第1話 一等星の残像
「――湊くん、スタンバイ! カウント、10、9……」
スタッフの鋭い声が、息の詰まるようなバックステージに響く。
鏡の中の自分と目が合った。
丁寧にセットされた柔らかな髪、潤んだ瞳。そして、どこまでも透き通る水色のステージ衣装。
数分前まで、プレッシャーで震える手で何度も水を飲んでいたことなんて、この「瀬名湊」という仮面を被ってしまえば、誰も気づかない。
「湊、緊張してる? 大丈夫、俺らがついてるからさ」
隣でリーダーの陽介が不敵に笑い、僕の肩を強く叩いた。
「……うん。行こう。僕たちの景色を、みんなに見せに」
ステージへと続く階段を駆け上がる。
その瞬間、視界は爆発的な光に飲み込まれた。
「きゃあああああああ!!」
鼓膜が震えるほどの、地鳴りのような歓声。
広大なアリーナを埋め尽くすのは、僕のメンバーカラーである――澄んだ、汚れひとつない水色のペンライトの海だ。
自分が夜空に浮かぶ一等星――スピカになったような錯覚に陥る。
『Spica-S』。結成して三年、僕たちは今、かつてない旋風の中にいた。 グループとしての人気はもちろん、僕個人への注目も急上昇している。
整った顔立ちと、触れればほどけてしまいそうなパフォーマンスは、いつしか「令和の王子様」なんて呼ばれるようになっていて、気づけば、どの雑誌にも自分の顔が載っている。
「――アリーナ! 今日は最後まで、僕たちの光を受け取ってね!」
歌うことが好きだ。 ダンスのステップを踏むたびに、家族のために必死で働いてきた日々の疲れが、汗と一緒に蒸発していく。
パートをいくつも掛け持ちして僕たちを育ててくれた母。
「湊は、俺の自慢の弟なんだ。絶対、有名になれよ」
自分の夢だった大学進学を諦め、一般職に就いて僕のボイトレ代を工面してくれた兄。二人を救いたくて飛び込んだ、この芸能界。
最初は生活のためだったはずなのに、いつの間にかここは僕にとってもかけがえのない居場所になっていた。
メンバーはただの同僚じゃない。切磋琢磨し、時には本気でぶつかり合う、血の繋がらない兄弟のような存在だ。
ファンは、僕という人間に価値を与えてくれる、守るべき愛しい存在だ。
愛している、と思う。この場所も、仲間も、僕を信じてくれる人たちも。
最後の曲が終わり、降り注ぐ銀テープの雨の中で、僕は深々と頭を下げた。 達成感と、心地よい疲労。
スマホを確認すると、案の定、兄からメールが届いていた。
『湊、アリーナ完走おめでとう。テレビで観てたぞ。お前は俺の誇りだ。……母さんも泣いて喜んでた。明日、家で祝杯あげような』
胸の奥が、じんわりと熱くなる。 僕が頑張る理由は、この一行に詰まっている。僕が瀬名湊でいる限り、家族は笑っていられる。
「湊くん、本当にお疲れ様。……ごめんなさい、休ませてあげたいんだけど」
楽屋の扉を開けたのは、チーフマネージャーの佐伯さんだった。 彼女は困り果てたような顔で、僕の衣装の乱れを整えながら声を落とした。
「……何かあったんですか?」
「今夜、顔を出さないと切るって言われてて……社長も押せってうるさいの」
彼女は僕の手を握り、申し訳なさそうに眉を下げた。
「お兄さんとの約束があるのも知ってる。でも私、あんな高圧的なプロデューサーに負けたくないの。……一分、挨拶するだけでいいから、私に付き合ってくれない?」
彼女はいつもそうだ。理不尽な上層部の要求から、いつも僕たちを守ろうと奔走してくれている。
「湊くんの才能を汚させない」――それが彼女の口癖だった。 家族を、そして『Spica-S』をさらに上のステージへ連れて行くためには、ここが踏ん張りどころなんだろう。
「……わかりました。佐伯さんがそこまで言ってくれるなら。行きましょう」
「ありがとう、湊くん。終わったらすぐ送るからね」
彼女の瞳は、いつも通り僕を想う優しさと、仕事への使命感に溢れていた。 僕をどん底から救い出し、ステージの光を教えてくれた恩人。
彼女が用意した黒塗りの車に乗り込む時、僕はまだ知らなかった。
車窓の外、幸せそうに帰路につくファンたちの持つ「水色」が、夜の闇に吸い込まれて消えていく。それが、僕が純粋な瀬名湊として、誰かを愛し、愛されることができた、最後になるとも知らずに。




