表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/12

第一話「入ってはいけなかった」

【私の日記】


渋谷にいた、はずだった。


スマホで記事を読んでいた。「ぱんでむバーガー」という、謎のハンバーガーショップの記事だ。


最高評価のレビューが並んでいた。「一生に一度は食べるべき」「別次元の美味しさ」「もう他のバーガーが食べられない」。


写真があった。地雷系の制服を着た女の子たちが、笑顔で並んでいる写真。店舗の外観。何かのキャッチコピー。


拡大しようとした。


顔を上げたら——店の前に立っていた。


渋谷ではなかった。


空気が違う。音の反響が違う。圧が、重い。


でも扉は開いていた。


においがした。ハンバーガーのにおいがした。おいしそうなにおいだった。


入った。


普通のファストフード店だった。カウンターがある。メニューボードがある。照明は少し暗い。


カウンターの奥に、制服を着た女の子がいた。


その子が振り向いた。


笑顔だった。


きれいな顔をしていた。笑顔だった。なのに——背中の毛が全部立った。皮膚が何かを言っていた。この子は、私を何かとして見ている、と。食べ物か、材料か、数字か。人間としてではない何かとして。


笑顔のまま、カウンターから出てきた。


「いらっしゃいませ」と言った。声がきれいだった。


「ご注文はお決まりですか」と言った。


「こちらのメニューはいかがでしょう」と言いながら、写真を私に向けた。


写真だった。人が写っている写真。フロアで、ダブルチーズバーガーを食べている人の写真。


写真の中の人が、呼吸していた。


わずかに。でも確かに、呼吸していた。


「この写真——」


言いかけた瞬間、肩を掴まれた。


振り向いた。


虫眼鏡を持った女の子が立っていた。黒と赤の服。片目が前髪で隠れている。おさげが少し乱れていた。走ってきた様子があった。


その子が私の腕を引いた。


「こっち」


それだけだった。


引っ張られた。カウンターの反対側の廊下に入った。


後ろで、最初の子の声がした。


「あら」


残念そうな声だった。


ほんの少し、残念そうだった。




廊下を引っ張られながら、私は後ろを向いた。


カウンターの女の子がまだこちらを見ていた。


笑顔のまま、見ていた。


角を曲がった。見えなくなった。


「……あの、」と私は言った。


「静かに」と隣の子が言った。


静かにした。


廊下をいくつか曲がった。突き当たりの扉の前で止まった。


「探偵事務所」と書いた表札があった。


扉を開けて、中に入った。




部屋だった。


壁一面に、赤い糸が張り巡らされている。糸の先に、張り紙がある。何十枚、何百枚と貼ってある。全部に文字が書かれている。タイプライターが机の上にある。窓はない。


その子は私を椅子に座らせた。


自分は机の前に立ったまま、私を見た。


「怪我はない?」


「……ないです」


その子が少し、肩の力を抜いた。ほんの少しだけ。


「真意」とその子は言った。「ここの調査担当をしている。あなたは?」


「私は——」と言って、気づいた。


「ここって、何ですか」


「パンデモニウム。略してぱんでむ。あなたが入ってきた店の名前」


「さっきのカウンターの子は」


「妄執ちゃん。フロアのクルー」


「クルー」


「店員みたいなもの」と真意さんは言った。「あなたが接触し続けていたら、今頃あの壁の写真の中にいた」


「写真の、中」


「文字通りよ」


私は自分の手を見た。震えているかどうか確認した。少し震えていた。


「……帰れますか」


真意さんが少し止まった。


「今日はまだわからない」とその子は言った。「もう少し調べてから話す。その前に聞かせて」


「何を」


「どうやってここに入ったか」


スマホの話をした。記事を読んでいたら気づいたらここにいた、という話を。


真意さんがメモを取った。タイプライターではなく、手書きのメモ帳に。


「記事のURLは」


「覚えていないです」


また書いた。


「三つ、守ってほしいことがある」と真意さんは言った。


「はい」


「廊下は一人で歩かないで。食べ物を渡されても食べないで。写真を撮ろうとしないで」


「……なぜ写真を」


「撮られる側になるから」


意味がわからなかった。でも顔を見たら、冗談で言っている顔ではなかった。全部うなずいた。


真意さんがメモをめくった。


「当面、私の助手ということにする」とその子は言った。「そうすれば他のクルーが手を出しにくくなる」


「……手を出す、というのは」


「加工、廃棄、収容、捕食。クルーによって方法は違う。でも全部、あなたにとって良くない方向に変わるということよ」


「……今は、どれでもないんですか」


「私の助手だから」と真意さんは言った。


それだけだった。


他に説明はなかった。


でもそれだけで、今の私にはとりあえず十分だった。


「……真意さんは、私を助けてくれているんですか」


真意さんが少し、私を見た。


「調査に使っている」とその子は言った。


「何の調査に」


「それは後で」


窓のない部屋の中で、赤い糸が壁一面に交差していた。


中央に何があるかは、まだわからない。




【真意の調査記録】


**〇月〇日**

**事象:一般人の店舗内侵入を確認**


迷入者を確保。

妄執ちゃんと接触する前に介入した。間一髪だった。


写真には入っていない。間に合った。


迷入者の属性スキャンを実施。

一層目:人間(確定)

二層目:健康状態、問題なし

三層目:(保留)

処理方法:——


処理方法の項目が空欄のまま確定しない。

これは稀なケースだ。ほとんどの迷入者はスキャンと同時に処理方法が確定する。


理由として考えられること:

①スキャン前に接触できたため確定が遅れている

②確定しない特性を迷入者自身が持っている

③確定を保留する何者かが介入している


現時点では①と仮定する。②③については引き続き確認する。


流入経路について:

スマホ経由の記事から来たという証言。URLは不明。

記事の存在は把握していたが、流入経路として機能していたとは確認できていなかった。

能動的な誘引が起きている可能性がある。誰が、何のために——は現時点では不明。


対応:助手として身分を付与。

他クルーへの通達:「真意の管轄案件」として処理を一時保留。


廊下で妄執ちゃんとすれ違った時、妄執ちゃんが迷入者の方を見た。

一秒だけ見た。それから私を見た。

何も言わなかった。

私も何も言わなかった。


それで今日は終わった。


**備考:助手、現在生存。**


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ