第一話「入ってはいけなかった」
【私の日記】
渋谷にいた、はずだった。
スマホで記事を読んでいた。「ぱんでむバーガー」という、謎のハンバーガーショップの記事だ。
最高評価のレビューが並んでいた。「一生に一度は食べるべき」「別次元の美味しさ」「もう他のバーガーが食べられない」。
写真があった。地雷系の制服を着た女の子たちが、笑顔で並んでいる写真。店舗の外観。何かのキャッチコピー。
拡大しようとした。
顔を上げたら——店の前に立っていた。
渋谷ではなかった。
空気が違う。音の反響が違う。圧が、重い。
でも扉は開いていた。
においがした。ハンバーガーのにおいがした。おいしそうなにおいだった。
入った。
普通のファストフード店だった。カウンターがある。メニューボードがある。照明は少し暗い。
カウンターの奥に、制服を着た女の子がいた。
その子が振り向いた。
笑顔だった。
きれいな顔をしていた。笑顔だった。なのに——背中の毛が全部立った。皮膚が何かを言っていた。この子は、私を何かとして見ている、と。食べ物か、材料か、数字か。人間としてではない何かとして。
笑顔のまま、カウンターから出てきた。
「いらっしゃいませ」と言った。声がきれいだった。
「ご注文はお決まりですか」と言った。
「こちらのメニューはいかがでしょう」と言いながら、写真を私に向けた。
写真だった。人が写っている写真。フロアで、ダブルチーズバーガーを食べている人の写真。
写真の中の人が、呼吸していた。
わずかに。でも確かに、呼吸していた。
「この写真——」
言いかけた瞬間、肩を掴まれた。
振り向いた。
虫眼鏡を持った女の子が立っていた。黒と赤の服。片目が前髪で隠れている。おさげが少し乱れていた。走ってきた様子があった。
その子が私の腕を引いた。
「こっち」
それだけだった。
引っ張られた。カウンターの反対側の廊下に入った。
後ろで、最初の子の声がした。
「あら」
残念そうな声だった。
ほんの少し、残念そうだった。
廊下を引っ張られながら、私は後ろを向いた。
カウンターの女の子がまだこちらを見ていた。
笑顔のまま、見ていた。
角を曲がった。見えなくなった。
「……あの、」と私は言った。
「静かに」と隣の子が言った。
静かにした。
廊下をいくつか曲がった。突き当たりの扉の前で止まった。
「探偵事務所」と書いた表札があった。
扉を開けて、中に入った。
部屋だった。
壁一面に、赤い糸が張り巡らされている。糸の先に、張り紙がある。何十枚、何百枚と貼ってある。全部に文字が書かれている。タイプライターが机の上にある。窓はない。
その子は私を椅子に座らせた。
自分は机の前に立ったまま、私を見た。
「怪我はない?」
「……ないです」
その子が少し、肩の力を抜いた。ほんの少しだけ。
「真意」とその子は言った。「ここの調査担当をしている。あなたは?」
「私は——」と言って、気づいた。
「ここって、何ですか」
「パンデモニウム。略してぱんでむ。あなたが入ってきた店の名前」
「さっきのカウンターの子は」
「妄執ちゃん。フロアのクルー」
「クルー」
「店員みたいなもの」と真意さんは言った。「あなたが接触し続けていたら、今頃あの壁の写真の中にいた」
「写真の、中」
「文字通りよ」
私は自分の手を見た。震えているかどうか確認した。少し震えていた。
「……帰れますか」
真意さんが少し止まった。
「今日はまだわからない」とその子は言った。「もう少し調べてから話す。その前に聞かせて」
「何を」
「どうやってここに入ったか」
スマホの話をした。記事を読んでいたら気づいたらここにいた、という話を。
真意さんがメモを取った。タイプライターではなく、手書きのメモ帳に。
「記事のURLは」
「覚えていないです」
また書いた。
「三つ、守ってほしいことがある」と真意さんは言った。
「はい」
「廊下は一人で歩かないで。食べ物を渡されても食べないで。写真を撮ろうとしないで」
「……なぜ写真を」
「撮られる側になるから」
意味がわからなかった。でも顔を見たら、冗談で言っている顔ではなかった。全部うなずいた。
真意さんがメモをめくった。
「当面、私の助手ということにする」とその子は言った。「そうすれば他のクルーが手を出しにくくなる」
「……手を出す、というのは」
「加工、廃棄、収容、捕食。クルーによって方法は違う。でも全部、あなたにとって良くない方向に変わるということよ」
「……今は、どれでもないんですか」
「私の助手だから」と真意さんは言った。
それだけだった。
他に説明はなかった。
でもそれだけで、今の私にはとりあえず十分だった。
「……真意さんは、私を助けてくれているんですか」
真意さんが少し、私を見た。
「調査に使っている」とその子は言った。
「何の調査に」
「それは後で」
窓のない部屋の中で、赤い糸が壁一面に交差していた。
中央に何があるかは、まだわからない。
【真意の調査記録】
**〇月〇日**
**事象:一般人の店舗内侵入を確認**
迷入者を確保。
妄執ちゃんと接触する前に介入した。間一髪だった。
写真には入っていない。間に合った。
迷入者の属性スキャンを実施。
一層目:人間(確定)
二層目:健康状態、問題なし
三層目:(保留)
処理方法:——
処理方法の項目が空欄のまま確定しない。
これは稀なケースだ。ほとんどの迷入者はスキャンと同時に処理方法が確定する。
理由として考えられること:
①スキャン前に接触できたため確定が遅れている
②確定しない特性を迷入者自身が持っている
③確定を保留する何者かが介入している
現時点では①と仮定する。②③については引き続き確認する。
流入経路について:
スマホ経由の記事から来たという証言。URLは不明。
記事の存在は把握していたが、流入経路として機能していたとは確認できていなかった。
能動的な誘引が起きている可能性がある。誰が、何のために——は現時点では不明。
対応:助手として身分を付与。
他クルーへの通達:「真意の管轄案件」として処理を一時保留。
廊下で妄執ちゃんとすれ違った時、妄執ちゃんが迷入者の方を見た。
一秒だけ見た。それから私を見た。
何も言わなかった。
私も何も言わなかった。
それで今日は終わった。
**備考:助手、現在生存。**




