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終章 「星ノ生徒 前篇」


 車上の客となって二時間近くの時間が過ぎた様に思えた。態々(わざわざ)時計で計ったわけではなく、それは体感であった。


 正午の差し迫った午前に「研矛台(けんむだい)」こと国軍省を出て、車窓が官庁街から西に繁華街を抜け、そして家屋や商店の並ぶ通りを走って抜ける。そこまでは滑る様に時は過ぎた。

 更にその先。云わば郊外に車は入った。そこからまた更に――現在(いま)となっては郊外と言い切るのも(はばか)られる位の山々の寂しさと(みどり)が、迫り来る有事に備え、殺伐とし始めた職場に馴れた目にはやけに易しい。


 山嶺を正面に捉えて延びる一本道を走る間、哨所を二つ抜けた。

 二台の側車(サイドカー)に誘導された官用高級車が、塀を越える様に門を潜る。見張り台の他、直立する数本の通信塔と通信線、そして送電線以外、塀越しには何も見えなかった。決して高くはない塀である筈なのに――疑念は警備兵の誰何を経て構内に入った瞬間に、車上の客であった少将 関原 信雄の脳裏で氷解した。


「広いな……」

 周囲に何も無い。言い換えれば周囲を遮る何物も見えないことをも含めて、広いと信雄は呟いた。寂寥に対する純粋な驚愕であった。

 まずは仮設の飛行場が見える。人力ではなく陸軍工兵部隊の保有する大型機械で、念入りに整地したとはっきりわかる程に平坦で、空虚に(なら)された一角で、格子状の仮設鋼板を敷く作業が始まっていた。未完成だが一両日中には試験運用が始まるだろう。その傍らでは軽便輸送用の小型飛行船がその鵬翼を休めている。横天戸近傍の工業地帯で調達された建設資材を、それは直接運んで来たのかもしれない……で、なければこのように迅速な造営は成らないであろう。陸路で大量の資材を運ぶには道は貧弱で、そして残された時間は少な過ぎる。


 そこから、公用車の車体は揺れを増した。

 建設車両の(わだち)に醜く踏み荒らされた痕も生々しい即製の交通路を、警備車両の誘導を受けて高級車は走る。普通車両に比べて高性能である筈の懸架装置(サスペンション)が、車内に不快な動揺を運んで来た。

 姿勢を保つべく両足で踏ん張りつつ、反射的に関原の横目が動く。隣席――軍刀を握りつつ目を瞑る帝國機導神軍団総監 中将 朝霧 朱乃の横顔と(からだ)は、帝都の中枢を出立した時から変わらないのではないかと思える程、塑像(そぞう)の如くに微動だにしていない……その間、道端に配された警備兵の捧げ筒を受けつつ、車列は二階建て、コンクリート地肌も殺風景な建物の前に滑り込む。



 その朝霧 朱乃に誘われる――否、強いられる形で、関原 信雄はその視察に同行している。


 警備兵の手により分厚いドアが開けられた途端、乾いた冷たい風が吹き込んできて関原の頬を打った。帝都では未だ感じられなかった寒風が、この山間部ではすでに我が物顔で渦巻いて侵入者を待っている。外套(コート)を持参するべきであった。車の反対側、朱乃の動向を意識した関原が反射的に視線を動かした先、彼女はと言えば寒風の只中に在っても眉ひとつ動かすことも無く、玄関から進み出た工兵指揮官と警備指揮官両名の敬礼を無表情で受けていた。


「構内及び飛行場造営に係る工程進捗の捗々(はかばか)しからざること、弁解の仕様も御座いません!」

「本部施設の造営優先は本職の命令である。気に病むことは無い。それで――」

 「――本部の方はどうか?」と、眼を厳めしくして朱乃は聞いた。射竦められつつも、工兵指揮官の少佐は胸を張って応えた。「内部施工に関しては最善を尽くしております。ご指示通り来週には本格稼働の見通しが立っております」

「ならば善し」

 素気ない――或いは捨てるように朱乃は言い、それは出迎えに出た高級士官ふたりを明らかに鼻白ませた。さり気無く朱乃の傍に付きつつ、関原と警備指揮官の中佐の目が合った。


「……」

「……!」

 一瞬ではあるが、二人同時に驚く。総軍士官学校の同窓であった。

 方や参謀徽章持ちの少将、方や無印の歩兵中佐、中佐が幼年学校出身者では無い事、関原の昇進速度が幼年学校の同期と比しても速きに過ぎることを差し引いても、その一瞬は関原にとっては衝撃を受けるに値した。恐らくは警備隊長の中佐からしても、そうであった筈だ。そして大神和帝國軍に於いては、士官学校出身者の大半が、少佐か中佐でその軍人としての職歴(キャリア)を終える……


 関原が彼の消息を聞いたのは三年前、少佐の階級で唐支大陸に赴任(わた)り、友邦 北州公国軍にて歩兵学校の教官職に就いたと関知していた。本土に戻っていたのまでは関知(しら)なかった。工兵少佐と彼の部下が屋内を先導し、当の中佐は敬礼して関原たちを見送る。此処はその所在と用途を軍機に守られた施設だ。外で警備任務を掌る者が、未だ必要であった。


 踏み入った屋内には、未だ何もない。

 階段を昇った先、二階にもまだ何も置かれていないであろう。或いはこの先ずっとこの建物の一階と二階は、何者も詰めず何物も置かれない、云わば空虚にその佇まいを預けることになるのかもしれぬ。全周に嵌められたガラス窓に、例外無く(こめのじ)状に貼られた飛散防止テープが、紋様と見紛うばかりに目に入る。それを見上げ、見回しつつ、関原は促されるがまま階段を地階へと降りる。


 降り立った先は、トンネルであった。

 コンクリート地肌の天井に嵌められた電灯が煌々(こうこう)と光り、そして耳に何かが震える様な鈍い音が届く。空調設備の音だと気付く。それも、有毒瓦斯(ガス)の浸透に備えた、要塞に置かれるような大掛かりな装置だ。前方、鉄製の両開きの扉。それが衛兵の手により開けられた――




「――っ!」

 眼前に広がった光景に、朝霧 朱乃と関原 信雄は、共に感嘆の溜息を洩らした。


 その奥行きは、事前に聞かされていた以上に広く思われた。

 芝居小屋の舞台を思わせる中央正面に嵌められた地図盤。それも巨大な地図盤が踏み入った者の目線いっぱいに入る。それも帝都関京も含む関央州から、その北東たる裏邑と陸嶺、翻って南西の海南から洛央の各州までを包含して地図盤は広がる。桟敷席(さじきせき)を思わせる高みに置かれた指揮所から臨んだそれは、ただ一言壮観に尽きた。

 これでは芝居小屋と言うより、西界の歌劇場(オペラハウス)だ――抑制気味の照明が、広範なる地下空間の秘める底知れ無さを、視察者たちを前に一層に際立たせている。


 それまで指揮卓の周囲に在って符号を動かしていた参謀たちが、踏み入った朱乃と関原両名を目の当たりにし、一斉に不動の姿勢を取り低頭した。朱乃に倣って答礼しつつその中央、最も大きな席が、地図盤を向いたまま動かないことに関原は気付く。普段その様な無作法を許さない朱乃はと言えば、無言のまま席に歩み寄る。配置に戻りつつも、参謀たちの投げ掛ける興味と警戒の視線が、朱乃に続く関原の背にちくちくと刺さる。


「――あの夏秋 樹は第三次侵寇よりも前からこの様な指揮所を構想していたそうな。朱乃、彼の天才を見抜けなかった(けい)の父の駿才にも、一片の曇りが在った様であるな」

「しかし蕃神の撃退は叶いました」

「……」

 分厚い背凭れの向こうで、女が微笑する気配が漏れた。相手の正体を悟った関原は鼻白み、朱乃は柳眉を僅かだが、険しくした。


「席をお開けください殿下。御戯れも大概になさいます様」

「昨夜、宮城に参内し皇主陛下並びに摂政宮殿下に直訴申し上げた」

「……」

「これより帝都防空総司令官は、参謀次長たる我の兼任だ」

 席が(めぐ)り、姿を見せた総軍中将 華翠宮 鈴子の軍服姿を関原は目を険しくして、朱乃はと言えば表情を消して迎えた。身分差の上に年甲斐も無く誇った様な顔が、元が端正なだけに武官らしからぬ稚気すら漂わせている――関原からすれば、そう映った。


「務まりますか? 機導神を知らぬ殿下(あなた)に」

 呆れた様に、あるいは諭す様に朱乃は言った。怒気は見えなかった。

「手伝ってくれぬのか?」

 内親王の口調に、軽い驚きが響いて聞こえた。朱乃の口調にも表情にも、なお怒りは見えない。それが坐したままの内親王 鈴子には奇異に思えた様に、関原には感じられた。そして不機嫌な沈黙――学友に呆れられていると気付いた直後、悪びれたりもせず、身分も立場も忘れて拗ねる女がひとり、そこに(あら)われた。恐らく殿下(かのじょ)は旧くからただ一人の学友に対しこの調子なのだろう。「依存」――その単語が信雄の脳裏を過る。


「信雄がおりますれば」

 言い、朱乃は横目で関原を顧みた。過日、参謀総長経由で朱乃は帝都防空総司令官の兼任を、関原は参謀長職就任を内示されている。今回の指揮所視察はそれを受けての準備であった筈だ。

「そうか、信雄がおったな」

 朱乃越しに、鈴子(れいこ)と関原の目が合った。内親王の眦が満足げに緩むのを察し、関原は慌てて目を逸らす。

「第二次、第三次二度の蕃神侵寇より、軍才を振い神州を守護(まも)り切った立役者たる関原 信雄が……のう」

「それは朝霧閣下と……圭乃どのに帰するべき功かと小官は愚考いたします」

 「圭乃どの」に意思を籠め、関原は言い切った。


「何にせよ、機導神の扱いを心得た者が我が傍にいるのは有難い。そこに信雄」

「はっ……!」

「この度は朱乃と我の間にも入ってもらわねばならぬ。気苦労多き任になるとは思うが、卿には引き続き参謀長の職務を恃まれてもらうぞ?」

「心得ました!」

 背を糺して答える。何時しか朱乃が、鷹の様な視線を流し関原を見ているのに気付く。

 宮中に防空総司令官職たるを直訴し横取りしたのはこの内親王で、彼女は地位的にもそれを為し得る立場に在る。だが、一連の交代劇の裏で暗躍(うご)いた者――言い換えれば、内親王鈴子に直訴を志操した者の存在を、即座に探られて感取られた様に当の関原には思われた。


「……」

 朱乃の視線が、張り付いたように離れないのを自覚する。

 背筋が寒くなる――始まりかけた不毛な三竦みが、ブザーと巨大な地図盤から発する光の点滅により妨げられたのは、そのときであった。



『――横天戸より発進せる機導神五機、南関州沖上空「はしご4」にて展開、旋回待機中』

 女性の声でアナウンスが聞こえる。地図盤の一角、軍港横天戸の面する海上を照らすランプが黄色く光る。地図盤の側面に並んで配された表示板、神和各地の機導神部隊基地の名を冠し並ぶ多数のひとつもまた「横天戸 5 南関州沖 4000 旋回待機」と灯り表示する。

 翻って指揮所から臨む下方、拡がった指揮卓の周りにイヤホンを被った女性兵が立ち、地図上で機導神を表す人型の軍隊符号を動かしているのが見える。指揮所の下層に詰める要撃管制官の指示であった。それが終わるや、地図盤のランプが黄から青に転じた。


『――横天戸隊より報告。空域トー10に敵影無し』

 機導神が展開した空域に敵はいないと、司令部に詰める誰の目にも判る。ランプの青い灯がそのことを一目で示していた。告知(アナウンス)されるまでもない。


「電探は、順調(うま)稼働(うご)いているようであるな」と、鈴子内親王が言った。

「あの位置ですと烏賊岬(いかみさき)の『タチ4改』でしょうか」と、朱乃が応える。

「『タキ11』は、間に合いそうにないか?」内親王がまた聞いた。

「先行量産型の配備は来月初旬(あたま)を予定しております。『祀號(しごう)』が御嫌いなのは相変わらずの様ですね」


「神頼みというのは好かん。あの神祇院がまた出張って来るのではな……」

 内親王が煩わし気に、或いは寂しげに地図盤に目を細める。その広範な盤上に、主要都市と軍民の重要施設の他、索敵用電波探知機の所在もまた記されている。有事になれば、その上に機導神用の急造飛行場と対空陣地もまた描き足されることになるだろう……

「神祇院を抑え、電波装備開発に多額の予算を割いてきた甲斐があるというものだ。ここ十年で帝國の空の護りは、見違えるほどに盤石となった。これも――」

 一瞬黙り、そして続ける。

「――『樹情報』の恩恵と言うべきであろうな」

「……」

 朱乃と関原、ふたりの性格の違う眼差しが鈴子内親王ひとりに向かった。椅子が再た、ふたりの前に廻って向き直る。問う様な微笑を浮かべつつ、内親王は朝霧 朱乃を見上げた。「朱乃、近う」請われるがまま朱乃が寄る。その朱乃の腕を、内親王の手套に覆われた手が延びて掴む。


「朱乃……実は過日、我は卿の甥と会った」

「……」朱乃は何も言わない。その背後で目を逸らす関原を、内親王は軽く嘲笑(わら)った。

「我に()れ。傍に置きたい」

「さて、どの甥でございましょうや」

「異母姉の子は、甥とは言わなんだか?」

「何処で会いましたか?」惚けている、と言い切るには朱乃の口調が硬すぎた。

黒鵜坂(くろうざか)である。信雄が連れておった」

「……」

 俯く顔に、冷たい視線が振り返り様に注ぐのを関原は感じた。再びの戦慄――冷や汗が滲むのすら体感する。こういう揉め事が予見できたから朱乃に同行はしたくなかった……というより、内親王が司令部にいること自体が誤算であった。昔、結婚していた時もそうだったが、女の考えること、為すことは全く先見(よめ)ない。


「気になって調べたのだ。機導神科の生徒と聞いた」

「……ではご無理だとお判りになる筈です」

搭乗()る機導神は、母御と同じく爾麒か?」

「殿下も御意地が悪い」

「あの夏秋 樹と軍神の子に、興味を持たぬ程我は世情に無関心というわけではないぞ?」

「では爾麒の戦略的な価値もご理解頂ける筈です。あれが誰の子かということなど、帝國にとり些末な事。機導神軍団(われら)は――」

 鈴子に向かう朱乃の眦が、涼しくも険しい光を増した。

「――可動(うご)く爾麒にこそ価値を見出しております」

「お主の血縁なるぞ? 相変わらずつれないなあ……朱乃は」

 気圧されつつも、虚勢(つよが)っている。そこに僅かではあるが困惑もまた内親王の胸中を占め始めている――関原にはそう察せられた。


「それで……あの子はいま、何処におるのだ?」




 帝都の中央からやや東、銀天の華やかな喧噪を無視する様になって、今ではどれ程の刻が過ぎたのかもうわからない。

 西界の物質主義と享楽主義に塗れた街、そして大神和州(おおかなしま)の恥部――総軍幼年学校に入る前、幼き時分より閑清院 允且(まさかつ)が師事した国史学者は、允且少年に銀天を指してそう教えた。その一方で当時、帝國第一高等学校生徒であった兄 允禎(まさよし)に連れられて西界の文物に触れ、飲食を楽しんだ銀天の記憶もまた、允且の脳裏には同居していた……実のところそちらの方は、彼が華族子弟専用校たる学華院中等科在学中に総軍幼年学校に入校し、帝國の模範たる華族生徒として、軍国神和の尖兵たる自覚が芽生える様になってから、希薄の一途を辿っていた。


 高級車が銀天の大通りを過ぎる。その後席に在って、硝子(ガラス)戸一枚を隔てた向こう側の享楽に、自ずと目が険しくなる。幼き時分に目にし、その煌びやかさに惹かれた洋装の女子は、帝國軍人たる自覚の芽生えた現在の自分にとり、相容れ難い堕落の象徴に移る。その自覚の生まれた瞬間から、銀天(このまち)に対する自分の態度は定まった様に、允且には思える。


「……!」

 あいつが――同じく受け入れ難い記憶が蘇り、愛刀「梓貫(あずさぬき)」の白鞘を握る手に自ずと力が籠った。

 「殉國社」と区が同じで、距離も徒歩での移動が容易に叶う位に近いが故に、允且と彼と志を同じくする幼年学校生徒の為す「週末殉国行進」において、銀天は格好の示威の場となった。「軍國神和」の体現者として真新しい軍服を纏って帯剣し、肩に風切って退廃の街を進んだ記憶。大神和帝國がいかなる国であるのかを、西界物質主義の澱みに安息する者どもに思い知らせた記憶は、「あいつ」と会った日を境に終わりを告げた。允且は拭い様の無い恥を掻かされ、入校より短日時で築いた「星の生徒」――幼年学校生徒首席の地位もまた、地に墜ちた――



「――?」

 我に還れば、車が何時しか停まっている。

 前席越しの情景、車道を横切る様にして歩く黒い礼服の列。巡邏(じゅんら)が背を糺し、彼らに敬礼するのを允且は見る。側道を埋める雑踏の流れも、列を前にしてその動きを停めていた。

 列が進む通りには見覚えがあった。英霊の祀られる殉國社に向かう広い一本道、事実上の参道だ。身命を文字通り帝國に捧げた勇士の御霊を守り、恐らくは彼の親族であろう正装した老若男女が歩く。そして殉國社に入った御霊もまた、先に散華した幾万柱に並び護国の神として――自ずと目を瞑り、允且は車上から英霊を見送った。


 列が過ぎて消え、そして間を置き雑踏も車も動き出す。そこから更に二十分余りを車上で沈黙を貫くうち、車は邸宅を思わせる洋館の敷地に、衛兵の敬礼を受けて進入(はい)り込む。帝都を防衛(まも)る陸軍第一師団本部、その敷地の隣であった――表札は、「関京偕征社」。



 正面玄関で、給仕係が幼年学校生徒を出迎えた。事前に話は通っていた。

 和装に前掛けを提げた給仕係は少女であった。少女に声を掛けられ、案内されて歩く允且より年長ではあるが、その年齢差は僅かであるようにも見えた。

 華族の世界に生まれ、華族の世界を知る允且からすれば、その邸宅の瀟洒さと敷地の広さは、驚嘆には値しなかった。瀟洒さに勝る石壁や内装の簡素な調度、抑制されたそれらの色調が國軍士官の集会所たるに相応しい質実剛健さを、見る者に印象付ける効果を与えている様にも見える。


 実際にはそこは、邸宅ですらなかった。

 従業員と給仕係に傅かれつつ赤絨毯の廊下を歩いた先、見慣れた軍服がその広範な一階ホールの各所で立ち、あるいは(テーブル)を囲み談笑しているのが見える。彼らの全てが士官だ。それら軍服の林を潜る様に給仕係がコーヒーや軽食を配り、或いは愛想を振りまいて場を和ませる。一方で見慣れぬ幼年学校生徒の進入に、好奇の目を向ける者、険しい視線を向ける者もいる。それらからは超然たるを允且は装い、インナーテラスに続く階段を、ふたりは昇り切る。


 更に奥……本来、将校の宿泊所も兼ねた無数の部屋が並ぶ廊下を歩くうち、全てを照らすに灯りが足りないのを允且は自覚した……前に来た時から同じだ。相変わらず薄暗い――允且が考える内に、ふたりは目指す部屋の前に辿り着く。


「閑清院 允且様をお連れしました」

『――ご苦労。下がれ』

 ドアの向こうの若い声に少女は従った。少女は無言で允且にドアの前に立つよう促した。促されるがまま允且が進み出た瞬間、給仕係の気配が允且の背後から消えた――常人ならざる動きに驚くより先、覚悟を決めるに必要な胆力を(みなぎ)らせるのに允且の意識は向いていた。ノックは二度――


「――閑清院 允且、入室(はい)ります」

『――入れ』

 ドアノブに手を掛けて固まる。そこから先は覚悟と共にドアを押し開く。若い士官が四人、カード遊戯を止めて入室した幼年学校生徒を一斉に見た。友好的な視線では、無かった。その一方、允且の視線は窓辺、寄り掛かり外に視線を流す影ひとりに向かっている――軍服ながら際立つ均整の取れた女体美に久方振りに接し、少年は息を呑む。


「閑清院」

「……!」

 丸眼鏡の士官が椅子を蹴り、立ち上がって允且の頬を張った。

 二度――不意の暴力に対する怒りよりも先、隙を見せた不覚に少年は赤面した。階級章は中尉。だが襟章は予備役だ――それでも従順なまでに少年は制裁に甘んじた。口内に滲む血の味を允且は噛み締める。

 当て所が悪い――否、磯津予備役中尉は()て方が相変わらず下手だ……感情に任せた制裁を目前にしても、他四名の士官は超然として、幼年学校生徒の災難を傍観している様に見える。


「謹慎明けの次は決闘騒ぎか。そして今に至るまで事を収拾した我らに対する感謝も謝罪も無いとはいかなる料簡(りょうけん)か? 貴様、弛んでいるのではないか?」

「申し訳ありません磯津中尉。再度の謹慎と機導神隊の移動準備が重なり、連絡が遅れたのであります」

 殴り足りない――そう言わんばかりに荒々しく伸びた手が、允且の襟を掴んだ。丸眼鏡の奥で、軽蔑と憎悪が点滅する。目を合わせてそれを覗き、允且は戦慄(ふる)えた。普段の幼年学校において、貴人然と振舞う允且を知る者からすれば、恐らくは信じ難い風景ではあった。


「もうよい。磯津」

 卓上から言われ、襟を掴んだ手が離れる。舌打ちし着座した予備中尉と入れ替わり、別の士官が聞いた。

「機導神隊とは、幼年学校のか?」

 允且は頷いた。

「はっ、この度幼年学校機導神科は、裏邑(りゆう)に疎開する運びとなりました。表面上は疎開ですが、蕃神の来寇に備えた戦略上の判断によるものではないかと。すでに複数名が先行し、主力の受入準備に掛かっております」


「裏邑か……関京に近いな……寧北とか、陸嶺ではないのか?」

「噂は本当の様だな。朝霧は、蕃神の迎撃に幼年学校生徒まで動員する積りらしい」

「十六年前にもあったことだ。少年少女といえど志願すれば軍人だ。大命には復するべきではないか」

「神州安寧のためには、子供の生命も易く投じるか……容赦が無いな」


 士官たちは語り合い、允且は人形の様に立ち尽くして彼らの話を見守る振りをした――その間も、少年の意識は窓辺へと戻る――何時しか、窓辺から彼女が自分を伺っているのに允且は気付く。と同時、口元から外へ、血が滲み始めるのを自覚する。


「允且」

「ハッ!」

 窓辺から呼び掛けられ、允且は背筋を伸ばした。もし第三者が彼らを傍観していたとすれば、意中の女性に話し掛けられた奥手な若者を、允且に連想した者もいたかもしれなかった。「近く寄れ」と、女性の目が允且に命じる。卓上の男たちは何も言わない。この部屋において、主導権は女性士官ひとりにあった。

 陽光(ひかり)差す窓辺に進み出た允且の眼前に影が掃われ、端正な容姿の女子が顕われた。頬を紅潮させつつも緊張を隠せぬ允且の口元にハンカチが延びる――微かな、だが清涼な風鈴花(グリーンベル)の芳香が、少年の鼻腔を擽った。

 慈しむ様な、微笑んだ眼に吸い込まれ、魅入られた允且は陶酔に一時身を任せた――が、少年を現実に引き戻したのもやはり、一点が朱に染まったハンカチであった。その後には恐縮が襲ってきた――この人を、穢してしまった。


「申し訳ありません!」

「姉が弟を慈しむのは、当然のことだろ異母弟(おとうと)よ」

「……」

 羞恥に黙り込む允且の目に、大尉の階級章に襟の黒色、胸を飾る憲兵徽章と機導神兵徽章が連なるのが見えた。


「それで……決斗には勝利(かっ)たのか異母弟よ」

「か……勝ちました」

「允且、嘘はいけない」

「……っ!」

 諭すような口調、だが責められたように感じ允且は顔から表情を消した。柔和から一転、射る様な目付きが、允且の普段のそれによく似ていた。

「辰天 アズミに勝ったのはお前ではない。爾麒の乗り手であろう?」


「爾……麒だと?」磯津予備役中尉が声を上げた。卓上の士官たちもまた、声には出さないがその顔に驚愕を隠さない。


「操縦者は、やはり朝霧の血筋か?」一人の士官が聞いた。顔を蒼白に転じたまま、允且は頷いた。

「あの兄妹(きょうだい)の子ではあるまい。亡き軍神と同じく前侯爵の子か?」

「それが……」

「……?」

 口を噤ませた允且を、四人の目が一斉に訝しむ。

「あくまで噂ですが……その、朝霧軍神の息子ではないかと」

「ふうん……あれがな」

 顔を傾げ、大尉は允且に言った。卑屈気味に曇った眼が、驚愕に見開かれる――「ご存じなのですか? 夏秋 遥を」

「憲兵隊に於いて、機導神に係る捜査の一切は私の管轄だ」

「……会ったのですか? 夏秋 遥と」

「……」

 注がれた微笑が、允且には回答に見えた。

「決斗の経緯と経過を聴取しただけだ。素性は探るなと命じられた」

「……それで、何と?」

「常人ではないとすぐに理解(わか)った。おそらくは神和の人間ではあるまい」

「は……?」


 耳を疑う。思いも拠らぬ言葉であった。ただし思い当たらぬ言葉ではなかった。異邦人という、別の可能性を示された直後には、憤怒が湧くのを允且は覚えた。

夷狄(いてき)の者を幼年学校に入校()れ、更には帝國の至宝を委ねたと?」

 そこに、(たしな)める様な笑いが、允且の尖った心胆を撫でた。

「怒るな異母弟(おとうと)よ。この時代に、もはや爾麒は要らぬ。朝霧は未練たらしく軍神の影に縋っておるだけだ。機導神軍団を統べる者として正統なる資質は、私とお前にある」

「はい……異母姉上(あねうえ)!」


 喜色が允且の目に宿った。卓上、士官が言った。

「我等に引き入れることはできぬのか? その爾麒の乗り手を」

「育ち(いや)しき者なれば、愛国の志を理解できる者とは思えません」

 士官を顧み、思わず眉を顰めて允且は言った。異母姉の言葉が、いきり立った允且の精神を、再た現実に引き戻す。


「それで……そやつはいま、何をしている?」






 帝都関京より県境を越えた西、世界最大の海洋大南洋(だいなんよう)に面する陸軍海辻(みつじ)演習場を出てすぐ傍に、帝都神和橋を終点とする「東海道」が延びている。


 神和連邦の前身、西覧(さいらん)幕府時代より更に遡ること二百年前から人と物を往来させていた古道(こどう)は、攘夷戦争と衛治維新を経た今となっても尚、度重なる進路変更と拡張工事の結果として、陸の大動脈として生き続けていた。今となっては舗装された道の上を車が走り、その傍には運転手や通行人を当て込んだ飲食店や商店が並ぶ。古来より続く宿場町に加えての、街道町(かいどうまち)という別名すら、其処には生まれている程の賑わいだ。


 ただしこの日の街道の賑わいは、その主体が沿道の商店街ではなく、道路一車線を占有(ふさ)ぐ形で歩く軍服の一団であることが、平日のそれとは趣が違った。紅顔の少年少女が背嚢に小銃を担ぎ、凡そ戦地に赴く歩兵そのままの姿で道路を北へと歩く。関央総軍幼年学校の恒例行事たる二年次野営訓練の最終日、その状況終了を締め括る長距離行軍であった。


 隊列は決して長くはなく、毎年繰り返される行事である筈が、彼らの胸に煌めく幼年学校生徒の「星の徽章」が、沿道の歩行者や観衆をして、「蕃神侵寇」という近い将来の有事を想起させるに十分な効果をもたらしていた。祭りの見物宜しく行軍を見守る人々で街道は賑わってはいるが、行軍を見守る人々の表情には笑顔の中に困惑と不安もまた、目立っている。



 潮の匂い漂う海辻を出た頃には白みかけた、だが星々が瞬いていた虚空は、県境を越えて帝都の西に入り込む頃には初冬特有の冷たい陽光の照らしだず青天となって隊列を睥睨していた。太陽はすでに沖天(ちゅうてん)を越えていた。

 二八式二型短小銃二丁を背負い隊列の中程を歩く夏秋 遥の横を、臭い排煙を撒き散らしつつ六輪の軍用自動貨車(トラック)疾走(はし)る。荷台に満載された少年少女の顔はいずれも蒼白で、周囲の視線に圧される様に項垂れているのが一目で判る。長時間の行軍に耐えかねて倒れた落伍者たち、その彼らを本隊に先んじて道程の各所に設置された仮設救護所に送り届ける自動貨車だ。

 先刻疲労の極に達して道端で座り込み、随伴の下士官に救護所行きを命ぜられた生徒もあの車上にいる。いま遥の背負う二丁のうち一丁が、彼の遺していった小銃であった。遥と同じように、落伍した同期の銃を担って歩く者は隊列の中にぼつぼつと伺えた。


 排煙と土煙を上げて遠ざかる自動貨車(トラック)を見送り、この行軍が、娯楽や健康増進を名目に行われる日本の遠足やウォーキングとは違うことを、日本人の遥は思い知らされる。遥自身脚が痛むが、もはや一歩も踏み出せないという程の窮迫には至っていない。生足に石鹼を塗り、軍靴(ブーツ)に新聞紙を詰め込んで行軍をやり過ごしたという祖父の自衛官時代の思い出話が、今になって生きている。



 最終日の朝に、時は戻る。

 海辻(みつじ)から神和橋(じんわばし)までは距離にして十二里であった。

 西界公浬換算にして約三十公浬。夏秋 遥の距離感覚からすれば、50㎞近くの距離を早朝に叩き起こされ、完全装備で海辻(みつじ)から帝都まで半日を掛けて徒歩行軍することをこの日は意味していた――それも遥も含む、十五十六歳の少年少女が、である。


 行きは列車なのに、帰りは行軍(あるき)なのか――愕然、そして唖然としてはいても、容赦なく行軍開始の命令が下りた。一人張り切った区隊長の、内容なぞカス程も無い長ったらしい訓示を不動の姿勢で聞き、従容(しょうよう)として少年少女の隊列がゆっくりと歩き出す。その周囲を同行の下士官が固め、前後を支援車両が這う様な速さで走る。

 歩速にこれと言う指示は無い。ただ時間にして十二時間以内の完走のみが、少年たちを縛る緩やかな枷であり、言い換えれば体力への配慮であった。幼年学校本科二年生を対象とした「十二里行軍」。一週間の野営訓練の最終日を締め括る「十二里行軍」の、それが始まりであった。



「――校内における軍規を掌る者として、今回の決斗(デユエル)はその勝敗に拘らず「喧嘩両成敗」で収拾(おさ)めねばならぬと考えておる」

「――……」

 爾麒を降り、憲兵隊による拘束を解かれた夏秋 遥は、帰校と同時に校長室に召喚された。入校以来トラブルを重ねた結果、いよいよ「放校(クビ)」かと覚悟をしていた遥は、軍からの解放を喜ぶよりもむしろ眉を険しくした。


「――本来ならば重謹慎だが、貴公の場合、機導神軍団総監部の意向も加え、野営訓練参加を以て処罰に替える」

「――……?」

 内心で胸を撫で下ろした後には、困惑が付いて来る――野営訓練って、なに? 困惑を見透かしたように、校長は続けた。


「――貴公、一年生次の野営訓練には参加しておらぬだろう?」

「――はい、参加しておりません!」

 答え、「当然じゃないか」という顔を遥はして見せた。背後に控える区隊長が遥の態度にやきもきしているのを気配で感じる。クロリュウはと言えば、遥を咎めない。

「――ではいい機会だ。今次本科で実施される野営訓練に参加し、この帝國総軍がいかなる組織(ところ)であるのかを知るべし」


「――野営?……銃とか、撃つんですか?」

 クロリュウは頷いた。

「――当然である。野営に於いて貴公は他の本科生徒と同じく完全武装で山野を駆け、地を這い野に寝て過ごすことになる。貴公は中途入学故軍学校生徒としての自覚に乏しいから、こうやって無茶をしておる。わしはそう思っておる」

「――でも、自分が出なきゃ辰天 アズミは追い払えなかったです。閑清院(あいつ)だって……」

 言い掛けて閑清院 允且の仕打ちを思い返し、遥は内心で憤る。と同時にクロリュウの目にも怒った光が宿った。

「――決斗(デユエル)の後始末を誰が為したか考えよ。機導神の修復から憲兵隊との折衝まで、貴公の後始末を担うことになった他者のことを、貴公は考えたことがあるか?」

「――……」

 言われて悟り、遥は苦い顔を隠さなかった。校長に抗弁できないのが、遥には悔しかったのである。それもまた、校長は見透かした。


「――ふむ……くだらないところで意地を張るのは、母親に似たのかのう」

「――……?」

 クロリュウがぽつりと言い、自然、遥の目が見開いた――見開いた先、長い口髭の陰で微笑が見えた。


「――爾麒が帝國の所有物である以上、これから貴公が爾麒に搭乗()り、蕃神と交戦(たたか)う上で、それを輔弼(ほひつ)する軍との関係は円滑に保たれなければならぬ。今回の件からわしは、貴公は総軍がいかなる(ところ)であるのかを身を以て知り、理解する必要があると感じた。機導神軍団総監部もそう考えたのであろう。であるから――」

「――だから……?」

「――夏秋生徒、貴公に野営訓練への参加を命じる。貴公にはこの神和がいかなる国か、そして帝國総軍がいかなる組織であるのかをよく知って欲しい。これは命令であるのと同時に、このわし、黒田 龍衛門のたっての願いである」

「――はっ……!」

 自ずと遥の背が伸びた。今の少年にとって願われるのは、命ぜられるのよりも重く感じられた。




 「野営は楽しいぞ」と、本科生徒と合流するにあたりクロリュウ校長が言うだけはあった。

 訓練初日、営庭に整列した本科生徒の隊列が行軍で校門を出て駅に向かう。隊列を追い抜く様に車道を走る軍用車と自動貨車は、本隊に先駆けて演習場に向かう支援部隊であろう。車体に記された略号から、応援に来た近隣の軍部隊の所属も混じっているのが判別(わか)る位、今の遥は軍に長居し過ぎている。


 列車が動き出す――帝都を東から西に過り、終点の海辻駅に列車は辿り着く。

 下車。見渡すばかりに田畑と禿山しか見えない海辻駅の、やはりこじんまりとしたホームと駅舎ひとつしか無い佇まいを背に、演習場を目指しての行軍が再度始まり、それから一週間は「厩舎(きゅうしゃ)」と呼ばれる海辻演習場内の宿舎と、割り当てられた民間人の家を交互に泊まりつつ、周辺の山野を行軍し、あるいは戦闘訓練に演習場を駆け回る日々が続いた。


「陸戦こそ、星の生徒の本分だ」と、本科生徒の誰かが言う。遥は知らなかったが、市井の少年向け連載小説に「星の生徒」というものがあって、幼年学校生徒の活躍を描いたそれに、自身の境遇が重なるのだというわけだ。その題名が、星を象った幼年学校生徒徽章に基づくものであることは、遥には何となく察せられた。


「――お星さま(・・・・)になるから、星の生徒じゃないんか?」

「――なんじゃと貴様!」

 思わずぼやいた遥に、生徒は目を吊り上げた。そこを別の生徒が窘める。


「――あいつ、南西方面で……」

「――え!?」

 あの乗艦実習以来、幼年学校において「南西方面」という地名には、特別な響きが加わっていたのだ。それも加わって好奇の視線が影に日向に遥に集中する。「――あいつ、生還者(・・・)なのか」「――『(えやみ)』とかいうおっかないのと交戦したって聞くぞ」――広がる噂話を聞きつつ、遥は斜に構えたことを後悔したものだ。



 将来の帝國軍指揮官を養成するための訓練――それは行軍と突撃でやけに足腰を酷使することを除けば、まるでサバゲーとキャンプのチャンポンだと遥には思えた。

 日本にいた頃、所属していたフットサルチームにサバゲー趣味の大学生と元陸上自衛隊がいて、時折彼らから戦闘に関する話を聞いていたから判るが、神和軍の歩兵戦術はあまりに単調に過ぎた。塹壕や物陰に隠れて闇雲に射撃を続けた後、助教の号令で付け剣し突撃、別の生徒から成る対抗部隊の塹壕に、一人二人でも飛び込めば判定係の下士官に「勝利」と認定される。

 そこにスニーキングやクリアリングと言った技術は存在せず、突撃の途中で助教が生徒を指名して「戦死」させることもある……つまりは、突撃で兵士が死ぬのを前提に、戦術を組み立てている。学校でこれなら、実際の軍隊はどうなっているのだろう?



 俗称「二八銃(にはちじゅう)」 制式名称二八式二型短小銃、またの名を二八式騎兵銃改は、それを担う遥からすれば見た目に対し意外に軽く感じられた。鉄製の銃身と木製の銃床から成る古臭い銃、だが銃身の短さゆえか、重量(おもさ)的には、空自の基地航空祭で触った自衛隊制式の89式小銃と然程(さほど)変わらない。


 演習の予習ということで一度射撃場で撃たされたときの感触も、決して悪くはなかった。

 制式採用年度が天照二八年故にその名が付いたライフル銃は、後の改良により一度弾丸を装填すれば、装弾した十発全弾を撃ち尽くすまで、引鉄を引くだけで発砲を続けてることができる。より具体的に言えば、機関部の下に固定された弾倉に、丁度五発綴りの装弾子(クリップ)を二個押し込めるようにそれは造られている。「半自動銃というのだ」と、下士官が教えてくれた。


 同じく射撃場で触った旧い一型が、一発撃つごとに槓桿を引いて弾丸を装填しなければならないことを知るまで、遥はその「便利さ」には無知であった。軍学校に籍を置いているものの、肝心の銃の扱いに関して遥は素人のままだったのである。「機導神科は二年次以降は銃を余り触らなくなるからな。馴れないのは仕方がない」と、教育係の下士官は言っていたものだ。

 

 その機導神科は、関央州のすぐ北、裏邑(りゆう)の機導神部隊基地へと移動を始めている。

 至近に迫った蕃神の出現に備えた措置であることは、置いて行かれた形となった遥には痛い程理解る。それでも憲兵隊から解放されて帰校したとき、私室の前に山と積まれた菓子類を前にして、遥は驚くのと同時に胸を熱くした。恋文と思しき手紙まで挿し込まれているのには、流石に鼻白んだが――「片付ける端から増えていくから、諦めた」と、助教の下士官は苦笑交じりに言ったものだ。


 その助教が、野営訓練に赴く前日、遥を見送る段になって言った。

「――夏秋、石鹸と新聞紙を持っていけ」

「――足に塗って、靴に詰めるんですね」

「――何だ、分かってるじゃないか」

 初老の助教が笑った。

「――じゃあこれは知っているか? 小銃はな、少し斜めに、首に寄せる感じで担ぐのだ。そうすれば疲れない。馬鹿正直に真直ぐ担っていればすぐに疲れるからなあ」

「――参考にします! ご指導有難うございます助教殿!」

 


 辿り着いた演習場ではあっても、迫りくる蕃神の影からは逃れることはできなかった。

 海辻演習場の敷地内、その周囲から臨む限りの高地や海岸線に配置された鉄塔と金網のような構造物が、所謂「レーダー」であることに遥が気付くのに、「あれは電探、電波探知器だ」という教官の説明を必要とした。遠方からであっても、その一基々々が少なくとも家程の大きさを有するのは直ぐに判った。遥の拙い知識からしても、現代日本の様に機械の小型化が進むのは、優に半世紀近くは掛かるであろうとも思われた――その様な状況で、神和は蕃神を迎撃しなければならない。


「――あれ一基で少なくとも五十浬先の蕃神を探知することができる。その報告を元に先ず機導神部隊が神州に迫り来る蕃神を邀撃し、機導神部隊が撃ち漏らした蕃神を地上の我々が迎撃する」

「――……」


 教官の説明に感嘆の声が漏れるのと同時、複数の視線が自分に向けられるのを遥は感じた。後々、本科生徒に「貴様何やった?」と聞かれることも経験した。機導神の訓練中に何か「事故を付けて」、機導神を降ろされたとでも思われたのかもしれない……が、前日の横天戸機導神隊との決斗騒ぎの渦中に遥がいたことが知れ渡るにつれて、本科生徒の遥を見る目は、まるで神でも仰ぐ様なそれへと変わっていった。


「――おれは『乙種検査』を受ける積りだ。機導神の操縦について教えてくれないか?」――結果として、そう頼まれることもまた増えた。適性検査から弾かれて機導神科に入れずとも、士官学校入校時に再度の適性検査がある。つまりは自分たちにも機導神操縦者になれる機会はまだ廻ってくる――派手な決斗(デユエル)を目の当たりにして、それを意識した者が出たとしても決しておかしなことではない。





 再び、最終日――

 隊列が、町中の公園に差し掛かる。

 先行した生徒が小休止を取っている傍ら、流し目で見上げた標識が「八洋子町」と標されていることに遥は気付き、其処が帝都の西、そのまた西であることにも気付く。全行程の半分は越えた辺りではないかとも思えた。割烹着姿の女たちが「給水所」という看板を高々と掲げて生徒に茶や饅頭を配っているのが見える。「報國婦人会」と書かれた(たすき)には、最後に気付いた。


「おい、ちょっと休まないか?」誰かが言い、周囲の数名が歩きながらに目配せしているのを感じた。無視して先を急ごうとする者もいる。教官も生徒個々の体力を考慮してか、彼らの判断に口を挟むことはしない。民間と軍隊の狭間にある、中途半端な「軍隊」――幼年学校のことを、いまの遥はそう思い始めている。


「講談師、どうする?」傍らの生徒が遥に聞いた。訓練初日は揶揄(からか)い気味に「機導神」と呼ばれていた遥の綽名は、それから一晩で「講談師」になった。何故かと言うに野営初日、演習場の厩舎で促されるがままに披露した怪談が、皆の好評を(さら)ったのである。

 遥からすれば、ネットの有名怪談や従姉の集めていた怪談文庫本の話を思い出せるだけ、神和人にも分かるように話した積もりが、この手の話に飢えていた生徒たちには新鮮に聞こえたらしく、以後は夜毎に話をせがまれるようになった。結果として、訓練当初は他所他所(よそよそ)しさすら流れていた遥と本科生徒との距離もまた、ずっと近くなった。


「食いながら行こう」

 遥が即決し、ふたりは給水所に寄った。恐らくは彼らの母親と同じ年齢の婦人から、労いの言葉と共に冷たい茶と饅頭をもらった生徒が、休憩を取るために公園へと足を向けるのが見えた。饅頭の他に餡子餅に牡丹餅……盆に盛られた数多い甘味の中から餡子餅に手を伸ばした時、遥はひとりの婦人に声を掛けられた。


「生徒さん、機導神科なんですか?」

「あっ……これですか?」

 胸の機導神科生徒徽章を、改めて覗く。場違いな行軍を詮索されるかと思ったが、違った。頷いた遥に、婦人の相合が緩むのを見る。年齢に合わず若く美しいと遥には察せられた。と同時、微笑の中で眉と目元から漂う凛とした印象が誰かの面影と重なる……それが誰であるのかは、遥には思い出せなかった。


(うち)()も機導神科なの。頑張って下さいね」

「はっはい! 有難うございます!」

 うちの子?……はて誰かな?――茶は水筒に淹れてもらった。餡子餅を受け取り、遥は道を急ぐ。道程は半分を超えた。歩調(ペース)を維持して歩き続ければ、落伍せずに終点(ゴール)まで辿り着ける。

 

 

 帝都の中心、大通りに面した駅前に隊列が差し掛かる。それが上錦駅であることに気付き、遥は思わず面を上げて広大な駅舎を見上げた。

 白亜の大理石を積み上げただけかのような、ポリゴン加工の様に無機質な佇まいの駅舎。思えば半年近く前の深夜、黒蘭に連れられて帝國の北の端からこの駅に降り立った時から遥の運命は急転した。昼も夜も駅を取り巻く往来は大河の流転(ながれ)を思わせる程に多い。流転――運命の流れに導かれるがままこうなったとは、遥は考えたくなかった。帝都に向かったのも、爾麒に搭乗ったのも、そして朝霧 朱乃と交戦(たたか)ったのも――すべては自分で決断したことだ。


 引率係の教官、助教の他、応援に配置されていた警官の誘導に従い、隊列は再整理されて大通りを過る。

 上錦の駅前広場と駅中に据えられた巨大な光電管式受像機が、より人混みを集めているのを見る。それが政府広報やニュース映画を流す専用受像機であることを遥は既に知っていた……というよりこの神和では、放送に関する全ては政府に独占され、監視するところとなっている様に遥には思える。

 帝都で暮らし始めた当初に感じた物珍しさに馴れるにつれて、次には息苦しさが頭を擡げて来た、といったところだ。日本の漫画やアニメで主人公サイドが属する勢力のような自由で開かれた雰囲気は、この神和(くに)には無いと断言してもいい――そのような神和を、爾麒で守護(まも)る?



「――神和橋までもうすぐだぞ!」と教官が声を上げる。励ましの声であった。思案から現実に戻った遥の視界の先で、励ましも虚しく生徒の落伍は続いていた。回送用自動貨車の追求が追い付かず、倒れた生徒を別の生徒が背負う。今更の様に、脚絆(ゲートル)を巻いた脚が痛みに()いているのを自覚する。既に二丁の小銃を背負っている遥は――


「おい夏秋、これ担いでくれ」

 ひとりの生徒が、持っていた銃を遥に託した。二八式二型よりもずしりと重い銃。黒く鍍金(メッキ)した金属地肌の銃身と機関部が剥き出し、木製の銃床と把柄(グリップ)が分離した外見が、陸上自衛隊の64式小銃によく似ている。よく言えば小銃よりも近代的に見える。

 その革製の釣り紐を握って背負った遥を、彼より頭一つ高い偉丈夫が見下ろしていた。「南崎か……」名を口走った遥の見詰める先で、そう呼ばれた生徒は落伍者の躰を軽々と背負う。南崎という名の生徒が遥を顧み、言った。


「行くぞ」

「うん」

 南崎生徒が言い、遥は頷いて後を追った。野営訓練の初日、慣れない脚絆(ゲートル)の巻きが甘く、装用に難渋していた遥を、彼がその太い指で不器用ながらも直してくれたのが思い出された。本科二年生徒 南崎 三郷(なんざき みさと) 遠く九城州の田舎から苦学し関央総軍幼年学校に入学した、というのが彼の履歴であった。


「――おれの親父は陸軍少佐だった。北州で敵弾に命中(あた)って中尉から昇進したんだ。そのお陰でおれは幼年学校に入校(はい)れた」

 或る夜、寝床を共にした厩舎で、南崎生徒は自身の履歴を簡単にそう語ってみせた。傍目には平易に聞こえたが、南崎生徒の言葉の裏に看過できない事実が隠されていることを、遥の様な「異邦人」であってもそれは理解(わか)らせた。

 本土より海を隔てた遠い北州で戦死後二階級特進した南崎の父、戦死者の子弟への恩典としての学費免除――翻って軍学校のくせに、下手な私学並みに学費が掛るという幼年学校の現実を遥は思い起こす。但し機導神科の学費は、その人材の希少さ故に無料だ。本科の口さがない生徒がその様な機導神科を指して「一芸科」と揶揄する真意が理解るというものだ。



 制式名称 一二式軽機関銃を左肩に背負い、遥は黙々と南崎に続いた。駅前の喧噪が背中から徐々に離れて行く。

 機関銃それ自体が小銃よりも重く、大量の弾薬を抱えねばならない必要から、他の生徒より体躯の優れた南崎が、演習では機銃手を務めるのは自然な流れと言えた。弾薬は二八式小銃と共通、その小銃弾25発の入った弾倉を、一二式は機関部に挿し込んで射撃する。銃身に折畳み式の二脚が付いているから、安定した姿勢で射撃できる上に、南崎の様な偉丈夫では、小銃の様に構えて撃つこともできた。日本でいう自動小銃の様な機銃……いやこれは、見た目も撃ち方も完全に自衛隊の自動小銃だ。ひょっとしたらこれも、父と関原が日本から持込んだ「成果」のひとつなのだろうか?


 頬を撫でる空気が冷たい。

 陽光に陰りが増し始めるのを体感する。

 日の入りが速い季節であることもまた痛感させられた。


 重量物を背負う分、歩調が目に見えて遅くなる。誰の荷も背負わず、誰の躰も与らない隊列から、誰かから荷を託された生徒たちが徐々に遅れていく。それでも一歩一歩毎に、自分たちが終点まで近付いているのを遥は信じた。水筒に入れてもらった茶も、ここで尽きた。



 古来より帝都から延びる東西南北各街道の起点に架けられ、衛治年間に至ってその規模を拡大する形で改築された神和橋。その欄干を飾る鸞鳥(らんちょう)像が見える距離であった。石橋の周囲に配されたガス灯が、ぽつぽつと灯を宿し始めるのが遠方からでも見えた。黄昏に染まりつつある帝都の街並。それが疲弊した少年の視界には異様に鮮やかで、美しいものに映える。


 歩みの遅い生徒が、遥の前で足を止め、苦しそうに項垂れた。遥は意を決し、三丁の銃に重みに耐えつつ歩み寄る。

「おい、おれが持つぞ」

「……」蒼白な少年の顔が上がり、遥を見返した。

「いいから歩け」

 釣り革紐から四丁目の小銃を執り上げて、遥は背負った。周囲を見れば遥と同じく歩けない者の銃を執る者、肩を貸してやる者も見える。気が付けば先頭を行く南崎 三郷が足を止め、遥を顧みて伺っているのに気付く。

 目配せで「行こう」と促し、遥もまた歩き出した。一歩一歩を踏み締める度に、体重を支える足先から銃を抑える首までが軋んで痛む。息を吐く度に、冷たい汗が首と背の筋を舐めるように流れた。少年たちの列は石造りの橋を踏み越え、それから終点の広場に滑り込む――着いたと思った瞬間、気の緩みはそのまま遥から意識と歩く力とを奪った。


「……っ!」

 銃を落とすな!――跪き、辛うじて体を支える。その後は頭からつんのめる様に、遥は石畳の上に臥せて倒れた。取り落とした銃が転がる音が聞こえた。同時に聞こえる軍靴の響き――駆け寄る気配と息遣いを遥は感じた。「救護班! こっちだ!」――誰かの声に、遠ざかる意識を引き戻さんともがく。周囲から延びた柔らかい腕に抱き起され、同時に鼻を擽る違和感に、遥の意識が引き戻った。


「……!?」

 目が開いた遥の顔を、軍服姿の少女が鈴なりに覗き込む。真白い万国十字會の腕章を巻いた救護班の生徒で、幼年学校一年生だ。疲労を忘れて呆然とする遥に、少女たちの物珍し気な視線が迫ってきた。違和感の正体がその実、幼い少女の匂いであることに気付き、それがさらに遥を戸惑わせた。


「この人が……夏秋先輩?」

「ほんとだ……機導神科だ」

「爾麒の操縦士(のりて)なんでしょ?」

「救国機の……操縦士」


「な……なに?」

 口々に語り合う少女を前に、困惑が口から洩れた。「……どうぞ」一人の女生徒がおずおずと水筒を遥に差し出した。込み上げてくる喉の渇きを自覚した時には、躊躇せずに水筒を受け取って口を付けていた。冷たい水が、乾いた口から身体に人心地を取り戻していく――その様を、女生徒たちは息を呑んで見守った。


「集合! 救護班集合! 撤収準備にかかれ!」

 凛とした少女の声が、降り掛かる様に響く。野戦軍装姿であること以外には顔の輪郭が判らない。少女たちが慌てて走り去った方向、水筒から口を離した遥の見上げた先でガス灯が灯る。

「……全く、油断も隙もあったもんじゃない」

 その下で、荒蒔 沙都杷の微笑が陰影を付けて遥の目に入る。腕章は、少女が衛生隊配置であることを示していた。


「沙都杷ちゃんか……」

「先輩、お疲れさまでした。これ、使ってください」

 無心に見上げる遥の鼻先に、沙都杷はその懐から手拭いを差し出した。薔薇の清々しい芳香が鼻腔を擽る。微笑に促されるがまま、遥は手拭いに手を延ばす――




『――コラアアアアアア! さとわ!!』

「ひっ!?」

 爆音と怒声は、あまりに大きなそれが頭上の機導神から発するものであるのに遥が気付くより先、芝生に覆われた地面が揺れた。気付くのと同時に、地上に爆風が生まれ混乱もまた生まれた。


 着陸準備姿勢――怒りに任せて奮える導翅が地上の空気を揚力に替えて烈しくかき乱す。地上の将兵も通行人も溜まったものでは無かった。風圧を前に支援部隊の自動貨車(トラック)が烈しく揺すられる。同じく風圧に吹き飛ばされる天幕に傾く並木、それすら無視する様に降下してくる機導神の、魁偉な人型を見上げて怒声を上げる士官がいる。悲鳴を上げて頭を抱え、その場に倒れ込む生徒もいる。その様が、ヘリコプターの不時着によく似ている。阿鼻叫喚を絵に描いたような混乱もまた、その場に生まれた。


「沙都杷ちゃん! 危ない!」

「……!?」

 遥の手が戦闘服の軍袴を掴み、沙都杷を庇う様に押し倒し抱き寄せた。沙都杷の頭を抱いたまま頭上を見遣る。機導神の降下が停止まった。その段になって機種が複座の練神であることが少年には判別る。


『――ハルカあァァァァァッ!! 何してんの!!?』

『――騎亜さん上昇して! これ以上降りちゃダメです! みんな吹き飛んでしまいます!』

「騎亜!? 雪ちゃん!?」

 伏せたまま略帽を抑えつつ、遥は空を仰いだ。拡声装置がばら撒いた怒声と制止の声が、機上の混乱を遥に直感させた。感情に任せて機導神を着陸そうとする者と、必死でそれを止めようとする者の操作が、機導神に糸の切れた操り人形のそれの様な、不安定な挙動を生んでいた。


 このままでは着陸どころか墜落する――慄然とした遥は思わず立ち上がる。血相を欠いて手信号を作り、迫る練神に上昇を促した。見上げた遥の眼前で降下が停まる。暴風が潮の引く様に、徐々に止んで行く。ビルディングの谷間に滑り込もうとした機導神が、雲以外に遮るものの無い領域にまで上昇りかけて静止した。完全な離別を惜しむかのように練神が留まる空、薄暗がりの中に、今となっては星々の瞬きすら見える。


「機導神科、帰還(かえ)ってきたんだ……」

 遥の足元に縋ったまま、沙都杷が言った。帰還にしてもあの練神の飛行が、事前の飛行計画を逸脱した危険な行為であることはもはや誰の目にも明白だ。「無茶するなあ……」――ぼやきつつ、沙都杷の手を取って立たせた遥の目に、同期生を庇って倒れたところを起き上がった南崎 三郷の姿が映った。ふたりの目が合うのに、それほど時間は要さなかった。


「南崎!」

「……?」

 遥が呼び掛け、水筒を手に南崎に駆け寄った。差し出された水筒に顔を驚かせる南崎に、遥は微笑で飲むよう促した。

「さあ飲んで」

「……」

 見守る遥の眼前で、巌の様な相好が不器用に崩れた。受け取った水筒の水を飲んで一息を付く南崎 三郷が、そのまま空の一点に目を見開いたまま微動だにしないのに遥は気付く。その浮かされた様な眼差しの先に、高度を上げて旋回を続ける練神の機影があった。


「南崎、どうした?」

「なあ夏秋、あれを操縦しているのは機導神科の雪子さんか?」

「あ……そ、そうだな」

「……」

 自分より頭一つ分背の高い同期から、感嘆の吐息が漏れるのを、遥は聞いた。そこに同期より大人びた顔、特に頬が朱に染まっている様に遥には見えた。沈みゆく夕日に充てられたせいであるとは、(くら)みが増した空の下ではもはや言い難い。略帽の庇の下であっても、南崎 三郷の、熱を持った眼差しは隠せてはいなかった。


「可憐だ……」

「南崎……?」

 言い掛け、そして困惑が少年を黙らせる。

 帝都の中央、南崎と同じく暗い空を見上げた夏秋 遥の眼差しの先――少年たちの冒険を見届けたかのように機導神は上昇し、そして夜の領域へと還る様に消えて行くのだった。





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