第六話
北部辺境における、軍事的要衝はこのヘンペイの街だといえる。
この街は流れの緩やかな大河を挟んで北と南に街が分かれていた。街がある地点は歩行での渡河が可能な場所であり、大河にそれほどの深さは無いが、水深の深いところでは膝上まで水につかることになる。通常、市民の南北の移動には数多くの渡し舟が用いられていた。一方で軍管轄の、木造の小さな連絡橋も備えられていた。そして、この大河を越えた南が本当の意味での帝国領だった。
軍事的にはヘンペイの街を中心として、北に向かって半放射状に五つの城塞が建設されていた。それぞれの城塞の駐留兵力はその危険度に応じて変化するが、概ね二百人前後であり、前哨地としての役割を果たしていた。一方、ヘンペイの街には五千の兵力が備えられている。この五千人はほぼ全員が街の北側に駐留していた。
城塞の本来の役割は早期警戒であり、ヘンペイの本来の役割は遅滞行動である。ヘンペイの街で時間を稼ぎ、その間に後方の東部軍管区から万単位の兵力が送られることになっていた。
ただし、帝国がこの地を獲得してから、歴史上そのような蛮族からの大攻勢が行われたことはない。城塞とヘンペイの街だけで、十分蛮族を相手取ることができていた。それでも、備えを怠らないところに帝国の力が垣間見られる。
アシュロンとガルを覗いたキャラバンの一行は、北部辺境軍管区の庁舎から、重い足取りで出てきた。建前は連日の蛮族襲撃に関する聴取だったが、実際には殆どが口止めのようなものだった。
キャラバンの指揮を執っていたメナドは、普段通りの温厚な様子とは裏腹に、内心で強い憤りを感じていた。城塞における最初の襲撃はまだ良い。その際に協力することは、帝国で暮らす者であれば一種の義務である。しかし、街道における襲撃はどう考えても、軍の責任だった。
街道での戦闘でも命を落とした者が二人いたし、後遺症の残るほどの怪我をした者もいた。メナドの交渉によって、十分な謝礼が支払われることになったが、相手側の、金さえ払えばいいだろうといった態度は酷いものだった。
加えて、あの年若い司令官の横柄な態度にはメナドは憤りを通り越して、呆れた。恐らく帝国の中央貴族だろうか。今の偉大な帝国が、さも自らの力によって成り立っているとでも思っているのだろう。
中年の副指令が宥めたために、メナドはどうにか怒りを納めたが、それでも、納得のいかない部分は残った。
メナドは去り際に、軍の庁舎を見上げた。
交差する剣と職杖を、二匹の鷲が包みこむように翼を広げたモニュメントが備え付けられている。
どこか、悲しそうな目で鷲は遠く北方を見据えていた。
アシュロンとガルはキャラバンの一行とは別室に招かれていた。部屋の内装はいかにも質実剛健といった様子で、無駄な装飾が一切施されていない。この部屋の主の気質を表しているのだろう。
二人は随分長い時間待たされただろうか。ようやく二人を招いた人物が、数人の人影を連れ立って姿を表した。
最初に部屋に入ってきたのは中年の男。引き締まった肉体と鋭い眼光は、長く続く軍隊経験を反映してか、いかにも叩き上げといった印象を与える。特徴的なのは北方人種特有の短く刈り込まれた赤髪だった。
中年の男に続いて、年若い男が入ってきた。一目で金が掛かっていると分かる衣服と左腕に光る金の腕輪から相当裕福であることがわかった。服はスパイダーシルクだろうか。肌触りがよく、防刃性に優れた素材で、市民がおいそれと手が出せるものではない。そして、色素の薄い髪色は帝国中央の人間であることを示していた。
二人に続いたのは件の少年と少女だった。
まず、中年の男が口火を切った。
「アシュロン君とガル君といったかな?今回は君達に大変な迷惑をかけてしまったみたいだね。私の名はユーリ。辺境の軍管区の副司令という立場だ。そして、こちらが司令の」
「レイナウ・ストリガン」
年若い司令はユーリ副指令の紹介を途中で遮るように、ぶっきらぼうに言い放った。その表情はどこか不満げだった。
さらにユーリ副指令に促されて、少女が自分の名前と少年の名前を告げた。彼らの名前はとても長く、アシュロンには到底覚え切れそうもなかった。どうやら、彼らの正式な名前には母と部族の名前が入るらしかった。本人達の呼び名を簡潔にすると次のようになる。
少年はニフィム。
少女はナーニャ。いや、ナーニェといったほうが本来の発音に近いだろうか。
そして、彼らは従姉弟であるらしかった。
自己紹介もそこそこに、ユーリが本題を切り出した。
「単刀直入に言おう。君達二人、この子達を帝都まで護衛してくれないかね?」
アシュロンは何を言っているのだと思った。言葉すら交わしたことのない彼らの護衛を、流れの傭兵に依頼するとはいったいどういことだろうか。それこそ、軍が遊んでいる兵を出せばいいのではないか、と。
アシュロンとガルは顔を見合わせて、何か裏でもあるのかと勘ぐった。
「君達の疑問は当然だろう。ただこれは、彼ら本人の希望なのだ。君達二人は相当強いそうだね。二人の命を救ってくれたそうじゃないか」
確かに、アシュロンはあの刺青の蛮族を退けたし、ガルは手傷を負わせた。そして、あの男は相当強かった。
「君達が相手にした男は異民族のなかでも英雄視されている男でね。私達がこの子達の護衛に出した兵士では手が出なかった。この子達はそのことで不安になっているのだよ」
ユーリ副指令は蛮族という言葉を避けて異民族という言葉を使った。ニフィム達に配慮したのだろう。
それに、ニフィム達にしてみれば頼りない兵士より頼れる傭兵。帝国に帰属しているわけではない人間にとっては、当たり前のことなのかもしれない。
「報酬はどうなります?」
ガルが珍しく丁寧な口調で質問した。彼なりに立場を弁えているのだろう。
ガルの質問にユーリ副指令は常識からは外れた報酬を約束した。
ヘンペイの街から帝都まで、ゆったりと駅馬車を乗り継げば二月。自前の馬車を用意すれば一月半。伝馬制を駆使した軍令ならば10日。それが、帝都までの距離だった。
長くても二月の護衛に対して用意された報酬は、キャラバン護衛等の平均的な一年での稼ぎの倍だった。これは小さな紛争で、六度会戦に参加することと同じだった。
高額な報酬にガルは顔をしかめた。経験の浅い傭兵であれば、我先にと飛びつくだろうが、ガルはそこまで若くなかった。
ガルの不審を感じたのだろうか。ユーリ副指令は言を続けた。
「それだけ、この子達は大事な身なのだよ。出来る限り希望はかなえてあげたい。もちろん、軍からも数人出す。どうかね?」
ユーリがガルに再考を促した。それでも、ガルは考え込むように腕を組んだ。
アシュロンは報酬よりも事情が気になった。それを聞いても良いものか。そもそも、本当のことを教えるだろうか。それでも、問いを発しなければ答えは得られない。
「事情を聞いてもいいでしょうか?」
ストリガン司令はその言葉を聴いて、一層不満げな様子になった。傍から見ても、依頼をすることさえ望んでいないのがわかる。
ユーリ副指令はしばらく逡巡した後、話し出した。
要約すれば、少年と少女は蛮族、いや、これからは異民族と呼ぼう。彼らは北方異民族の有力者の血縁らしい。
北方異民族と一口に言っても、細かく分かれた部族が点在しているため、帝国でも全容は把握しきれていない。そして、その中でも融和派の集団と対立派の集団がいた。少年達は融和派の集団に属しているらしい。
地域的に見ると、アシュロン達がいた城塞は最も北辺に位置し、そこより東には対立派の集団。北西方向に融和派が勢力を形成していた。
そして、近年、対立派の勢力が増していた。
対立派を構成しているのは、年若く、精強な男達で、帝国の力を知らない世代だった。一方、融和派は、帝国に大河の北側まで追い立てられた経験がある部族の指導者層で、彼らは帝国の力を知っていた。もちろん、中には父祖の恨みを忘れられない人間もいて、そういった者は対立派に属していた。
その融和派の有力者が、血縁の少年と少女を、帝国への留学を目的として、送り出そうとしたのが、事の発端だったようだ。
融和派には融和派の思惑があるのだろう。未来の指導者を帝国に送り出し、教育を受けさせ、帝国の実情を学ばせる。帝国と人脈を形成し、緩やかに一つになる。異民族にして、よほど、先の見える人物がいるようだった。
そして、対立派には、子供を人質として送り出すような、その余りにも弱腰な姿勢が受け入れられるはずもない。
その結果起こったのが先の襲撃だとユーリ副指令は説明した。そして、今後の旅程ではそのような危険はないだろうことも付け加えた。
「ちなみに、報酬の半分は前払いする。どうかね?引き受けてもらえないだろうか?」
ユーリ副指令の諭すような口調は、部下を宥める類の交渉に慣れている印象をアシュロンに与えた。
「返事は何時までにすればいいでしょうか?」
ガルが遠慮がちに質問した。
「ここで決断してくれないか?君達の返答しだいで、今後の対応も色々変わってくるのでね」
ユーリ副指令の説明は筋は通っていた。それに、帝国領内の自治領や本土でそこまでの危険があるとは考えられないのも事実だ。
「ちょっと失礼していいですか?」
ガルがおもむろにポケットから金貨を取り出した。帝国の国父が描かれた鋳造金貨は長く大事にしてきたのだろうか、酷く磨り減っていた。
ガルは親指で金貨を弾くと、手の甲に乗せ、その表裏を確認した。
ユーリ副指令はガルの行為に口を挟まなかった。傭兵が様々なジンクスを持っているのは、一般に知られたことだった。
しかし、ストリガン司令はつまらなそうに舌打ちをした。
「俺は受けます」
ガルは彼の中で報酬、依頼、そして何かの天秤が釣り合ったのだろう、依頼を受けることを決めた。
アシュロンは何か言いかけて、そして、ナーニェとニフィムに目を向けた。
ナーニェはどうやら帝国の公用語を理解しているらしく、ここまでの話の折々に表情が変化していた。今はアシュロンとガルに値踏みするような視線を向けている。よく見ると、前日の殴打によって、頬に青い痣ができていた。
ニフィムは話が理解できないのだろう、不安げな瞳でナーニェを見たり、指をしきりに動かして落ち着きがなかった。
アシュロンは実際、迷っていた。依頼を受けても良い気はする。元々、アシュロンに明確な目的などない。休暇とでも思って、子守をするのも良いかもしれない。
アシュロンはニフィムの目を見た。以前と変わらず、不安げな瞳が揺れていた。そして、その瞳には以前とは変わって縋るような、憧れるような多くの感情が混ざり合って映し出されていた。
アシュロンはそんな目で見ないで欲しい、と以前は思った。しかし、今は彼らの旅を手伝う程度の助力はしても良いのではないかと思った。
「やります」
アシュロンが答えた。
部屋にはユーリとストリガンが残っていた。
アシュロン達は会談が終わると、早々に部屋を後にしたためだ。
「これでよろしいですね」
ユーリ副指令が言い含めるように、ストリガン司令に言った。形式上はストリガン司令が上官だが、実質的にはユーリ副指令がこの軍管区を統括していた。
ストリガン司令はユーリ副指令の言に、つまらなそうに首肯すると、すぐに席を立ち上がった。
そして、苛立たしそうな足取りで部屋を後にする。扉を抜けざま、誰にも聞こえないような小声で吐き捨てるように呟いた。
「蛮族が」




