第33話:聖なるブラッシングと禁忌の香水
『紫金の王宮』と化した元ログハウスの朝は、もはや平穏という言葉を辞書から抹消していた。
特に、黄金のマスコット――王子アレンの「朝の身支度」を巡る覇権争いは、日を追うごとに過激化し、今や一国の存亡を賭けた儀式のような重圧を放っている。
白大理石が敷き詰められた豪華な脱衣所。
アレンは、ルナ、エリザベート、クラリスという、この家における「三大派閥」の頂点に立つ女たちに囲まれ、まな板の上の鯉……もとい、祭壇の上の毛玉となっていた。
「……いい、みんな。アレンの毛並みは辺境の魔力環境に晒されて、微細な『歪み』が生じているわ。……私が調合したこの『藍色の魔力中和液』で、まずは細胞レベルで洗浄するのが先決よ」
ルナが不気味に泡立つ青い液体をボウルに入れ、杖でかき混ぜる。その瞳は徹夜の解析で血走っており、アレンを「自分好みの清潔な個体」に固定しようとする執念が透けて見える。
「あら、ルナ。……貴女のその掃除用洗剤のようなものでアレンを洗うなんて、言語道断ですわ。……王族たるもの、纏うべきは『記憶を支配する香り』。……これをお使いなさい」
エリザベートが取り出したのは、王都の禁忌書庫に封印されていたという、魔性の香水『王の虜囚』。一滴で城一つを狂わせると言われるその香水は、瓶の中から紫色の妖艶な煙を立ち昇らせていた。
「……お二人とも、お黙りなさい。……アレン様は神の化身。……必要なのは、教国秘蔵の『初雪の聖水』による浄化だけです。……さあ、アレン様、不浄な女たちの手垢を、私がその魂ごと、このブラシで掻き出して差し上げますわ」
クラリスが、白銀の針が植えられた狂信的な輝きを放つブラシを構える。
アレンは、三方向から迫る「愛(物理)」に、短い手足をバタつかせた。
『……あ、あの、みんな。……僕は昨日、ミーシャとクゥに三回も洗われたばかりなんだ。……これ以上何かを塗るのは、ちょっと……』
「「「問答無用です(わよ)!!」」」
三人の声が重なり、アレンの黄金の毛の上に、青い中和液、紫の香水、そして白銀の聖水が同時に降り注いだ。
――ジュワァァァァァァッ!!
アレンの背中から、異様な蒸気が立ち上る。
聖なる力と、魔性の香りと、理屈っぽい魔導液。相容れない三つの執着がアレンの毛一本一本の上で化学反応を起こし、黄金の毛並みが、見たこともない『極彩色』へと変質を始めた。
『……えっ。……なに、これ。……僕の体が、七色に光ってる!?』
アレンが鏡を見ると、そこには黄金のベースを保ちつつも、動くたびに虹色に明滅し、さらには周囲に「嗅いだ瞬間に腰が砕けるような甘い香り」と「跪きたくなるような神聖な余韻」を同時に撒き散らす、究極の『魔性聖獣』が完成していた。
「……ああ、なんて……なんて尊いのかしら。……アレン、貴方の輝きが、私の理性を焼き切ってしまうわ……」
ルナが頬を染め、ふらふらとアレンに歩み寄る。
「……ふふ。……素晴らしいわ。……これなら、世界中の誰が見ても、貴方が私の『お人形』であることが一目でわかるわね……」
エリザベートが、恍惚とした表情でアレンの首筋に鼻を寄せる。
「……神よ。……これこそが、真の受肉。……アレン様、貴方をこのまま、私の体温だけで蒸発させてしまいたい……!!」
クラリスが祭壇に頭を叩きつけ、血が出るほどの祈りを捧げ始めた。
そこへ、騒ぎを聞きつけた他の娘たちがなだれ込んできた。
「主殿! なんだこの匂い……アタイ、本能が……っ、あんたを食べろって叫んでやがる!!」
フェリスが銀色の耳を倒し、よだれを垂らしながらアレンに飛びかかる。
「……アレン様。……その輝き。……私だけの暗闇の中に、閉じ込めておきたい……」
ミーシャの尾が、発光するアレンを抱き込み、自分の体温でその光を遮ろうとする。
「アレン様ぁ! 眩しすぎて目が潰れそうだけど、離れたくないですぅ!」
「アレン様、そのお体に合わせた、新作の『黄金の絹衣』を持ってきました! さあ、さらに着飾らせてください!」
ピーがアレンを羽毛で包み、アリアが虹色に光るアレンの体に合わせて、さらに魔力を増幅させるドレスを無理やり着せていく。クゥは「このお姿に相応しい、魂を蕩けさせるフルコースを!」と厨房へ走り、スイはお風呂場の温泉をアレンの放つ光に合わせて『黄金の煮凝り』に変えようと蠢く。
『……だめだ。……みんなの愛が、物理的に重い……っ!!』
アレンは、数百人のモンスター娘たちに揉みくちゃにされ、撫でられ、嗅がれ、貪られる、地獄のパラダイスに陥落した。
彼の歩く後には、黄金の蝶が魔力から自然発生し、触れる草花は瞬時に開花して枯れるという、異常なまでの「生命の過負荷」が起きている。
日常回という名の、限界突破したデレの暴走。
アレンは、自分の意思とは関係なく、彼女たちの欲望を増幅させる『発電機』のように扱われていた。
深夜。
ようやく嵐が去り、アレンはテラスの椅子にぐったりと沈み込んでいた。
体はまだ微かに虹色に明滅しており、クッションにはエリザベートの香水とクラリスの聖水が混ざった、取り返しのつかない「愛の痕跡」が染み付いている。
(……僕は、自由になるために城を出たはずなのに。……どうして、毎日毎日、誰かの手の中で磨き上げられているんだろう)
首の『白金の鎖』は、今日一日の情念を吸い込んで、これまでにないほど重厚な鐘の音を鳴らしている。
そこへ、一人の女性が音もなく近づいてきた。
蒼い鱗を月光に光らせる、海竜娘のリヴィアだ。
彼女は昼間の喧騒には加わらず、ただ遠くからアレンを観察していた。
「……アレン様。……陸の女たちの愛は、あまりに騒がしすぎて、貴方の魂をすり減らしていますね」
『……リヴィア。……君も、僕を洗いに来たのかい?』
「……いいえ。……私は、貴方を『静寂』へ連れて行きたいだけ。……この虹色の輝きも、不潔な香水も。……私の深い海の底なら、全て優しく洗い流して差し上げられますわ」
リヴィアがアレンの頬を、冷たい指先でなぞる。
彼女の瞳には、他の誰とも違う、深淵のような「孤独」と「渇望」が宿っていた。
「……明日、私の海へ参りましょう。……誰の声も届かない、水族たちの祈りだけが満ちる場所。……そこで、貴方を私の本当の『神』にして差し上げます」
リヴィアの言葉と共に、アレンの首の鎖が、海鳴りのような音を立てて共鳴した。
日常の終わり。
そして、各ヒロインの深淵へと足を踏み入れる、ピックアップ編の幕が上がろうとしていた。
(……静かな場所なら、いいかもしれない。……でも、リヴィアの目。……あれは、僕を一生海から出さないつもりだよね……?)
アレンは、七色に光る自分の肉球を見つめ、新しい「重すぎる愛」の予感に、小さく震えるしかなかった。




