Mission5-2 屋敷に侵入して証拠を手に入れろ
私たちはターゲットの屋敷の裏手に回り、裏口へと近づいた。エリクスさんが何やら怪しい……合法ではなさそうな道具で解錠すると、扉は難なく開かれる。私は手袋を羽目ながら目を丸くした。
「わーお……」
「こういうことができるのも、特別部隊だからだよね……」
エリクスさんは遠い目をして呟くと、私を先導して屋敷内に足を踏み入れた。
一度入った屋敷だが、明かりが灯されず、冷え冷えとしている今は、まるで知らない建物のようだ。私はエリクスさんの前に一歩出ると、周囲を見回す。
「まずは図面に載っていなかった扉を調べましょう」
「そうだね」
声を潜めてそう頷き合うと、私たちは足音を忍ばせて廊下を進んでゆく。両脇に並ぶ扉は、念のため少し中を覗く程度に留めて、なるたけ迅速に目的の階段脇を目指す。
「特に室内に変わった様子はないね」
細く開けた扉を閉じて、エリクスさんが息をついた。私も覗き込んでいた部屋から顔を戻し、「やっぱり、例の扉か……それが外れだったら、二階を調べることになりますね」と眉をひそめる。
「二階に上がるのはできれば避けたいね」
「はい」
私は短く頷いて、そしてついに階段を視界の端に捕らえた。階段は玄関を入ったすぐ側にあり、万一ターゲットが帰ってきたら完全に鉢合わせする位置にある。私は息を殺して階段を回り込み、前にこの屋敷を訪れたときに見た扉へと手を伸ばそうとした。
――しかし。
「……扉が、ない……!?」
そこにあるのは、他の部分と違うところの見えない壁である。私は息を飲んだ。
前に入ったときには扉があったはずのところ、しかし図面には扉など記載されていない――その壁を前に、私は愕然と立ち尽くした。
「ちょっと貸して」
エリクスさんが素早く歩み寄り、壁に指の節を数度打ち付ける。何カ所かを叩き、壁に指先を這わせた後、彼は「なるほど」と呟いた。おもむろに壁の一部に指先を引っかけたかと思ったら、横に力を込める。数秒後、玄関に響いた僅かな摩擦音に、私は目を見開いた。
「隠し扉……」
壁紙が四角くスライドする。どうやら、本来の壁の上に板と壁紙を貼り、扉を隠していたらしい。扉よりやや大きめに切り取られていた壁紙――隠し扉がずれたのだ。
その向こうには、見覚えのある木の扉が見える。
「……ビンゴ、かな?」
ふう、と息を吐きながら、エリクスさんが呟く。
「あらかじめ知ってなかったら気づけなかったよ。よく見てたね」
「たまたまですよ」
私は苦笑交じりに一度首を振ってから、露わになった扉に向き直った。腰に忍ばせていた小ぶりの懐中電灯を手に取り、スイッチをつける。ぱっと一筋の光が伸び、扉に丸い明かりが浮かび上がった。
「行きましょう」
「注意してね」
「はい」
私は震える指先を一度握り込むと、おずおずと扉の取っ手に手を伸ばす。捻れば、そこに手応えはない。どくり、と心臓が跳ねる。私は薄暗い屋敷の中で大きく目を見開いて、そして、扉をそっと押し開けた。
果たしてそこに待っていたのは、伸ばした指の先も見えぬような暗闇である。まるで塗りつぶしたかのようなそれに、私は一瞬だけ怯む。しかし一度唾を飲むと、私はそっと懐中電灯の先を前方に向けた。
「……階段?」
私の肩越しに行く手を覗き込んでいたエリクスさんが呟く。私も目を丸くしてたじろぐ。
「下に降りる階段……つまり、地下室があるということでしょうか」
「どうやらそのようだね。地下室の存在なんて図面にはなかった……」
私とエリクスさんは、一瞬だけ視線を重ねた。言葉にしなくても伝わる。――目的は、この先にある。
***
私たちは慎重に階段を降りた。空気は冷え冷えとしており、どこか湿っぽさも漂う。やがて階段の最後まで行き当たると、懐中電灯は紫紺のカーテンを照らし出した。地下室はこの向こうにあるのだろう。
しばらく黙って聞き耳を立ててみたが、物音はなく、人の気配もない。私は片手を伸ばしてカーテンに指先を引っかける。耳の奥で鼓動の音が絶え間なく繰り返していた。全身がかっと熱を持っているのに、頭の芯ばかりが冷え冷えとしていた。
私は、実にゆっくりと、そのカーテンを横に押しやり、その向こうを露わにした。
「これは……!」
瞬間、エリクスさんが鋭く息を飲む。私もその場でカーテンを押し開けたまま、身動きできずに大きく目を見開いた。両足が、まるでその場に縫い止められたかのように動かない。
手元の明かりで周囲を照らしながら、私はそれほど広くない地下室の中で一際目立つそれに近づいた。背の高さを超す箱を見上げ、私は眉根を寄せる。
「これは……棺桶?」
「少なくとも、人間と同じくらいの大きさをした何かを入れるための装置のようだね」
言いながら、エリクスさんが私の隣に立つ。
私は周囲を見回した。
「ここは、この箱を置いておくための部屋なんでしょうか」
地下室にあるのは、佇立した棺桶にも似たこの箱、様々な図面の広げられた机ばかりである。あとは床に細々とがらくたのようなものが散らばっていて、歩行を妨げている。
「置いておくというよりは、」と言いながら、エリクスさんは机の上の紙に目を落とした。
「……どうやらここで、この箱を作っていたようだね」
手袋を嵌めた手で、机の上をざっとかき分ける。その目が素早く図面の上に走らされるのを確認して、私は再び箱に向き直る。
蝶番で開閉すると思しき蓋は、今は半開きのままである。この蓋がついている位置が、箱を棺桶よろしく見せていた。蓋あるいは扉には、過剰なほどに金具が取り付けられており、外から頑丈に蓋を閉めることができるのが窺える。
私は一歩横に動いて、蓋の隙間から中を覗き込んだ。
(中には特に何もないな)
懐中電灯で中を照らしてみるが、つるりとした黒い壁面に囲まれているだけである。恐らくは金属だろうが、あまり重そうな印象は受けない。
続いて私は箱の裏側に回り込んで、そこでぎょっと目を剥く。箱の内部の簡素な様子とは対照的に、そこには複雑に絡み合った線や基板が剥き出しになっている。考えるまでもなく悟る。――これはただの人間大の箱ではなく、機械なのだ。それも、何か嫌な感じのする。
(……あの空間に、人を入れるのかしら)
それはいかにもぞっとしない想像だった。もしも本当にそうだとしたら、この機械は中に入った人に何か影響を及ぼすものなのだろう。箱の形が棺桶に似ているのも気味の悪さを感じさせた。
私が胸の前でぎゅっと拳を握りしめると同時に、エリクスさんが顔を上げる。
「……どうやらこれは、中に人を入れるので間違いなさそうだ」
言いつつ、彼は私の側まで大股で歩いて来ると、箱の裏にある複雑な機構に目を走らせた。「まだ石は嵌まっていないのか」と吐き捨てながら見ているのは、恐らく不自然に空いた空間のことだろう。
「ここに、あとで何かが嵌められるんですか?」
「さっきの図によれば」
エリクスさんは短く答えると、小さく舌打ちをした。
「参ったな。まさかここまで実現に近づいていたとは思わなかった」
言いながら、エリクスさんは再び机の方に戻って図面を睨みつける。私は恐る恐るその背中に声をかけた。
「……これ、何に使用する機械なんですか?」
「異能を増幅し、異能者本人以外によって操作するための機械だ。異能者に強い負荷をかけてその発現を最大限まで引き出し、とある石を介して、外部から異能を操作する」
「ええ……」
何だかよく分からないが、およそ穏やかではない言葉ばかりである。私は顔を引きつらせ、目の前の機械から一歩下がった。
(……ん?)
と、そこで私は首を傾げる。
「じゃあ、異能持ちではない一般人が入っても、何も起こらないってことですか?」
「というよりは、何が起こるか分からないね。爆発とかするのかな、どうだろう」
「ひょえ……」
じゃあ、やっぱり私にとっても危険な代物である。私は恐れおののいて口元を押さえる。そんな私をよそに、エリクスさんはため息交じりに姿勢を戻した。
「ただ、少なくとも、異能者が入った場合は、良くて廃人……最悪の場合は死に至る。死体すらも残らない」
エリクスさんの横顔には筆舌に尽くしがたい憤怒が表されていた。私は思わず息を飲む。
「当たり前だよ。異能を極限まで引き出すため、命を脅かすほどの負荷を与え続けるんだから」
侵入中であることもあり、エリクスさんの声はあくまで低められ、語気も決して荒々しくはない。それなのに、その言葉はどこまでも険しく、忌々しげだった。
「――外道の研究だ。奴らは、異能者の存在を世に知らしめるためなら、一般人に危害を与えるだけでは飽き足らず、同胞さえもを容易に手にかける」
彼の拳が、震えるほどに強く握りしめられている。それに気づいて、私は言葉を失った。
次いで、私は机の正面の壁に貼られた紙に目をやった。エリクスさんもそちらに視線を向け、私たちは揃って壁に顔を寄せた。そこに書かれている文字列を読み上げる。
「『設置は二時の下 広場にて』……? これって、」
「――おい、ライデリーの奴、ご丁寧に鍵なんてかけてやがるぜ! ったくあの馬鹿」
私が眉をひそめて呟いた瞬間、頭上から声が聞こえた。
(誰かが家に入ってこようとしている!?)
私は鋭く息を飲み、動きを止める。エリクスさんも大きく目を見開いてその場で凍り付いた。
「出るよ」
エリクスさんが素早く身を翻す。私は一度地下室を見渡すように照らし、入る前と特に変化がないことを確かめた。足音を忍ばせて階段を上ってゆくエリクスさんに続いて、私も地下室の出口へと早足で近づく。カーテンを元の通りに閉め直して、ライトの電源を消す。
「ああ、ちょっと待て。玄関の鍵はこの辺りの植木鉢に隠してあると言っていた」
「ハア!? 何なんだよ……とっとと探すぞ」
地下室の扉から玄関に上がると、扉に嵌められた飾りガラスの向こうに二つの人影が見えた。大きさからして、向こうも男と女だろうか。息を飲んだ私の後ろで、エリクスさんが扉に向き直り、入るときにずらした壁板を戻そうと悪戦苦闘している。私も慌てて駆け寄り、板に手をかけた。
(うまく出てこない、)
スライド式の扉になっているのだろうが、滑りが悪くてなかなか動かないのである。私は額に汗が滲むのを感じた。
玄関の扉の向こうでは、二人の会話が続いている。
「今夜のうちにあいつを運んでおかなきゃいけないからな。急ぐぞ」
「ああ。……おい、鍵があったぞ!」
まずい、とエリクスさんが喉の奥で唸った。扉はその場でがたがたと揺れるだけで動かない。
(うご、けッ!)
私は板の端に指を引っかけ、体重をかけて力一杯に扉を引き出した。が、と大きく扉が動き、勢いに乗せてエリクスさんが扉を強く引いた。
背後では鍵を差し込もうとする気配がしている。隠し扉が元の通りに閉まる。
鍵が捻られる、かちゃりという音が、薄暗い玄関に響き渡った。
――私たちが揃って姿見の陰に飛び込んだ瞬間、玄関の扉が大きく開け放たれる。私はできるだけ身を縮めて息を殺した。最大限抑えたような荒い呼吸が首にかかる。私は固唾を飲んで、玄関を睨みつけた。
「例の機械は完成しているんだろうな」
「ライデリーの奴が昨日、最終調整を終わらせたってよ。手先が器用な野郎だ」
そんな言葉を交わしながら、我が物顔で玄関に足を踏み入れた二人が、一直線に階段脇、隠し扉のある壁まで近づいていく。やはり、と私は奥歯を噛みしめた。
男女の二人組は手慣れた様子で隠し扉を開けると、そのまま地下室へ続く階段を降りていった。足音が遠ざかるのを確認してから、私は気配を忍ばせて姿見の陰から歩み出る。
一瞬の目配せのうちに合図を交わし、そうして私たちは入るときに使った裏口を通って屋敷から脱出した。
***
慣れた我が家の玄関を閉じると、私は扉に背中を付けてずるずるとへたり込んだ。
「まさかターゲットの協力者と鉢合わせるなんて思いもしませんでした……。ああ、心臓止まるかと思った……」
胸を押さえて息を吐いた私に、エリクスさんは苦笑する。私の手を引いて立ち上がらせながら、彼は柔らかい口調で告げた。
「危ないところだったね。あらかじめあの隠し扉を目的にしていなかったら、絶対間に合わなかった。君が上手いこと屋敷に入って、よく見ていてくれたおかげだ」
「ありがとうございます……。私も、あんな男に媚びを売った甲斐があるってもんです……」
私はぐったりとしながら頷く。
「それにしても、あんな機械を地下に隠していたなんて……。何だかヤバい機械なんですよね?」
全く理解が及んでいない私の言葉に、エリクスさんは「まあ、そうだね」と雑に頷いた。
「話は夕飯を食べながらにしようか。準備しておくから、先にお風呂に入っておいで」
「あ……えっと、」
「気にしなくていい。初任務からこんなに大変な目に遭っているんだ、きっと自分が思っている以上に消耗しているはずだよ」
有無を言わせぬような微笑みに、私はおずおずと頷いて、緩慢な動きで支度を始めた。
「ときどき鍋を混ぜておいて」と非常に簡単な任務を言いつかった私は、言われたとおりに大人しく鍋の中のスープをかき混ぜていた。エリクスさんは異常に風呂が早いので、じきに出てくると思う。
鍋の中で浮かんでいる人参をつつき回しながら、私は小さくため息をついた。
(……異能者の力を限界まで引き出して、操作する機械、)
それは、聞くだけでも恐ろしいような心地のする代物だった。胸の底がずんと重くなる。
(機械に入った異能者は、廃人になるか、死亡する……)
……私は、異能者のことがあまり得意ではない。それはもちろん、今までの人生で異能者と呼ばれる人種と接した機会がほとんどないことや、一部の異能者が起こした事件を散々見聞きしてきたことによるものだろう。私の異能者に対する感覚は、恐らく、世間一般の人々が抱いているそれと、そう大きくは変わらないと思う。
全ての異能者が悪い人たちではないのは分かっている。よく知っている。
……でも、
(一部の人が悪いことをすれば、ひとはそれを属性と結びつける。……自分たちの存在を示すために、何かを踏みつけるなんて、そこにどんな事情があったって許されるものじゃない)
女王陛下と私たち特別部隊が追っている、例の異能者集団が、来たる祝祭において何らかの企てをしていることは既に分かっていた。あの機械を運ぶということは、祝祭のさなかにあれが使われるのだろう。誰か、異能者が、あそこに入るのだろう。
「……そうまでして叶えるべき目的って、あるのかな」
「何が?」
「わっ!」
いきなり背後で声がして、私は手にしていたお玉を取り落とした。ぽちゃんとスープの水面が跳ねる。私はどぎまぎとしながら振り返った。
「え、エリクスさん、気配を消して近づくのはやめてください」
「気配を消しているつもりはないんだけどな……。足音とかに関してはだいぶ厳しく仕込まれたから、その癖かもしれない」
悪びれた様子もなく肩を竦めるエリクスさんに、私は「もう……」と唇を尖らせた。
「さ、食べようか」
「はい」
エリクスさんの言葉に頷いて、私は脇に置かれていた深皿を手に取った。
食卓の上に並んだ夕食を見下ろしながら、私は静かな感慨とともに息を吐いた。向かいに座ったエリクスさんは、穏やかに微笑んでいる。
「……まずは、任務お疲れ様、と言ったら良いかな」
「え?」
彼は水差しを置いてそう言った。きょとんとする私に、エリクスさんは平静そのものの表情で続ける。
「君の仕事は、ターゲットが祝祭において企てているテロ行動の内容の把握、そして証拠の確保――それだけだ」
それは、実に淡々とした口調だった。私はエリクスさんの言わんとしていることを咀嚼しきれないまま、その言葉をただ受け止める。
「そして、その二つは先程の侵入で果たされたと言って構わないだろう。あとのことは僕たち実動部隊に任せて、君は祝祭が始まる前にこの街を離れ、安全な本部へ帰還しなさい」
言われてみれば、それはごくごく当然のことである。私は諜報員であり、諜報員には諜報員の管轄というものがある。できることもないのに、下手にこの場に留まって敵に狙われては元も子もない。
しかし、せっかくこうして尽力してきた事件が収束するのを、自分で見届けることができないとは、……思ってもみなかった。
エリクスさんは私に向かって、有無を言わせず片手を差し出した。
「――任務終了だ。ご苦労さま」
「は、はい……」
私は呆然としたまま、片手を持ち上げ、握手を受け入れる。触れた手は、風呂上がりだからか、柔らかく温かい。それなのに、どういう訳か、私は彼の手が酷く冷たく、よそよそしいものに思えて仕方なかった。
「これが、僕たちが一緒に食卓につく、最後の食事だね」
にこ、と、その目が、細まる。私は声もなくエリクスさんを見つめる。
「今までありがとう、奥さん」
彼がそう告げた、その瞬間、私は一瞬だけ違和感を覚え、それからゆっくりと息を飲んだ。
(そういえば、)
ある可能性が胸に浮かぶ。ひやり、と頭の中心に冷たい息を吹きかけられたような気がした。私は愕然と目を見開いたまま、考えを巡らせる。記憶を辿る。
そうして私は一つの事実に気がついた。気づいてしまえば、それは実に呆気ない真実だった。
(……ああ、そっか。……私、一体何を考えていたんだろう)
堪えきれず、口元がへらりと緩むような歪むような、やるせない笑みを浮かべてしまう。
私は告げなかった。彼は訊かなかった。それが答えだった。結局、私たちの間には、任務上必要な偽りの関係しか存在していなかった。彼は『私』のことなど、はなから興味がなかった。
――だってエリクスさんは、今までたったの一度も、私の名前など呼んだことがないのだ。




