第十七話「理由を変えたことについて」
【私の日記】
帰ってきてから、二十三日目。
朝。
目覚ましが鳴る前に起きた。
六時十二分。
カーテンの隙間が白い。
雨だった。
机の引き出しを開ける。
砂糖が一包。
昨日、使わなかったもの。
見て。
閉めた。
今日は会社へ持っていかなかった。
駅まで歩く途中。
スマホに通知が来た。
同僚。
《今日、昼どうする?》
私は立ち止まった。
昨日。
昼休みに言われていた。
「明日、駅前の店行かない?」
私は。
たしか。
「明日になったら決めます」
そう答えた。
覚えている。
約束しなかった。
今なら決められる。
雨。
少し寒い。
駅前まで歩くのは面倒だった。
《今日は社内で食べます》
送った。
すぐ返ってくる。
《了解》
それだけ。
スマホは震えなかった。
会社。
十一時五十八分。
同僚が立ち上がる。
「じゃ、買ってくるね」
「はい」
「ほんとに行かない?」
「今日は行きません」
「雨だから?」
私は窓を見る。
まだ降っている。
「それもあります」
「それも?」
「今日は、ここで食べたいので」
「そっか」
同僚は傘を持って出ていった。
私は自販機へ行った。
コーヒー。
ボタンの前で少し迷う。
ブラック。
カフェオレ。
昨日はブラックだった。
その前は砂糖を一本入れた。
今日は。
カフェオレを押した。
缶が落ちる。
ごとん。
スマホが震えた。
《行動差分:検出》
私は缶を拾った。
《理由情報:要求》
「また」
声が出た。
昨日はブラック。
今日はカフェオレ。
理由。
甘いものが飲みたかった。
それだけ。
私は何も入力しなかった。
通知は消えない。
《理由情報:要求》
缶を開ける。
一口。
甘い。
悪くない。
そのまま席へ戻った。
五分後。
表示が変わった。
《理由情報:未取得》
《履歴統合:待機》
私は少しだけ安心した。
その直後。
もう一行。
《推定理由:嗜好》
足が止まった。
甘いものが飲みたかった。
だから。
嗜好。
間違ってはいない。
でも。
昨日ブラックを飲んだ私は。
甘いものが嫌いだったわけではない。
今日カフェオレを選んだ私は。
甘党になったわけでもない。
スマホ。
《推定理由:嗜好》
《既存履歴と照合》
私は真意さんに電話した。
【真意の調査記録】
三十七日目。
助手から連絡。
「何も言わないでください」
最初の言葉がそれだった。
「分かった」
「画面だけ読みます」
行動差分。
理由情報要求。
未取得。
推定理由、嗜好。
既存履歴と照合。
「今、何を選んだの?」
「それも、まだ言いたくないです」
「分かった」
私は白紙を見た。
まだ何も出ていない。
「真意さん」
「何?」
「理由って、言わない方がいいんでしょうか」
答えそうになった。
止めた。
言わない方がいい。
そう決めれば。
それも助手の新しい固定になる。
「分からない」
「はい」
「でも、今は言いたくないんでしょ」
「はい」
「じゃあ、今はそれでいい」
電話が切れた。
白紙が動く。
理由情報:未取得
推定処理:継続
その下。
《候補:嗜好》
《候補:天候》
《候補:習慣変化》
《候補:対人回避》
四つ。
私は眉を寄せた。
どれも。
少しずつ説明できる。
だから危ない。
一つ気になることがある。
理由が分からないのではない。
理由を一つにしたがっている。
私は書かなかった。
午後一時十二分。
助手からもう一度電話。
「真意さん」
「何?」
「今なら言っていいです」
「どうして?」
「食べ終わったので」
私は黙った。
「それ、理由と関係ある?」
「たぶんありません」
「じゃあ、どうして今?」
「今は言いたくなったからです」
私は笑った。
「それ、調査する側には困る答えね」
「すみません」
「謝らなくていい」
助手が話した。
昼は同僚の誘いを断った。
雨だった。
外へ行くのが面倒だった。
社内で食べたかった。
コーヒーはカフェオレにした。
甘いものが飲みたかった。
「それだけ?」
聞いて。
私は自分で口を塞いだ。
遅かった。
助手が笑う。
「それ、昨日も聞きましたね」
「……そうね」
「今日は、それだけじゃないです」
私は待った。
「自販機の前で、カフェオレを見たら飲みたくなりました」
「見たから?」
「はい」
「朝から決めてたわけじゃない?」
「決めてません」
白紙。
候補が一つずつ消えた。
嗜好。
消えない。
天候。
昼食には関係あり。
飲料には不十分。
習慣変化。
消えた。
対人回避。
消えた。
最後。
《理由情報:複数》
《発生時点:選択直前を含む》
私は息を止めた。
昨日まで。
理由は、選択の前にあるものだと思っていた。
条件があって。
判断して。
選ぶ。
でも。
カフェオレを見た。
飲みたくなった。
選んだ。
その程度のことなら。
理由そのものが、選ぶ場所で生まれることもある。
白紙。
《履歴起点:検索不能》
【私の日記】
帰宅。
引き出しを開けた。
砂糖が一包。
朝と同じ場所。
取り出す。
台所へ持っていく。
紅茶を淹れた。
袋を破る。
全部入れた。
飲む。
甘い。
昨日は使わなかった。
朝も持っていかなかった。
夜は使った。
なぜ。
紅茶を飲もうと思ったから。
砂糖があったから。
少し甘くしたかったから。
それから。
たぶん。
朝、引き出しを開けたことも関係している。
どれが最初かは、よく分からない。
スマホが震えた。
《嗜好履歴:更新候補》
私は笑った。
「無理だと思います」
画面に向かって言った。
しばらくして。
《更新条件:不足》
砂糖の空袋を見た。
捨てた。
今度は迷わなかった。
ノートを開く。
昨日の一文。
《明日は、明日の条件で決める。》
その下に書く。
《条件は、決める前から全部あるとは限らない。》
少し考える。
もう一行。
《決めながら増えることもある。》
スマホは動かなかった。
【真意の調査記録】
三十七日目。
最終追記。
昨日の仮説を修正。
その時。
その条件で。
その人が決めた。
不足。
条件は固定された入力ではない。
選択中に新しい情報が発生する場合がある。
視認。
気分。
思いつき。
会話。
それらは、過去の本人性から説明できることもある。
説明できないこともある。
重要なのは。
説明できないものを、すぐ本人性の欠損と扱わないこと。
白紙。
整合率:75%
変化なし。
履歴起点:検索不能
理由情報:複数
私はその二行を見た。
助手を再現するなら。
助手の理由を集めればいいと思っていた。
違う。
そこじゃない。
理由を全部集めても。
次の理由が、まだ存在していないことがある。
それなら。
完全な助手を作るために必要なのは、情報ではないのかもしれない。
私はそこで止めた。
続きを書けば。
また答えにしてしまう。
白紙の下に、一行だけ書いた。
《未発生の理由は、取得できない。》
見て。
線を引いた。
確定の線ではない。
今日、確認できた範囲の線。
その横に小さく書く。
《明日は変わる可能性あり》
書き終えて。
私は気づいた。
昨日より、記録が少し面倒になった。
少しだけ。
うれしかった。




