第110話 世の果て [最終話:本編]
枸櫞は社務所にいた。
「らっこさん!!」「いや、ヌートリアだろ!」
「らっこさんなの!」「ぬーとりあッ!!! 全然ちげぇ!?」
(なにやってんだ、こいつら)
さっきからずっと言い合いをしているのは、なんと新キャラクター……幼女の琉稀の姿を借りた、赤髪の少女。そう妖竜級が、シトラと同様、人型へ擬態した存在だ。
それがなぜか、さっきから闢くんと言い争っている。
ヌートリアの写真をお出しされて、それがラッコでないことに憤る妖竜の少女、対してそれをヌートリアだと是正しなければ気が済まない闢くんであった、しょーもな。
「ガキか。ガキだったな……」
「随分と騒がしくなってるね、枸櫞くん。
ほら、闢くん、そうムキにならない!
相手は子供でしょ?」
「はい、姉さん……すみません」
美岬が言った。今日は闢くんの付き添いで来ているそうだ。
「すまない、なんか増えて」
「仕方ないよ。育児に困るようなら言って、お金の相談も受け付けるから」
「どうせすぐ、そうなる。
とはいえ、メリュは食事に興味がないしな、案外金がかからないんだ」
彼女は出てきても、わりとすぐ八号機に引っ込んじゃうから、言うほど世話は焼いていない。シトラほど闊達な人格でもないらしいし、なによりコピー元である琉稀に対する遠慮があるらしく、彼女と顔を合わせるようなことは避けて、でも時々こうして、闢くんのところへ遊びに来ている。
と、想っていたら――、
「ごめんください――浅葱?
出てこないな」
琉稀本人がやってきて、一同と顔を合わせる。
妖竜は急に押し黙って、くるくると慌ただしく動き回ったかと思えば、やがて彼女の正面に立って、ばっと頭を下げてから、部屋を駆け出していった。
入れ替わりに、琉稀へ付き添ってきた翼が当惑している。
「……怒涛だな、あのネーレイス」
「だね、どうして私なんかをコピーしたんだろう」
「まぁいいんじゃないか。妹ができたようで」
「私たちに?
まぁ、翼くんがそう言うなら、そうなのかもね――」
琉稀はそう言って、翼の手を握り、指を絡めた。
翼はというとばつの悪そうな顔で、枸櫞のほうを窺う。
枸櫞は驚くほど穏やかな笑みを浮かべていて、翼は思い返す、そういやこいつ、俳優業の姉がいたんだったと。その気になれば本心を隠すのも、お手の物だろう。
「たっだいまー、きゃ!?
なんだ、メリュちゃんか……あんまうちの中、走らないでね、めっなんだから」
浅葱が帰宅したようだ。
入ってくるや、部屋に集まった一同を見てから、枸櫞のほうを案じている。
「枸櫞くん、ちょっと」
「どうしたの浅葱?
天充くんと仲良かったっけ」
「――」
いたたまれなくて、友人からの反応を無視してしまった。
昼下がりの境内で、二人きりになる。
「最近、濱田先輩たちは、どうです?」
「みんな、元気だよ。自分で那戯を殴れなかったのは、腹に据えかねてるみたいだけど、あの時は私らじゃ、仕方なかったし。そういういざこざ全部、天充くんがなんとかしてくれたから、さ」
「えぇ」
「探査組はリハビリ始めてて、美岬ちゃんのおかげで泉客の系列企業に就職することになってるの。
でさ、今度ホームセンターのテナントに、美岬ちゃんがプロデュースした喫茶店が出るんだよ。で、店長は可音がやるの」
「マジすか、凄いですね」
「みんな、親御さんと再会できて、本当によかった。ありがとうね、私からもお礼言わせて。みんな、私や貫兄さんにとっても、かけがえのない、仲間で、だから――」
「最近、ひとからお礼を言われてばっかりで、変な気分になりますよ。
ぽっと出の僕は、皆さんのやってきたことを、引っ掻き回してただけじゃありませんでした?」
「引け目あったんだ……」
浅葱は吹き出した。
「八号機を導いたのが、君でよかった。私はそう想ってるよ」
「はい。ありがとうございます」
「いまのきみ、いい顔してる」
*
護斗と珊瑚から、いつぶりかの釣りに誘われた。今回は藍堂もいた。
琉稀との間で起きたあれこれを知っていて、気を使ってくれたらしい。
藍堂には失恋祝いだと笑われた、どうしてこんな人が普通に妻帯者なのか。
「ソラの字」
「んー?」
「大丈夫か」
「今日の獲物はシケテルネ、相変わらず一匹も釣れない」
「――」
テルクの王には、相変わらず魚が寄り付かないらしい。
「その、王の力で、ほかにも因果を書き換えてるだろう。
お前自身の負担とか」
「そういうのは問題ないよ、だけどちょっとだけ、都合よく世界を増やしちゃった」
「?」
枸櫞にはひとつ、どうしても心残りがあった。
姉の転落事件があった、あの日――檸檬がホテルへ連れ込まれる前に、彼女を制止する。
天充檸檬が人として生き続けられる、それだけの世界。
そのような並行の時間分岐を造り、そちらの世界の僕は、すでに鮫人のことを知っている。
「姉さんが人として生きている。それだけで良かった」
僕は姉さんを人として取り戻し、シトラが生まれない代償に、そちらの世界でもテルクの海原へ行き、妖竜と共に那戯を封じるための新しい戦いを始める。
……それはそれとして、ホテルの前で漢気を見せて以降、姉さんが毎日のように僕を誘惑するようになるんだと。そっからの痴情がどう転ぶかなんて、見るに堪えないから今後はそちらの世界に干渉することはない。
その世界では、姉さんと僕はもう、悪意ある大人に振り回されることはなく、だから復讐を始める道理だってきっとない、姉さんと僕のための、真っさらな頁をほんの一枚、宇宙の片隅に増やしたりしただけ。
「結局、鮫人の王権ってなんだったんだろうな。俺は最初それを聞かされたとき、てっきり蠱毒のようなものかと想っていたが、ソラの字が王様に決まっているからか、殆どの共鳴者と人形は五体満足なわけだし」
「……強いて言えば、宝石や真珠を研磨する作業に近いかな。蠱毒ってほど物騒なものでもない。
先史文明か、或いはネーレイス側からの要請かはわからずじまいだけれど、当初それを設定した存在も、王の候補を擁立する過程のことは想定していたはずだ。
そして見合った器を持つ存在を、永らく探し、世代すら跨いで磨き続けてきた。
王力は、王と同調した鮫人の力を繋ぎ、共鳴者たちの資質を最大限に導き出すものだ。単に孤高の戦士では、それが務まらない。それもまた必要な資質のひとつではあろうけどな。
……ただやはり、人間の良識とは異なる、魔性の水準が働いている。王としてテルクヘ適応できるのが、人間として正しいことだとも想わないな」
「その理屈は、今いるお前自身を否定してしまうんじゃないか?」
枸櫞は首を横に振った。
「善悪の基準や関心、その何処に重きを置くのか、って話だよ。僕がこの世の終わりまで、王であったなら――最後には結局、那戯と同様、人を裁くなにかに成り果てるだろうね。……ただ遅いか早いかの違いでしかなかった」
それほどまでに、人間の未来への展望や期待を持ちえない。
姉さんを死に追い込んだ身勝手なケダモノ、スキャンダルの匂いを嗅いだ途端に姉さんを貶めるだけ貶めて、時間とともにそれを風化させようとした、無責任な連中――美岬に勧誘されたとき、自分は確かにそれらへの憤りを抱えていたことを否定しないし、いくらヤヲ因子で世界を書き換えたところで、あの頃感じた絶望は、自分という存在が果てるまで、永遠に抱え続けるだろう。
この虚ろさが、間違っているはずがあるものか。人はもっと優しい結論を願うだろう、けれどそんなものは欺瞞だと、僕はよく知っている。いまはまだ、自分のために都合よく世界を描く力があるから、我慢して、諦めているだけに過ぎない。
王となった今、自分は人の理を外れて生きる、義務を得た。常人より遥かに長い刻を生き、魔性として果てるまで、自分の破綻すら呑み込んで――テルクと地続きなこの海原を、揺籃に過ごしていく。
あぁ姉さん、僕は確かに魔性だったよ。
珊瑚が訊いた。
「王様と食べることって、どう関係してたのかな」
その場で手際よく刺身や焼き魚を調理して、枸櫞へ積極的に回してくれる。精のつくものがどうとか、妙に下心を感じさせる発言が時々飛んでくるものの、枸櫞は敢えてそれを無視した。
食べるとは、食物連鎖や弱肉強食のピラミッド的なメタファーを想起させるが、それらはそも生態系を循環させるというマクロな営みの導入でもある。
であるからして、枸櫞が考えるに、
「生命と繋がれる、最初の儀礼だ」
先史文明がネーレイスを造った際、それを人工物に留めず、テルクの海原を循環する独自の生態系を獲得する必要があったはずだ。しかしながらネーレイスは個体の生命として完結でき、食することを必要としない。共鳴者を通して捕食や生態系の循環を、ネーレイスの原理として取り込む。王権のための複数の人形は、そのために用意され、枸櫞、那戯、珊瑚のようなのが、当初想定された王に限りなく近しい存在となった。
「水子級のような暴食、貪ることは悪徳とされるけどね」
ネーレイスは食することを学んでも、そこから敬虔な存在に昇華できるとも限らないのが、あのような存在が示すところか。ネーレイスはなわばり意識の強いけれど、あれほどの存在となるとネーレイス間の派閥闘争では牽制できず、同族内での自浄作用が期待できない結果として、鮫人に乗った共鳴者《王権の担い手》が、その断罪や間引きを担うことになる。
*
季節は夏へと移ろう。この頃は天気がよく荒れる。
かたや、ネーレイスが現れることはほぼなくなった。
「ネーレイスとの共生はできないって言うけど、シトラたちはありなのかよ?」
「それを独占できるのが、きっとテルクの王権なんだ」
ネーレイスの唄がある以上、シトラたちが人類への脅威を持つ存在なことは一貫して変わらない。
だがネーレイスたちは、枸櫞を通じて人間を知り、人間に焦がれて新しい唄を、あの海原に響かせるだろう。きっと人が滅びた果てでも、彼らは唄のなかに人を遺して紡いでいく。
今どきは情勢の静かなもので、共鳴者たちの集まりは、枸櫞や護斗を除くと著しく減っていた。
けれど、やる事がなくなったわけじゃない。
「ふろーしょとく、ばんざい」
「誰だこいつに寝てても稼げる資源を与えた大馬鹿者は……くそ、働けっ!」
八号機はテルクに由来するメタンハイドレート資源を、日本海側から採掘される既存のそれらに交ぜて陸海軍へ安価かつ極秘裏に流すようになっていた。大変有り難がられている。一般へ流すものも無いではないけれど、市場が崩壊しない程度に流通量を絞っているので、しばらくは安定的なお小遣いが得られる模様だ。
無論、泉客グループを介してではあるが、八号機の権能でそれを引いてくるのは彼なので、だいぶ懐があったまるのである。
「いや、働いてはいるんだよな。ナマズの力でラクしてるだけで……不労では、ない?」
今さらくだらない真理に至った枸櫞である。護斗が嘆息した。
「労働ってのは汗水垂らして、もっと働く実感を得るものだろ!?」
「楽して稼いで合法的にお金が入るなら、それでいいじゃないか。お金があれば、そこからまた新しい挑戦ができるわけだし」
「ちくしょー、今夜焼肉奢れ!」
「いま、将来の夢、できたわ。
美岬さんみたいなブラックカード、僕も作れるかもな」
「俗っ!!!」
経済を回すことの快感で、最近は過去にあった嫌な経験も薄れている。せいぜい、楽しく生きていこうではないか。
*
最初の世界。
八号機は結局、セドナの手で潰された。
ただ――潰されただけではなかったが。
「――、……生まれ、た……?」
虫の息で、死を待つ枸櫞。
――セドナは、彼が望み焦がれた存在への関心を抱いたのだ。
朽ちゆく八号機へ手向けるように、セドナの掌が天へ向き、その指先から新たなネーレイスが形成される。
そう……彼の姉、天充檸檬の器にして、のちにシトラとなる存在。
それは八号機を見下ろし、胸元へ抱くと、死に行く枸櫞を送るように、静かな唄を紡ぎ出す。
-Fin-
これにて本編は完結です!
最後まで追っていただけた読者の皆様へ、深く感謝御礼申し上げます<(_ _)>
番外編や後日談、改稿の都合でしばらくは連載表記のままになりますが、ご了承ください。
ありがとうございました。




