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万命炉のリリメリア  作者: 曇裡空子
序章

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1/3

リリメリア

リリメリアは、自分が何歳なのかを知らない。


名前も、最初から持っていたものではない。


灰を溶かしたような黒灰色の髪と、白い肌と、赤い瞳。


それから大人の腰ほどまでしかない小さな身体だけが、彼女を彼女として示している。


旧帝都の教会跡で見つかったとき、彼女は何も覚えていなかった。


どこから来たのか。

種族は何なのか。

そもそもなぜ、ひとりでそこにいたのか。


それらを聞かれても、答えられなかった。


調査隊の記録には、彼女も発見物の一つとして書かれているらしい。


割れた金属板。

読めない文字の刻まれた石片。

灰のように軽い布。

中の曇った透明な管。

黒い剣。

そして、名前のない少女。


それらはすべて、旧帝都の周辺で見つかったものだ。


旧帝都。


その言葉も、後から覚えた物だ。


人がいない街。

塔が折れている街。

門だけが立ったままの街。


石の壁に、誰かの背丈を測ったような傷が残っている街。


薄い灰が積もり、不気味な程静かな街。


調査隊の人たちは、そこを旧帝都と呼ぶ。


曰く、かつて世界を支配した統一帝国の中心。

白災で滅んだ悲劇の都市。

還夜暦が始まる前の、人類の墓場。


そう説明されても、リリメリアにはまだ分からない。


世界。

帝国。

白災。

墓場。


どれも大きすぎる言葉だ。


大きすぎる言葉は、手で持てない。

お椀やスプーンや毛布のように、指で確かめることができない。


リリメリアが最初に覚えたのは、もっと小さな言葉だ。


水。

火。

手。

痛い。

寒い。

食べる。

眠る。


それから、名前。


彼女が発見されたのは、旧帝都にある崩れた教会だ。


屋根は落ち、祭壇は割れ、床石の隙間から白い花と淡く赤い花が咲いている。


ミラは、白い方をリリーだと言う。

ロイは、赤い方はアルストロメリアだと言った。


「仮の名前が無いと困るし、花から取るか?」


「リリーとか?」


「アルストロメリアも咲いてただろ」


「長いよ」


「じゃあ混ぜよう。リリーとアルストロメリアで……リリメリア」


リリメリア。


崩れた教会に咲いていた二つの花の名前が、彼女の名前になった。


「リリ」


ミラは彼女をそう呼ぶ。


ミラは調査隊の料理係だ。けれど、料理をするだけではなく、怪我をした人の包帯を替え、不安なリリメリアの背中を撫で、リリメリアが知らない言葉をひとつずつ教えてくれる。


リリ。


それは、自分を指す音だ。


本当は、リリメリア。

けれど長いから、リリ。


リリメリアは、ミラの口の形を真似た。


「りりめりあ」


そう繰り返すと、ミラは目を丸くする。


それから、笑った。


「うん。リリメリア」


リリメリアは、その顔を見て、間違いではないと知る。


調査隊には、ほかにも名前があった。


隊長。

声も身体も大きな人。けれどリリメリアに話しかけるときは声を小さくする人。


アリア。

副隊長。綺麗だけどあまり喋らない人。


ロイ。

槍で戦う人。よく笑う人。冗談を言う度にミラに怒られている人。


エルナ。

魔法で戦う人。金色の髪の人。リリメリアを見ているようで時々、別の何かを見ている人。


シエナ。

記録をする人。読めない文字を読む人。

正確には、読めない文字の中から読める部分を探す人。


ミラ。

料理をする人。包帯を替える人。リリメリアの名前を呼ぶ人。


名前は、人を分ける音だ。


隊長とロイは違う。

アリアとシエナは違う。

リリとリリメリアは、同じ人を指すらしい。


そこまでは分かる。


ただ、調査隊の全員が、リリメリアを同じように見ているわけではない。


ある人は、珍しいものを見る目でリリメリアを見る。

ある人は、心配そうな目で見た。

ある人は、可哀想なものを見るよう。

ある人は、何かを測るように見た。


リリメリアには、それらの違いが少しずつ分かるようになってきた。


そして、リリメリアと同じく旧帝都から回収された黒い剣からも何故だか視線のようなものを感じる。


黒い剣は発見物を並べた布の上に置かれている。


布はそれを支えているのではなく、その黒さに耐えているようだった。


鞘はない。

刃は欠けていない。

表面には傷が無数に走っている。


焚き火のそばに置かれても、火を映さない。

朝日を受けても、明るくならない。

雨に濡れても、色は変わらない。


それは、ただただ黒かった。


黒。


リリメリアが覚えた中で、いちばん静かな色だ。


夜も黒い。

影も黒い。

けれど、その剣の黒は、どれとも少し違っている。


リリメリアが見ても、見返さない。

話しかけても、答えない。

触れても、名前を求めない。


ただ、そこにある。


それは遠ざけたい物のようにも思える。


それと同時に目を離せる物でもなかった。


その日の夜、シエナが古い金属板を読んでいた。


金属板は薄く、片側が割れていて表面には文字が刻まれている。文字の多くは潰れていたが、シエナはその欠けた部分をジッと見つめていた。


隊長とアリアの声は、焚き火の明るさを避けるように小さかった。


「また同じ語か」


「はい。三枚目にも出ています」


シエナはそう言って、金属板の端を指す。


「旧帝国の中央書式に近いです。命籍関連の記号も混じっています」


「意味は分かりそう?」


「断片的にしか。ただ、蘇生、不死、炉、という語が同じエリアにあります」


隊長は黙った。


その沈黙は考え込んでいるというより、古い墓標の前で一度だけ足を止めた人のものに似ていた。


ミラの手も止まった。


「人を蘇生する炉、ということか?」


ロイが身を乗り出すように言う。


シエナは否定しない。


「読みだけ拾うなら……万命炉、かもしれません」


ばんめいろ。


リリメリアは、その音を聞いた。


ばん。

めい。

ろ。


意味は分からない。


だがその言葉が出た瞬間沈黙が皆の上に、薄い黒布のように降りた。


沈黙。


沈黙にも種類がある。


何も考えていない沈黙。

怒りの沈黙。

悲しみの沈黙。

言ってはいけない事を飲み込む沈黙。


そのときの沈黙は、四つ目に近かった。


エルナだけが、金属板から目を離さずに呟く。


「喪われた命を、つなぎ直す……」


小さな声だ。


けれどその声は、火の音よりも、夜の静けさよりも、リリメリアの耳に長く残った。


ロイの目が僅かに明るくなる。


「本当にそんなものがあるなら、旧帝国も捨てたもんじゃないな」


「でも旧帝国は滅びた」


隊長の声は、静かな断定として落ちた。


その言葉の意味も、リリメリアにはまだ分からない。


「リリ」


ミラが、リリメリアの肩に毛布をかける。


「今日はもう寝よう」


「ばんめいろ」


リリメリアが言うと、ミラの手が一瞬止まった。


「……その言葉は、まだ覚えなくていいよ」


「どうして?」


「まだ、誰もちゃんと分かってないから」


分からない。


また、その言葉だ。


リリメリアは、ふと黒い剣を見る。


黒い剣は何も言わない。


その傷は、火の光を受けても反射しない。

夜の底に沈んだまま、ただ黒く、静かにそこにある。


リリメリアは毛布の中で、覚えた言葉を順番に並べた。


水。

火。

手。

痛い。

寒い。

食べる。

眠る。

名前。

リリ。

リリメリア。

ミラ。

隊長。

アリア。

ロイ。

エルナ。

シエナ。

黒。

剣。

怖い。

分からない。

ばんめいろ。


言葉が増えると世界は少しずつ輪郭を持つ。


けれど、自分の輪郭だけはまだよく分からない。


自分は何なのか。


人なのか。

発見物なのか。

リリメリアなのか。


調査隊の記録では、彼女は発見物だった。


でもミラは、彼女が物ではないと言う。


隊長は、彼女を守ると言う。


黒い剣は、何も言わない。


旧帝都の方角には、崩れた塔の影が並んでいた。


八百年の風に削られて、石は丸くなり、金属は錆び、紙はほとんど残らない。


それでも、消えないものがある。


石に刻まれた文字。

金属板に残った記録。

そしてこの黒い剣


そこには、人がいた。


けれど、今はいない。


その意味も分からず眠りに落ちる。


それから五年。


リリメリアは多くの言葉を覚える。


大きすぎて手で持てなかった言葉たちは歳月の中で少しずつ肉を失い、硬い芯だけを残していく。


その芯が、彼女の内側で骨になる。


世界を見るための骨。

立つための骨。

剣を握るための骨に。

お読みいただきありがとうございます。


よければブックマーク・評価で応援していただけると嬉しいです。次話も続けて投稿予定です。

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