいないダーヴァの街周辺地域では、魔法使いが少ない。
パーティーに一人いる、それぐらいが一般的であった。
建物に近い茂みの中で一旦停止する。
リーダーのアドリアーンが振り返って一番後ろから付いてきているアマウリに問いかける。
「どうだ、アマウリ。警報魔法等の罠はないか?」
「庭園には罠は無いと思われます。今のところは館の中にも、別段変わった動きを感じませんね」
アマウリの答えにアドリアーンが頷く。
「ふむ。では行くか」
茂みを出て館へと近づく
近くでみると館は、4階建ての非常に豪華な物だった。
周りを囲んでいた壁はあんなにボロボロだったのに建物自体は、不思議な程に綺麗な状態だ。
手短な窓へと近づき、手をかける。
「むむ、これは……すごいな」
アドリアーンが思わず呟く。
窓には硝子が填められていた。この異世界で硝子は、非常に希少で高価な物だ。
その希少で高価な硝子をはめた窓が大量にある。
「素晴らしいですよね。
こんな薄くて向こう側がはっきり見える硝子がこんなに大量に、使われている建物は、アルフォニア王国中を探しても、この建物だけでしょう。
本当に素晴らしいですよね」
アマウリが、熱のこもった声で絶賛している。
「ふん。確かに凄いが、けっきょくはたかが硝子だろうが、何をそんなに興奮している。
こんな高価で、それでいて守備力の低い硝子を館に大量に使うとは。これがいわゆる、風流とか雅とかいう物なのか? 俺には理解できんな。
まあ、いい。とにかく行くぞ」
改めて、窓をこじ開けて、館へと侵入する。
長い廊下がまっすぐ続いていた。
左の壁には窓が並び、そこから差し込む月明かりが廊下を仄かに照らす。右側の壁には、ズラリと豪華な扉が並んでいる。
誰もいない。
動くものも何も無い。
何も聞こえない。
恐ろしいくらいの静寂だけが、館の中に存在していた。
「おい、アマウリ。エイシャ様がどこにいるか解らんか? あるいはグリン・グランの居場所でもいい」
「エイシャ様は、発見できません。四階から強い魔力を感じますので、"最強、最悪、最古"の魔法使いはそこにいると思われます」
上か。
アドリアーンは、なんとなく天井を見つめる。
「よし、それでは取りあえず上にあがる階段をさがすか」
廊下を歩くと、直ぐに階段が見つかった。周りを警戒しつつ階段を上がる。
ただ、この階段は一階分しか上がることしか出来ない階段だった。
更に上の階に上がるには、別途、上がる階段を探す必要がある。
「ふむ。侵入者が一気に四階まで上がれないような仕組みになっているのか。
一応、侵入者に対する対策も考えているんだな」
さらに歩き回って、いくつかの角を曲がると、上がりの階段を見つかった。
階段を使って、一階分を上がる。更に階段を見つけて一階分を上がる。
「ここが、四階か。グリン・グランはどっちの方向にいる?」
前方を警戒したままアドリアーンが問いかける。
だが、返事が無い。
「アマウリ? どうした? グリン・グランの居場所をおしえろ」
後ろを振り返る。
"烈風"のムトゥー、"疾風"のライ、"突風"のルッカの三人がいた。
だが、その後ろにいるはずのアマウリがいない。
「? アマウリはどこいった?」
アドリアーンに問われて、三人は慌てて振り返る。
だが、もちろん、そこにはアマウリの姿はない。
「アマウリの奴がいないな」
「さっきまで居たよな」
「どこいったんでしょうね?」
三人共が、不思議そうな表情を浮かべるだけだ。
一応、歩いてきた道を少し戻ってみて探してみるが、何処にもいない。
「なんだ? おかしいぞ?」
突然ルッカが困惑した声をあげる。
「アマウリがいなくて、おかしい事ぐらい解っとる。騒ぐな」
「ちがいます。窓の外、ほら、窓の外」
ルッカが指差す窓の外を、アドリアーンが見る。
夜空に浮かぶ月と、月明かりに照らされた薄暗い庭の木々や茂み見える。
別に魔物がいる訳でもなんでもない。
おかしい所は無いように思える。
いや、違う。
庭が木々や茂みが、近すぎる。
窓から見える風景。
それは、一階の窓から見る景色だった。
「どういう事だ? ここは四階のはずだろう?」
不意に、後ろからギギギと金属が擦れ合うような低く鈍い音が聞こえてきた。
全員が振り向き、音のきこえた方向に、眼を向ける。
何かが動いていた。
暗い廊下のずっとずっと奥。
一番奥のドアを開けて、部屋の中へと、誰かが入っていった。
バタンとドアが閉まる。
それだけだった。
その後、何も起こらない。動く物は何も無い。
また、館には中は静寂のみが存在している。
いったい何者が、どこから現れて、どうして、ドアに入っていったのだろうか。
もちろん、何も解らない。
嫌な感じだな。
アドリアーンが、思案する。
明らかに不可思議な事が起こっている。魔法の罠かもしれない。
そして、それらに一番詳しいアマウリがいない。いや、だからこそ、アマウリが狙われたのだろうな。
さて、どう対処すべきか?
とりあえず、今、何者かが入っていった部屋を調べるべきか?
敵が目の前にいさえすれば、この剣で真っ二つにしてくれるのだが。
「あ、あれ! あそこに!」
ルッカが、今度は反対側の廊下の先を、指さしている。
指差す先。
薄暗い廊下のずっと先に、誰かがいた。
距離が遠く、月明かりだけが頼りの暗い廊下の為、その姿はぼんやりとしか見えない。
それは、微笑を浮かべた少女だった。
白いドレスを着て、片手に猫のぬいぐるみを持っている。
口元に微笑みを浮かべながら、まるで誘うように『おいで、おいで』と、手招きしていた。
違う。
よく見ると、少女は微笑んでなどいない。
微笑んでいるように見えた口元は、ただ頬の肉が腐って落ち、口が横に裂けているだけだった。
その眼は、眼球がなく黒い穴が二つぽっかりと開いている。
手に持っている猫のぬいぐるみも、本物の猫の腐乱死体だ。
手招きすらも、腐りかけた手が、ただ空ろに何もない空間を、意志も無く上下しているだけだった。
フン。アドリアーンは鼻でせせら笑う。
「なかなか、愉快な歓迎をしてくれるじゃないか」




