鼓動
【主な登場人物】
リリメリア
旧帝都で5年前に拾われた記憶を失った少女。
黒灰色の髪と赤い瞳を持つ。
エルナと共に魔女の森を目指す。
エルナ
調査隊の魔術師。
真面目で冷静に見えるが、内には強い感情を抱えている。
失った仲間を取り戻す方法を探している。
行商人
自称悪魔の素性不明の行商人。
二人を導くが、何が目的なのかは分からない。
「戻してるのかもしれない」
ベルの声を聞きながら、リリメリアは模型に視線を向けていた。
青白い光が動いている。
一つ。
二つ。
小さな点が魔術院の各所から中央へ近付いていた。
今まで止まっていた物もある。
遠くにあった物もある。
それらが同じ場所へ向かっている。
「これ、なんだろう」
「分からない。けど嫌な予感がする」
模型の端に文字が浮かぶ。
ベルが目で追った。
「回収中」
「何を?」
「まだ明確には分からないね」
二人の視線が重なる。
また足音が聞こえた。
今度は近い。
管制室の外。
下の階段ではない。
壁の向こうを何かが走っている。
リリメリアは黒い剣を握った。
「行く」
「何処に?」
「魔物を止める」
「全部?」
「出来るだけ」
「雑だね」
「私も嫌な予感がするなら」
管制室を飛び出す。
踊り場の反対側に細い通路があった。
先程までは暗かった場所。
今は壁際の魔術灯が一つずつ点いている。
中央へ向かって。
まるで道を示すように。
リリメリアは走った。
ベルも隣を走る。
「次、右」
「知ってるの?」
「勘」
ベルを信じ右へ曲がる。
細い渡り廊下。
窓の外には崩れた魔術院が見えた。
森の木々が建物の間から伸びている。
その先。
通路を横切る影。
「いた」
人型だった。
背中が大きく曲がっている。
右腕だけが膝より下まで伸び。
左肩からは細い腕が二本生えていた。
顔の半分は白い結晶に覆われている。
魔物は一度だけリリメリアを見た。
それだけだった。
襲ってこない。
すぐ前を向き、中央へ走る。
「待って」
返事はない。
リリメリアが速度を上げる。
魔物も速い。
長い腕を床へ突き、身体を引っ張るように進んでいる。
前方。
渡り廊下の床が大きく崩れていた。
魔物は止まらない。
手前の壁を蹴った。
細い身体が宙へ飛ぶ。
向こう側へ着地。
「跳んだ」
「君も跳ぶしかないよ」
「分かってる」
走ったまま床を蹴る。
足元から瓦礫が落ちる。
下は見えない。
リリメリアは向こう側の縁を掴み、そのまま身体を上げた。
魔物はもう先へ行っている。
「速い」
「リリもね」
「ベルは疲れないの?」
「うん」
「ずるい」
「今それ言う?」
階段。
更に上。
途中で道が二つへ分かれる。
魔物は左へ。
リリメリアも続こうとする。
「リリ。ストップ」
ベルが叫んだ。
「何で?」
「床」
言われて足を止める。
魔物が踏んだ場所に青い円が広がった。
空間が歪む。
次の瞬間。
魔物の姿が消えた。
「消えた」
「転送路だね」
ベルは右の通路を見る。
「中央寄りの中継区画だと思う」
「わかるの?」
「魔力の流れを見るとね」
二人はまた走る。
通路の先。
壁が崩れている。
リリメリアは一度も止まらず瓦礫へ足を掛ける。
上へ。
穴を抜ける。
その先に広い廊下があった。
魔物がいる。
転送されたばかりなのか、床に片膝をついていた。
「今度こそ」
リリメリアは前へ回る。
黒い剣を横へ構えた。
「そっちは行かせない」
魔物が顔を上げる。
白い結晶の隙間。
濁った目がリリメリアを見た。
何も言わない。
立ち上がる。
一歩。
リリメリアも横へ動く。
進路を塞ぐ。
魔物が右へ。
リリメリアも右へ。
左。
同じように塞ぐ。
「戻って」
言葉が通じているのかは分からない。
魔物の三本の腕が動いた。
「来る!」
ベルの声。
床に三つの光が走った。
一つはリリメリアの足元。
一つは背後。
最後の一つは天井。
床が沈んだ。
違う。
身体が床へ引っ張られる。
一気に重くなる。
「っ」
膝が落ちる。
同時に背後の光が壁になった。
逃げ道を塞ぐ。
天井の術式から細い光が落ちてくる。
リリメリアは横へ転がった。
光が床へ突き刺さる。
石が音もなく丸く抉れた。
「三つ一緒に使ってる」
ベルが言う。
リリメリアは剣を床へ突き、身体を起こした。
「さっき記録にあったやつ?」
「同じではないけど、近い」
魔物はもうリリメリアを見ていなかった。
通路の先へ向かう。
「待って」
リリメリアが追う。
重さの残る足で踏み込み。
一気に間合いを詰めた。
剣を振る。
刃ではなく腹。
魔物の脇腹へ叩き付ける。
身体が壁へ飛んだ。
石が割れる。
魔物が崩れ落ちた。
まだ動く。
「斬らないの?」
ベルが尋ねる。
「ルカが殺したら駄目って言ってた」
「ルカが?」
「魔女に言われたって」
「リコリシア?」
「多分」
「理由は?」
「知らないって」
魔物が起き上がる。
三本の腕が再び術式を作ろうとする。
リリメリアはその前へ飛び込んだ。
一本目を掴む。
二本目を剣の柄で払う。
三本目が首へ伸びる。
身体を沈めて避ける。
そのまま魔物の懐へ入り、肩で腹を押した。
倒す。
上から押さえ込む。
魔物が暴れた。
「じっとして」
当然、聞かない。
リリメリアは周囲を見る。
壁際。
古い鎖が垂れている。
千切って魔物の腕へ巻く。
三本まとめて後ろへ。
柱へ回し、強く結ぶ。
「これで」
魔物が鎖を引く。
柱が軋んだ。
「壊れない?」
「多分」
「多分多いね」
魔物はまだ暴れていた。
けれど動けない。
リリメリアは剣を握る手に力をこめる。
その時。
魔物の胸元から何かが落ちた。
黒ずんだ小さな金属片。
丸い板の中央に、幾つもの線を重ねた印。
「これ何?」
ベルが覗き込む。
「魔術院の所属章」
「ここの?」
「うん」
リリメリアは魔物を見る。
「拾ったのかな」
ベルは答えなかった。
どん。
床が震えた。
魔物の動きが止まる。
リリメリアも足元を見る。
青白い光。
床の魔力導路が一斉に点いた。
管制室から見た時と同じ。
全て中央へ。
「何?」
魔物が動いた。
先程までとは違う。
鎖を引く。
一度。
二度。
皮膚が裂けても止めない。
「待って」
リリメリアが腕を押さえる。
魔物は中央を向いている。
長い右腕を前へ伸ばす。
何かを求めるように。
「そんなに行きたいの?」
鎖が食い込む。
肩が歪む。
それでも引く。
「やめて」
骨が鳴った。
リリメリアは慌てて鎖を外した。
その瞬間。
魔物が走り出す。
「あ」
リリメリアも追う。
「リリ!」
「止める!」
廊下を抜ける。
前方に大きな扉。
魔物が近付くと勝手に開いた。
その向こう。
空間がなくなった。
巨大な吹き抜け。
何層も下へ続いている。
向こう側の壁すら遠い。
円形の回廊が幾重にも中央を囲み。
そこから無数の橋が内側へ伸びている。
橋の先。
全てが途中で崩れていた。
中央には何もない。
少なくとも。
上からは見えない。
ただ暗闇だけ。
そして。
リリメリア達が追ってきた魔物以外にもいた。
遥か下の回廊を歩く影。
壁を這う影。
階段を上る影。
小さくて数えられない。
全部。
中央へ向かっている。
「こんなに」
リリメリアは足を止めた。
どん。
吹き抜け全体が震える。
魔物は止まらない。
回廊の縁へ走る。
「待って!」
リリメリアが追い付く。
魔物の長い腕を掴んだ。
身体が前へ倒れる。
下は暗闇。
「駄目」
引き戻す。
リリメリアの方が強い。
魔物の身体が少しずつ回廊へ戻る。
「ベル、手伝って」
「無理だよ」
「そうだった」
もう一度引く。
魔物の足が縁へ掛かる。
あと少し。
その時。
暗闇の下から。
何かが伸びた。
腕。
人間の物に似ている。
けれど長い。
黒く。
細い。
指が魔物の腰へ巻き付く。
「何、これ」
引かれる。
リリメリアも引く。
黒い腕は一本ではなかった。
二本。
三本。
暗闇から次々と伸び、魔物の身体を包んでいく。
「離して!」
黒い剣へ手を伸ばしかける。
でも魔物を掴んでいる手は離せない。
その時。
魔物の空いている腕が動いた。
黒い腕を掴んだ。
リリメリアは目を見開く。
「何してるの」
指を絡める。
まるで。
自分から縋るように。
「そっちに行ったら駄目」
魔物はリリメリアを見た。
濁った目。
何を考えているのか分からない。
言葉もない。
それでも。
もう一方の腕まで、暗闇へ伸ばした。
「何で」
床が光る。
足元に術式。
リリメリアの身体が横へ弾かれた。
「っ」
指が外れる。
魔物が落ちる。
「待って!」
縁へ飛び付く。
下を見る。
黒い腕が魔物を受け止めていた。
落下ではない。
何本もの腕が。
ゆっくりと。
抱き締めるように包んでいく。
頭。
肩。
胸。
最後に長い腕。
黒い物の中へ沈んだ。
何も残らない。
「……消えた」
ベルが隣へ立つ。
リリメリアは暗闇を見続けた。
暫く。
何も起きなかった。
どん。
また音。
暗闇の奥で何かが蠢く。
一本の腕が伸びた。
今まで魔物を掴んでいた黒い腕とは違う。
もっと人に近い。
細い指。
手首。
肘。
肩までは見えない。
その腕がゆっくりと曲がる。
掌を合わせた。
祈るように。
別の場所。
また一本。
今度は両手で顔を覆っている。
更に下。
別の魔物が暗闇へ落ちた。
黒い腕が迎える。
包む。
沈む。
そして。
また新しい腕が増えた。
「増えてる」
ベルが呟く。
リリメリアは立ち上がる。
「落ちた数だけ?」
「多分」
「じゃあ止めないと」
回廊の下。
まだ幾つもの影が中央へ向かっている。
リリメリアは剣を握る。
一体も止められなかった。
力で負けた訳ではない。
斬れなかった訳でもない。
掴んでいた。
引き上げることも出来た。
それでも。
あの魔物自身が下へ手を伸ばした。
「ベル」
「何?」
「さっきの、助けてほしかったと思う?」
ベルは少しだけ考えた。
「分からない」
「私も分からない」
どん。
今度の音は大きかった。
吹き抜けの壁が震え。
上から砂が落ちる。
暗闇の奥。
祈る腕よりも更に下。
巨大な何かが動いた。
形は見えない。
ただ。
青白い魔力が一瞬だけ暗闇を照らす。
肩のような輪郭。
背中。
そこから生える幾つもの腕。
すぐに光は消えた。
リリメリアは黒い剣を握り直した。
「下にいる」
「うん」
「多分、あれが戻してる」
ベルも暗闇を見る。
どん。
また一度。
今度は近い。
リリメリアにはようやく。
その音が心臓の鼓動に似ている事を理解した。
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