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(前編)

この物語では、多くの料理に関する描写を行っておりますが、筆者は料理をすることがほとんど無く、適当な空想で描いているので、決して真に受けないで頂きたいと思います。また、現実社会の国家に似せた描写が多く含まれておりますが、一切関係はございません。というより、筆者に現実を批判したりパロディにする能力は元からございません。

【アップルパイ王国《おうこく》 前編】


第一章《だいいっしょう》 アップルパイ王国《おうこく》の誕生《たんじょう》


(一《いち》)


 もともと、その国《くに》には別《べつ》の名前《なまえ》があったのですが、王様《おうさま》が宣言《せんげん》したわけでもなく、誰《だれ》かが提案《ていあん》したわけでもなく、いつの間《ま》にやら、こう呼《よ》ばれていました。「アップルパイ王国《おうこく》」と――。


 いや、もう王国《おうこく》なんてつけずに「アップルパイ」で良《い》いと思《おも》います。誰《だれ》も文句《もんく》は云《い》わないでしょう。だって、もはやアップルパイそのものになってしまったのですから。


 それは王様《おうさま》の奥様《おくさま》、つまり、お妃様《きさきさま》が亡《な》くなられてからのことです。王様《おうさま》は新《あたら》しいお妃様《きさきさま》をお貰《もら》いになりました。そのお方《かた》は他《ほか》の国《くに》のお姫様《ひめさま》で、王様《おうさま》よりも若《わか》くてお綺麗《きれい》な方《かた》で、加《くわ》えて、とてもお料理《りょうり》上手《じょうず》なのでした。


 お姫様《ひめさま》なら、お城《しろ》のコックに料理《りょうり》を任《まか》せる筈《はず》なのですが、自分《じぶん》の好《この》みに合《あ》わせてお料理《りょうり》をしないと気《き》が済《す》まなくなってしまったそうで、特《とく》にスイーツ、つまり、お菓子《かし》作《づく》りが得意中《とくいちゅう》の得意《とくい》。新《あたら》しいお妃様《きさきさま》となってお城《しろ》にやってきたその日《ひ》から、ご挨拶《あいさつ》代《が》わりにお料理《りょうり》の腕《うで》を振《ふ》る舞《ま》いました。そしてお作《つく》りになったのは「アップルパイ」。王様《おうさま》は新《あたら》しいお妃様《きさきさま》が焼《や》いたアップルパイを大変《たいへん》お気《き》に召《め》しました。


「いやあ、このアップルパイは素晴《すば》らしい! パイ生地《きじ》の食感《しょっかん》とリンゴの甘酸《あまず》っぱさが絶妙《ぜつみょう》だ!」

「まあ、そんなに喜《よろこ》んでいただけるなら、幾《いく》らでも焼《や》いて差《さ》し上《あ》げますわ」


 お妃様《きさきさま》は王様《おうさま》に褒《ほ》められて嬉《うれ》しくなり、更《さら》にもっと沢山《たくさん》のアップルパイを焼《や》いて、王様《おうさま》の家来《けらい》や、厨房《ちゅうぼう》のコックさん達《たち》にも振《ふ》る舞《ま》われました。王様《おうさま》はお世辞《せじ》で褒《ほ》めたのではなく本当《ほんとう》に美味《おい》しかったので、お城《しろ》の人達《ひとたち》にも大評判《だいひょうばん》。本職《ほんしょく》のコックさん達《たち》も脱帽《だつぼう》です。


 実《じつ》はお妃様《きさきさま》は、新《あたら》しく来《き》たばかりだったので、みんなと仲良《なかよ》く出来《でき》るかどうか、とても心配《しんぱい》だったのです。前《まえ》のお妃様《きさきさま》と比《くら》べられて、悪《わる》いところばかりを見《み》つけられ、悪口《わるぐち》ばかり云《い》われたりしないかどうかと不安《ふあん》に思《おも》っていました。

 でも、こうしてアップルパイがとても好評《こうひょう》だったので、誰《だれ》も新《あたら》しいお妃様《きさきさま》を悪《わる》く云《い》う人《ひと》はいませんでした。お城《しろ》の人達《ひとたち》は毎日《まいにち》、お妃様《きさきさま》の美味《おい》しいアップルパイを食《た》べることが出来《でき》たし、お妃様《きさきさま》は毎日《まいにち》、みんなから美味《おい》しいと褒《ほ》めて貰《もら》えたので、みんな揃《そろ》って幸《しあわ》せな日々(ひび)を過《す》ごしました。


 でも、お城《しろ》の中《なか》で一人《ひとり》だけ、あまり幸《しあわ》せではない人《ひと》がいました。それは亡《な》くなられた前《まえ》のお妃様《きさきさま》の一人娘《ひとりむすめ》で、新《あたら》しいお妃様《きさきさま》が来《こ》られる前《まえ》からおられた王女様《おうじょさま》だったのです。


 新《あたら》しいお妃様《きさきさま》と仲《なか》が悪《わる》いわけではありませんでした。いつも笑顔《えがお》で挨拶《あいさつ》を交《か》わし、楽《たの》しそうにお話《はなし》をしています。ですが、お茶《ちゃ》の時間《じかん》になると、王女様《おうじょさま》の笑顔《えがお》が引《ひ》きつってしまいます。


 実《じつ》は王女様《おうじょさま》は甘《あま》い物《もの》が苦手《にがて》で、お茶《ちゃ》の時間《じかん》には少《すこ》し塩味《しおあじ》の効《き》いたクラッカーや、酸《す》っぱい果物《くだもの》などを食《た》べていたのです。最初《さいしょ》はせっかくお妃様《きさきさま》が焼《や》いたのだからと食《た》べてはみたのですが、やはり苦手《にがて》なものは苦手《にがて》でした。


(パイ生地《きじ》はなんだか甘《あま》いし、中《なか》には更《さら》に甘《あま》いクリーム、おまけにリンゴが最低《さいてい》! 果物《くだもの》を甘《あま》いシロップで煮《に》て食《た》べるだなんて信《しん》じられないわ! リンゴはそのままシャリシャリ食《た》べるのが一番《いちばん》美味《おい》しいのに!)


 心《こころ》の中《なか》ではそう思《おも》っていても、お妃様《きさきさま》や王様《おうさま》のご機嫌《きげん》を損《そこ》ねたくなかったので、とても口《くち》に出《だ》して云《い》うことが出来《でき》ないし、かといって、食《た》べるのも嫌《いや》なので、王女様《おうじょさま》は困《こま》ってしまいました。


 どうしようかと悩《なや》んでいましたが、お妃様《きさきさま》は大勢《おおぜい》の人《ひと》のためにアップルパイを焼《や》くのが忙《いそが》しく、他《ほか》の人《ひと》はアップルパイを夢中《むちゅう》で食《た》べているので、王女様《おうじょさま》が食《た》べないことに誰《だれ》も気付《きづ》かなかったのです。王女様《おうじょさま》はアップルパイをそっと他《ほか》の人《ひと》に押《お》しやり、お茶《ちゃ》だけ飲《の》んで席《せき》を立《た》つことが出来《でき》ました。


 でも、王女様《おうじょさま》はなんだか嫌《いや》な予感《よかん》がしてなりません。でも、予感《よかん》だけではどうすることも出来《でき》ないし、どうして良《よ》いやら判《わか》らないので、黙《だま》って見《み》ているほかはありませんでした。


(二《に》)


 さて、お妃様《きさきさま》はこれだけでは満足《まんぞく》なさいませんでした。もっともっと大勢《おおぜい》の人《ひと》にアップルパイを食《た》べてもらい、みんな幸《しあわ》せになって欲《ほ》しい。そうすれば、自分《じぶん》はもっともっと褒《ほ》めて貰《もら》えて、もっともっと幸《しあわ》せになれると思《おも》ったのです。

 ですが、今《いま》はお妃様《きさきさま》のアップルパイが食《た》べられるのはお城《しろ》の人達《ひとたち》だけ。そこで、お妃様《きさきさま》は計画《けいかく》を立《た》てました。その名《な》も「アップルパイ改革《かいかく》」です。

 さて、それはどんな改革《かいかく》なのでしょうか。その手始《てはじ》めに、お妃様《きさきさま》は王様《おうさま》にこんなお願《ねが》いをしました。


「王様《おうさま》、お願《ねが》いがあります」

「ほほう、おねだりかね? 君《きみ》のお陰《かげ》で美味《おい》しいアップルパイが食《た》べられるのだから、そのお礼《れい》をしたくてたまらないのだ。なんでも云《い》ってみなさい」

「アップルパイをもっと美味《おい》しく作《つく》りたいので、国中《くにじゅう》の農場《のうじょう》を検分《けんぶん》して、もっと良《よ》い小麦《こむぎ》やリンゴが無《な》いか、自分《じぶん》で探《さが》してみたいのです」

「なんと! これまでのアップルパイよりも、もっと美味《おい》しくなるというのか! よろしい。召《め》し使《つか》いでも兵隊《へいたい》でも、そしてお金《かね》も好《す》きなだけ使《つか》ってよいから、思《おも》う通《とお》りにやりなさい」

「まあ、有《あ》り難《がと》うございます、王様《おうさま》」

「なに、宝石《ほうせき》やドレスに比《くら》べたら安《やす》い物《もの》だよ。それにしても妃《きさき》は勤勉《きんべん》な人《ひと》だなあ。アップルパイは美味《おい》しいし、私《わたし》は幸《しあわ》せ者《もの》だ」


 こうして、お妃様《きさきさま》は国内《こくない》の巡行《じゅんこう》に出発《しゅっぱつ》しました。お妃様《きさきさま》は大勢《おおぜい》の召《め》し使《つか》いや兵隊《へいたい》を連《つ》れて、王国《おうこく》中《じゅう》の農家《のうか》を巡《めぐ》ります。王様《おうさま》もその旅《たび》に参加《さんか》しました。新《あたら》しいお妃様《きさきさま》のお披露目《ひろめ》にもなるし、途中《とちゅう》で美味《おい》しい物《もの》を食《た》べられるかもしれません。なにより、新《あたら》しいお妃様《きさきさま》をとても愛《あい》しておられましたので、非常《ひじょう》に楽《たの》しい旅《たび》となりました。(今《いま》は)この王国《おうこく》は平和《へいわ》であったし、こうして王様《おうさま》が出向《でむ》いて働《はたら》くのはとても良《よ》いことなので、お城《しろ》の大臣達《だいじんたち》も大賛成《だいさんせい》です。


 とある貧《まず》しい農家《のうか》にやってきた時《とき》のことです。その農家《のうか》はあまり品質《ひんしつ》が良《よ》くない(という評価《ひょうか》を受《う》けていた)小麦《こむぎ》をちょっぴり育《そだ》てているだけでした。でも、お妃様《きさきさま》はその小麦《こむぎ》を大変《たいへん》お気《き》に召《め》したのです。農家《のうか》の人《ひと》はビックリしました。


「ええ!? うちの小麦《こむぎ》は、自分《じぶん》で云《い》うのも何《なん》ですが、そんなに良《い》い物《もの》じゃ無《な》いですぜ」

「いえいえ、このお国《くに》ではパイ作《づく》りをされなかったから、良《よ》くないと思《おも》っておいでだったのでしょう。この小麦《こむぎ》でパンを焼《や》いてもそれほど美味《おい》しくないのですが、パイ生地《きじ》にすれば、とても美味《おい》しくなる品種《ひんしゅ》なのです」


 お妃様《きさきさま》はその場《ば》でパイ生地《きじ》を焼《や》いて、みんなで試食《ししょく》しました。その味《あじ》には王様《おうさま》もビックリ。


「これは美味《おい》しい! いままで妃《きさき》が焼《や》いてくれたパイよりも更《さら》に美味《おい》しいではないか!」

「驚《おどろ》かれるのはまだ早《はや》いですよ。さあ、このパイ生地《きじ》に見合《みあ》った美味《おい》しいリンゴも探《さが》さなくては」


 お妃様《きさきさま》はその評価《ひょうか》の低《ひく》かった小麦《こむぎ》を、最高級《さいこうきゅう》の値段《ねだん》で買《か》い付《つ》け、リンゴの農園《のうえん》に向《む》かいました。そうなるとその小麦《こむぎ》は、パイ生地《きじ》作《づく》りの最高級品《さいこうきゅうひん》ということになったのです。

 もう他《ほか》の小麦《こむぎ》には見向《みむ》きもしません。これまで最高級《さいこうきゅう》と評価《ひょうか》を受《う》けていた小麦《こむぎ》は相手《あいて》にされず、その農家《のうか》の人々(ひとびと)はとても悔《くや》しがりました。


 リンゴの農園《のうえん》でも同《おな》じようなことが起《お》きました。


「いやあ、うちのリンゴは堅《かた》くて酸《す》っぱくて評判《ひょうばん》が悪《わる》いんだが」

「いえいえ、パイにするために煮立《にた》ててから食《た》べるのなら、これぐらい強《つよ》いリンゴでないとダメなんですのよ」

「そうか! うちのリンゴは不味《まず》いんじゃなくて、強《つよ》いのか!」


 何事《なにごと》も向《む》き不向《ふむ》きがあるというわけです。お妃様《きさきさま》はその場《ば》でリンゴを煮立《にた》てて、やはりみんなで試食《ししょく》しました。またしても、その味《あじ》にビックリです。王様《おうさま》は褒《ほ》め讃《たた》えました。


「これは素晴《すば》らしい! まさに魔法《まほう》のリンゴと云《い》っても良《よ》いだろう! ああ、妃《きさき》よ! 早《はや》く最高《さいこう》のアップルパイに仕上《しあ》げてくれないか!」

「あらあら、王様《おうさま》ったらお気《き》の早《はや》いこと。まだまだ、最高《さいこう》のバターやクリーム、そしてお砂糖《さとう》も……」


 そんな具合《ぐあい》に、お妃様《きさきさま》と王様《おうさま》の旅《たび》は続《つづ》きます。王様《おうさま》は最高《さいこう》のアップルパイが楽《たの》しみでならず、他《ほか》の食《た》べ物《もの》のことなど、どうでも良《よ》くなってきました。お付《つ》きの召《め》し使《つか》いや兵隊《へいたい》達《たち》もお相伴《しょうばん》させて頂《いただ》いたので、みんな期待《きたい》にわくわくと胸《むね》を膨《ふく》らませています。材料《ざいりょう》には専門家《せんもんか》であるはずの農家《のうか》の人々(ひとびと)も気《き》になって仕方《しかた》がありません。


 王様《おうさま》達《たち》が去《さ》った後《あと》の農家《のうか》の人々(ひとびと)は、お妃様《きさきさま》に選《えら》ばれた農場《のうじょう》に集《あつ》まり、自分達《じぶんたち》にも同《おな》じ品種《ひんしゅ》の作物《さくもつ》を作《つく》らせて欲《ほ》しいとせがみました。お妃様《きさきさま》に選《えら》ばれたのなら大変《たいへん》な名誉《めいよ》だし、きっと国中《くにじゅう》でアップルパイが流行《りゅうこう》するに決《き》まっています。そうなると自分達《じぶんたち》がこれまで育《そだ》てた作物《さくもつ》が売《う》れなくなり、値段《ねだん》が下《さ》がってしまうからです。


 そしてお城《しろ》に戻《もど》ったお妃様《きさきさま》は、旅《たび》で揃《そろ》えた最高《さいこう》の素材《そざい》で、最高《さいこう》のアップルパイを仕上《しあ》げたのでした。その味《あじ》は、正《まさ》しく天《てん》にも昇《のぼ》るような最高《さいこう》のアップルパイとなったのです。王様《おうさま》は遂《つい》に完成《かんせい》した最高《さいこう》のアップルパイを食《た》べて、最高《さいこう》にご満悦《まんえつ》です。


「妃《きさき》よ! これまで食《た》べたアップルパイの中《なか》でも、比《くら》べものにならぬほど最高《さいこう》のアップルパイだ! 正《まさ》に神《かみ》に捧《ささ》げるお菓子《かし》だ!」


 王様《おうさま》は正《まさ》しく最高《さいこう》の讃辞《さんじ》をなさいました。しかし、これで満足《まんぞく》なさるお妃様《きさきさま》ではなかったのです。「アップルパイ改革《かいかく》」は、ここからが始《はじ》まりなのです。


「王様《おうさま》? 料理《りょうり》は無限《むげん》、お菓子《かし》は正《まさ》に宇宙《うちゅう》です。そうそう極《きわ》め尽《つ》くせるものではありません。ここで満足《まんぞく》しては、物事《ものごと》は衰退《すいたい》するばかりでございます。もっともっと遙《はる》かな高見《たかみ》を目指《めざ》してこそ、最高《さいこう》のアップルパイが最高《さいこう》でいられるのでございます」

「妃《きさき》よ、これ以上《いじょう》にどうすれば良《よ》いというのか」

「王様《おうさま》、我々(われわれ)のような王家《おうけ》の者《もの》ばかりが最高《さいこう》とは限《かぎ》りません。草《くさ》の根《ね》を分《わ》けてこそ、これまで目《め》にしたこともない輝《かがや》かしい玉石《ぎょくせき》が見《み》いだせるというもの」

「ふむ……」


 なんだかお妃様《きさきさま》の話《はなし》が難《むずか》しくなってきました。王様《おうさま》や家来《けらい》達《たち》はそれぞれアップルパイを手《て》にしたままポカンとして、何《なに》がなんだか判《わか》っていません。


「では、妃《きさき》よ。どうすれば良《よ》いのだ」


 お妃様《きさきさま》の答《こた》えは、ただ一言《ひとこと》。


「待《ま》ちます」

「ええ?」


 このお答《こた》えに王様《おうさま》達《たち》は尚更《なおさら》、開《あ》いた口《くち》がふさがりませんでした。


 さて、お城《しろ》の中《なか》で只《ただ》一人《ひとり》、この有様《ありさま》を冷静《れいせい》に、冷《つめ》たい視線《しせん》で見守《みまも》っている人《ひと》がいます。それはもちろん、アップルパイを食《た》べていない只《ただ》一人《ひとり》、王女様《おうじょさま》でした。王女様《おうじょさま》は、王様《おうさま》達《たち》の様子《ようす》に背筋《せすじ》が凍《こお》る想《おも》いです。もはやお城《しろ》の人達《ひとたち》は、お妃様《きさきさま》たった一人《ひとり》の云《い》われるがままになっているのです。


 みんながアップルパイに夢中《むちゅう》なのはどうでも良《い》いのですが、仕事《しごと》を放《ほう》り出《だ》して、王女様《おうじょさま》のお世話《せわ》をすることをすっかり忘《わす》れてしまっているのは問題《もんだい》です。王女様《おうじょさま》にアップルパイを持《も》ってこないのは(甘《あま》いお菓子《かし》はお嫌《きら》いですから)かまわないのですが、もはや、お茶《ちゃ》すらも持《も》ってこようとしません。


 まるで、みんなは「アップルパイ病《びょう》」という病気《びょうき》にかかってしまったみたいです。王女様《おうじょさま》はご自分《じぶん》で水《みず》をコップについで喉《のど》の渇《かわ》きを癒《い》やしながら、この国《くに》はどうなってしまうのだろうと思《おも》いました。


 ですが、そんな日々(ひび)は急《きゅう》に終《お》わりました。


 ある日《ひ》から、お妃様《きさきさま》はアップルパイをみんなにご馳走《ちそう》するのを止《や》めてしまいました。王様《おうさま》は食《た》べたいとお望《のぞ》みになりましたが、「今《いま》は研究中《けんきゅうちゅう》なので」と、王様《おうさま》のご命令《めいれい》を軽《かる》くはねのけました(これだけでもおかしなことです。王様《おうさま》の命令《めいれい》は絶対《ぜったい》に従《したが》わなくてはならない筈《はず》です)。


 これでみんなの「アップルパイ病《びょう》」が治《なお》るのでは無《な》いか、と思《おも》われました(王女様《おうじょさま》は少《すこ》しだけそう期待《きたい》しました)。ですが、結果《けっか》は逆《ぎゃく》でした。みんなは余計《よけい》にアップルパイへの想《おも》いが募《つの》り、「アップルパイ、アップルパイ」と頭《あたま》の中《なか》で何《なに》かが囁《ささや》いているような気《き》がしてなりません。風邪《かぜ》をこじらせてしまったかのように、みんなの「アップルパイ熱《ねつ》」はより一層《いっそう》、燃《も》え上《あ》がっているかに見《み》えました。


 王様《おうさま》のご命令《めいれい》を受《う》け、かわりにお城《しろ》のコックさんが焼《や》いたのですが、同《おな》じ最高《さいこう》の材料《ざいりょう》を使《つか》っていても、お妃様《きさきさま》が焼《や》くのに比《くら》べて、いくぶん味《あじ》が落《お》ちています。これでは誰《だれ》も納得《なっとく》が出来《でき》ません。


 一方《いっぽう》、お妃様《きさきさま》は自分《じぶん》だけのお台所《だいどころ》を設《しつら》えて、その中《なか》で籠《こ》もりきりになり、いつも甘《あま》い香《かお》りを漂《ただよ》わせながら、アップルパイの研究《けんきゅう》をなさっています。王様《おうさま》が頼《たの》んでも、誰《だれ》が頼《たの》んでも、「後《あと》で楽《たの》しみにしてらっしゃい」と、味見《あじみ》すらさせて貰《もら》えません。(もはや王様《おうさま》よりも)お妃様《きさきさま》の仰《おっしゃ》ることは絶対《ぜったい》なので、誰《だれ》も無理《むり》強《じ》いは出来《でき》ないのです。


 国中《くにじゅう》ではお妃様《きさきさま》のアップルパイの噂《うわさ》が徐々(じょじょ)に広《ひろ》まりつつありました。そのアップルパイのために、王様《おうさま》と共《とも》に王国中《おうこくじゅう》の農家《のうか》を訪問《ほうもん》されたのですから、話題《わだい》にならない方《ほう》がおかしいくらいです。別《べつ》に国家機密《こっかきみつ》でも何《なん》でもないことなので、お城《しろ》の召《め》し使《つか》いや兵隊《へいたい》達《たち》が、街《まち》に出《で》る度《たび》に人々(ひとびと)の疑問《ぎもん》に答《こた》えようとします。でも、新《あたら》しい最高《さいこう》のアップルパイを食《た》べた人《ひと》は数《かず》少《すく》ないし、お城《しろ》から持《も》ち出《だ》して分《わ》けてあげることも出来《でき》ません(もっとも、もったいなくて、そんなことをする筈《はず》もありません)。


 街《まち》には多《おお》くのケーキ屋《や》さんにパン屋《や》さん、お菓子《かし》屋《や》さんにレストランがあります。アップルパイのレシピ、つまり作《つく》り方《かた》だけは、お城《しろ》のコックさんから伝授《でんじゅ》されたので、人々(ひとびと)の要望《ようぼう》に応《こた》えて、どこでもアップルパイを出《だ》すようになりました。わざわざ高《たか》いお金《かね》を払《はら》って、お妃様《きさきさま》と同《おな》じ材料《ざいりょう》を揃《そろ》えて、「噂《うわさ》のアップルパイがあります!」と看板《かんばん》を掲《かか》げたお店《みせ》もありました。でも、お妃様《きさきさま》お手製《てせい》でないことは判《わか》りきったことです。国民《こくみん》達《たち》はアップルパイを食《た》べても、むしろ噂《うわさ》が高《たか》まり、想《おも》いは胸《むね》に募《つの》るばかりです。


 いったいどんな味《あじ》なのだろう? なにしろ、お妃様《きさきさま》がお手《て》ずから焼《や》かれたアップルパイなのだから、とびきり美味《おい》しいに違《ちが》いない。贅沢《ぜいたく》な暮《く》らしをしているお城《しろ》のグルメ達《たち》や、王室《おうしつ》お抱《かか》えのコック達《たち》をうならせたというじゃないか。ああ、一度《いちど》で良《い》いから食《た》べてみたい!


 お妃様《きさきさま》は、なおもアップルパイの研究《けんきゅう》を重《かさ》ねながら、じっと聞《き》き耳《みみ》を立《た》てていました。待《ま》ち続《つづ》けていたのです。人々(ひとびと)の想《おも》いが高《たか》まる最高《さいこう》の時《とき》を、国中《くにじゅう》が「アップルパイ病《びょう》」に感染《かんせん》するのを――そして、ついに決断《けつだん》しました。


「王様《おうさま》、お待《ま》たせいたしました」


 お妃様《きさきさま》は王様《おうさま》の御前《ごぜん》に赴《おもむ》き、云《い》いました。


「国《くに》を挙《あ》げて、アップルパイのコンテストを開《ひら》きたいと思《おも》います」


(三《さん》)


 みんなはお妃様《きさきさま》の発表《はっぴょう》にびっくり仰天《ぎょうてん》です。お妃様《きさきさま》の新《あたら》しいアップルパイが発表《はっぴょう》されるのかと思《おも》いきや、他《ほか》の人《ひと》と味《あじ》を競《きそ》いたいと仰《おっしゃ》っているのです。


 お妃様《きさきさま》は全《すべ》てご存《ぞん》じでした。みんなの「アップルパイ病《びょう》」が広《ひろ》まり、街《まち》のお店《みせ》でアップルパイが出回《でまわ》り始《はじ》めることもご存《ぞん》じでした。こうなることを予測《よそく》しておられたのです。全《すべ》ては「アップルパイ改革《かいかく》」の計画通《けいかくどお》りに物事《ものごと》が進《すす》んでいるのでした。お妃様《きさきさま》は仰《おっしゃ》います。


「自分《じぶん》一人《ひとり》の力《ちから》ではどうにもならないことが沢山《たくさん》あります。多《おお》くの人《ひと》で意見《いけん》を戦《たたか》わせ、味《あじ》を競《きそ》い合《あ》ってこそ、より良《よ》いものが生《う》まれるのです」


 お妃様《きさきさま》が仰《おっしゃ》ったことは実《じつ》に理《り》にかなっています。王様《おうさま》や大臣達《だいじんたち》は大《おお》いに賛成《さんせい》して、コンテストの開催《かいさい》を許可《きょか》なさいました。


 さて、国中《くにじゅう》に次《つぎ》のように発表《はっぴょう》されました。


「アップルパイコンテスト!」

一《ひとつ》、皆《みな》、同《おな》じリンゴと小麦粉《こむぎこ》を使《つか》い、同《おな》じカマドでアップルパイをやくこと。

一《ひとつ》、使《つか》いたい調味料《ちょうみりょう》があるなら、それを認《みと》める。

一《ひとつ》、焼《や》いたアップルパイは同《おな》じ箱《はこ》に収《おさ》めて、誰《だれ》が焼《や》いたものかを判《わか》らないようにすること。

一《ひとつ》、参加《さんか》者《しゃ》はコンテストが終了《しゅうりょう》した後《あと》、自分《じぶん》のレシピを発表《はっぴょう》すること。


 以上《いじょう》の通《とお》り、コンテストの決《き》まりは実《じつ》に厳《きび》しいもので、これではお妃様《きさきさま》だからと贔屓《ひいき》をすることも出来《でき》ません。審査《しんさ》の方法《ほうほう》も、誠《まこと》に公正《こうせい》な方法《ほうほう》です。


 まず、審査員《しんさいん》に選《えら》ばれたのは街《まち》の子供達《こどもたち》でした。いつも美味《おい》しいお菓子《かし》に目《め》がない子供達《こどもたち》ですから、純粋《じゅんすい》で厳《きび》しく、そして情《なさ》け容赦《ようしゃ》なく、美味《おい》しいお菓子《かし》を選《えら》び抜《ぬ》くことが出来《でき》るのです。グルメの評論家《ひょうろんか》が選《えら》んだ、などという謳《うた》い文句《もんく》など、子供達《こどもたち》には通用《つうよう》しません。


 コンテストの出場者《しゅつじょうしゃ》は、お妃様《きさきさま》はもちろんのこと、お城《しろ》のコックさんや、街《まち》のパン屋《や》さんにケーキ屋《や》さん、レストランや喫茶店《きっさてん》まで、いろんな人々(ひとびと)が参加《さんか》しました。


 さあ、コンテストの開催《かいさい》です。アップルパイは細《こま》かく切《き》り分《わ》けられ、焼《や》けたパイの姿形《すがたかたち》で誰《だれ》の作品《さくひん》なのかも判《わか》らなくなっています。進《すす》め方《かた》は、全《すべ》てのパイを一通《ひととお》り食《た》べさせて、「もう一度《いちど》だけ食《た》べたいのはどのお皿《さら》?」と実《じつ》に判《わか》りやすい方法《ほうほう》です。美味《おい》しいお菓子《かし》に目《め》がない子供達《こどもたち》は、ウンウン悩《なや》みながら、美味《おい》しいものを食《た》べたい一心《いっしん》で、もう一皿《ひとさら》を選《えら》びました。


 さあ、子供達《こどもたち》が選《えら》んだ、もっとも美味《おい》しいアップルパイは?


 ドロロロロロロロロ……(ドラムロールです)


 ぱんぱかぱーん!

 優勝《ゆうしょう》は、街角《まちかど》のレストランに決定《けってい》しました!


(ええええええっ!?)


 みんな驚《おどろ》きました。誰《だれ》もが、お妃様《きさきさま》の優勝《ゆうしょう》を信《しん》じて疑《うたが》わなかったのです。アップルパイの作《つく》り方《かた》を広《ひろ》めた人《ひと》こそお妃様《きさきさま》なのですから、みんながそう思《おも》っていても不思議《ふしぎ》はありません。ですが、お妃様《きさきさま》はこうなることまで予想《よそう》をしていたのです。


 お妃様《きさきさま》やお城《しろ》のコックさんは、他《ほか》の人《ひと》に食《た》べてもらえなくても、仕事《しごと》を失《うしな》ったりしません(よほどの失敗《しっぱい》をすれば、お城《しろ》から放《ほう》り出《だ》されるでしょうけど)。でも、街角《まちかど》のレストランはお料理《りょうり》が美味《おい》しくないと、すぐにお客《きゃく》さんが来《こ》なくなり、店《みせ》を畳《たた》まなければなりません。たかがお料理《りょうり》でも命《いのち》がけ。むしろ、格調《かくちょう》の高《たか》いお城《しろ》のコックさんなんかよりも、人《ひと》を引《ひ》き付《つ》けて離《はな》さない美味《おい》しいものを作《つく》ることに詳《くわ》しい筈《はず》です。


 お城《しろ》のコックさん達《たち》はプライドが傷《きず》つけられ、とても悔《くや》しがりました。ですが、お妃様《きさきさま》は優勝者《ゆうしょうしゃ》であるレストランのコックさんを大《おお》いに祝福《しゅくふく》し、頬《ほほ》にキスのプレゼントまでしたのです(これには王様《おうさま》まで悔《くや》しがりました)。お妃様《きさきさま》は悔《くや》しくないのでしょうか。あれだけアップルパイの研究《けんきゅう》をしていたのですから。


 実《じつ》を云《い》うと、お妃様《きさきさま》は別《べつ》に優勝《ゆうしょう》する必要《ひつよう》など無《な》かったのです。お妃様《きさきさま》は自分《じぶん》が一番《いちばん》である必要《ひつよう》などまったくないのです。お妃様《きさきさま》の願《ねが》いはとにかく「美味《おい》しいアップルパイを焼《や》きたい」だけだったのです。


 コンテストの決《き》まりに、「参加者《さんかしゃ》はレシピを発表《はっぴょう》しなければならない」とあります。つまり、どうすればアップルパイが美味《おい》しくなるのかを、コンテストの優勝者《ゆうしょうしゃ》から教《おし》えてもらうことが出来《でき》るのです。ですから、むしろ自分以外《じぶんいがい》の人《ひと》が優勝《ゆうしょう》して欲《ほ》しかったぐらいで、その通《とお》りになったから、お妃様《きさきさま》は悔《くや》しがるどころか、嬉《うれ》しくて仕方《しかた》が無《な》いのです。


 お妃様《きさきさま》は優勝《ゆうしょう》した作品《さくひん》のレシピを持《も》ち帰《かえ》り、自分《じぶん》でも同《おな》じパイを焼《や》いて味《あじ》を確《たし》かめます。そればかりではなく、他《ほか》の参加《さんか》者《しゃ》のレシピも調《しら》べて、更《さら》なる研究《けんきゅう》を重《かさ》ねています。もしかしたら、今回《こんかい》の成果《せいか》すら、お妃様《きさきさま》は満足《まんぞく》されていないのかもしれません。


 ああ! どこまでアップルパイを愛《あい》しておいでなのでしょう!


「よし! 次回《じかい》はワシも参加《さんか》するぞ!」


 そう高《たか》らかに宣言《せんげん》されたのは王様《おうさま》でした。お妃様《きさきさま》の研究熱心《けんきゅうねっしん》な姿《すがた》に影響《えいきょう》されたのでしょう。人々(ひとびと)は大《おお》いに喝采《かっさい》しますが、流石《さすが》にそれは無謀《むぼう》というものです。王様《おうさま》ともなれば、包丁《ほうちょう》を握《にぎ》ることすら無《な》いのです。しかし王様《おうさま》は「なあに、ワシは毎日《まいにち》、美味《おい》しいものを食《た》べているから、舌《した》が肥《こ》えているのだ」と仰《おっしゃ》って大《おお》いに張《は》り切《き》っています。確《たし》かに肥《こ》えているのですけれどね。体《からだ》の方《ほう》は。


 そんな楽《たの》しそうな王様《おうさま》に比《くら》べて、お城《しろ》のコックさんには深刻《しんこく》な問題《もんだい》です。お城《しろ》の格調《かくちょう》の高《たか》いお抱《かか》えコックとして、負《ま》けたままでは許《ゆる》されません。ましてや、街《まち》のお店《みせ》は死活問題《しかつもんだい》です。レストランに負《ま》けたままでは、お客《きゃく》さんをみんな奪《うば》われてしまうでしょう。みんなは口々(くちぐち)に叫《さけ》びました。


「次《つぎ》こそは!」


 みんなはいよいよ、アップルパイの研究《けんきゅう》に没頭《ぼっとう》しました。誰《だれ》もが食《た》べる側《がわ》から、作《つく》る側《がわ》へと立場《たちば》を変《か》えて、アップルパイに取《と》り組《く》みます。お城《しろ》のコックさんを始《はじ》め、大臣《だいじん》や召《め》し使《つか》いまで神妙《しんみょう》な顔《かお》でアップルパイの味《あじ》比《くら》べをしながら、自分《じぶん》だけのアップルパイを焼《や》こうと研究《けんきゅう》しています。街《まち》の人《ひと》たちも、コンテストで優勝《ゆうしょう》すれば、有名《ゆうめい》になってお金《かね》持《も》ちになれる絶好《ぜっこう》のチャンスです。農家《のうか》の人々(ひとびと)も、より良《よ》い小麦《こむぎ》やリンゴを育《そだ》てるために、実際《じっさい》にアップルパイを焼《や》いて品種《ひんしゅ》を比《くら》べました。


 もはや国中《くにじゅう》がアップルパイを焼《や》いています。国中《くにじゅう》のどこに行《い》っても、パイ生地《きじ》の香《こう》ばしい香《かお》りと、リンゴの甘酸《あまず》っぱい香《かお》りで充満《じゅうまん》しています。国中《くにじゅう》の人々(ひとびと)は活気《かっき》にあふれ、その熱意《ねつい》はまるで赤《あか》く燃《も》えたカマドのようです。

 その国《くに》では、食《た》べ物《もの》が全《すべ》てアップルパイ、どちらを向《む》いてもアップルパイ、空気《くうき》までもがアップルパイなので、外国《がいこく》から来《き》た旅人《たびびと》はこう呼《よ》びました――この国《くに》はアップルパイを王位《おうい》に掲《かか》げた、「アップルパイ王国《おうこく》」である、と――。


 ――その様子《ようす》を、じっと観察《かんさつ》している怪《あや》しい人影《ひとかげ》がありました。国中《くにじゅう》でアップルパイが焼《や》かれる有様《ありさま》を、物陰《ものかげ》に身《み》を隠《かく》して密《ひそ》かに見守《みまも》っています。王女様《おうじょさま》?  いいえ、別《べつ》の人物《じんぶつ》です。


 その怪《あや》しい人影《ひとかげ》は十分《じゅうぶん》に観察《かんさつ》を終《お》えると、王国《おうこく》を出《で》て東《ひがし》の国《くに》へと去《さ》って行《い》きました。その人影《ひとかげ》が持《も》ち帰《かえ》った情報《じょうほう》のため、アップルパイ王国《おうこく》に大《おお》いなる危機《きき》が訪《おとず》れようとしているのです。


第二章《だいにしょう》 アップルパイ王国《おうこく》の危機《きき》


(一《いち》)


 さて、アップルパイ王国《おうこく》から少《すこ》し離《はな》れたところに、「サムライ帝国《ていこく》」という国《くに》がありました。その「サムライ」とはいったい何《なん》でしょうか?


 それはとても強《つよ》い戦士《せんし》のようなもので、常《つね》に大小二本《だいしょうにほん》の刀《かたな》を腰《こし》に差《さ》し、何時《いつ》でも敵《てき》が現《あらわ》れれば切《き》り倒《たお》そうと、油断《ゆだん》なく身構《みがま》えています。この国《くに》はそんなサムライ達《たち》が治《おさ》め、戦争《せんそう》ばかりしている国《くに》だったのです。


 さて、今日《きょう》もサムライ帝国《ていこく》のお城《しろ》では軍議《ぐんぎ》(軍隊《ぐんたい》が戦争《せんそう》をするための会議《かいぎ》、略《りゃく》して軍議《ぐんぎ》)が行《おこな》われています。軍議《ぐんぎ》の中央《ちゅうおう》で、お殿様《とのさま》(王国《おうこく》の王様《おうさま》のような方《かた》)が腕組《うでぐ》みをして、家来《けらい》である武将《ぶしょう》(軍隊《ぐんたい》の司令官《しれいかん》)の意見《いけん》をしかめ面《つら》で聴《き》いています。さぞ、勇《いさ》ましい戦争《せんそう》の計画《けいかく》を立《た》てているのだろう――と思《おも》いきや、なんだか、会議《かいぎ》の雲《くも》行《ゆ》きは良《よ》くないご様子《ようす》です。


「隣《となり》のカンフー帝国《ていこく》はとても大《おお》きく、強《つよ》い兵隊《へいたい》が沢山《たくさん》います。いつ何時《なんどき》、この国《くに》に攻《せ》めかかってくるか判《わか》りませんぞ」

「それに比《くら》べて、このサムライ帝国《ていこく》はとても小《ちい》さい。戦争《せんそう》をすれば絶対《ぜったい》に負《ま》けてしまうだろう」

「そんなことがあるか。この国《くに》のサムライだってとても強《つよ》いのだ」

「強《つよ》いのかもしれないが、今年《ことし》のお米《こめ》の収穫《しゅうかく》が少《すく》ない。兵士《へいし》のサムライ達《たち》も、民百姓《たみひゃくしょう》も、食《く》うや食《く》わずで困《こま》っているのだ」

「ダメだ。お腹《なか》が空《す》いては戦《たたか》えない。まずは、食糧《しょくりょう》を確保《かくほ》しないと」

「しかし、どうするのだ。国《くに》が小《ちい》さいから、採《と》れるお米《こめ》だって少《すく》ないのだ」


 会議《かいぎ》は堂々(どうどう)巡《めぐ》りです。少《すく》なくとも、好《す》きで戦争《せんそう》をしたい訳《わけ》ではないようですが……お隣《となり》同士《どうし》の国《くに》なんだから、もうちょっと仲《なか》良《よ》く出来《でき》ないものでしょうかね、やれやれ。


 この軍議《ぐんぎ》の中《なか》で一番《いちばん》偉《えら》いのはお殿様《とのさま》ですが、もう少《すこ》し小《ちい》さなお殿様《とのさま》がおられます。それは、若《わか》いお殿様《とのさま》なので「若殿様《わかとのさま》」と呼《よ》ばれ、お殿様《とのさま》の息子《むすこ》で、王国《おうこく》なら王子《おうじ》様《さま》みたいなものです。若《わか》いうちから軍議《ぐんぎ》にも参加《さんか》して、本当《ほんとう》のお殿様《とのさま》になるためのお勉強《べんきょう》をしているのです。若殿様《わかとのさま》は父親《ちちおや》であるお殿様《とのさま》の後《うし》ろに控《ひか》え、ブツブツと独《ひと》り言《ごと》を云《い》いながら、何《なに》かを考《かんが》え込《こ》んでいます。


(爺様《じいさま》が云《い》っていた――『満腹《まんぷく》の獅子《しし》は虫《むし》も殺《ころ》さぬ』と。カンフー帝国《ていこく》はとても豊《ゆた》かなんだから、戦争《せんそう》なんて面倒《めんどう》くさいことするもんか)


 でも、若殿様《わかとのさま》はあえて意見《いけん》を述《の》べたりはしませんでした。カンフー帝国《ていこく》が攻《せ》めてこないと判《わか》っていても、強《つよ》い国《くに》が近《ちか》くに在《あ》れば警戒《けいかい》しないと仕方《しかた》がないし、そうした事情《じじょう》も理解《りかい》できるからです。大人《おとな》の事情《じじょう》という訳《わけ》ですね。


 その若殿様《わかとのさま》の独《ひと》り言《ごと》が聞《き》こえたのでしょう。その若殿様《わかとのさま》の斜《なな》め後《うし》ろで控《ひか》えていた、同《おな》じくらい若《わか》いサムライが声《こえ》をかけました。


「若《わか》、何《なに》か仰《おっしゃ》られましたか」

「いや、なんでもない」


 と、若殿様《わかとのさま》は答《こた》えたきりで、もう何《なに》も仰《おっしゃ》いません。


(ちなみに、お殿様《とのさま》や若殿様《わかとのさま》をお呼《よ》びする際《さい》、いちいち「様《さま》」を付《つ》けたりしません。短《みじか》く「殿《との》」と呼《よ》んだり、「若《わか》」と呼《よ》んだりします。そっけないですが、効率的《こうりつてき》で良《い》いですね)


 さて、軍議《ぐんぎ》は意見《いけん》が出尽《でつ》くして、何《なに》も良《よ》い提案《ていあん》が出《で》ないままに終《お》わりそうでした。みんな腕組《うでぐ》みをしてウンウンと悩《なや》んだままなので、お殿様《とのさま》は仕方《しかた》なく、軍議《ぐんぎ》を終《お》えて解散《かいさん》しようとした丁度《ちょうど》その時《とき》のことです。


 シュタッ……と黒《くろ》い「影《かげ》」がお殿様《とのさま》の側《そば》に舞《ま》い降《お》りたのです。


 他《ほか》の武将《ぶしょう》達《たち》はビックリして腰《こし》の刀《かたな》に手《て》をかけ、「くせ者《もの》!」と叫《さけ》びながら立《た》ち上《あ》がりました。お殿様《とのさま》が襲《おそ》われては大変《たいへん》です。

 ですが、その「影《かげ》」はお殿様《とのさま》が雇《やと》っている「ニンジャ」という、いわば、敵《てき》の様子《ようす》を探《さぐ》るためのスパイだったのです。お殿様《とのさま》は、心配《しんぱい》いらないとみんなを静《しず》めます。

 そう、このニンジャは「アップルパイ王国《おうこく》」で得《え》た情報《じょうほう》を携《たずさ》えて戻《もど》ってきたのです。


 ニンジャはお殿様《とのさま》の耳《みみ》に口《くち》を寄《よ》せ、何《なに》やらボソボソと伝《つた》えました。それを聞《き》いたお殿様《とのさま》はニヤリと笑《わら》いました。余程《よほど》、良《よ》い情報《じょうほう》を聞《き》いたのでしょう。お殿様《とのさま》はみんなに云《い》いました。


「皆《みな》の者《もの》、西《にし》の国《くに》では『あっぷるぱい』というお菓子《かし》が流行《りゅうこう》して、王様《おうさま》から召使《めしつか》いまで焼《や》いては食《た》べ、食《た》べては焼《や》いての繰《く》り返《かえ》し。兵隊《へいたい》はすっかり肥《こ》え太《ふと》り、戦《たたか》いの練習《れんしゅう》もおろそかにしているという始末《しまつ》じゃ。農場《のうじょう》は『あっぷるぱい』を焼《や》くための作物《さくもつ》が豊作《ほうさく》で、倉庫《そうこ》が溢《あふ》れかえっているというではないか。その国《くに》を占領《せんりょう》すれば、我《わ》が国《くに》の食糧難《しょくりょうなん》は一気《いっき》に解決《かいけつ》するじゃろう」


 武将《ぶしょう》達《たち》は大《おお》いに活気《かっき》づきました。そんなに兵隊《へいたい》が肥《こ》えているなら、戦《たたか》えば楽《らく》に勝《か》てそうです。


「殿《との》! 急《いそ》いでその王国《おうこく》に攻《せ》め込みましょう! でないと、他《ほか》の国《くに》に先《さき》を越《こ》されてしまいますぞ!」

「おう!」


 お殿様《とのさま》は景気《けいき》付《づ》けに腰《こし》の刀《かたな》を抜《ぬ》いて、みんなに号令《ごうれい》しました。


「さあ、戦《いくさ》じゃ! えいえいおーっ!」

「えいえいおーっ!」


 武将《ぶしょう》達《たち》は戦《いくさ》の準備《じゅんび》に取《と》りかかるため、家来《けらい》のサムライ達《たち》の元《もと》へと散開《さんかい》しました。お殿様《とのさま》は刀《かたな》を腰《こし》に納《おさ》めながら、息子《むすこ》である若殿様《わかとのさま》に告《つ》げました。


「お主《ぬし》も着《つ》いて参《まい》れ」


 これも勉強《べんきょう》というわけです。若殿様《わかとのさま》は「はっ」と短《みじか》く答《こた》えて、特《とく》に何《なに》も仰《おっしゃ》いませんでした。


 さあ、いよいよ戦《いくさ》です。お殿様《とのさま》が大勢《おおぜい》の武将《ぶしょう》と兵隊《へいたい》であるサムライ達《たち》を連《つ》れて、王国《おうこく》の国境《こっきょう》沿《ぞ》いに辿《たど》り着《つ》いたときのこと、ここで若殿様《わかとのさま》が初《はじ》めて意見《いけん》を述《の》べました。


「父上《ちちうえ》――いや、殿《との》。よろしいでしょうか」

「おお、何《なん》でも云《い》うてみよ」

「殿《との》、王国《おうこく》の中《なか》に入《はい》って戦《たたか》ってしまっては、農作物《のうさくもつ》が荒《あ》らされ、収穫《しゅうかく》が減《へ》ってしまいます」

「ふむ、それはもったいない話《はなし》じゃな」

「ですので、相手《あいて》に挑戦状《ちょうせんじょう》を送《おく》り、ここに出《で》てきて正々堂々(せいせいどうどう)と対決《たいけつ》しようと申《もう》し込《こ》むのはいかがでしょう」


 お殿様《とのさま》は、息子《むすこ》の云《い》う「正々堂々(せいせいどうどう)」というところが勇《いさ》ましいので、大変《たいへん》お気《き》に召《め》したようです。お殿様《とのさま》は大《おお》きく頷《うなず》き、筆《ふで》と墨《すみ》を用意《ようい》させ、勇《いさ》ましい挑戦状《ちょうせんじょう》を書《か》き上《あ》げると、部下《ぶか》のサムライの一人《ひとり》に持《も》たせて、王国《おうこく》のお城《しろ》へと届《とど》けさせました。


 さて、その返事《へんじ》が帰《かえ》ってくるまでに、戦《たたか》いの準備《じゅんび》をしなければなりません。もし、相手《あいて》が戦《たたか》いに出《で》てきて、間《ま》に合《あ》わなくなったら大変《たいへん》です。武将《ぶしょう》の号令《ごうれい》に合《あ》わせて、サムライ達《たち》はキチンと整列《せいれつ》し、どこから襲《おそ》いかかってきても良《い》いように陣《じん》ぞなえをしています。お殿様《とのさま》も厳《いか》めしい鎧兜《よろいかぶと》を締《し》め直《なお》して準備万端《じゅんびばんたん》、完成《かんせい》した陣《じん》ぞなえの前《まえ》に立《た》ちました。


 さあ、戦《いくさ》が始《はじ》まります。つまり、恐《おそ》ろしい殺《ころ》し合《あ》いが始《はじ》まるのです。サムライ達《たち》を恐《おそ》れさせてはいけません。お殿様《とのさま》は刀《かたな》を抜《ぬ》いて、みんなの勇気《ゆうき》を奮《ふる》い立《た》たせるために大声《おおごえ》で叫《さけ》びました。


「皆《みな》の者《もの》! 待《ま》ちに待《ま》った戦《いくさ》が始《はじ》まるぞ! 手柄《てがら》を立《た》てて、名《な》を上《あ》げる好機到来《こうきとうらい》じゃ! お主達《ぬしたち》は強《つよ》い! お主《ぬし》達《たち》は世界最強《せかいさいきょう》のサムライなのじゃ!」


 サムライ達《たち》は目《め》を輝《かがや》かせ、同《おな》じように刀《かたな》を抜《ぬ》いて「おおっ!!」と叫《さけ》び、鬨《とき》の声《こえ》を上《あ》げました。元気《げんき》いっぱい、勇気《ゆうき》いっぱい、誠《まこと》に勇《いさ》ましい限《かぎ》りです。このサムライ達《たち》の鬨《とき》の声《こえ》を聴《き》けば、どんな国《くに》の兵隊達《へいたいたち》も震《ふる》え上《あ》がることでしょう。


 武将達《ぶしょうたち》やサムライ達《たち》が活気《かっき》づいて鬨《とき》の声《こえ》を上《あ》げる中《なか》で、あの若殿様《わかとのさま》は澄《す》ました顔《かお》で落《お》ち着《つ》き払《はら》っていました。若殿様《わかとのさま》の周囲《しゅうい》に従《したが》うサムライ達《たち》はその様子《ようす》が気《き》になり、「どうかしましたか?」と尋《たず》ねましたが、やはり澄《す》まし顔《がお》でこういいます。


「なあに、戦《いくさ》にはならんよ。賢《かしこ》い虎《とら》は吠《ほ》えるだけで、戦《たたか》わずに敵《てき》を蹴散《けち》らすものだと、爺様《じいさま》が云《い》っていたのだ」


 それを聴《き》いたサムライ達《たち》は何《なに》がなんだか判《わか》らず、首《くび》を傾《かし》げました。一方《いっぽう》、アップルパイ王国《おうこく》のお城《しろ》では――。


(二《に》)


「誰《だれ》だ! こんなとんでもないアップルパイを作《つく》ったのは!」


 こちらでも勇《いさ》ましい叫《さけ》び声《ごえ》が聞《き》こえてきますが、どうにも、戦《いくさ》のためではないようです。

 王様《おうさま》を始《はじ》め、大臣達《だいじんたち》や兵隊《へいたい》までもが、何枚《なんまい》ものアップルパイを抱《かか》えて味《あじ》の比《くら》べっこをしています。とてつもなく大《おお》きなパイや、手《て》の平《ひら》に収《おさ》まるほどの小《ちい》さなパイまで、大《おお》きさも様々(さまざま)なら、作《つく》り方《かた》も様々(さまざま)。

 リンゴをパイ生地《きじ》で包《つつ》んだ普通《ふつう》のパイや、パイ生地《きじ》だけ焼《や》いてからリンゴを乗《の》せたり――中《なか》には、まるまる一個《いっこ》のリンゴをパイ生地《きじ》で丸《まる》めたものもあって、さすがの王様《おうさま》もびっくり仰天《ぎょうてん》。それで、あのように叫《さけ》んでいたのでしょう。


「大臣《だいじん》、さてはお前《まえ》だな!」

「はあ、いけませんでしたでしょうか」

「ばかもん! リンゴは切《き》って煮立《にた》ててからで無《な》いとダメなのだろうが!」

「はあ……で、お味《あじ》の方《ほう》は?」

「このばかもん! まず自分《じぶん》で味見《あじみ》をしたらどうだ!」


 王様《おうさま》の仰《おっしゃ》ることも誠《まこと》にごもっともなのですが、リンゴ丸《まる》ごとでも美味《おい》しいかもしれませんね。焼《や》きリンゴという、別《べつ》のお料理《りょうり》があるくらいですから。それをパイ生地《きじ》に包《つつ》めば、美味《おい》しい果汁《かじゅう》をこぼさずに済《す》むのかも――おっとっと、話《はなし》がそれてしまいました。


 もっとも、戻《もど》すお話《はなし》はアップルパイのことではありません。お城《しろ》の入《い》り口《ぐち》から兵士達《へいしたち》が血相《けっそう》を変《か》えて、王様《おうさま》の御前《ごぜん》に走《はし》り込《こ》んできました。アップルパイで太《ふと》った体《からだ》を揺《ゆ》すりながらドスドスと……。


「王様《おうさま》! 王様《おうさま》! 大変《たいへん》です! 大変《たいへん》でございます!!」


 王様《おうさま》は、尚《なお》もアップルパイをモシャモシャと頬張《ほおば》りながら、さも面倒《めんどう》くさそうに返事《へんじ》をします。


「なんだ、騒々(そうぞう)しい。そんなに大騒《おおさわ》ぎをされては、パイの味《あじ》が判《わか》らなくなるではないか」

「パ、パイどころの話《はなし》ではございません! かのサムライ帝国《ていこく》のサムライが、挑戦状《ちょうせんじょう》を持《も》ってきたのです! 戦争《せんそう》をしようと云《い》ってきたのです!」

「な、なんだと!」


 そこに、鎧甲《よろいかぶと》で身《み》を固《かた》めた如何《いか》にも強《つよ》そうなサムライが、落《お》ち着《つ》き払《はら》ってやってきました。

 たった一人《ひとり》です。お殿様《とのさま》が書《か》いた挑戦状《ちょうせんじょう》を手《て》に、お使《つか》いとしてやってきたのです。お使《つか》いといっても、敵《てき》のお城《しろ》の中《なか》に一人《ひとり》で乗《の》り込《こ》むのですから、こんな恐《おそ》ろしいお使《つか》いはありません。

 でも、そのサムライは恐《おそ》れもせず、「お前達《まえたち》なんか怖《こわ》くないぞ」と周《まわ》りの兵士達《へいしたち》を睨《にら》みつけながら、堂々(どうどう)と王様《おうさま》の前《まえ》に進《すす》み出《で》てきました。そして、大《おお》きな声《こえ》で挑戦状《ちょうせんじょう》を読《よ》み上《あ》げます。


「挑戦状《ちょうせんじょう》! 我《わ》がサムライ帝国《ていこく》はお主《ぬし》ら王国《おうこく》に宣戦布告《せんせんふこく》する! 国境沿《こっきょうぞ》いで互《たが》いの領土《りょうど》をかけて戦《たたか》おうではないか! さもなくば、お主《ぬし》らの農場《のうじょう》や街《まち》を踏《ふ》み荒《あ》らし、城《しろ》まで攻《せ》め込《こ》んで皆殺《みなごろ》しだ! 返事《へんじ》の代《か》わりに国王《こくおう》は兵士《へいし》を連《つ》れて出《で》て来《く》るのだ!」


(宣戦布告《せんせんふこく》というのは、相手《あいて》の国《くに》に戦争《せんそう》をするぞと宣言《せんげん》することなのですが、普通《ふつう》は、こんな酷《ひど》い宣戦布告《せんせんふこく》はありません。お前《まえ》の国《くに》が悪《わる》いという理由《りゆう》もなく、殺《ころ》し合《あ》いをして領土《りょうど》を貰《もら》うぞと宣言《せんげん》しているのです。まるで、ならず者《もの》の強盗《ごうとう》のようですね)


 そして、お使《つか》いのサムライは読《よ》み上《あ》げた挑戦状《ちょうせんじょう》を、王様《おうさま》に突《つ》きつけます。王様《おうさま》は震《ふる》えながら受《う》け取《と》り、「ど、どうしよう、どうしよう」とうろたえるばかりで、その場《ば》にいる大臣達《だいじんたち》もまごついているだけで、なんの役《やく》にも立《た》ちません。みんな、アップルパイの食《た》べすぎで、体《からだ》だけでなく心《こころ》も太《ふと》りすぎてしまったのでしょうか。


 そんな大《おお》騒《さわ》ぎの中《なか》、一人《ひとり》の女性《じょせい》が現《あらわ》れて云《い》いました。「降伏《こうふく》しましょう」と。


 それはお妃様《きさきさま》でした。「アップルパイの張本人《ちょうほんにん》」であるにも関《かか》わらず、すっかり太《ふと》ってしまった王様達《おうさまたち》と違《ちが》って体《からだ》はスラリとしたままで、ご婚礼《こんれい》に来《こ》られたときと変《か》わらず、お綺麗《きれい》なままでした。お妃様《きさきさま》は重《かさ》ねて王様《おうさま》に申《もう》し上《あ》げます。


「王様《おうさま》、降伏《こうふく》しましょう。この王国《おうこく》では国《くに》を挙《あ》げてアップルパイを焼《や》くことに専念《せんねん》しているので、もはや戦争《せんそう》をする力《ちから》はありません。サムライ帝国《ていこく》の皆様《みなさま》に降伏《こうふく》を宣言《せんげん》する他《ほか》はないでしょう」


 まったく、お妃様《きさきさま》の云《い》う通《とお》りなので、王様《おうさま》は何《なに》も云《い》えずに頷《うなず》く他《ほか》はありません。でも、相手《あいて》は恐《おそ》ろしいサムライ帝国《ていこく》、降伏《こうふく》したらどんな目《め》に遭《あ》うのだろう? 王様《おうさま》は恐《おそ》ろしくて、やはり体《からだ》を震《ふる》わせるばかり――まったく、一国《いっこく》を預《あず》かる王様《おうさま》として、こんなことで良《よ》いのでしょうか。

 でも、そんな頼《たよ》りない王様《おうさま》に、お妃様《きさきさま》は優《やさ》しくも頼《たの》もしく仰《おっしゃ》られます。


「王様《おうさま》、心配《しんぱい》ございませんわ。私達《わたしたち》にはアップルパイがついていますから」

「……アップルパイ?」

「そうです。さあ、おサムライ様《さま》をお城《しろ》にお招《まね》きして、とびきり美味《おい》しいアップルパイをご馳走《ちそう》いたしましょう」


(三《さん》)


 さて、お使《つか》いのサムライがお殿様《とのさま》の元《もと》に(無事《ぶじ》に)戻《もど》って参《まい》りました。


(こういうお使《つか》いは無事《ぶじ》では済《す》まないこともあるのです。戦争《せんそう》に応《おう》じる証《あかし》として、返事《へんじ》のかわりにお使《つか》いの首《くび》を切《き》り落《お》として、首《くび》だけにして突《つ》き返《かえ》すこともあります。なんとも恐《おそ》ろしい話《はなし》です)


 そして、相手《あいて》が降伏《こうふく》を宣言《せんげん》したことを聞《き》くと、お殿様《とのさま》をはじめ、武将《ぶしょう》達《たち》やサムライ達《たち》はみんながっかりしました。せっかく戦《いくさ》のために準備《じゅんび》をしていたのに、これでは全《すべ》てが台無《だいな》しです。


 でも、頭《あたま》を下《さ》げる相手《あいて》に斬《き》りかかるわけにもいきません。如何《いか》にサムライは強《つよ》くとも(あんなひどい宣戦布告《せんせんふこく》をしてはいますが)決《けっ》して悪《わる》い人《ひと》ではないのです。本当《ほんとう》の目的《もくてき》は「アップルパイ王国《おうこく》」の食糧《しょくりょう》をぶんどることだったので(やっぱりひどい話《はなし》ですが)これで良《よ》しとお殿様《とのさま》は頷《うなず》きました。


 さて、勇《いさ》ましくも猛々(たけだけ)しいサムライ達《たち》はキッチリと整列《せいれつ》して、王国《おうこく》のお城《しろ》まで行進《こうしん》します。農家《のうか》の村《むら》や街《まち》の人々(ひとびと)は、震《ふる》え上《あ》がって建物《たてもの》の中《なか》に隠《かく》れました。しかし、戦争《せんそう》にはならずに相手《あいて》が降伏《こうふく》してしまったので、サムライ達《たち》は農家《のうか》や街《まち》を荒《あ》らしたり乱暴《らんぼう》したりはしません。

 ただし、村《むら》や街《まち》を荒《あ》らさないのは、農家《のうか》の収穫《しゅうかく》を減《へ》らしたくないだけかもしれませんが。


(四《よん》)


 お城《しろ》に到着《とうちゃく》すると王様《おうさま》とお妃様《きさきさま》が出迎《でむか》えました。そして、両国《りょうこく》が会談《かいだん》をするために選《えら》ばれた大《おお》きな食堂《しょくどう》へ案内《あんない》され、王様《おうさま》や大臣達《だいじんたち》が食事《しょくじ》をするための長《なが》いテーブルに座《すわ》りました。向《む》かい合《あ》わせで王国《おうこく》の王様《おうさま》と、サムライ帝国《ていこく》のお殿様《とのさま》が座《すわ》ります。さあ、これから国《くに》同士《どうし》の会談《かいだん》をして、降伏《こうふく》した王様《おうさま》はお殿様《とのさま》の云《い》うことに従《したが》わなくてはならないのです。


 若殿様《わかとのさま》も会談《かいだん》に参加《さんか》しましたが、まだまだ年《とし》が若《わか》く、お勉強《べんきょう》をしなければならない身《み》の上《うえ》です。今回《こんかい》はテーブルの端《はし》の方《ほう》でお話《はなし》を聞《き》くだけとなりました。お殿様《とのさま》の息子《むすこ》とはいえ、お殿様《とのさま》や年輩《ねんぱい》の武将《ぶしょう》達《たち》を差《さ》し置《お》いて、意見《いけん》を述《の》べることはできません。


 ふと、若殿様《わかとのさま》の隣《となり》にいる付《つ》き添《そ》いのサムライが、「若《わか》?」と、ぼそりと囁《ささや》きました。若殿様《わかとのさま》は同《おな》じように囁《ささや》き返《かえ》します。


「……なんだ?」

「この国《くに》の人《ひと》はみんな太《ふと》ってるけど、中《なか》には痩《や》せてて綺麗《きれい》な女性《じょせい》もいますね」

「ああ、国王《こくおう》のお妃《きさき》のことかな……んん?」


 若殿様《わかとのさま》は付《つ》き添《そ》いの云《い》うことに首《くび》を傾《かし》げました。お妃様《きさきさま》のことだけなら、女性《じょせい》と云《い》わずに、お妃様《きさきさま》と云《い》えば良《い》いはずです。

 この時《とき》になって初《はじ》めて、若殿様《わかとのさま》はもう一人《ひとり》の女性《じょせい》がいることに気《き》がつきました。


 会談《かいだん》が行《おこな》われる広間《ひろま》のすみっこに、一人《ひとり》の女《おんな》の子《こ》が立《た》っていました。その女《おんな》の子《こ》は召使《めしつか》いの格好《かっこう》をしているのですが、やせ細《ほそ》っているためか、その服《ふく》はぶかぶかで合《あ》っていません。しかも、腕組《うでぐ》みをしながらじっとみんなの様子《ようす》を伺《うかが》っていて、なんだか偉《えら》そうな態度《たいど》です。しかも、他《ほか》の召使《めしつか》いのように給仕《きゅうじ》の仕事《しごと》をしないので、不審《ふしん》に思《おも》いました。

 ですが、今《いま》は会談《かいだん》が大事《だいじ》です。怪《あや》しいにしても、とりあえず放《ほう》っておくしかありません。


 さあ、会談《かいだん》が始《はじ》まりますが――と、その前《まえ》に、お妃様《きさきさま》が立《た》ち上《あ》がり云《い》いました。


「皆様《みなさま》、さぞお疲《つか》れでございましょう。我《わ》が国《くに》の自慢《じまん》、王国謹製《おうこくきんせい》のアップルパイを召《め》し上《あ》がって頂《いただ》きましょう」


 そして召使《めしつか》い達《たち》は焼《や》きあがったばかりのアップルパイをお殿様《とのさま》や武将《ぶしょう》達《たち》の前《まえ》に置《お》きました。加《くわ》えて、王様《おうさま》を始《はじ》め、王国《おうこく》側《がわ》の人達《ひとたち》にもお相伴《しょうばん》のために並《なら》べられます。

 もともと、お殿様《とのさま》はアップルパイのことを聞《き》いていたので興味津々(きょうみしんしん)です。王国《おうこく》で流行《りゅうこう》し、国中《くにじゅう》を魅了《みりょう》したほどのお菓子《かし》はどんな味《あじ》がするのだろうと、ここまで来《く》る旅《たび》の途中《とちゅう》でも、戦《いくさ》の準備《じゅんび》をしている最中《さいちゅう》でも、気《き》になって仕方《しかた》がなかったのです。


 ですが、すぐに手《て》を出《だ》すわけにはいきません。ここは敵《てき》の王国《おうこく》なのです。たかが食《た》べ物《もの》でも、毒《どく》が入《はい》っているのでは? などと、なにかと警戒《けいかい》しなければならないのです。


 お殿様《とのさま》は「おい」と物陰《ものかげ》に向《む》かって尋《たず》ねます。すると柱《はしら》の陰《かげ》から黒装束《くろしょうぞく》の男《おとこ》が、ぬうっと姿《すがた》を現《あらわ》して、無言《むごん》でお殿様《とのさま》に頷《うなず》きます。食《た》べても問題《もんだい》はないとの返答《へんとう》です。

 その黒装束《くろしょうぞく》の男《おとこ》はもちろん、スパイであるニンジャです。敵《てき》の秘密《ひみつ》を探《さぐ》るばかりではなく、こうしてお殿様《とのさま》の身《み》の回《まわ》りを守《まも》る役目《やくめ》もあるようです。

 そのニンジャの返答《へんとう》を受《う》けて、お殿様《とのさま》はアップルパイをぱくり。


「う、旨《うま》い!」


 お殿様《とのさま》はその味《あじ》にびっくりしました。恐《おそ》らく、パイという種類《しゅるい》のお菓子《かし》を食《た》べるのは、これが初《はじ》めてだったのでしょう。サムライ帝国《ていこく》のお菓子《かし》と云《い》えば、お米《こめ》をついて、モチモチとしたお餅《もち》にして、アンコをいれてお饅頭《まんじゅう》にしたり、あるいは、そのお餅《もち》を堅《かた》く焼《や》いてお煎餅《せんべい》にするなど、お米《こめ》を使《つか》ったものがほとんど。

 そうなると珍《めずら》しさが手伝《てつだ》って、よりいっそう美味《おい》しいと感《かん》じたに違《ちが》いありません。


 お殿様《とのさま》を初《はじ》め、並《なら》んで座《すわ》っている武将《ぶしょう》達《たち》は夢中《むちゅう》になってアップルパイを食《た》べましたが、若殿様《わかとのさま》だけは手《て》を着《つ》けようとしませんでした。

 更《さら》に若殿様《わかとのさま》は、自分《じぶん》の周《まわ》りに居《い》る若《わか》いサムライ達《たち》にだけ、こう囁《ささや》きました。


「食《た》べるな。これは食《た》べちゃダメだ」


 美味《おい》しそうなお菓子《かし》を目《め》の前《まえ》にして、こんな「おあずけ」を命令《めいれい》されるのは辛《つら》いことでしょう。でも、若殿様《わかとのさま》の周囲《しゅうい》にいる若《わか》いサムライ達《たち》は、「ははあ、さては何《なに》かあるな?」と感《かん》づいて、お互《たが》いに顔《かお》を見合《みあ》わせながら、パイをお皿《さら》に戻《もど》しました。


 お妃様《きさきさま》は目《め》ざとくその様子《ようす》を見《み》ていましたが、特《とく》に何《なん》とも仰《おっしゃ》いませんでした。

 

(五《ご》)


「あー、エヘンエヘン」


 若殿様《わかとのさま》が大《おお》きな声《こえ》でわざとらしい咳《せき》払《ばら》いをしました。すると、お殿様《とのさま》や武将《ぶしょう》達《たち》は、大《だい》の大人《おとな》である自分達《じぶんたち》が、お菓子《かし》を夢中《むちゅう》で食《た》べていることに恥《は》ずかしくなったのでしょう。お殿様《とのさま》達《たち》はパイをお皿《さら》に戻《もど》して、「ごほんごほん、えーっと……」と若殿様《わかとのさま》と同《おな》じく、わざとらしい咳《せき》をしながら身《み》を正《ただ》しました。

 お殿様《とのさま》は少《すこ》しどもりながらも、会談《かいだん》を進《すす》めます。


「と、とにかく、あー、会談《かいだん》を始《はじ》めるとしよう。そちらが降伏《こうふく》したのだから、我《わ》がサムライ帝国《ていこく》に従《したが》ってもらうぞ。ただし……」


 と、自分《じぶん》が勝利者《しょうりしゃ》であることを念押《ねんお》ししましたが、よほどアップルパイが美味《おい》しかったのでしょうか。なんだか気持《きも》ちが大《おお》らかになっている様子《ようす》です。いったんお皿《さら》に戻《もど》したアップルパイを眺《なが》めて、ごくんと唾《つば》を飲《の》み込《こ》みながら、お殿様《とのさま》は話《はな》し続《つづ》けます。


「この国《くに》を丸《まる》ごと頂《いただ》くような無残《むざん》な真似《まね》はしない。ワシらの要求《ようきゅう》は、かのカンフー帝国《ていこく》との戦《いくさ》に備《そな》えて、食糧《しょくりょう》を確保《かくほ》せねばならんのじゃ。そちらもカンフー帝国《ていこく》に攻《せ》められては困《こま》るじゃろう」


 そう云《い》われては、誠《まこと》にごもっとも。王様《おうさま》も「なるほど、なるほど」と頷《うなず》きます。上手《うま》く話《はなし》を合《あ》わせれば乱暴《らんぼう》な目《め》に遭《あ》わずに済《す》むかも知《し》れません。これもアップルパイのご利益《りやく》でしょうか。

 ですが、お殿様《とのさま》が地図《ちず》を広《ひろ》げて仰《おっしゃ》るには、


「この国《くに》のここからここまでを、我《わ》がサムライ帝国《ていこく》に頂《いただ》くだけで良《よ》いことにしよう」


 それを聞《き》いた王様《おうさま》は「ちょ、ちょっと待ってください!」と大慌《おおあわ》て。


「そこで取《と》れる小麦《こむぎ》を丸《まる》ごと持《も》って行《い》かれては、うちはもうアップルパイを焼《や》くことが出来《でき》なくなります」

「ならば、ここからここまでではどうじゃ」

「いやいや、肝心《かんじん》のリンゴが無《な》ければどうにも」

「ならば、ここを」

「そこの牧場《ぼくじょう》のバターやクリームが……」


 アップルパイの御利益《ごりやく》はここまででした。ついに頭《あたま》にきたお殿様《とのさま》、テーブルをドンッと強《つよ》く叩《たた》いて、怒鳴《どな》り散《ち》らしました。


「こら! どこまで図々(ずうずう)しいんだ貴様《きさま》! 貴様《きさま》はワシに降伏《こうふく》したのを忘《わす》れたか! この上《うえ》は、貴様《きさま》の首《くび》をちょんぎって、この国《くに》を丸《まる》ごと――」

「まあまあまあ、これは失礼《しつれい》を申《もう》し上《あ》げました、お殿様《とのさま》」


 なにやら、お殿様《とのさま》が恐《おそ》ろしいことを云《い》い掛《か》けたのですが、それを柔《やわ》らかく押《お》しとどめたのはお妃様《きさきさま》。お妃様《きさきさま》は王様《おうさま》とお殿様《とのさま》の間《あいだ》に立《た》って、美《うつく》しい笑顔《えがお》でお殿様《とのさま》を丸《まる》め込《こ》みます。


「お殿様《とのさま》のご都合《つごう》も考《かんが》えず、勝手《かって》なことを申《もう》し上《あ》げました。ですが、お察《さっ》しくださいまし。我《わ》が国《くに》のアップルパイは国《くに》を挙《あ》げての国家《こっか》事業《じぎょう》。いずれの土地《とち》が欠《か》けても、成《な》り立《た》たなくなってしまうのです。つい事業《じぎょう》に熱《ねつ》を入《い》れるあまり、ご無理《むり》を申《もう》し上《あ》げてしまい、誠《まこと》に申《もう》し訳《わけ》ございません」


 立石《たていし》に水《みず》が如《ごと》しとは、正《まさ》にこのこと。流石《さすが》のお殿様《とのさま》も、言葉《ことば》を返《かえ》す隙《すき》が見《み》あたりません。

 お妃様《きさきさま》は、更《さら》に畳《たた》み込《こ》んでしまいました。


「でも、あの強大《きょうだい》なカンフー帝国《ていこく》との戦《いくさ》を控《ひか》えたご事情《じじょう》ですから、我《わ》が国《くに》も精一杯《せいいっぱい》のお手伝《てつだ》いをさせて頂《いただ》きましょう。この国《くに》は丸《まる》ごと、お殿様《とのさま》に差《さ》し上《あ》げましょう」


 お妃様《きさきさま》のこのお言葉《ことば》に、お殿様《とのさま》は勿論《もちろん》、王国《おうこく》の王様《おうさま》や大臣達《だいじんたち》はびっくり仰天《ぎょうてん》です。国《くに》を丸《まる》ごと譲《ゆず》り渡《わた》すなんてことを、王様《おうさま》を差《さ》し置《お》いてお妃様《きさきさま》が云《い》って良《よ》いことなのでしょうか。もちろん、お妃様《きさきさま》はそつなく王様《おうさま》も丸《まる》め込《こ》んでしまいます。


「ねえ、あなた? 私達《わたしたち》はアップルパイさえあれば、それで良《よ》いのです。この国《くに》は全《すべ》てがアップルパイ。アップルパイを焼《や》いて、食《た》べることが出来《でき》るなら、それで良《よ》いではありませんか」

「……え、あー、そう、そうだな、その通《とお》りだ、うん」

「なら、私達《わたしたち》の王国《おうこく》はお殿様《とのさま》のサムライ帝国《ていこく》の一部《いちぶ》となって、おサムライ様《さま》のために一生懸命《いっしょうけんめい》、アップルパイを焼《や》かせて頂《いただ》きましょう」


 これで良《よ》いのでしょうか。もしかしたら、国《くに》として成立《せいりつ》しなくなったこの王国《おうこく》を任《まか》せてしまうのも、それはそれで良《よ》いことかもしれませんが、本当《ほんとう》にこれで良《よ》いのでしょうか。


(怪《あや》しい。なんだか、怪《あや》しいぞ。あのお妃《きさき》はとんだ雌狐《めぎつね》なのかもしれないぞ)


 そんな風《ふう》にお妃様《きさきさま》を睨《にら》んでいるのは、テーブルの端《はし》っこに座《すわ》っている若殿様《わかとのさま》です。


 ちなみに雌狐《めぎつね》とは、狐《きつね》のように(といっては本物《ほんもの》の狐《きつね》に失礼《しつれい》ですが)ずるがしこいことを考《かんが》えている女《おんな》の人《ひと》のこと。お殿様《とのさま》に従順《じゅうじゅん》に従《したが》っているように見《み》せかけて、後《あと》でとんでもない仕返《しかえ》しを企《たくら》んでいるのかもしれません。


 お殿様《とのさま》もそれほど愚《おろ》かではないようで、なんだか納得《なっとく》のいかない顔《かお》つきです。このままお妃様《きさきさま》の云《い》うことを丸《まる》ごと鵜呑《うの》みには出来《でき》ないようです。そこで、こう付《つ》け加《くわ》えました。


「判《わか》った。そちらがそう申《もう》し出《で》るというなら、この国《くに》を丸《まる》ごと頂《いただ》くとしよう。それに加《くわ》えて、この王国《おうこく》の兵隊《へいたい》は全《すべ》て、我《わ》が国《くに》の兵隊《へいたい》として従《したが》ってもらうぞ。そして、兵隊《へいたい》ではない若《わか》い男《おとこ》もみんな連《つ》れて行《い》く」


 この王国《おうこく》の戦力《せんりょく》を全《すべ》て奪《うば》い取《と》ってしまおうという考《かんが》えですね。なかなかの用心《ようじん》深《ぶか》さですが、こんな一方的《いっぽうてき》な提案《ていあん》に応《おう》じる国《くに》も無《な》いでしょう。しかし、お妃様《きさきさま》は笑顔《えがお》を崩《くず》さず、


「全《すべ》て、お殿様《とのさま》のよろしいように」


 と、ぺこりと頭《あたま》を下《さ》げました。


(おい)


 と、若《わか》いサムライ達《たち》に囁《ささや》いたのは若殿様《わかとのさま》です。


(その『あっぷるぱい』とやらを持《も》ち帰《かえ》れ。食《た》べるなよ)


 そう云《い》って、若殿様《わかとのさま》はパイを風呂敷《ふろしき》に包《つつ》ませて立《た》ち上《あ》がりました。


第三章《だいさんしょう》 アップルパイ王国《おうこく》の陰謀《いんぼう》


(一《いち》)


 さて、お殿様《とのさま》と王様《おうさま》の会談《かいだん》も無事《ぶじ》に終了《しゅうりょう》となりました。実際《じっさい》にはもっと細《こま》かいことを決《き》めなくてはならないのですが、もう王国《おうこく》はサムライ帝国《ていこく》に支配《しはい》されることになったので、後《あと》はお殿様《とのさま》とその武将《ぶしょう》達《たち》の思《おも》いのままです。

 そうと決《き》まれば忙《いそが》しくなるでしょう。お殿様《とのさま》達《たち》はさっそく席《せき》を立《た》とうとしましたが、


「さあ、会談《かいだん》が無事《ぶじ》に済《す》んだことですし、このまま祝杯《しゅくはい》と参《まい》りましょう」


 またしてもお妃様《きさきさま》です。祝杯《しゅくはい》と云《い》っても勿論《もちろん》、アップルパイを食《た》べるだけ。お殿様《とのさま》達《たち》は何《なに》か都合《つごう》をつけて席《せき》を立《た》とうとしましたが、新《あら》たに運《はこ》び込《こ》まれたアップルパイの香《かお》りに包《つつ》まれてはたまりません。一度《いちど》は浮《う》かせた腰《こし》を、戸惑《とまど》いながらも下《お》ろしてしまいました。ああ、もはや全《すべ》てお妃様《きさきさま》の手《て》の内《うち》で踊《おど》らされているような気《き》がして仕方《しかた》が無《な》いのですが……。

 そんなお殿様《とのさま》の背後《はいご》から、若殿様《わかとのさま》は声《こえ》をかけました。


「殿《との》」

「お、おう、なんじゃ。お主《ぬし》は食《く》わんのか」

「いえ、もう頂《いただ》きましたので――お願《ねが》いがございます」

「なんじゃ」

「この王国《おうこく》の様子《ようす》を見《み》て回《まわ》りたいので、用心《ようじん》のためにニンジャを一人《ひとり》、お借《か》りしたいのですが」

「おう、そうか。おい」


 お殿様《とのさま》はアップルパイを頬張《ほおば》りながら、後《うし》ろを振《ふ》り向《む》いて呼《よ》びかけます。するとまた物陰《ものかげ》から、ぬうっとニンジャが姿《すがた》を現《あらわ》しました。そして、更《さら》にそのニンジャが指《ゆび》をパチンとならすと、今度《こんど》は天井裏《てんじょううら》から別《べつ》のニンジャが、すとんと舞《ま》い降《お》りたのです。

 そのニンジャは同《おな》じように黒装束《くろしょうぞく》なのですが、とても体《からだ》つきが小《ちい》さく、まだ子供《こども》なのかも知《し》れません。そして、若殿様《わかとのさま》にぴょこんとお辞儀《じぎ》をしました。若殿様《わかとのさま》に合《あ》わせて、若《わか》い弟子《でし》を割《わ》り当《あ》てたのでしょうか。若殿様《わかとのさま》は、お殿様《とのさま》にお礼《れい》をしました。


「殿《との》、ありがとうございます。それでは、これにて」

「おう、気《き》をつけてな――むむ、これは旨《うま》い。この甘酸《あまず》っぱさがなんとも……」


 お殿様《とのさま》はもう若殿様《わかとのさま》に構《かま》わず、アップルパイに夢中《むちゅう》のご様子《ようす》。若殿様《わかとのさま》はなんだか不安《ふあん》になってきましたが、この場《ば》は仕方《しかた》がありません。若《わか》いサムライ達《たち》を連《つ》れて立《た》ち去《さ》りました。


(二《に》)


 若殿様《わかとのさま》は初《はじ》めて来《き》た王国《おうこく》のお城《しろ》を見回《みまわ》りながら歩《ある》いています。その若殿様《わかとのさま》の背後《はいご》には、何人《なんにん》かの若《わか》いサムライが付《つ》き添《そ》っていますが、彼《かれ》ら若《わか》いサムライは、若殿様《わかとのさま》お一人《ひとり》に仕《つか》えしている若殿様《わかとのさま》専用《せんよう》の家来《けらい》で、若殿様《わかとのさま》を守《まも》ったりお世話《せわ》をしたり、あるいは、ともに剣《けん》の修行《しゅぎょう》や勉強《べんきょう》をする仲間《なかま》でもあります。将来《しょうらい》、若殿様《わかとのさま》が本物《ほんもの》のお殿様《とのさま》になった時《とき》には、新《あら》たな家臣《かしん》となってお仕《つか》えすることになるのかもしれません。とりあえず、若殿様《わかとのさま》に合《あ》わせて彼《かれ》らのことは若《わか》サムライとでも呼《よ》ぶと致《いた》しましょう。

 若《わか》サムライ達《たち》は大小様々(だいしょうさまざま)、体《からだ》つきの大《おお》きい者《もの》や若殿様《わかとのさま》と同《おな》じくらい、あるいは、まだ子供《こども》といってもよいサムライも混《ま》じっています。そんな若《わか》サムライが三人《さんにん》ほど若殿様《わかとのさま》の後《うし》ろを歩《ある》いて、油断《ゆだん》なく周囲《しゅうい》を見渡《みわた》しながら、若殿様《わかとのさま》をお守《まも》りして歩《ある》いていました。

 そこに、ちっちゃなニンジャが新《あら》たに加《くわ》わり、柱《はしら》や天井《てんじょう》など影《かげ》から影《かげ》へ、ぴょいぴょいと飛《と》び移《うつ》りながら、若殿様《わかとのさま》を見守《みまも》っています。若殿様《わかとのさま》にお仕《つか》えすることになって、とても張《は》り切《き》っているようですね。


 若殿様《わかとのさま》は歩《ある》きながら何《なに》やら考《かんが》え込《こ》んでいます。あのお妃様《きさきさま》について考《かんが》えているのでしょうか。あるいは、この成《な》り行《ゆ》きについてでしょうか。


 無血開城《むけつかいじょう》、という難《むずか》しい言葉《ことば》があります。血《ち》を流《なが》さずに城《しろ》を開《ひら》く、つまり、血《ち》を流《なが》す戦《たたか》いをしないで、敵《てき》の城《しろ》を占領《せんりょう》してしまうという、まったく戦死者《せんししゃ》を出《だ》さない素晴《すば》らしい勝利《しょうり》なのです。それをサムライ帝国《ていこく》はやってのけたのですから、結果《けっか》は上々(じょうじょう)の筈《はず》です。

 若殿様《わかとのさま》のすぐ側《そば》の若《わか》サムライは、そのことについて尋《たず》ねました。


「若《わか》。もしかして、初《はじ》めから戦《いくさ》にはならないと判《わか》っていて、殿《との》に挑戦状《ちょうせんじょう》をお勧《すす》めしたですか」


 若殿様《わかとのさま》は何《なに》か別《べつ》のことを考《かんが》えていたのでしょうか。そう尋《たず》ねられて、慌《あわ》てて我《われ》に返《かえ》りました。


「ええ? ああ、いや、判《わか》っていた訳《わけ》じゃないよ。こうなったら良《い》いな、ぐらいは考《かんが》えていたさ」

「若《わか》は戦《いくさ》がお好《す》きじゃないのですか。サムライが戦《たたか》うのを嫌《いや》がっていては、家臣《かしん》にしめしがつきませんぞ」

「いやいや、この王国《おうこく》の太《ふと》った兵隊《へいたい》どもと戦《たたか》ったって楽《たの》しくはないし、相手《あいて》にやる気《き》が無《な》ければ、ただの虐殺《ぎゃくさつ》になってしまうよ。カンフー帝国《ていこく》との戦《たたか》いに備《そな》えて、力《ちから》を蓄《たくわ》えておかないとね」


 若殿様《わかとのさま》は、そう「ごまかし」ました。実《じつ》は本当《ほんとう》に戦《いくさ》は嫌《きら》いなのかもしれませんね。尋《たず》ねていた若《わか》サムライは「はあ、そんなもんですか」と答《こた》えましたが不満顔《ふまんがお》――この若《わか》サムライは何《なに》かと若殿様《わかとのさま》に意見《いけん》するのが役目《やくめ》のようです。参謀《さんぼう》とでも名付《なづ》けてしまいましょう。


 若殿様《わかとのさま》は参謀《さんぼう》に返事《へんじ》をする代《か》わりに、手近《てじか》にある手《て》すりをスッと指《ゆび》でなぞりました。すると、若殿様《わかとのさま》の指《ゆび》には埃《ほこり》がべっとり。それを腰《こし》で払《はら》いながら云《い》いました。


「爺様《じいさま》が云《い》っていた。掃除《そうじ》を出来《でき》ていない家《いえ》には上《あ》がるなと」

「それはお爺様《じいさま》というより、お姑《しゅうと》さんのすることですよ」


 と、参謀《さんぼう》が言葉《ことば》を返《かえ》すと、それを聞《き》いていたちっちゃい若《わか》サムライが勢《いきお》いづいて追《お》い立《た》てます。


「そうだ! サムライは剣術《けんじゅつ》が大事《だいじ》だ! 掃除《そうじ》が出来《でき》てないくらい、サムライにはどうでもいいじゃないか!」


 このちっちゃいチビ助《すけ》、たとえちっちゃくても気持《きも》ちは立派《りっぱ》なサムライのつもりで、腰《こし》に二本《にほん》のちっちゃい刀《かたな》を差《さ》しているだけじゃ飽《あ》きたらず、背中《せなか》にも大人《おとな》用《よう》と変《か》わらない大《おお》きな刀《かたな》を背負《せお》っています。相手《あいて》がお殿様《とのさま》の息子《むすこ》だからって、云《い》うことに容赦《ようしゃ》がありません。

 そんなチビ助《すけ》に若殿様《わかとのさま》は怒《おこ》ったりしませんが、苦笑《にがわら》いで答《こた》えます。


「いやいや、掃除《そうじ》の出来《でき》ない人《ひと》は、いい加減《かげん》な生活《せいかつ》をしているから付《つ》き合《あ》うなと、爺様《じいさま》は云《い》っていたのさ。サムライたるもの、キチンと整理整頓《せいりせいとん》しないとな」


 云《い》いくるめられたチビ助《すけ》、腹《はら》の虫《むし》が治《おさ》まらないのか、後《うし》ろからのっそりと着《つ》いてきているデッカい若《わか》サムライに「お前《まえ》も何《なん》とか云《い》えよ」と云《い》いながら、向《む》こう臑《ずね》を蹴《け》っ飛《と》ばします。

 そのデッカいデカ助《すけ》は、ただ一言《ひとこと》。


「あの『あっぷるぱい』たべたかったなぁ」


 その間《ま》の抜《ぬ》けたデカ助《すけ》の言葉《ことば》に、どっと白《しら》ける若《わか》サムライ達《たち》。若殿様《わかとのさま》はカラカラと笑《わら》って、


「いやあ、それはすまなかったな。代《か》わりに、僕《ぼく》の饅頭《まんじゅう》と羊羹《ようかん》を分《わ》けてやるから――」


 そんなことを話《はな》していた若殿様《わかとのさま》ですが、ふと、なにやらおかしな光景《こうけい》に目《め》が止《と》まりました。

 若殿様《わかとのさま》の視線《しせん》の先《さき》はお城《しろ》の中庭《なかにわ》だったのですが、綺麗《きれい》なお花《はな》が咲《さ》き誇《ほこ》っている優雅《ゆうが》なお城《しろ》の庭園《ていえん》に、何着《なんちゃく》かの洗濯物《せんたくもの》が物干《ものほ》し竿《ざお》にひっかけて干《ほ》されているのです。お城《しろ》の庭園《ていえん》には不釣《ふつ》り合《あ》いな、まるで貧《まず》しい民家《みんか》のような光景《こうけい》です。よく見《み》るとその洗濯物《せんたくもの》は召使《めしつか》いが着《き》る服《ふく》で、使《つか》っている物干《ものほ》し竿《ざお》は兵隊《へいたい》が装備《そうび》している鋭《するど》い槍《やり》でした。

 そして、そのすぐ側《そば》で一人《ひとり》の女《おんな》の子《こ》が、干《ほ》されている物《もの》と同《おな》じ召使《めしつか》いの服《ふく》を着《き》て座《すわ》っていました。何《なん》だか疲《つか》れた顔《かお》をして、今《いま》にも溜息《ためいき》が聞《き》こえてきそうです。


 若殿様《わかとのさま》には見覚《みおぼ》えがありました。あの会談《かいだん》で腕組《うでぐ》みをして立《た》っていたあの女《おんな》の子《こ》に間違《まちが》いありません。若殿様《わかとのさま》は、「この召使《めしつか》いはなんでこんなところで洗濯物《せんたくもの》を干《ほ》しているのだろう」と思《おも》ったのですが、もしかしたら、召使《めしつか》いではないのかもしれないと考《かんが》え直《なお》しました。

 それを察《さっ》したのか、あのちっちゃいニンジャが若殿様《わかとのさま》の側《そば》に舞《ま》い降《お》りて、耳《みみ》に何《なに》かを囁《ささや》きました。それを聞《き》いた若殿様《わかとのさま》はとても驚《おどろ》きました。


「ええ? あの子《こ》がここの王女様《おうじょさま》だって!?」


(三《さん》)


 王女様《おうじょさま》はようやく慣《な》れない手《て》つきで、見《み》よう見《み》まねで洗濯《せんたく》を終《お》えて、一休《ひとやす》みしていたところでした。この様子《ようす》だと、もう誰《だれ》も王女様《おうじょさま》のお世話《せわ》をしていないようです。王女様《おうじょさま》はついに着《き》る服《ふく》がなくなってしまい、召使《めしつか》いの服《ふく》を引《ひ》っ張《ぱ》り出《だ》して、自分《じぶん》で洗濯《せんたく》をしながら着替《きが》えているのでしょう。王女様《おうじょさま》が着《き》るようなドレスでは、もったいなくて洗濯《せんたく》なんて出来《でき》なかったに違《ちが》いありません。

 食事《しょくじ》はどうしているのでしょう。可哀想《かわいそう》に、すっかり痩《や》せ細《ほそ》った体《からだ》つきを見《み》れば、あくまでもアップルパイを食《た》べていないに違《ちが》いありません。では、そのかわりに何《なに》を食《た》べているのでしょうか?

 その答《こた》えはすぐに判《わか》りました。アップルパイの材料《ざいりょう》である、アップルパイ専用《せんよう》のリンゴを懐《ふところ》から取《と》り出《だ》して、ガリガリと齧《かじ》り始《はじ》めたのです。王女様《おうじょさま》に食《た》べられるものといえば、それしかありません。そして、はあ……と大《おお》きく溜息《ためいき》をつきながら、王女様《おうじょさま》は考《かんが》えます。


(ああ、ハンバーグやお魚《さかな》のフライが食《た》べたいなあ。一緒《いっしょ》に、白《しろ》いパンにバターをたっぷり塗《ぬ》って、パリパリのレタスとキュウリと完熟《かんじゅく》トマトのサラダを添《そ》えて、そして熱々(あつあつ)のコンソメスープとか、コショウがピリッと効《き》いたポテトのポタージュスープでもいいな。ああ!)


 そんな風《ふう》に思《おも》っていても、生《う》まれたときからお城《しろ》の王女《おうじょ》として育《そだ》ったのです。食《た》べたい物《もの》があったら召使《めしつか》いが何《なん》でも用意《ようい》してくれるご身分《みぶん》だったので、自分《じぶん》一人《ひとり》ではどうしていいやら判《わか》りません。そんなご身分《みぶん》で、お洗濯《せんたく》を自分《じぶん》でしているだけでも、本当《ほんとう》に大《たい》したものなのです。


 そんな光景《こうけい》を若殿様《わかとのさま》は眺《なが》めていたのですが、隣《となり》の参謀《さんぼう》が云《い》いました。


「若《わか》、掃除《そうじ》はともかく、ちゃんと洗濯《せんたく》が出来《でき》ているお庭《にわ》なら上《あ》がらせて頂《いただ》きましょうよ」


 参謀《さんぼう》は先程《さきほど》の若殿様《わかとのさま》のセリフに引《ひ》っかけて、そう云《い》ったのでしょう。つまり、さっさとあの子《こ》に声《こえ》をかけろと催促《さいそく》をしているのです。それもその通《とお》り、ここは素通《すどお》りなんて出来《でき》ません。

 若殿様《わかとのさま》は身《み》なりを正《ただ》して、挨拶《あいさつ》しようとしましたが――。


「失礼《しつれい》、拙者《せっしゃ》は……」

「名乗《なの》らないで。私《わたし》は名乗《なの》りたくないから」


 と、王女様《おうじょさま》はツンと顔《かお》を逸《そ》らしてしまいます。名乗《なの》るなと云《い》われたら、なんの話《はなし》も出来《でき》ないし、取《と》り付《つ》く島《しま》もありません。しかし若殿様《わかとのさま》は、放《ほう》っては置《お》けないと取《と》りすがります。


「なら、名乗《なの》らずとも良《よ》いが、大丈夫《だいじょうぶ》でござるか? あなたは顔色《かおいろ》が」

「ご想像《そうぞう》の通《とお》りよ。このお城《しろ》の人達《ひとたち》を見《み》れば事情《じじょう》は判《わか》るでしょ? さよなら」


 そう云《い》って、王女様《おうじょさま》は立《た》ち上《あ》がり、さっと庭園《ていえん》から出《で》て行《い》ってしまいました。今度《こんど》は、若殿様《わかとのさま》が溜息《ためいき》をつく番《ばん》です。少《すく》なくとも、この王国《おうこく》の事情《じじょう》が実《じつ》に深刻《しんこく》な状態《じょうたい》であることが判《わか》りました。


「やれやれ、これはやっかいな国《くに》に関《かか》わってしまったみたいだな」

「若《わか》、どうなさいます? これは殿《との》にご相談《そうだん》された方《ほう》が」

「父上《ちちうえ》はこの王国《おうこく》の占領《せんりょう》に乗《の》り気《き》だ。ちゃんと何《なに》が問題《もんだい》なのか調《しら》べてからでないと、相談《そうだん》なんて出来《でき》ないよ――おい」


 若殿様《わかとのさま》は、お殿様《とのさま》がやっていたように後《うし》ろを振《ふ》り向《む》いて声《こえ》をかけます。そこに、ストンとちっちゃなニンジャが舞《ま》い降《お》りました。


「ここのアップルパイについて調《しら》べ直《なお》してくれ。どんなことでも良《い》いから」


(四《よん》)


 さあ、若殿様《わかとのさま》達《たち》は問題《もんだい》のアップルパイに取《と》りかかります。若殿様《わかとのさま》はお城《しろ》の一部屋《ひとへや》を借《か》り受《う》け、そこで持《も》ち帰《かえ》ったアップルパイを広《ひろ》げました。デカ助《すけ》がヨダレを垂《た》らしながら眺《なが》めていますが、それをチビ助《すけ》が「手《て》を出《だ》すなよ。この国《くに》の連中《れんちゅう》みたいに掃除《そうじ》が出来《でき》なくなっちまうぞ」と小突《こづ》きます。


 しかし、こうして眺《なが》めていても何《なに》も判《わか》らないでしょう。それは、本当《ほんとう》に普通《ふつう》のアップルパイだからです。そりゃもちろん、毒《どく》でも入《はい》っているかも知《し》れませんが、問題《もんだい》ないことは既《すで》にお殿様《とのさま》のニンジャが調査《ちょうさ》済《ず》み。参謀《さんぼう》は「どうします? とりあえず、食《た》べてみますか?」と云《い》いますが、若殿様《わかとのさま》は「うーん」と腕組《うでぐ》みをして考《かんが》え込《こ》むだけです。


 そこに、すとんとちっちゃいニンジャが戻《もど》ってきました。そして、一枚《いちまい》の紙切《かみき》れを若殿様《わかとのさま》に渡《わた》して、ひらりと、また何処《どこ》かに去《さ》って行《い》きます。どうやら、途中経過《とちゅうけいか》のご報告《ほうこく》だったようですね。その紙切《かみき》れには、こんなことが書《か》かれていました。


「アップルパイコンテスト 結果《けっか》発表《はっぴょう》! 優勝《ゆうしょう》は『街角《まちかど》レストラン』! さあ、そのレシピは……」


 そして、そこにはアップルパイの作《つく》り方《かた》が詳細《しょうさい》まで書《か》かれていました。


 それを若殿様《わかとのさま》の横《よこ》から覗《のぞ》き見《み》した参謀《さんぼう》は「なんだ、読《よ》み売《う》りですか」と云《い》いました。「読《よ》み売《う》り」とはサムライ帝国《ていこく》では新聞《しんぶん》のようなものをそう呼《よ》んでいるのです。

 読《よ》み売《う》りを手《て》にする若殿様《わかとのさま》の周《まわ》りに若《わか》サムライは集《あつ》まり、議論《ぎろん》を交《か》わします。


「ふーん、作《つく》り方《かた》は秘伝《ひでん》じゃないのか。隠《かく》さずに公表《こうひょう》するんだな」

「若《わか》、作《つく》ってみます? それなら、食《た》べても問題《もんだい》は無《な》いでしょう」

「材料《ざいりょう》はどうするんだ。材料《ざいりょう》そのものが問題《もんだい》なら意味《いみ》は無《な》いぞ」

「それに、あのお妃《きさき》が作《つく》ったものじゃなければ意味《いみ》が無《な》いでしょうね」

「でも、それは食《た》べちゃ駄目《だめ》だろ?」

「もう何《なん》でも良《い》いから食《た》べようよ」

「なに云《い》ってんだこのデカ助《すけ》!」


 ですが、若殿様《わかとのさま》はデカ助《すけ》の提案《ていあん》を採用《さいよう》しました。


「よし、メシにしよう。僕《ぼく》はアジの干物《ひもの》を焼《や》くから、チビ助《すけ》は米《こめ》を炊《た》いてくれ」


 案外《あんがい》、若殿様《わかとのさま》はデカ助《すけ》がお気《き》に入《い》りのようですね。サムライたるもの、腹《はら》が減《へ》っては戦《いくさ》が出来《でき》ません。一同《いちどう》、腹《はら》ごしらえをしながら、あのちっちゃいニンジャが調《しら》べてくるのを待《ま》つことにしました。


「あれれ、漬《つ》け物《もの》は無《な》かったかなあ」

「これはどうです。旨《うま》いですよ」

「ああ、それはキムチ王国《おうこく》で買《か》ったヤツじゃないか。それ、辛《から》いんだよな……」


(五《ご》)


 さて、あのちっちゃいニンジャです。ニンジャはひょいひょいと物陰《ものかげ》から物陰《ものかげ》を飛《と》び移《うつ》り、問題《もんだい》の核心《かくしん》である、お妃様《きさきさま》の台所《だいどころ》へと忍《しの》び寄《よ》りました。

 もしお妃様《きさきさま》が「何《なに》かを企《たくら》む悪《あく》の親玉《おやだま》!」であるのなら、こんな危険《きけん》な任務《にんむ》はないでしょう。ちっちゃいニンジャは慎重《しんちょう》に潜入《せんにゅう》を開始《かいし》します。幸《さいわ》い、扉《とびら》が少《すこ》し開《ひら》いていたので、するりと潜《もぐ》り込《こ》むことが出来《でき》ました。

 そこでは、お妃様《きさきさま》が懸命《けんめい》にアップルパイを焼《や》いています。お妃様《きさきさま》だけではありません。少《すく》なくとも、アップルパイに関《かん》しては仕事熱心《しごとねっしん》なようで、何人《なんにん》かの召使《めしつか》いが忙《いそが》しく出入《でい》りして、焼《や》かれたアップルパイが次々(つぎつぎ)と持《も》ち出《だ》され、運《はこ》ばれていきます。

 ふと、ちっちゃいニンジャは気《き》づきました。


 二種類《にしゅるい》のパイ生地《きじ》。

 二種類《にしゅるい》のリンゴのお鍋《なべ》。

 二種類《にしゅるい》のクリームのボウル。

 そして、二種類《にしゅるい》の焼《や》きあがったアップルパイ。


 アップルパイは二種類《にしゅるい》に分《わ》けて作《つく》られていました。アップルパイの模様《もよう》を見《み》れば、区別《くべつ》が付《つ》くようになっています。ただし、材料《ざいりょう》は同《おな》じです。


 はて? と、ちっちゃいニンジャは首《くび》を傾《かし》げました。どういう理由《りゆう》で二種類《にしゅるい》なのだろう。まさか、毒《どく》入《い》りと作《つく》り分《わ》けているのでは!? と考《かんが》えましたが、それはありません。何故《なぜ》なら、すでに仲間《なかま》のニンジャが調査《ちょうさ》済《ず》みで、食《た》べても問題《もんだい》は無《な》いはずですし、材料《ざいりょう》はまったく同《おな》じです。ならば……試《ため》しに食《た》べてみる?


 ちっちゃいニンジャはうずうずしてきました。この台所《だいどころ》は甘《あま》い香《かお》りが充満《じゅうまん》していて、ちっちゃいニンジャは少《すこ》しクラクラしてきたようです。食《た》べちゃいけないと若殿様《わかとのさま》は云《い》っていたけれど――一口《ひとくち》ぐらいならダイジョウブですよね。ね?


 ちっちゃいニンジャは、ニンジャ刀《とう》を抜《ぬ》いてアップルパイをほんの少《すこ》し切《き》り取《と》って、ぱくり……。


(六《ろく》)


「ええ!? アップルパイが二種類《にしゅるい》に作《つく》り分《わ》けられているって?」


 ちっちゃいニンジャの報告《ほうこく》を聞《き》いた若殿様《わかとのさま》はびっくり。無論《むろん》、ちっちゃいニンジャが味見《あじみ》したのがバレて、「どうなってもしらないぞ」と若殿様《わかとのさま》は云《い》い掛《か》けたのですが、


「食《た》べてみれば、違《ちが》いは判《わか》る? うーん……」


 そう聞《き》いては、叱《しか》るに叱《しか》れないところ。こうなると、味見《あじみ》をしてみなければ判《わか》るものではありません。ちっちゃいニンジャが持《も》ち帰《かえ》った(少《すこ》し欠《か》けた)二種類《にしゅるい》のアップルパイがテーブルの上《うえ》に並《なら》べられました。

 若殿様《わかとのさま》達《たち》が持《も》ち帰《かえ》ったものと比《くら》べてみると、模様《もよう》ですぐに区別《くべつ》がつきました。片方《かたほう》がサムライ向《む》けのアップルパイ。ということは、もう片方《かたほう》がこの国《くに》の王様達《おうさまたち》が食《た》べている王国《おうこく》向《む》けのアップルパイ、ということになるでしょう。


 それをしばらく眺《なが》めていた若殿様《わかとのさま》は、ついに決断《けつだん》しました。


「よし、みんなで食《た》べ比《くら》べてみよう。みんな、一口《ひとくち》だけだぞ」


 そう云《い》って、あのチビ助《すけ》に「先生《せんせい》、お願《ねが》いします」と云《い》いました。チビ助《すけ》は「かしこまった!」と背中《せなか》の大刀《だいとう》をやおら引《ひ》き抜《ぬ》いて、「ヤッ!!」と見事《みごと》にアップルパイを細切《こまぎ》れにしてしまいました。流石《さすが》、「サムライは剣術《けんじゅつ》」と普段《ふだん》から高言《こうげん》するだけのことはあります。その剣裁《けんさば》きにみんなは拍手喝采《はくしゅかっさい》――と、余興《よきょう》はここまで。さっさと食《た》べてみましょうと、参謀《さんぼう》が神妙《しんみょう》な顔《かお》をしてみんなをうながしました。


「えーっと、こちらが我々(われわれ)に出《だ》されたのと同《おな》じですね」

「で、こっちがこの国《くに》の連中《れんちゅう》が食《た》べているほうだな」

「こら、デカ助《すけ》。一口《ひとくち》だけだぞ」

「アハハ、先《さき》に腹《はら》ごしらえしておいてよかったな」

「いや、甘《あま》い物《もの》ならいくらでも……」

「だめだめ。さっき饅頭《まんじゅう》も食《く》ったんだから……んん?」


 違《ちが》いは明瞭《めいりょう》、意見《いけん》は一致《いっち》しました。


「王国《おうこく》向《む》けの方《ほう》が甘《あま》い」


 これは何《なに》を意味《いみ》しているのでしょう。ますます判《わか》りません。若殿様《わかとのさま》は尚更《なおさら》、悩《なや》んでしまいました。そうと見《み》て、先《さき》ほどの「読《よ》み売《う》り」を示《しめ》しながら参謀《さんぼう》は云《い》いました。


「若《わか》、この『街角《まちかど》レストラン』に行《い》ってみましょう」

「どうするんだ?」

「専門家《せんもんか》に意見《いけん》を聞《き》くんですよ。『餅《もち》は餅屋《もちや》』ってお爺様《じいさま》は仰《おっしゃ》いませんでしたか?」

「もっともだ。よし、そのパイを持《も》って――ああいや、まるまる一枚《いちまい》づつ、新《あたら》しいのを手《て》に入《い》れてくれないかな」


 そうニンジャに命《めい》じながら、若殿様《わかとのさま》は立《た》ち上《あ》がりました。


(七《なな》)


 さて、お城《しろ》を出《で》て街《まち》に行《い》くとなると、そう簡単《かんたん》には行《い》きません。如何《いか》にサムライ帝国《ていこく》が占領《せんりょう》して支配《しはい》しているとはいえ、何《なに》一《ひと》つ危険《きけん》が無《な》いとはいえないでしょう。ましてや、若殿様《わかとのさま》のご身分《みぶん》は決《けっ》して低《ひく》くはないのです。襲《おそ》われたり誘拐《ゆうかい》されたりしないように、護衛《ごえい》の兵隊達《へいたいたち》を連《つ》れて行《い》かなければなりません。そうしたことは、お殿様《とのさま》の許可《きょか》が必要《ひつよう》となるでしょう。


「殿《との》、お願《ねが》いしたいことが……」


 若殿様《わかとのさま》がお殿様《とのさま》の元《もと》に赴《おもむ》いて声《こえ》をかけようとしたのですが、そのお殿様《とのさま》の様子《ようす》を見《み》て言葉《ことば》を失《うしな》いました。自分達《じぶんたち》が問題《もんだい》にしているアップルパイを片手《かたて》に、モリモリと食《た》べ続《つづ》けているのですから。なんだか見《み》てはいけないようなものを見《み》てしまった気《き》がして、若殿様《わかとのさま》は思《おも》わず顔《かお》をしかめました。


 若殿様《わかとのさま》がお殿様《とのさま》の居場所《いばしょ》をみつけたその先《さき》は閲兵場《えっぺいじょう》(兵隊《へいたい》達《たち》が集《あつ》まって整列《せいれつ》をするための運動場《うんどうじょう》のような場所《ばしょ》)で、サムライ達《たち》と王国《おうこく》の兵隊《へいたい》達《たち》が一緒《いっしょ》に行動《こうどう》するための手順《てじゅん》を、ああでもない、こうでもない、と思案《しあん》しているところでした。

 それは良《い》いのですが、サムライ達《たち》を命《めい》じる合間《あいま》に、お殿様《とのさま》はこの王国《おうこく》の王様《おうさま》と一緒《いっしょ》に並《なら》んでアップルパイを片手《かたて》に、「これは旨《うま》いな(もぐもぐ)うん、それも旨《うま》そうだ(もぐもぐ)」と、もぐもぐ食《た》べ続《つづ》けているのです。食《た》べているのか、サムライ達《たち》を指揮《しき》しているのか、いったい何《なに》をしているのかまるで判《わか》りません。


「おお、息子《むすこ》よ(もぐもぐ)方針《ほうしん》が決《き》まったぞ」


 お殿様《とのさま》の様子《ようす》に呆《あき》れている隙《すき》に、若殿様《わかとのさま》はうっかり先手《せんて》を取《と》られました。でも、お殿様《とのさま》はすべき仕事《しごと》はしているようです。

 若殿様《わかとのさま》は気《き》になったので、一応《いちおう》、「その方針《ほうしん》というのは」と尋《たず》ねましたが、呆《あき》れたことに、その説明《せつめい》をする合間《あいま》にも、決《けっ》してアップルパイを食《た》べるのを止《や》めようとしないのです。


「うむ(もぐもぐ)この王国《おうこく》の兵隊《へいたい》を我《わ》が軍《ぐん》に取《と》り込《こ》むつもりじゃったが、どうにも兵士《へいし》が鈍《にぶ》っておるようじゃし(もぐもぐ)我《わ》がサムライ達《たち》と同《おな》じ戦《たたか》い方《かた》をするのは無理《むり》じゃ。ならば、いっそ食糧《しょくりょう》の供給《きょうきゅう》や運搬《うんぱん》専門《せんもん》ならどうじゃろうと思《おも》ってな(もぐもぐ)簡単《かんたん》に云《い》えば、アップルパイ係《がかり》という訳《わけ》じゃ」

「と、殿《との》……それは……」

「ここの食糧《しょくりょう》を調達《ちょうたつ》するのはよいが、どうにも全《すべ》ての食糧《しょくりょう》は全《すべ》てアップルパイ専門《せんもん》というからのう(もぐもぐ)だったら、この国《くに》の者《もの》に全《すべ》てを任《まか》せた方《ほう》が話《はなし》は早《はや》いというわけじゃ」

「しかし、食糧《しょくりょう》は大事《だいじ》な命綱《いのちづな》、それを他国《たこく》に任《まか》せきりというのは」

「ああ、判《わか》っておるわい(もぐもぐ)じゃから、全《すべ》てと云《い》っても監視《かんし》は徹底《てってい》させるし、アップルパイの焼《や》き方《かた》をサムライ達《たち》に伝授《でんじゅ》させようとしておるのじゃ(もぐもぐ)最後《さいご》には誰《だれ》もが自分《じぶん》でアップルパイを焼《や》けるようにな」

「……」

「サムライのための食糧《しょくりょう》はこの国《くに》から頂戴《ちょうだい》して(もぐもぐ)民百姓《たみひゃくしょう》からの年貢《ねんぐ》は自分《じぶん》で食《く》わせる。如何《いか》に不作《ふさく》の現状《げんじょう》でも年貢《ねんぐ》が軽《かる》くなれば(もぐもぐ)我《わ》が民百姓《たみひゃくしょう》も大喜《おおよろこ》びじゃろう(もぐもぐ)この王国《おうこく》は大豊作《だいほうさく》が続《つづ》いておるようだし、これで万事《ばんじ》は上手《うま》くいく(もぐもぐ)我《われ》ながら素晴《すば》らしい采配《さいはい》じゃ!(もぐもぐ)うん、旨《うま》い旨《うま》い(もぐもぐ)」


 お殿様《とのさま》のご機嫌《きげん》は麗《うるわ》しくて誠《まこと》に結構《けっこう》なことですが、若殿様《わかとのさま》は真《ま》っ青《さお》になりました。もう何《なに》か問題《もんだい》があっても、もはや手遅《ておく》れではないでしょうか。

 しかし、自分達《じぶんたち》がやると決《き》めた事《こと》を進《すす》めなければなりません。青《あお》くなってる場合《ばあい》ではないと、横《よこ》から参謀《さんぼう》に脇《わき》を突《つつ》かれました。若殿様《わかとのさま》はどうにか気《き》を取《と》り直《なお》して、「あの、お願《ねが》いがあるのですが」と切《き》り出《だ》した、その時《とき》です。


「殿《との》! 一大事《いちだいじ》でございます! 殿《との》!」


 と、別《べつ》のサムライが別《べつ》の方角《ほうがく》から慌《あわ》てふためいて駆《か》け込《こ》んできました。お殿様《とのさま》は(やっぱりアップルパイを頬張《ほおば》りなら)うっとうしそうに返事《へんじ》をします。


「なんじゃ(もぐもぐ)騒々(そうぞう)しい」

「殿《との》! 本国《ほんごう》からの早馬《はやうま》の知《し》らせで、ピストル合衆国《がっしゅうこく》の大統領《だいとうりょう》がやってきたとのことです! 港《みなと》に軍艦《ぐんかん》を並《なら》べて、大砲《たいほう》を撃《う》ち鳴《なら》らしていると!」

「……で(もぐもぐ)なんじゃというのじゃ(もぐもぐ)城《しろ》を崩《くず》されたのか」

「い、いえ、その、大砲《たいほう》は全《すべ》て殿《との》を呼《よ》び出《だ》すための砲弾《ほうだん》の無《な》い空砲《くうほう》で、とにかく、自分《じぶん》の国《くに》の武器《ぶき》を買《か》えと……」

「またか。仕方《しかた》ないのう(もぐもぐ)息子《むすこ》よ(もぐもぐ)お前《まえ》が戻《もど》って断《ことわ》ってこい」


 若殿様《わかとのさま》は今度《こんど》こそお殿様《とのさま》に呆《あき》れました。たとえ空砲《くうほう》とはいえ、自分《じぶん》の国《くに》に向《む》けて大砲《たいほう》を撃《う》たれては、戦争《せんそう》になってもおかしくない事態《じたい》です。このお殿様《とのさま》の無関心《むかんしん》さには、空《あ》いた口《くち》がふさがらないところですが――。


「……心得《こころえ》ました」


 サムライの勤《つと》めは厳《きび》しいもので、例《たと》え実《じつ》の息子《むすこ》とは云《い》え、主君《しゅくん》の命令《めいれい》には絶対《ぜったい》に従《したが》わなくてはならないのです。流石《さすが》に、後《うし》ろに従《したが》う若《わか》サムライ達《たち》が何《なに》か云《い》いたそうでしたが、


「仕方《しかた》ない。全力《ぜんりょく》で国《くに》に戻《もど》るぞ」


 と、若殿様《わかとのさま》に云《い》われては仕方《しかた》がありません。若《わか》サムライ達《たち》は、心中《しんちゅう》お察《さっ》しします、と無言《むごん》の表情《ひょうじょう》を浮《う》かべていました。


 駆《か》け出《だ》す若殿様《わかとのさま》達《たち》の背後《はいご》から、お殿様《とのさま》の「アップルパイ軍団《ぐんだん》」が完成《かんせい》しつつある様子《ようす》が聞《き》こえてきます。


「どうじゃ(もぐもぐ)上手《うま》く焼《や》けたか?(もぐもぐ)どれ、味見《あじみ》をしてやろう(もぐもぐ)おお、これはなかなかの美味《びみ》……」


(後編に続く)



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