山と酔いと
姉弟から見送られ、馬車に揺られること数時間。
馬車は村から見えていた山の麓まで来ており、これから山を登り始めようというところである。
遠目で見ていた時から大きいなとは思っていたのだが、近付くにつれその存在感が強くなり、目の前に来ると驚くほど巨大な山に見えていた。
元々都会暮らしだったので山にはほとんど縁がなく、遠目で見た富士山くらいしか知らないけど、このサイズが一般的なんだろうか?
ガリスさんはそんなに大きくないと言っていたが、俺からしたらかなり大きく感じるのだが……
なだらかな曲線を描いている斜面を見るに、急勾配な坂を登らなければいけない、ということはなさそうだ。
但し、眼前に伸びている道に木の根が浮き出ているところが散見されるため、進む際に起こるであろう揺れには耐えるしかなさそうだが。
そうして考えを巡らせているうちに、馬車が山の表面に渦を巻くように走っている道――道と呼べるかは微妙なところだが――を進み始めた。
案の定と言った感じで、小刻みの振動が馬車を襲い始める。
以前乗った際にも感じていたことではあるけれども、馬車というのは乗り心地が決して良いとは言えない。
平地を走っている時でも、小石や道に出来た小さな溝などで、かなりの衝撃が伝わってくるのだ。
それが今は木の根の上やら飛び出た石の上を走っているのだから、襲ってくる振動も平地の比ではない。
お尻の下で緩衝材となり潰れている座布団が無かったら、早くも悲鳴を上げていたことだろう……もっとも、お尻の痛さの有無以上に酔いそうな状況なのだが。
まるで小々波のように押し寄せてくる酔いにどう対処しようか考えていると、背後からエレナを気遣うゼナの声が聞こえてきた。
どうやらこの揺れでエレナがダウンしかけているらしい。
元々良いとこ生まれの良いとこ育ちのお嬢様でもあるエレナにとって、今の状況はまさに地獄といった感じだろう。
御者台の座席に座っている俺が気持ち悪さを感じているのだから、荷台組はより一層酷い状態になっている筈だ。
小さいながらもしっかりと役割を果たしている座布団がなければ、今頃モザイク処理をしないといけない状況になっていたに違いない。
揺れによってグロッキー状態になっているエレナや俺とは対照的に、ゼナはほとんどダメージを受けていない様子である。
この揺れの中でも直前まで景色を見てはしゃぐ声が聞こえていたくらいで、今もエレナを気遣うだけの余裕を見せているくらいだ。
あの小さい体のどこからあれだけのバイタリティが生まれてくるのだろうか……
ちなみに隣にいるガリスさんも、揺れなんて存在しないかのように平然と操車している。
まぁ移動の度に酔っていたら行商人なんて出来ないだろうし、当然のことかもしれないが。
それからどれ程の時間が経っただろうか。山の山頂に辿り着いた頃には、俺もエレナも完全にダウンしてしまっていた。
二人の状態を見兼ねたのか、ガリスさんが休憩を提案をしてくれたため、その厚意に甘えることにする。
平坦な場所まで来ると馬車が停車して揺れから解放されたため、俺はすぐさま地面へと飛び降りた。
荷台に乗っていた二人も出てくるが、その表情はまるで正反対だ。
「揺れない地面……素晴らしいわね……」
「わぁ! 凄い景色!」
深呼吸しながら遠くの方へ視線を向けてそう呟くエレナの横では、ゼナが眼下に広がる景色を見てはしゃいでいる。
前者は疲れが溜まったような、後者は今にも駆け出しそうな表情。俺もきっとエレナと同じような顔をしているだろう。
……というか同じだけの時間揺られ続けたのに、何でゼナは疲れるどころか元気になってるのか。
「どうでしょう、少しは楽になりましたか?」
背後で様子を見守っていたガリスさんが近付いて尋ねてくる。
「あ、はい。だいぶ楽になりました。ありがとうございます――あの、すみません……こんな所で休むことになってしまって」
本来は護衛としての役目を果たさないといけないのに、逆にこうして気を遣ってもらい足を引っ張ってしまうとは。
そんな俺の謝罪を聞いたガリスさんは、笑みを浮かべながら首を振ってから口を開いた。
「気にしないでください、私も昔はそうでしたから」
「ガリスさんもですか?」
それは意外だ。先程までの様子を見ている限り、酔っているガリスさんは想像できないのだが。
驚いている俺を見て頷きを一つ返すと、彼は再び言葉を紡ぎだす。
「まだ父について行くだけだった頃なんて、今のユーキさん達以上に酷かったものです――流石に長年続けてきたので慣れましたけどね」
昔のことを思い出して懐かしんでいるのか、穏やかな表情で話し終えると少しだけ真面目な顔になる。
「何事も経験ですよ。ユーキさん、貴女はまだ若い。これから沢山のことを体験して、糧にしていけばいいんです。きっとこの経験も無駄にならないと思いますから」
そう言い終わると少し照れくさそうに頭を掻いて、なんてちょっと偉そうでしたねと笑うガリスさん。
確かに彼の言う通りだろう。最初から何でもできる人はいないし、経験を重ねてできることを増やしていけばいいんだ。
「そうですよね……色々経験して成長したいと思います」
それからお礼を言って会話が途切れると、吹き抜ける風が髪を揺らしていく。
酔いによるダメージもだいぶ抜けてきたことで余裕ができたことだし、少しは景色を楽しむのもいいかもしれない。
進んできた方角へ視線を向けると、遠くに城と建物の集まりが見える。あれがアルシールの街だろう。
かなり小さく見えることから、この山が街から遠く離れていることが伺える。
反対にこれから進む方角へ視線を移すと、アルシールがあるくらいの距離かそれ以上離れた場所に大きな街のようなものがあるのが見えた。
これから向かうセルキナという国はアルシールよりも大きいのではないだろうか。
確か交易が盛んな国って話だったし、やはり交易に力が入っていると栄えるのかな。
シミュレーションゲームなんかでも、交易は大事な要素だったし。
「大きな国よね。私は数回しか行ったことないけど、すごく賑やかな所なのよ」
「私はこんなに遠くまで来たの始めてだよー」
気がつくとエレナとゼナが隣に来ていた。
それにしても賑やかな場所かぁ……個人的には落ち着いた場所の方が好きなんだけど。
交易の国なら珍しいものとかもあるかもしれないし、そこは楽しみではあるんだけどね。
「そういえば、エレナの方はもう大丈夫?」
「これだけ休めばね。それにしても、あの揺れは厳しいわ……」
思い出したくないとばかりに話すエレナだが、以前行った時にはどうしてたんだろうか。
いくらメイヴィス家の馬車とはいえ、あの道じゃ振動を殺しきれないと思うのだが。
「てことは前もここに来たことあるの?」
「ないわよ?」
「え、じゃあどうやってセルキナに?」
ここ以外にも道があるんだろうか?
もしあって道がマシなら、帰りはそちらで移動したいところだ。
「馬車で港に行ってから、うちの船で移動したわ」
「あ、そうですか……」
残念ながら他の道じゃありませんでした。
というかうちの船って……やっぱりメイヴィス家は金持ちなんだなぁと再確認できる話だよね。
それはともかく。俺もエレナも復活したことだし、そろそろ出発した方がよさそうだ。
「さて、大丈夫そうだし行こうか――ガリスさんありがとうございました」
全員が馬車へと乗り込み、出発準備を整えて発車するというときに、甲高い悲鳴のような声と羽音が聞こえてきた。
「これは……! まさかハーピィ!?」
その声と羽音を聞いたガリスさんが、その正体と思われるものの名前を叫ぶ。
ハーピィって胴体が人間で手が羽になってるアレ?
漫画やイラストなんかだと結構可愛く描かれてたりする魔物だよね。
護衛の役割を果たすためと、純粋にハーピィを見たいという気持ちから御者台を飛び出した俺が見たものは、凶悪な顔をした半人半鳥の魔物の群れだった。





