第七話
「酒でものもうや」
アシュロンはガルの誘いにのってヘンペイの歓楽街を歩いていた。
2000人規模、城塞を含めれば3000人規模の軍が常時駐留しているだけあって、ヘンペイの歓楽街はにぎやかなものだった。既に日が落ちたにも関わらず、この一帯だけは煌々と灯りが灯っていた。
狭い道には酔っ払った集団がよろめきながら歩いており、気だるそうな雰囲気の年増の娼婦が、道行く男たちに声をかけていた。
アシュロン達は馴染みの酒場に入った。
ぶすっとした表情の店主はお世辞にも愛想が良いとはいえない。店自体もこじんまりとしていて、客はアシュロンとガルのほかに数人いるだけだった。
二人は手早く注文を済ませると、度数の高い蒸留酒でとりあえず乾杯した。
アシュロンとガルはそれほど長い付き合いがあるわけではない。二人は一年程前に同時期にヘンペイに仕事場を移した。新参者同士という縁もあったし、何度か同じ仕事を請けたりといった事があって、なんとなく行動をともにするようになった。
しかし、それぞれの生い立ちについては全く知らない。自分から話さないことを、わざわざ相手に聞いたりしない。それに、傭兵などというものの生い立ちは、大抵愉快な話ではない。
今日も、普段どおりの他愛ない話を繰り返す。どこそこの店のねーちゃんがかわいいだの、あそこの店は煮込みがうまいだのといった愚にも付かない事柄だ。
そのうち、ポツポツと会話が途切れがちになった。
アシュロンは木製のコップに満たされた琥珀色の液体を一息に飲み干した。喉を焼くような強い刺激が心地よい。体の奥底が、炎が生まれたかのように熱くなる。
「誘っといてなんだが、傷、大丈夫なのか?」
ガルが問いかけた。
「ああ、まあ平気だ」
アシュロンは返事を濁して答えた。
「それなら良いんだがな」
「何かあるのか?」
「そりゃお前、あの傷は死んでもおかしくないはずだぞ?内臓まで届いてただろ?それなのにすぐに動けるようになるし、あの戦いだろ?正直、内心ひっくり返ったよ」
アシュロンはガルが気にするのも無理ないと思った。アシュロン自身でさえ、良くわかっていないのだ。痛みは既に無く、縫合された傷跡も半ば直りかけていた。
アシュロンは空腹を感じて、店主に追加の料理を頼んだ。蒸かした芋に辛いソースがかかっている料理だった。
「それに、食いすぎだろ」
アシュロンの注文を聞いて、ガルが更なる疑問を呈した。
確かに、連日の食事量はアシュロンが大柄な体格であるにしても異常だった。
「わからん。異様に腹が減るんだ」
「本当に調子、大丈夫なのか?」
「ああ、体調はいままでにないくらい良い」
「そうか。じゃあもうこの話はお仕舞いだ。お前が大丈夫って言うならそれを信じるよ」
ガルは小難しいことはあまり気にしない性分だった。アシュロンがいいならそれでいいと考えた。ただ、仕事をする上での心配事は極力減らしたいのも事実だった。
ガルから見て、アシュロンは非常に優秀な戦士だった。ガルもアシュロンと同程度の期間、戦うことを生業にしてきた。しかし、その中でもアシュロンの能力はピカイチだと思っていた。自分とは正反対の戦闘スタイルではあるが、それ故に自分に出来ないことを任せられるタイプだった。
ただ、人が良すぎる。
ガルは常に損得を考えて生きてきた。危険に見合う利益はあるか。その選択が自分を利するか。打算的な生き方だ。時には賭けに出ることもあるが、これはこの先も変わらないだろう。
一方、アシュロンについては、短い付き合いでもわかったが、基本的に正義感が強く、倫理観が高い。もちろん、年齢を重ねることで、それも世間ずれしてきたのだろうが、今回のように突発的な行動を起こすかもしれない。
アシュロンがニフィムを助けた行動は人間的には間違っていない。そのことはガルも否定しない。しかし、傭兵の本分としては誤りだ。依頼はキャラバンの護衛だったのだから。
実際、キャラバンの護衛隊にいた数人は公然と不満を口にした。異民族同士の内輪モメにわざわざ介入して、戦端を開いたためだ。
彼らは根本的な軍の責任には触れない。
そして、アシュロンが動かなければ異民族が動かなかったかどうかは問題ではない。アシュロンが動いたことで状況が動いたことが問題なのだ。
それがある種の八つ当たりに近い感情なのは、ガルにも理解できた。
不満を口にした者達は、陸運商会のメナドが宥めたために、表立っては不満を鎮めたが、内心では納得していない部分もあった。特に親しい友人を亡くした者は顕著だった。
ガルはそういったことを勘案すると、ヘンペイを離れる依頼を受けたことは、アシュロンにとって幸いだったのではないかと考えた。
アシュロンは出された吹かし芋を早々に平らげると、酢漬けの蕪と甘藍の盛り合わせを頼んでいた。
「そういえばあの金貨、大事そうにしてるが、なにか由来でもあるのか?」
アシュロンは先ほどの交渉で、ガルが爪弾いた金貨を話題に出した。アシュロンはガルとのこれまでの付き合いでも、ガルがその金貨を大切にしていることは知っていた。しかし、あのようなコイントスははじめて見た。
ガルは言葉を濁して答えなかった。そして、ガルはふかし芋の皿が空になっているのに気がつくと、話題を逸らすように文句を言った。
「アシュロン。俺一つもお芋ちゃん食ってないんだけど」
アシュロンはガルに言われてはっとした。
「ここの払いはお前持ちだからな」
ガルは友人の横顔を眺めながら笑った。
アシュロンは都市ヘンペイの商店街を、一人、歩いていた。
辺境とはいえ、多数の兵士を抱える街だけあって、都市の人口はそれなりの規模だ。そして、立ち並ぶ商店の品揃えも、悪くなかった。
護衛依頼の出発日までには、まだ日がある。そこで、アシュロンは長旅に備えて、買い物をして回っていた。
皮筒の水筒、短めの縄、そして火打ち石に小振りなナイフ。
アシュロンは護衛依頼の前金で暖かくなった懐で、旅に必要となる日用品を新調していた。使い古した品々については、既に下取りを済ませていた。
それぞれの商店の前では、若い女や中年の男が元気に呼び込みをしていた。その呼び込みに釣られるように、道を行く買い物客が足を止めていた。
アシュロンは一通りの買い物を終わらせて、時間つぶしに道を歩いていた。アシュロンが軒を連ねる店を眺めながら歩いていると、食堂のテラスでユーリ副指令と異民族の少年少女がお茶を飲んでいる光景が目に入った。
ユーリ副指令は気楽な普段着のために、知らない人間が見れば軍人には見えない。一見すると、遊びにきた親戚の子供を、相手にしているおじさんだ。
異民族の少年は、目の前にある蜂蜜のかかった焼き菓子を、美味しそうに食べていた。
しかし、副指令のユーリと異民族の少女は、どこかぎこちない空気でお茶を啜っていた。
アシュロンは彼らを遠目に見ながら、彼らの髪色が赤毛で統一されている様に気がついた。
別段それがおかしいわけではない。街を見渡せば、赤毛の人間は幾らでもいた。
北方異民族は赤毛である。そして、帝国に組み込まれた大河の南側にも、その血筋を汲む人間は暮らしていた。
元来、北部辺境は彼らの土地だった。しかし、帝国が侵略した。その結果、北方異民族の血筋でも、帝国に文明化された者達は大河の南に、それ以外の者は大河の北に移り住んだ。
アシュロンはテーブルを囲む三人を気にしたようすもなく、道を歩き続けた。そして、アシュロンとしては彼ら三人の関係よりも、少年が食べていた蜂蜜菓子が気になった。
三人がお茶をしていた店は、都市ヘンペイでも人気のある店だ。普段は若い女性客ばかりで、アシュロン一人では到底入ることは出来ない。蜂蜜を使った甘味が特に人気で、値が張るものの、好評を得ている店だった。
「蜂蜜か。美味そうだったな」
アシュロンは呟きながら、道を歩いていた。
アシュロンの呟きに気がついたのか、店の売り子がアシュロンに声を掛けてきた。
「蜂蜜をお探しですか?」
アシュロンは、そういうわけじゃないんだが、と答えつつ、店の品揃えを見回した。小さな陶器に入れられた蜂蜜が棚に並べられており、店の軒先でも甘い香りがアシュロンの鼻をくすぐった。
売り子はアシュロンの様子に商品を薦めてきた。
しかし、アシュロンは陶器に入った蜂蜜など旅に持っていけるわけもない。その旨を、売り子に伝えた。
すると、売り子は一度店の奥に引っ込んだあと、小さな袋を手にして持ってきた。そして、アシュロンに袋の中身を見せた。
琥珀色の小さな粒が、袋にぎっしりと詰まっていた。
「飴か?」
アシュロンの呟きに、売り子が、これなら旅に最適です、と言葉を告げて、値段を提示した。
アシュロンが提示された値段は、単なる食道楽に費やすには、いささか高価に過ぎた。しかし、売り子の押しとアシュロンの懐具合がアシュロンに購入を決断させた。
売れると思っていなかったのか、売り子は喜びながら、小袋を手渡した。
アシュロンはその小袋を大事そうに胸元にしまい込むと、店を後にした。