第50話:黄金の王の肖像、重すぎる愛の鎖
新エリュシオン帝国の建国から、数年の月日が流れた。
かつての辺境の森は、黄金の魔力によって書き換えられた豊かな大地へと変貌し、帝都ルミナスは種族の壁を越えた共生と、絶え間ない豊穣の光に包まれている。
王宮の最上階、かつては孤独なログハウスのテラスであったその場所は、今や大陸全土を見渡す『白金の展望台』として、静かに風を受けていた。
夕暮れ時。茜色の空を背に、一人の青年が佇んでいた。
黄金の長髪をなびかせ、白銀の軍礼装を完璧に着こなした皇帝アレンである。
彼の首元には、もはや実体としての『白金の鎖』は存在しない。それは解呪の果てにアレンの魂そのものへと溶け込み、不可視の紋章として、彼の内側から眩い光を放ち続けていた。
「……ふぅ。……平和だ。……本当に、僕たちの国になったんだね」
アレン(人間姿)が静かに呟き、眼下に広がる黄金の都を見つめる。
家出少年として王城を追われ、呪いによってマスコットの姿に変えられたあの日。
孤独と恐怖に震えていた自分に、これほど多くの「執着」が降り注ぐ未来など、誰が予想しただろうか。
アレンが物思いに耽ることができたのは、わずか数秒のことだった。
「……ダメよ、アレン。……独りで黄昏に浸るなんて。……貴方の視線の先には、常に私が居座っていなければならないんだから」
背後から、藍色の魔導妃のローブを纏ったルナが音もなく近づき、アレンの腰に細い腕を回した。彼女の魔力供給は、今やアレンの生存活動の一部として完全に組み込まれている。ルナの指先がアレンの掌に触れるだけで、彼の体内には甘い藍色の痺れが走り、依存の悦びが脊髄を駆け抜けた。
「ルナ。……少しだけ、昔のことを思い出していたんだ。……僕を拾ってくれて、ありがとう」
「……お礼なんていらないわ。……代わりに、今夜も私の研究室で、朝まで魔力回路の同期に付き合ってもらうから。……逃がさないわよ、アレン」
ルナがアレンの首筋に顔を埋め、独占の印を深く刻み込むように吸い付く。
そこへ、次々と「所有者」たちが集まってきた。
「主殿! 誰が逃がすって!? 今夜はアタイの騎士としての『お座り』の特訓日だぜ!! 主殿を背中に乗せて、月の裏側まで走る規律なんだよ!!」
フェリスが黄金の雷を散らしながら、アレンの反対側の腕を抱きしめる。
「……あら。……野蛮な番犬さんは、外で吠えていればよろしいのに。……アレン様。……私の新しい鱗の感触、もうお忘れですか? ……今夜は深海の宮殿で、私の粘液に包まれて眠るお約束でしょう?」
ミーシャが、真珠のように輝く新しい肌でアレンの脚を締め上げ、リヴィアが角を光らせて水流の檻を形成する。
「お兄様ー!! シルフィ、お兄様の心臓の音が、他の女たちの匂いで乱れてるのを感じたよ! ……今すぐ、シルフィの心臓と繋ぎ直して、中からお掃除してあげるね!!」
シルフィが、自身の心臓から紡いだ赤い糸をアレンの胸元へと這わせ、狂気の笑みを浮かべて彼を押し倒さんとする。
「……ふふ。……皆様、相変わらず騒がしいですわね。……アレン坊や。……教育係の私を差し置いて、そんな不潔な女たちに魂を明け渡すなんて……。……さあ、私の膝の上へ。……王としての、そして『私の愛玩品』としての矜持を、一から躾け直してあげましょう」
エリザベートが、最高級の香水を漂わせながら、アレンの顎を掬い上げる。
「……アレン様。……動かないでください。……貴方のその表情。……今、この瞬間の『愛に困惑する肖像』こそが、私の作品の完成形。……一生、私の糸で縫い止めて、飾っておきたいわ……」
アリアが、目に見えない不可視の糸をアレンの全身に網羅させ、彼の自由を物理的に奪っていく。
「……神様。……救世主様。……ああ、今日も、なんと尊い受難の姿……。……さあ、アレン様。……その汚れた魂を、私の舌で……隈なく浄化して差し上げますわね」
クラリスが祭壇のようなクッションを広げ、アレンの足元で恍惚とした祈りを捧げ始める。
アレン(人間姿)は、八人の妃たちに四方八方から押し潰され、吸われ、縛られ、愛でられていた。
(……ああ。……やっぱり、一ミリも動けない。……皇帝になったはずなのに、一分一秒の自由さえ、彼女たちの『愛』という名の法に支配されている……)
だが、アレンはその不自由さの中に、かつて求めていた「自由」よりも遥かに温かく、重厚な充足感を感じていた。
自分を捨てた王国。自分を呪った過去。
それら全てを塗りつぶしたのは、彼女たちの「重すぎる愛」だった。
白金の鎖は、もはや呪いではない。
それは、世界で最も多くの乙女たちの情念を繋ぎ止める、最強の「絆」へと昇華したのだ。
「……みんな。……わかったよ。……僕は、どこへも行かない。……君たちの腕の中が、僕の『真の玉座』なんだから」
アレンが微笑み、自らの意志で魔力を逆流させた。
黄金の光がテラスを埋め尽くし、アレンの肉体が眩い輝きと共に凝縮されていく。
光が収まった瞬間。
皇帝の礼装の山の中から、ひょこりと顔を出したのは――。
かつてと変わらぬ、黄金の小さな毛玉。
もふもふの耳と、ふさふさの尻尾。つぶらな碧い瞳。
「きゅう……(幸せだよ)」
アレンがマスコットの姿で、甘えるように鳴いた。
「「「「「「「「ア、アレン様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」」」」」」
王宮全体を揺るがす、妃たちの、そして王宮を囲む三千のモンスター娘たちの、地響きのような歓喜の絶叫。
アレンはルナの腕に抱き上げられ、エリザベートに磨かれ、シルフィに縛られ、ミーシャに巻かれ、フェリスに温められ、リヴィアに冷やされ、クラリスに拝まれ、アリアに飾られる。
マスコットの姿に戻った彼は、もはや一寸の隙間もない「もふもふの蹂躙」に晒されながら、心地よい絶望の深淵へと沈んでいった。
テラスの向こう、黄金に染まる帝都の空。
そこには、アレンの紋章から伸びる無数の『白金の糸』が、帝国の全臣民と繋がっている幻想的な光景が広がっていた。
一人の少年を救うために始まった物語は、今や世界そのものを「愛の鎖」で繋ぎ止め、終わりのない豊穣の時代を築き上げたのである。
黄金の王アレン。
彼の受難は、永遠に終わらない。
昼は威厳ある皇帝として国を統べ、夜は愛らしい毛玉として妃たちに消費される。
それが、彼が選んだ、世界で最も甘く、最も過酷な「幸せの形」。
アレンは、自分を奪い合う乙女たちの熱い吐息と、首にかかる不可視の重圧を感じながら、静かに、そして幸せそうに目を閉じた。
――もふもふ王アレンと、愛が重すぎる乙女たちの建国戦記。




