03
「シリウス様」
「…………」
モニカは微笑んで出迎えてくれる。
胸元にはオパールのブローチがついていた。
以前、仕事で兄妹に潜入してもらう機会があり、その詫び代として渡したものだ。いまだに持っていたのか。あの時より今の方が似合っている。宝石はいつか資産になる。そういう意味も込めて贈ったのだが、大事にしてくれていたようだ。
こじんまりとした部屋に通される。
向かい合わせで座った。
「あの、質問よろしいですか?」
「……なんだ」
「シリウス様は……私のこと好きですか?」
答える気がなかった。無言を通す。
すると苦笑されてしまう。
「私のことが好きでもないのに婚約されるのはなぜでしょう。私にそこまでの価値があるとは思えません」
「……価値?」
「シリウス様のお役に立つなら、婚約もいいかもしれないと思いました。でもシリウス様、ちっとも嬉しそうには見えなくて。私のためですか? 私はシリウス様の傍にいられることは嬉しいですが、でも」
シリウスは立ち上がってモニカに近付く。
腕を取って口付けする。
まるで黙らせるように。
モニカは拒否しなかった。
だが離れてから、彼女の顔色が曇った。
(……ああ。これで)
「どうしてシリウス様が傷ついた顔をするんですか?」
「……」
「無理にしたくないこと、しなくていいんですよ」
「……やめろ」
「私はただ、あなたに幸せになってほしくて」
「やめろっ!」
怒鳴るとモニカは口を閉じる。
シリウスは吐き出すように言った。
「敬語をやめろ。俺を公爵して見るな。あの日と同じように話せ。気安く接しろ」
それは路地裏で初めて会った時のことを示す。
モニカには通じたらしい。
今度は心配するような表情になった。
「……シリウス。どうしたの?」
声色もあえて優しくしてくれる。
シリウスは動悸が激しくなっていたが、その声で少し落ち着いてきた。自分でも、何がしたかったのか、分からなくなった。最初はモニカが自分から離れればいいと思った。だから行動に移した。結果、受け入れられてしまった。
それはそれで、彼女の幸せを奪っているようにも感じてしまい、苦しくなった。だがそれを今、彼女に言う気はなかった。自分が何もしなくても、彼女は役に立とうと動いてしまう。
どうすればいい。
どうすれば互いにとって幸せか。
どうすれば互いにとって穏やかな日々を送れるのか。
「シリウスにとって私は、邪魔かな?」
「ちがう」
即座に答えた。
モニカは小さく微笑む。
「私、シリウスの傍にいたらだめ?」
「……貴様は俺の幸せのことばかり言うが、貴様はどうなんだ」
「私?」
「貴様の幸せはなんだ」
「シリウスの役に立つこと。シリウスを幸せにすること」
「…………それが嫌なんだ」
「……嫌?」
「俺だけもらっても満たされない。貴様の幸せを願っているのに」
「…………」
モニカは少しだけ考える素振りをする。
そっと近付き、シリウスの手を取った。
「私ね、シリウスのことが好き。男性として、好きなの」
「…………」
「シリウスは? 私のこと、どう思ってる?」
「……分からない」
歳が十三も離れている。
分からないだろう、こんなに歳が離れていたら。異性として見ているかと言われても分からないし、妹のように見ているのかと言われても分からない。
するとモニカはふむ、と頷く。
「じゃあ私が誰かと結婚したら、どう思う?」
「…………」
すぐに喜ばしいことだ、と答えると思った。
だってそれが彼女の幸せにつながるのだから。
だが別の感情も沸き上がった。
自分のことが好きだと言ったくせに、他の男と結婚するのかと。役に立ちたい、幸せになってほしいと一番に考えてくれているのに、別の相手を選ぶのかと。
自分でも矛盾している。
いつの間にか顔がむっとしていたらしい。
モニカがふふ、と笑う。
「嫌なんだね?」
「……」
認めたくないが、認めるしかないようだ。
「……ああ。嫌のようだ」
「キスは? どうしてしてくれたの?」
モニカに拒否されるために、なんて口が裂けても言えない。それはそれでモニカを傷つけると直感した。無言でいると質問を変えてくる。
「キスは嫌じゃなかった? 私として」
感情を持ってそもそもしていない。
だが言われると別に嫌ではなかった。
嫌ならはなからしていない。
「私はファーストキスだったんだけどな。だからびっくりしちゃった」
「……俺も初めてだ」
「え。そうなの!?」
するとモニカは自分の頬に両手を添える。
少しだけ表情が緩んだ。
それが、少しだけ可愛く見えた。
「キスは互いの愛を確かめるためにするものだったりするんだよ」
「……そうか」
そういうものなのか。
シリウスは知らなかった。
「ね。もう一度してみない?」
「?」
「もう一度してみたら、なにか変わるかも」
「なにが」
「分からないけど、なにかが」
何を言っているんだろう。
確かに今までは一方的だった。気持ちもなかった。
向き合ってしてみれば、何か変わるだろうか。
シリウスとモニカは互いに見つめ合う。
モニカは微笑んだ。
その素直な反応に、彼女の心が見えた気がした。
シリウスはゆっくり顔を近付ける。
相手は目を閉じた。唇を重ねてみる。
思いのほか、唇が柔らかかった。
そんなことさえ今知った。
ふと、金木犀の香りがする。
モニカの匂いだろうか。
落ち着く。心地がいい。
シリウスもいつの間にか目を閉じる。
モニカはシリウスの背に手を回し、抱きしめた。
互いの体も密着する。
体の柔らかさに驚き、温もりも感じる。
世の中ではこうして愛を確かめ合うのか。
ずっと知らなかった。
両親が一緒にいる姿を見たことがないから。
家ではいつも一人だったから。
いつの間にかモニカの匂いに包まれ、しばらくして互いに手を緩める。密着した時間が長かったからか、体が温まる。むしろ少し熱くなってきたかもしれない。
見ればモニカはまた顔を赤くしていた。
手で仰いで、熱を冷まそうとしている。
「……大丈夫か。俺が体温高いから」
一般的に男性は女性より体温が高い。
だからだろうかと聞くと、モニカは笑う。
「ちがうよ。シリウスだからだよ」
「?」
「好きな人としたから……照れもあるの」
ちょっとだけ恥ずかしそうに顔を背ける。
その瞬間、シリウスは不意に思った。
(好きだ)
先程好きか聞かれて答えられなかったのに。
目の前に答えはあったらしい。
だがすぐ本人に言えるほどの勇気はなく。
心の中で噛みしめる。
「……モニカ」
「?」
「俺と、結婚してくれないか」
初めて本人に向かって言葉にした。
本来は本気でするつもりがなかった。
だが、結婚したくなった。
彼女と一緒にいたいと思った。好きだと言ってくれるなら、それを返すつもりで、自分も好きを返したい。
指輪も何も用意していない。
今の流れで格好もつかない。
それでも等身大の自分で伝えることが、大事だと思ったのだ。
するとモニカは一瞬目を見開いた。
すぐに、向日葵が咲いたように笑ってくれる。
「はい!」
モニカは勢いよく抱き着いてくる。
よほど嬉しいのか、ずっと笑っている。
シリウスも、心にじんわりと沁みる物があった。
少しだけ、泣きたくなった。
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