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均衡の彼方  作者: 斎王暁圭


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第一部 第一章 石切りの村

ここから第一部の本編です。


第一部がもうすぐ書き終わります。

終わったら二章以降は毎週予約投稿します。

よろしくお願いいたします。


 水瓶の水面が、かすかに揺れていた。

 風はない。朝の空気は静まりかえっている。それなのに、水だけが小刻みに震えている。

 リオンは、しばらくそれを見つめていたが、やがて小さく首を振った。

「…気のせい、だよな」

 そう呟くと、水瓶に蓋をして、いつもの日課へと足を向けた。

 リオンは、軽快な足取りで水汲みに出かける。

「おはよう!」

「おはよう!」

 道すがら、村の子どもたちと合流していく。朝の水汲みは、どこの家でも子どもたちの役目だ。

 ラーソン村は石切りの村だ。良質な石材が採れる。岩山を削って均した場所に家々が並び、井戸はその下にある。

 リオンは、とんとんとん、と石段を駆け下りた。

「みんな、おはよう!」

 井戸には、すでに順番待ちの列ができている。

「今日の稽古、どうする?」

「今日は隊商が到着する日だからなー、家の手伝いだろ」

 桶を手にした子どもたちが、雑談を交わしていた。

「おれは行くよ。ガレスみたいに強くなって、みんなを守りたいんだ」

「リオンは細っこいからなぁ。そんなに強くなれるのかぁ?」

「石切場には無理だって」

「商人の方が向いてそうだな」

 軽口が聞こえた。

 リオンは苦笑しただけで、何も言い返さなかった。

 自分が小柄で、力仕事に向いていないことはわかっている。それでも、心の中で強く思う。

 (それでも、守りたいんだ)

 村の子どもたちは、いずれは石切場で働く。道具を作る鍛冶職人もいるが、どちらも力仕事だ。だから、子どもの頃から剣の稽古をしたり力仕事を任されたりして鍛えられていた。

 自然、この村の住人はよく日に焼けていて体格に恵まれた者が多くなった。

 そして、リオンが色白なのも弱そうに見える一因になっていた。

 ふと、近くの岩山の影から、鳥の群れが飛び立っていった。

「なんだ?」

「なんだかなぁ」

 子どもたちはさして気にとめず、おしゃべりを続けている。

 リオンの順番になり、つるべで水を汲み上げる。

 水を桶に移した、その時だった。

 水面が小刻みに震えた。

「?」

 次いで、足下からかすかな振動が伝わってきた。

「地震だ!」

 誰かが叫んだ。

 しかし、揺れは僅かですぐに治まった。

「最近、多いね」

「なんか、増えてるよなー」

 すぐに子どもたちは元の会話に戻っていく。

 まだ誰も、この小さな変化を気にとめていなかった。

 桶には小さな波紋が広がっている。

 リオンは、桶の水面から目を離せずにいた。


「ただいま、母さん!」

 家に戻ったリオンは、汲んできた水を水瓶に移した。

「今日はあとどれくらい汲もうか?」

「そうねー。今日は隊商が来るから、仕込みに使いたいわ。瓶にたくさんちょうだいね」

 朝食の準備をしている女性が、鍋をかき混ぜながら答えた。

 色白な肌。小柄な体。村の外から来たとわかる外見だ。

「わかった。いっぱい汲んでくるよ!」

 そう言うが早いか、リオンは疲れを感じさせない足取りで、来た道を戻っていった。


 朝食のあと、子どもたちは広場に集まる。手には刃を落とした模造剣を持っている。

「来た者から準備運動だ!」

 声を張り上げたのはガレスだった。

 村の大男たちとは違う、均整の取れた体つきに日に焼けた肌。彼が立つだけで、場の空気が引き締まる。

 子どもたちは腕を伸ばしたり腰を曲げたりして、体を動かし始めた。

 リオンも列に加わり、他の子と同じように準備運動をする。

「全員集合!」

 号令とともに整列。

「よろしくお願いします!」

 挨拶の声が揃った。

 稽古は素振りから始まった。元気なかけ声が響き渡る。

 途中、子どもたちが休憩を取る間に、ガレスは次の動作の手本を見せた。

 子どもたちが固唾を呑む音がした。

 場の空気が変わる。

 ガレスの振るう、刃のない剣が空を裂く。風が鳴った。ぴたり、と動作を止め、剣を返す。また空気が音を立てた。

 休憩後、ガレスに手取り足取り指導されても、誰もあの音は出せなかった。

「今日はここまで!」

 稽古が終わり、子どもたちはぱらぱらと散っていく。

 その場に残っていた色黒でリオンより頭一つ背の高いゼインが、遠慮がちに声をかけた。

「ガレス、もし都合が悪くなかったら、お昼からもお願いできますか?」

 その声が聞こえ、近くにいたリオンは足を止める。

 本当は、自分も頼みたい。けれど、邪魔になるのでは、と思う。

 ガレスは、ちらと視線をリオンに向けた後、ゼインに言った。

「隊商が到着するまでならいいぞ。リオン、お前も一緒にどうだ?」

「え、ガレス、おれもいいんですか?」

「相手がいた方がゼインも練習になる」

 ガレスは、リオンの気持ちを汲んでかそう答えた。


 それは最初、ただの点に見えた。

 そして、近づくにつれて色の洪水になった。

 色鮮やかな衣装を纏った人々。派手な幌を被せた馬車。

 ラーソン村にはない色だった。

「来たぞ!」

 村外れに集まった子どもたちは、息を潜めて見守っている。

 隊商だ。

 村の外では、ガレスを先頭に男たちが武器を手に並んでいる。

 隊商の人間が一人、列から出てきた。ガレスが近づいていく。

 やがて、ガレスは村に向かって腕を振った。

 それが合図だった。

 男たちは、手に持つ武器を下ろし、隊商を迎え入れた。

 隊商の頭ともうひとりが、ガレスと一緒に村長の家に向かったが、子どもたちの注意は運び込まれる品々に向いている。

 広場に並べられていく見慣れない物や染められた布の山。香辛料の匂いが漂ってきた。

 木剣や人形も見える。

 この隊商にはラーソン村の出身の者が混じっている。定期的に村に来ているので、みな顔馴染みだ。数泊して街に戻って仕入れをしたら、また次の村に行商に行く。

 少し離れたところから、子どもたちはそれらの様子を眺めていた。

「リオンは商人とかどうなんだ?」

「おれはみんなを守れるようになりたいんだ」

 小さな声。けれど、しっかりとした、決意を込めた言葉。

「隊商が来なくなったらみんな困るだろ?」

「わかってる。おれがみんなから頼りなく見えることも、わかってるんだ」

 広場に視線を固定したまま、リオンは応じた。

 ラーソン村は石切りの村だ。正直、小柄なリオンにできる仕事はあまりない。

 それでも、乳飲み子を連れた母さんを受け入れてくれたこの村を守りたい、と強く思う。

 リオンの母・ニーナは、この村で大切にされている。彼女が来てから、怪我人が治療を受けられるようになったからだ。それまでは、離れた街の神殿まで荷馬車で運んでいかなければならなかった。

 しかし、リオンにはそういった特別な才能はない。なんの役にも立たない自分でも、村に貢献したかった。

「ゼインは剣の腕を磨いて剣士になりたいんだよな。ガレスも熱心に指導してるしさ。この村で育ったからって、石切りだけが仕事じゃない。なあ、リオン?」

 考え事をしていたリオンは、話しかけられてはっとした。

「ごめん、何だっけ?」

「いろんな仕事があるって話だよ」

 そう言って、少年はリオンの背をばんと叩いた。

 その時だった。

 地面が、かすかに震えた。

 広場からどよめきが起こる。

 リオンは、無言で足下を見つめた。

 胸の奥に、言葉にできない不安が広がっていく。

 この揺れが、何を意味するのか――。

 まだ、誰も知らなかった。


 ある夜。

 リオンは、水に浮かんでいるような不思議な浮遊感で目が覚めた。

 窓の外は、星が瞬いている。

「夢…かな?」

 ひとり呟く声は誰に聞かせるでもない。

 両の手の平を見つめ、閉じたり開いたりを繰り返す。

 慣れた感覚。

 さっきの不思議な感覚は何だろう、と思うがわからない。

 もう眠れそうになかったが、起きるには早すぎる時間だ。リオンは、寝台に横たわったまま、目を閉じた。


 小さな揺れは、日を追うごとに少しずつ、増えていった。

 だが、誰も気に留めない。

 石壁の軋む音、水の跳ねる音、職人の道具が立てる音――。

 誰もが無視するそれらの音が、軋みが、リオンには妙に気にかかった。

(こんなに大きな地面が揺れるなんて、ただ事じゃない)

 リオンは、両足で地面をしっかりと踏みしめる。その感覚を確かめるように。

 わからない。

 今までと何が違うのか、言葉にはできない。だが、何かが違う気がする。

「本当に大した事じゃないのか?ただの慣れだって言うけど、以前はこんなことなかったもんな…」

 リオンはひとり、悶々と過ごしていた。




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