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鐘が鳴る前に

「もうこの子の風邪は治ったと言っていいと思います。今までよく頑張りましたね、美咲さん」

「ホント? 嬉しい! ありがとうラナちゃん。良かったねミュウ!」


 ぎゅううとミュウを抱きしめる美咲の姿に、俺の顔も自然と綻んだ。

 子猫のやつも、そのほっぺたを舌でぺろぺろと舐めている。くすぐったいよ、と美咲。その目尻には嬉し涙が光っていた。


「ふふっ、御疲れさま美咲。そしてラナさんもね。今までありがとう」


 あのノミ騒動から数日後、ついにミュウの体調は完治した。

 もちろん、ウイルスはまだ体内に潜んでいるはずだが、健康管理に気を使えばそいつらが悪さをする可能性もほとんどないはずだ。


「うん、ほんとによかった……ぐすっ」

「お、おいおい、気持ちは分かるが泣くなって。ミュウが戸惑うだろ?」


 嬉し泣きが高じたのか、ぼろぼろと涙をこぼしはじめる美咲。俺は慌ててティッシュを持ってきてやった。


「う……その……嬉しいんだけど……えっく……これでもうすぐお別れかと思うとなんだか……ひっく……」

「……あー」


 俺は茉莉花姉とラナとの間で視線を交わした。

 ミュウの里親探しは、この子の体調が治ったら始めるという約束をしてたのだ。もちろん、ミュウの看病を始めた日の夜に俺達の間で交された会話を、美咲は知らない。そして、その時の結論を俺はまだ茉莉花姉に確認していなかった。


 俺は、ミュウを飼ってもいいと思っている。

 いや、美咲がそう俺に思わせてくれたんだ。

 美咲の涙を拭ってやりながら、この件の全権を持つ茉莉花姉に目で問いかける。考えがあるのか、茉莉花姉は小さく頷いた。

 茉莉花姉は美咲に向き直る。


「美咲……泣き止んだらよく聞いて」

「……うん」


 まだ鼻をすすらせているが、何とか涙は瞳の奥へと引っ込んだ。

 茉莉花姉がどんな判断を下したのか、俺も固唾を飲んで見守る。ラナも、茶々をいれる事なく二人を見つめている。


「さっきも言ったけど、本当に頑張ったわね。偉いわ」

「……うん」


 こくんと頷き、顎をミュウの耳の間に乗せる美咲。


「私はね、ずっと美咲がミュウちゃんの面倒をちゃんと見てあげるかどうか、正直言って不安だった」

「……」

「でも美咲は私が考えていた以上にしっかりとした子に育っていたのね。お姉ちゃんはとっても嬉しいわ」

「……」


 美咲は何も言わず、うつむいたままだ。茉莉花姉は一拍置き、また語り始める。


「それでね……美咲。もし、これ以降もきちんとミュウちゃんの事を大事にしてあげられるのなら……」


 予想外の言葉だったのか、美咲の頭が跳ね上がった。姉を見つめるその大きな両目は、期待と不安で半々だ。

 そんな美咲に、茉莉花姉は最上の笑みを見せながら続けた。


「私は、ミュウちゃんを飼う事を許可するわ」

「……ホ、ホント? ホントに?」

「ふふっ。ホントのホントよ。美咲」

「やったああああ!! ありがとうおねーちゃん!! よかった! ミュウ! これでずっと一緒にいられるよ!!」


 再び涙腺が緩んだのか、ミュウを抱きしめる美咲の両目から綺麗な雫が流れ始めた。もっとも、今度は百パーセント嬉し涙だろう。

 ちっ……俺まで何だか目が熱くなってきやがったぜ……。


「良かったですね、美咲さん」

「うん! ラナちゃんはミュウの命の恩人だよ!」


「私は言われるほどの事はしていませんよ。全ては美咲さんの努力の賜物です」

「それでもお礼を言わせて、ラナちゃん。本当にありがとう!!」


 ミュウを抱えたまま、ぺこりと頭を下げる美咲。

 ラナも、ずっと口元に優しげな笑みをたたえていた。




 あの日、俺は獣医の梨世先生に電話し、子猫の面倒をこれからもずっと見ていく事を伝えた。先生は笑って答え、困ったことがあったらいつでもおいでと言ってくれた。


 ミュウの寝床は今、猫用のキャリーバッグに置き換わっている。ラナが言うには、子猫の頃から慣れさせておくと、連れ出す時に暴れることなく中で大人しくしていてくれるそうだ。


 そんな事を知ってか知らずか、ミュウはその新しいベッドがたいそう気に入ったらしい。寝る時はいつもバッグの中に半身を突っ込んでいる。あいつも、洗濯ネットよりはこっちの方がいいだろうしな。


 他にも爪とぎ器や遊び道具など、ミュウの周りも賑やかになってきた。

 ノミもあれから一度も発生していない。ラナと美咲のケアのおかげだろう。


 トイレも、もはや自分でとことこと向かっていって用を足す。俺と茉莉花姉が手伝えることなんて、交代制のトイレ掃除くらいだ。


 ミュウを飼う際の第二の懸念事項だった費用に関しては、藤枝家の三人が共同出資者だ。もちろん、これに関しては美咲の負担額が一番低いが、他の事で頑張ってくれてるからな。問題はない。


 まあ、アイスはきっちりおごってもらったけどな!


 そうして全てが落ち着いたある日、ついにあの事に決着をつける為、俺達は座敷に集まったんだ。

 いつかのように、俺、ラナ、美咲、茉莉花姉。そして新たに我が家の一員になった、あの黒猫も一緒に。





「これでようやく私の事を認めてもらえたようですね、茉莉花さん。美咲さん」


 いつも通りに上から目線のラナ。

 だが不思議と腹が立たないのは、ラナがミュウの為に尽力した事を知っているからだろうか。


「うん……ラナちゃんもミュウの為にいっぱい頑張ってくれたし……」


 もうラナに対する心のしこりは払拭されたのか、ちらちらと茉莉花姉と俺の方を伺いながら意見を述べる美咲。

 数日前の騒がしかった時が、何だかずいぶんと昔のように思えるぜ。


「そうね……ま、まあ……ずっとその姿でいてくれるなら、私も……あ、あと蚊を舌で捕まえるのを止めてくれれば……」


 本能的な恐怖心はどうやっても拭えないのか、歯切れの悪い言葉で同意する茉莉花姉。 やはり俺がブロッコリーをいつまで経っても食えないのと同じで、そう簡単に苦手意識は消えないんだろう。それでも、ラナを認めようとしてくれている心意気は大したもんだと思う。


 ようやく最大の難関を突破出来たという事実に俺は胸を撫で下ろした。

 これで二人のお墨付きを頂けたのだ。もはや、ラナがこの家に留まることになんの障害もない。


 強いて言えば海外にいる両親だが、どうせ日本に帰ってくる事はほとんどないし、その時はその時で考えればいいや。

 寝床の中のミュウも一声鳴いて、それに賛同してるかのようだ。


「やれやれ、いろいろと苦労した甲斐があったぜ。よかったな、ラナ。俺もお前がこの家に居候する事に何の不満もねえよ」

「ありがとうございます。樹さん、茉莉花さん、美咲さん」


 深々と頭を下げるラナ。

 何だかコイツらしくない殊勝な態度に苦笑してしまう。最初っからそんな感じにしていれば、ここまでこじれなかった気がするんだがな。ま、終わりよければ全て良しだ。


「御三方に認めていただき、嬉しく思います。この姿になって訪れた甲斐がありました。ですから……」


 そこでラナは一旦言葉を区切る。そして何一つ変わらぬ表情で続けた。


「ですから……これで御別れです」


 ……。

 …………えっ?


 ラナがたった今口にした事の意味が分からず、固まる俺。顔を見合わせる茉莉花姉と美咲。

 そんな俺達を尻目に、すっと立ち上がり、廊下に面するふすまに手をかけるラナ。


「お、おい……待てよ……ど、どういう事だ?」


 慌ててラナの背中に問いかける。ひょっとすると、その声は多少震えていたかもしれない。


「私がこの姿でこの家を訪れた……それだけですでに一つの御伽噺と言っていいでしょう。そして、御伽噺にはいつか終わりが来るものなのです。機織の娘は鶴の姿に、雪女はただの水に」


 背を向け、取っ手を引き。

 流れ込んでくる空気に向かって一歩踏み出し、そっと囁くラナ。


「そして、カエル少女はただのカエルに」


 呆然とする俺の前でやがてゆっくりとふすまが閉じられる。それが、永遠に二人を隔たせる壁のように思えて。


「ラナ!!」


 俺は自分に喝を入れるように叫んで立ち上がり、たった今二人を別ったそれをもう一度開けようとして……。


「来ないで……ください……」


 小さく、か細い声で投げつけられたラナの言葉に、俺は再び石像のように固まってしまう。

 やがて、玄関の呼び鈴の音が、一人の少女が出て行った事を告げる。だが、俺はそれでもまだ動く事が出来なくて。


「おにーちゃん……」

「樹……」


 どれくらい時間が経ったのだろうか、心配そうに呼びかける声で俺の身体は自由を取り戻した。二人を見返した瞳には、不安の色が影を落としていたに違いない。茉莉花姉と美咲は、俺に勇気を与えるかのように、取っ手にかけている手を、その暖かい手のひらで優しく包んでくれた。


 俺は恐る恐るふすまをスライドさせる。もうすっかり暗くなって、まだ電気をつけていない廊下に出、開けたままになっている玄関に向かって一歩一歩進んでいく。


 やがて開いた扉の敷居の上に見つけた物、それは。

 元の――ただの小さなカエルの姿に戻った時に脱げてしまったのか、ラナが身につけていたシャツとジーンズだった。


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