第17話 剥き出しの言葉
稽古場の中心に並べられた、味気ない会議用の机とパイプ椅子。
その簡素な光景とは裏腹に、場内には火花が散るような緊張感が満ちていた。
今日は、全キャストが揃っての初の本読みだ。
僕は指定された席に座り、膝の上で台本を開く。ページをめくる音が、静まり返った部屋にやけに大きく響いた。
「よし、始めようか」
演出家の合図で、物語が動き出す。
椅子に深く腰掛けたまま、俳優たちが次々と声を放つ。
それは先ほどまでのにこやかな挨拶とは全く別の、鋭く研ぎ澄まされた表現のぶつかり合いだった。
「――お前はいつもそうだ。光の中にいて、汚れることを恐れている!」
準主役、高城大和さんの声が轟く。
その瞬間、彼の体格からくる威圧感は恐怖ではなく、圧倒的な熱量へと変わった。
台本を持つ指が震えるほどの声の圧力。
彼はただの若手俳優ではない。一言一言にキャラクターの魂を乗せ、本気で僕――主役を喰らいにきている。
「……汚れることなんて、とっくに慣れたよ」
僕は、低く、けれど芯の通った声で応戦した。
先ほどの恐怖を、そのまま役の孤独へと流し込む。
僕自身の内側にある泥のような感情を、誰にも気づかれないように演技というフィルターを通して吐き出していく。
「カイル……信じさせて。あなたの言葉が、嘘じゃないって」
ヒロイン役の結城美波さんが声を重ねる。
その透き通った声には、新人の初々しさを超えた、ゾッとするほどの説得力があった。
彼女がなぜこの役に抜擢されたのか、その答えが一つ、目の前に提示された気がした。
彼女もまた、この舞台にすべてを懸けている「怪物」の一人なのだ。
(……みんな、プロだ)
机を挟んで向かい合う彼らの瞳には、先ほどの温かな色は微塵もない。
そこにあるのは、互いの芝居を、感情を、一瞬の隙も逃さず受け止め、返し、高め合おうとする真剣勝負の眼差しだけだ。
「……っ」
台詞を吐き出すたび、自分の喉が熱くなるのを感じる。
僕を苦しめている悲しみや、誰かを疑ってしまう醜い心さえも、この場所ではすべてが表現という名の価値に変わっていく。
兄やファンのみんなが見ていない、この閉ざされた稽古場。
冷たいパイプ椅子に座り、文字を追うだけの作業のはずなのに。
僕たちは、剥き出しの言葉を武器に、誰よりも激しく戦っていた。
「ここまで。……いいじゃないか、みんな」
演出家の満足げな声で、数時間に及ぶ本読みが終了した。
ふと気づくと、僕は全身にびっしょりと汗をかいていた。
顔を上げると、隣にいた高城さんが「はぁーっ!」と大きく息を吐き出し、爽やかな笑顔を僕に向けてきた。
「湊さん、すごいです……。一気に引き込まれました」
「……僕のほうこそ。高城さんの熱に、圧倒されそうでした」
結城さんも、少し潤んだ瞳でこちらを見ている。
さっきまで感じていた「怪しい」「怖い」という感情が、プロ同士の敬意によって、少しずつ別の色に塗り替えられていく。
けれど。 その一方で、僕の冷徹な理性はまだ警鐘を鳴らしていた。
これほどまでに完璧に役になりきれる彼らなら。
もし、この中の誰かが犯人だとしたら。
その正体を隠して僕の隣で微笑むことなど、あまりにも容易いことではないだろうか。
「お疲れ様。湊くん、最高だったわよ」
佐伯さんがタオルを差し出してくれる。
僕はその手を受け取り、渇いた喉を潤す。
物語は動き出した。
真実を隠したまま、僕たちは最高の舞台を作るための共同生活へと足を踏み入れていく。




