【後編】ぽんこつ娘 vs IQが低くなった男
トワイラが事情を話すと、ハロルドは少し考えてから口を開いた。
「見合いって、もしもトワに恋人がいたら、なくなったりする?」
「……あはは」
何だ、そのありえない話は。
できるわけない。
トワイラは、信じられないくらいモテないのだ。
「俺は?」
「………………何?」
今、自分は何の質問をされているのだろうか。
「俺じゃダメか? お前の恋人役」
「はあ?」
役って何だ。『役』はいらない。
「ほら、そしたらトワは見合いしなくても済むし……」
「なんで」
「俺らの仲だろ? 頼ってくれよ」
──俺らの仲!
トワイラは苛立ちを覚えた。
こういうことを言うから(以下略)。責任も取れないくせに、いい加減にしてほしい。
こちとら、失恋したばかりなのだ、恋人ごっこなんてまっぴらごめんである。
「やだっ!」
「な、何で!?」
なぜ、トワイラが「うん」と言うと思っているのだろうか、この初恋泥棒め!
「……ルーズベルトさんに悪いし」
「なんでローラが出てくるんだ? 関係ないだろ」
女子をファーストネームで呼ばないハロルドが「ローラ」と呼んでいることが証明であるのに……この男、信じられない。
「先週の水曜日に、告白されてOKしたんでしょ? 知ってるんだから」
「告白なんて、されてない!」
「嘘吐かないでくださいー! 私、見たんだから! こうやって、ルーズベルトさんがハルの手、ぎゅーってしてぴょんぴょんしてたの!」
ハロルドの手を握り、その場で小さくジャンプする。
ハロルドはぴしりと固まって、されるがままだ。
「そしたら、『ありがとう、ハロルド!』って言って……ほら、だから、ハルは……っ!」
──あの子と付き合っているんでしょう?
そんな確認はできない。いや、したくなかった。
事実を受け止めてはいるが、ハロルドから「ローラと恋人になった」なんて聞きたくない。
「ローラは、俺の幼馴染だ!」
幼馴染──ド定番の恋人予備軍からの愛の告白だ。
アリソン、預言者か?
……神なんて、いなかった。
「あー……何か誤解してるっぽいから、今から解く。トワは、ヒューゴ・キングストンって知ってるか?」
知ってる、と頷く。
彼は、名家キングストン家の嫡男で、オルトン学園の経済学部の五年生だ。
世が世なら王子様である由緒正しいやんごとない家の生まれで、天から二物以上与えられし『生ける美術品』とまで言われている美青年だ。
卒業後は帝都銀行で二、三年働いてから家を継ぐと噂で聞いている。
口もきいたことがないトワイラが知っているほどに有名な人物だ。
でも、「それ今、関係ある話?」と、トワイラは首を傾げた。
「ローラはヒューゴが好きなんだ。俺は、その仲介をさせられることになって、それで礼を言われただけ。あいつはボディタッチが激しいんだよ、男女関係なく。……疑うならローラに確認してくれて構わない」
ハロルドの表情と口調は必死だ。
「じゃあ! じゃあ、ルーズベルトさんとハルは、どういう……?」
「あいつは、ただの幼馴染! 付き合ってない! あり得ない! 絶対ない! 世界に女があいつ一人だったとしても、選ぶことはない!」
「そ、そこまで言う?」
ローラが、ほんの少し気の毒になる。
「俺は、猛禽類は好きじゃないんだ! どちらかというと、ハムスターとかうさぎの方が好きで……!」
「え、どうしたの、いきなり」
ハロルドが小動物を好きなのは知っているが、突然すぎやしないか?
「だから、俺は……」
珍しく慌てているが、嫌な感じはちっともない。
どんなハロルドでも、トワイラは好ましいと思う。
例え、支離滅裂なことをごにょごにょ話していても。
「ハル、落ち着いて」
まさか自分がハロルドにこの台詞を言う日が来るなんて思っていなかった。
「……ごめん」
「ううん」
トワイラは彼に恋人ができていないことを知り、八日ぶりに笑顔になった。
同時に空腹を覚えた。ここ一週間は食欲がなかったが、安心したからだろうか……猛烈に甘いものが食べたい。
ぐおおおおお、と腹の虫が鳴いたトワイラに、ハロルドが笑った。
それは馬鹿にするものではなく、「仕方ないなあ」と言ういつもの優しい微笑みだった。
しかし、あと五分で予鈴が鳴る。
この空き教室から二人の教室までに大体かかる時間も五分だ。
ハロルドに「行こう」と言って、制服の裾を引いた──が、彼は動かない。
「え、ちょっとハル!」
「うん?」
「『うん?』じゃないよ。予鈴鳴っちゃうから」
「そうだな、トワの腹の虫が鳴いたな」
「いやいや、誰が上手いこと言えと……ハルぅ、行くよ! って重いぃ!」
成長がいまだに止まらないハロルドを、十三歳の時からほぼ身長が変わらないトワイラが、動かせるはずがなかった。
トワイラがふんふん奮闘しているうちに予鈴は鳴り、本鈴も鳴ってしまった。
「うわあ、もうっ! 鳴っちゃったじゃん、ハルの馬鹿っ!」
いくらトワイラが落ちこぼれでも、授業をサボったことなんてなかったのに……!
高過ぎるわけではないが、決して安い学費ではないのだ。授業には軽い熱が出たって欠席したことがなかった。
本日二度目の絶望顔のトワイラをハロルドが、「大丈夫だ」と言うけれど、大丈夫なもんか。
「次、自習だし」
あ、大丈夫だった。
そういえば、就職活動する五年生の自習の時間割が、先月から増えたのだった。
「──だからさ、トワ、サボらない?」
人生初めてのサボりに、おっかなびっくりのトワイラがハロルドに連れてこられたのは学園の中にある食堂だった。
五限目の授業中だというのに、まばらに生徒がいる。トワイラが知らないだけで、皆けっこうサボっているようだ。
「飯食おう。俺も腹減ってんだ」
「うん」
「あ、ラッキー。A定食残ってるじゃん。俺、これ。トワは?」
B定食より人気のA定食は量が多く、昼休みの前半になくなることが多々ある。(一部を除く)女子生徒以外から支持されているメニューだ。
もちろん、トワイラが完食できる量ではない。
「パンケーキ」
「いつも思うんだけど、それで足りんの?」
「うん」と深く頷く。
三段重ねのパンケーキなのだ、足りるに決まっている。
トワイラがちまちまと二枚目のパンケーキを食べている途中で、ハロルドはA定食を完食していた。
「相変わらず、ハルは食べるの早いねえ」
「トワは相変わらず遅いな」
「えっ、ごめん」
「いいよ。ゆっくり食いな」
「うん」
もぐもぐ。
本当はベリー味が良かったが……残っていたチョコ味もなかなかだ。美味しい。
「……」
トワイラが夢中で頬張っていると、ハロルドがめっちゃ見てくる。
気になる。
「も~!」
視線が痛くなり、残りのもう一枚はハロルドにおすそ分けすることにした。
「え、くれんの? いいのか?」
「欲しかったんでしょ? じっと見てるんだもん」
「…………あははは、うん」
トワイラが何か食べていると、いつもじっと見てくる。彼は食いしん坊だ。
腹ごしらえが終わると、食堂はそろそろ閉まる時間だったので、中庭に移動することにした。
秋だ。
四年前にハロルドを好きだと自覚した季節──だから、トワイラはこの季節が一番好きだ。
くふくふ笑っていると、不思議そうな顔をしたハロルドが「大丈夫か」と聞いてきた。
──なんの心配だ、頭か。
「見合いのこと、悩んでんだろ?」
「あ!」
忘れていた。そういえばそうだった。
「トワ、お前……忘れてたな?」
そしてすぐに見抜かれた。
「ちょびぃーっとね」
「さっきの話だけど……」
「え?」
さっきとは、何のことだろう。
これも顔に出ていたらしい。
ハロルドは、がくんとしゃがみこみ「……鶏かよ」と項垂れた。
「ハル! どうしたの? 具合悪いの? パンケーキも食べるのはやっぱりきつかった?」
ハロルドは思った──どうしてくれよう、この娘。
こんなにぽやぽや鈍感なのは、パンケーキばかり食べているからだ。
クラスメイトは、いや、薬学部の五年生なら全員知っている──ハロルドがトワイラを好きなのは周知の事実である。
当たり前だ。
入学前日のあの日に一目惚れして、入学してからはずっと野郎共を牽制して、彼女の隣を譲らなかったのだから。
トワイラ以外の(猛禽類を除く)異性をファーストネームで呼ばないとか、彼女だけを気にかけていたりだとか、二人きりで遊びに行こうと誘うとか、それはもうハロルドは分かりやすかった。
彼女も自分のことを何となく、好きな雰囲気を感じていた。
だから、就職が決まったら告白しようと考えていたのだ。
そして、希望していた研究所に就職が決まり「いざ!」と意気込んだところで、トワイラに見合い話が来ているのを聞いてしまった。
しかも、ただの見合いではなく、結婚がかなり視野に入っている話ではないか。
トワイラにはその気はないのは見て分かったが、この鈍感でぼんやりした娘のことだ。口車に乗せられて、雰囲気にも飲まれ、あれよあれよと結婚させられてしまいそうだ。
だから恋人『役』をやると言った。
告白はもっとちゃんとした場所でしたいから、とりあえずは彼女を助けようと思ったのだ。
しかし、この頓珍漢、あろうことか自分と猛禽類が付き合っているという、とんでもない勘違いをしていたのだ。
──おいおい、勘弁してくれ。
あんな肉食怪獣と一緒にいて癒される男なんて、そうそういない。
友人のヒューゴだってローラみたいな女は絶対選ばないと思う。
奴は「胸が大きい、従順なお嬢様タイプ」が好きなのだ。寮の談話室でそんなことを言っていたのを覚えている。
ローラはこれに一つも当てはまらない。
ローラにあまりにもしつこく頼まれ食事会は一度は開いてやるが、もうこれっきりにするつもりだ。
あいつと関わると昔から、碌なことがないのだ。
そして誤解が解けて、先ほどの話を切り出せば、『何でしたっけ?』と言わんばかりの顔。
このままだと結婚させられるかも知れないのに、そのことを忘れてしまうなんて、こいつは鶏である。
この馬鹿娘、一体全体どうしてくれよう……と思うハロルドは悪くないはずだ。
「大丈夫? お腹痛い?」
項垂れる自分の横にしゃがみ、背中を撫でる小さな手を他の男が掴むなんて許せない!
──シチュエーションも、ロマンチックもくそくらえだ!
こうなったら、トワイラには自分の口車に乗せられ、雰囲気に飲まれてもらおう。
心配していた彼女の手を引き寄せ、淡緑色の瞳を覗き込む。
「トワイラ! 俺の恋人になって!」
他の女を好きだなんて勘違いはもうさせない、という意志を込めてハロルドは叫んだ。
「ええええ!?」
「はいか、イエスで答えて!」
「え? 『はい』!?」
「よっし!!!」
言質は取った。
混乱しているトワイラをハロルドはどさくさに紛れて抱きしめた。
トワイラは「うひゃあ!」と色気のない悲鳴を上げるが、この娘はもう自分の恋人だ。
ぎゅうってするくらいいいはずである。
「待って……! ハル、待って!? ねえ、ハルは、私のこと好きなの……?」
腕をピーンと突き出して、自分から離れようとするトワイラを見てハッとして「ごめん」と謝り、腕から逃す。
「なんで謝るの!? 嘘なの!?」
どん底から引き上げて、またどん底に突き落とすなんて、ハロルドは悪魔だ……トワイラは本日、三度目の絶望を味わった。
「違う! 悪い、俺……好きって言ってなかった。俺は、トワが好きだ……」
こんなはずではなかったのに。
間抜けな告白である。
「俺のこと……トワにも好きになって欲しいって、ずっと思ってて……」
トワイラが大好きな恋愛小説の一場面みたいに告白するように計画を練っていたのに……勢いに任せすぎたことを、彼は後悔してきた。
「無理だよ」
ハロルドの心はぺっしゃんこに潰れた。
「……トワ」
彼女と自分が同じ気持ちだ、という恥ずかしい勘違いをしていたことを恥じた。
しかし──
「だって、もうハルのこと、ずっとずっと好きなんだもん!」
トワイラの言葉でハロルドはすぐに復活した。
「これ以上好きとか、無理」
ハロルドは有頂天になった。
どこからか鐘の音が聞こえる(幻聴)。
「…………結婚しよ……」
結果、彼はとてもIQが低くなってしまった。
「え……何て? 聞こえない」
「ハロルド・アルゼール、細かいことを気にしない大雑把な両親と、兄と弟の五人家族。帝国立オルトン学園の総合薬学部、第二四五代、首席卒業生(予定)。今まで大きな病気、持病、虫歯、なし。健康。一八三センチ、七十キロ。卒業後はティンバークレイ製薬研究所に就職(予定)。トワが就職できなかったら、俺が養う──こんな奴だけど求婚されてるから、見合いは嫌だって、ご両親に言えば、見合いはなくなるんじゃないか? ついでに婚約しとこう? うん、そうしよう!」
婚約と聞こえたが、聞き間違いだろうか。
いや、それよりも……何一つ、盛っていない真実であるが、この内容でトワイラの両親は納得するだろうか?
「……いやぁそれ、絶対に信じてもらえないと思う……私、詐欺に遭う人みたいになってない? 壺買わされそうだよ。頭の心配されちゃう」
トワイラは、おっちょこちょいだし、顔にすぐ出る。しかもオルトン学園の人間なのに、まだ就職が決まっていない。
それに、モテない。本当にモテない。男子達から「お前はないな」と面と向かって言われるほど『ない』のだ。
学園に五年も通わせてもらってるくせに不良債権な自分に、こんな素敵な『理想の恋人』? いや、そんなまさかと思うはずだ。
だって、トワイラ本人だってまだ信じられない。
彼が自分を好きだなんて。
こんなに素敵な彼に自分は似合わない。
落ち込んでしまう……。
「よし、わかった。今からトワん家行こう。自分で言う。『お嬢さんと結婚させてください』って」
しょんぼりした顔のトワイラの手を引き、ハロルドはずんずん歩き出す。
「え!? け、結婚!? いや、待って、今から? 嘘でしょ? ちょっとぉ、あ! 力強ッ! ま、待ってえええぇ……」
「待たない。トワは俺のだ!」
ハルぅぅ……と、叫ぶ声が中庭からだんだん遠ざかっていく。
「春だねえ」
──秋である。
ある日のように中庭の茂みから一部始終を見ていたアリソンが、エア煙草をふかしながら呟いた。
【完】