第57話 異常お姉ちゃん
壱号機が上空からとどめを刺そうと降りた時、海上から八号機を中心に濃霧が生じて手甲鉤を逸らされる。
「霧、バカな――悪足搔きを!?」
どのみち、壱号機の念動に固定されて動けないハズなのに――いや、これは。
(こいつ――足場の水のみを干上がらせ、自重で崩《転んだだけ》れた?)
*
「さて……やつが体表のベクトル場だか力場だか操作して、攻撃をいなす以上、それをなんとかしないとだが――テルクの海原が解除されない。
目視されるネーレイスは、すべて倒しただろう?」
八号機は海上で尻をつきつつ、そのまま波で自身を押し流して体勢を立て直す。
視界を塞いだことで、壱号機の念動から一時外れた。
「それは、《《まだ私の唄が残っているから》》」
「――」
まさか、今更、野暮なことだ。
その声は、シトラの声帯を通して出る、シトラでない声。
本当に、あなた、なのか?
「ねえ、さん……」
生前とは違い、腰から下まで届く、長い髪。裸で――僕の上、目の前に、覆いかぶさっている。
シトラの身体を、乗っ取った?
「そう、これはネーレイスとしての私。
シトラを産んでよかった……ちゃんとあなたの子よ、枸櫞」
「――は」
「どうせもう、ヤヲ因子のことは知っているでしょう。
あれはそれを内包するものの願いに応じて、因果すら組み換える。
ネーレイスとしての私はこれから《《あなたの種で孕んで》》、自分の器を産むの。どう、興奮しない?
勿論、シトラと私とは、別の人格でしょう。だけれどね、あなたを愛していることは、どちらも本当。人格なんてそんなもの、この海原では大した意味をなさないの――だから私はシトラであり続けることができる。シトラとしての私を、この海で輪廻させる」
「……狂ってるよ、姉さん」
「だったらあなた、血の繋がった人間のままで、私を恋人と認められた?
きちんと恋してくれたかなぁ?
られないわよね、知っているわよ」
檸檬は哀しげに笑う。
「だから私は、この海原で生まれ変わることに賭けた。
計画通り、てんじゃないわよ、これはあなたの知っている通り、最低の事故から始まったこと。
もとの身体が起き上がれもしないうち、ヤヲ因子が悪さをしたみたい。だけどこれで、ずっとあなたと共に在ることのできる」
「姉さんはテルクのことなんて、知らなかったはずだ」
「死ぬ前、いまの泉客の理事長さんから打診を受けたことがあったの。
あれで地元は、鮫人とネーレイスのかかわりを、みな元からよく知っているのよ、あなたが考える以上に」
「姉さんは、ずっとシトラの中にいたの?」
「勿論。自分ではそうと、わかっていなかったけど。
大丈夫よ枸櫞、あなたからシトラを奪ったりしない。
私が好きなものを、シトラや琉稀も好きでいてくれただけ――こんなに幸せなことはない」
「なんで今更、出てきたのさ」
「シトラたちの中で、あなたとの日々を通じて、私だったものが育った。
前は言葉も、ろくに思い出せなかったけど、今は違う。
だから枸櫞、愛してるって、今ならあなたに堂々と言える」
「――、そういうことか」
ひとつ、合点がいったことのある。
「姉さん、僕の記憶をいじったね。
父親違いだったってこと」
「うーん、どうだったかなぁ。
それより、いまはやることがあるんじゃない?
伏馬のバカを、こてんぱんにやらないでどうするの」
「当たり前のように、言ってくれる。
姉さんの言葉なら、あいつも止まってくれるかもしれないが」
「馬鹿言わないで、あれはあなたを傷つけた。
私に救ってやる義理はないし、あれは救われたがってもいない」
やはり――テルクに在るものは、大なり小なり魔性を孕んでいるんだろう。僕との想いを遂げるために、姉さんはネーレイスにまで、なってしまった。
そりゃさ、大昔の高家は、近親間の婚礼が普通だったそうだけど、今は違うだろう。虚弱児云々言わずもがな、社会がそれを許さない。姉さんがネーレイスの血肉を得たとて、グレーラインもいいところだ。
「琉稀さんも、このこと知ってるんだね。
踊らされていたのは、僕だけか」
枸櫞は裸の姉を、そのまま抱き寄せた。
「もう離さない、なにも奪わせない」
きっとこの海原から離れた時、姉さんはこの姿を保てないだろう。
そうしたら、これはシトラに戻る。
「また、この海原に来るよ。姉さんに、会いに行く」
「うん。いつでも待ってる」
「僕は――僕の果たすべきことを、するよ」
たとえ姉さんが、生まれ変わったとて、姉さんが奪われた尊厳に、僕はまだ報いていない。
ようやっと近親未遂(※未遂ってなんだよ)チキンレースのタグノルマ達成できました。
そんな魔性ノルマの達成、お前しか求めてない?
それはそう……復讐コンプリートまで、今しばらくお付き合いください。




