第一〇話 束の間の平穏
寝室に入った途端、藍花は膝の力が抜けたようにベッドに倒れこんだ。
「あぁー……。心臓がまだバクバク鳴ってるよ」
小刻みに上下運動を繰り返す自分の胸を眺めながら、藍花は放心した様子で言った。
実戦は初めてだったが、時無のおかげでずいぶんと安全な場所にいられた。こうしてベッドの上で一息つけるのもひとえに彼のおかげだろう。
布団の上でかなり無防備な格好になっているため、ふりふりスカートは捲れており、もし時無が部屋に入ってきたらその中が見られてしまうことは不可避なのだが……藍花が寝室に向かう前、彼は食事をとっていたため、当分は寝室にはこないはずだ。と藍花は予測していた。
それにあれだけの魔術を立て続けに行使したのだ。体力回復を最優先にするのは当然と言える。
その時ふと藍花は撤退する直前、時無が受けた魔術の傷が気になった。
「あれ、もろに当たっていたみたいだけど平気かな…………って、わたしなんで心配してるんだろ」
無意識のうちにこぼれでてきた言葉に、藍花は動揺する。
わたしたちは互いに利用し合う関係なのだから、心配する必要などないのだ。そもそも、会って一日もしない赤の他人をここまで心配するなんて、どうかしている。……のかもしれない。
しかしもし彼がいなかったら、戦闘にすらならずにわたしは死んでいただろう。
そう思うとやはり命の恩人のことを心配するというのも普通なのではないか、と藍花は思う。
「……はぁ。なんでこんなくだらないことで悩んでいるんだろ」
先の戦闘のせいか疲れを滲んだ言葉は、ため息と一緒になって吐き出された。
このまま考えていても埒があかない。悩むばかりだ。ひとまず休憩もできたし、わたしも何か食べ物を食べよう。
そう決めた藍花が気持ちを切り替えるように大きな背伸びをした、そのときだった。
「休憩中にすまない。質問なんだが、お前の魔術の中で治癒系のやつはあるか?」
リビングのほうで食事をしていたとばかり思っていた時無の声が聞こえたかと思えば、寝室のドアが無造作に開かれた。
「――えっ?」
重ねて言うが、ベッドの配置上今藍花はドアに足を向ける形で横になっており、唯一守ってくれる頼みのスカートも無残なまでに捲れ上がっている。
そしてもちろん、ベッドの上で堂々と背伸びをしていた彼女がそんなに素早く反応できるはずがなかった。
「………………」
ドアを開け中に入ってきた時無は、無言ではあったが珍しく表情を変え、何か見てはいけないものを見てしまったかの如く不自然な格好で固まっていた。
藍花のスカートの中――つまり女子高校生にしては少々子供っぽい、ピンク地の可愛らしいパンツが見られてしまったことは、言うまでもない、聞くまでもない、認めざるをえない。
藍花の顔が、羞恥で一瞬のうちに朱く染まる。
「……い、い、いやぁぁぁああああっ!!」
純潔な乙女の絶叫が、小さな家の中に虚しく響き渡る。
一方その頃、時無と藍花が消えた戦場では残された者たちが静かに睨み合っていた。
「さて、それで。次はあんたと戦えばいいのか?」
張り詰めた沈黙が続く中、先に声を発したのは先程の時無との戦闘での疲労感を隠そうともせず、気怠げにしている男、土壌だ。
対してただならぬ魔力を漂わせる男はしかし、深く被られたフードで容姿が視認できない。
時無に不意打ちを与えたこの男は、結果的に土壌の命を救った。しかしそれでも土壌はフードの男への警戒心を緩めない。
生き残った一人だけが願いを叶えられる。そんな報酬が待っているこの《デスゲーム》において、他人を助けるなどという行為はもはやなんの意味もなさない。
ましてや誰かと手を結んだとしても、結局のところ最後にはその相手と殺し合うという最悪のオチが待っている。
そんな状況下の中で見ず知らずの人に助けられたとなれば、考えられる動機は一つ。戦闘で魔力を消耗している土壌を、自らの手で仕留めるため。つまるところ漁夫の利だ。
そんな考えが先程から脳裏にちらついているからか、土壌のフードの男に対する警戒心は秒を刻むごとにより一層強まった。
しかし、
「いや、疲弊した相手と戦うような下衆な輩にはなりたくないからね。遠慮しておくよ」
「な……」
予想の真反対を行く言葉に、土壌は思わず眉を寄せた。
「確かに願いを叶えるためにいずれは君も殺すだろうが――、それはまた別の機会でいいさ」
その言葉には魔術師であることに誇りがあるのか、はたまたお前程度ならいつでも殺せるという余裕と挑発を含んでいるのか。肩をすくめて語るフードの男からは、どこか悲哀が漂う。
「どういう意図か知らないが……それはよかった。俺としても戦いたくないんでね」
「そうか。なら私はこれでお暇させてもらうとするよ」
そう言って風のように去っていった男を見つめながら、土壌は糸が切れたようにその場に座り込んだ。
「一体なんだったんだ……」
あのフードの男もそうだが、何よりあの火の魔術師が気に掛かった。
見た目から推測するに十代後半くらいだろうに、あの殺気と魔術の腕は凄まじかった。ここに至るまで一体どんな日々を過ごしてきたのか、正直想像もつかない。
何より、守るために鍛え続けてきた己の魔術を突破されたことが、土壌の心をなによりも掻き乱していた。
「それにしても焔を纏ったあの特徴的なシルエット……どっかで覚えがあるような…………」
どこか引っかかる特異なあの姿に頭を悩ましながら、土壌は食料を求めてあてもなく歩き始めた。
これから受験に向けて本格的に忙しくなってきますので、更新は少し遅れます。すみません




