高エネルギー体
【和暦/緯新30年 国立エネルギー総合大学】
学生食堂は、まばらに席が埋まっていた。
一限の授業にもまだ余裕があるようなこの時間だ。
おそらく朝まで実験をしていた工学部の院生か、徹夜で実習のレポートを書いていた医学部の学生か、早朝から訓練に励む防衛学部の士官候補生たちだろう。
かくいう俺も、先ほど実験を終えてようやく食事にありつける、しがない大学院生だ。
焼き鯖定食、ご飯大盛、450円。学生向けの食堂らしく、盛りがよくて値段が安い。
焼き鯖の香ばしいにおいが食欲を誘う。
それに加えてカレーライス大盛、300円。
安いだけあって具材がほとんど入っていないが、素早く喉に流し込める上、糖質と脂質の塊なのでエネルギーの効率がいい。
こんな時間からしっかりした食事を出してくれる。やはり学生食堂は神である。
脳に素早くエネルギーを流し込むためには、それなりに金がかかる。
外食で同じエネルギーを得ようとすると、学生である俺は一瞬で破産するだろう。かといって、昼夜研究に没頭するためには、自炊するような時間だってない。
学生たちは皆、各々スマホを眺めたり、参考書を開いたりしている。
食堂の中央に置かれたテレビを見ている人は、誰もいない。
テレビからは、バイオリンとピアノの涼やかな音色とともに、女性の声でナレーションが流れている。
『かつて、火は文明の象徴でした。そして今、火は形を変え、未来への光に進化します』
ロウソクの火が形を変えて、鳥の姿となって自然の中へ飛び立つ。
眼下には急峻な山並みと、どこまでも続く青い空。
青々とした山々を見下ろしながら、鳥は人々が暮らす街へと飛んでいく。
『日本が生んだ究極の国産エネルギー、HET。二酸化炭素排出量は、完全なゼロ。有害な物質も、一切出しません』
赤子を抱く母親と、それに寄り添う父親。赤子は満面の笑みで、飛んでいる鳥を見つめている。
そのまま鳥は温かな家庭の外へ飛び立ち、行き交うたくさんの電車、教室で学ぶ小学生、部活動に勤しむ高校生の上空を滑空しながら、再び自然のもとへと戻る。
『人類が長年夢見た、限界のない豊かさ。自然を壊すのではなく、自然と共生する。あなたと、あなたの子供たちの未来を照らす、持続可能なクリーンエネルギーです』
テレビの画面に見入っていると、突然眼前に一人の男が立ちはだかった。
CMに向けられていた注意力が強制的にシャットアウトされ、俺は思わずその男を見る。
そこに立っていたのは友人のカサマツだった。
「ゼンやん、おはよう」
カサマツが、機械でできた手をひらりと振った。
本物の手のように精密な、むき出しの金属に初めの頃はいちいち驚いていたが、今ではもう慣れてしまっている。
「おはようカサマツ。朝からトレーニングか?」
「そうそう。肘のパーツ新しくしたから、早よ慣れなあかんし。それにしても、相変わらずめっちゃ食うなあ。朝からようそんなに入るわ」
カサマツは防衛学部の学生だ。士官候補生として、陸・海・空の軍事に加え、モンスターの制圧まで広く勉強している。
「食わないと頭が動かないんだよ。カレーが一番時間効率がいいし、あと鯖は気分」
「食うたもん全部脳みそに持っていかれてんの? よう太らんなあ」
「足りないくらいだ。最近また痩せた」
「うわ、マジでどうなってんの?怖ぁ」
人工皮膚に覆われた金属であるはずのカサマツの顔が、ドン引きしていますと言わんばかりに歪められる。
何度見ても、良くできているなと思う。
カサマツは機械の身体に脳を移植する治療を受けている。
実用化されてまだ数年の技術だが、一部の難病を抱える人にとっては画期的な治療法だった。
とはいえ、体をコントロールしてまっすぐ歩くだけでも相当なリハビリが必要だと聞くのに、カサマツは機械の身体を自在に操り、走り、飛び、銃火器を扱う訓練までこなしている。
「いや、それにしても多いな。兵士でもそんなに食う奴滅多におらんわ」
「そんなに見てもお前にはやらないからな」
「食われへんって!」
身体の機械化をした人は食事を必要としない。
機械化を果たした人からは食事を楽しみたいという要望も聞かれているそうなので、そこは技術の進展を待つところだ。
「というか、お前は何してるんだ、こんなところで。食堂に用事なんてあるのか?」
「いや、待ち合わせをしてて——あ、あの子や」
カサマツは遠くに座っている女子学生に、手のひらを振った。
女子学生はカサマツに気づくと、ぱたぱたと小走りで近づいてくる。
「おはよう、マリノ」
「おはよう。これ、頼まれてた左手の調整終わったから」
大学近くの雑貨屋の紙袋に、機械の左手首から先が入っている。
マリノと呼ばれた女子学生はそれをカサマツに手渡すと、スマホを手に取って支払いアプリを開く。
「材料費が高くついちゃった。やっぱり手ってパーツ多いから」
「せやんなあ…まあ、よそに頼むより全然安いし」
カサマツは慣れた手つきでスマホで金額を入力する。マリノは「はい、確かに」と画面を見ながらうなずいた。
「やっぱり最初に言った通り、親指の第一関節が歪んでたよ。このあたりは手の中でも一番精密なところだからね、無理するとすぐに壊れるから。これに懲りたら、ちゃんと耐荷重守ってね」
「いやぁ……気いつけてはいるんやけどな。どうしても利き手じゃない方は忘れがちっていうか……」
「そんな機械化あるある知らないから。いいから守ってよね」
「うす…」
普段調子のよい男であるカサマツは、このマリノという女性には弱いようだった。
機械化のことは詳しくは知らないが、やはりいろいろデリケートらしい。
マリノの言うことはただただ正論に聞こえた。
そしてマリノのぱっちりとした目が、俺に向けられる。
ウエーブがかった茶色の髪に、長く上向きの睫毛。
今どきの女子大生を体現した瞳を向けられて、一瞬で居たたまれなくなってしまう。
「ごめんなさい、話し中だったよね」
「いや、…」
思わず目を逸らす。同年代の女性と話すのは苦手だ。
自慢にもならないが、中高一貫の男子校から男だらけの工学部に進学した身であるので、母親と研究室の教授くらいしか、女性と話す機会がない。
「こいつはゼン。工学部の修士2年やけど、飛び級してるからオレらより若くて、まだハタチやねん。普段は研究しかしてへんけど、ええ奴やから、会ったら仲良くしたって」
そんな俺に気づいていないのか、カサマツは勝手に俺の紹介を始める。
無責任に仲良くとか言うなよ、社交辞令だとしても、女性と仲良くという未知のものを目の前にお出しされて、何も言えない。
慌てて焼き鯖を、白米と一緒に口に入れる。
「私はマリノ。看護科卒だけど、今は工学部で機械化人間工学の研究をしてるの。機械化人間の看護に興味があって、機械化のことも勉強中なんだ。だから結構工学部の授業も取ってるの。もし会ったらよろしくね」
機械化について勉強中というのはきっと、マリノの謙遜だろうと思った。
工学部の必修科目で機械化人間学の授業は受けたが、理屈だけは理解したものの、実際に機械化人間のボディをいじるのは俺には無理だ。
ほかの人であっても、少し習った程度では機械化人間の制御なんて到底できない。マリノは相当勉強して、かなりの実践を積んでいるはずだ。
いたたまれない空間を割いたのは、カサマツのスマホの通知音だった。
「うえ!出勤や!」
軍支給の個人端末。そこから緊急事態を思わせるアラームが響くと、カサマツは慣れた様子でそのスマホを開き、内容を読み込む。
「え、今から仕事か?」
俺は思わず尋ねる。まだ朝食にも早いような時間帯だ。
「そう。狩場に大型出たらしいわ。この時間やし、人足りてへんねんな」
「そうか、気を付けて」
「おお、ありがとな」
カサマツは慌ただしく荷物をまとめて、食堂を飛び出していった。
学生の身でありながら軍に所属し、狩場に湧いたモンスターを処理する。給与をもらいながら勉強をする、ある種の特待生だ。
マリノと残されて、率直に気まずい空気が流れる。
女性とうまく話すことはできないが、気まずい沈黙に取り残されるのはもっと耐えられない。
何か話そうと必死に話題を探すが、男子校のコミュニケーションを引きずったまま大人になってしまったので、何も話題がない。
高校時代の鉄板のすべらない話はあるが、内容があまりにも男子校すぎる。
マリノのほうは顎に手をあてて、何かを思案しているようだった。
「ゼンくん、どう思う?」
「え?」
「HETのこと」
「…」
HET。高エネルギー体。人類のエネルギー問題を一挙に解決した救世主。
突如出現したモンスター。
農地を荒らし時折人間のことも襲う厄介者だったが、体内に高エネルギー体と呼ばれる物質が発見された。
今ではそれを利用して、地球上の9割の電力を賄っている。
「確かに、もうHETなしでは生きていけないんだろうけどさあ、」
そう言ったマリノの目は遠く、カサマツが出ていった食堂の扉を見つめていた。
学生の身でありながら戦いに身を投じていく、防衛学部の特待生たち。
HETが開発されモンスターと戦う必要に迫られるまで、遠い国の出来事だと思われていた、命のやりとり。
「ま、言ってもしょうがないんだけどね。ごめんね」
パーツが壊れないように注意しながら戦っていると、以前カサマツは言っていた。
それでも平和に生きる機械化人間に比べて、比べ物にならないほど消耗が激しく、交換頻度も高い。
ほかの生徒たち、生身の人間たちだって、同じく危険な状況で戦っている。
しかも人間は、怪我を負ったからといって、体を交換することはできない。
HETの登場で、この世界はよくなった。本当に?
この世界はいつだって、誰かの犠牲の上に成り立っているのだ。




