第59話 きみだけの女王様
枸櫞は発令所の美岬に会いに来ていた。
流石に翼の処遇を下してのちだ、困憊して見受ける。
「水子級はきみの仇でもあっただろ。
伏馬翼は、目的を果たした」
「――、わかってる。でもごめん。
いま、きみの話を落ち着いて聞いてあげられない」
「様子を見に来ただけだよ。今日はもうあがらせてもらう、お疲れ様」
せっかく覚醒できた壱号機が、即刻欠番のような扱いにされたのだ。それに伏馬翼は、彼女にとって目的を同じくしてくれる存在には違いなかった。
こうならないほうが、難しかろう。
*
枸櫞は自炊が得意だった。
姉や父の朝食など、いつも用意していたくらいだ。
それを顧みてもらえる機会はあまりなかったけれど、シトラが来てからは、また徐々に腕前をあげていた。
「くえん、またあのおさとうとぎゅーにゅーとたまごでやくぱんのやつ、つくって!」
「丁度やってるところだ、よかったな」
「やったぁ!」
フレンチトースト焼いてて、昔、姉さんと観た、離婚で妻に出て行かれたシングルファーザーの洋画があったのをふと思い返す。
家事や食事のひとつも、習慣としてやるには体力を使うものだ。
負担を受けているものは感謝されるなり、せめて認めてはもらいたいものだよな。
主婦の気苦労の多少は伺えるところで、さて、そろそろ期末考査が近い。
まだ二か月と経たぬうちから、補習や欠単に怯える日々が来るなんて、大体ネーレイスたちが八号機ばっかり呼び立ててくるせいなんだが。
「今度、自分でもやってみるか?
火を使う時は、僕や大人が見てるところでやってもらうけど」
「しとらにも、おりょうりつくれるようになる!?」
「ちょっとずつ、練習重ねてけばな。安全第一、約束できる?」
「うん!!」
「――、じゃ指切りしよう」
本当に、こうしていると年頃の子どものそれと、見分けがつかないわけだ……。この子のなかに、姉さんはいまもいるんだよな。
呼び出そうか考えないでもなかったけれど、テルクの外では結局、満足のいく交信にはならないだろうから、我慢することにした。
もっと色々、あなたと話したいことだって、沢山あるんだ。あなたが生きていて、初めて言えたことが。
「待ってて、シトラ。……姉さん。
もうちょっとで、全部、終わらせるから」
「?」
(この復讐に、けじめをつける。
それが終わって初めて僕は、テルクと正面から向き合える、そんな気がするから)
それにしてもシトラが姉さんから生まれたなら、神社姫が姉さんだったことになるが――いや、姉さん自身の自我が再構築される過程において、神社姫の元々の自我のがシトラに引き継がれ、そっちが主立っていたのは間違いないだろう。
にしても、ヤヲ因子の性質はなんでもありに聞こえるが、なぜ姉さんは、ネーレイスに関わってしまったんだ?
それを知っている者がいるとすれば、生前にコンタクトをとった理事長くらいなものだろう、美岬嬢に至ってはそれを知らないわけだし。
「また難しい顔してるね」
「琉稀さん、おはようございます」
「おはよう、遅番ようやっとあがったぁ」
バイトの深夜シフトから上がって、彼女は職員寮を訪ねてきた。
「んー、おいしそーな匂い。悪いけど、取り置きでお願い。
しばらく寝かせて」
当たり前のように、枸櫞のベッドへ彼女は向かっていった。
(まだはいとは返事してないんだけどね……)
「ありがとう、枸櫞くん」
「なんです?」
「枸櫞くんがいたから、那戯くんたちの仇がとれたんだ、きっと」
「……どうでしょう。みんな、頑張りましたから」
翼の名を出さないのは、琉稀なりの配慮なんだろう。
(僕なんかより、琉稀さん――四号機の覚醒が、伏馬翼を駆り立てたかもしれないけど……そうだとわかっても、きっと複雑な思いをさせてしまうんだろうな。あぁ、先輩のこと、いっぱいよしよししてあげたいな……)
「やだなぁ、先輩。ほかの男の名前出てくるなんて」
「茶化さないの」
ベッドのうえで、衣ずれの音がした。
琉稀はぼんやり仰向けになっている。
「そっか。一区切り、ついたんだよね」
「――」
僕が泉客に来る前の、共鳴者たちに何があったかなんて、ほとんど言葉でしか知らないけれど。それがおおくの悲しみを招いたことは、想像に難くない。
「琉稀さんは、王様ってなってみたいですか?」
「鮫人のこと?
あんまり疲れてる頭使わせるの、やめてくれないかな。
そうだね……枸櫞くんだけの、《《女王様》》ならやってあげなくもないかもよ」
「はは、そいつは……僕は、幸せ者ですね」
「結局あなたのお姉ちゃんには、勝てないかもだけど。
わたしだって、枸櫞くんに見つけてもらったんだもん。
簡単に手放せるとか、思わないでよね」
琉稀は頬をぷくっと膨らませた。
*
登校すると、護斗に廊下で会った。
「おはよう、アサくん」
「あぁ、ソラの字おはよう。……ありがとうな、水子級を倒してくれて」
「あれを倒したのは、伏馬先輩」
「わかってる。だけど、お前だって頑張ってくれたことに違いないだろう」
「――、あのひと、今どうしてる」
「さぁな。
拘束はされていないらしいけど、それからどっかへ行ってしまった。最後に早朝、波止場のほうにいたところまでは、確認とれてるが」
「そっか」
「もうあのひとは、共鳴者じゃない」
案外あれで、彼の重荷は降りたんじゃないか。枸櫞としては、不思議とそんな気がしていた。主義は真っ向から対立していたが、その主義に、人としての共感は寄せられないでもなかった。
「美岬嬢は、あれから?
だいぶお疲れだったようだけど」
「俺だって心配してるよ、けど、クラスメイトはお前だろう。
なんならまた、直接見てやってくれよ」
「そう、わかった。
にしても美岬嬢、きみも含めて人望があるよな」
「いたたまれないんだよ、みんな。
那戯さんの遺したものを、引き継ごうと必死なあのひとだから、力を貸してくれている。確かに、経営の才能はある、だけど人望というなら、兄の地盤を引き継ぐという姿勢をこそ、はじめて支援してくれるひとたちも多い。そうした繋がりはゆるやかな信任で、けして、頑強なものではないんだ。
今時だって、結局女だてらに見られることは多いし、お嬢もそれが、うすうす自分の限界だと知っている」
「――、美岬さんは、きみみたいな優しい部下を持てて、本当によかったな」
「お、おう」
「なんだよ、照れてんのかよ?」
そこで、枸櫞のスマートフォンに着信があった。
『私だ』「――、はい」
理事長の声だ。流石に身内を殺された、水子級を倒したともなれば、一報くるかと想っていたが、夜に街のレストランに招待された。




