第38話 誰になる
「シトラなのか」
しばらくテーブルで無言で向かい合っていたが、結局枸櫞から訊く羽目になる。
「ぎくっ」
「シトラなんだな。
四号機と琉稀さんに、なにがあったか。
きみの言葉で、話してくれるんだな?」
「もち……」
「先輩の身体を持ち出さなきゃならなかったのか、どうしても」
「『�A�E�B�\�E�g��』、枸櫞、捜してる。琉稀のために」
「あぁ、真水狩人」
「そう、それ」
文字化けのように聞こえるのは、あれか。シトラがテルクのものを、自分の言葉で語ろうとすると、唄の断片のようになるんだ。僕は、ヤヲ因子のおかげか、小なり耐性ができているのかもしれない。
「シトラもいろいろ考えたの」
前よりも流暢に話している。それは琉稀の姿と声帯を扱うはずなのに、声音はあまりにも生前の姉に寄っていく。
「四号機、使って、琉稀のからだ、辿れば――あいつの居場所、見つかるか、思って」
「――」
僕は今、なにを見せられている?
シトラといると、こんなことばかり。
「琉稀さんの身体から、元のように離れることはできる?
その姿は、正直落ち着かないんだが」
「できないよ、ほんとうの琉稀が戻ってくるまで」
「そのひとにはそのひとの家族がいるんだ、家で琉稀さんの帰りを待ってる」
「枸櫞も、そうじゃないの?
琉稀の家族、なる」
「琉稀さんを育ててくれたひとたち、心配しているんだ、シトラ。
だから、こんなことは良くない」
「それはうそ。
琉稀ずっとひとり」
「え?」
「大学入ってから、琉稀のお母さんすぐに死んじゃった。
だからひとりで住んでる」
「母子家庭だったのか……昼間なのに、合鍵で入るしかなかったし。
そういや、ろくな連絡先もなかったか」
たぶん、美岬のほうでは知っているんだろうけど。
「挨拶どころか、いないんじゃな。
あの状態で病室に置いとくのと、どっちがマシかわからんくなってきたが」
「琉稀、ぜったい枸櫞と一緒がいいとおもってる」
「それはいかんだろう。
いや、一人きりで寝かせとくわけにいかんけど」
数日病院に置かれて、でも身体に一切の変化がない以上、バイタル記録を採るのを最低条件に、昨日、彼女の実家へ運ばれた。部屋まで上げるのは、僕と浅葱さんがやったけど、じゃああれからは、泉客による最低限の警備がなければ、誰も――?
「ばかなの?」
琉稀の顔で、そんな幼いジト目を向けられるとは夢にも思わんかった。
「……わかった、今ここにいるのは仕方ない。
だけど、まずは美岬さんに相談する。
あのひとがダメだと言ったら、ダメだからな」
「枸櫞、琉稀のこと追い出すの?」
「シトラ、ここには僕らだけが住んでいるんじゃない。
ご近所がそのまま同じ建物に入ってるってことは、それだけしちゃいけないこと、節度があってだな、それに琉稀さんは現役の学生だ。なんの手続きもなしに、色々とは出来ないんだ」
「だったら枸櫞が、琉稀んち行けばいいじゃん」「な゛」
こいつまだ続けるのか。本当に頭が痛くなってくる。
「あのなぁ……僕と先輩はまだ付き合ってるんじゃないんだぞ」
「ちゅーしたのに?」
そろそろ本当に、落とし所に迷う。
そこへ美岬が、浅葱を連れて現れた。
「シトラちゃんね」
琉稀の身体に憑依したことを、彼女のほうも既に看破している。
「ぶぅ……美岬もすぐにわかっちゃうんだ。せっかくシトラ、みすてりあす、頑張ってたのに!」
「これ、シトラちゃんがやってるの!?
枸櫞くん、これは」
「シトラが四号機に触れたそうです。あれの心核部はネーレイスに持ち去られてしまった、それを取り戻せば、琉稀さんのこの現状は解消される……だけどシトラ、やはり何とかならないか?
シトラは琉稀さんじゃないし、琉稀さんはシトラじゃないだろう」
「とーぜん。そも《《琉稀がなりたかったの》》、《《檸檬だもん》》、シトラじゃない」
「「「!」」」
囲う三人は息を呑む。
美岬たちは、枸櫞の顔を窺い、さっと目を逸らす。
「……枸櫞?」
「今すぐ、出ていけ。
頼むから、ここから出てってくれ、さっさと。
――俺にどうにかなって欲しくなければ!」
「ごめん枸櫞、シトラなにを間違え――」
その腕を、浅葱が掴み、美岬が彼女の前に立ち塞がる。
「言う通りにしよう。枸櫞くんは疲れてるの、シトラちゃん。
八岐級と戦ったばかりなんだ、休ませてあげて」
「うん……」
「浅葱さん、少し任されてもらえますか?」
「わかった」
部屋に美岬が残って、呟いた。
「大丈夫?」
「シトラは人魚だ」
人ならざるものだ、
「魔性だよ。
それを甘く考えてたつもりはないけど――そうだな、魔性を人なりにしようとした、僕がそもどうかしているんだ。
あの子は自分で意図せずに、ひとの行いと尊厳を踏み躙ってしまう子どもだ。悪意があるわけじゃない……だからなんだよ?
ネーレイス?
テルクが現実の写し鏡だとでも言うなら、そんな鏡、とっとと割れてしまえばいいんだ――」
「それだと、琉稀さんを助けられない」
「あぁ……けして僕に都合のいい子じゃない。
姉さんがいなくなってから、泣けなかったんだ、僕は。
哀しいはずなのに、胸の奥が火傷しそうなぐらいに煮えたぎって、なのにその熱がすり抜けて、こぼれ落ちていくんだ。
苦しいのに、そんな薄情な自分が生きていることさえ嫌でしょうがないのに、あの子はそれでも、生きろって言ってくる」
「――」
「僕はあの子のなかに、本当はなにを感じていたんだろう。
姉さんであって姉さんでないもの。
いまは、琉稀さんであって琉稀さんでないもの。
僕たちがシトラと呼んでるものは、結局なんなんだよ、美岬さん?」
「それは……」
「八号機を通じて、わかるんだ。
あの子のなかに、確かな命が宿っていて、それはもう僕自身に絡みついてしまった――その肉を喰らったとき、自らがそう選んでしまった。投げ出すなんて、あの子が可哀想だ。
そうやって自分を騙し騙し、ここまで繋いでたんだよっ、僕はッ!!!」
美岬から掛けられる言葉など、あろうはずもなかった。
「……ごめん、きみに当たり散らしても仕方ないのはわかってる。
きみにはこんな姿を見せてばかりだ」
「貴方を巻き込んだ責任があるのは、そうだから」
「僕は間違ってたんだろうか。
なにがショックだって、シトラ自身にじゃない。
シトラに言われるまで、琉稀さんがそんなことを考えてたなんて、欠片も気付けなかったんだ。
あの人に僕の理想を押し付けるばかりで、あの人の抱えてるものを見ようとしてなかったんだな。
琉稀さんが、姉さんになりたいとしたら――だとしてもきっと、シトラはなにかを短絡してる。琉稀さんが抱いてたのは、きっともっと、人間的なものだ。
その姿を得ることじゃないだろう、ただ『あの人のようになれたら』、そういう憧れだとか。元から姉さんへの苦手意識はあったけど、結局その裏返しを、僕が押し付けてしまった……?」
「かも、しれない。実際のところは、白錫先輩自身にしかわからないことだものね。
枸櫞くん」
「なに」
美岬は枸櫞の眉間を中指で弾く。デコピンと言うやつだ。
「!?」
「思いつめない。
白錫先輩を取り戻すんでしょう。
それとも、私との契約まで忘れた?
途中で投げ出したら、私だって許さない」
「きみは……案外と、手がよく出る」
「そうならないよう、ここから互いを高め合いましょう。貴方ならできる。白錫琉稀と、天充檸檬が認めた男でしょう」
「――、そういうことに、しておく。
まだ、狂ってやるわけには、いかないのな……」
そう、どれだけシトラが不条理な存在だとしても、シトラはまだ、少なくとも僕の仲間までは殺していない。
ならば勝手に傷ついて、投げ出そうとして、そんな僕の弱さをこそ恥ずべきなんだ。




