35.生存者の罪悪
病院の反対側の斜面には、やはり瓦礫の山が形成されていた。
ひとつ、ふたつ、無数に崩れ去った大きな建物。
病院とはまた違ったつくりのようだ。
田舎町にそぐわないような、巨大な高層の建物がいくつも存在した。
それを、俺は知っていた。
かつて、バブル期に建てられた別荘としての高層マンションやリゾートホテル。
瑞白の栄華の象徴であるそれは、大災害に見舞われた時点で随分と廃れてしまっていたと聞いている。
カグツチによって破壊されつくしたそれは、人の手で撤去することも、微生物によって分解することもできない、コンクリートと鉄骨の瓦礫になり果てている。
——脳裏に、あの日の光景がフラッシュバックする。胃の中身がぐっとせり上がってきて、反射的にえずいてしまう。
あの日——瑞白大災害に居合わせた俺は、小学校の卒業旅行の真っ最中だった。
熾烈な中学受験がようやく終わり、解放感とともに、瑞白を訪れていた。
正確な場所は覚えていないが、あの瓦礫の中のひとつに、俺たちが過ごしたホテルがあるのだろう。
ホテルの宴会場で、班ごとに振り分けられたテーブルに座り、夕食をとった。
そのあと、各々宿泊する部屋に分かれて、休憩していたところだ。
大浴場を使える時間がクラスごとに決まっていて、それを待っている間に——突然の轟音と、地震と間違えるほどの衝撃。
気づけば、瑞白町は燃えていた。
防護服に密閉された暑さとは全く別の汗が、じわじわと滲んだ。
気分が悪い。息が苦しい。
ナグモ女史はそんな俺に、慌てたように駆け寄ってきた。
「ゼン、体調が悪いのか。まさか汚染が? 大至急ここを離れよう。歩けるか?」
「……いえ、そうじゃなくて……」
喉の奥が鉛で詰まったように、言葉がうまく出てこない。
ナグモ女史は軽トラックの荷台に向かって、一歩踏み出した。
そこには簡易除染装置が積んである。それを俺は、手で制止した。
「……あの日、俺は、ここに居たんです」
「……え?」
「小学校の卒業旅行中でした。……同級生や先生は、ほとんどが、ここで死にました」
「……『蒼瑛小の悲劇』か」
そうだ。あの出来事は、今ではそう言われている。
東京からの旅行生、6年生の児童74名のうち、生存者はたった8名だった。
一般的に名門と言われる学校に通う子供たちが、学校行事中に災害に巻き込まれた悲劇のことは、世界的なニュースになっていた。
「そうか、きみも……被災者だったのか」
声は出せず、ただ頷くことしかできない。
あの日から8年が経って、友人のほとんどを喪ったあの出来事のことを、日常ではすっかり思い出さなくなっていた。
我ながら、自分のことを薄情な人間だと思っていたけれど。
それでも、それでも。まだ全然、駄目だ。
「……車に戻ろう」
ナグモ女史は短く言って、俺の肩を優しく押した。
それを俺は、払いのける。
「……戻りません。まだ、サンプルを取っていない」
ぐるぐると回る視界の中、一歩、脚を無理やり動かす。
ナグモ女史が目を見開いてこちらを見るが、何を驚いているんだと思う。
彼女こそが、研究に全てを捧げる生き方のモデルケースのようなものだろう。
「無理をする必要はない。万が一きみがここで倒れるようなことが起きたら、それは研究上の事故として扱われる。研究の足かせになるぞ」
きっと、ルールとしてはそうなんだろう。
金になるエネルギー研究とは違って、こちらは少しの風で吹き飛ぶような小さな研究室だ。
それでも。
「大丈夫です。……俺はこんなことで倒れたりしない」
一歩、一歩。鉛を履いているように重い足取りで、採取地点に向かっていく。
すると、ナグモ女史にいよいよ肩を掴まれた。
「いい。分かった、私が取ってくるから、きみはここに居なさい」
体を後ろに引かれたことで、脚が止まる。
そのときの俺は、転ばないようにバランスを保つことで精一杯だった。
「逃げるのはもう嫌なんです」
ほとんど無意識に口から言葉が溢れたのが先で、そして、遅れて自覚する。
そうか。俺は、もう逃げるわけにはいかないんだ。
炎の中を逃げまどって、生き残った自分。
焼けた友人、瓦礫に押しつぶされた先生。
たまたま勉強だけできた自分とは違って、真に優秀な人たちだった。
医者になって、病気の人を救いたいと教えてくれた友人。
将来は総理大臣になって、この国をよくしたいと語ったクラスメイト。
いつか国連に入って、世界から争いをなくしたいと夢を話した同級生。
コミュニケーションが苦手で周囲から浮きそうだった俺を、なんとか留まらせてくれた先生たち。
自分よりも優秀で優しい人たちばかりだった。
「じゃあ、しっかり見ていなさい!」
ナグモ女史は叫ぶと、俺の返事も待たずに、早歩きで長い下り坂を降りていく。
焼け焦げた建物と土、溶けて流れたアスファルト。
未だにその姿を残す土色の巨大な獣。
いまにも振り出しそうな曇天、自然が失われた黒い山肌。
見渡す限りの黒の中に、防護服の白が一滴、坂を駆けて行く。
ああ、と思う。
また人に助けられてしまった。
助かるのは本当に自分でよかったのか?
わからない。ずっとわからない。わからないことだらけだ。
金属音のような耳鳴り、もやがかかったように働かない脳みそ。
視界の先で、ひとつの白が、腕を真上に伸ばして、立方体の箱を掲げた。




