第二章・第十二話 「推測」
「ああ、そんな事いいんだよ。そう、綾ちゃん見たら日本にコンタクトするように言うからね。ところで、君達これからビージー? このホテルの上、ペントハウスのスイートになってて、そこでパーティーするんだけど来ないか?」
歓声を上げた留学生達に一拍子遅れて、誠は丁寧に断った。誠は明日が休みになっているが、ジョージは仕事だ。聞くべき事は聞いたので帰ることにした。伝票を頼むと金田氏が支払いは無用だと言う。一、二度押し問答をした後で、好意に甘えた。
バーを出て、エントランスの階段を下りながら、ジョージが小声で話しかけて来た。
「妙な場所だな、月曜からパーティーだってよ。あんな風に学生ばかりが溜まってる場所、見たことがない」
ジョージの言うとおり、ゴールデンのバーは特殊な雰囲気だ。客層に特定の人種が多い店や、常連が多い店というのは珍しくもないが、くつろいでいたのは金田氏のとりまきばかりだった。異様といえば異様だろう。
しかし誠は、今聞かされた話ですっかり頭に血が昇っていた。
「そんなこた、どうでもいい。ナナウエの野郎、俺に嘘吐きやがった」
よりを戻したというナナウエの件が、胃の底に焦げついた様に残り、つい声高になる。ジョージは唇の端を上げてみせた。愉快がっている訳ではない。
「ろくでなしはどこにでもいるさ。今度見かけたら、半殺しにして吐かせろよ」
目つきがきつくなっているから、冗談を言っているのではないと分かったけれど、それが出来たら苦労はないのだと誠は思い、気の抜けた溜息が出た。
ジョージとはホテルの近くの路上で別れ、誠は冷めやらない怒りを抱えたまま家へ帰った。
ジェームスは書斎に籠もっていた。シャワーを使って、カウチに横になる。TVを見ながら、明日は何をしようかと考えた。
特にこれといった趣味を持たない誠の休日は、大概ビーチでごろ寝が相場と決まっている。立ち仕事なので水泳が腰痛の予防になると聞いてからは尚更だ。
今日、金田氏からナナウエの話を聞いた後では、また彼に会うために労力を使うのは業腹な気がしたから、明日はまたアラモアナ・ビーチにでも行こうと考えた。幸いここの所、上天気が続いている。
十一時を回った頃に、ジェームスが書斎から出て来た。いつになく荒れた雰囲気を漂わせているので、自分の不愉快な気分を忘れて誠は少し驚いた。
「どうしたんだよ? 怒ってるみたいだな」
「今、抱えてるケースのせいさ。クライアントはわがままだし、相手の弁護士は遣り手ときてる」
鼻息も荒く言って、ジェームスは真っ直ぐキッチンへ向かった。乱暴にウイスキーをグラスに注ぎ、コーラで割る。
誠が飲む水割りを邪道だと言い、必ずコーラで割るかストレートだ。しかも、ダイエットは味が悪いなどと利いた風な事を言って、普通のコーラを使う。腹が出るのはそのせいだと誠がからかうのも気にしない。
大きめのグラスを一気に半分程空けて、ジェームスはケースについて話し出した。資産家の依頼人は妻と別れたがっている。新しいガールフレンドと再婚したい為だが、妻との間の二人の子供の親権は是非とも欲しい。
「その上、奥さんに金を払うのは嫌だときた」
カウチの上に起き直った誠の隣に腰掛け、コーク・ハイを一口飲む。
「法律じゃ、離婚の時は財産を半分こするんじゃなかったっけ?」
「基本的にはね。ついでに親権を争うのは、母親に有利な傾向になってるんだよ。全く、誰かあの男に、世の中には思い通りにならない事もあるって事を教えてやって欲しいよ」
珍しく弱音めいた物を吐くジェームスは、普段より可愛らしく見える。
「でも、あんたは便利屋だから、何とかするのが仕事じゃないか」
冗談ぽく言った言葉に、「それはそうだが」と少し言葉を濁して一瞬黙った後、ジェームスは、ああっと大声を出した。
「そうだ、忘れる所だった。君、車のセーフティー・インスペクションが切れてるぞ。今日、ビルのマネージャーに言われたんだ」
誠のアパートにも、常駐の管理人はいる。住人の事をよく覚えている中年の白人男性だ。セーフティー・インスペクション、つまり車検の期限を記したステッカーは、車の後部バンパーに貼ってあるから、駐車場を掃除している時にでも見付けたんだろう。
「何て事だ。それで毎日走り回ってたなんて。警察に取っ捕まったら高くつくぞ」
言われてみれば確かに、四月一杯が期限だった。たちまちの内に口うるさい母親のようになったジェームスの前で、誠は頭を掻いた。まず明日の休みにする事は、一つ決まった。
翌朝は早めに起きた。
と言っても十時に近く、ジェームスはとっくに出勤した後だった。朝食の後、書斎に入りメールをチェックする。いくつかの広告に混じって、塩田文美からのメールが届いていた。誠が塩田綾を捜し続けている事への丁寧な謝辞に続いて、姉の性格について触れていた。
姉が人の心をつなぎとめたり、気をひいたりするのにお金を使ったりすることは、ありそうだと思います。
日本を離れて寂しい思いをしていれば、なおさらです。
どれくらいお金を遣ったのかは分かりませんが、もしも、たくさん使ってしまったのだとしても、姉は父に援助を頼まないのではないかと思うのです。
言えばきっと怒られますし、それ以上に「だから結婚もできないんだ」などと言われて、ダメ人間扱いをされてしまいます。私もそういう父を怖いと思っているので、よく分かるのです。
そして姉は、一日でも長くハワイに滞在していたいんだと思います。
父の元へ、この町へ帰ってくるのは辛いことですから。
もし姉に会うことができたら、私が父に内緒でお金を送ると言って下さい。そんなにたくさんは無理ですが、できるだけのことはしたいと思います。
結びには改めて礼の言葉が記してあった。二度読み返して、誠はメールを閉じた。直ぐには返事が書けそうになかった。
ジェームスがいないので室内で吸っても構わなかったが、何となく誠はベランダに出た。今日も抜けるように空が青い。ビルの間から遠くに見える海が、眩しい程光っている。
深々と煙を吸い込んで、読んだばかりのメールを思い返す。塩田綾と文美は、どれ程親しい姉妹なのだろう。
例えば誠の兄が他人に、弟について語ったとする。そこには実に重要なポイントが抜けている筈だ。兄は誠がゲイだと知らない。
もっとも、自分を基準にして他人を測るのはどうかとも思うが。
塩田文美の書いている事がその通りだとすると、塩田綾はかなりのっぴきならない状態にある。金をどの程度残してあるかは不明だけれど、援助も頼みたくない、日本にも帰りたくない、ではどうにもならないだろう。就労ビザの取得は難しいし、時間も掛かる。
おそらく一番手っ取り早いのはアメリカ人と結婚をする事だ。それならば在住許可も下り、仕事も出来る。彼女には好きな相手もいる。彼女はそのつもりなのだろうか。昨夜、誠が思いついたように、計画的に姿を眩まして、ナナウエとの将来を進めようという心積もりか。
待てよ、と誠は煙草を揉み消しながら思った。
ナナウエの言った事を鵜呑みにしたため、塩田綾が経済的に困っているのではないかと考えた訳だが、ナナウエがそれに関しても、本当の事を言ったとは限らない。別れてから会っていないという事からして、嘘だったではないか。
もっとも今現在、付き合っているかどうかについては疑問が残る。円満に付き合っているならば、ナイトクラブで出会った夜のように、他の女性と出掛ける事はないだろう。
一度はよりが戻ったが、やはり別れてしまい、バツが悪いのでゴールデンにも顔を出さないでいるという仮説はどうだろうか。
親の口座から引き落としのデビットカードを使用したのにも、実は何か意図があるのかもしれない。彼女の本当の経済状態を知るために、銀行に当たってみる事も考えたがやめた。
銀行は語学学校や不動産会社とは比べ物にならない位ガードが固い筈だ。せめて警察にも届け出たという書類位は必要だろう。
あれこれと考えて、起きて間もないというのに疲れたような気分になってしまった。
見えたかと思った糸口、ゴールデンの事がそれ程役に立たなかった。ナナウエの所に逆戻りしてしまったけれど、この上彼に接触するのは気が進まなかった。どうせ本当の事は言わないだろうし、不愉快な思いをするのも目に見えている。




