(前編)
この物語では、多くの料理に関する描写を行っておりますが、筆者は料理をすることがほとんど無く、適当な空想で描いているので、決して真に受けないで頂きたいと思います。また、現実社会の国家に似せた描写が多く含まれておりますが、一切関係はございません。というより、筆者に現実を批判したりパロディにする能力は元からございません。
【アップルパイ王国 前編】
第一章 アップルパイ王国の誕生
(一)
もともと、その国には別の名前があったのですが、王様が宣言したわけでもなく、誰かが提案したわけでもなく、いつの間にやら、こう呼ばれていました。「アップルパイ王国」と――。
いや、もう王国なんてつけずに「アップルパイ」で良いと思います。誰も文句は云わないでしょう。だって、もはやアップルパイそのものになってしまったのですから。
それは王様の奥様、つまり、お妃様が亡くなられてからのことです。王様は新しいお妃様をお貰いになりました。そのお方は他の国のお姫様で、王様よりも若くてお綺麗な方で、加えて、とてもお料理上手なのでした。
お姫様なら、お城のコックに料理を任せる筈なのですが、自分の好みに合わせてお料理をしないと気が済まなくなってしまったそうで、特にスイーツ、つまり、お菓子作りが得意中の得意。新しいお妃様となってお城にやってきたその日から、ご挨拶代わりにお料理の腕を振る舞いました。そしてお作りになったのは「アップルパイ」。王様は新しいお妃様が焼いたアップルパイを大変お気に召しました。
「いやあ、このアップルパイは素晴らしい! パイ生地の食感とリンゴの甘酸っぱさが絶妙だ!」
「まあ、そんなに喜んでいただけるなら、幾らでも焼いて差し上げますわ」
お妃様は王様に褒められて嬉しくなり、更にもっと沢山のアップルパイを焼いて、王様の家来や、厨房のコックさん達にも振る舞われました。王様はお世辞で褒めたのではなく本当に美味しかったので、お城の人達にも大評判。本職のコックさん達も脱帽です。
実はお妃様は、新しく来たばかりだったので、みんなと仲良く出来るかどうか、とても心配だったのです。前のお妃様と比べられて、悪いところばかりを見つけられ、悪口ばかり云われたりしないかどうかと不安に思っていました。
でも、こうしてアップルパイがとても好評だったので、誰も新しいお妃様を悪く云う人はいませんでした。お城の人達は毎日、お妃様の美味しいアップルパイを食べることが出来たし、お妃様は毎日、みんなから美味しいと褒めて貰えたので、みんな揃って幸せな日々を過ごしました。
でも、お城の中で一人だけ、あまり幸せではない人がいました。それは亡くなられた前のお妃様の一人娘で、新しいお妃様が来られる前からおられた王女様だったのです。
新しいお妃様と仲が悪いわけではありませんでした。いつも笑顔で挨拶を交わし、楽しそうにお話をしています。ですが、お茶の時間になると、王女様の笑顔が引きつってしまいます。
実は王女様は甘い物が苦手で、お茶の時間には少し塩味の効いたクラッカーや、酸っぱい果物などを食べていたのです。最初はせっかくお妃様が焼いたのだからと食べてはみたのですが、やはり苦手なものは苦手でした。
(パイ生地はなんだか甘いし、中には更に甘いクリーム、おまけにリンゴが最低! 果物を甘いシロップで煮て食べるだなんて信じられないわ! リンゴはそのままシャリシャリ食べるのが一番美味しいのに!)
心の中ではそう思っていても、お妃様や王様のご機嫌を損ねたくなかったので、とても口に出して云うことが出来ないし、かといって、食べるのも嫌なので、王女様は困ってしまいました。
どうしようかと悩んでいましたが、お妃様は大勢の人のためにアップルパイを焼くのが忙しく、他の人はアップルパイを夢中で食べているので、王女様が食べないことに誰も気付かなかったのです。王女様はアップルパイをそっと他の人に押しやり、お茶だけ飲んで席を立つことが出来ました。
でも、王女様はなんだか嫌な予感がしてなりません。でも、予感だけではどうすることも出来ないし、どうして良いやら判らないので、黙って見ているほかはありませんでした。
(二)
さて、お妃様はこれだけでは満足なさいませんでした。もっともっと大勢の人にアップルパイを食べてもらい、みんな幸せになって欲しい。そうすれば、自分はもっともっと褒めて貰えて、もっともっと幸せになれると思ったのです。
ですが、今はお妃様のアップルパイが食べられるのはお城の人達だけ。そこで、お妃様は計画を立てました。その名も「アップルパイ改革」です。
さて、それはどんな改革なのでしょうか。その手始めに、お妃様は王様にこんなお願いをしました。
「王様、お願いがあります」
「ほほう、おねだりかね? 君のお陰で美味しいアップルパイが食べられるのだから、そのお礼をしたくてたまらないのだ。なんでも云ってみなさい」
「アップルパイをもっと美味しく作りたいので、国中の農場を検分して、もっと良い小麦やリンゴが無いか、自分で探してみたいのです」
「なんと! これまでのアップルパイよりも、もっと美味しくなるというのか! よろしい。召し使いでも兵隊でも、そしてお金も好きなだけ使ってよいから、思う通りにやりなさい」
「まあ、有り難うございます、王様」
「なに、宝石やドレスに比べたら安い物だよ。それにしても妃は勤勉な人だなあ。アップルパイは美味しいし、私は幸せ者だ」
こうして、お妃様は国内の巡行に出発しました。お妃様は大勢の召し使いや兵隊を連れて、王国中の農家を巡ります。王様もその旅に参加しました。新しいお妃様のお披露目にもなるし、途中で美味しい物を食べられるかもしれません。なにより、新しいお妃様をとても愛しておられましたので、非常に楽しい旅となりました。(今は)この王国は平和であったし、こうして王様が出向いて働くのはとても良いことなので、お城の大臣達も大賛成です。
とある貧しい農家にやってきた時のことです。その農家はあまり品質が良くない(という評価を受けていた)小麦をちょっぴり育てているだけでした。でも、お妃様はその小麦を大変お気に召したのです。農家の人はビックリしました。
「ええ!? うちの小麦は、自分で云うのも何ですが、そんなに良い物じゃ無いですぜ」
「いえいえ、このお国ではパイ作りをされなかったから、良くないと思っておいでだったのでしょう。この小麦でパンを焼いてもそれほど美味しくないのですが、パイ生地にすれば、とても美味しくなる品種なのです」
お妃様はその場でパイ生地を焼いて、みんなで試食しました。その味には王様もビックリ。
「これは美味しい! いままで妃が焼いてくれたパイよりも更に美味しいではないか!」
「驚かれるのはまだ早いですよ。さあ、このパイ生地に見合った美味しいリンゴも探さなくては」
お妃様はその評価の低かった小麦を、最高級の値段で買い付け、リンゴの農園に向かいました。そうなるとその小麦は、パイ生地作りの最高級品ということになったのです。
もう他の小麦には見向きもしません。これまで最高級と評価を受けていた小麦は相手にされず、その農家の人々はとても悔しがりました。
リンゴの農園でも同じようなことが起きました。
「いやあ、うちのリンゴは堅くて酸っぱくて評判が悪いんだが」
「いえいえ、パイにするために煮立ててから食べるのなら、これぐらい強いリンゴでないとダメなんですのよ」
「そうか! うちのリンゴは不味いんじゃなくて、強いのか!」
何事も向き不向きがあるというわけです。お妃様はその場でリンゴを煮立てて、やはりみんなで試食しました。またしても、その味にビックリです。王様は褒め讃えました。
「これは素晴らしい! まさに魔法のリンゴと云っても良いだろう! ああ、妃よ! 早く最高のアップルパイに仕上げてくれないか!」
「あらあら、王様ったらお気の早いこと。まだまだ、最高のバターやクリーム、そしてお砂糖も……」
そんな具合に、お妃様と王様の旅は続きます。王様は最高のアップルパイが楽しみでならず、他の食べ物のことなど、どうでも良くなってきました。お付きの召し使いや兵隊達もお相伴させて頂いたので、みんな期待にわくわくと胸を膨らませています。材料には専門家であるはずの農家の人々も気になって仕方がありません。
王様達が去った後の農家の人々は、お妃様に選ばれた農場に集まり、自分達にも同じ品種の作物を作らせて欲しいとせがみました。お妃様に選ばれたのなら大変な名誉だし、きっと国中でアップルパイが流行するに決まっています。そうなると自分達がこれまで育てた作物が売れなくなり、値段が下がってしまうからです。
そしてお城に戻ったお妃様は、旅で揃えた最高の素材で、最高のアップルパイを仕上げたのでした。その味は、正しく天にも昇るような最高のアップルパイとなったのです。王様は遂に完成した最高のアップルパイを食べて、最高にご満悦です。
「妃よ! これまで食べたアップルパイの中でも、比べものにならぬほど最高のアップルパイだ! 正に神に捧げるお菓子だ!」
王様は正しく最高の讃辞をなさいました。しかし、これで満足なさるお妃様ではなかったのです。「アップルパイ改革」は、ここからが始まりなのです。
「王様? 料理は無限、お菓子は正に宇宙です。そうそう極め尽くせるものではありません。ここで満足しては、物事は衰退するばかりでございます。もっともっと遙かな高見を目指してこそ、最高のアップルパイが最高でいられるのでございます」
「妃よ、これ以上にどうすれば良いというのか」
「王様、我々のような王家の者ばかりが最高とは限りません。草の根を分けてこそ、これまで目にしたこともない輝かしい玉石が見いだせるというもの」
「ふむ……」
なんだかお妃様の話が難しくなってきました。王様や家来達はそれぞれアップルパイを手にしたままポカンとして、何がなんだか判っていません。
「では、妃よ。どうすれば良いのだ」
お妃様の答えは、ただ一言。
「待ちます」
「ええ?」
このお答えに王様達は尚更、開いた口がふさがりませんでした。
さて、お城の中で只一人、この有様を冷静に、冷たい視線で見守っている人がいます。それはもちろん、アップルパイを食べていない只一人、王女様でした。王女様は、王様達の様子に背筋が凍る想いです。もはやお城の人達は、お妃様たった一人の云われるがままになっているのです。
みんながアップルパイに夢中なのはどうでも良いのですが、仕事を放り出して、王女様のお世話をすることをすっかり忘れてしまっているのは問題です。王女様にアップルパイを持ってこないのは(甘いお菓子はお嫌いですから)かまわないのですが、もはや、お茶すらも持ってこようとしません。
まるで、みんなは「アップルパイ病」という病気にかかってしまったみたいです。王女様はご自分で水をコップについで喉の渇きを癒やしながら、この国はどうなってしまうのだろうと思いました。
ですが、そんな日々は急に終わりました。
ある日から、お妃様はアップルパイをみんなにご馳走するのを止めてしまいました。王様は食べたいとお望みになりましたが、「今は研究中なので」と、王様のご命令を軽くはねのけました(これだけでもおかしなことです。王様の命令は絶対に従わなくてはならない筈です)。
これでみんなの「アップルパイ病」が治るのでは無いか、と思われました(王女様は少しだけそう期待しました)。ですが、結果は逆でした。みんなは余計にアップルパイへの想いが募り、「アップルパイ、アップルパイ」と頭の中で何かが囁いているような気がしてなりません。風邪をこじらせてしまったかのように、みんなの「アップルパイ熱」はより一層、燃え上がっているかに見えました。
王様のご命令を受け、かわりにお城のコックさんが焼いたのですが、同じ最高の材料を使っていても、お妃様が焼くのに比べて、いくぶん味が落ちています。これでは誰も納得が出来ません。
一方、お妃様は自分だけのお台所を設えて、その中で籠もりきりになり、いつも甘い香りを漂わせながら、アップルパイの研究をなさっています。王様が頼んでも、誰が頼んでも、「後で楽しみにしてらっしゃい」と、味見すらさせて貰えません。(もはや王様よりも)お妃様の仰ることは絶対なので、誰も無理強いは出来ないのです。
国中ではお妃様のアップルパイの噂が徐々に広まりつつありました。そのアップルパイのために、王様と共に王国中の農家を訪問されたのですから、話題にならない方がおかしいくらいです。別に国家機密でも何でもないことなので、お城の召し使いや兵隊達が、街に出る度に人々の疑問に答えようとします。でも、新しい最高のアップルパイを食べた人は数少ないし、お城から持ち出して分けてあげることも出来ません(もっとも、もったいなくて、そんなことをする筈もありません)。
街には多くのケーキ屋さんにパン屋さん、お菓子屋さんにレストランがあります。アップルパイのレシピ、つまり作り方だけは、お城のコックさんから伝授されたので、人々の要望に応えて、どこでもアップルパイを出すようになりました。わざわざ高いお金を払って、お妃様と同じ材料を揃えて、「噂のアップルパイがあります!」と看板を掲げたお店もありました。でも、お妃様お手製でないことは判りきったことです。国民達はアップルパイを食べても、むしろ噂が高まり、想いは胸に募るばかりです。
いったいどんな味なのだろう? なにしろ、お妃様がお手ずから焼かれたアップルパイなのだから、とびきり美味しいに違いない。贅沢な暮らしをしているお城のグルメ達や、王室お抱えのコック達をうならせたというじゃないか。ああ、一度で良いから食べてみたい!
お妃様は、なおもアップルパイの研究を重ねながら、じっと聞き耳を立てていました。待ち続けていたのです。人々の想いが高まる最高の時を、国中が「アップルパイ病」に感染するのを――そして、ついに決断しました。
「王様、お待たせいたしました」
お妃様は王様の御前に赴き、云いました。
「国を挙げて、アップルパイのコンテストを開きたいと思います」
(三)
みんなはお妃様の発表にびっくり仰天です。お妃様の新しいアップルパイが発表されるのかと思いきや、他の人と味を競いたいと仰っているのです。
お妃様は全てご存じでした。みんなの「アップルパイ病」が広まり、街のお店でアップルパイが出回り始めることもご存じでした。こうなることを予測しておられたのです。全ては「アップルパイ改革」の計画通りに物事が進んでいるのでした。お妃様は仰います。
「自分一人の力ではどうにもならないことが沢山あります。多くの人で意見を戦わせ、味を競い合ってこそ、より良いものが生まれるのです」
お妃様が仰ったことは実に理にかなっています。王様や大臣達は大いに賛成して、コンテストの開催を許可なさいました。
さて、国中に次のように発表されました。
「アップルパイコンテスト!」
一、皆、同じリンゴと小麦粉を使い、同じカマドでアップルパイをやくこと。
一、使いたい調味料があるなら、それを認める。
一、焼いたアップルパイは同じ箱に収めて、誰が焼いたものかを判らないようにすること。
一、参加者はコンテストが終了した後、自分のレシピを発表すること。
以上の通り、コンテストの決まりは実に厳しいもので、これではお妃様だからと贔屓をすることも出来ません。審査の方法も、誠に公正な方法です。
まず、審査員に選ばれたのは街の子供達でした。いつも美味しいお菓子に目がない子供達ですから、純粋で厳しく、そして情け容赦なく、美味しいお菓子を選び抜くことが出来るのです。グルメの評論家が選んだ、などという謳い文句など、子供達には通用しません。
コンテストの出場者は、お妃様はもちろんのこと、お城のコックさんや、街のパン屋さんにケーキ屋さん、レストランや喫茶店まで、いろんな人々が参加しました。
さあ、コンテストの開催です。アップルパイは細かく切り分けられ、焼けたパイの姿形で誰の作品なのかも判らなくなっています。進め方は、全てのパイを一通り食べさせて、「もう一度だけ食べたいのはどのお皿?」と実に判りやすい方法です。美味しいお菓子に目がない子供達は、ウンウン悩みながら、美味しいものを食べたい一心で、もう一皿を選びました。
さあ、子供達が選んだ、もっとも美味しいアップルパイは?
ドロロロロロロロロ……(ドラムロールです)
ぱんぱかぱーん!
優勝は、街角のレストランに決定しました!
(ええええええっ!?)
みんな驚きました。誰もが、お妃様の優勝を信じて疑わなかったのです。アップルパイの作り方を広めた人こそお妃様なのですから、みんながそう思っていても不思議はありません。ですが、お妃様はこうなることまで予想をしていたのです。
お妃様やお城のコックさんは、他の人に食べてもらえなくても、仕事を失ったりしません(よほどの失敗をすれば、お城から放り出されるでしょうけど)。でも、街角のレストランはお料理が美味しくないと、すぐにお客さんが来なくなり、店を畳まなければなりません。たかがお料理でも命がけ。むしろ、格調の高いお城のコックさんなんかよりも、人を引き付けて離さない美味しいものを作ることに詳しい筈です。
お城のコックさん達はプライドが傷つけられ、とても悔しがりました。ですが、お妃様は優勝者であるレストランのコックさんを大いに祝福し、頬にキスのプレゼントまでしたのです(これには王様まで悔しがりました)。お妃様は悔しくないのでしょうか。あれだけアップルパイの研究をしていたのですから。
実を云うと、お妃様は別に優勝する必要など無かったのです。お妃様は自分が一番である必要などまったくないのです。お妃様の願いはとにかく「美味しいアップルパイを焼きたい」だけだったのです。
コンテストの決まりに、「参加者はレシピを発表しなければならない」とあります。つまり、どうすればアップルパイが美味しくなるのかを、コンテストの優勝者から教えてもらうことが出来るのです。ですから、むしろ自分以外の人が優勝して欲しかったぐらいで、その通りになったから、お妃様は悔しがるどころか、嬉しくて仕方が無いのです。
お妃様は優勝した作品のレシピを持ち帰り、自分でも同じパイを焼いて味を確かめます。そればかりではなく、他の参加者のレシピも調べて、更なる研究を重ねています。もしかしたら、今回の成果すら、お妃様は満足されていないのかもしれません。
ああ! どこまでアップルパイを愛しておいでなのでしょう!
「よし! 次回はワシも参加するぞ!」
そう高らかに宣言されたのは王様でした。お妃様の研究熱心な姿に影響されたのでしょう。人々は大いに喝采しますが、流石にそれは無謀というものです。王様ともなれば、包丁を握ることすら無いのです。しかし王様は「なあに、ワシは毎日、美味しいものを食べているから、舌が肥えているのだ」と仰って大いに張り切っています。確かに肥えているのですけれどね。体の方は。
そんな楽しそうな王様に比べて、お城のコックさんには深刻な問題です。お城の格調の高いお抱えコックとして、負けたままでは許されません。ましてや、街のお店は死活問題です。レストランに負けたままでは、お客さんをみんな奪われてしまうでしょう。みんなは口々に叫びました。
「次こそは!」
みんなはいよいよ、アップルパイの研究に没頭しました。誰もが食べる側から、作る側へと立場を変えて、アップルパイに取り組みます。お城のコックさんを始め、大臣や召し使いまで神妙な顔でアップルパイの味比べをしながら、自分だけのアップルパイを焼こうと研究しています。街の人たちも、コンテストで優勝すれば、有名になってお金持ちになれる絶好のチャンスです。農家の人々も、より良い小麦やリンゴを育てるために、実際にアップルパイを焼いて品種を比べました。
もはや国中がアップルパイを焼いています。国中のどこに行っても、パイ生地の香ばしい香りと、リンゴの甘酸っぱい香りで充満しています。国中の人々は活気にあふれ、その熱意はまるで赤く燃えたカマドのようです。
その国では、食べ物が全てアップルパイ、どちらを向いてもアップルパイ、空気までもがアップルパイなので、外国から来た旅人はこう呼びました――この国はアップルパイを王位に掲げた、「アップルパイ王国」である、と――。
――その様子を、じっと観察している怪しい人影がありました。国中でアップルパイが焼かれる有様を、物陰に身を隠して密かに見守っています。王女様? いいえ、別の人物です。
その怪しい人影は十分に観察を終えると、王国を出て東の国へと去って行きました。その人影が持ち帰った情報のため、アップルパイ王国に大いなる危機が訪れようとしているのです。
第二章 アップルパイ王国の危機
(一)
さて、アップルパイ王国から少し離れたところに、「サムライ帝国」という国がありました。その「サムライ」とはいったい何でしょうか?
それはとても強い戦士のようなもので、常に大小二本の刀を腰に差し、何時でも敵が現れれば切り倒そうと、油断なく身構えています。この国はそんなサムライ達が治め、戦争ばかりしている国だったのです。
さて、今日もサムライ帝国のお城では軍議(軍隊が戦争をするための会議、略して軍議)が行われています。軍議の中央で、お殿様(王国の王様のような方)が腕組みをして、家来である武将(軍隊の司令官)の意見をしかめ面で聴いています。さぞ、勇ましい戦争の計画を立てているのだろう――と思いきや、なんだか、会議の雲行きは良くないご様子です。
「隣のカンフー帝国はとても大きく、強い兵隊が沢山います。いつ何時、この国に攻めかかってくるか判りませんぞ」
「それに比べて、このサムライ帝国はとても小さい。戦争をすれば絶対に負けてしまうだろう」
「そんなことがあるか。この国のサムライだってとても強いのだ」
「強いのかもしれないが、今年のお米の収穫が少ない。兵士のサムライ達も、民百姓も、食うや食わずで困っているのだ」
「ダメだ。お腹が空いては戦えない。まずは、食糧を確保しないと」
「しかし、どうするのだ。国が小さいから、採れるお米だって少ないのだ」
会議は堂々巡りです。少なくとも、好きで戦争をしたい訳ではないようですが……お隣同士の国なんだから、もうちょっと仲良く出来ないものでしょうかね、やれやれ。
この軍議の中で一番偉いのはお殿様ですが、もう少し小さなお殿様がおられます。それは、若いお殿様なので「若殿様」と呼ばれ、お殿様の息子で、王国なら王子様みたいなものです。若いうちから軍議にも参加して、本当のお殿様になるためのお勉強をしているのです。若殿様は父親であるお殿様の後ろに控え、ブツブツと独り言を云いながら、何かを考え込んでいます。
(爺様が云っていた――『満腹の獅子は虫も殺さぬ』と。カンフー帝国はとても豊かなんだから、戦争なんて面倒くさいことするもんか)
でも、若殿様はあえて意見を述べたりはしませんでした。カンフー帝国が攻めてこないと判っていても、強い国が近くに在れば警戒しないと仕方がないし、そうした事情も理解できるからです。大人の事情という訳ですね。
その若殿様の独り言が聞こえたのでしょう。その若殿様の斜め後ろで控えていた、同じくらい若いサムライが声をかけました。
「若、何か仰られましたか」
「いや、なんでもない」
と、若殿様は答えたきりで、もう何も仰いません。
(ちなみに、お殿様や若殿様をお呼びする際、いちいち「様」を付けたりしません。短く「殿」と呼んだり、「若」と呼んだりします。そっけないですが、効率的で良いですね)
さて、軍議は意見が出尽くして、何も良い提案が出ないままに終わりそうでした。みんな腕組みをしてウンウンと悩んだままなので、お殿様は仕方なく、軍議を終えて解散しようとした丁度その時のことです。
シュタッ……と黒い「影」がお殿様の側に舞い降りたのです。
他の武将達はビックリして腰の刀に手をかけ、「くせ者!」と叫びながら立ち上がりました。お殿様が襲われては大変です。
ですが、その「影」はお殿様が雇っている「ニンジャ」という、いわば、敵の様子を探るためのスパイだったのです。お殿様は、心配いらないとみんなを静めます。
そう、このニンジャは「アップルパイ王国」で得た情報を携えて戻ってきたのです。
ニンジャはお殿様の耳に口を寄せ、何やらボソボソと伝えました。それを聞いたお殿様はニヤリと笑いました。余程、良い情報を聞いたのでしょう。お殿様はみんなに云いました。
「皆の者、西の国では『あっぷるぱい』というお菓子が流行して、王様から召使いまで焼いては食べ、食べては焼いての繰り返し。兵隊はすっかり肥え太り、戦いの練習もおろそかにしているという始末じゃ。農場は『あっぷるぱい』を焼くための作物が豊作で、倉庫が溢れかえっているというではないか。その国を占領すれば、我が国の食糧難は一気に解決するじゃろう」
武将達は大いに活気づきました。そんなに兵隊が肥えているなら、戦えば楽に勝てそうです。
「殿! 急いでその王国に攻め込みましょう! でないと、他の国に先を越されてしまいますぞ!」
「おう!」
お殿様は景気付けに腰の刀を抜いて、みんなに号令しました。
「さあ、戦じゃ! えいえいおーっ!」
「えいえいおーっ!」
武将達は戦の準備に取りかかるため、家来のサムライ達の元へと散開しました。お殿様は刀を腰に納めながら、息子である若殿様に告げました。
「お主も着いて参れ」
これも勉強というわけです。若殿様は「はっ」と短く答えて、特に何も仰いませんでした。
さあ、いよいよ戦です。お殿様が大勢の武将と兵隊であるサムライ達を連れて、王国の国境沿いに辿り着いたときのこと、ここで若殿様が初めて意見を述べました。
「父上――いや、殿。よろしいでしょうか」
「おお、何でも云うてみよ」
「殿、王国の中に入って戦ってしまっては、農作物が荒らされ、収穫が減ってしまいます」
「ふむ、それはもったいない話じゃな」
「ですので、相手に挑戦状を送り、ここに出てきて正々堂々と対決しようと申し込むのはいかがでしょう」
お殿様は、息子の云う「正々堂々」というところが勇ましいので、大変お気に召したようです。お殿様は大きく頷き、筆と墨を用意させ、勇ましい挑戦状を書き上げると、部下のサムライの一人に持たせて、王国のお城へと届けさせました。
さて、その返事が帰ってくるまでに、戦いの準備をしなければなりません。もし、相手が戦いに出てきて、間に合わなくなったら大変です。武将の号令に合わせて、サムライ達はキチンと整列し、どこから襲いかかってきても良いように陣ぞなえをしています。お殿様も厳めしい鎧兜を締め直して準備万端、完成した陣ぞなえの前に立ちました。
さあ、戦が始まります。つまり、恐ろしい殺し合いが始まるのです。サムライ達を恐れさせてはいけません。お殿様は刀を抜いて、みんなの勇気を奮い立たせるために大声で叫びました。
「皆の者! 待ちに待った戦が始まるぞ! 手柄を立てて、名を上げる好機到来じゃ! お主達は強い! お主達は世界最強のサムライなのじゃ!」
サムライ達は目を輝かせ、同じように刀を抜いて「おおっ!!」と叫び、鬨の声を上げました。元気いっぱい、勇気いっぱい、誠に勇ましい限りです。このサムライ達の鬨の声を聴けば、どんな国の兵隊達も震え上がることでしょう。
武将達やサムライ達が活気づいて鬨の声を上げる中で、あの若殿様は澄ました顔で落ち着き払っていました。若殿様の周囲に従うサムライ達はその様子が気になり、「どうかしましたか?」と尋ねましたが、やはり澄まし顔でこういいます。
「なあに、戦にはならんよ。賢い虎は吠えるだけで、戦わずに敵を蹴散らすものだと、爺様が云っていたのだ」
それを聴いたサムライ達は何がなんだか判らず、首を傾げました。一方、アップルパイ王国のお城では――。
(二)
「誰だ! こんなとんでもないアップルパイを作ったのは!」
こちらでも勇ましい叫び声が聞こえてきますが、どうにも、戦のためではないようです。
王様を始め、大臣達や兵隊までもが、何枚ものアップルパイを抱えて味の比べっこをしています。とてつもなく大きなパイや、手の平に収まるほどの小さなパイまで、大きさも様々なら、作り方も様々。
リンゴをパイ生地で包んだ普通のパイや、パイ生地だけ焼いてからリンゴを乗せたり――中には、まるまる一個のリンゴをパイ生地で丸めたものもあって、さすがの王様もびっくり仰天。それで、あのように叫んでいたのでしょう。
「大臣、さてはお前だな!」
「はあ、いけませんでしたでしょうか」
「ばかもん! リンゴは切って煮立ててからで無いとダメなのだろうが!」
「はあ……で、お味の方は?」
「このばかもん! まず自分で味見をしたらどうだ!」
王様の仰ることも誠にごもっともなのですが、リンゴ丸ごとでも美味しいかもしれませんね。焼きリンゴという、別のお料理があるくらいですから。それをパイ生地に包めば、美味しい果汁をこぼさずに済むのかも――おっとっと、話がそれてしまいました。
もっとも、戻すお話はアップルパイのことではありません。お城の入り口から兵士達が血相を変えて、王様の御前に走り込んできました。アップルパイで太った体を揺すりながらドスドスと……。
「王様! 王様! 大変です! 大変でございます!!」
王様は、尚もアップルパイをモシャモシャと頬張りながら、さも面倒くさそうに返事をします。
「なんだ、騒々しい。そんなに大騒ぎをされては、パイの味が判らなくなるではないか」
「パ、パイどころの話ではございません! かのサムライ帝国のサムライが、挑戦状を持ってきたのです! 戦争をしようと云ってきたのです!」
「な、なんだと!」
そこに、鎧甲で身を固めた如何にも強そうなサムライが、落ち着き払ってやってきました。
たった一人です。お殿様が書いた挑戦状を手に、お使いとしてやってきたのです。お使いといっても、敵のお城の中に一人で乗り込むのですから、こんな恐ろしいお使いはありません。
でも、そのサムライは恐れもせず、「お前達なんか怖くないぞ」と周りの兵士達を睨みつけながら、堂々と王様の前に進み出てきました。そして、大きな声で挑戦状を読み上げます。
「挑戦状! 我がサムライ帝国はお主ら王国に宣戦布告する! 国境沿いで互いの領土をかけて戦おうではないか! さもなくば、お主らの農場や街を踏み荒らし、城まで攻め込んで皆殺しだ! 返事の代わりに国王は兵士を連れて出て来るのだ!」
(宣戦布告というのは、相手の国に戦争をするぞと宣言することなのですが、普通は、こんな酷い宣戦布告はありません。お前の国が悪いという理由もなく、殺し合いをして領土を貰うぞと宣言しているのです。まるで、ならず者の強盗のようですね)
そして、お使いのサムライは読み上げた挑戦状を、王様に突きつけます。王様は震えながら受け取り、「ど、どうしよう、どうしよう」とうろたえるばかりで、その場にいる大臣達もまごついているだけで、なんの役にも立ちません。みんな、アップルパイの食べすぎで、体だけでなく心も太りすぎてしまったのでしょうか。
そんな大騒ぎの中、一人の女性が現れて云いました。「降伏しましょう」と。
それはお妃様でした。「アップルパイの張本人」であるにも関わらず、すっかり太ってしまった王様達と違って体はスラリとしたままで、ご婚礼に来られたときと変わらず、お綺麗なままでした。お妃様は重ねて王様に申し上げます。
「王様、降伏しましょう。この王国では国を挙げてアップルパイを焼くことに専念しているので、もはや戦争をする力はありません。サムライ帝国の皆様に降伏を宣言する他はないでしょう」
まったく、お妃様の云う通りなので、王様は何も云えずに頷く他はありません。でも、相手は恐ろしいサムライ帝国、降伏したらどんな目に遭うのだろう? 王様は恐ろしくて、やはり体を震わせるばかり――まったく、一国を預かる王様として、こんなことで良いのでしょうか。
でも、そんな頼りない王様に、お妃様は優しくも頼もしく仰られます。
「王様、心配ございませんわ。私達にはアップルパイがついていますから」
「……アップルパイ?」
「そうです。さあ、おサムライ様をお城にお招きして、とびきり美味しいアップルパイをご馳走いたしましょう」
(三)
さて、お使いのサムライがお殿様の元に(無事に)戻って参りました。
(こういうお使いは無事では済まないこともあるのです。戦争に応じる証として、返事のかわりにお使いの首を切り落として、首だけにして突き返すこともあります。なんとも恐ろしい話です)
そして、相手が降伏を宣言したことを聞くと、お殿様をはじめ、武将達やサムライ達はみんながっかりしました。せっかく戦のために準備をしていたのに、これでは全てが台無しです。
でも、頭を下げる相手に斬りかかるわけにもいきません。如何にサムライは強くとも(あんなひどい宣戦布告をしてはいますが)決して悪い人ではないのです。本当の目的は「アップルパイ王国」の食糧をぶんどることだったので(やっぱりひどい話ですが)これで良しとお殿様は頷きました。
さて、勇ましくも猛々しいサムライ達はキッチリと整列して、王国のお城まで行進します。農家の村や街の人々は、震え上がって建物の中に隠れました。しかし、戦争にはならずに相手が降伏してしまったので、サムライ達は農家や街を荒らしたり乱暴したりはしません。
ただし、村や街を荒らさないのは、農家の収穫を減らしたくないだけかもしれませんが。
(四)
お城に到着すると王様とお妃様が出迎えました。そして、両国が会談をするために選ばれた大きな食堂へ案内され、王様や大臣達が食事をするための長いテーブルに座りました。向かい合わせで王国の王様と、サムライ帝国のお殿様が座ります。さあ、これから国同士の会談をして、降伏した王様はお殿様の云うことに従わなくてはならないのです。
若殿様も会談に参加しましたが、まだまだ年が若く、お勉強をしなければならない身の上です。今回はテーブルの端の方でお話を聞くだけとなりました。お殿様の息子とはいえ、お殿様や年輩の武将達を差し置いて、意見を述べることはできません。
ふと、若殿様の隣にいる付き添いのサムライが、「若?」と、ぼそりと囁きました。若殿様は同じように囁き返します。
「……なんだ?」
「この国の人はみんな太ってるけど、中には痩せてて綺麗な女性もいますね」
「ああ、国王のお妃のことかな……んん?」
若殿様は付き添いの云うことに首を傾げました。お妃様のことだけなら、女性と云わずに、お妃様と云えば良いはずです。
この時になって初めて、若殿様はもう一人の女性がいることに気がつきました。
会談が行われる広間のすみっこに、一人の女の子が立っていました。その女の子は召使いの格好をしているのですが、やせ細っているためか、その服はぶかぶかで合っていません。しかも、腕組みをしながらじっとみんなの様子を伺っていて、なんだか偉そうな態度です。しかも、他の召使いのように給仕の仕事をしないので、不審に思いました。
ですが、今は会談が大事です。怪しいにしても、とりあえず放っておくしかありません。
さあ、会談が始まりますが――と、その前に、お妃様が立ち上がり云いました。
「皆様、さぞお疲れでございましょう。我が国の自慢、王国謹製のアップルパイを召し上がって頂きましょう」
そして召使い達は焼きあがったばかりのアップルパイをお殿様や武将達の前に置きました。加えて、王様を始め、王国側の人達にもお相伴のために並べられます。
もともと、お殿様はアップルパイのことを聞いていたので興味津々です。王国で流行し、国中を魅了したほどのお菓子はどんな味がするのだろうと、ここまで来る旅の途中でも、戦の準備をしている最中でも、気になって仕方がなかったのです。
ですが、すぐに手を出すわけにはいきません。ここは敵の王国なのです。たかが食べ物でも、毒が入っているのでは? などと、なにかと警戒しなければならないのです。
お殿様は「おい」と物陰に向かって尋ねます。すると柱の陰から黒装束の男が、ぬうっと姿を現して、無言でお殿様に頷きます。食べても問題はないとの返答です。
その黒装束の男はもちろん、スパイであるニンジャです。敵の秘密を探るばかりではなく、こうしてお殿様の身の回りを守る役目もあるようです。
そのニンジャの返答を受けて、お殿様はアップルパイをぱくり。
「う、旨い!」
お殿様はその味にびっくりしました。恐らく、パイという種類のお菓子を食べるのは、これが初めてだったのでしょう。サムライ帝国のお菓子と云えば、お米をついて、モチモチとしたお餅にして、アンコをいれてお饅頭にしたり、あるいは、そのお餅を堅く焼いてお煎餅にするなど、お米を使ったものがほとんど。
そうなると珍しさが手伝って、よりいっそう美味しいと感じたに違いありません。
お殿様を初め、並んで座っている武将達は夢中になってアップルパイを食べましたが、若殿様だけは手を着けようとしませんでした。
更に若殿様は、自分の周りに居る若いサムライ達にだけ、こう囁きました。
「食べるな。これは食べちゃダメだ」
美味しそうなお菓子を目の前にして、こんな「おあずけ」を命令されるのは辛いことでしょう。でも、若殿様の周囲にいる若いサムライ達は、「ははあ、さては何かあるな?」と感づいて、お互いに顔を見合わせながら、パイをお皿に戻しました。
お妃様は目ざとくその様子を見ていましたが、特に何とも仰いませんでした。
(五)
「あー、エヘンエヘン」
若殿様が大きな声でわざとらしい咳払いをしました。すると、お殿様や武将達は、大の大人である自分達が、お菓子を夢中で食べていることに恥ずかしくなったのでしょう。お殿様達はパイをお皿に戻して、「ごほんごほん、えーっと……」と若殿様と同じく、わざとらしい咳をしながら身を正しました。
お殿様は少しどもりながらも、会談を進めます。
「と、とにかく、あー、会談を始めるとしよう。そちらが降伏したのだから、我がサムライ帝国に従ってもらうぞ。ただし……」
と、自分が勝利者であることを念押ししましたが、よほどアップルパイが美味しかったのでしょうか。なんだか気持ちが大らかになっている様子です。いったんお皿に戻したアップルパイを眺めて、ごくんと唾を飲み込みながら、お殿様は話し続けます。
「この国を丸ごと頂くような無残な真似はしない。ワシらの要求は、かのカンフー帝国との戦に備えて、食糧を確保せねばならんのじゃ。そちらもカンフー帝国に攻められては困るじゃろう」
そう云われては、誠にごもっとも。王様も「なるほど、なるほど」と頷きます。上手く話を合わせれば乱暴な目に遭わずに済むかも知れません。これもアップルパイのご利益でしょうか。
ですが、お殿様が地図を広げて仰るには、
「この国のここからここまでを、我がサムライ帝国に頂くだけで良いことにしよう」
それを聞いた王様は「ちょ、ちょっと待ってください!」と大慌て。
「そこで取れる小麦を丸ごと持って行かれては、うちはもうアップルパイを焼くことが出来なくなります」
「ならば、ここからここまでではどうじゃ」
「いやいや、肝心のリンゴが無ければどうにも」
「ならば、ここを」
「そこの牧場のバターやクリームが……」
アップルパイの御利益はここまででした。ついに頭にきたお殿様、テーブルをドンッと強く叩いて、怒鳴り散らしました。
「こら! どこまで図々しいんだ貴様! 貴様はワシに降伏したのを忘れたか! この上は、貴様の首をちょんぎって、この国を丸ごと――」
「まあまあまあ、これは失礼を申し上げました、お殿様」
なにやら、お殿様が恐ろしいことを云い掛けたのですが、それを柔らかく押しとどめたのはお妃様。お妃様は王様とお殿様の間に立って、美しい笑顔でお殿様を丸め込みます。
「お殿様のご都合も考えず、勝手なことを申し上げました。ですが、お察しくださいまし。我が国のアップルパイは国を挙げての国家事業。いずれの土地が欠けても、成り立たなくなってしまうのです。つい事業に熱を入れるあまり、ご無理を申し上げてしまい、誠に申し訳ございません」
立石に水が如しとは、正にこのこと。流石のお殿様も、言葉を返す隙が見あたりません。
お妃様は、更に畳み込んでしまいました。
「でも、あの強大なカンフー帝国との戦を控えたご事情ですから、我が国も精一杯のお手伝いをさせて頂きましょう。この国は丸ごと、お殿様に差し上げましょう」
お妃様のこのお言葉に、お殿様は勿論、王国の王様や大臣達はびっくり仰天です。国を丸ごと譲り渡すなんてことを、王様を差し置いてお妃様が云って良いことなのでしょうか。もちろん、お妃様はそつなく王様も丸め込んでしまいます。
「ねえ、あなた? 私達はアップルパイさえあれば、それで良いのです。この国は全てがアップルパイ。アップルパイを焼いて、食べることが出来るなら、それで良いではありませんか」
「……え、あー、そう、そうだな、その通りだ、うん」
「なら、私達の王国はお殿様のサムライ帝国の一部となって、おサムライ様のために一生懸命、アップルパイを焼かせて頂きましょう」
これで良いのでしょうか。もしかしたら、国として成立しなくなったこの王国を任せてしまうのも、それはそれで良いことかもしれませんが、本当にこれで良いのでしょうか。
(怪しい。なんだか、怪しいぞ。あのお妃はとんだ雌狐なのかもしれないぞ)
そんな風にお妃様を睨んでいるのは、テーブルの端っこに座っている若殿様です。
ちなみに雌狐とは、狐のように(といっては本物の狐に失礼ですが)ずるがしこいことを考えている女の人のこと。お殿様に従順に従っているように見せかけて、後でとんでもない仕返しを企んでいるのかもしれません。
お殿様もそれほど愚かではないようで、なんだか納得のいかない顔つきです。このままお妃様の云うことを丸ごと鵜呑みには出来ないようです。そこで、こう付け加えました。
「判った。そちらがそう申し出るというなら、この国を丸ごと頂くとしよう。それに加えて、この王国の兵隊は全て、我が国の兵隊として従ってもらうぞ。そして、兵隊ではない若い男もみんな連れて行く」
この王国の戦力を全て奪い取ってしまおうという考えですね。なかなかの用心深さですが、こんな一方的な提案に応じる国も無いでしょう。しかし、お妃様は笑顔を崩さず、
「全て、お殿様のよろしいように」
と、ぺこりと頭を下げました。
(おい)
と、若いサムライ達に囁いたのは若殿様です。
(その『あっぷるぱい』とやらを持ち帰れ。食べるなよ)
そう云って、若殿様はパイを風呂敷に包ませて立ち上がりました。
第三章 アップルパイ王国の陰謀
(一)
さて、お殿様と王様の会談も無事に終了となりました。実際にはもっと細かいことを決めなくてはならないのですが、もう王国はサムライ帝国に支配されることになったので、後はお殿様とその武将達の思いのままです。
そうと決まれば忙しくなるでしょう。お殿様達はさっそく席を立とうとしましたが、
「さあ、会談が無事に済んだことですし、このまま祝杯と参りましょう」
またしてもお妃様です。祝杯と云っても勿論、アップルパイを食べるだけ。お殿様達は何か都合をつけて席を立とうとしましたが、新たに運び込まれたアップルパイの香りに包まれてはたまりません。一度は浮かせた腰を、戸惑いながらも下ろしてしまいました。ああ、もはや全てお妃様の手の内で踊らされているような気がして仕方が無いのですが……。
そんなお殿様の背後から、若殿様は声をかけました。
「殿」
「お、おう、なんじゃ。お主は食わんのか」
「いえ、もう頂きましたので――お願いがございます」
「なんじゃ」
「この王国の様子を見て回りたいので、用心のためにニンジャを一人、お借りしたいのですが」
「おう、そうか。おい」
お殿様はアップルパイを頬張りながら、後ろを振り向いて呼びかけます。するとまた物陰から、ぬうっとニンジャが姿を現しました。そして、更にそのニンジャが指をパチンとならすと、今度は天井裏から別のニンジャが、すとんと舞い降りたのです。
そのニンジャは同じように黒装束なのですが、とても体つきが小さく、まだ子供なのかも知れません。そして、若殿様にぴょこんとお辞儀をしました。若殿様に合わせて、若い弟子を割り当てたのでしょうか。若殿様は、お殿様にお礼をしました。
「殿、ありがとうございます。それでは、これにて」
「おう、気をつけてな――むむ、これは旨い。この甘酸っぱさがなんとも……」
お殿様はもう若殿様に構わず、アップルパイに夢中のご様子。若殿様はなんだか不安になってきましたが、この場は仕方がありません。若いサムライ達を連れて立ち去りました。
(二)
若殿様は初めて来た王国のお城を見回りながら歩いています。その若殿様の背後には、何人かの若いサムライが付き添っていますが、彼ら若いサムライは、若殿様お一人に仕えしている若殿様専用の家来で、若殿様を守ったりお世話をしたり、あるいは、ともに剣の修行や勉強をする仲間でもあります。将来、若殿様が本物のお殿様になった時には、新たな家臣となってお仕えすることになるのかもしれません。とりあえず、若殿様に合わせて彼らのことは若サムライとでも呼ぶと致しましょう。
若サムライ達は大小様々、体つきの大きい者や若殿様と同じくらい、あるいは、まだ子供といってもよいサムライも混じっています。そんな若サムライが三人ほど若殿様の後ろを歩いて、油断なく周囲を見渡しながら、若殿様をお守りして歩いていました。
そこに、ちっちゃなニンジャが新たに加わり、柱や天井など影から影へ、ぴょいぴょいと飛び移りながら、若殿様を見守っています。若殿様にお仕えすることになって、とても張り切っているようですね。
若殿様は歩きながら何やら考え込んでいます。あのお妃様について考えているのでしょうか。あるいは、この成り行きについてでしょうか。
無血開城、という難しい言葉があります。血を流さずに城を開く、つまり、血を流す戦いをしないで、敵の城を占領してしまうという、まったく戦死者を出さない素晴らしい勝利なのです。それをサムライ帝国はやってのけたのですから、結果は上々の筈です。
若殿様のすぐ側の若サムライは、そのことについて尋ねました。
「若。もしかして、初めから戦にはならないと判っていて、殿に挑戦状をお勧めしたですか」
若殿様は何か別のことを考えていたのでしょうか。そう尋ねられて、慌てて我に返りました。
「ええ? ああ、いや、判っていた訳じゃないよ。こうなったら良いな、ぐらいは考えていたさ」
「若は戦がお好きじゃないのですか。サムライが戦うのを嫌がっていては、家臣にしめしがつきませんぞ」
「いやいや、この王国の太った兵隊どもと戦ったって楽しくはないし、相手にやる気が無ければ、ただの虐殺になってしまうよ。カンフー帝国との戦いに備えて、力を蓄えておかないとね」
若殿様は、そう「ごまかし」ました。実は本当に戦は嫌いなのかもしれませんね。尋ねていた若サムライは「はあ、そんなもんですか」と答えましたが不満顔――この若サムライは何かと若殿様に意見するのが役目のようです。参謀とでも名付けてしまいましょう。
若殿様は参謀に返事をする代わりに、手近にある手すりをスッと指でなぞりました。すると、若殿様の指には埃がべっとり。それを腰で払いながら云いました。
「爺様が云っていた。掃除を出来ていない家には上がるなと」
「それはお爺様というより、お姑さんのすることですよ」
と、参謀が言葉を返すと、それを聞いていたちっちゃい若サムライが勢いづいて追い立てます。
「そうだ! サムライは剣術が大事だ! 掃除が出来てないくらい、サムライにはどうでもいいじゃないか!」
このちっちゃいチビ助、たとえちっちゃくても気持ちは立派なサムライのつもりで、腰に二本のちっちゃい刀を差しているだけじゃ飽きたらず、背中にも大人用と変わらない大きな刀を背負っています。相手がお殿様の息子だからって、云うことに容赦がありません。
そんなチビ助に若殿様は怒ったりしませんが、苦笑いで答えます。
「いやいや、掃除の出来ない人は、いい加減な生活をしているから付き合うなと、爺様は云っていたのさ。サムライたるもの、キチンと整理整頓しないとな」
云いくるめられたチビ助、腹の虫が治まらないのか、後ろからのっそりと着いてきているデッカい若サムライに「お前も何とか云えよ」と云いながら、向こう臑を蹴っ飛ばします。
そのデッカいデカ助は、ただ一言。
「あの『あっぷるぱい』たべたかったなぁ」
その間の抜けたデカ助の言葉に、どっと白ける若サムライ達。若殿様はカラカラと笑って、
「いやあ、それはすまなかったな。代わりに、僕の饅頭と羊羹を分けてやるから――」
そんなことを話していた若殿様ですが、ふと、なにやらおかしな光景に目が止まりました。
若殿様の視線の先はお城の中庭だったのですが、綺麗なお花が咲き誇っている優雅なお城の庭園に、何着かの洗濯物が物干し竿にひっかけて干されているのです。お城の庭園には不釣り合いな、まるで貧しい民家のような光景です。よく見るとその洗濯物は召使いが着る服で、使っている物干し竿は兵隊が装備している鋭い槍でした。
そして、そのすぐ側で一人の女の子が、干されている物と同じ召使いの服を着て座っていました。何だか疲れた顔をして、今にも溜息が聞こえてきそうです。
若殿様には見覚えがありました。あの会談で腕組みをして立っていたあの女の子に間違いありません。若殿様は、「この召使いはなんでこんなところで洗濯物を干しているのだろう」と思ったのですが、もしかしたら、召使いではないのかもしれないと考え直しました。
それを察したのか、あのちっちゃいニンジャが若殿様の側に舞い降りて、耳に何かを囁きました。それを聞いた若殿様はとても驚きました。
「ええ? あの子がここの王女様だって!?」
(三)
王女様はようやく慣れない手つきで、見よう見まねで洗濯を終えて、一休みしていたところでした。この様子だと、もう誰も王女様のお世話をしていないようです。王女様はついに着る服がなくなってしまい、召使いの服を引っ張り出して、自分で洗濯をしながら着替えているのでしょう。王女様が着るようなドレスでは、もったいなくて洗濯なんて出来なかったに違いありません。
食事はどうしているのでしょう。可哀想に、すっかり痩せ細った体つきを見れば、あくまでもアップルパイを食べていないに違いありません。では、そのかわりに何を食べているのでしょうか?
その答えはすぐに判りました。アップルパイの材料である、アップルパイ専用のリンゴを懐から取り出して、ガリガリと齧り始めたのです。王女様に食べられるものといえば、それしかありません。そして、はあ……と大きく溜息をつきながら、王女様は考えます。
(ああ、ハンバーグやお魚のフライが食べたいなあ。一緒に、白いパンにバターをたっぷり塗って、パリパリのレタスとキュウリと完熟トマトのサラダを添えて、そして熱々のコンソメスープとか、コショウがピリッと効いたポテトのポタージュスープでもいいな。ああ!)
そんな風に思っていても、生まれたときからお城の王女として育ったのです。食べたい物があったら召使いが何でも用意してくれるご身分だったので、自分一人ではどうしていいやら判りません。そんなご身分で、お洗濯を自分でしているだけでも、本当に大したものなのです。
そんな光景を若殿様は眺めていたのですが、隣の参謀が云いました。
「若、掃除はともかく、ちゃんと洗濯が出来ているお庭なら上がらせて頂きましょうよ」
参謀は先程の若殿様のセリフに引っかけて、そう云ったのでしょう。つまり、さっさとあの子に声をかけろと催促をしているのです。それもその通り、ここは素通りなんて出来ません。
若殿様は身なりを正して、挨拶しようとしましたが――。
「失礼、拙者は……」
「名乗らないで。私は名乗りたくないから」
と、王女様はツンと顔を逸らしてしまいます。名乗るなと云われたら、なんの話も出来ないし、取り付く島もありません。しかし若殿様は、放っては置けないと取りすがります。
「なら、名乗らずとも良いが、大丈夫でござるか? あなたは顔色が」
「ご想像の通りよ。このお城の人達を見れば事情は判るでしょ? さよなら」
そう云って、王女様は立ち上がり、さっと庭園から出て行ってしまいました。今度は、若殿様が溜息をつく番です。少なくとも、この王国の事情が実に深刻な状態であることが判りました。
「やれやれ、これはやっかいな国に関わってしまったみたいだな」
「若、どうなさいます? これは殿にご相談された方が」
「父上はこの王国の占領に乗り気だ。ちゃんと何が問題なのか調べてからでないと、相談なんて出来ないよ――おい」
若殿様は、お殿様がやっていたように後ろを振り向いて声をかけます。そこに、ストンとちっちゃなニンジャが舞い降りました。
「ここのアップルパイについて調べ直してくれ。どんなことでも良いから」
(四)
さあ、若殿様達は問題のアップルパイに取りかかります。若殿様はお城の一部屋を借り受け、そこで持ち帰ったアップルパイを広げました。デカ助がヨダレを垂らしながら眺めていますが、それをチビ助が「手を出すなよ。この国の連中みたいに掃除が出来なくなっちまうぞ」と小突きます。
しかし、こうして眺めていても何も判らないでしょう。それは、本当に普通のアップルパイだからです。そりゃもちろん、毒でも入っているかも知れませんが、問題ないことは既にお殿様のニンジャが調査済み。参謀は「どうします? とりあえず、食べてみますか?」と云いますが、若殿様は「うーん」と腕組みをして考え込むだけです。
そこに、すとんとちっちゃいニンジャが戻ってきました。そして、一枚の紙切れを若殿様に渡して、ひらりと、また何処かに去って行きます。どうやら、途中経過のご報告だったようですね。その紙切れには、こんなことが書かれていました。
「アップルパイコンテスト 結果発表! 優勝は『街角レストラン』! さあ、そのレシピは……」
そして、そこにはアップルパイの作り方が詳細まで書かれていました。
それを若殿様の横から覗き見した参謀は「なんだ、読み売りですか」と云いました。「読み売り」とはサムライ帝国では新聞のようなものをそう呼んでいるのです。
読み売りを手にする若殿様の周りに若サムライは集まり、議論を交わします。
「ふーん、作り方は秘伝じゃないのか。隠さずに公表するんだな」
「若、作ってみます? それなら、食べても問題は無いでしょう」
「材料はどうするんだ。材料そのものが問題なら意味は無いぞ」
「それに、あのお妃が作ったものじゃなければ意味が無いでしょうね」
「でも、それは食べちゃ駄目だろ?」
「もう何でも良いから食べようよ」
「なに云ってんだこのデカ助!」
ですが、若殿様はデカ助の提案を採用しました。
「よし、メシにしよう。僕はアジの干物を焼くから、チビ助は米を炊いてくれ」
案外、若殿様はデカ助がお気に入りのようですね。サムライたるもの、腹が減っては戦が出来ません。一同、腹ごしらえをしながら、あのちっちゃいニンジャが調べてくるのを待つことにしました。
「あれれ、漬け物は無かったかなあ」
「これはどうです。旨いですよ」
「ああ、それはキムチ王国で買ったヤツじゃないか。それ、辛いんだよな……」
(五)
さて、あのちっちゃいニンジャです。ニンジャはひょいひょいと物陰から物陰を飛び移り、問題の核心である、お妃様の台所へと忍び寄りました。
もしお妃様が「何かを企む悪の親玉!」であるのなら、こんな危険な任務はないでしょう。ちっちゃいニンジャは慎重に潜入を開始します。幸い、扉が少し開いていたので、するりと潜り込むことが出来ました。
そこでは、お妃様が懸命にアップルパイを焼いています。お妃様だけではありません。少なくとも、アップルパイに関しては仕事熱心なようで、何人かの召使いが忙しく出入りして、焼かれたアップルパイが次々と持ち出され、運ばれていきます。
ふと、ちっちゃいニンジャは気づきました。
二種類のパイ生地。
二種類のリンゴのお鍋。
二種類のクリームのボウル。
そして、二種類の焼きあがったアップルパイ。
アップルパイは二種類に分けて作られていました。アップルパイの模様を見れば、区別が付くようになっています。ただし、材料は同じです。
はて? と、ちっちゃいニンジャは首を傾げました。どういう理由で二種類なのだろう。まさか、毒入りと作り分けているのでは!? と考えましたが、それはありません。何故なら、すでに仲間のニンジャが調査済みで、食べても問題は無いはずですし、材料はまったく同じです。ならば……試しに食べてみる?
ちっちゃいニンジャはうずうずしてきました。この台所は甘い香りが充満していて、ちっちゃいニンジャは少しクラクラしてきたようです。食べちゃいけないと若殿様は云っていたけれど――一口ぐらいならダイジョウブですよね。ね?
ちっちゃいニンジャは、ニンジャ刀を抜いてアップルパイをほんの少し切り取って、ぱくり……。
(六)
「ええ!? アップルパイが二種類に作り分けられているって?」
ちっちゃいニンジャの報告を聞いた若殿様はびっくり。無論、ちっちゃいニンジャが味見したのがバレて、「どうなってもしらないぞ」と若殿様は云い掛けたのですが、
「食べてみれば、違いは判る? うーん……」
そう聞いては、叱るに叱れないところ。こうなると、味見をしてみなければ判るものではありません。ちっちゃいニンジャが持ち帰った(少し欠けた)二種類のアップルパイがテーブルの上に並べられました。
若殿様達が持ち帰ったものと比べてみると、模様ですぐに区別がつきました。片方がサムライ向けのアップルパイ。ということは、もう片方がこの国の王様達が食べている王国向けのアップルパイ、ということになるでしょう。
それをしばらく眺めていた若殿様は、ついに決断しました。
「よし、みんなで食べ比べてみよう。みんな、一口だけだぞ」
そう云って、あのチビ助に「先生、お願いします」と云いました。チビ助は「かしこまった!」と背中の大刀をやおら引き抜いて、「ヤッ!!」と見事にアップルパイを細切れにしてしまいました。流石、「サムライは剣術」と普段から高言するだけのことはあります。その剣裁きにみんなは拍手喝采――と、余興はここまで。さっさと食べてみましょうと、参謀が神妙な顔をしてみんなをうながしました。
「えーっと、こちらが我々に出されたのと同じですね」
「で、こっちがこの国の連中が食べているほうだな」
「こら、デカ助。一口だけだぞ」
「アハハ、先に腹ごしらえしておいてよかったな」
「いや、甘い物ならいくらでも……」
「だめだめ。さっき饅頭も食ったんだから……んん?」
違いは明瞭、意見は一致しました。
「王国向けの方が甘い」
これは何を意味しているのでしょう。ますます判りません。若殿様は尚更、悩んでしまいました。そうと見て、先ほどの「読み売り」を示しながら参謀は云いました。
「若、この『街角レストラン』に行ってみましょう」
「どうするんだ?」
「専門家に意見を聞くんですよ。『餅は餅屋』ってお爺様は仰いませんでしたか?」
「もっともだ。よし、そのパイを持って――ああいや、まるまる一枚づつ、新しいのを手に入れてくれないかな」
そうニンジャに命じながら、若殿様は立ち上がりました。
(七)
さて、お城を出て街に行くとなると、そう簡単には行きません。如何にサムライ帝国が占領して支配しているとはいえ、何一つ危険が無いとはいえないでしょう。ましてや、若殿様のご身分は決して低くはないのです。襲われたり誘拐されたりしないように、護衛の兵隊達を連れて行かなければなりません。そうしたことは、お殿様の許可が必要となるでしょう。
「殿、お願いしたいことが……」
若殿様がお殿様の元に赴いて声をかけようとしたのですが、そのお殿様の様子を見て言葉を失いました。自分達が問題にしているアップルパイを片手に、モリモリと食べ続けているのですから。なんだか見てはいけないようなものを見てしまった気がして、若殿様は思わず顔をしかめました。
若殿様がお殿様の居場所をみつけたその先は閲兵場(兵隊達が集まって整列をするための運動場のような場所)で、サムライ達と王国の兵隊達が一緒に行動するための手順を、ああでもない、こうでもない、と思案しているところでした。
それは良いのですが、サムライ達を命じる合間に、お殿様はこの王国の王様と一緒に並んでアップルパイを片手に、「これは旨いな(もぐもぐ)うん、それも旨そうだ(もぐもぐ)」と、もぐもぐ食べ続けているのです。食べているのか、サムライ達を指揮しているのか、いったい何をしているのかまるで判りません。
「おお、息子よ(もぐもぐ)方針が決まったぞ」
お殿様の様子に呆れている隙に、若殿様はうっかり先手を取られました。でも、お殿様はすべき仕事はしているようです。
若殿様は気になったので、一応、「その方針というのは」と尋ねましたが、呆れたことに、その説明をする合間にも、決してアップルパイを食べるのを止めようとしないのです。
「うむ(もぐもぐ)この王国の兵隊を我が軍に取り込むつもりじゃったが、どうにも兵士が鈍っておるようじゃし(もぐもぐ)我がサムライ達と同じ戦い方をするのは無理じゃ。ならば、いっそ食糧の供給や運搬専門ならどうじゃろうと思ってな(もぐもぐ)簡単に云えば、アップルパイ係という訳じゃ」
「と、殿……それは……」
「ここの食糧を調達するのはよいが、どうにも全ての食糧は全てアップルパイ専門というからのう(もぐもぐ)だったら、この国の者に全てを任せた方が話は早いというわけじゃ」
「しかし、食糧は大事な命綱、それを他国に任せきりというのは」
「ああ、判っておるわい(もぐもぐ)じゃから、全てと云っても監視は徹底させるし、アップルパイの焼き方をサムライ達に伝授させようとしておるのじゃ(もぐもぐ)最後には誰もが自分でアップルパイを焼けるようにな」
「……」
「サムライのための食糧はこの国から頂戴して(もぐもぐ)民百姓からの年貢は自分で食わせる。如何に不作の現状でも年貢が軽くなれば(もぐもぐ)我が民百姓も大喜びじゃろう(もぐもぐ)この王国は大豊作が続いておるようだし、これで万事は上手くいく(もぐもぐ)我ながら素晴らしい采配じゃ!(もぐもぐ)うん、旨い旨い(もぐもぐ)」
お殿様のご機嫌は麗しくて誠に結構なことですが、若殿様は真っ青になりました。もう何か問題があっても、もはや手遅れではないでしょうか。
しかし、自分達がやると決めた事を進めなければなりません。青くなってる場合ではないと、横から参謀に脇を突かれました。若殿様はどうにか気を取り直して、「あの、お願いがあるのですが」と切り出した、その時です。
「殿! 一大事でございます! 殿!」
と、別のサムライが別の方角から慌てふためいて駆け込んできました。お殿様は(やっぱりアップルパイを頬張りなら)うっとうしそうに返事をします。
「なんじゃ(もぐもぐ)騒々しい」
「殿! 本国からの早馬の知らせで、ピストル合衆国の大統領がやってきたとのことです! 港に軍艦を並べて、大砲を撃ち鳴らしていると!」
「……で(もぐもぐ)なんじゃというのじゃ(もぐもぐ)城を崩されたのか」
「い、いえ、その、大砲は全て殿を呼び出すための砲弾の無い空砲で、とにかく、自分の国の武器を買えと……」
「またか。仕方ないのう(もぐもぐ)息子よ(もぐもぐ)お前が戻って断ってこい」
若殿様は今度こそお殿様に呆れました。たとえ空砲とはいえ、自分の国に向けて大砲を撃たれては、戦争になってもおかしくない事態です。このお殿様の無関心さには、空いた口がふさがらないところですが――。
「……心得ました」
サムライの勤めは厳しいもので、例え実の息子とは云え、主君の命令には絶対に従わなくてはならないのです。流石に、後ろに従う若サムライ達が何か云いたそうでしたが、
「仕方ない。全力で国に戻るぞ」
と、若殿様に云われては仕方がありません。若サムライ達は、心中お察しします、と無言の表情を浮かべていました。
駆け出す若殿様達の背後から、お殿様の「アップルパイ軍団」が完成しつつある様子が聞こえてきます。
「どうじゃ(もぐもぐ)上手く焼けたか?(もぐもぐ)どれ、味見をしてやろう(もぐもぐ)おお、これはなかなかの美味……」
(後編に続く)