第二四話 《魔術狩り》の名
「…………! ……なし! 時無っ!」
「……ん」
頭上から落ちて頬に当たる水滴と、わんわん叫ぶ声に起こされ、時無は重たいまぶたを持ち上げた。
空には偽物の月が輝いており、そして目の前には泣き叫ぶ藍花の姿があった。
「っ! やっと起きた……! もう起きないんじゃないかと思ったんだから!」
ボロボロと涙を流し、目を赤く泣き腫らした顔で笑う藍花を見て、時無は自分が腕から多量出血をして気を失ったのを把握した。
彼女の様子を見る限り、どうやら長い間意識がなかったようだ。藍花が治癒魔術を施したのだろう、腕の痛みも今は我慢出来るほどになっていた。
泣き喚く藍花を適当に慰め、固まった身体をゆっくりとほぐしながら、周囲を見渡す。
壁にもたれかかって動かない風の魔術師の姿は、すぐに目に入った。
「あの男は死んだのか?」
「え? ……あぁ、たぶん。最後何か呟いていたけど」
「呟いていた……?」
「あ、えっと、内容はよく聞こえなかったから……」
「そうか」
たぶんということは確認していないのか。
自分の治癒をしていたから仕方がないが、敵の生死は早々に確認するべきだ。
そう思い魔術師のそばへ歩く。男の手首に指を押し当て、脈を計る。
「……死んでるな」
肌も冷たく、どうやら今度こそ仕留められたようだ。
そういえばと死んだ今もなお男が目深に被っているフードを取ろうと手を伸ばし――寸前で止めた。
「死してなお隠していたいものもある、か……」
それがどんなものかは知らぬが、時無をここまで育ててくれた恩師であり、また死んだ両親の代わりとなってくれた人が言っていた。
そして名前も思い出せなかった自分に名前をくれた人。
彼は魔術師でありながら何でも屋という、一見才能の無駄遣いの安仕事をしていた。しかしその何でも屋というのもいざ蓋を開けてみれば、失敗は即命に関わるような依頼が押し寄せる、非常に危険な仕事であった。
そんな中、とある事件で生き残った時無と偶然出会った彼は、そのまま時無を引き取り、仕事もこなしつつ面倒をみてくれた。
ちなみにその出会った時に時無のほうは名前をもらったのだが、彼のことを時無はいつも「おじさん」と呼んでいたので、本名は覚えていない。
その過程で時無は彼の手伝いをするようになり、彼はあまり嬉しそうではなかったが順調に魔術の才能を開花させ、いつしか彼が受けた依頼で簡単なものは時無がするようになっていた。
そんなある日、時無がどうしたらこの世界から魔術が無くなるのか訊いた。
半分本気、半分冗談で言った時無の問に、彼はこう答えた。
この世界で魔術に関係する人、物、事柄、記録――それら全てを抹消すればいいんじゃないか、と。
もちろんそれは彼なりの冗談だったのだろう。そもそも彼は人を殺すのを誰よりも嫌っていた。どんな依頼でも可能な限り人を殺さなくてすむように努めていた。
しかし不幸にもこの言葉は結果的に後の時無の願い――もっと言えば生きる目標となった。
あまりにも無謀な行いであることは少年であった時無も重々承知していた。
故に彼に迷惑をかけないよう、自分は自立すると宣言して彼の元を離れ、手当たり次第に魔術に関する機関、人を殺し、やがて《魔術狩り》として名を上げることになった。
有名になったがために関係者だと思われないためにも彼と連絡をとることもできず、今に至るまで音信不通だ。
今頃元気にやっているだろうか。
「……まぁ、便りがないのは元気の証拠か」
こういう時だけは普段は忌み嫌っている、なんの根拠もないこういった“祈り”の言葉に頼りたくなる。
この場合便りをしていないのは自分なのかもしれないが。
あの人なら前線から身を引いてもなお、きっと誰かを救いながら生きているはずだろう。そうであると願いたい。
この戦いで願いを叶えたら、おじさんに報告しに行こう。
その時はきっと魔術のない世界になっているはずだ。どうなっているかはわからないが、きっと平和な世界になっているはずだ。みんなが幸せに暮らせる世界のはずだ。
そんな世界をみせることが、返しきれないほどの恩をくれたおじさんへ、人の心を殺し数多の人を殺めてきた自分が唯一できる最大限の恩返しになる。
そこまで思って、時無ははたと気づいた。
「……そういえば恩返しなんて今まで考えたことなかったな」
いや、それ以前に自分はいつからこんなことを考えるようになったのだろう。
人の心を、自分は取り戻し始めているのか。もちろんそれは《魔術狩り》としては良くないことだ。
それにこれまでに幾人もの命を奪ってきたのだ。そんな人間が人であろうとしていいものか。
しかし人でありたいと甘える自分もいる。希望を持つ自分もいる。
どちらの道が正しいのか、時無には分からない。それを判断していいのは自分ではない気がする。
ただ一つ、時無がこうも変わったのは一人の少女によるものだということは間違いない。氷咲藍花という少女が、自分の中で大きな存在になりつつあるということは認めるしかないだろう。
そこへ当の本人の藍花が歩いてきた。
「あの、一つ聞きたいんだけど……いい?」
「なんだ?」
上目遣いでちらちらこちらの様子を伺ってくる藍花を見た途端、一瞬鼓動が速くなった。気がした。
それがなんなのかは考えなかった。考えないようにした。
せめてこの願いが叶うまで――《魔術狩り》としての役目を果たすまでは人の心は要らない。あってはならない。それが今時無が一時的に出した答えだ。
それが世界を変えるために、魔術を根絶するためにこれまで貫いてきた、時無の覚悟だ。
そんな時無に藍花はなぜか気まずそうに、まるで聞くべきか迷っているかのように視線を泳がせている。
「……迷うくらいなら聞け」
しばらくしてもそんな調子だったので、少し苛立った調子で時無が催促すると、藍花は深刻な表情でおずおずと口を開いた。
「えっと……時無の下の名前を教えて欲しいなぁ……とか思っていたり、いなかったり……」
「名前?」
「あ、いや、言いたくないなら別にいいんだけど……」
「いや別に構わないが……そういえば言ってなかったか」
名前くらい特に隠す必要もないだろう。そう思った時無は名前を口にした。
しかしそれを聞いた藍花の反応は、なぜかあまりよいものではなかった。
「そう。やっぱりそれじゃ…………」
「……どうかしたのか」
しかし時無が新たに質問をする前に、藍花は一転して華やかな笑みを浮かべた。
「ううん、なんでもない! そうだ、これからは結人って呼んでもいい?」
「……別に構わないが」
「やたっ!」
あまりの変わり様に、時無はもう一度問いただそうとは思えなかった。
「ところでもうしばらく休んでていてもいいか? 次の戦いの前に身体の疲れをとっておきたい」
「あ、そうだよね。一度拠点に戻る?」
「いや、この辺りでいい。そんなに長くは休まない」
「そう。なら適当に休めるところを探そうか、ときな…………ゆ、ゆゆ、――結人!」
「……別に無理して言わなくていい」
言って照れくさそうに笑った藍花は、急かすように時無の裾を引っ張った。
その時笑顔の狭間で垣間見えた彼女の双眸は、なぜだろう、ひどく悲しそうだった。




