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5-1「キスでもされると思った?」「ギャー!」



 通りから少し入り込んだところにある集会所では、二十を少し超えた程度の人数が集まって何やら準備をしていた。


「ターゲットはいますか?」

「ちょっと待ってね」

 私たちは玄関から――は入らず、中の様子が窺える窓の側に二人並んで張り付いた。そっと首を伸ばして、ターゲットがいるかどうかを確認し――ようとした瞬間、背後で「あら! 来てくれたの!?」と威勢の良い声がすると同時に肩を叩かれる。

「わーっ!」

 私はその場で大きく跳ね上がり、弾かれたように振り返った。見れば、そこには「驚かせちゃったわね」と舌を出すご婦人がいらっしゃる。


「はい、これ台本ね! ごめんなさい、予備が一冊しかないから二人で見てちょうだい」

「えっ!? あ、ちょ、違……」

 当然のように紙の束を渡されて、私は目を白黒させる。エリクスさんとやり取りをする間もなく、背を押されて玄関まで連行された。

「はいはい皆さん注目して! この間引っ越してこられた……えーと」

「エノールといいます」

「エノールさんご夫妻です! まだ新婚さんだそうで、越してきたばかりで不慣れなこともあると思うので、皆さんぜひ優しくしてあげてくださいね!」

 ご婦人が私たちを並べてそう紹介してしまうと、それまで手を止めて怪訝そうな顔をしていた面々が、「へえ」とその表情を緩める。一気に空気が和らぐのを感じて、私は目を瞬きながら、おずおずと「はじめまして」と頭を下げた。


 しばらくしてから、また人々は各々の作業に戻り始める。女性は私に向き直って微笑む。

「申し遅れたけれど、私はカーラ。二○三号室に住んでいます。よろしくね」

 言いながら、カーラさんは私たちに向き直って片手を差し出した。「今日は来てくれて本当にありがとう! ちょっと勧誘が無理矢理だったんじゃないかって不安だったのよ」と照れ笑いのような表情で小首を傾げる。

「いえ、そんな……」

 私は否定しきれずに言葉を濁した。勧誘が強引だったのは否めないし……。隣ではエリクスさんが、カーラさんと握手をしながら朗らかな笑みを浮かべている。


「僕も妻から話を聞いて、少し覗いてみようと思ったんですよ」

 その言葉に、カーラさんは目を見開き、それから私の方にしたり顔を向ける。

「あら! あらあら……ちゃんと連れてきたわね? 偉いじゃないの」

「あはは……」

 ちょいちょい、と肘でつつかれて、私は乾いた笑いを浮かべた。そういえば、カーラさんの中でエリクスさんは『靴を隠してまで妻を家から出したくない重度の束縛夫』なのである。

「その調子よ! 夫の手綱をちゃんと握れるように頑張ってね」

「が、がんばります」

 カーラさんに耳打ちされて、私は苦笑いとともに頷いた。エリクスさんは、恐らく話の内容に察しはついているものの、きょとんとした素振りで私たちを見守っている。


「それで、旦那さん! ……ちょっとこっちにいらして」

 カーラさんは次にエリクスさんに近づき、手招きで呼び寄せた。大人しく従ったエリクスさんに、カーラさんは何やら忠告のようなものを垂れているらしい。

 私は二人から目を離し、床にテープを貼っている子どもたちや小道具の準備をしているお母さん方、荷物を運び入れている男性陣に視線を走らせた。


(……ターゲットはまだ来ていない)

 当然のことながら、ターゲットの屋敷へ潜入するには、家主が外出していることを確かめねばならない。

(ターゲットがこの練習に参加する様子を確認してから、何か理由を付けて退出するので構わないか)

 むしろ、ここで一旦集まりに顔を出しておいた方が、後に侵入の形跡を見咎められたとしても無関係を装いやすいだろう。



「――だからね、本当に奥さんが大切なんだったら、いっぱい色んなところに連れて行ってあげるのが一番良いと思うわ。夫婦円満のためには思い出を作っておくことも大切よ」

「なるほど……」

「もしも子どもができたら、ぜひお子さんを連れて旅行に行くのよ」

「覚えておきます」

「でも何より、家族をたくさん愛してあげることが一番大切よ。言葉や態度に出すのを惜しんじゃ駄目」

「……そうですね、」


 真剣な表情で語り合っている二人を一瞥して、私は微妙な心持ちで頬を掻いた。元々は私がまいた種とは言え、こうしてエリクスさんに付き合わせてしまっているのが申し訳ない。

(エリクスさん、きっと本当に結婚したら、すてきな旦那さんなんだろうなぁ)

 結婚していないとは言っていたけれど、今は恋人もいないと言っていたけれど、それはこのタイミングでたまたま……みたいなものだろう。だってエリクスさんほど良い人だったら、他の人だって見逃さないはずだ。


(やっぱり、私みたいなお子様、相手になんてしてもらえないよ……)

「はあ……」

 思わず息を漏らして項垂れてしまった、直後のことだった。



「――そんなに暗い顔をして、どうしたんですか?」

「わっ!」

 おもむろに背後から肩を抱かれて、私はその場で飛び上がった。肩から首の辺りに手が這わされる。背中に怖気が走った。顔を見なくたって誰の声と手かは分かる。私は一瞬だけ視線を鋭くした。

(……ターゲットを確認できた、)

 私は鳥肌を堪えながら、笑顔で振り返る。

「こ、こんばんは、センタルラスさん」

「こんばんは。まさか奥さんがこんなところにいるなんて思いもしませんでしたよ。ぜひ劇にも参加して欲しいな。私が脚本を書いたんですよ」

「ははは……そうなんですか……」

 腰が引けながら、私はターゲットに向かって愛想笑いを浮かべた。目の前では中肉中背、特に特徴のない中年男がにこやかに微笑んで立っている。


「それにしたって、そのように思い悩まれているようなご様子で……何か気がかりなことでもおありですか?」

「ああ、いいえ、何もありませんよ。ごめんなさい、ご心配をおかけしたようで。少し疲れているのかしら」

 私は平然と首を横に振りながら、そっと胸元に手を当てた。そこには、今日の午前中にエリクスさんからもらった加護の指輪が下がっている。


(ターゲットの外出が確認できた以上、一刻も早く戻って屋敷の調査を開始したい)

 そう思いながら、私はターゲットとの会話を切り上げるための話題を探す。

「ああ、ところで」

 そんな言葉とともにターゲットは私に向かって大きく距離を詰めた。脈絡もなく手を取られて、私は頬を引きつらせる。


「あの、えっと、この手は、」

 私は手を抜こうと肩をよじるが、ターゲットは何故か私の手を強く握り込んで放さない。その目が、じっと私を見据えている。目を合わせてはいけない、と直感が告げる。

「……一つお聞きしたいことが、あるのですが」

「な、なんですか?」

 ターゲットの視線が私から離れない。それはまるで絡みつくようだった。胸の中がぞわぞわするような、言葉にできない不快感に襲われて、私は顔を強ばらせる。

 二つの目が、じっと、私を見る。私は息を止めて首を竦めた。



「――こらっ! センタルラスさん、よその奥さんに勝手に触らないの! 彼女だって困っているじゃない!」


 直後、ぽこんと呑気な音がすると同時に、ターゲットの後頭部が丸めた台本で叩かれた。見れば、カーラさんが憤然と肩を怒らせて腰に手を当てている。「全くもう」とこれ見よがしに肩を竦めてから、彼女はエリクスさんの方に素早く歩み寄った。

「だ、旦那さん。落ち着いて、落ち着くのよ。ゆっくり息を吸って、冷静にね。暴力沙汰は駄目よ。刃物は持っていない? 大丈夫?」

 カーラさんは慌てた様子でエリクスさんを宥める。ちらちらと私の方に目をやりながら、「こういうときこそ懐の広さと信頼を見せる場面だわ」と、よく分からない助言である。


 エリクスさんの目が私の方をちらと見た。苦笑いひとつ。それから彼は、ごくごく穏やかな足取りで私の方に来ると、躊躇いなく両腕を伸ばす。

「おいで」

 答える間もなく引き寄せられ、気がついたときには私はエリクスさんに背後から抱かれていた。

(ひえっ!?)

 その事実に気がついた瞬間、私はぴしりと凍り付いたように身動きが取れなくなる。え、えり、エリクスさんが、……近い!


 エリクスさんは背後からターゲットを強く見据えた。

「――僕の奥さんはちょっと人見知りでね、……他人からあまり急に距離を詰められると驚いてしまうことがよくあるんですよ」

「あわわ……」

 その言葉を聞きながら、私は目を白黒させる。エリクスさんがとても近い。ターゲットは数秒の間、私とエリクスさんを見比べ、それから首を傾げた。

「……旦那さん相手でも驚いてませんか?」

 エリクスさんの呆れたような目が頭頂部に突き刺さる。

「ちょっと、何で僕相手でも照れてるの」

「やっぱりまだ恥ずかしくって……」

 思わず項垂れながら、私は小さくため息をついた。


「……まあ、そういう訳なので」

 言いつつ、エリクスさんは私を背後に回して、ターゲットと対峙した。

「あまり、妻に近づきすぎないで頂けますか。いくら妻を信頼しているとは言え、結婚したばかりの嫁の周りでそんなにうろつかれると、僕だって心配になりますからね」

(ううー、こんなこと本当に言われてみたい……!)

 私はついに両手で顔を覆って悶絶した。自らの家族を守るべく毅然と変態犯罪者野郎に立ち向かっているエリクスさん……。見ているだけで照れてしまう。



「あはは、そんなに怒らなくたって良いじゃないですか」

 ターゲットはへらりと笑顔を浮かべて両手を挙げる。降参を示すかのような態度に、エリクスさんが視線を鋭くした。片腕で引き寄せられ、私は口を閉じたまま目を見開く。人前なのに、というか人前だからか、エリクスさんがやけにイチャついてくるではないか。

「……帰ろうか。夕飯の支度もあるし」


 これはつまり、戻って侵入に取りかかろうという合図だろう。私は眉をひそめ、口ばかりは「そんな、来たばかりなのに」と抵抗する素振りを見せた。視線が重なる。私は精一杯目で合図を送った。エリクスさんが瞬きをする。

「……良いから、」

 そう言って、エリクスさんは私の肩を強く抱き寄せた。白々しく「きゃっ」と漏らして体を預けると、エリクスさんは片手で私の前髪をかき上げて額に手を当てる。


「変に顔が赤いと思ったら、やっぱりそうだ。熱があるんじゃない?」

 そんな適当な言い訳で、エリクスさんは小さくため息をついた。直後、おもむろにその顔が近づいてくるので、私は唖然として凍り付く。

(は!?)

「えっ!? ちょ、ま、風邪引いているかもしれないのに、それはちょっと、」

 ななななな、何をしようっていうんだ!? 私は思わず後ろに下がろうとするが、背中に回した腕で肩を支えられているせいで、これ以上退くことができない。

(そんな、そんな……そんなの駄目!)

「待って! 人前ですよ!?」

 私はほとんど涙目になりながら、両手でエリクスさんの胸を押しとどめようとする。全然効果がない。ついに鼻先が触れかけ、私は堪えきれずにきつく目を瞑った。



 ――こつん、と額と額が触れ合う。

(おでこかーい)



 私は目を閉じたまま内心で呟いた。いや、まあ確かにこの文脈なら、額を合わせるという、正確なんだか不正確なんだかよく分からない測定方法で熱を測る、そんな流れが妥当である。

(なーんだ、てっきり私……)

 くす、と忍び笑いが至近距離で漏らされる。

「……キスでもされると思った?」

「ギャー!」

 その瞬間、私は我に返って目を見開いた。そしたら目と鼻の先にエリクスさんである。私は一瞬のうちに顔を真っ赤にして飛び退いた。


(な、何が『おでこかーい』よ、額こつんもほぼ同等の距離感じゃないの!)

 わなわなと震えながら、私はエリクスさんを睨みつける。羞恥のあまり目尻に涙が浮かんできそうだ。

「なに、なにを……!」

「やっぱり熱があるみたいだね。帰った方が良さそうだ」

 エリクスさんは腕を組み、大真面目な表情で頷いた。その頃既に騒ぎは十分に大きくなっており、練習の準備をしていた近隣住民の皆様は完全に手を止めて私たちの様子を見守っている。幼い子どもたちの目を塞いでいるお父様方もおり、私は大変申し訳なくなった。


 誰が熱を出させているのか、と呆れたような視線の数々が突き刺さる。おもむろに人前でイチャつき新婚劇場を開陳してしまったせいで、周囲からの眼差しは随分と生暖かい。


「……そうね。今日は一旦戻った方が良いと思うわ」

 カーラさんは遠い目をしながら呟いた。私に向かって「手綱は短めに握るのよ」と真剣な表情で一度頷く。私は死んだ魚のような目で虚空を見つめ、「肝に銘じます」と応えた。



 ***


「もうお嫁に行けない……」

「ご、ごめんね。僕も早くあの場を収めようと思って、つい焦っちゃって……!」

 暗い夜道を歩きながら、エリクスさんは心底焦った様子で私の顔を覗き込む。

「なんで焦ったらああなるんですか!」

「ごめん……」

 しょんぼり、とエリクスさんが肩を落とす。「こんなはずでは」と項垂れてしまうので、私は小さくため息をついてから、「もういいです」と肩を竦めた。


「……いよいよですね」

「うん」

 私は拳を握りしめ、眦を決する。

「ターゲットの屋敷に侵入して、何としてでも企みを暴きます」

「時間がない、急ごう」

 私たちは顔を見合わせ、早足で通りを歩き、宵闇に溶けた。




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