表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔性狩り  作者: カーネルシトラス
狂言/般若

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/9

第1話 大学生 清水明日香①

「明日は、その足音を聞くことができる人のものである」


 私の好きなデイビッド・ボウイの言葉である。


 私こと清水明日香しみずあすかは、T大学の1年生であり軽音サークルで同期とバンドを組んでいる。夏休みの真ん中ごろに下北沢のライブハウスで演奏することとなり、その練習として池袋の音楽スタジオを借りていた。T大学のある文京区からアクセスがよく安く借りれたからだ。


 バンドリーダーでありベース担当の沢渡南さわたりみなみはいつもに増して気合を入れているようである。ライブに備えて髪をベースと同じ水色に染めてサークルに来た時、熱の入れように私は苦笑いをした。



「私にとって誰かとオリジナル曲でライブするのはずっと夢だったんだよ!明日香のおかげだよ。サイコーの楽曲をありがとう!」


 これで今日が二回目の合わせであるが、南はまだ私の作った「星の願いを」への思いを語っていた。


「ほら、今のは南が先走ってドラムと合ってなかったよ。もう一回」


 冷静にフィードバックを返す。


 バンドのリーダーは、南なのだが作詞作曲を私がしたこともありリーダーみたいなことをやらざるを得ない状況にあった。


 私は、あまり誰かに指示を出したりするのは好きではなかった。高校でも女子グループには所属していたものの仕切るタイプでは無かった。かといって、誰かに金魚のふんのようにくっついていくのも嫌いであった。

 どちらかというと好きなこと、自分の道を進んでいるうちに同じようなことを考える仕切りたがりの目に留まりそのグループの2、3番手、ありていに言えば参謀のような役割になってしまうことが多かった。


 このバンド、「ストーリーズ」の結成も同じように私がサークルでギターを弾いているところに南が新たに組もうと言ってきたことがきっかけであった。


 私は音楽が好きだ。詩のように静的ではないし、絵のように無秩序でもない。人の手で作られながら人以外に評価する者はいない。人間専用の娯楽というのが特に気に入っていた。


 ギターを弾き、歌を歌っているとき、自分が自由であるような気がしていた。地元のしがらみも、人間関係も就活も将来の不安からも解脱して、完璧な表現者であるように思えた。だがどうだろう?それは誰かに指示を出しているのと何が違うのだろうか?


 何回か合わせを行うことで最低限の出来になってきた。まあ、まだ何回も練習をしていくことが前提なので十分な結果だと思う。


「それにしたって、我らが明日香様は将来アーティストになられるので?」

南が茶化すように話を振ってくる。

スタジオを借りている時間の締め切りが近づいているので片づけを進めながら私は答える。


「どうだろ、あんまり将来については考えていないかも。でも自分から何かを発信していく気はそんなに無いかも知れない。いまは自分自身のことで手がいっぱいだし、大学の講義についていくのでぎりぎりだよ」


 南は驚いたように答える。


「大学首席合格の明日香がそんなこと言うとは。明日香様ですらいっぱいいっぱいなら、私が単位を落としたのは必然ということですな」


 私は南の大学前期の成績を見せてもらったが、ぎりぎり卒業に差し迫らないくらいの点数というほかなかった。とはいえ、バンド活動とバイトに余暇をすべて充ててあの成績ならばかなり要領がいいといえるだろう。


「南は単位落としすぎ。」 


 ドラム担当の葉山はやまは厳しめの評価のようだ。


「うーん、明日香は進振りもう考えてるんでしょ?」


 進振りとはT大学の学部制度である。T大学は入学時ではなく3年時に進学選択で学部を決める。


「まあ、なんとなくは。文学部の社会学とかいいかなって」


 これは本当になんとなくであった。母は故郷というものに縛られていたように見えた。そして今は亡き母を縛っていたものは何だったのか、それを明らかにしたい。そう私は思ってた。


「すごいね、明日香は」


 南は尊敬のまなざしを私に向けていた。


「私なんて何も先のこと考えてないや。あー、明日のシフトメンドー。」


 南は、いかにも南らしいことを言っていた。


 バンドメンバーで合わせるために作ったTシャツから私服に着替える時、長袖のインナーシャツがめくれ痣が目に映った。


 この痣は丁度私が地元を出て東京に来た1年後、中学一年生の頃に二の腕に出始めた。年を追う程色が濃くなってきていた。初めはぼんやりとしたものが今でははっきりと三つ巴のような形になっている。出始めたころ、父に連れられて病院で診てもらったが特に原因はわからなかった。痛みもないのでそのまま無視をしている感じであった。


 すでに22時を回っていたので私達は池袋駅で解散をした。

もう少し早い時刻であったら、大衆居酒屋などに行って飲むという選択肢はあったが、唯一成人している葉山が千葉住みのため終電が間近ということで解散になった。


 私は御茶ノ水に帰るため丸ノ内線に乗った。スマホの画像投稿アプリを見ながら、知り合いの近況を追っていた。


 大学が夏休みに入ったこともあり、みんなの24時間投稿が見られる形式での投稿がにぎわっていた。前期で仲良くなった1人がケルンに一人旅行に行っている投稿にはさすがに驚かされた。みんな今を充実させているのだ。私も、私の人生に向き合って全力を尽くそうと思わされた。


 私は東京が嫌いではない。SNSでは薄情者が多いとか、仕事や遊びに行くところで人が暮らす空間では無いなど言われることもあるがこれはこれで心地が良かった。


 私は元から東京に暮らしていたわけではない。京都の北のほうにある小さな村落に暮らしていた。リカちゃん人形を買ったことすら隣5軒に伝わるようなコミュニティであった。(となりの家までの間にたくさんの田畑があることは言うまでもない。)


 そこでの生活も特段嫌いではなかったが、幼心からも何か暗黙のルールが強くそれに縛られているように感じていた。それこそ村八分や、秘密のおきてではないが見えないルールで私はそれを聞くことがまたルール違反であると悟っていた。


 結局、小学5年生のころ母が病で亡くなり父の実家が近い御茶ノ水に引っ越すことになった。それまでは知らなかったが、父が婿養子として村に来ていたようであり自分の苗字が大橋から清水に変わることでそれを知った。


 東京でも暗黙のルールというものはある。しかしそれは、みんなが手に持つスマートフォンで調べればいくらでも出てくる。時には常識知らずと思われることもあるが、ここ東京では常識知らずというキャラクタリステックが認知され受け入れられているため一時の恥で済む。きっと高度経済成長期に日本中から色んな人が集まったことでこんな風土ができたのだろう。何にせよこのよそよそしさが私は好きだった。


 御茶ノ水駅でコンビニに寄り、夕食用に値引きされていたサラダ巻とコーヒー牛乳、シュークリームを買ってから帰路に就く。父との2人暮らしでは高校生になった時から夕食はそれぞれ自分で用意する流れと自然になっていた。


 駅の周辺ではぽつぽつといた人影も駅から離れるほど少しずつ減っている。マンションへの道のりの最後の交差点で信号が赤になり、足を止めた。こんな時間にも関わらず車は通っているものだと毎度のことだが関心する。


 ポケットからスマホを出し画面をつけるとメッセージアプリの通知が有った。時間からして父からかと思ったが違った。メッセージ主は坂上祭さかがみまつり、幼馴染であった。


 祭は村落で隣に住んでいた2つ上の女の子だった。初めて会ったのは4、5歳の頃であり毎日のように遊んでいた。


 私が小学3年生の時、祭が千葉に引っ越した。その時はワンワンと泣いたものだ。結局私も母の死をきっかけに追いかけるように御茶ノ水に引っ越したためその後も交流は続いた。

 祭は今はS大学の法学部で学んでいる。


 夏休みになったところなので何か遊びの誘いかと思いアプリを開くと予想もしていなかったメッセージが届いていた。


「さようなら。探さないでください。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ