第23話 壊れかけた均衡
終演後の熱気が、まだ体に残っている。
楽屋の鏡の前で、僕はぼんやりと自分の顔を見つめていた。
落としかけのメイク。滲んだアイライン。乾ききらない涙の跡。
「……これが、本当の僕?」
誰に向けたわけでもない問いが、静かに落ちる。
コンコン、とノックの音。
「湊さん、少しお時間いいですか」
扉の向こうから聞こえたのは、結城美波さんの声だった。
「……どうぞ」
ドアが開く。 舞台の衣装から私服に着替えた彼女は、どこか張り詰めた表情をしていた。
「さっきの演技……すごかったです」
「ありがとう。でも、結城さんも――」
「違うんです」
僕の言葉を遮るように、彼女は一歩踏み込んできた。
「湊さん、“あの店”に行ったこと、ありますよね」
空気が、凍る。
「……何のこと?」
とぼける声が、自分でも驚くほど自然だった。 けれど、彼女の瞳は逸れない。
「港区の会員制バー。岩田プロデューサーがよく使ってる……あの店です」
心臓が、嫌な音を立てる。
(なんで……)
「……どうして、そんなことを?」
「私、見たことあるんです」
彼女の声は、小さく、でも確かに震えていた。
「裏口の方。スタッフ用の通路で……誰かが、運ばれていくのを」
――息が止まる。
「暗くて、顔はよく見えなかったけど……でも」
彼女は、ゆっくりと僕を見る。
「今日の湊さんの演技、あの時の空気に似てた」
全身の血が引いていく。
「……何が言いたいの?」
「……私、あの店、やめた理由……それなんです」
沈黙。重すぎる沈黙。
「怖くて。何が起きてるのか分からなくて。でも、見ちゃいけないものを見たって分かって」
彼女の指先が、ぎゅっとスカートを掴む。
「……でも、逃げたままでいいのか、ずっと分からなくて」
一歩、また一歩、近づいてくる。
「湊さんは……違いますよね」
その言葉は、問いじゃなかった。確信だった。
「逃げてない人の目、してるから」
――その瞬間。
ポケットの中のスマホが、震えた。
ビクッと体が跳ねる。 画面を確認する。
非通知。 でも、なぜか分かった。
(……来た)
恐る恐る、開く。
そこに表示されていたのは――
『いい舞台だったね』
指先が、凍る。 続けて、もう一行。
『次は、もっと壊してあげる』
「っ……!」
思わずスマホを落としそうになる。
「湊さん……?」
結城さんの声が遠い。視界が歪む。
(見てる……今も、どこかで……)
その時だった。
楽屋の廊下の奥。
――ギィ、と。
誰かが、ゆっくりと扉を閉める音がした。
その音だけが、いつまでも耳に残っていた。
扉の向こうに、誰がいたのか。
僕には、まだ分からなかった。
第一部 完
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
『スポットライトの容疑者』 第一部は、ここで一区切りとなります。
湊を取り巻く事件の真相。
結城美波が見た「あの店」で起きていたこと。
そして、湊に届いた謎のメッセージ。
果たして、すべてを仕組んでいるのは誰なのか――。
第二部では、物語がさらに大きく動き始めます。
続きは少しお時間をいただきますが、また湊たちの物語をお届けできる日を楽しみにしていただけたら嬉しいです。
ここまで一緒に物語を追ってくださって、本当にありがとうございました。
雨音美月




