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(後編)

【アップルパイ王国《おうこく》 後編】


第四章《だいよんしょう》 アップルパイ王国《おうこく》を離《はな》れて


(一《いち》)


 若殿様《わかとのさま》は馬《うま》にまたがり、急《いそ》いで本国《ほんごく》へと駆《か》け戻《もど》ります。本当《ほんとう》はお殿様《とのさま》や武将《ぶしょう》達《たち》、サムライ達《たち》の行《ゆ》く末《すえ》が心配《しんぱい》でならないのですが、止《や》むを得《え》ません。こちらはこちらで大変《たいへん》な事態《じたい》なのです。ようやく本国《ほんごく》に近《ちか》づきつつあるとき、お城《しろ》が見《み》えるよりも早《はや》く、


 どぉぉぉぉおおおん……。

 どぉぉぉぉおおおん……。

 どぉぉぉぉおおおん……。


 という大砲《たいほう》の音《おと》が聞《き》こえてきました。余程《よほど》、大《おお》きな大砲《たいほう》を鳴《な》らしているに違《ちが》いありません。


「畜生《ちくしょう》! あいつらナメやがって! 俺《おれ》が叩《たた》き斬《き》ってやる!」


 鼻息《はないき》荒《あら》く、そう意気《いき》込《ご》んでいるのは、腰《こし》に二本《にほん》、背中《せなか》に大刀《だいとう》を差《さ》しているちっちゃな剣豪《けんごう》、チビ助《すけ》です。それはとても勇《いさ》ましいのですが、あんな大《おお》きな大砲《たいほう》を相手《あいて》に、刀《かたな》で勝《か》てるわけがありません。きっとまともな戦《たたか》いにならないでしょう。ましてや、お殿様《とのさま》や多《おお》くの武将《ぶしょう》達《たち》があの王国《おうこく》に出向《でむ》いているのです。若殿様《わかとのさま》は「短慮《たんりょ》はいかんぞ」とチビ助《すけ》をたしなめます。


 もっとも、チビ助《すけ》の気持《きも》ちが判《わか》るし、全《すべ》てのサムライ達《たち》も同《おな》じ気持《きも》ちでしょう。あんな大砲《たいほう》を国《くに》の鼻先《はなさき》で撃《う》たせておいて黙《だま》っているなど、サムライとしては面目丸潰《めんもくまるつぶ》れです。若殿様《わかとのさま》はとことん文句《もんく》を云《い》ってやらねばと、意気込《いきご》んでお城《しろ》に戻《もど》りました。しかし――。


 お城《しろ》で待《ま》っていたのは、あの大砲《たいほう》に負《ま》けないくらいの大《おお》きな体《からだ》をした、ピストル合衆国《がっしゅうこく》のピストル大統領《だいとうりょう》でした。

 サムライが二本《にほん》の刀《かたな》を差《さ》しているなら、大統領《だいとうりょう》は二丁《にちょう》の大《おお》きな拳銃《けんじゅう》を腰《こし》に吊《つる》し、チビ助《すけ》が大《おお》きな刀《かたな》を背中《せなか》に差《さ》しているのと同《おな》じく、長《なが》くて大《おお》きなライフルを背中《せなか》にしょっていました。同《おな》じような完全装備《かんぜんそうび》で、体《からだ》の大《おお》きな護衛達《ごえいたち》が大統領《だいとうりょう》の周《まわ》りを囲《かこ》んで、守《まも》りを固《かた》めています。その彼《かれ》らだけでも、このお城《しろ》を攻《せ》め滅《ほろぼ》してしまうに違《ちが》いありません。

 大統領《だいとうりょう》は(自分《じぶん》に比《くら》べて)小《ちい》さな体《からだ》の若殿様《わかとのさま》を見下《みお》ろしながら云《い》いました。


「ヘイ、ボーイ! この城《しろ》のキングはどこだい?」


 相手《あいて》の巨大《きょだい》な体《からだ》と重厚《じゅうこう》な装備《そうび》に、若殿様《わかとのさま》は思《おも》わず体《からだ》をすくませてしまいました。しかし、負《ま》けている訳《わけ》にはいきません。その若殿様《わかとのさま》の顔《かお》を、すぐ側《そば》にいた参謀《さんぼう》が心配《しんぱい》そうにのぞき込《こ》みましたが、大丈夫《だいじょうぶ》だと若殿様《わかとのさま》は頷《うなず》きました。


「拙者《せっしゃ》が代理《だいり》だ! 今《いま》、殿《との》は不在《ふざい》だ! そもそも、あの大砲《たいほう》はなんだ! あんなふうに撃《う》ち鳴《な》らすなど、我《わ》が国《くに》に対《たい》して失敬《しっけい》ではないか!」


 その言葉《ことば》を聞《き》いて、大統領《だいとうりょう》は意外《いがい》と素直《すなお》に謝《あやま》ります。


「オー、ソーリー、ソーリー。あれはデモンストレーションなのさ! 我《わ》が国《くに》から武器《ぶき》を買《か》えば、あんな大砲《たいほう》も手《て》に入《はい》るのさ!」

「いらぬ! 殿《との》は全《すべ》て断《ことわ》れと仰《おお》せだ!」

「ヘイヘーイ、ユー達《たち》はそうも云《い》ってられませんヨ? いずれ、どの国《くに》もあれぐらいの大砲《たいほう》を持《も》つようになるのですヨ?」

「そ、それは……」


 確《たし》かに、そうなれば大変《たいへん》なことです。武器《ぶき》の威力《いりょく》が違《ちが》えば、どんなにサムライが頑張《がんば》ったって戦《いくさ》に勝《か》てるはずがありません。

 それを後《うし》ろで聞《き》いていたチビ助《すけ》がついに頭《あたま》に来《き》たようです。背中《せなか》の大刀《だいとう》だけでなく、腰《こし》の刀《かたな》も抜《ぬ》き払《はら》い、両手《りょうて》に刀《かたな》を振《ふ》り回《まわ》して大統領《だいとうりょう》に挑《いど》みかかろうとしているではありませんか。


「貴様《きさま》! サムライを愚弄《ぐろう》すると叩《たた》き斬《き》るぞ! そんなに俺達《おれたち》が弱《よわ》いというなら試《ため》して見《み》ろ!」


 若殿様《わかとのさま》は困《こま》り顔《がお》で「デカ助《すけ》、ちょっとチビを引《ひ》っ込《こ》めてくれ」と頼《たの》みました。外国《がいこく》との謁見《えっけん》の場《ば》で刀《かたな》を抜《ぬ》くなど、それだけでも事件《じけん》と云《い》っても良《い》いのですが、なにせ小《ちい》さなチビ助《すけ》がしたことです。大統領《だいとうりょう》は子供《こども》が癇癪《かんしゃく》を起《お》こしたように見《み》えたので、気《き》を悪《わる》くした様子《ようす》もなく「オー、ソーリー、ソーリー」とニコニコ笑《わら》って謝《あやま》ります。

 チビ助《すけ》の癇癪《かんしゃく》のお陰《かげ》か、若殿様《わかとのさま》の頭《あたま》が冷《ひ》えてきたようです。若殿様《わかとのさま》は落《お》ち着《つ》いて話《はな》しました。


「大統領《だいとうりょう》、あなたの国《くに》の武器《ぶき》は確《たし》かに強力《きょうりょく》ですが、我《わ》が国《くに》はとても貧《まず》しく、買《か》うことなど出来《でき》ないのです。故《ゆえ》に、我《わ》が主君《しゅくん》は全《すべ》て断《ことわ》れとの仰《おお》せです。無《な》い袖《そで》は振《ふ》れません。どうかお引《ひ》き取《と》りを」


 ですが、大統領《だいとうりょう》は尚《なお》も武器《ぶき》を売《う》り込《こ》みます。彼《かれ》らにもニンジャのようなスパイがいるのでしょうか。大統領《だいとうりょう》は何《なん》でも知《し》っていました。


「でも、ユー達《たち》は戦争《せんそう》に勝利《しょうり》したネ? アーンド、カンフー帝国《ていこく》とも戦《たたか》うつもりネ?」

「そ、それは……」

「戦争《せんそう》に勝《か》ったのなら、ずいぶん儲《もう》かってる筈《はず》ネ? そのお金《かね》で大砲《たいほう》を買《か》えば、カンフー帝国《ていこく》も戦《たたか》わずにホールドアップするヨ! あの国《くに》にはまだ大砲《たいほう》は無《な》いヨ! どうだい?」

「……」

「HAHAHA! ユー達《たち》は本当《ほんとう》に戦争《せんそう》が好《す》きネ! みーんな、どこの国《くに》もそう思《おも》ってるヨ! その戦争《せんそう》が大好《だいす》きな国《くに》が大砲《たいほう》を持《も》ってなくちゃ、みんなにつぶされちゃうんじゃないかナー?」


 若殿様《わかとのさま》はもう何《なに》も云《い》えなくなってしまいました。特《とく》に、戦争《せんそう》が好《す》きと思《おも》われているのがショックでした。でも、仕方《しかた》がないのです。国《くに》を治《おさ》めているのは、戦《たたか》うのが専門《せんもん》で腰《こし》に刀《かたな》を差《さ》しているサムライと武将《ぶしょう》ばかりで、戦争《せんそう》が好《す》きと思《おも》われても仕方《しかた》がありません。

 そんな黙《だま》り込《こ》んでしまった若殿様《わかとのさま》に、参謀《さんぼう》はそっと囁《ささや》きます。


(若《わか》、ここは取《と》りあえず、殿《との》は忙《いそが》しいので相談《そうだん》してから返事《へんじ》をすると申《もう》し上《あ》げては?)


 確《たし》かにそうするのが一番《いちばん》でしょう。若殿様《わかとのさま》はそのように返答《へんとう》しようとしたところ――。


「若《わか》! 大変《たいへん》です! 大変《たいへん》でございます!」


 と、別《べつ》のサムライが別《べつ》の方角《ほうがく》から駆《か》け込《こ》んできました。今度《こんど》は何《なん》だというのでしょうか。


(二《に》)


「若《わか》! 我《わ》が国《くに》の漁船《ぎょせん》が、キムチ王国《おうこく》の軍艦《ぐんかん》に取《と》り囲《かこ》まれています!」

「な、なんだって!」


 確《たし》かに、これは大変《たいへん》な事態《じたい》です。なにしろ、軍艦《ぐんかん》が相手《あいて》ですから、うっかりすれば戦争《せんそう》になりかねません。


 しかし、今《いま》はお殿様《とのさま》をはじめ、多《おお》くの武将《ぶしょう》達《たち》が王国《おうこく》に攻《せ》め込《こ》んだままのため、国《くに》に残《のこ》る留守番《るすばん》の武将《ぶしょう》とサムライは少《すこ》ししかいません。

 参謀《さんぼう》は尋《たず》ねます。


「若《わか》、どうしましょう」

「とにかく、現場《げんば》に行《い》こう。こちらは漁船《ぎょせん》だし、取《と》り囲《かこ》まれているだけなら戦《たたか》いにはならないかもしれない。そうなる前《まえ》に、その場《ば》を解決《かいけつ》できるかもしれない」

「判《わか》りました。では、出港《しゅっこう》の準備《じゅんび》を」


 ピストル合衆国《がっしゅうこく》の対応《たいおう》は適当《てきとう》に片《かた》づけ、今度《こんど》はキムチ王国《おうこく》の対応《たいおう》に走《はし》り出《だ》します。

 参謀《さんぼう》は他《ほか》のサムライに軍艦《ぐんかん》の準備《じゅんび》を頼《たの》もうとしましたが、若殿様《わかとのさま》は、


「いや、小舟《こぶね》の方《ほう》が良《い》い。こちらも軍艦《ぐんかん》を出《だ》したら、嫌《いや》でも戦《いくさ》になってしまうぞ。僕達《ぼくたち》だけで現場《げんば》に行《い》こう」


 えーっ! という声《こえ》が、チビ助《すけ》や他《ほか》のサムライ達《たち》からあがりました。もし、戦《たたか》いになってしまったら、なにも抵抗《ていこう》できずに沈《しず》められるだけです。しかし、若殿様《わかとのさま》は云《い》います。


「喧嘩《けんか》は意気《いき》投合《とうごう》と爺様《じいさま》が云《い》っていた。やる気《き》のない相手《あいて》では戦《いくさ》になんてならないよ。ほら、あの王国《おうこく》と同《おな》じ立場《たちば》に立《た》てばいいのさ」


 成《な》る程《ほど》と参謀《さんぼう》は頷《うなず》きましたが、チビ助《すけ》はまだ渋《しぶ》り顔《がお》。デカ助《すけ》は何《なに》が何《なん》だか判《わか》っていません。

 そのデカ助《すけ》に若殿様《わかとのさま》は、


「急《いそ》ぐから頼《たの》むよ、デカ助《すけ》! ほら、おにぎり三《みっ》つ!」


 そう云《い》いながら小袋《こぶくろ》を投《な》げてよこします。このときばかりは機敏《きびん》なデカ助《すけ》。しっかと袋《ふくろ》を受《う》け止《と》め、「わかりもうした!」と合点《がってん》承知《しょうち》。ドスドスと巨体《きょたい》を揺《ゆ》らして、若殿様《わかとのさま》について港《みなと》へと急《いそ》ぎました。


 そして一同《いちどう》が小舟《こぶね》に乗《の》り込《こ》むが早《はや》いか、デカ助《すけ》は両手《りょうて》に櫂《かい》(ボートで云《い》うオール)を握《にぎ》りしめ、「ふんッ!」と気合《きあ》い一発《いっぱつ》! 小舟《こぶね》は空《そら》に飛《と》び出《だ》さんばかりに、港《みなと》の艀《はしけ》からものすごい勢《いきお》いで進《すす》み始《はじ》めます!


「ふんッ! ふんッ! ふんッ! ふんッ!」


 そのままの勢《いきお》いで、どんどん小舟《こぶね》が進《すす》みます。進《すす》むのは良《い》いのですが、その勢《いきお》いは猪突《ちょとつ》猛進《もうしん》。「おい待《ま》て! 右《みぎ》だ! もっと右《みぎ》!」と若殿様《わかとのさま》の指示《しじ》をしなければ、どこまで沖《おき》へ進《すす》むか判《わか》ったものではありません。そんなすったもんだをしながら、あっという間《ま》に現場《げんば》に到着《とうちゃく》。サムライ帝国《ていこく》の漁船《ぎょせん》をぐるりと取《と》り囲《かこ》んだ、キムチ王国《おうこく》の艦隊《かんたい》が見《み》えてきました。

 さあ、ここからが出番《でばん》だとチビ助《すけ》は気合《きあい》い十分《じゅうぶん》、やおら、腰《こし》と背中《せなか》の刀《かたな》を引《ひ》き抜《ぬ》いて――。


「参謀《さんぼう》、デカ助《すけ》に替《か》わってゆっくり漕《こ》いでくれ。デカ助《すけ》、チビ助《すけ》を肩車《かたぐるま》だ。何《なに》もさせるんじゃないぞ」


 と、若殿様《わかとのさま》はデカ助《すけ》に食後《しょくご》の饅頭《まんじゅう》を投《な》げ渡《わた》しながら、そう命《めい》じました。さあ、なんか文句《もんく》を云《い》い続《つづ》けるチビ助《すけ》は放《ほう》っておいて、キムチ王国《おうこく》の軍艦《ぐんかん》をかきわけ、現場《げんば》に乗《の》り込《こ》む若殿様《わかとのさま》です。


「御免《ごめん》! 一同《いちどう》、そのままで待《ま》たれよ! サムライ帝国《ていこく》の者《もの》である!」


 大声《おおごえ》でその場《ば》を制《せい》しました。幸《さいわ》い、争《あらそ》いごとにはなっていないようです。まず、若殿様《わかとのさま》は漁船《ぎょせん》に乗《の》っている漁師《りょうし》の方《ほう》に向《む》かいました。


「漁師《りょうし》共《ども》、いったいこれはどういうことだ」

「おお、おサムライ様《さま》、お助《たす》けくだせぇ!」

「助《たす》ける。助《たす》けるから訳《わけ》を話《はな》せ」

「別《べつ》にあっしら、悪《わる》いことはしてないんでやんす。普通《ふつう》にいつもの漁《りょう》をいつもの領海《りょうかい》(国々(くにぐに)の海《うみ》での領地《りょうち》)でやっていただけでやんす」


 若殿様《わかとのさま》は周囲《しゅうい》を見渡《みわた》します。そして、妙《みょう》なことをしました。自分《じぶん》の手《て》の指《ゆび》を立《た》てて、周囲《しゅうい》の島々(しまじま)の大《おお》きさがどう見《み》えるか計《はか》っているのです。参謀《さんぼう》は驚《おどろ》いて尋《たず》ねました。


「判《わか》るのですか?」

「ああ、確《たし》かにここはウチの領海《りょうかい》だ。もうすでに、キムチ王国《おうこく》の連中《れんちゅう》はウチの領海《りょうかい》に入《はい》っている」

「詳《くわ》しいですね」

「まあな――で、あの軍艦《ぐんかん》の者《もの》はなんて云《い》ってきたんだ」


 と、漁師《りょうし》に尋《たず》ねなおすと、


「へえ、連中《れんちゅう》は俺達《おれたち》が採《と》った魚《さかな》を、とンがらし漬《づ》けにするってきかねぇんでやんすよ。お助《たす》けください! おサムライ様《さま》!」

「なんだって! そんなことをしたら、魚《さかな》をお刺身《さしみ》にも塩焼《しおや》きにも出来《でき》なくなってしまうではないか!」


 それはサムライ達《たち》にとって大変《たいへん》なことです。若殿様《わかとのさま》はキムチ王国《おうこく》の軍艦《ぐんかん》に向《む》かって大声《おおごえ》で怒鳴《どな》りました。


「話《はなし》を聞《き》いたぞ! どういうことだ! 何故《なぜ》、うちの魚《さかな》をとンがらし漬《づ》けにするんだ!」


 すると、キムチ王国《おうこく》の軍艦《ぐんかん》から艦長《かんちょう》が姿《すがた》を現《あらわ》し、答《こた》えました。


「それは、とンがらしが素晴《すば》らしい香辛料《こうしんりょう》であるからだ。全《すべ》ての食《た》べ物《もの》はとンがらし漬《づ》けにされるべきなのだ」

「何故《なぜ》だ! ここは我《わ》がサムライ帝国《ていこく》の領海《りょうかい》だ! この領海《りょうかい》で採《と》れた魚《さかな》は我々(われわれ)のものだぞ!」

「ああ、知《し》っている。ここはあなた方《がた》の領海《りょうかい》だ。その領海《りょうかい》で採《と》れた魚《さかな》はあなた方《がた》のものだ。ただ、我《われ》らの素晴《すば》らしいとンがらしで、より美味《おい》しくしようとしているだけだ」

「――えっと」


 ここで、若殿様《わかとのさま》は言葉《ことば》を詰《つ》まらせました。

 若殿様《わかとのさま》は、とンがらし漬《づ》けが素晴《すば》らしいとは、それほど思《おも》っていないのですが、素晴《すば》らしいと思《おも》っている相手《あいて》を否定《ひてい》すると、それこそ争《あらそ》いごとになってしまいます。云《い》い間違《まちが》えては大変《たいへん》です。

 若殿様《わかとのさま》が言葉《ことば》に迷《まよ》っているとみえたので、参謀《さんぼう》が入《い》れ替《か》わり、話《はなし》を続《つづ》けました。


「あなた方が、採《と》った魚《さかな》をその場《ば》でとンがらし漬《づ》けにする習慣《しゅうかん》は知《し》っている。確《たし》かにそれは旨《うま》いだろうが、我々(われわれ)には別《べつ》の食《た》べ方《かた》がある。我《わ》が国《くに》の魚屋《さかなや》は、とンがらし漬《づ》けにしていない魚《さかな》が届《とど》くのを待《ま》っているのだ」


 若殿様《わかとのさま》は、なんでそんなことを知《し》っているんだと参謀《さんぼう》を振《ふ》り返《かえ》りましたが、上手《うま》く話《はなし》が進《すす》みそうです。一歩《いっぽ》下《さ》がって、参謀《さんぼう》に交渉《こうしょう》を任《まか》せることにしました。

 参謀《さんぼう》は更《さら》に話《はなし》を続《つづ》けます。


「そちらが我《わ》が領海《りょうかい》に侵入《しんにゅう》している。そちらの目的《もくてき》が我《わ》が国《くに》への友好《ゆうこう》であるなら、まずはこの場《ば》を引《ひ》いてもらいたい。でなければ、我々(われわれ)はあなた方《がた》に、侵入《しんにゅう》の罪《つみ》を問《と》わなければならないぞ」


 キムチ王国《おうこく》の艦長《かんちょう》はうなずいて、侵入《しんにゅう》したことにお詫《わ》びしました。



「了解《りょうかい》である。我々(われわれ)が性急《せいきゅう》すぎたようだ。しかし、是非《ぜひ》とも我々(われわれ)のとンがらし漬《づ》けした魚《さかな》の味《あじ》を進呈《しんてい》したいのだ。そちらに大変《たいへん》な危機《きき》が迫《せま》っているからな」

「――その大変《たいへん》な危機《きき》とはなんだ」


 そう、参謀《さんぼう》が尋《たず》ね返《かえ》すと、艦長《かんちょう》は少《すこ》し驚《おどろ》いた様子《ようす》でした。


「いや、そちらが知《し》らない筈《はず》はないだろう。あのカンフー帝国《ていこく》との戦《いくさ》をするなら是非《ぜひ》とも、とンがらし漬《づ》けで精力《せいりょく》と活力《かつりょく》をつけて頂《いただ》きたいと、こうして出張《でば》ってきたのだがな」


 思《おも》わず、若殿様《わかとのさま》は溜息《ためいき》をつきました。どうやら、サムライ帝国《ていこく》がカンフー帝国《ていこく》との戦《いくさ》に備《そな》えていることを、どこの国《くに》も知《し》っているようです。

 ともかく、この場《ば》は納《おさ》めてしまおうと、若殿様《わかとのさま》は姿勢《しせい》を正《ただ》して、艦長《かんちょう》に別《わか》れの挨拶《あいさつ》を告《つ》げました。


「あー、ともかく、そちらの友好《ゆうこう》には感謝《かんしゃ》しよう。まだまだ、戦《いくさ》の備《そな》えに急《いそ》ぐのでこれで失礼《しつれい》させて頂《いただ》きたい」

「そうか、確《たし》かに急《いそ》がれた方《ほう》が良《よ》いな。もう、カンフー帝国《ていこく》の兵隊《へいたい》が出発《しゅっぱつ》した頃合《ころあ》いだろうから」

「え……?」


 若殿様《わかとのさま》の一同《いちどう》は、顔《かお》が真《ま》っ青《さお》になりました。


(三《さん》)


(……もしや?)


 若殿様《わかとのさま》がようやく事情《じじょう》を察《さっ》したようです。

 戦《いくさ》の準備《じゅんび》は、あくまでも、戦《いくさ》になるかも? と不安《ふあん》に思《おも》ったための「用心《ようじん》」でしかなかったのです。

 今《いま》の話《はなし》が本当《ほんとう》なら、「用心《ようじん》」する程度《ていど》の話《はなし》ではなく、既《すで》にカンフー帝国《ていこく》が戦《いくさ》を始《はじ》めようとしていることになります。

 若殿様《わかとのさま》は尋《たず》ね返《かえ》します。


「おい! 今《いま》の話《はなし》は誠《まこと》か!」

「おやおや、そちらが知《し》らないとは驚《おどろ》いたな。これまで、あなた方《がた》との戦争《せんそう》に負《ま》けた多《おお》くの国々(くにぐに)から要請《ようせい》を受《う》けて、カンフー帝国《ていこく》はあなた方《がた》を攻《せ》め滅《ほろ》ぼそうと決意《けつい》したのだ」

「……な、なんだって」

「ああ、そうか。それはむしろ、あなた方《がた》に連絡《れんらく》は来《こ》ないのかもしれないな。我《わ》が国《くに》には協力《きょうりょく》してあなた方《がた》を攻《せ》めるよう、要請《ようせい》が来《き》たのだ。しかし、我々(われわれ)とサムライ帝国《ていこく》との友情《ゆうじょう》は……」


 その時《とき》です。遠《とお》くの方《ほう》から波《なみ》の上《うえ》をぴょいぴょい飛《と》び跳《は》ねる者《もの》がやってきました。飛《と》び魚《うお》よりも素早《すばや》く波《なみ》の上《うえ》を駆《か》け回《まわ》るのは、あのちっちゃいニンジャです。サムライ帝国《ていこく》のお城《しろ》から急《いそ》いで知《し》らせを持《も》ってやってきたのでした。

 その知《し》らせはまったく同《おな》じ話《はなし》でした。カンフー帝国《ていこく》の兵隊《へいたい》がサムライ帝国《ていこく》に向《む》けて出発《しゅっぱつ》したということです。

 若殿様《わかとのさま》はニンジャに尋《たず》ねました。


「それで、殿《との》はなんと?」


 ところが、ちっちゃいニンジャは首《くび》を横《よこ》に振《ふ》り、何《なに》も指示《しじ》は無《な》いと云《い》いました。この一大事《いちだいじ》、総大将《そうだいしょう》であるお殿様《とのさま》の指示《しじ》が無《な》いというのは、どういうことなのでしょう。

 いろいろ考《かんが》えられるのですが、まだ、若殿様《わかとのさま》に命令《めいれい》をすることが、今《いま》はまだ無《な》いだけかもしれません。若殿様《わかとのさま》よりも重要《じゅうよう》な責任《せきにん》を負《お》っている武将《ぶしょう》達《たち》が沢山《たくさん》いるのですから。

 でも、何《なん》だか不安《ふあん》を感《かん》じて仕方《しかた》がありません。そう感《かん》じたのか、若殿様《わかとのさま》と参謀《さんぼう》は顔《かお》を見合《みあ》わせました。


「これは……どういうことなんだろう」

「判《わか》りません。とにかく、急《いそ》いで戻《もど》りましょう」

「よし、急《いそ》ぐぞデカ助《すけ》! おにぎり十個《じゅっこ》!」

「合点《がってん》ッ!」


 ピストル合衆国《がっしゅうこく》の時《とき》は只《ただ》の空砲《くうほう》でしたが、今度《こんど》こそ敵《てき》が攻《せ》めてくる大変《たいへん》な事態《じたい》です。友情《ゆうじょう》に熱《あつ》いキムチ王国《おうこく》の艦長《かんちょう》はもうほったらかしで、若殿様達《わかとのさまたち》は血眼《ちまなこ》で走《はし》り出《だ》します。


 デカ助《すけ》、再《ふたた》び櫂《かい》を両手《りょうて》に、もの凄《すご》い勢《いきお》いで波《なみ》をかき回《まわ》します。それも、来《く》るときとは比《くら》べものにならない勢《いきお》いで、今度《こんど》こそ空《そら》に飛《と》び出《だ》さんばかりです。若《わか》サムライ一同《いちどう》は波《なみ》にさらわれそうになりながら、必死《ひっし》で小舟《こぶね》に掴《つか》まります。


 その大《おお》騒《さわ》ぎの中《なか》で、参謀《さんぼう》は尋《たず》ねました。


「城《しろ》に戻《もど》って、戦《たたか》う準備《じゅんび》を?」

「……いや、僕達《ぼくたち》が戻《もど》ったって、大《たい》した足《た》しにはならない。それになんだか、もの凄《すご》く嫌《いや》な予感《よかん》がするぞ」

「それは、どういうことですか」

「全《すべ》ては、殿《との》次第《しだい》だ――先回《さきまわ》りして、馬《うま》の用意《ようい》をしてくれ。僕達《ぼくたち》は殿《との》のところに向《む》かおう」


 ちっちゃいニンジャはそう命《めい》じられ、小舟《こぶね》から飛《と》び出《だ》して凄《すご》い勢《いきお》いで波《なみ》の上《うえ》を駆《か》け抜《ぬ》けていきます。

 若殿様《わかとのさま》はその様子《ようす》を見送《みおく》りながら、繰《く》り返《かえ》しました。


「とにかく全《すべ》ては、殿《との》次第《しだい》だ」


第五章《だいごしょう》 アップルパイ王国《おうこく》の魔王《まおう》


(一《いち》)


 お城《しろ》の王女様《おうじょさま》は、ぐったりとベッドで横《よこ》になっていました。未《いま》だに、リンゴしか食《た》べていないのでしょう。そんな食事《しょくじ》では、元気《げんき》が出《で》る筈《はず》がありません。体《からだ》を作《つく》るお肉《にく》や、体調《たいちょう》を整《ととの》えるお野菜《やさい》、エネルギーとなるパンやお米《こめ》のような炭水化物《たんすいかぶつ》もしっかり食《た》べなくては、体《からだ》が持《も》つはずが無《な》いのです。


(もうダメ……もう死《し》んじゃう……)


 流石《さすが》の王女様《おうじょさま》も、もう限界《げんかい》のようです。とはいえ、こんな状態《じょうたい》になるまでアップルパイを食《た》べようとされないのは、王女様《おうじょさま》ゆえのプライドが頑《かたく》なに拒《こば》んでいるためでしょうか。あるいは、それほどまでに、甘《あま》い物《もの》がお嫌《きら》いなのでしょうか。

 しかし、人間《にんげん》ですから飢《う》えには勝《か》てないものです。


(もう何《なん》でも良《い》い……食《た》べよう……パイでもなんでも良《い》い……でないと……)


 王女様《おうじょさま》は覚悟《かくご》を決《き》めて、這《は》いずるようにしてベッドから降《お》りて、部屋《へや》を出《で》ました。


「ひいっ……」


 部屋《へや》を出《で》た王女様《おうじょさま》はあたりの光景《こうけい》に驚《おどろ》きました。

 もう、そこは既《すで》に「地獄《じごく》」――お城《しろ》の中《なか》は、アップルパイ地獄《じごく》へと姿《すがた》を変《か》えていました。


 見渡《みわた》す限《かぎ》りアップルパイです。床《ゆか》も、壁《かべ》も、どっちを向《む》いてもアップルパイです。お城《しろ》では何処《どこ》でも、何処《どこ》の誰《だれ》もがアップルパイを焼《や》いています。

 アップルパイを焼《や》いて、アップルパイを焼《や》いて、アップルパイを焼《や》いて、そしてアップルパイを食《た》べて、焼《や》いて、焼《や》いて、焼《や》いて、食《た》べて、焼《や》いて、焼《や》いて、焼《や》いて……。


 明《あき》らかにアップルパイを食《た》べるよりも、焼《や》く方《ほう》が上回《うわまわ》っています。兵隊《へいたい》も、召使《めしつか》いも、誰《だれ》もがアップルパイを無我夢中《むがむちゅう》で焼《や》いているのです。誰《だれ》かが、大声《おおごえ》を上《あ》げました。


『アップルパイを焼《や》くのだ! 全《すべ》ては我《わ》が国《くに》を救うため! 我《わ》が国《くに》が生《い》きていくため! 我《わ》が国《くに》はアップルパイを焼《や》き続《つづ》けるしかないのだ! 我々(われわれ)こそがアップルパイなのだ!』


 サムライ帝国《ていこく》に征服《せいふく》され、アップルパイを焼《や》き続《つづ》けるしか、生《い》きる術《すべ》がなくなってしまったのです。アップルパイを焼《や》かなければ無惨《むざん》に殺《ころ》されてしまうと恐《おそ》れているのです。誰《だれ》もが白《しろ》い服《ふく》と白《しろ》い帽子《ぼうし》のコックとなって、ひたすらパイ生地《きじ》を伸《の》ばし、リンゴの皮《かわ》をむき、クリームを泡立《あわだ》てて、ひたすらパイを焼《や》き続《つづ》けているのです。


 ダメだ。もうダメだ。ここに居《い》てはダメだ。


 王女様《おうじょさま》は、「なんでも良《い》いから食《た》べよう」という決心《けっしん》を覆《くつがえ》しました。お城《しろ》の有《あ》り様《さま》を見《み》て、空腹《くうふく》も吹《ふ》き飛《と》んでしまうような、とてつもない恐怖《きょうふ》を感《かん》じたのかもしれません。あるいは、身震《みぶる》いするほどの嫌悪感《けんおかん》だったのかもしれません。


 王女様《おうじょさま》は、自分《じぶん》が飢《う》えていることも忘《わす》れ、ふらふらと走《はし》り出《だ》しました。あっちでもない、こっちでもないと、アップルパイの迷宮《めいきゅう》を彷徨《さまよ》いました。

 すぐ手《て》を伸《の》ばせば食《た》べ物《もの》に手《て》が届《とど》くのに、それさえ食《た》べれば生《い》きていけるのに、もはやアップルパイは、単《たん》なる自分《じぶん》の嫌《きら》いな甘《あま》いものでもない、もはや食《た》べ物《もの》ですらない、恐《おそ》ろしい物《もの》でしか無《な》くなっていました。王女様《おうじょさま》は、とにかく怖《こわ》い、恐《おそ》ろしい、絶対《ぜったい》にここにいてはいけない、早《はや》くここから離《はな》れるんだと、必死《ひっし》で駆《か》け回《まわ》りました。

 そして、その地獄《じごく》から脱出《だっしゅつ》するのとは逆《ぎゃく》に、自分《じぶん》にとってもっとも恐《おそ》ろしい場所《ばしょ》へとやってきてしまったのです。


 そこは、お妃様《きさきさま》のお台所《だいどころ》でした。その部屋《へや》こそ、アップルパイの根元《こんげん》、本拠地《ほんきょち》、中心地《ちゅうしんち》でした。そこで今《いま》も尚《なお》、お妃様《きさきさま》はアップルパイを焼《や》き続《つづ》けているのです。焼《や》きあがったアップルパイを積《つ》み上《あ》げ、それを更《さら》に部屋《へや》から押《お》し出《だ》して、更《さら》に焼《や》き上《あ》げては、積《つ》み上《あ》げ続《つづ》けているのです。


 そして、王女様《おうじょさま》は見《み》ました。何処《どこ》までも美《うつく》しく華麗《かれい》にアップルパイを焼《や》き続《つづ》けるお妃様《きさきさま》の、その恐《おそ》ろしいお姿《すがた》を。


「……ここでお砂糖《さとう》を入《い》れて、お塩《しお》もほんの少《すこ》し、お酒《さけ》を少々(しょうしょう)……あら、良《い》い匂《にお》いね。さあ、もっともっと甘《あま》くなあれ……美味《おい》しくなあれ……」


 そうしてリンゴのお鍋《なべ》をかき混《ま》ぜているお妃様《きさきさま》のお姿《すがた》は、まるで恐《おそ》ろしい呪《のろ》いの毒《どく》薬《やく》を煮立《いた》てている魔女《まじょ》のようでした。恐《おそ》らく、実際《じっさい》に煮立《にたて》てているのは只《ただ》のリンゴで、呪《のろ》いがかかっている筈《はず》もなく、毒薬《どくやく》のような悪《わる》い物《もの》は何《なに》も入《はい》っていないのでしょう。

 しかし、そのお姿《すがた》こそ恐《おそ》ろしく、まるで何者《なにもの》かに呪《のろ》われたようでした。もしかしたら、本当《ほんとう》に呪《のろ》われているのかもしれません。見入《みい》られてしまったのかもしれません。アップルパイそのものに。


 王女様《おうじょさま》はそれまででした。もはや気力《きりょく》を失《うしな》い、ふらりとその場《ば》に倒《たお》れてしまいました。


(二《に》)


 若殿様《わかとのさま》は、王国《おうこく》に出向《でむ》いているお殿様《とのさま》達《たち》のところに戻《もど》るため、急《いそ》いで馬《うま》を走《はし》らせました。一応《いちおう》、サムライ帝国《ていこく》のお城《しろ》に立《た》ち寄《よ》り、守《まも》りを固《かた》めるように残《のこ》っているサムライ達《たち》に命《めい》じました。

 実《じつ》のところ、若殿様《わかとのさま》は文字《もじ》通《どお》り若《わか》いので、命《めい》じるというほどのことも出来《でき》ません。ですので、残《のこ》っている武将《ぶしょう》に現状《げんじょう》の確認《かくにん》と、とりあえずの方針《ほうしん》――城門《じょうもん》を閉《と》ざして、敵《てき》が来《き》てもいっさい応《おう》じず、いざとなったら逃《に》げようということだけ、決《き》めた程度《ていど》です。実際《じっさい》、それ以上《いじょう》のことは出来《でき》ないでしょう。

 カンフー帝国《ていこく》に対《たい》し、下手《へた》に手向《てむ》かいをしなければ、少《すく》なくとも民百姓《たみひゃくしょう》には乱暴《らんぼう》なことはしないでしょう。これもまた、キムチ王国《おうこく》の軍艦《ぐんかん》のもとに小舟《こぶね》で向《む》かったのと同《おな》じく、そして、アップルパイ王国《おうこく》がサムライ帝国《ていこく》に全面《ぜんめん》降伏《こうふく》したのと同《おな》じ対応《たいおう》というわけです。

 無論《むろん》、残酷《ざんこく》で乱暴《らんぼう》な強盗《ごうとう》のような相手《あいて》でなければ、の話《はなし》です。そうでなくても、降伏《こうふく》の後《あと》は、かなり不利《ふり》な立場《たちば》に追《お》いやられるでしょう。アップルパイ帝国《ていこく》と同《おな》じように。


(だからこそ、サムライ帝国《ていこく》は強《つよ》くなければならなかった。戦《いくさ》に強《つよ》い国《くに》でなければならなかった)


 馬《うま》に乗《の》り、お殿様《とのさま》の元《もと》へと急《いそ》ぎながら、若殿様《わかとのさま》は考《かんが》えていました。


(国《くに》と国《くに》とは敵《てき》同士《どうし》。戦《いくさ》に勝《か》てなければ、自分達《じぶんたち》の国《くに》は無《な》くなってしまう。他《ほか》の国《くに》に従《したが》わなければならなくなる。そうなっては生《い》きていくことすら、ままならない)


(だから、サムライ帝国《ていこく》は戦《いくさ》と共《とも》に生《い》きてきた。戦《いくさ》は言葉《ことば》だ。国《くに》と国《くに》が語《かた》り合《あ》う会話《かいわ》のようなものだ。だから、サムライ帝国《ていこく》はサムライが支配《しはい》する国《くに》だったのだ)


(それが国《くに》だと、思《おも》っていた)


「若《わか》!」


 突然《とつぜん》、若殿様《わかとのさま》は参謀《さんぼう》に声《こえ》をかけられ、我《われ》に返《かえ》ります。


「若《わか》! 一度《いちど》、馬《うま》を乗《の》り換《か》えないと!」

「――おう!」


 若殿様《わかとのさま》は自分達《じぶんたち》が乗《の》っている馬《うま》だけではなく、乗《の》り換《か》え用《よう》の「空馬《からうま》」を用意《ようい》していました。同《おな》じように走《はし》るにしても、人《ひと》を乗《の》せてばかりいてはくたびれてしまうため、空馬《からうま》と乗《の》り換《か》えなければならないのです。


 若殿様《わかとのさま》は馬《うま》を止《と》め、ついでに、少《すこ》しだけ休憩《きゅうけい》をとり、おにぎりを頬張《ほおば》って食事《しょくじ》をしました。そうしながらも、若殿様《わかとのさま》は深《ふか》い考《かんが》えに沈《しず》みます。


(戦《いくさ》が国《くに》の言葉《ことば》……それが国《くに》というものだと思《おも》っていた。しかし、こうしてみると、いろいろな国《くに》があるものだ。戦《いくさ》ばかりが国《くに》の言葉《ことば》ではないのだ)


(ピストル合衆国《がっしゅうこく》も戦《いくさ》に生《い》きる国《くに》に見《み》えて、実《じつ》は違《ちが》う。ピストル合衆国《がっしゅうこく》は強力《きょうりょく》な武器《ぶき》を作《つく》り、それを売《う》ることを商売《しょうばい》としている商人《しょうにん》の国《くに》だ。戦《いくさ》が起《お》こりそうな匂《にお》いがしたら、そこに駆《か》けつけて武器《ぶき》を売《う》りつける。敵《てき》と味方《みかた》、両方《りょうほう》に――)


(キムチ王国《おうこく》は、国王《こくおう》から民衆《みんしゅう》まで辛《から》い物《もの》が大好《だいす》きで、軍艦《ぐんかん》まで食《た》べ物《もの》を辛《から》くすることに夢中《むちゅう》だ。しかも、それが素晴《すば》らしいことで、それを他《ほか》の国《くに》に勧《すす》めることがとても良《よ》いことだと、本気《ほんき》で信《しん》じている。異《こと》なる味覚《みかく》を持《も》つ外国《がいこく》にとって、最悪《さいあく》だ)


(我々(われわれ)が占領《せんりょう》したあの王国《おうこく》――今《いま》はアップルパイとやらに夢中《むちゅう》だが、はて? 以前《いぜん》は確《たし》か違《ちが》う特徴《とくちょう》があったのだが、もはや、その名残《なごり》すらない)


 おにぎりを食《た》べ終《お》え、竹筒《たけづつ》の水《みず》をゴクゴクと飲《の》み干《ほ》してから、若殿様《わかとのさま》は馬《うま》に飛《と》び乗《の》りました。他《ほか》のサムライ達《たち》もそれにならいます。そして何《なに》も云《い》うこともなく、先《さき》を急《いそ》ぎます。若殿様《わかとのさま》の表情《ひょうじょう》は暗《なお》く、尚《なお》も黙々(もくもく)と考《かんが》え込《こ》んでいます。


(なぜ、そうなったんだろう。そこまで、国《くに》の個性《こせい》や風土《ふうど》を塗《ぬ》り替《か》えるほどに、あのアップルパイというお菓子《かし》に魔力《まりょく》があるのだろうか)


(キムチ王国《おうこく》の辛《から》い物《もの》の押《お》し売《う》りは、大《たい》して広《ひろ》まりはしないのに)


(もしかしたら――)


 ようやく、若殿様《わかとのさま》達《たち》は到着《とうちゃく》しました。不安《ふあん》に心《こころ》を曇《くも》らせながら。


(もしかしたら、僕達《ぼくたち》は触《ふ》れてはいけないものに、踏《ふ》み込《こ》んでしまったのだろうか)


 しかし、若殿様《わかとのさま》達《たち》は再《ふたた》びやってきたのです。触《ふ》れてはならなかったアップルパイ王国《おうこく》に、再《ふたた》び、踏《ふ》み込《こ》まなくてはならないのです。


(三《さん》)


 若殿様《わかとのさま》は王国《おうこく》に入《はい》りました。若殿様《わかとのさま》は王国《おうこく》の城《しろ》の、その城下街《じょうかまち》の入《い》り口《ぐち》に立《た》っているのですが、そこから動《うご》こうとしません。何故《なぜ》でしょうか。


 なんだか、王国《おうこく》は静《しず》かでした。静《しず》かすぎます。なぜ、静《しず》かなのか、しばらく判《わか》りませんでした。あたりを見渡《みわた》していた参謀《さんぼう》は尋《たず》ねました。


「若《わか》、見張《みは》りがいませんね」


 そう、街《まち》の入《い》り口《ぐち》に立《た》っているべき、見張《みは》りや門番《もんばん》がいないのです。

 その理由《りゆう》が判《わか》るはずもなく、若殿様《わかとのさま》は「うん」とだけ返答《へんとう》しました。


 いざ、街《まち》に入《はい》ってみると、静《しず》かに見《み》えた街《まち》並《な》みから、わずかですが、人々(ひとびと)が活動《かつどう》しているのを感《かん》じ取《と》ることが出来《でき》ました。


 静《しず》かだと感《かん》じたのは、誰《だれ》も表《おもて》で歩《ある》いておらず、人《ひと》の気配《けはい》が感《かん》じられないためだったのです。

 実《じつ》は街《まち》は活発《かっぱつ》に動《うご》いているのです。


 街《まち》の建物《たてもの》の煙突《えんとつ》から煙《けむり》がモクモクと立《た》ち、中《なか》で人々(ひとびと)が活動《かつどう》していることは想像《そうぞう》がつきます。よく聴《き》いてみると、人《ひと》の歩《ある》く足音《あしおと》、食器《しょっき》を積《つ》み重《かさ》ねる音《おと》、荷物《にもつ》を投《な》げ降《お》ろす音《おと》などが聞《き》こえてくるのです。


 では、その中《なか》で何《なに》をしているのでしょうか。無論《むろん》、若殿様《わかとのさま》には判《わか》っています。付《つ》き添《そ》いの若《わか》サムライ達《たち》にも想像《そうぞう》がついているでしょう。

 ああ、デカ助《すけ》はちょっと怪《あや》しいですが。


 無論《むろん》、人々(ひとびと)は建物《たてもの》の中《なか》で一生懸命《いっしょうけんめい》にアップルパイを焼《や》いているのでしょう。しかし、こうして人《ひと》の姿《すがた》が見《み》えないと、実《じつ》は建物《たてもの》の中《なか》にも、人《ひと》っ子《こ》一人《ひとり》、誰《だれ》も居《い》ないのではないか、と思《おも》ってしまいそうです。

 誰《だれ》の手《て》でもなく、誰《だれ》の考《かんが》えでもなく、もはや、何《なん》の目的《もくてき》もなく、アップルパイが焼《や》かれていく、アップルパイだけの街《まち》――。

 実際《じっさい》、本当《ほんとう》にそうなりつつあるのかもしれません。人《ひと》に誉《ほ》められたいため、有名《ゆうめい》になりたいため、あるいは、端《たん》に商売《しょうばい》のため、自分《じぶん》が食《た》べるため――そうした目的《もくてき》をもってアップルパイを焼《や》いている人《ひと》が、本当《ほんとう》に残《のこ》っているのでしょうか。


 参謀《さんぼう》は、若殿様《わかとのさま》が街《まち》の異様《いよう》さに圧倒《あっとう》されていることを気遣《きづか》って、無闇《むやみ》にせかしたりはせず、そっと促《うなが》そうとします。


「若《わか》、参《まい》りましょう。殿《との》のところに」

「いや」


 若殿様《わかとのさま》は否定《ひてい》しました。そして、云《い》いました。


「慌《あわ》てても大《たい》して変《か》わらないだろう。まず、寄《よ》りたいところがある」

「ああ――『街角《まちかど》レストラン』ですね」

「そうだ。まず、アップルパイがなんなのか、それを理解《りかい》していこうじゃないか」


(四《よん》)


「アップルパイはただのお菓子《かし》です。みんなが焼《や》いて、みんなが食《た》べているのは、間違《ちが》いなく普通《ふつう》のお菓子《かし》でしかありません」


 そう答《こた》えたのは白《しろ》い帽子《ぼうし》と白《しろ》い服《ふく》の白《しろ》ずくめの衣装《いしょう》を身《み》につけた、「元《もと》」街角《まちかど》レストランのコックさんです。「元《もと》」と付《つ》けたのは、もうそこはレストランでなくなったからです。そこはもう、ただひたすらアップルパイを焼《や》くだけの工場《こうじょう》となっていました。

 もはや、コックさんも狂《くる》ったようにアップルパイを焼《や》き続《つづ》けているのかと思《おも》いきや、意外《いがい》と落《お》ち着《つ》いて、若殿様《わかとのさま》の質問《しつもん》に答《こた》えてくれました。


「私《わたし》がコンテストで優勝《ゆうしょう》した理由《りゆう》は判《わか》りますか? 他《ほか》の人《ひと》のパイに比《くら》べて、もっとも甘《あま》かったからですよ。審査《しんさ》したのは子供達《こどもたち》なんですが、子供《こども》は甘《あま》いのが好《す》きでしょう? そりゃ私《わたし》のを選《えら》ぶに決《き》まってるんです。実《じつ》は大人《おとな》だって負《ま》けないくらい甘《あま》いのが好《す》きなんです。塩加減《しおかげん》も、実《じつ》は甘《あま》さを引《ひ》き立《た》てるためだったりします」


「こちとら、商売《しょうばい》ですからね。普通《ふつう》のご家庭《かてい》でお料理《りょうり》するよりも、ぐっと味付《あじつ》けを濃《こ》く、より甘《あま》く感《かん》じるように作《つく》るんです。お料理《りょうり》によって、そして、相手《あいて》にもよりますが」


「あなた方はサムライ帝国《ていこく》の人《ひと》ですね。知《し》ってますよ? あなた方《がた》のお刺身《さしみ》だって、お醤油《しょうゆ》をつけて食《た》べますけど、お醤油《しょうゆ》はお刺身《さしみ》の甘《あま》みを引《ひ》き立《た》てるためで、脂身《あぶらみ》が多《おお》いほど高級《こうきゅう》なのは、脂身《あぶらみ》の甘《あま》さが好《す》きだからです。無論《むろん》、お国柄《くにがら》もありますがね」


「え? お妃様《きさきさま》が、甘《あま》さの違《ちが》うアップルパイをお出《だ》しした? そりゃ、いきなり甘《あま》すぎるものをお出《だ》ししちゃ、飽《あ》きられてしまうからじゃないですかね? 相手《あいて》によって味《あじ》付《つ》けを変《か》えるのも、我々(われわれ)コックの常套手段《じょうとうしゅだん》、つまり、よく使《つか》う技《わざ》の一《ひと》つなんですよ」


「なんでこんなにみんな夢中《むちゅう》なのか? うーん……判《わか》りませんね。お妃様《きさきさま》が焼《や》いているんだから、かもしれませんが。でも、子供《こども》だけじゃなく大人《おとな》だって甘《あま》いのが好《す》きですから、甘《あま》いお菓子《かし》を焼《や》いて食《た》べてさえいればそれで良《い》いって云《い》われりゃ、誰《だれ》だって止《や》めたくないじゃないですかね」


「さて、私《わたし》から云《い》えるのはこれぐらいですかね。では、仕事《しごと》に戻《もど》らせて頂《いただ》きますよ。さあ、そろそろ焼《や》けたかな……」


 若殿様《わかとのさま》達《たち》は仕事《しごと》中《ちゅう》に手《て》を止《と》めて、話《はな》してくれたことに礼《れい》を述《の》べて立《た》ち上《あ》がりました。参謀《さんぼう》は何《なん》だかよく判《わか》らない顔《かお》をしていましたが、若殿様《わかとのさま》は静《しず》かな面《おも》もちで考《かんが》え込《こ》んでいます。

 参謀《さんぼう》は頭《あたま》をかきながら、若殿様《わかとのさま》に尋《たず》ねました。


「若《わか》には、何《なに》か判《わか》りましたか? 拙者《せっしゃ》には何《なん》とも……」

「うん。ごく自然《しぜん》な成《な》り行《ゆ》きでこうなった、と云《い》えばいいのかな」

「そんな、おかしいじゃないですか。自然《しぜん》な成《な》り行《ゆ》きで、この王国《おうこく》をこんな姿《すがた》に変《か》わってしまうことなどありうるんでしょうか」

「そうだなあ……」


 若殿様《わかとのさま》はすぐには答《こた》えず、夜空《よぞら》を見上《みあ》げました――今《いま》はもう夜《よる》でした。夜空《よぞら》には星《ほし》が瞬《またた》き、冷《つめ》たい夜風《よかぜ》がさわやかに駆《か》け抜《ぬ》けていきます。街《まち》は相変《あいか》わらず、パイを焼《や》く甘《あま》い匂《にお》いが充満《じゅうまん》していたのですが、ほんの一瞬《いっしゅん》だけ、夜風《よかぜ》がその匂《にお》いを吹《ふ》き消《け》してくれました。


「小《ちい》さな小石《こいし》が広大《こうだい》な水面《みなも》の全《すべ》てを揺《ゆ》るがす――と、爺様《じいさま》が云《い》っていた。数多《あまた》の魚《さかな》が生《い》きているからこそ、海《うみ》は決《けっ》して静《しず》まることがないのだ、とも」

「では、あの王国《おうこく》の妃《きさき》が小石《こいし》であったのだと?」


 若殿様《わかとのさま》は少《すこ》し苦笑《にがわら》いしながら、頭《あたま》をかきました。


「たとえ話《ばなし》はほどほどにしないとな。僕《ぼく》は、爺様《じいさま》の云《い》う『満腹《まんぷく》の獅子《しし》は虫《むし》も殺《ころ》さぬ』という言葉《ことば》を信《しん》じて、決《けっ》してカンフー帝国《ていこく》は攻《せ》めてこないと思《おも》っていた」

「そうですね。カンフー帝国《ていこく》は只《ただ》の獅子《しし》とは違《ちが》いますからね」

「あのお妃《きさき》は小石《こいし》だとしても、揺《ゆ》れているのは水面《みなも》だ。水底《みなそこ》に沈《しず》んだ小石《こいし》はもう動《うご》かず、水面《みなも》を揺《ゆる》るがすことはないが、波紋《はもん》は水面《みなも》の全《すべ》てに伝《つた》わる。そして――」

「そして?」


 若殿様《わかとのさま》は意《い》を決《けっ》したように歩《ある》き始《はじ》めました。


「もしかしたら、殿《との》が二《ふた》つ目《め》の小石《こいし》だったのかもしれないぞ」

「……え?」

「さあ、行《い》こう。殿《との》のところへ」


(五《ご》)


 若殿様《わかとのさま》はお殿様《とのさま》と最後《さいご》に別《わか》れた閲兵場《えっぺいじょう》にやってきました。そこでチビ助《すけ》が、「あれ? あれれ? あれれれれ?」と騒《さわ》ぎ始《はじ》めました。


「うちのサムライ達《たち》はどこにいったんだ? いや、誰《だれ》がうちのサムライ達《たち》なんだよ!?」


 騒然《そうぜん》とするチビ助《すけ》、呆然《ぼうぜん》とするデカ助《すけ》、唖然《あぜん》とする参謀《さんぼう》、そして、愕然《がくぜん》とする若殿様《わかとのさま》――。


(まさか――多少《たしょう》は想像《そうぞう》はしていたけど、これほどまで我々(われわれ)サムライが変《か》わってしまうなんて)


 そこでは、何千人《なんぜんにん》ものコックがアップルパイを焼《や》いていました。それは、あの「街角《まちかど》レストラン」で出会《であ》ったようなコックが、無限《むげん》に増殖《ぞうしょく》したかのような光景《こうけい》でした。

 その彼《かれ》らはもちろん、人数《にんずう》から見《み》て、この国《くに》の兵隊達《へいたいたち》と、サムライ帝国《ていこく》のサムライに間違《まちが》いありませんでした。

 しかも、誰《だれ》もがうつろな目《め》つきで、目《め》の前《まえ》に若殿様《わかとのさま》がやってきたにも関《かか》わらず、必死《ひっし》でアップルパイを焼《や》いていました。声《こえ》をかけても、誰《だれ》も何《なに》も応《おう》じません。

 業《ごう》を煮《に》やしたチビ助《すけ》が、その一人《ひとり》の肩《かた》に手《て》をかけて「おい、止《や》めろ! 止《や》めろと云《い》ってるだろ!」と怒鳴《どな》り散《ち》らしましたが、その手《て》を払《はら》いのけて、尚《なお》もパイを焼《や》く手《て》を止《と》めようとしないのです。

 そのサムライ達《たち》の変《か》わり様《よう》は、若殿様《わかとのさま》の想像《そうぞう》を超《こ》えていました。

 もはや、誰《だれ》がサムライで、誰《だれ》がこの王国《おうこく》の兵隊《へいたい》なのか区別《くべつ》がつきません。しかし、それぞれが入《い》り交《ま》じっているのは明白《めいはく》です。閲兵場《えっぺいじょう》の傍《かたわ》らには、王国《おうこく》の鎧《よろい》が脱《ぬ》ぎ捨《す》てられていたのですが、それに加《くわ》えて、サムライが着《き》る鎧甲《よろいかぶと》もまた、入《い》り交《ま》じっていたのですから。

 平《ひ》たい台《だい》でパイ生地《きじ》を伸《の》ばし、野外用《やがいよう》のカマドでリンゴを煮立《にたて》てて、パイを焼《や》いて、焼《や》きあがったパイを食《た》べて、焼《や》いて、食《た》べて、焼《や》いて、食《た》べて、焼《や》いて、食《た》べて……。


「甘《あま》いか」

「うむ、甘《あま》い」

「いや、まだ甘《あま》くない」

「もっと甘《あま》くか」

「もっと甘《あま》くしよう」

「どんどん甘《あま》くしよう」

「甘《あま》く甘《あま》く」

「甘《あま》い甘《あま》い」

「まだまだ甘《あま》く」


 そんなことばかりを念仏《ねんぶつ》の様《よう》に唱《とな》えながら、サムライ達《たち》は必死《ひっし》でアップルパイを焼《や》いているのです。焼《や》いては食《た》べ、食《た》べては焼《や》いて、自分達《じぶんたち》の焼《や》いたアップルパイが、少《すこ》しでも王国《おうこく》の味《あじ》に近《ちか》づけるように頑張《がんば》っているのです――そう、頑張《がんば》っているのです。

 彼《かれ》ら、サムライ達《たち》は頑張《がんば》っているのです。巨大《きょだい》なカンフー帝国《ていこく》と戦《たたか》うため、新《あら》たな生命線《せいめいせん》となる新《あたら》しい食糧《しょくりょう》、アップルパイを焼《や》けるようになるために、必死《ひっし》で戦《たたか》っているのです。

 この国《くに》の兵隊《へいたい》達《たち》も必死《ひっし》で教《おし》えているのです。サムライ帝国《ていこく》に占領《せんりょう》され、この王国《おうこく》が生《い》き続《つづ》けるために、必死《ひっし》に頑張《がんば》っているのです。戦《たたか》っているのです。


 若殿様《わかとのさま》が国《くに》に戻《もど》って、再《ふたた》び帰《かえ》ってくるまで、それほど日数《にっすう》がかかっていないでしょう。その短《みじか》い日数《にっすう》で、これほどサムライを変《か》えてしまうものでしょうか。


 ふと、参謀《さんぼう》は投《な》げ捨《す》ててあった鎧《よろい》を手《て》に取《と》りました。自分達《じぶんたち》のサムライの鎧甲《よろいかぶと》と、そしてこの王国《おうこく》の鎧《かぶと》――それは、銀色《ぎんいろ》に輝《かがや》く美《うつく》しい騎士《きし》の鎧《よろい》でした。


 ナイト王国《おうこく》――それが、この国《くに》の元々(もともと)の名前《なまえ》でした。銀色《ぎんいろ》に輝《かがや》く鎧《よろい》を身《み》につけた、誇《ほこ》り高《たか》き騎士《きし》が守《まも》る、気高《けだか》い気品《きひん》に満《み》ちあふれた王国《おうこく》だったのです。それゆえに、強《つよ》く猛々(たけだけ)しいサムライ帝国《ていこく》も、これまでは手《て》が出《だ》せなかったのです。


「お、お前《まえ》達《たち》……サムライの命《いのち》、刀《かたな》まで粗末《そまつ》にしやがって……」


 再《ふたた》び、チビ助《すけ》が騒《さわ》ぎ始《はじ》めています。鎧《よろい》の他《ほか》にも、腰《こし》に挿《さ》していた刀《かたな》までもが閲兵場《えっぺいじょう》の傍《かたわ》らに置《お》き去《ざ》りにされていました。併《あわ》せて、王国《おうこく》の騎士《きし》達《たち》が使《つか》う強力《きょうりょく》な槍《やり》も。


「あ……」


 若殿様《わかとのさま》は思《おも》い出《だ》しました。槍《やり》と云《い》えば、あの王女様《おうじょさま》が物干《ものほ》し竿《ざお》に使《つか》っていた、あの槍《やり》と同《おな》じです。参謀《さんぼう》に云《い》いました。


「あの王女《おうじょ》が心配《しんぱい》だ。無事《ぶじ》だろうか」

「我々(われわれ)は心配《しんぱい》すべきは我々(われわれ)の主君《しゅくん》、殿《との》の行方《ゆくえ》ではないんですか」

「いや、殿《との》は戦《たたか》って死《し》ぬ訳《わけ》じゃないんだ。でも、あの王女《おうじょ》は飢《う》え死《じ》にしてしまうかもしれないぞ」

「いや、これだけ食《た》べ物《もの》に囲《かこ》まれているのですよ。流石《さすが》に諦《あきら》めて食《た》べるのでは……?」

「あの王女《おうじょ》こそ、誇《ほこ》り高《たか》きこの王国《おうこく》の末裔《まっしょう》なんだ。自分《じぶん》の主義《しゅぎ》を貫《つらぬ》くためなら、命《いのち》だって惜《お》しまない筈《はず》だ」

「では、急《いそ》ぎましょう。殿《との》にせよ、王女《おうじょ》にせよ、きっとお城《しろ》でしょう」

「ああ、気《き》を引《ひ》き締《し》めていこう」


 若殿様《わかとのさま》はそう云《い》いながら、デカ助《すけ》の口《くに》に飴玉《あめだま》を放《ほう》り込《こ》みながら云《い》いました。デカ助《すけ》はもう少《すこ》しでアップルパイに手《て》を伸《の》ばすところでした。


(六《ろく》)


 城《しろ》に入《はい》ると、そこはアップルパイでした。

 何《なに》を云《い》ってるのか判《わか》らないって? いや、これが一番《いちばん》、判《わか》りやすい説明《せつめい》なのです。見渡《みわた》す限《かぎ》り、アップルパイの山《やま》、アップルパイの柱《はしら》、アップルパイの壁《かべ》、窓《まど》を開《あ》ければアップルパイ、扉《とびら》を開《あ》ければアップルパイ……。


「若《わか》、やはりデカ助《すけ》は外《そと》で待《ま》たせた方《ほう》が……」


 参謀《さんぼう》がそう云《い》うのも無理《むり》はありません。城《しろ》に入《はい》れば、いきなりアップルパイなのです。右《みぎ》を見《み》ても左《ひだり》を向《む》いても、アップルパイが積《つ》み上《あ》げられているのです。自分達《じぶんたち》だって、どこまで我慢《がまん》が出来《でき》るか不安《ふあん》でしょう。ましてや、食《く》いしん坊《ぼう》のデカ助《すけ》が手《て》を着《つ》けないはずはありません。ですが、若殿様《わかとのさま》は云《い》います。


「いや、目《め》の届《とど》くところに居《い》ないとダメだ。チビ助《すけ》、デカ助《すけ》の肩《かた》に乗《の》れ。しっかり見張《みは》ってろよ」

「合点《がってん》!」

「さあ、王女《おうじょ》は確《たし》か――どっちだったかな」


 若殿様《わかとのさま》達《たち》にとって、このお城《しろ》には前《まえ》に来《き》たことがあるといっても、まだ二回目《にかいめ》です。不慣《ふな》れな上《うえ》に、辺《あた》りはアップルパイで充満《じゅうまん》しているのですから、迷《まよ》うのは当《あ》たり前《まえ》。そこをなんとか、参謀《さんぼう》が頭《あたま》を巡《めぐ》らせます。


「前《まえ》に、中庭《なかにわ》で洗濯物《せんたくもの》を干《ほ》していましたね」

「では、城《しろ》の中心《ちゅうしん》か」

「急《いそ》ぎましょう――デカ助《すけ》でなくても、この匂《にお》いじゃ我々(われわれ)だって持《も》ちませんよ」



 一同《いちどう》、アップルパイをかき分《わ》けてお城《しろ》の中心《ちゅうしん》を目指《めざ》します。途中《とちゅう》、お城《しろ》の人々(ひとびと)にすれ違《ちが》うことはありましたが、誰《だれ》も若殿様《わかとのさま》達《たち》に構《かま》ってやしません。夢中《むちゅう》でアップルパイの材料《ざいりょう》を運《はこ》び込《こ》み、アップルパイを練《ね》り上《あ》げ、アップルパイを焼《や》いて、アップルパイを積《つ》み上《あ》げて、アップルパイを運《はこ》び出《だ》しています。多少《たしょう》なりとも役割分担《やくわりぶんたん》があるようですが、誰《だれ》もがアップルパイのことしか眼中《がんちゅう》にないようです。

 そこに、誰《だれ》かの声《こえ》が響《ひび》きわたりました。


『アップルパイ! アップルパイ! アップルパイ! アップルパイ! アップルパイ!! 全《すべ》てはアップルパイのために! 全《すべ》てはアップルパイ! 全《すべ》てがアップルパイなのだ! この世《よ》は全《すべ》てアップルパイだ! 全《すべ》てがアップルパイなのだ! 我々(われわれ)こそがアップルパイなのだ!』


 これを聞《き》いた若殿様《わかとのさま》は真《ま》っ青《さお》になりました。もはや、狂《くる》っていると云《い》っても良《よ》いでしょう。人々(ひとびと)は自《みずか》らアップルパイに狂《くる》い、なおも他《ほか》の人々(ひとびと)をアップルパイで狂《くる》わせているのです。こんなところに居《い》たら、本当《ほんとう》に自分達《じぶんたち》もアップルパイに狂《くる》わされてしまいそうです。参謀《さんぼう》は若殿様《わかとのさま》を急《せ》かします。


「若《わか》、立《た》ち止《ど》まってはダメです――若《わか》?」

「この声《こえ》……アップルパイを叫《さけ》び続《つづ》ける、あの声《こえ》は……アップルパイ……アップルパイと……」


 大変《たいへん》! 若殿様《わかとのさま》の目《め》がうつろになってきました! しかし、そこは参謀《さんぼう》、


「えい!」


 と、若殿様《わかとのさま》の口《くち》に何《なに》かを放《ほう》り込《こ》みました。


「か、からい!」

「よく効《き》くでしょう? ニンニクのとンがらし漬《づ》けです。あのキムチ王国《おうこく》でも最高《さいこう》の際物《きわもの》ですよ」

「た、頼《たの》む、水《みず》を」

「ダメです! お水《みず》は全《すべ》てが終《お》わってから!」

「厳《きび》しいなあ……うう、からい……くさい……」

「さあ、走《はし》った! 走《はし》った!」


 若殿様《わかとのさま》は余計《よけい》に足元《あしもと》がフラフラしてますが、参謀《さんぼう》に追《お》い立《た》てられて、どうにか走《はし》り出《だ》しました。本当《ほんとう》に、若殿様《わかとのさま》は良《よ》い家来《けらい》を持《も》ったものですね。後々(のちのち)は安泰《あんたい》でしょう。


(七《なな》)


 どうにか中庭《なかにわ》に到着《とうちゃく》しました。洗濯物《せんたくもの》が掛《か》けられたままで、そこは誰《だれ》もいません。

 思《おも》えば、その洗濯物《せんたくもの》が掛《か》けられている物干《ものほ》し竿《ざお》こそが、この王国《おうこく》の騎士《きし》達《たち》が使《つか》う槍《やり》でした。サムライにとっては魂《たましい》と云《い》うべき刀《かたな》と、同《おな》じ様《よう》なものでしょう。若殿様《わかとのさま》は少《すこ》し悲《かな》しい気持《きも》ちになりましたが、そうも云《い》っていられません。


「居《い》ないな……」

「この辺《へん》の小部屋《こべや》が寝床《ねどこ》ではなかったですか」

「あった! ここが王女《おうじょ》の寝床《ねどこ》だ!」


 そう叫《さけ》んだのは、デカ助《すけ》を肩《かた》の上《うえ》から操《あやつ》るチビ助《すけ》です。指示《しじ》を受《う》けるのを待《ま》たずに、デカ助《すけ》を操縦《そうじゅう》しながら方々(ほうぼう)の部屋《へや》を探《さが》し回《まわ》ってました。


「で、王女《おうじょ》は居《い》たか?」

「いえ、寝床《ねどこ》はもぬけの殻《から》で」

「うーん……」


 こうしている間《あいだ》にも、まるで霧《きり》や靄《もや》、毒《どく》ガスや放射能《ほうしゃのう》、あるいは、魔物《まもの》が放《はな》つ瘴気《しょうき》のように、アップルパイが濃《こ》くなっていきます――それって、どんな状態《じょうたい》かって? 説明《せつめい》できませんよ。そんなこと、想像《そうぞう》したくもありません。私《わたし》だって、今日《きょう》も明日《あした》も、美味《おい》しくアップルパイを食《た》べたいのですから。


 ともあれ、どんどん危険《きけん》な状態《じょうたい》になりつつあります。参謀《さんぼう》は顔《こえ》をしかめて云《い》いました。


「これ以上《いじょう》は本当《ほんとう》に我々(われわれ)も持《も》ちませんよ。もう打《う》ち切《き》って、身《み》の安全《あんぜん》を確保《かくほ》しないと」

「いや、出来《でき》れば殿《との》にも会《あ》っておきたいし、この城《しろ》の要所《ようしょ》だけは巡《めぐ》って行《い》こう」

「……そうですか。では、もう一つ、アレを食《た》べていただきましょう」

「アレって――アレ?」


 参謀《さんぼう》はコクリと頷《うなず》き、今度《こんど》は全員《ぜんいん》の口《くち》に「アレ」を放《ほう》り込《こ》みました。


「ぐはぁ! からい!」

「くさい!」

「ひぃー!」


 もちろん、アレとはとンがらしのニンニク漬《づ》け……じゃなかった、ニンニクのとンがらし漬《づ》けでした。いやまあ、どっちでも大《たい》して違《ちが》いはありませんね。

 若殿様《わかとのさま》はかえって意識《いしき》を失《うしな》いそうになりましたが、そこはなんとか踏《ふ》ん張《ば》って、先《さき》へ進《すす》もうとしましたが――どっちへ?


「よし、あっちだ」

「いや、こっちじゃないですか」

「よく見《み》ろよ、そっちだ」

「えー、どっちだよ」


 足《あし》は迷走《めいそう》、目《め》は朦朧《もうろう》として、頭《あたま》は妄想《もうそう》、ニンニクのとンがらし漬《づ》けが流石《さすが》に効《き》き過《す》ぎたようです――いや、まだ、若殿様《わかとのさま》にはとっておきの助《たす》け船《ぶね》がありました。


 すとん――と、何者《なにもの》かが若殿様《わかとのさま》の肩《かた》に飛《と》び乗《の》りました。そう、あのちっちゃいニンジャが若殿様《わかとのさま》に追《お》いついたのです。そして、あっちです! と、アップルパイの壁《かべ》を指《ゆび》さしました。

 チビ助《すけ》、若殿様《わかとのさま》の指示《しじ》を待《ま》たずに、


「デカ助《すけ》、やれ!」

「どっせーい!」


 どどーん!


 デカ助《すけ》はその巨体《きょたい》に身《み》を任《まか》せ、見事《みごと》にアップルパイの壁《かべ》を吹《ふ》っ飛《と》ばします。


「よいしょー! どすこーい!」


 どどーん!

 どかーん!


 あの王女様《おうじょさま》がグルグルと迷《まよ》っていたアップルパイの迷宮《めいきゅう》を、一直線《いっちょくせん》に突《つ》っ切《き》っていきます。早《はや》い早《はや》い、あっという間《ま》に到達《とうたつ》しました。アップルパイの中枢《ちゅうすう》、お妃様《きさきさま》のお台所《だいどころ》に――。


(八《はち》)


 王女様《おうじょさま》はそこにいました。王女様《おうじょさま》は倒《たお》れていました。倒《たお》れ伏《ふ》した王女様《おうじょさま》のその先《さき》に、お妃様《きさきさま》が背《せ》を向《む》けて立《た》っていました。そして、尚《なお》もアップルパイを作《つく》り続《つづ》けていました。


 王女様《おうじょさま》は倒《たお》れたままでした。お妃様《きさきさま》は王女様《おうじょさま》に構《かま》ってはいません。無言《むごん》で、パイ生地《きじ》を長《なが》い長《なが》い麺棒《めんぼう》で伸《の》ばしています。薄《うす》く、薄《うす》く、引《ひ》き延《の》ばされた生地《きじ》を折《お》りたたみ、更《さら》に伸《の》ばして、パイ生地《きじ》を何層《なんそう》にも重《かさ》ねていくのです。そんな緻密《ちみつ》な作業《さぎょう》を経《へ》て、ようやくパイ生地《きじ》が仕上《しあ》がっていくのです。


 若殿様《わかとのさま》は、その光景《こうけい》をジッと眺《なが》めながら、ゆっくりと王女様《おうじょさま》と、そして、お妃様《きさきさま》に近《ちか》づいていきました。流石《さすが》の参謀《さんぼう》も何《なに》も云《い》いません。流石《さすが》のチビ助《すけ》も、勇《いさ》み立《た》って刀《かたな》を抜《ぬ》いたりしません。デカ助《すけ》は……何《なに》も判《わか》ってないのかもしれませんが、何《なに》も動《どう》じず、何《なに》か食《た》べたいとも云《い》いません。一同《いちどう》、身動《みうご》きができないほど、恐《おそ》ろしい光景《こうけい》でした。


 確《たし》かにそれは、とても恐《おそ》ろしい光景《こうけい》でした。パイを焼《や》くためのカマドは燃《も》えさかり、パイ生地《きじ》を伸《の》ばすお妃様《きさきさま》を赤《あか》く赤《あか》く照《て》らしてます。人《ひと》が倒《たお》れているというのに、ましてや、その人《ひと》が王女様《おうじょさま》であるというのにいっさい構《かま》わず、パイ生地《きじ》を伸《の》ばして、クリームを練《ね》り、リンゴを煮立《にた》てて、アップルパイを焼《や》き続《つづ》けているのです。その作業《さぎょう》に夢中《むちゅう》で王女様《おうじょさま》のことに気《き》づいていないのでしょうか。


 いえ、そうではありませんでした。既《すで》に気《き》づいていました。王女様《おうじょさま》はともかく、若殿様《わかとのさま》が、ここにやってきたことに。


「その腰《こし》の刀《かたな》で、私《わたし》を成敗《せいばい》しにきたのですか――小《ちい》さなお殿様《とのさま》?」


 と、仰《おっしゃ》いました。


 若殿様《わかとのさま》は既《すで》に、腰《こし》の刀《かたな》に手《て》をかけていました。いつでも、刀《かたな》を抜《ぬ》けるように。


「それは、あなた次第《しだい》です」


 若殿様《わかとのさま》は、そう答《こた》えました。


(九《きゅう》)


「ならば、心《こころ》してお答《こた》えしなくてはいけませんね。何《なに》をお聞《き》きになりたいのですか?」


 そう云《い》いながらも、お妃様《きさきさま》はパイ生地《きじ》作《づく》りを止《や》めようとしません。振《ふ》り向《む》かず、ひたすら麺棒《めんぼう》を振《ふ》るって、生地《きじ》を伸《の》ばし続《つづ》けます。

 若殿様《わかとのさま》は、例《たと》え若《わか》くとも立派《りっぱ》なサムライです。同《おな》じく若《わか》くとも、頼《たの》もしい家来《けらい》達《たち》を率《ひき》いています。そのサムライ達《たち》を相手《あいて》にまったく怯《おび》えることなく、背《せ》を向《む》けたまま、パイ生地《きじ》づくりを止《や》めようとしません。その姿《すがた》に、威厳《いげん》、風格《ふうかく》、気品《きひん》すら感《かん》じます。

 しかし、若殿様《わかとのさま》は別《べつ》なことを感《かん》じました。それは自分《じぶん》の母上《ははうえ》様《さま》のこと――台所《だいどころ》に立《た》って炊事《すいじ》をしている母親《ははおや》の後《うし》ろ姿《すがた》に、「ただいま」と云《い》いに来《き》たような、そんな穏《おだ》やかで暖《あたた》かい光景《こうけい》を思《おも》い浮《う》かべていたのでした。


(案外《あんがい》、悪《わる》い人《ひと》ではないのかもしれない)


 一瞬《いっしゅん》、若殿様《わかとのさま》はそう感《かん》じたのですが――王女様《おうじょさま》が倒《たお》れたままで、それはほったらかしなのです。

 お妃様《きさきさま》は、機先《きせん》を制《せい》して、尋《たず》ねられる前《まえ》に自分《じぶん》から仰《おっしゃ》いました。


「やはり、王女様《おうじょさま》は本当《ほんとう》に誇《ほこ》り高《たか》いお方《かた》なのですね。あくまでも、私《わたし》のアップルパイはお召《め》し上《あ》がりにならないのです」


 それを聞《き》いた若殿様《わかとのさま》は尋《たず》ねました。


「ならば、何故《なぜ》、手《て》を打《う》たないのです。助《たす》けようとしないのです。そもそも――」


 若殿様《わかとのさま》は顔《かお》を引《ひ》き締《し》め、そして厳《きび》しく問《と》いかけます。


「どうして、この王国《おうこく》をこんなふうにしてしまったのですか。もう、国《くに》として成《な》り立《た》たっていないし、お陰《かげ》で、我《わ》がサムライ帝国《ていこく》も――」

「こんなふうに?」


 お妃様《きさきさま》はようやく振《ふ》り向《む》いて、若殿様《わかとのさま》を遮《さえぎ》りました。


「この国《くに》は元々(もともと)、誇《ほこ》り高《たか》く、高貴《こうき》なお国柄《くにがら》でしたが――ご存《ぞん》じないですか? 私《わたし》が来《く》る前《まえ》の、前《まえ》のお妃様《きさきさま》は、その誇《ほこ》り高《たか》き故《ゆえ》に亡《な》くなられたことを。その誇《ほこ》り高《たか》きお国柄《くにがら》が、かえって災《わざわ》いであったことを」


「え……?」

「そして、あなた方《がた》のお国《くに》は、周囲《しゅうい》の国々(くにぐに)にとても恐《おそ》れられているのです。絶《た》え間《ま》なく戦争《せんそう》を続《つづ》ける恐《おそ》ろしい国《くに》だと」

「……」


 それを云《い》われると若殿様《わかとのさま》は何《なん》とも云《い》えなくなってしまいました。父親《ちちおや》であるお殿様《とのさま》なら何《なに》かを言《い》い返《かえ》したかもしれませんが、若殿様《わかとのさま》は戦《いくさ》がそれほど好《す》きなわけではないのです。

 お妃様《きさきさま》は話《はなし》を続《つづ》けます。


「かつて、この王国《おうこく》とも戦争《せんそう》をしたこともあったとか。両国《りょうこく》は疲弊《ひへい》して、大勢《おおぜい》の人《ひと》が戦死《せんし》して、それでも、どちらかの国《くに》が豊《ゆた》かになった訳《わけ》でもなく、何《なに》も良《よ》くならなかった」

「……」

「勇《いさ》ましいあなた方《がた》なら、今《いま》の有《あ》り様《さま》は良《よ》くないことかもしれませんね。でも、誰《だれ》かが死《し》ぬわけでもなく、みんなで仲《なか》良《よ》く、そして可愛《かわい》らしく甘《あま》いお菓子《かし》を作《つく》っている今《いま》の方《ほう》が、私《わたし》は好《す》きです」

「……そうかもしれない。でも、この王女様《おうじょさま》のことは? どうしても、あなたを受《う》け入《い》れられない相手《あいて》は……王女様《おうじょさま》は敵《てき》なんですか。そうして、倒《たお》れていることが良《よ》いことだとお思《おも》いですか」


 お妃様《きさきさま》はすぐには答《こた》えず、倒《たお》れている王女様《おうじょさま》をジッと眺《なが》めていました。その様子《ようす》は、なんと答《こた》えて良《よ》いのか、迷《まよ》っているようでした。

 それでも、お妃様《きさきさま》は頷《うなず》いて、答《こた》えました。


「敵《てき》と云《い》えば、そうですね――その通《とお》り。王女様《おうじょさま》は敵《てき》です。王女様《おうじょさま》の中《なか》にある、誇《ほこ》り高《たか》き気品《きひん》を砕《くだ》いてしまいたかった」


 お妃様《きさきさま》は王女様《おうじょさま》の側《そば》に寄《よ》り、跪《ひざまづ》いて、王女様《おうじょさま》を助《たす》け起《お》こしました。まだ、気《き》を失《うしな》ったままの王女様《おうじょさま》の髪《かみ》をそっと整《ととの》えながら。


「私《わたし》は意地悪《いじわる》な気持《きも》ちで、倒《たお》れる王女様《おうじょさま》の姿《すがた》を見《み》ていました。それでも――こうなってまでも、私《わたし》のアップルパイを食《た》べないのかと。私《わたし》は――」


 お妃様《きさきさま》は苦笑《にがわら》いで、悲《かな》しげに云《い》いました。


「私《わたし》は、悪《わる》いお妃様《きさきさま》ですね。あなたに成敗《せいばい》されても仕方《しかた》ない……新《あたら》しい母親《ははおや》になり損《そこ》ねた、悪《わる》い継母《ままはは》です」


 若殿様《わかとのさま》は何《なに》も云《い》わず、ジッと話《はなし》を聞《き》いていました。既《すで》に刀《かたな》から手《て》を離《はな》しており、もちろん、成敗《せいばい》するなどという素振《そぶ》りはありませんでした。


 お妃様《きさきさま》はしばらく、王女様《おうじょさま》の髪《かみ》を撫《な》でていましたが、改《あらた》めて若殿様《わかとのさま》に向《む》き直《なお》り、云《い》いました。


「この王女様《おうじょさま》のこと、お願《ねが》いできないでしょうか。私《わたし》はもう、お妃《きさき》にも、新《あたら》しい母親《ははおや》にもなれない、アップルパイを焼《や》き続《つづ》けるだけの女《おんな》です」


 若殿様《わかとのさま》はしばらく考《かんが》えていましたが、心《こころ》を決《き》めて、頷《うなず》きました。


「判《わか》りました。王女様《おうじょさま》が嫌《いや》だと仰《おっしゃ》らなければ、拙者《せっしゃ》がお預《あず》かり致《いた》します」

「ありがとうございます、お殿様《とのさま》」

「……ええっと」


 若殿様《わかとのさま》は振《ふ》り返《かえ》り、若《わか》サムライ達《たち》に頼《たの》んで王女様《おうじょさま》を運《はこ》ばせようと考《かんが》えますが、どうしたものか。相手《あいて》は何《なに》しろ王女様《おうじょさま》だし、どんな担《かつ》ぎ方《かた》をすればいいのか、ひと思案《しあん》が必要《ひつよう》です。力仕事《ちからしごと》なら、デカ助《すけ》一人《ひとり》で十分《じゅうぶん》ですが、王女様《おうじょさま》ほどの方《かた》をおんぶさせたり、肩《かた》に担《かつ》がせるのもどうかなぁ、などと悩《なや》むところですが――。


 ぴぃっ!


 かん高《だか》い指笛《ゆびぶえ》が響《ひび》きました。それはニンジャが使《つか》う掛《か》け声《ごえ》でした。

 すると、若殿様《わかとのさま》に仕《つか》えるちっちゃい方《ほう》ではなく、お殿様《とのさま》に仕《つか》えていた大人《おとな》のニンジャ達《たち》が、ひょいひょいと姿《すがた》を現《あらわ》したのです。五《ご》・六名《ろくめい》は居《い》たでしょうか。若殿様《わかとのさま》やちっちゃいニンジャが何《なに》も云《い》わずとも事情《じじょう》は判《わか》っているみたいで、長《なが》い布《ぬの》を広《ひろ》げて、いわゆるタンカを用意《ようい》しました。そして、王女様《おうじょさま》の体《からだ》を二人《ふたり》掛《が》かりでそっと乗《の》せようとした――丁度《ちょうど》、その時《とき》!


『さあみんな! この世《よ》はアップルパイだ!』


 また、あの声《こえ》です。地《ち》の底《そこ》から響《ひび》くようなその声《こえ》に驚《おどろ》き、一同《いちどう》はビクリと身体《からだ》を震《ふる》わせました。とはいえ、驚《おどろ》いたのは若殿様《わかとのさま》達《たち》だけです。もうお妃様《きさきさま》やニンジャ達《たち》は慣《な》れっこでしょう。


『さあ、アップルパイだ! 今日《きょう》もアップルパイ! 明日《あした》もアップルパイ! いつでもアップルパイ! 全《すべ》てがアップルパイなのだ! さあ、もう焼《や》けたか! まだ焼《や》けないか! 焼《や》いたら焼《や》け! 焼《や》けたら食《た》べろ! 食《た》べたらまた……』


 この声《こえ》の主《ぬし》はいったい誰《だれ》なのでしょう――若殿様《わかとのさま》は既《すで》に気付《きづ》いていました。その声《こえ》の主《ぬし》が誰《だれ》なのか。


 お妃様《きさきさま》は答《こた》えました。


「お父上《ちちうえ》は、玉座《ぎょくざ》の間《ま》です。ご案内《あんない》いたしましょう」


(十《じゅう》)


『アップルパイ! アップルパイ! アップルパイ! アップルパイ! アップルパぁーーーい!!』


 そんな風《ふう》に叫《さけ》んでいたのは、なんと、若殿様《わかとのさま》のお父上《ちちうえ》、お殿様《とのさま》だったのです。サムライ達《たち》を率《ひき》いていた手腕《しゅわん》で、今度《こんど》はアップルパイの陣頭指揮《じんとうしき》を執《と》っているのです。この国《くに》に戦《いくさ》をしかけたのは何《なん》のためだったのか、もう絶対《ぜったい》に忘《わす》れています。


 そこは玉座《ぎょくざ》の間《ま》でした。そこはお城《しろ》でもっとも大《おお》きな所《ところ》で、学校《がっこう》で云《い》えば体育館《たいいくかん》ぐらいはあるでしょうか。普段《ふだん》は、奥《おく》の玉座《ぎょくざ》に王様《おうさま》が座《すわ》り、それに向《む》かって赤《あか》くて長《なが》い絨毯《じゅうたん》が敷《し》かれています。その両側《りょうがわ》に大勢《おおぜい》の家臣《かしん》や騎士《きし》が居並《いなら》び、王様《おうさま》が客人《きゃくじん》を迎《むか》えて謁見《えっけん》する、お城《しろ》でもっとも格調《かくちょう》の高《たか》い場所《ばしょ》なのです――そう、普段《ふだん》なら。


 今《いま》では、アップルパイの材料《ざいりょう》が高《たか》く積《つ》みあがり、アップルパイを作《つく》るための道具《どうぐ》が散乱《さんらん》し、アップルパイを焼《や》く為《ため》の即席《そくせき》のカマドまで据《す》え置《お》かれて、もうもうと煙《けむり》が上《あ》がっています。もう、王国《おうこく》の格式《かくしき》なんて欠片《かけら》も残《のこ》っていません。そして何《なに》よりも、うず高《たか》く、山《やま》のように積《つ》み上《あ》げられたアップルパイ……もうなんだか、とても食《た》べ物《もの》には見《み》えないのですが。


 その玉座《ぎょくざ》の間《ま》では多《おお》くのサムライ(だった人《ひと》)や、王国《おうこく》の騎士《きし》(だった人《ひと》)が入《い》り交《ま》じり、一生懸命《いっしょうけんめい》にアップルパイを焼《や》いています。そう、一生懸命《いっしょうけんめい》にです。

 更《さら》に、その玉座《ぎょくざ》の間《ま》の中心《ちゅうしん》では、サムライ達《たち》が忠誠《ちゅうせい》を尽《つく》くすべき、若殿様《わかとのさま》の父親《ちちおや》であるお殿様《とのさま》の姿《すがた》がそこにありました。


 そのお殿様《とのさま》の姿《すがた》は、もうとても、お殿様《とのさま》などとは呼《よ》べない有様《ありさま》でした。鎧甲《よろいかぶと》は(当然《とうぜん》ながら)脱《ぬ》ぎ捨《す》てて、コックと同《おな》じ白《しろ》い服《ふく》と白《しろ》くて高《たか》い帽子《ぼうし》をかぶり、周囲《しゅうい》の武将《ぶしょう》やサムライ達《たち》と、この王国《おうこく》の大臣《だいじん》や召使《めしつか》いなどもひっくるめて、アップルパイを焼《や》く陣頭指揮《じんとうしき》を執《と》っているのです。周囲《しゅうい》に焼《や》きあがったアップルパイを高《たか》く積《つ》み上《あ》げ、叫《さけ》んでは食《た》べ、食《た》べては叫《さけ》び続《つづ》けているのです。


 その自分《じぶん》の父親《ちちおや》の姿《すがた》に、若殿様《わかとのさま》は唖然《あぜん》としました。背後《はいご》の参謀《さんぼう》を始《はじ》め、若《わか》サムライ達《たち》も同《おな》じです。ぽかんと口《くち》を空《あ》けたまま塞《ふさ》がりません。お殿様《とのさま》は、もう完全《かんぜん》におかしくなってしまったのでしょうか。

 その時《とき》、そのお殿様《とのさま》のすぐ脇《わき》の方《ほう》で声《こえ》がしました。「もういい加減《かげん》に黙《だま》らんか。騒々(そうぞう)しい」と――それは、この王国《おうこく》の王様《おうさま》でした。

 王様《おうさま》もまた、白《しろ》いコックの格好《かっこう》に身《み》を包《つつ》み、自《みずか》らの手《て》でアップルパイを作《つく》り続《つづ》けているのでした。お殿様《とのさま》は顔《かお》を真《ま》っ赤《か》にして云《い》い返《かえ》します。


「騒々(そうぞう)しいだと? 何事《なにごと》も気合《きあ》いだ! 気合《きあ》い損《そこ》なって、アップルパイが焼《や》けるものか!」

「では、あんたはアップルパイの何《なに》を知《し》っているというのだ? まったく――ほれ、焼《や》けたぞ。今度《こんど》こそ完璧《かんぺき》だ」

「むむ、焦《こ》げておるではないか」

「その焦《こ》げ具合《ぐあい》が良《い》いのだ」

「なんだと――(もぐもぐ)――やっぱり焦《こ》げてるだけではないか。ほれ、自分《じぶん》で食《く》って見《み》ろ」

「なにい? そんな筈《はず》は――」


 まったく酷《ひど》い有様《ありさま》です。大声《おおごえ》を張《は》り上《あ》げてみんなを叱咤《しった》するところは、多《おお》くのサムライ達《たち》を指揮《しき》していたお殿様《とのさま》の健在《けんざい》ぶりを物語《ものがた》っていると云《い》っても良《い》いかもしれません。しかし、その大声《おおごえ》と気合《きあ》いをアップルパイに振《ふ》り向《む》けられてはたまりません。もう既《すで》に夢中《むちゅう》だった両国《りょうこく》の家来達《けらいたち》は、尚更《なおさら》、無我夢中《むがむちゅう》でアップルパイを焼《や》き続《つづ》け、もはや止《や》めることも、休《やす》むことも許《ゆる》されなくなってしまいました。

 焼《や》いては食《た》べ、食《た》べたら焼《や》いて、倒《たお》れたら眠《ねむ》り、起《お》きたら食《た》べて、焼《や》いて、食《た》べて、焼《や》いて、食《た》べて、焼《や》いて食《た》べて焼《や》いて食《た》べて焼《や》いて食《た》べて焼《や》いて食《た》べて焼《や》いて食《た》べて……。


 唖然《あぜん》としてみている若殿様《わかとのさま》に、お妃様《きさきさま》は云《い》いました。


「酷《ひど》い有様《ありさま》かも知《し》れません。おサムライ様《さま》にとっては」

「確《たし》かにそうです。ですが――」


 若殿様《わかとのさま》は、ためらいながらも、認《みと》めました。


「これなら、戦《いくさ》にもならないし、殺《ころ》し合《あ》うこともない。両国《りょうこく》が殺《ころ》し合《あ》うこともなく、一《ひと》つのことに夢中《むちゅう》になっている」


 無論《むろん》、若殿様《わかとのさま》は不満《ふまん》が無《な》いわけではありません。死《し》に勝《まさ》る不幸《ふこう》は無《な》く、両国《りょうこく》の争《あらそ》いが止《や》むのならば、本当《ほんとう》に仕方《しかた》が無《な》いことなのでしょうか。


 サムライの誇《ほこ》りは? 騎士《きし》のプライドは?


(ただ、殺《ころ》し合《あ》うだけの伝統《でんとう》なら、損《そこ》なわれても良《い》いのでは無《な》いか?)


 そう、若殿様《わかとのさま》が考《かんが》え始《はじ》めた、その時《とき》です。今《いま》まで黙《だま》っていた参謀《さんぼう》が、前《まえ》に進《すす》み出《で》ました。

 そして、お妃様《きさきさま》に向《む》かい、云《い》いました。


「失礼《しつれい》、あなたはカンフー帝国《ていこく》の姫君《ひめぎみ》でしたね?」


第六章《だいろくしょう》 アップルパイ王国《おうこく》の崩壊《ほうかい》


(一《いち》)


 繰《く》り返《かえ》します。参謀《さんぼう》はお妃様《きさきさま》に向《む》かい、云《い》いました。


「失礼《しつれい》、あなたはカンフー帝国《ていこく》に姫君《ひめぎみ》でしたね。あの帝国《ていこく》から、新《あたら》しいお妃《きさき》として嫁入《よめい》りしたのは有名《ゆうめい》だ。ただ、気《き》になるのは――」


 お妃様《きさきさま》は、黙《だま》って、参謀《さんぼう》の云《い》うことを聞《き》いていました。参謀《さんぼう》は構《かま》わず、問《と》いつめます。


「あなたは、アップルパイを食《た》べていませんね? その変《か》わらぬ美《うつく》しさが物語《ものがた》っている。とても、アップルパイに夢中《むちゅう》とは思《おも》えない」


 お妃様《きさきさま》は落《お》ち着《つ》いて、「美《うつく》しいと誉《ほ》めていただいて恐縮《きょうしゅく》ですが」と前置《まえお》きしてから、言葉《ことば》を返《かえ》します。


「私《わたし》はただ、食《た》べるより焼《や》く方《ほう》が多《おお》いだけ。申《もう》し上《あ》げたはずです。私《わたし》はこの誇《ほこ》り高《たか》い王国《おうこく》で上手《うま》くやっていくため、夢中《むちゅう》でアップルパイを焼《や》くしかなかったのだと」

「では、あなたは何《なに》を食《た》べて生《い》きている?」


 いよいよ、参謀《さんぼう》は強《つよ》い口調《くちょう》で問《と》いつめます。


「あなたはそちらの王女様《おうじょさま》と違《ちが》って、いたって健康《けんこう》だ。見《み》ろ! 我《わ》が主君《しゅくん》の顔色《かおいろ》を! あなた方《がた》の国王《こくおう》の体《からだ》つきを! 既《すで》に異常《いじょう》が出始《ではじ》めていることが判《わか》らないか! お菓子《かし》だけを食《た》べて、人《ひと》が生《い》きていける筈《はず》がない!」

「……」

「あなたは意図的《いとてき》にみんなをアップルパイに狂《くる》わせたのだ! パイを食《た》べていない王女様《おうじょさま》に続《つづ》いて、あなたの王国《おうこく》の人々(ひとびと)も、例《たと》えすぐに死《し》にはしなくとも、いずれは病《やまい》で倒《たお》れていくだろう。人《ひと》は、肉《にく》も野菜《やさい》も食《た》べずして健康《けんこう》を保《たも》てない体《からだ》なのだ。みんなが夢中《むちゅう》になっているのを見下《みくだ》しながら、自分《じぶん》だけは健康《けんこう》な食生活《しょくせいかつ》を保《たも》ちつつ、王国《おうこく》を破滅《はめつ》に追《お》いやっていたのだろう――違《ちが》うか!」


 そう問《と》いつめられ、お妃様《きさきさま》は何《なに》も云《い》えなくなりました。いよいよ、参謀《さんぼう》は『王手《おうて》』を仕掛《しか》けました。


「全《すべ》てはあなた方《がた》、カンフー帝国《ていこく》の陰謀《いんぼう》だ! あなたを送《おく》り込《こ》んで、この王国《おうこく》と我々(われわれ)のサムライ帝国《ていこく》、双方《そうほう》を骨抜《ほねぬ》きにする計画《けいかく》だ! 既《すで》にカンフー帝国《ていこく》の兵《へい》が、我《わ》がサムライ帝国《ていこく》に攻《せ》め込《こ》もうとしていることは知《し》っている。全《すべ》てはそのお膳立《ぜんだ》てだったのだ」

「それは……」

「さあ、答《こた》えなさい。アップルパイに夢中《むちゅう》になっていると云《い》いながら、たった一人《ひとり》だけ、尚《なお》も健康《けんこう》と美《うつく》しさを保《たも》っているあなたは、いったい何《なに》を食《た》べて生《い》きているのだ!」


「ワシからの仕送《しおく》りじゃよ」


 お妃様《きさきさま》が答《こた》えるより先《さき》に、別《べつ》の声《こえ》が背後《はいご》から聞《き》こえてきました。それは年老《としお》いた老人《ろうじん》の声《こえ》でした。


「お初《はつ》にお目《め》にかかる。ワシはカンフー帝国《ていこく》の皇帝《こうてい》――つまり、お前《まえ》さん方《がた》の宿敵《しゅくてき》の、その親玉《おやだま》じゃよ」


 そう、名乗《なの》りを上《あ》げました。


(二《に》)


 若殿様《わかとのさま》達《たち》はすっかり取《と》り囲《かこ》まれていました。若殿様《わかとのさま》達《たち》が話《はなし》をしている隙《すき》に、大勢《おおぜい》のカンフー帝国《ていこく》の兵士《へいし》達《たち》が侵入《しんにゅう》して、若殿様《わかとのさま》達《たち》だけでなく、サムライや騎士《きし》、お殿様《とのさま》や王様達《おうさまたち》を、ぐるりと取《と》り囲《かこ》んでいたのです。こちらは誰《だれ》も武器《ぶき》を持《も》っておらず、パイ生地《きじ》を伸《の》ばす麺棒《めんぼう》や、リンゴの皮《かわ》を剥《む》くナイフでは戦《たたか》いようもありません。サムライや騎士達《きしたち》は戦《たたか》うこともできず、両手《りょうて》を上《あ》げて降参《こうさん》する他《ほか》はありませんでした。


(サムライ帝国《ていこく》に攻《せ》め込もうとしていた筈《はず》では?)


 若殿様《わかとのさま》は、そう疑問《ぎもん》に思《おも》ったのですが、その疑問《ぎもん》を解消《かいしょう》する余地《よち》はありません。敵《てき》に囲《かこ》まれている大変《たいへん》な事態《じたい》です。


 勝利者《しょうりしゃ》は余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)、皇帝《こうてい》と名乗《なの》った老人《ろうじん》は、「ちょっと座《すわ》らせてもらうよ。どっこいしょ」と云《い》って、王様《おうさま》が座《すわ》るはずの玉座《ぎょくざ》に、悠々(ゆうゆう)と座《すわ》り込《こ》んでしまいました。

 そして若殿様《わかとのさま》の家来《けらい》である、参謀《さんぼう》に向《む》かって云《い》いました。


「お前《まえ》さんの見方《みかた》は正《ただ》しい。じゃが、『王手《おうて》』をかける相手《あいて》が違《ちが》ったな。そのお妃《きさき》であるワシの孫娘《まごむすめ》は、ワシの『手駒《てごま》』にすぎん。『手駒《てごま》』にとって、計略《けいりゃく》や陰謀《いんぼう》など知《し》ったこっちゃ無《な》いよ。しかも――」


 皇帝《こうてい》は、王様《おうさま》とお殿様《とのさま》を見《み》て、ニヤリと笑《わら》いました。


「もうすでに、ワシの打《う》つ手《う》で『詰《つ》み』が完成《かんせい》しておる。時《とき》、既《すで》に遅《おそ》しじゃ。ふふっ……あっはっはっはっは」


 更《さら》に、皇帝《こうてい》陛下《へいか》は大笑《おおわら》いしたのですが――、


「なんちゃってな。そんな訳《わけ》がなかろう」


 と、舌《した》をぺろり。若殿様《わかとのさま》は「え?」と首《くび》を傾《かし》げました。


(ちなみに、『王手《おうて》』や『手駒《てごま》』、『詰《つ》み』というのは、将棋《しょうぎ》に使《つか》われている言葉《ことば》です。ここでは解説《かいせつ》はしませんが、ご存《ぞん》じない方《かた》は、是非《ぜひ》ともルールを覚《おぼ》えて遊《あそ》んでみてください)


(三《さん》)


 若殿様《わかとのさま》は尋《たず》ねました。


「初《はじ》めから、この王国《おうこく》や我《わ》がサムライ帝国《ていこく》を征服《せいふく》するつもりではなかったと云《い》うのですか」

「ああ、その通《とお》りだとも。ワシの孫娘《まごむすめ》をこの王国《おうこく》に嫁《よめ》に出《だ》したのも、その孫娘《まごむすめ》がお菓子《かし》が好《す》きだったのも、何《なん》の考《かんが》えも企《たくら》みもなかったのじゃ」


 皇帝《こうてい》は手招《てまね》きをします。その側《そば》にお妃様《きさきさま》は近《ちか》づき、「お久《ひさ》しぶりです、お爺様《じいさま》」とお辞儀《じぎ》をしました。皇帝《こうてい》は話《はなし》を続《つづ》けます。


「孫娘《まごむすめ》は悩《なや》んでおってな。この王国《おうこく》で上手《うま》くやっていくにはどうすれば良《よ》いだろう、とな」

「それが、アップルパイであったと?」

「そうじゃ。特《とく》に企《たくら》んでいた訳《わけ》ではないよ。考《かんが》えてみよ、普通《ふつう》のお菓子《かし》を普通《ふつう》に作《つく》って、それがここまで国《くに》を狂《くる》わせるなどと、誰《だれ》が思《おも》う? 恐《おそ》らく、人《ひと》の意識《いしき》が渦巻《うずま》いて、怒濤《どとう》のように流《なが》れてしまうのも、歴史上《れきしじょう》、珍《めずら》しいことではない。民衆《みんしゅう》の起《お》こす『革命《かくめい》』や、お前《まえ》さんところでいう『百姓一揆《ひゃくしょういっき》』も、そういうものじゃろう」

「はあ……そういうものですか」

「無論《むろん》、流行《はやら》らせようという意識《いしき》は、孫娘《まごむすめ》にあったのじゃろう。少々(しょうしょう)、やり過《す》ぎたと思《おも》うがな。革命《かくめい》の扇動《せんどう》は時《とき》に人々(ひとびと)から疑《うたが》われ、懸念《けねん》の目《め》を向《む》けられるが、お菓子《かし》なら警戒《けいかい》されない」

「……成《な》る程《ほど》」

「そして、この王国《おうこく》は狂《くる》いだし、そこに、お主《ぬし》らの国《くに》が食《く》いついた。お主《ぬし》らさえ、この国《くに》に手出《てだ》しをしなかったら、こんな有《あ》り様《さま》にはならなかっただろうよ」

「どうして、そう思《おも》うのです?」

「如何《いか》にアップルパイというものが旨《うま》いお菓子《かし》だとしても、いずれは誰《だれ》だって食《く》い飽《あ》きるし、そっちの若《わか》いのが云《い》った通《とお》り、健康《けんこう》を害《がい》して、もっとまともな食事《しょくじ》をしなければならなくなる。こんなものは、一時的《いちじてき》な流行《りゅうこう》にすぎん」


 それを聞《き》いた参謀《さんぼう》は、自分《じぶん》の意見《いけん》を拾《ひろ》われたことに喜《よろこ》ぶわけでもないのですが、腕組《うでぐ》みをして頷《うなず》いています。意見《いけん》が一致《いっち》しているといった様子《ようす》です。

 そして、参謀《さんぼう》は口《くち》を挟《はさ》みました。


「では、一時的《いちじてき》な現象《げんしょう》で、いずれは収束《しゅうそく》する筈《はず》であったと?」

「ああ、その通《とお》りだとも。我《わ》がカンフー帝国《ていこく》の古《ふる》い歴史《れきし》の中《なか》でも似《に》たようなことがあったし、意図的《いとてき》に起《お》こすことも可能《かのう》で、その手法《しゅほう》を孫娘《まごむすめ》が使《つか》っただけじゃ。そして、その効果《こうか》はいずれ消《き》えていくはずじゃった――しかし」

「しかし?」

「お主《ぬし》らが食《く》いついて、そうさせなかったのじゃ。しかも国《くに》の存亡《そんぼう》という大層《たいそう》な話《はなし》にしてしまったために、尚更《なおさら》この国《くに》を狂《くる》わせ、お主《ぬし》らの国《くに》をも食《く》らい尽《つ》くしてしまったのじゃよ――まあ、お陰《かげ》でワシらは、大《たい》した苦労《くろう》もせずに両国《りょうこく》まとめて征服《せいふく》できたのじゃがな」


「やはり……父上《ちちうえ》が二《ふた》つ目《め》の小石《こいし》であったのか」


 ぼそりと、若殿様《わかとのさま》は呟《つぶや》きました。少《すこ》し肩《かた》を落《お》としながら。

 云《い》い方《かた》は悪《わる》いのですが、「自分《じぶん》の手《て》で、自分《じぶん》の墓穴《ぼけつ》を掘《ほ》った」と云《い》えなくもない結果《けっか》です。しかも、若殿様《わかとのさま》は前《まえ》からその予感《よかん》をしていただけに、悔《くや》しくて仕方《しかた》がないようです。


 そんな若殿様《わかとのさま》を皇帝陛下《こうていへいか》はなだめました。


「人《ひと》を殺《ころ》すのは刃物《はもの》ではなく、刃物《はもの》を持《も》った者《もの》の仕業《しわざ》じゃ。征服《せいふく》したのは、このワシじゃよ――もっとも、このアップルパイ騒《さわ》ぎを利用《りよう》したのはワシじゃが、ワシが企《たくら》んだわけではない。こんな風《ふう》になれば良《よ》いとは思《おも》ってはいたがな」

「――え?」


 「そんな風《ふう》になれば良《い》いな」というのは、以前《いぜん》、若殿様《わかとのさま》自身《じしん》が使《つか》った言《い》い回《まわ》しです。この王国《おうこく》に攻《せ》め入《い》る前《まえ》に挑戦状《ちょうせんじょう》を勧《すす》めた時《とき》にも、そんな風《ふう》に考《かんが》えていました。


(この皇帝《こうてい》は、うちの爺様《じいさま》に似《に》ている。僕《ぼく》はこの爺《じい》さんを好《す》きになれるかも知《し》れない)


 敵《てき》であるはずの相手《あいて》でしたが、若殿様《わかとのさま》はそんな風《ふう》に思《おも》いました。

 しかし、油断《ゆだん》はできません。この現場《げんば》で自分達《じぶんたち》の将来《しょうらい》やサムライ帝国《ていこく》の行《ゆ》く末《すえ》がかかっているかもしれないのです。

 ただし、もう時《とき》は遅《おそ》すぎました。


 さて、考察《こうさつ》はここまで。皇帝《こうてい》は改《あらた》めて、実質的《じっしつてき》な話《はなし》を始《はじ》めました。


「さて、この王国《おうこく》はもうワシの支配下《しはいか》にある。といって、国民《こくみん》や兵士《へいし》達《たち》のほとんどは気《き》づいておらんかもしれんがな。お前《まえ》さんのサムライ帝国《ていこく》も同《おな》じじゃよ。もうすっかり征服《せいふく》しておる」


 若殿様《わかとのさま》は一瞬《いっしゅん》、顔《かお》が青《あお》くなりました。本国《ほんごく》の城《しろ》に残《のこ》っている留守番組《るすばんぐみ》の武将《ぶしょう》やサムライ達《たち》はどうなったのかと――皇帝《こうてい》はすぐに察《さっ》して、云《い》いました。


「お前《まえ》さん方《がた》の城《しろ》で幾《いく》らかのサムライ共《ども》が頑張《がんば》っているがな。戦《たたか》いにはなっておらぬし、ワシの兵隊《へいたい》共《ども》にも、抵抗《ていこう》がなければ手《て》を出《だ》すなと云《い》ってある。ただし――」

「ただし?」


 ここで初《はじ》めて、皇帝《こうてい》は皇帝《こうてい》らしい、厳《きび》しい顔《かお》つきをしました。若殿様《わかとのさま》をギラリと睨《にら》みつけます。


「そこから、逃《に》げることだけは許《ゆる》す。戦《たたか》うというのなら容赦《ようしゃ》はせぬぞ」

「ぐっ……」


 若殿様《わかとのさま》は拳《こぶし》を握《にぎ》り、思《おも》わず顔《かお》をしかめました。しかし、こうなっては是非《ぜひ》もありません。皇帝《こうてい》は厳《きび》しく云《い》います。


「城《しろ》を明《あ》け渡《わた》せ。ワシがこの王国《おうこく》と一緒《いっしょ》にまとめて面倒《めんどう》を見《み》てやる――面倒《めんどう》といえば、本当《ほんとう》に面倒《めんどう》くさいことじゃ」

「面倒《めんどう》くさい?」

「ああ、面倒《めんどう》じゃし、我《わ》がカンフー帝国《ていこく》には余計《よけい》な出費《しゅっぴ》じゃよ。お前《まえ》さん方《がた》を征服《せいふく》したら、お前《まえ》さん方《がた》に飯《めし》を食《く》わせて面倒《めんどう》を見《み》てやらねばならんからのう」

「ああ、成《な》る程《ほど》」

「しかし、尖《とが》った性格《せいかく》のサムライ共《ども》が、食《く》うや食《く》わずで辺《あた》りの国々(くにぐに)に攻《せ》め込《こ》んでおるとなれば――我《わ》が帝国《ていこく》はどうってことはないが、他《ほか》の小《ちい》さい国々(くにぐに)から泣《な》きつかれては、放《ほう》っておけなくなってのう」

「……」


 『カンフー帝国《ていこく》は攻《せ》めてこない』という若殿様《わかとのさま》の予測《よそく》は遠《とお》からず当《あた》たっていた訳《わけ》ですが、もう少《すこ》し広《ひろ》い情勢《じょうせい》を見《み》るべきでした。そんな風《ふう》に、若殿様《わかとのさま》は考《かんが》えていました。

 そんな若殿様《わかとのさま》をなだめるように、皇帝《こうてい》陛下《へいか》は、少《すこ》し優《やさ》しい口調《くちょう》になって云《い》いました。


「なあに、我《わ》が帝国《ていこく》は大《おお》きい。お前《まえ》さん方《がた》の国《くに》も食《く》うや食《く》わずで困《こま》っておったのじゃろう? おまけにサムライ共《ども》は、人《ひと》に頼《たよ》れば弱《よわ》みを掴《つか》まれると、向《む》こう意地《いじ》を張《は》ってきかない」

「……そうですね。サムライの、どうしようもないところです」

「ふむ――それでは、この王国《おうこく》とお前《まえ》さんの国《くに》は、我《わ》がカンフー帝国《ていこく》が支配《しはい》する。もう、両国《りょうこく》とも、この世《よ》から無《な》くなったのじゃ」



 再《ふたた》び、皇帝《こうてい》の目《め》はギラリと光《ひか》り、若殿様《わかとのさま》を睨《にら》みつけました。さあ、結論《けつろん》を出《だ》さなくてはなりません。


「お前《まえ》さんはどうする? 降伏《こうふく》か、戦《たたか》うか。それとも、逃《に》げるか」


(四《よん》)


 降伏《こうふく》するか、戦《たたか》うか、それとも、逃《に》げるか。


 しばらく、若殿様《わかとのさま》は間《ま》をおきましたが、迷《まよ》い無《な》く、答《こた》えました。


「逃《に》げます。逃《に》げて――そして、再起《さいき》を図《はか》ります」


 そう力強《ちからづよ》く答《こた》えました。背後《はいご》の若《わか》サムライ達《たち》も強《つよ》くうなづいて、そうだ! と握《にぎ》り拳《こぶし》を固《かた》めます。


 まだ若《わか》くとも立派《りっぱ》なサムライ達《たち》です。ここに強《つよ》く結束《けっそく》しました。

 その様子《ようす》に、皇帝《こうてい》は微笑《ほほえ》んで、


「よかろう。お前《まえ》さん達《たち》は既《すで》に、どうしようもない立派《りっぱ》なサムライ達《たち》という訳《わけ》じゃ。よきかな、よきかな」


 そして、このまま別《わか》れることとなりました。この国《くに》から退散《てったい》しますが、本国《ほんごく》であるサムライ帝国《ていこく》に戻《もど》ることもできません。しかし、立派《りっぱ》な家来《けらい》達《たち》も居《い》ることですから、何《なに》も恐《おそ》れることはありません。何事《なにごと》も恐《おそ》れず、将来《しょうらい》に向《む》けて進《すす》まなくてはなりません。


 取《と》り囲《かこ》んでいたカンフー帝国《ていこく》の兵士《へいし》達《たち》は、若殿様《わかとのさま》達《たち》の為《ため》に道《みち》をあけました。そして、若殿様《わかとのさま》が去《さ》れば、閉《と》ざされるのでしょう。そして父親《ちちおや》である、お殿様《とのさま》は捕《と》らえられたまま。


 お殿様《とのさま》は夢中《むちゅう》になっていたアップルパイを取《と》り上《あ》げられ、取《と》り囲《かこ》まれて、何《なに》が何《なん》だか判《わか》らなくなったようで、ぼんやりとしていました。


 息子《むすこ》として、若殿様《わかとのさま》は声《こえ》をかけるべきでしょうが、あのお殿様《とのさま》の様子《ようす》では、なんだか声《こえ》をかけづらくなってしまいました。これまで、力強《ちからづよ》く国《くに》を統治《とうち》していた父親《ちちおや》があんな有《あ》り様《さま》なのです。きっと、お殿様《とのさま》も合《あ》わせる顔《かお》が無《な》いでしょう――正気《しょうき》に返《かえ》れば、ですが。


そして皇帝《こうてい》からも、お殿様《とのさま》に近《ちか》づくことは許《ゆる》されませんでした。「後《うし》ろに未練《みれん》を残《のこ》すな。さっさと行《い》け」と、強《つよ》く促《うなが》されながら。


 ただ、立《た》ち去《さ》る最後《さいご》に、あのお妃様《きさきさま》から呼《よ》び止《と》められました。


「王女様《おうじょさま》のこと、よろしくお願《ねが》いします。それから――これを」


 と、何《なに》やら袋《ふくろ》に入《はい》ったものを手渡《てわた》されました。若殿様《わかとのさま》が、何《なん》でしょう、と首《くび》を傾《かし》げると、お妃様《きさきさま》は答《こた》えました。


「私《わたし》がアップルパイを焼《や》きながら食《た》べていたものです。お菓子《かし》が大《だい》好《す》きだけど、どうしても欠《か》かすことが出来《でき》なかった故郷《こきょう》の味《あじ》――それは、ギョーザです。お肉《にく》やお野菜《やさい》を包《つつ》んだお料理《りょうり》で、とっても美味《おい》しいですよ」


最終章《さいしゅうしょう》 新《あら》たな王国《おうこく》へ


(一《いち》)


(だめよ……だめ……)


(だめよ……私《わたし》は……私《わたし》は……)


(私《わたし》は……甘《あま》い物《もの》が苦手《にがて》なのよ……っ!)


(いやああああああ……っ!!)


「はっ」


 王女様《おうじょさま》は目《め》を覚《さ》ましました。そして、辺《あた》りを見渡《みわた》そうとします。でも、体《からだ》が云《い》うことを聞《き》かず、起《お》きることもままなりません。

 見上《みあ》げた天井《てんじょう》は見慣《みな》れない造《つく》りで、辺《あた》りには、竹《たけ》で編《あ》んだザルや素焼《すや》きの壷《つぼ》など、粗末《そまつ》な生活品《せいかつひん》で充満《じゅうまん》しています。そして、自分《じぶん》が横《よこ》たわっているのはベッドではなく、つぎはぎだらけの薄《うす》いお布団《ふとん》でした。

 更《さら》に、自分《じぶん》が見慣《みな》れない服《ふく》を着《き》ていることに気《き》がつきました。綺麗《きれい》で華《はな》やかな色合《いろあ》いの布地《ぬのじ》で、それを帯《おび》で締《し》めた、キモノというサムライ帝国《ていこく》の衣装《いしょう》でした。


 ふと、一人《ひとり》の小《ちい》さな女《おんな》の子《こ》に顔《かお》を覗《のぞ》き込《こ》まれていることに気《き》がつきました。その女《おんな》の子《こ》は、同《おな》じ様《よう》なキモノを着《き》ていました。


 王女様《おうじょさま》が目《め》を覚《さ》ましたことが嬉《うれ》しいのか、ニコニコしながら王女様《おうじょさま》を助《たす》け起《お》こしました。どうやら、ずっと看病《かんびょう》してくれていたようで、傍《かたわ》らに水《みず》の入《はい》った桶《おけ》と絞《しぼ》った手拭《てぬぐ》いが置《お》いてあります。そして、お茶《ちゃ》を煎《い》れた湯飲《ゆの》み茶碗《じゃわん》を、王女様《おうじょさま》に手渡《てわた》しました。


 驚《おどろ》いたのは、次《つぎ》の瞬間《しゅんかん》です。女《おんな》の子《こ》は、ぴゅっと飛《と》び跳《は》ね、どこかに消《き》えてしまったのです。


「……?」


 王女様《おうじょさま》は首《くび》を傾《かしげ》げながら、お茶《ちゃ》を一口《ひとくち》。美味《おい》しいお茶《ちゃ》でしたが――。


「か、からい!」


(二《に》)


「からいか」

「うむ、からい」

「いや、からくない」

「まだ、からくないぞ」

「よし、とンがらしを」

「もっと、とンがらしを」


 そんなことを云《い》い合《あ》いながら、若者《わかもの》達《たち》がとンがらし漬《づ》けを漬《つ》けているのです。いったい、何《なに》を漬《つ》けているのでしょう。白菜《はくさい》でしょうか。大根《だいこん》でしょうか。それとも……ニンニク?


 その横《よこ》を、ちっちゃな女《おんな》の子《こ》はぴゅーっと駆《か》け抜《ぬ》けていきました。やがて、聞《き》こえてきました。ざざん……ざざん……という波《なみ》の音《おと》が。

 そこは、キムチ王国《おうこく》の漁村《ぎょそん》でした。そして、その女《おんな》の子《こ》は黒装束《くろしょうぞく》を脱《ぬ》いだ、あのちっちゃいニンジャだったのです。


 そして目指《めざ》すは新《あたら》しい主君《しゅくん》、若殿様《わかとのさま》の元《もと》へ――。


(三《さん》)


「では、若《わか》の爺様《じいさま》というのは漁師《りょうし》だったのですか」

「そうなんだ。僕《ぼく》の母上《ははうえ》は元々(もともと)漁師《りょうし》の娘《むすめ》で、サムライの家系《かけい》じゃなかったんだよ。たまたま、父上《ちちうえ》が漁村《ぎょそん》に視察《しさつ》で来《き》たときに見初《みそ》められてね」


 そんなことを話《はな》しているのは、沖合《おきあい》まで小舟《こぶね》を出《だ》して海釣《うみづ》りをしている若殿様《わかとのさま》と参謀《さんぼう》でした。


「それで、若《わか》は海《うみ》にお詳《くわ》しいのですね」

「よく、母上《ははうえ》に連《つ》れられて里帰《さとがえ》りしていたからね。爺様《じいさま》とこうして、同《おな》じように釣《つ》りをしながら、いろんなことを教《おそ》わったものだよ」

「へええ……でも、漁師《りょうし》のお爺様《じいさま》が戦《いくさ》のことまで、よくお判《わか》りですね」

「ああ、物事《ものごと》は何《なん》でも同《おな》じだと、それはそれでお説教《せっきょう》されたよ」

「はあ、そういうものですか」

「聞《き》かされるうちはうんざりしていたけどね。だんだん大人《おとな》になってくると、意外《いがい》と役《やく》に立《た》つことが多《おお》くて……おお!」


 若殿様《わかとのさま》の釣《つ》り竿《ざお》がぐいぐい引《ひ》いています。これは大《おお》きい! 二人《ふたり》はすったもんだの末《すえ》に、


「やった! 若《わか》、やりましたね! 鯛《たい》じゃないですか!」

「よおーし、これは幸先《さいさき》がいいぞ!」

「若《わか》、どうします? 塩焼《しおや》きですか?」

「いやあ、釣《つ》ったばかりの鯛《たい》は、すぐにお刺身《さしみ》にしたほうが」


 と、楽《たの》しい議論《ぎろん》の最中《さなか》に、遠《とお》くの海岸《かいがん》から、波《なみ》の上《うえ》をぴょいぴょいと飛《と》び跳《は》ねてくる者《もの》が居《い》ます。そうです、あのちっちゃいニンジャです。


「若《わか》、どうやら王女様《おうじょさま》がお目覚《めざ》めのようですね」

「ああ、さっそくこの鯛《たい》を食《く》わせてやろう。お粥《かゆ》に刺身《さしみ》をいれたら、生煮《なまに》えになって旨《うま》いんだ」


(四《よん》)


「私《わたし》のお母様《かあさま》は、病気《びょうき》で死《し》んだの」


 王女様《おうじょさま》はゆっくりと話《はな》し始《はじ》めました。若殿様《わかとのさま》が作《つく》ってくれた、鯛《たい》入《い》りのお粥《かゆ》を何杯《なんばい》かおかわりして、お腹《なか》が満《み》たされて気持《きも》ちも解《ほぐ》れてきたのでしょう。


「どんな病気《びょうき》だかよく知《し》らないけど……お母様《かあさま》は助《たす》からなかった。なぜだか判《わか》る? お医者様《いしゃさま》に見《み》せるのが嫌《いや》だったの。とても気位《きぐらい》の高《たか》い人《ひと》だったから、身分《みぶん》の低《ひく》い医者《いしゃ》なんかに体《からだ》を触《ふれ》られたくないって。それでは、お医者様《いしゃさま》もどんな病気《びょうき》だか判《わか》らず、どんなお薬《くすり》を用意《ようい》してよいかも判《わか》らなくて」

「ああ、前《まえ》のお妃様《きさきさま》のことは、少《すこ》し話《はなし》を聞《き》いてはいたが――ちょ、ちょっと婆《ばあ》さん。もう、とンがらしは入《い》れないでくれ。僕達《ぼくたち》には十分《じゅうぶん》からいから」


 若殿様《わかとのさま》は、お婆《ばあ》さんがとンがらしで山盛《やまも》りになっている籠《かご》を抱《かか》えて、お鍋《なべ》に流《なが》し込《こ》もうとしているのを慌《あわ》てて引《ひ》き留《と》めました。お婆《ばあ》さんは、からさが足《た》りないんじゃないかと不安《ふあん》で仕方《しかた》がないようです。いや、良《い》い人《ひと》なんですよ? お客様《きゃくさま》を、とても気遣《きづか》ってのことなんです。

 ここはキムチ王国《おうこく》の片隅《かたすみ》の漁村《ぎょそん》で、若殿様《わかとのさま》達《たち》はそこでご厄介《やっかい》になっていました。ちなみに、あの漁船《ぎょせん》が取《と》り囲《かこ》まれていた事件《じけん》の時《とき》の、軍艦《ぐんかん》の艦長《かんちょう》の紹介《しょうかい》でした。「いやあ、大変《たいへん》なことになりましたなあ」と心配《しんぱい》し、若殿様《わかとのさま》と知《し》り合《あ》ったのも一《ひと》つの縁《えん》と、何《なに》かと手助《てだす》けを申《もう》し出《で》てくれたのです。


 王女様《おうじょさま》はそのお婆《ばあ》さんの様子《ようす》を微笑《ほほえ》ましく思《おも》いながら、話《はなし》を続《つづ》けました。



「私《わたし》はそうでもないと思《おも》っていたの。お父様《とうさま》は割《わり》とおおざっぱな人《ひと》だから――でも、あくまでもアップルパイを食《た》べなかった自分《じぶん》のことを思《おも》い返《かえ》すと、ああ、やっぱりお母様《かあさま》の娘《むすめ》なんだなって」

「判《わか》らないさ。人《ひと》は変《か》わるものだと――」

「また、爺様《じいさま》ですか?」


 と、ここで参謀《さんぼう》が口《くち》を挟《はさ》みましたが、今度《こんど》は違《ちが》ったようです。若殿様《わかとのさま》は苦笑《にがわら》いで首《くび》を振《ふ》り、


「いや、僕《ぼく》だよ。戦一本槍《いくさいっぽんやり》の僕《ぼく》の父上《ちちうえ》があんな風《ふう》になるなんて、誰《だれ》が想像《そうぞう》しただろう」

「まったくです――お、帰《かえ》ってきましたよ」

「おーい、今《いま》、戻《もど》ったぞー!」


 と、元気《げんき》イッパイにやってきたのは、チビ助《すけ》にデカ助《すけ》です。といっても、デカ助《すけ》の方《ほう》は相変《あいか》わらず呆然《ぼうぜん》としてますが。

 若殿様《わかとのさま》は立《た》ち上《あ》がり、出迎《でむか》えました。


「やあ、成果《せいか》はどうだい?」

「豚肉《ぶたにく》に鶏肉《とりにく》、野菜《やさい》は白菜《はくさい》、人参《にんじん》、椎茸《しいたけ》、えのき茸《だけ》、お葱《ねぎ》に生姜《しょうが》――若《わか》の方《ほう》は?」

「おう、僕《ぼく》もたくさん釣《つ》ったし、あの艦長《かんちょう》がずいぶん分《わ》けてくれたよ。よーし、今日《きょう》は寄《よ》せ鍋《なべ》だな」


 後《うし》ろで聞《き》いていた王女様《おうじょさま》は、沢山《たくさん》の食材《しょくざい》を耳《みみ》にして、早《はや》くも胸《むね》を躍《おど》らせましたが――はて、寄《よ》せ鍋《なべ》って何《なん》だろうと、小首《こくび》を傾《かし》げています。

 若殿様《わかとのさま》は笑《わら》って答《こた》えました。


「大《おお》きなお鍋《なべ》で何《なん》でもかんでも煮込《にこ》んで、好《す》きな物《もの》を好《す》きなだけ食《た》べる鍋《なべ》料理《りょうり》だよ――そうだ、僕達《ぼくたち》も寄《よ》せ鍋《なべ》で行《い》こう。いろんな顔《かお》をした僕達《ぼくたち》だけど、一《ひと》つの鍋《なべ》でグツグツ煮込《にこ》めば、必《かなら》ず上手《うま》くやっていけるさ」


 若殿様《わかとのさま》は高《たか》らかに宣言《せんげん》しました。


「さあ、寄《よ》せ鍋《なべ》王国《おうこく》の誕生《たんじょう》だ!」


(五《ご》)


 さっそく、みんなは建国《けんこく》に取《と》りかかりました。


 若殿様《わかとのさま》は大《おお》きな魚《さかな》も小《ちい》さな魚《さかな》も、そして参謀《さんぼう》は鶏肉《とりにく》や豚肉《ぶたにく》を上手《じょうず》に捌《さば》いていきます。その隣《となり》で、(今度《こんど》は刀《かたな》から包丁《ほうちょう》に持《も》ち替《か》えて)白菜《はくさい》や人参《にんじん》、お野菜《やさい》ばかりをサクサクと切《き》り刻《きざ》みます。デカ助《すけ》は大《おお》きな大《おお》きなお鍋《なべ》をガシガシとたわしで洗《あら》っています――そう、お鍋《なべ》は小《ちい》さくては間《ま》に合《あ》いません。


 やがて、大勢《おおぜい》のサムライ達《たち》が到着《とうちゃく》したのです。ナイト王国《おうこく》と共《とも》に崩壊《ほうかい》してしまったサムライ帝国《ていこく》の留守番組《るすばんぐみ》です。大勢《おおぜい》といっても、サムライ全体《ぜんたい》から見《み》ればほんの一部《いちぶ》ですが、新《あら》たに若殿様《わかとのさま》に仕《つか》える決意《けつい》の元《もと》に集《あつ》まりました。

 実《じつ》のところ、あの王国《おうこく》でのお殿様《とのさま》の顛末《てんまつ》について、みんなは知《し》らなかったので、説明《せつめい》が大変《たいへん》でした。とはいえ、お殿様《とのさま》やサムライ達《たち》の大半《たいはん》が捕《つか》まり、カンフー帝国《ていこく》の大軍《たいぐん》に取《と》り囲《かこ》まれたとあっては是非《ぜひ》もありません。


 そして、あのニンジャ達《たち》も集《あつ》まりました。ニンジャについては一悶着《ひともんちゃく》がありました。

 それは、「どうして、お殿様《とのさま》の側《そば》についていながら、サムライらしからぬ醜態《しゅうたい》に落《お》ちるのを――つまり、アップルパイに夢中《むちゅう》になってしまうのを、黙《だま》って見《み》ていたのか」ということです。

 そこで、普段《ふだん》は無口《むくち》なニンジャは初《はじ》めて口《くち》を開《ひら》き、若殿様《わかとのさま》に説明《せつめい》しました――そう、ニンジャ達《たち》は決《けっ》して自分《じぶん》の意見《いけん》を云《い》わず、報告《ほうこく》する以外《いがい》は口《くち》を開《ひら》かないのです。


「我《われ》らニンジャは陰《かげ》に生《い》きる者《もの》。主君《しゅくん》の御意《ぎょい》のまま、命《めい》じるままに従《したが》うのみ」

「では、殿《との》がサムライらしからぬ振《ふ》る舞《ま》いをしても、それでも、黙《だま》って見《み》るべきだと思《おも》ったのか?」

「我《われ》らはニンジャ……おサムライのなさること、その全《すべ》てが、サムライらしさと見《み》る他《ほか》はござらぬ。全《すべ》て、主君《しゅくん》の思《おぼ》し召《め》しのままでございます」

「そうか。では、これからも殿《との》――父上《ちちうえ》に仕《つか》えるか?」

「いえ、我《われ》らが仕《つか》えるのは、サムライ帝国《ていこく》の主《ぬし》となるお方《かた》。しかし、もはやその国《くに》はなく、若《わか》が新《あら》たな旗《はた》を掲《かか》げられるなら、その旗印《はたじるし》にこそ、我《われ》らは従《したが》いまする」

「元《もと》のサムライ帝国《ていこく》とは限《かぎ》らんぞ。まだ、サムライが少《すこ》し集《あつ》まっただけだ。しばらく、逃《に》げ回《まわ》るだけの生活《せいかつ》になるかもしれん」


 それを聞《き》いたニンジャはニヤリと笑《わら》いました。


「ならば、それこそ我《われ》らニンジャの本領《ほんりょう》にございますぞ。ニンジュツの本領《ほんりょう》は遁法《とんぽう》――つまりは身《み》を隠《かく》して逃《に》げるための秘術《ひじゅつ》。逃《に》げて逃《に》げて逃《に》げのびて、戦《たたか》い抜《ぬ》いて生《い》き抜《ぬ》くための技《わざ》。若《わか》、どうか我《われ》らを自在《じざい》にお使《つか》いくだされ」

「判《わか》った――僕達《ぼくたち》の大事《だいじ》な門出《かどで》だ。お前達《まえたち》も宴会《えんかい》に参加《さんか》してくれ」

「はっ……」


 判《わか》った、とは云《い》ったものの、お殿様《とのさま》のことが悔《く》やまれてなりません。自分《じぶん》の主君《しゅくん》であり、父親《ちちおや》でもあるのです。



(六《ろく》)


 少《すこ》し先《さき》のお話《はなし》になるかもしれませんが、お殿様《とのさま》や王様《おうさま》、そしてサムライ帝国《ていこく》とアップルパイ王国《おうこく》、もとい、ナイト王国《おうこく》の先行《さきゆ》きについて、お話《はな》ししておきましょう。

 両国《りょうこく》は完全《かんぜん》にカンフー帝国《ていこく》に飲《の》み込《こ》まれてしまいました。それぞれの兵隊達《へいたいたち》は全《すべ》て捕《と》らえられ、今度《こんど》はカンフー帝国《ていこく》の兵隊達《へいたいたち》に民衆《みんしゅう》は支配《しはい》されています。とはいえ、乱暴《らんぼう》なことにはならなかったようです。なぜなら、まずはナイト王国《おうこく》といえば完全《かんぜん》にアップルパイに夢中《むちゅう》になっていたので、支配者《しはいしゃ》が入《い》れ替《か》わったところでどうでもよかったし、サムライ帝国《ていこく》と云《い》えば作物《さくもつ》の不作《ふさく》で食《く》うや食《く》わずで困《こま》っていたので、そこにカンフー帝国《ていこく》が膨大《ぼうだい》な支援《しえん》をしたので、むしろ大喜《おおよろこ》びだったのです。

 お殿様《とのさま》や王様達《おうさまたち》はカンフー帝国《ていこく》の本国《ほんごく》に護送《ごそう》されました。そして、アップルパイで培《つちか》ったお料理《りょうり》の腕《うで》を生《い》かされ、ギョウザやシュウマイなど小麦粉《こむぎこ》を使《つか》ったお料理《りょうり》を作《つく》る仕事《しごと》に従事《じゅうじ》することになりました。やがては、国《くに》の統治《とうち》や戦《たたか》うこともすっかり忘《わす》れてしまうでしょう。


「父上《ちちうえ》やみんながあのアップルパイというお菓子《かし》に夢中《むちゅう》になったか、なんだか判《わか》ったような気《き》がするんだ」


 と、若殿様《わかとのさま》は参謀《さんぼう》に云《い》いました。


「……どういうことです?」

「恐《おそ》らくだが……本当《ほんとう》のところは、サムライで居《い》ることが辛《つら》かったんじゃないだろうか。実際《じっさい》、辛《つら》いだなんてサムライ同士《どうし》で云《い》えることじゃないし、そう考《かんが》えるだけでもサムライとして言語道断《ごんごどうだん》、不謹慎《ふきんしん》と云《い》っても良《い》いくらいだ」

「でも、お菓子《かし》とは関係《かんけい》ないでしょう。饅頭《まんじゅう》を食《く》ってもサムライで居《い》ることには変《か》わりない」

「たまに口《くち》にするのとは訳《わけ》が違《ちが》うよ。王国《おうこく》を占領《せんりょう》して、国策《こくさく》としてお菓子作《かしづく》りを始《はじ》めてしまったんだ。そりゃあ、楽《たの》しいだろう。みんな本当《ほんとう》は甘《あま》い物《もの》が大好《だいす》きなんだ。ほら、あのコックも似《に》たようなことを云《い》ってただろう?」

「ふむ……」

「初《はじ》めは国《くに》のため、生《い》きるためにお菓子《かし》に手《て》をつけちゃって、そこからズルズルと素直《すなお》な欲求《よっきゅう》に身《み》を任《まか》せてしまい――こう云《い》っては何《なん》だが、サムライや、あの王国《おうこく》の騎士達《きしたち》は重荷《おもに》を捨《す》てることが出来《でき》て、幸《しあわ》せになれるのかもしれない」

「では、若《わか》はこれで良《よ》かったとお思《おも》いですか。サムライは消《き》え去《さ》るべきだと?」

「いや――」


 そして、若殿様《わかとのさま》は感慨深《かんがいぶか》げに空《そら》を見上《みあ》げ、云《い》いました。


「――サムライは戦《いくさ》で死《し》ぬべし。これは爺様《じいさま》じゃなくて、父上《ちちうえ》から聞《き》いた言葉《ことば》で、それは何代《なんだい》にも渡《わた》って受《う》け継《つ》がれたんだ。でも、そうして国《くに》を守《まも》ってきたんだ。家族《かぞく》を守《まも》ってきたんだ」

「そうですよね。この世《よ》は戦《たたか》い、弱肉強食《じゃくにくきょうしょく》の世界《せかい》です。どんな言《い》い訳《わけ》をしたって、何《なに》かを食《く》らって生《い》きていく他《ほか》はない。サムライが居《い》なくなったら、誰《だれ》もがサムライにならなければ生《い》きていけません」

「それも一《ひと》つの手段《しゅだん》として悪《わる》くはないが――まあ、続《つづ》きは鍋《なべ》をつつきながら考《かんが》えよう。こんな議論《ぎろん》は尽《つ》きそうもないな」

「まったくです」



 食《た》べることこそ、弱肉強食《じゃくにくきょうしょく》の象徴《しょうちょう》。沢山《たくさん》のいろんな素材《そざい》を食《た》べるお鍋《なべ》ですから、それを食《た》べながら考《かんが》えることとしては、とても有意義《ゆういぎ》なのかもしれませんね。


(七《なな》)


 さあ、大宴会《だいえんかい》です。みんなでお鍋《なべ》をつついて大《おお》いに食《た》べ、お酒《さけ》も大《おお》いに飲《の》みました。

 若殿様《わかとのさま》はもっぱら鍋奉行《なべぶぎょう》、「それはまだ早《はや》い」「そろそろ野菜《やさい》も継《つ》ぎ足《た》そう」などと、陣頭指揮《じんとうしき》に奮戦《ふんせん》します。チビ助《すけ》は小《ちい》さな体《からだ》の割《わり》にはお肉《にく》の確保《かくほ》に奔走《ほんそう》し、その傍《かたわ》らで参謀《さんぼう》はシャクシャクと白菜《はくさい》やお葱《ねぎ》を食《た》べています。デカ助《すけ》と云《い》えば、大《おお》きな茶碗《ちゃわん》にご飯《はん》を大盛《おおも》りにして、それと一緒《いっしょ》にガツガツ何《なん》でも食《た》べています。


 いろいろな材料《ざいりょう》に加《くわ》えて、あのお妃様《きさきさま》から頂《いただ》いたギョーザもお鍋《なべ》に入《い》れました。それをお鍋《なべ》で煮込《にこ》むと小麦《こむぎ》の皮《かわ》がつるんとして、中《なか》の具材《ぐざい》の味《あじ》も絶妙《ぜつみょう》。

 やっぱりカンフー帝国《ていこく》に大《たい》して虫《むし》が治《おさ》まらない気分《きぶん》ではあったのですが、「食《た》べ物《もの》に罪《つみ》も恨《うら》みも無《な》い」と、みんなは美味《おい》しく食《た》べました。


 皆《みな》それぞれに、それぞれの食《た》べ方《かた》で大《おお》いにお鍋料理《なべりょうり》を楽《たの》しみました。そこに集《あつ》まった大勢《おおぜい》のサムライ達《たち》――「サムライ」と一括《ひとくく》りにしても、一《ひと》つとして同《おな》じ顔《かお》はありません。それでも、同《おな》じお鍋《なべ》で仲《なか》良《よ》く食《た》べています。


 そして王女様《おうじょさま》は、(もうすっかり専属《せんぞく》の侍女《じじょ》のようにお仕《つか》えしている)ちっちゃいニンジャに白《しろ》いお豆腐《とうふ》を注《つ》いでもらい、お匙《さじ》ですくってゆっくりと食《た》べていました。

 それは不思議《ふしぎ》なお味《あじ》でした。最初《さいしょ》は淡《あわ》い大豆《だいず》の味《あじ》だけでしたが、二杯目《にはいめ》、三杯目《さんばいめ》となると、他《ほか》のいろんな具材《ぐざい》の味《あじ》が染《し》み込《こ》んでいき、とても美味《おい》しくなっていくのです。


 そうか、これがお鍋《なべ》なんだ――王女様《おうじょさま》は、そう思《おも》いました。


 そんな王女様《おうじょさま》に「どうだい、食《た》べてる?」と声《こえ》をかけてきたのは若殿様《わかとのさま》です。みんなにお酒《さけ》をついだり、鍋《なべ》の具合《ぐあい》を見《み》ながら、今度《こんど》は王女様《おうじょさま》のところにも回《まわ》ってきました。


「あんまり食《た》べてないね。よーし、とっておきのを王女様《おうじょさま》に献上《けんじょう》しちゃおう」


 そう云《い》ってお鍋《なべ》の真《ま》ん中《なか》から引《ひ》き上《あ》げたのは、見事《みごと》に真《ま》っ赤《か》っかに茹《ゆ》であがった、大《おお》きな大《おお》きな蟹《かに》でした。それを大皿《おおざら》に乗《の》せて、でーんと王女様《おうじょさま》の前《まえ》に置《お》いたのです。

 王女様《おうじょさま》は目《め》を丸《まる》くして、呆然《あぜん》としてしまいました。熱々(あつあつ)で、しかも堅《かた》い甲羅《こうら》に覆《おお》われていて、どうして良《よ》いやら判《わか》りません。


「ああ、待《ま》ってな。ちゃんと食《た》べられるようにするから」


 そういって若殿様《わかとのさま》は、やっとこ(ペンチのようなもの)を片手《かたて》に、器用《きよう》にバキバキと甲羅《こうら》を割《わ》って、食《た》べやすいようにして王女様《おうじょさま》に差《さ》し出《だ》しました。

 王女様《おうじょさま》はおっかなびっくりで、熱々(あつあつ)の蟹《かに》の身《み》を口《くち》にして――。


「お……お……おいしいっ!」


 王女様《おうじょさま》はその蟹《かに》の美味《おい》しさに、思《おも》わず笑顔《えがお》で顔《かお》をほころばせました。すっかり痩《や》せて頬《ほお》がこけてはいましたが、それはそれはとても可愛《かわ》いらしい笑顔《えがお》でした。


 若殿様《わかとのさま》もニッコリ微笑《ほほえ》んで、自分《じぶん》も一緒《いっしょ》に同《おな》じ蟹《かに》を食《た》べていたら……サムライ達《たち》がそんな二人《ふたり》をニヤニヤと眺《なが》めながら、口々(くちぐち)に冷《ひ》やかします。


「おやおや、蟹《かに》もご両人《りょうにん》も熱々(あつあつ)で旨《うま》そうですねぇ」

「ご婚礼《こんれい》の儀式《ぎしき》は二人《ふたり》で一《ひと》つの蟹《かに》って訳《わけ》ですか」

「こりゃまた、食《く》いしん坊《ぼう》なご夫婦《ふうふ》だこと」


 王女様《おうじょさま》と若殿様《わかとのさま》のお顔《かお》は、蟹《かに》に負《ま》けじと真《ま》っ赤《か》っかに茹《ゆ》であがりましたとさ――めでたし、めでたし?


 なんて、そんな締《し》めの文句《もんく》など許《ゆ》されないのが現実《げんじつ》。

 その隣《となり》を、もっと赤《あか》いものが横切《よこぎ》りました。それは、お世話《せわ》になっているお婆《ばあ》さんが抱《かか》えた、山《やま》のような真《ま》っ赤《か》っかの「とンがらし」――。


「お、おい! その婆《ばあ》さんを止《と》めろ!」

「婆《ばあ》さん、待《ま》ってくれ! 俺達《おれたち》はそんなにからいものは食《た》べられない――ああああっ!!」


 さあ、この後《あと》のお鍋《なべ》は大変《たいへん》な我慢比《がまんくら》べ大会《たいかい》となりました。勝利者《しょうりしゃ》は参謀《さんぼう》です。

 では、勝利者《しょうりしゃ》インタビューを。


「実《じつ》は私《わたし》は、幼少《ようしょう》の頃《ころ》にキムチ王国《おうこく》で育《そだ》ったので」

「やっぱり……そんなことだと思《おも》った」

「さあ、締《し》めの雑炊《ぞうすい》を作《つく》りますか」

「えーっ、この激辛鍋《げきからなべ》で!?」

「ひいいっ!! もう勘弁《かんべん》してくれーっ!!」


(おしまい)

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