第二三話 死に際の一振り
未だ土煙の晴れぬ廃墟を慎重に進む。
すぐ背後からは華奢な体躯が同じように息を潜めて寸分離れずついてきている。
今から少し前、時無たちは微量だが確かに魔力の反応を感じていた。
それが先の何者かの戦闘の余韻によるものなのか、それとも生き残った者がまだ潜んでいるからなのかは不明だ。
散乱している瓦礫を踏んで音を立てないように慎重に、ゆっくりと、少しの空気の変化も見逃すまいと気を配りながら、時無たちは魔力の反応する場所へ近づいていく。
「……止まれ」
魔力の反応が相当近くなり、相手に聞こえないよう小声で藍花を静止させる。幸い彼女も状況を把握できているようで、取り乱したりせずに黙って頷いてくれた。
敵の奇襲に気をつけ、細心の注意を払いながら周囲に魔力を放つ。
異なる魔力と接触した反応は、存外すぐに返ってきた。
「――誰だ」
魔力を放つのを止め、代わりにすぐに魔術を顕在化できるよう魔力を練りながら、時無は誰何する。
さすがにこれでも隠れているほど敵も阿呆ではないだろう。しかし素直に出てくるとは思えない。となるとやはり奇襲を仕掛けてくるか?
そんな時無の予想とは裏腹に、潜伏していた敵はすぐに物陰から姿を現した。
衣服はボロボロ身体中から流血も止まらずと、先刻戦った時に比べ随分満身創痍の状態だが、フードを目深にかぶった姿は間違いない、風の魔術師だった。
「……今日はとんだ厄日だよ」
悪態をつき、風の刃を顕在させる魔術師からはほとんど魔力を感じられないが――何故だろうか、彼から伝わる凄まじい気迫を感じた本能がこの敵は危険だとひっきりなしに警報を鳴らしていた。
見るに耐えない悲惨な姿に言葉も出ない藍花と焔を従え警戒する時無を交互に睨みながら、魔術師は瓦礫の中を歩いてくる。
「見ての通りもう死期が迫っていてね。最後にひと暴れしたい気分だったんだ」
風の刃が集まり、一振りの槍を形成する。数メートル先で止まった魔術師はそれを手にした瞬間、死にかけている人間とは思えない素早さで迫ってきた。
それに対抗するため時無は焔を剣に変幻させ構える。藍花もすぐさま時無と魔術師の間に水壁を顕在してくれた。
目前まで迫った槍の標的は目の前の時無――ではなく、藍花だった。
「……え? きゃぁぁああ!?」
「なッ!? くそッ!」
戦闘経験が乏しいことが災いし、完全に虚を衝かれた藍花は両手で目を覆ってただ悲鳴を上げることしかできない。
突き出された槍がか弱い身体を捉えようとしている。今から魔術を放って間に合うような時間はない。
このままでは藍花は死んでしまう。そう思った時、気づけば身体が勝手に動いていた。
「間に合え……ッ!」
本能に身を任せるまま、時無は手を突き出した。
そして烈風を纏う矛先を、掴んだ。
素手で。
「ぐぅぅうう!?」
「と、時無!?」
藍花の驚いた声が聞こえた気がしたが、すぐに手から伝わる焼けるような痛みが時無の脳内を支配した。
「あ、ぐぅ……あああ!」
槍の纏う烈風は邪魔者たる時無の手を切り刻もうとする。
手の平が弾け飛んだんじゃないかと疑ってしまうような血飛沫が辺りに飛散した。
魔術を素手で止めるという、自殺行為にも等しい行為の対価は想像を絶するものだった。
痛みが増し、意識が朦朧としてくる。
しかしここで終わる訳にはいかない。時無は今まで感じてきた中で一番の激痛に耐えながら、槍を構えた魔術師にもう片方の手で焔の剣を突き出した。
「はぁああ!」
視界がぼやけながらも放なたれた炎剣の一閃は、まるで吸い込まれるように魔術師の身体をいとも容易く貫いた。
「ぐぅ……ッ!」
苦悶する魔術師が口から血反吐を吐いたのを見咎めた後、時無の意識は途切れた。
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「ぐぁ……」
激痛に身を捩りながら、木枯は離れるように壁へ倒れかかる。
術者の意識が不確かになったことでこの身に突き刺さった炎剣は顕在できなくなり、消滅したが、焼けるような痛みは引かなかった。
しかし想像を絶する痛みが木枯の全身を駆け巡る中、フードに隠れた口元は痛みに歪んでいるのではなく、達成感に緩みきっていた。
あの一撃が彼女に届くことはないと最初から解っていたが、しかしそれが彼の素手に止められようとは思いもしなかった。
育った環境のせいか、人間味に乏しかったあの子が、まさかその身を挺してでも他人を守ろうとするなんて――どうやら彼にとって彼女の存在は、彼の思っている以上に大きな存在となっているらしい。
「私には……できなかったのになぁ…………」
だが何故だろう。嬉しいのだ。
痛みによるものと混じって、それとはまた別種の涙が頬を伝う。
人としての必要最低限の知識以外、戦うことしか知らなかったあの子が、今は他の人を守るようになった。
彼を変えたのは間違いない、今彼を抱えて必死に治癒魔術を施している彼女だ。そして彼女がいてくれる限り、あの子が再び人の道を外れることはないだろう。
あぁ、そうか。
薄れゆく意識の中、木枯は自分の心が満たされていくのを感じた。
最後の最後になってしまったが、ようやく親の役割を果たせたのだ。巣立つ小鳥が後ろを振り返らずにすむよう、このような形であれど後押しができた。
これであの子はもう後ろを見る必要はなくなった。隣に彼を想う人がいてくれるのだから。共に前へ前へ進めばいい。
願いを叶えるための《デスゲーム》。それには破れてしまったわけだが、なんと幸せなことだろう、来宮木枯の願いは今まさに叶っているではないか。
普通な人として生活させてあげられなかったせめてもの報いに、彼に人としての幸せを味わってほしい。
その願いは親の真似事をした者が願うまでもなく、あの子が――時無結人が自らの手で手に入れていた。
「なんだ全く……見ない間に随分と大きくなったじゃないか…………」
先程まで絶え間なく体内を走り続けていた痛みも、今は感じない。周囲の音も聞こえなくなり、夢心地な気分で木枯は呟いた。
「お前に何もしてあげられなくて……すまんな……」
あぁ、まぶたが重い。体が重い。
気持ちは今までにないくらい幸福に満ちていて軽いのに、異常なまでに眠たい。
「あぁ……代わりとはいえ、私は君の親をやれて……本当に幸せだったよ……」
もう少しあの子を見ていたい。そう思うものの、木枯は永久の世界へと誘う黒い睡魔に逆らうことができず、ゆっくりと目を閉じていった。
「……ありがとう…………結人」
うわ言のように何度も呟きながら、やがて最後の一滴が頬を伝い落ちた時、来宮木枯はその生涯を閉じた。




