第20話:地獄の温泉修羅場
白濁した湯気が立ち込める岩風呂は、一瞬にして凍り付くような静寂に支配された。
温泉の熱気ではない。エリザベートが放つ、臓腑を直接掴まれるような「支配」の重圧。そしてシルフィが撒き散らす、理性を削り取る「殺意」の細波。
湯船の中では、人間姿のアレンを、ルナ、フェリス、ミーシャ、ピー、クゥ、アリア、スイが、全裸に近い無防備な姿で囲んでいた。
「……あら。……ふふ、ふふふ。……あまりに滑稽で、言葉も出ないわね」
エリザベートが扇子を口元に当て、低く笑った。その紫の瞳は笑っておらず、アレンの逞しくなった肩や、彼に密着している女たちの肌を、一寸の狂いもなく検分している。
「アレン坊や。……私の膝の上で震えていた可愛い雛鳥が、辺境の泥水でこれほどまでに『汚れて』しまうなんて。……教育係としての私の責任ね。……一から、いえ、零から躾け直してあげなければ」
彼女の背後に、巨大な紫色の魔法陣が展開される。そこから溢れ出す魔力は、温泉の湯を瞬時に沸騰させ、周囲の岩を赤く融解させ始めた。
「お姉様……。もう、お話はいいよ。……シルフィ、我慢できないもん」
シルフィが、巨大な鎌を肩に担ぎ直し、一歩前へ出た。彼女の赤い瞳からは、一筋の血のような涙が流れている。あまりの怒りと嫉妬に、魔力が逆流しているのだ。
「お兄様に触ったその手。……お兄様を抱いたその尻尾。……お兄様に淫らな目を向けたその瞳。……全部、シルフィが今ここで、細かく刻んであげる。……お兄様の周りには、シルフィ以外の『ゴミ』はいらないんだもん!!」
――キィィィィィィン!!
シルフィが放った無数の「赤い糸」が、レーザーのように温泉場を縦横無尽に走り抜けた。
「――させないわッ!!」
ルナが叫び、湯船から飛び出しながら杖を振るった。藍色の魔力障壁が展開され、糸の猛攻をギリギリで弾き飛ばす。濡れた肌に藍色のローブを羽織っただけのルナの姿は、必死さと羞恥、そして「負けられない」という意地で輝いていた。
「エリザベート様、シルフィ様! アレンは……アレンはもう、貴女たちの『おもちゃ』じゃないわ! この領地の、私たちの、大切な家族なのよ!」
「家族? ……ふふ、笑わせないで。……ただの『餌』の分際で、飼い主に牙を剥くつもりかしら?」
エリザベートの指先から放たれた紫の魔弾が、ルナの障壁を紙細工のように粉砕した。
「くっ……!? 魔力の格が違いすぎる……!」
「どけ、眼鏡! ――主殿は、アタイが守るぜ!!」
フェリスが黄金の雷を纏い、全裸のままアレンを背中に庇って跳躍した。彼女の銀色の耳は怒りで逆立ち、尻尾からは激しい放電が起きている。
「主殿を連れて行きたきゃ、アタイを殺してからにしな! アタイは主殿の『騎士』だ! あんたたちの腐った愛なんかに、主殿は渡さねぇ!!」
「……騎士? ……ただの『野良犬』が、よく吠えるわね。……シルフィ、その犬の首を落としなさい」
「うん、お姉様。……死んじゃえ、ワンちゃん!!」
シルフィの鎌が、赤い閃光となってフェリスを襲う。
キンッ!! ギンッ!!
フェリスの雷刀と、シルフィの鎌が激突する。火花が散り、衝撃波で温泉の湯が空高く舞い上がった。
「……アレン様。……ここは、私たちが。……貴方様は、早く奥へ……!」
ミーシャが、白い肌をさらけ出したまま、アレンの腰に尾を巻き付けて彼を後方へと逃がそうとする。ピーは翼を広げて空からの攻撃を警戒し、クゥはアレンのために「逃走用のマント」を差し出した。
『……みんな、やめるんだ! 僕のために、これ以上……!』
アレンの声は、暴力的な愛の衝突にかき消される。
エリザベートは、アレンを守ろうとするモンスター娘たちの連携を見て、その美貌を醜く歪ませた。
「……気に食わないわ。……私の知らない絆、私の知らない表情。……アレン、貴方のその記憶、全部私の魔力で焼き切ってあげる。……貴方の脳裏に刻まれるのは、私の名前だけでいいのよ」
エリザベートが両手を広げた。
「――【紫鎖の監獄】!!」
温泉場全体を、巨大な紫の鎖が網の目のように覆い尽くした。
それは物理的な拘束ではない。触れた者の「意志」を奪い、強制的に跪かせる絶望の術式。
「ああ……っ!? 体が、動かない……!」
ピーが翼を畳んで落下し、クゥとアリアも地面に膝をつく。
「……っ、主殿……! 畜生、アタイの雷が……吸われる……っ!」
フェリスも、鎖の重圧に抗えず、震える膝でアレンを支えるのが精一杯の状態。
圧倒的だった。
辺境で最強クラスにまで進化したモンスター娘たちを、エリザベートはたった一つの魔術で無力化したのだ。
エリザベートは、動けなくなった娘たちの間を、優雅に、そして残酷に歩いてアレンへと近づく。
「さあ、アレン。……汚れを落としてあげましょう。……その首にある『野蛮な紋章』も、その首輪も、全部私が上書きしてあげる。……貴方は、再び私の可愛い……『マスコット』に戻るのよ」
エリザベートの白い指が、アレンの頬に触れようとした。
『――触るな。』
低い、地の底から響くような声。
アレンの首の鎖が、見たこともないほどの暗赤色に輝いた。
「……え?」
エリザベートの手が、アレンから放たれた黄金の魔力によって弾かれた。
アレンは、膝をつく仲間たちを見つめた。
自分を愛し、守り、共に笑ってくれた彼女たち。
彼女たちの献身が、今の自分を支えている。
それを「ゴミ」と呼び、蹂躙するかつての身内を、アレンは許せなかった。
『……エリザベート義姉様。……シルフィ。……僕は、君たちに従わない。……僕は、僕の仲間の、僕の領地の『王』だ!!』
ドォォォォォォン!!
アレンを中心に、黄金の魔力爆発が起きた。
エリザベートの紫の鎖を、内側から粉々に砕き散らす。
過剰な魔力消費により、アレンの人間姿が再び揺らぎ始める。
黄金の光に包まれながら、彼は再び、小さなマスコットへと戻っていく。
だが、その姿は以前とは違っていた。
首の鎖は、エリザベートの「紫」とシルフィの「赤」が複雑に混ざり合い、アレンの意思に従って『黄金の刃』を纏っていた。
『みんな! 立て! 僕の魔力を……鎖を共有するんだ!』
アレンが呪鎖を全方位へ放ち、仲間たちの首筋へと繋いだ。
――【呪鎖・全権共有】。
「……ああ。……力が、戻ってくる……!」
ルナが立ち上がり、藍色の魔力が黄金に染まる。
「主殿……! へへ、最高の気分だぜ! 鎖で繋がれるのが、こんなに心強いなんてな!」
フェリスが吠え、その雷が黄金の閃光へと進化する。
アレン(マスコット)を核にして、ルナ、ミーシャ、フェリスたちが円陣を組む。
「……あら。……私の鎖を、私に対抗するために使うなんて。……生意気なことをしてくれるわね、アレン坊や」
「お兄様……。やっぱり、お兄様の周りには、悪い虫がいっぱい。……全部、焼き殺してからじゃないと、お話できないね」
エリザベートとシルフィも、本気の戦闘体勢に入った。
温泉の湯気は、もはや殺気によって消し飛んでいた。
王城の狂気 VS 辺境の絆。
アレンという名の「愛の偶像」を巡る、直接対決の火蓋が切って落とされた。




