プロローグ
春。
それは出会いと別れの季節だ。夢見る若者が新しい場所で期待と不安を胸に秘めながら踏み出し、ある者は涙を堪えながら旅立って行く。
そして俺は――未来に希望し誇りを賭ける場所、競馬場に来ていた!
「差せえええええ!!」
周囲にいる男どもは、自分が賭けているであろう馬やジョッキーに声を荒げている。
「高橋! 何やってんだよ! 前空いてるだろー!」
春の陽気とは裏腹に、空気は殺気立っていた。いや、正確には殺気というより、全員が自分の財布の命運を他人に預けている時特有の、あの切実な熱気だ。
「……差せ……! 頼む……お前にかかってんだ……!」
俺もその輪の中にいた。
手には、しわくちゃになった馬券。ポケットの中身は軽い。心はもっとだ。違う、重い。いやもうよくわからない。人は追い詰められると、語彙まで馬の蹄で蹴り飛ばされるらしい。
最後の直線。
白い息を吐くように、馬たちが一斉に伸びる。観客席は総立ちだ。誰かが叫び、誰かが祈り、誰かがすでに死んだ目をしている。
「来い……来い……!」
俺の本命は、真ん中からじわじわ伸びてきた。
――いける。
そう思った瞬間、外から黒い影がするりと差し込んで、先頭をさらっていった。
「うそだろ……」
ゴール板を駆け抜けたあと、歓声は一瞬で悲鳴に変わった。
勝った者は天に向かって拳を突き上げ、負けた者は地面と同化した。俺はそのど真ん中で、ただ立ち尽くしていた。
財布を開く。
そこには、札がない。
あるのは、銅とアルミの金だけだった。
春風が吹き、優しく俺の頬を撫でていく。
そのやさしさが、なおさら残酷だった。
「……帰ろう」
駅のホームに向かう。切符を買う金も無いことに気がつくのは、駅に着いてからだった。
***
俺は二駅先の家に向かって歩く。
春の夕方はまだ冷たくて、コートの隙間から風が入り込むたびに、負けた実感がじわじわと骨に沁みた。
駅前の通りには部活帰りの学生や、買い物袋を提げた主婦、花束を抱えた誰かが行き交っている。みんなそれぞれ、ちゃんと明日のことを考えて歩いているように見えた。そういうのが、やけに眩しい。
(くそっ! なんでいつも最後はこうなんだよ!)
単勝1番人気だぞ!?
1番勝つから1番人気なんだろうが!
1番を名乗るな!
心の中で叫ぶ。叫んだところで、負け馬券は一枚も増えない。むしろ、胸の痛みだけが増えた。
はぁ……生活費も使っちまった……。
これからどうする?
友達に借りるか? いや、もう貸してくれる友達なんていねぇし、親なんてここんとこ最近連絡すらしてない。ほぼ勘当状態だ。
不意に腹が鳴る。
「腹減ったなぁ……」
家になんかあったっけ?
納豆あったな……。
いや、あった気がするだけかもしれない。俺の冷蔵庫は、希望と同じくらい曖昧だ。
そんなことを考えていると。
「おい、そこの敗残兵」
振り返るとそこには見知った顔があった。
「……加納」
大学に入学してからの腐れ縁だ。
人を見つけるのが妙に早くて、言葉の選び方がいちいち腹立つ男。
適当に生きてるやつ特有の絶妙に力の抜けた格好をしている。前に金を貸してくれと頼んだ事があるが絶対に貸してくれなかった。今も。今もだよな?
「また負けたんだろ?」
加納は俺を見透かすように言った。
「はぁ? なんで分かんだよ。勝ってるかもしれないだろ」
「勝ってる奴がそんな目しねぇよ」
ギクッ。
「おれをバカにしに来たのか?」
「そんなことする奴に見えるか? お前、卑屈すぎだろ」
「じゃあなんだよ? 金借りた覚えなんかねぇぞ。まさか……貸してくれんのか?」
「貸さねぇよ」
「じゃあ立ち去れ、俺は今虫の居処が悪いんだよ」
そう言って帰ろうとする俺を見て一言。
「飯、奢ってやるよ」
「行きます」
――我ながら見事な掌返しだった。
加納は肩をすくめて歩き出す。俺はその半歩後ろをついていく。負け犬にもプライドはあるが、空腹の前では大体負ける。
「で、どこ行くんだよ」
「いい店知ってる」
「その言い方、信用ならねぇな」
「安心しろ、お前の財布でも泣かない」
「もう泣いとるわ」
商店街に入ると、夕飯の匂いが一気に濃くなる。揚げ物、焼き魚、出汁。胃袋が現実を突きつけてきて、足取りが少し速くなった。
「ここ」
加納が指さしたのは古びた定食屋だった。暖簾がくたびれているのに、妙に人が入っている。こういう店は当たりか外れかの二択だが、もう引いた俺が外れを引くことはない。引きようがないとも言う。
「いらっしゃい」
店に入ると、湯気と一緒に人の声が迎えてきた。席に座ると、水が出てくる。その透明さがやけにありがたい。
「好きなの頼め」
「マジで?お前太っ腹だな」
「一番高いのはやめろよ、俺もあんま無いんだからな」
「じゃあ二番目」
「図々しさだけは一流だな」
結局、俺は生姜焼き定食を頼んだ。運ばれてきた皿から立ち上る湯気を見た瞬間、さっきまでの敗北が少しだけ遠くなった気がした。
一口食う。
――うまい。
「あぁ……生き返る……」
「大げさだな」
「お前、これを大げさって言える人生送ってんのかよ」
「少なくとも、生活費を馬に預ける人生ではねぇな」
「ぐっ……」
痛いところを突かれた。
だが、不思議とさっきほど腹は立たなかった。温かい飯と一緒に、さっきまでのトゲも少し溶けたらしい。
しばらく無言で食っていると、加納がぽつりと口を開いた。
「なあ」
「んだよ」
「いつまでやんだ、それ」
箸が一瞬止まる。
「……何がだよ」
「競馬」
店のざわめきが、少しだけ遠くなる。
答えは簡単なはずなのに、喉の奥で引っかかった。
「……わかんねぇよ」
正直に言った。
「当たるかもしれねぇし」
「当たらねぇかもしれねぇけどな」
「うるせぇ」
加納は笑わなかった。ただ、コップの水を一口飲んでから、静かに言った。
「別にやめろとは言わねぇよ」
「……」
「でもさ、全部賭けるなよ。負けたとき、こうやって誰かに飯奢らせるくらいの余白は残しとけ」
「……それ、説教か?」
「経験談だ」
意外だった。こいつがそんな顔でそんなことを言うなんて。
俺は少しだけ笑った。
「じゃあ今日は、その“余白”に救われたってことでいいか」
「そうだな。ありがたく思え」
「思ってるよ」
俺は一通り食べ終え、箸を置いて加納の前に向き直る。
「で、何がしたいんだ? お前が無償で飯を奢るとは思えない」
加納は一拍、ほんの少しだけ間を置いた。その間が妙に長く感じる。
「佐藤、お前大学最近来てないだろ」
周りの音が消えた気がした。
湯気も、皿の音も、隣の笑い声も、全部遠くなる。
「別にいいだろ……」
目を逸らして答える。
言葉は軽いのに、喉の奥がやけに重い。
「良くねぇよ。お前、来てた時も単位やばかったのに……このままだとマジで留年するぞ?」
「……加納には関係ないだろ」
少し強めに言った。
踏み込まれたくない場所に、土足で入られた気がしたからだ。
加納は、少しだけ眉をひそめた。
「関係ある」
「なんだよ…」
「お前が居ないと、大学つまんねぇんだよ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……は?」
「まさかあれ気にしてんのか? あの件。お前がやって無いのは俺が知って――」
「うるせぇよ!」
気づいたら声が出ていた。
店の中の視線が一斉にこっちを向く。だけど、そんなのどうでもよかった。
「……その話すんなって言っただろ」
拳を握る。
あの時のことを思い出すだけで、胃の奥が冷たくなる
「お前が知ってても意味ねぇんだよ……。お前もあれ見たんだろ? 誰がどう見たってやってると思う」
「思わねぇよ…」
「お前が思わなくても! 100見たら99人はやってるって思うんだよ!」
言い切った瞬間、胸の奥に溜まっていた何かが一気に崩れた気がした。
静まり返ったテーブルの上で加納は、もう何も言わなかった。
「……飯、ありがとう」
それだけ残して、俺は席を立った。
暖簾をくぐると、外の空気は少し冷えていた。
さっきまで温かかった腹の奥が、じわじわと現実に引き戻される。
歩き出す。
振り返らない。振り返ったら、何かが崩れる気がしたからだ。
思わねぇよ……
さっきの言葉が、やけにしつこく頭に残る。
足音だけが、やけに大きく響く。
夜の商店街は人もまばらで、シャッターの影が長く伸びている。
そのとき、後ろからドアの音が弾けた。
「佐藤!」
振り向かない。
でも、足は止まった。
「佐藤! お前は!」
加納の声が、やけに真っ直ぐ飛んでくる。
「馬鹿だし! クズだし! ギャンブル中毒だけど!」
「……」
「絶対に犯罪はおこさねぇ!」
胸の奥が、ぐっと詰まる。
「俺には分かるんだよ!」
――やめろよ。
そう思ったのに、声は出なかった。
俺は何も言わずに、また歩き出す。
一歩。
二歩。
足は前に出るのに、心は後ろに引っ張られているみたいだった。
「待ってるからな!」
その声に、思わず足が止まりそうになる。
「あの公園で!」
公園。
大学の帰り、よく二人で時間を潰してた場所。
何もないくせに、やたら居心地が良かった、あの場所。
俺は、立ち止まらなかった。
***
家に着く頃にはもう20時を回っていた。道中、何を考えていたのかは曖昧だ。ただ、足だけが勝手に帰路をなぞっていた。
街灯の下、見慣れたボロアパートが浮かび上がる。
壁はくすみ、ところどころ剥がれ、昼間に見ればただ古いだけの建物が、夜だと妙に生々しく見える。
俺の家だ。
誰に言うでもなく、心の中でそう呟く。
鉄骨の階段に足をかける。
ギィ、と鈍い音が鳴る。二段、三段と登るたびに、その音はやけに響いた。
二階。自分の部屋の前で足が止まる。
ドアに黒いマジックで書かれた文字。
『変態』
『クズ』
『死ね』
一瞬、何が書いてあるのか理解できなかった。
いや、理解はしているのに、頭がそれを受け入れるのを拒んでいた。
「……は」
乾いた声が漏れる。
誰がやったかなんて、考えるまでもなかった。
大学。
あの件。
サークルの奴ら。
野次馬。
全部が一本の線で繋がる。
「……はは」
笑ったつもりだった。
でも、喉の奥でひっかかって、うまく音にならない。
ドアに手をかける。
開ける気になれなくて、そのまま額を押し付けた。
怒りなのか、悔しさなのか、それとも別の何かか。
自分でもよく分からない感情が、胸の奥でぐちゃぐちゃに混ざっている。
ゆっくりとドアノブを回して部屋に入る。
部屋の中は暗かった。
電気をつける気にもなれずそのまま中に入り、ベッドに倒れ込んだ。
天井を見る。
薄汚れたシミが、妙にくっきり見える。
腹は満たされたはずなのに、何かが足りない。
「……はぁ」
息を吐き、俺はそのまま目を閉じた。
どこで間違えた?
いじめられてた高校時代?
大学デビューに失敗した入学当初?
それか……
あの日。
講義帰りで、やけに眠くて。
座席に座って、スマホを左手でだらっと持ったまま、うとうとしてた。
――で、気づいたら。
「やめてください!」
甲高い声。
周りの視線が一斉に俺に集まる。
自分の手の位置。
前に立っていた女性のスカートの下あたりに、スマホ。
「ち、違っ……」
咄嗟で言葉が出なかった。頭も。
「今、撮ってましたよね?」
「いや、違くて……その……」
弁解が、弁解にならなかった。
誰かがスマホを向けていた。
動画か、写真かは分からない。ただ、“切り取られた事実”だけが残るのは理解できた。
――そこからは、早かった。
SNS。
拡散。
特定。
大学でも噂は回った。
直接何かされたわけじゃない。でも、距離ができるあの感じ。視線の避け方。ひそひそ話。
決定打は、サークルだった。
言ったのは、あの子だった。
名前を呼ぶのもためらうくらい、当たり前みたいに隣にいた存在。
講義終わりにだらだら喋って、コンビニで適当な飯を買って、公園で食って。
別に付き合ってたわけじゃない。でも、そういう未来を、どこかで勝手に期待してた。
その子が、少しだけ顔を歪めて、ほんの一歩だけ距離を取って、言った。
「気色わる…」
たった一言。それだけだった。
責めるでもなく、怒るでもなく。
ただ、“関わりたくないもの”を見る目だった。
何かを失った実感って、もっとこう、ドラマみたいに来るもんだと思ってた。
泣くとか、叫ぶとか、世界が崩れるとか。
でも実際は違った。
ただ、すっと。
足元の床が消えるみたいに。
「あ、もういいや」
その日、俺は大学に行くのをやめた。
最初は一日。
次に三日。
気づいたら一週間。
スマホを開けば自分の名前。
知らない奴らの罵声。
断片的な動画。
切り取られた“証拠”。
説明する気も、戦う気も、起きなかった。
どうせ信じないだろ、って。
そこから俺はギャンブルにハマった。最初はパチンコだった。これの何が面白いんだよって思ってた。だが、三千円が、一万二千円になった時、俺はもう溺れてた。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
あの時、久しぶりに思った。
「あ、俺……まだ終わってないかも」
それが、間違いだった。
次の日も行った。
その次も。
勝ったり、負けたり。
でも、“勝った感覚”だけが、頭に残った。
負けは、“次で取り返せる”って思えた。
気づいたら、金額が増えていた。
気づいたら、生活費に手を出していた。
気づいたら、“それしかやってなかった”。
――で、今日だ。
財布の中身は空。
部屋のドアには落書き。
大学には行ってない。
全部、ちゃんと積み重ねた結果だ。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
天井を見上げる。
シミが、さっきより増えた気がした。
――そのとき。
ポケットの中で、スマホが震えた。
「……?」
のろのろと取り出す。
画面を見るとそこには加納の文字があった。
「まだ待ってるからな」
「お前はまだやり直せるんだよ」
短い文だった。
いつもの加納なら、もっと茶化すか、余計な一言をつけるはずなのに。
「……うるせぇよ」
呟いた声は、思ったより弱かった。
スマホを顔の上に乗せる。
重くもないのに、妙に圧がある。
やり直せる、か。
簡単に言うなよ。
こっちはもう、“やり直す前提”の場所に立ってないんだよ。
スタート地点がどこだったかすら、分かんなくなってんだ。
――でも。
「思わねぇよ…」
さっきの声が、また頭に浮かぶ。
あいつ、嘘つくタイプじゃない。
て言うかつけないタイプだ。器用じゃないから。
だから余計に、タチが悪い。
「……なんなんだよ」
寝返りを打つ。
視界が壁に変わる。
何もない壁。何もない、はずなのに。
ドアの向こうの文字が、焼き付いたみたいに頭に浮かぶ。
『変態』『クズ』『死ね』
「……っ」
歯を食いしばる。
違うって言えなかった自分が悪いのか?
タイミングが悪かった?
運が悪かった?
思考が駆け回る
ぐるぐる、ぐるぐる、同じところを回る。
でも――
その時、俺の何かがキレた。
「……っ、ああもう……!」
気づいた時には立ち上がっていた。
靴もちゃんと履かず、ドアを勢いよく開ける。
ギィン、と鉄の音が夜に響く。
階段を駆け下りる。
足がもつれそうになるのも構わず、ただ前に出る。
走る。
冷たい空気が肺に突き刺さる。
でも止まらない。
止まったら、またあの部屋に戻る気がしたから。
「はっ……はっ……!」
街灯が流れていく。
夜の道を、ただ一直線に。
頭の中はぐちゃぐちゃのままなのに、行き先だけははっきりしていた。
――あの公園。
息が切れる。
足が重い。
でも、止まれなかった。
俺は走った。走ったとしても、歩いたとしても結果は変わらないのに――それでも、走らずにはいられなかった。
息が焼ける。肺が痛い。足が重い。
でも、頭の中はそれ以上にうるさかった。
「なんで俺なんだよ」
「もういいだろ」
「俺はやってない」
「気色わる…」
ぐちゃぐちゃだ。
全部正しくて、全部間違ってる。
交差点が見えた。
信号は――赤。
でも、そんなの見えてなかった。
ただ、向こう側にある公園しか見えてなかった。
足を止めるっていう選択肢が、頭から消えてた。
その瞬間。
――クラクション。
「っ!?」
横から、白い光が突っ込んできた。
ドンッ、という衝撃。
体が浮く。
地面が遠ざかって、空が近づいて。
時間が、妙にゆっくりになる。
「あ……」
何も考えられなかった。
さっきまであんなにうるさかった頭の中が、嘘みたいに静かになる。
――ああ、これ。やばいな。
ぼんやりと、そんなことを思った。
次の瞬間、視界が反転して、背中から地面に叩きつけられる。
鈍い衝撃。
呼吸が、一瞬止まる。
「……っ、ぁ……」
声にならない音が漏れる。
遠くで誰かが叫んでる。
車のドアが開く音。駆け寄ってくる足音。
でも、全部遠い。
まるで水の中にいるみたいに、くぐもって聞こえる。視界の端で、街灯が揺れてる。
ああ……さっきまで、あそこ走ってたな。
ぼんやりと、そんなことを思う。
ポケットの中で、スマホがまた震えた気がした。
――待ってるからな。
加納の声が、頭の奥で響く。
「……ぁ……」
口が動く。
でも、言葉にならない。
――まだ、行ってねぇのに。
公園。
あの場所。
くだらない話して、時間潰して。
なんでもない時間だったはずなのに。
なんで、あんなに――
「……っ」
悔しい、って感情が、遅れて込み上げてきた。
今さらかよ、って自分で思う。
でも、それでも。
「……行く……って……」
かすれた声が、ほんの少しだけ漏れた。
誰にも届かないくらい、小さな声。
視界が、じわじわ暗くなっていく。
意識が遠のく中で、最後に浮かんだのは――
怒鳴ってる顔でも、笑ってる顔でもなくて。あいつが、静かに言ったあの顔だった。
「思わねぇよ」
――ああ。
そっかよ。
そこだけは、ちゃんと信じてくれてたのか。
だったら――
少しくらい、信じてみるか。
自分のことも。
ふっと、力が抜けた。
「待ってるからな」
送信ボタンを押したあと、加納はスマホを見つめたまま動かなかった。
既読はつかない。
「……くそっ」
小さく舌打ちして、ポケットに突っ込む。
公園のベンチに腰を下ろし、背もたれに体重を預けた。
夜の空気は少し冷えていて、さっきまでの店の温もりが嘘みたいに消えていく。
「あいつ来ねぇかな……」
ぽつりと漏れる。
街灯の光が、ブランコをぼんやり照らしている。
誰もいない公園は、やけに広く感じた。
帰るか?
一瞬そう思う。
でも、すぐに首を振った。
「いや……メールしたばっかだしな……」
スマホを取り出して時間を見る。
まだ数分しか経っていない。
「……10分くらい待つか」
誰に言うでもなく呟く。
自分に言い聞かせるみたいに。
静かだ。
風が木を揺らす音と、遠くの車の走行音だけが聞こえる。
――お前が居ないと、つまんねぇんだよ。
さっき言った言葉を思い出して、少しだけ顔をしかめる。
「我ながらキモいこと言ったな……」
苦笑する。
でも、嘘じゃない。
あいつが隣にいないだけで、大学の景色が妙に薄っぺらく見えるのは事実だった。
そのとき。
――キキーッ!!
鋭いブレーキ音が、夜を引き裂いた。
「!?」
顔を上げる。
続けて――
ドンッ!!という鈍い衝撃音だった。




