43.研究ノート
「場所は、中東のある都市だ。……政治的に不安定な場所だったから、モンスター発生の報を受けてから、現地入りするのに時間がかかった。それでも、亡くなった新生児の母親に、コンタクトをとることができた。彼女の信条が理由で、直接会話したのは女性通訳だが……カーテン越しに話を聞くことができた」
そうか、と思う。身内以外の男性の前に姿を表してはいけないと、厳しく定められている人もいる。
「出産の苦しみからようやく解放されたところで、突然見たことのない生き物に襲われた——その当時のことを話す母親は我を忘れて、ついにカーテンを開けて、『どうして私の赤ちゃんは死んでしまったの』と泣き叫んだ。これがどれだけ大きなことか分かるかい。中東に暮らす女性が、その信条すら忘れて、外国人の男である僕に姿を晒したんだ」
悲しみに暮れ、絶望に打ちひしがれて。
その女性は、生まれたときから定められた戒律すら霞むほどに、何かに縋りたかった。
「彼女の夫に連れられて、赤子が埋葬された場所に行った。土を掘り返したところ、出てきたんだ。——腹を食いちぎられた、新生児の遺体だ」
論文に出てきた、遺体と同じだ。俺は唾を飲む。
「僕は確信した。モンスターは新生児を食べる」
ウダガワ教授は真っすぐ、俺の目を見て言った。
新生児を食べるモンスター。
それは偶然ではなく、根拠のない不確かな論説などでもなく——
「……どうしてそのことが……世の中に出なかったんですか」
公開されれば世紀の大発見だ。
人間の命や財産を無慈悲に奪い去る、未だ謎に包まれるモンスターの生態を明かすこと。
これは科学者に課せられた命題でもあったはずだ。
ウダガワ教授は俯いて、諦めたみたいに笑った。
「……遺体を収めた写真も、証言を録音したテープも、持ち帰れなかったからだ」
ウダガワ教授はもうひとつ、紙の束を机上に出す。
古びたノートだ。何度も開かれたのか、角のところが毛羽立っている。
「持ち帰ることができたのは、手書きの研究ノートだけだ。22年前、その場所で何が起きたかは——インターネットで検索すれば、すぐ出てくるだろう」
表紙に書かれた、消えかけの手書き文字。「Fallujah東部におけるモンスター被害調査記録」。ファルージャというのは町の名前だ。
「……」
自分が生まれる前の出来事だから、詳しく知っているわけではないが。
市街地に向かって雨のように降り注ぐ無数の閃光と、無惨にも破壊された家屋、砲弾で命を奪われた市民の姿を、映像で見たことがある。
「これは老人の戯言として聞いてくれたらいいんだが、……モンスターを引き寄せる体質の赤子が生まれて、その子が生まれたその日にモンスターが発生する。……そして、その子を食い殺し……そしてまた世界のどこかで、同じ体質の赤子が生まれる。……これを無限に繰り返していると仮定する」
モンスターを引き寄せる体質の子供。
その考えには一度至ったことがある。
ナグモ女史には、根拠がないと一掃されてしまった考えだ。
「穂積で死者が出なかったのは偶然の幸運か? それは、モンスターが向かった先に、たまたま駐屯地があったためとされるが……足並み揃えて、駐屯地にモンスターが向かって行ったのは偶然か? ……あの日、16年前……緯新14年9月9日、駐屯地内の病院で、赤子が生まれていないか?」
16年前、9月9日。穂積市でモンスターが発生した日だ。
日本で初めてモンスターの出現が確認された。
偶然市内に軍の駐屯地があったため、即座に武力によって制圧された。
モンスター出現地点としては、世界で初めて、死者が出なかった。
——そんな都合のいい偶然が、本当に存在したのか?
「調べたよ。……1人、居た」
その言葉に、全身が粟立った。
本作には、実在する歴史的事象や紛争地、宗教的背景に関する描写が含まれています。これらは物語のリアリティを高め、テーマを深めるための舞台設定として採用したものであり、特定の国、地域、宗教、および歴史的事件の被害者の方々を中傷・否定する意図は一切ございません。
本作はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。




