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第二章・第十一話 「ホテル」

 仕事を終えた後、一度帰って着替え、誠とジョージはゴールデンの近くで落ち合った。

 ナイトクラブではないので、ジョージは膝までのショートパンツにスニーカーという出で立ちだが、そういう格好をすると、二十六の彼も誠と同じ年に見える。

 ゴールデン・ホテルのエントランスは思ったより広かった。正面の車寄せが狭く、大きな団体用バスは前の道路で客を乗せたり降ろしたりしなければならない程なので、もっと小さい設計かと思っていた。

 正面玄関を潜ると、二階までが吹き抜けになっていて、二階の一部が目指すバーだった。エントランスに張り出す形になっており、そこから一階に向けてカーブを描いて階段が伸びている。

 階段の下には別のレストランが入っている。席の半分は屋内だが、半分は屋外に設置してあるようだ。きっとプールがあるのだろう。フロントの正面には、どこのホテルにもあるようなソファーセットが置かれ、客が数人新聞を読んでいる。

 階段を上がってみると、バーというよりは、アルコールも出す日本の喫茶店という雰囲気だった。御丁寧に、「氷」の旗まで下がっている。席数はそれ程多くない。

 誠はわざと、日本人の若者達の隣のテーブルを選んだ。ジョージは黙って正面に腰を下ろす。

 ウェイトレスが氷水の入ったグラスとメニューを持ってやって来た。真っ先に水とメニューが出てくる所を見ると、やはり日本式の喫茶店風だ。

 メニューによると、軽食も扱っている。内容も日本風。二人は、チキンカツカレーとビールをオーダーした。

 最初に、隣のテーブルに声を掛けたのはジョージだった。

 いつもなら誠とは英語でしか話さないジョージが、日本語を交えて綾の話をし出し、声高に一しきり「ここによく来てるんだろ?」「そうだけど、今日はいないみたいだな」「お前、誰かに聞いてみろよ」「お前が聞けよ」といった会話を交わして彼らの注意を引いた後、おもむろに話しかけたのだ。

「すみません、ここにはよく来られます?」

 ハーフの顔に正しい日本語。若者達はジョージの顔を注視した。いずれも二十代前半の男女が五人だった。警戒というよりも好奇の色を浮かべて、一人が聞き返した。

「そうですけど、どうしてですか?」

 髪を金髪に近い色に染め、片耳に五つか六つピアスをした若者だが、言葉遣いは丁寧だった。誠がジョージの代わりに答えた。

「人を捜しているんです。友達の上司のお嬢さんなんですけど、最近日本に連絡を入れていないらしくて、頼まれちゃったんですよ」

 いかにも厄介事を持ち込まれて困っている、という風に誠は言い、持参の写真を見せた。塩田綾との繋がりは、本当の事を言う必要はないだろう。

「この人です。塩田綾さんというんですが」

 御存知ですかと最後まで言う前に、近くに座っていた三人の内二人が「ああ」と声を上げて遮った。残りの二人も身を乗り出したので、誠は別の写真をテーブルの上に滑らせた。

「綾さんじゃん、最近見てないけど、どうしちゃったの?」

「あたしに聞かないでよ。でも本当にしばらく会ってないよね」

 五人の内、四人が塩田綾を知っていた。現在出入りしていない事は由美から聞いていたが、誰かが彼女の居場所を知っているのではないかと、一抹の期待もないではなかった。誠は失望を隠して彼らの話を聞いた。

 由美の教えてくれた事と重複してもいたが、彼らが口々に言った所によると、塩田綾は二か月程前から足繁くゴールデンへ来るようになった。誰の誘いがきっかけだったかは分からない。

 ここで人脈を作り、出来る事ならハワイでビジネスをしたいと言っていたそうだ。しかし仲間内で、突然日本に帰ったり、ゴールデンへ来なくなったりする人間は珍しくないので、誰も不思議に思わなかった。

「ずっと前に来てた子で、見ないなと思ったら、実は、ビザが切れてたのがイミグレに見付かって、強制送還されてたって事があったっけ。急に誰かが来なくなるのは、珍しいことじゃないんです」

 真っ黒に日焼けして、パーマをかけた長髪を結んでいる男が言う。イミグレとは移民局の事だ。U.S. Citizenship and Immigration Services の一部を取って、日本人の間ではイミグレが通称になっている。

「あ、でも、ちょっと前に金田さんと、綾さんの話したよ。『最近来ないねー』って。そしたら金田さん、何か知ってるっぽかった」

 そう言ったのは、奥に座っていた女の子だ。目の周りの化粧が特に濃い。下手ではないので、滑稽な印象は与えないけれど。

「金田さんというのは、こちらのオーナーですよね?」

「そう、ショウジさんて呼ぶ子もいるけど。ええっと、何て言ってたかなあ、ううん、悪い事じゃなかったよ。だからあたし、そうか、って忘れちゃったんだもん」

 この女の子がよほど物覚えの悪い人間でない限り、おそらく平凡な理由に違いない。驚くような話だったら、大抵覚えているものだ。

「ボーイフレンドが出来たとか、そんな話でした?」

「そんな気もする。時間あるならちょっと待ってみれば? 金田さん、来るかもしれないよ」

 彼女は良い提案だと思ったらしく、「そうしなよ」と付け加えた。他の一人も「金田さんなら、知ってるかもね」と言う。

 誠はジョージの顔を見た。あまり長時間付き合わせるのは悪い気がする。ジョージは早口の英語で、

「いいよ、待とうぜ。その代わり、ここはお前持ちな」

 と言い、わざと片方の眉を上げて笑った。

 ビールをもう一本ずつ頼み、それからしばらくは彼らとの雑談になった。

 彼らは明るく、無邪気だった。最初から警戒心なく、塩田綾について知っている事を話してくれたように、開けっ広げに自分達の話をし、ついでに誠とジョージについても聞きたがった。

 隠しても仕方ないので、勤務先だけ教えたが、彼らの興味はなぜ日本人の誠が、アメリカで仕事を持てるかという点に集中した。

 アメリカ生まれなので市民権があるという誠の答えに、彼らは羨望の溜息を洩らした。

「いいなあ、俺、あと半年でビザ切れるよ。どうしよう」

 タカシと呼ばれた金髪がソファーの背に体を投げ掛けた。

「俺ね、日本で専門学校行ってたんだけど、つまんなくて辞めちゃって、こっちに来て語学学校行ってるんだけど、そこでも落ち零れなんすよ。日本に帰っても景気悪いし、何とかしてアメリカにいられる方法ないですかね?」

 誠は移民専門の弁護士でも相談すれば、と笑って誤魔化した。自分が日本から出た理由も、ここに留まっているのも全てはゲイだという一点に尽きるが、日本に帰りたくない日本人は多いらしい。

 どんな理由にしろ、新天地を目指す人間はいるのだ。居心地が良ければ帰りたくないのは当然だろう。また元の場所で順風満帆の人間が、新天地を目指す筈もない。

 君代の言ったように、行った先でも物事が上手く進まない場合、駄目でしたと失敗したままで帰りたくないという思いもあるだろう。

 およそ一時間も彼らと無駄話をして過ごした頃、突然ケイコという女の子がバーの入り口を向き、腰を浮かせて手を振った。

「金田さーん、こっちこっち」

 慌てて振り向くと中肉中背の男がバーに入って来る所だった。アロハシャツではない水色の半袖のシャツに、ベージュのスラックスを履いている。遠目ではっきり分かる程、肌の色が黒い。近付いて来るに従って、頭に白い物が混じっているのも見えた。多分五十代半ばだと誠は踏んだ。

 ジョージがイタリアン・ブランドの名前を誠に耳打ちした。

「あのシャツ、そこのだぜ。洒落てるな」

 テーブルの近くまで来ると、彼は快活そうな笑みを浮かべて一座を見回した。

「おや、見かけない子がいるね。誰かの友達?」

「や、この人達、金田さんを待ってたんですよ」

 タカシが言ったのとほぼ同時に、誠は立ち上がった。一礼して名前を名乗り、塩田綾さんを捜しているんです、とまず言うと、金田氏は右手を差し出した。明らかに日本人同士と分かっている場合、直ぐに握手を求める人は少ないものだ。

 しかも金田氏の仕草は、あまり堂に入っていない。もしかすると仕事の上で、アメリカ人との付き合いが多く、初対面であれば誰彼構わず右手を差し出すようにしているのかもしれない。

 次いで塩田綾捜索の理由を説明しようとしたが、これはタカシを始めとする留学生達が、次々と口を挟んで話してしまった。所在ないような気分で、誠は「御家族が心配していらっしゃるので、何かご存じでしたら教えて下さい」と結んだ。

「あれあれ、綾ちゃん、何やってるんだろう」

 言いながら金田氏は、テーブルの空いた椅子に腰を下ろした。直後にウェイトレスが飲み物を運んで来る。

「僕が最後に会ったのは、一か月位前かな?」

 ここでも一か月だ。それよりも後に、塩田綾に会ったという人物には遭遇していない。

「一か月ですか?」

 誠は鸚鵡返しに確認した。気取った手付きでグラスを口に運び、金田氏は頷いた。

「そう、一か月位。きちんとした日付までは覚えていないけど、綾ちゃん、別れた彼氏とよりが戻ったって言ってたよ」

 えっ、と言ったなり誠は暫く絶句した。ナナウエは別れてから会っていないと言っていたではないか。そういう誠に構わず金田氏は続けた。

「いっぺんダンプされたんだけど、何だかやっぱりカム・バック・トゥギャザーだってさ。ハーフ・ジャパニーズでハーフ・ハワイアンの彼。彼の事は知ってる?」

 会話に英単語が入って来るのは、アメリカ生活の長い日本人にはよくある事だが、どうも金田氏のそれは芝居がかっている。ただ、発音が完全に日本語発音で、Together のthの音がただのザになっていた。

 ジョージが目を白黒させたが、誠は彼の話し方に構っている場合ではないと気を取り直した。

「ナナウエという男ですか? よくサーフィンをしている?」

「さあ、名前までは聞いてないけど、サーファーだとは言ってたな」

 まずナナウエしかいないだろう。誠は無性に腹が立った。

 妙に子供っぽい所に気を取られて、ころりと騙されてしまった。彼が言っていた、塩田綾の所持金を使い果たしたという話も嘘かもしれない。もしかすると塩田綾は計画的に姿を消し、家族を散々心配させた上で、ナナウエとの将来を認めさせようとしているのではないか。

 憶測が頭の中を飛び交ったが、誠はとりあえず平静を装い礼を述べた。


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