おやすみなさい
しばらく後、ラナの言ったとおりミュウは落ち着きをなくしたように敷いてある布を引っかき始めた。
トップバッターは美咲選手。ミュウを優しく抱え上げ、先ほど設置されたトイレへとご案内。猫もトイレをするところをじろじろ見られるのは嫌がるそうなので、俺達三人は座敷で待機。何だか皆無口になった数十秒後、板張りの廊下を歩いてくる音が沈黙を破り、猫を抱えた美咲が戻ってきた。
「だ、大丈夫だったか?」
「うん、平気。ちゃんと頭もナデナデしてあげたよ」
「ありがとうございます美咲さん。では、皆さんもそんな感じでお願いします」
「わかったわ。トイレサインは見逃さないようにしましょう」
「じゃあ、トイレの掃除はあたしがして来るね」
美咲は簡易ベッドに黒猫をゆっくりと下ろしながら言った。どうやら、トイレに連れて行った人間がその後始末も担当することになりそうだ。
「あの先生が言っていた通り、猫のトイレの砂や食事に使ったものを捨てる場合は、他のゴミとは分けて置いておいてください。消毒して処分しないといけないので。野良猫に感染させる訳にはいきませんからね」
「うん。わかってる」
美咲はビニール袋などをを取りに行くのだろう。板の間に面する戸を開けて出て行った。それを見送った茉莉花姉が苦笑する。
「ふふ……あんなにしっかりとこの子の面倒を見てあげるなんて、正直ちょっと意外だったかも」
「まあ、な。本音を言うと俺も驚いてるよ」
「いい子ですよ美咲さんは。きっと、ご両親や茉莉花さんの教育の賜物でしょう」
ポイント稼ぎのつもりなのか、茉莉花姉をじっと見つめながら美咲を褒めるラナ。台詞の中に俺の名も入れるべきだと思うんだがな……。
「そ、そうね。ありがとう」
やはりまだ恐怖心が残っているのか、目をかすかに逸らす茉莉花姉。その態度にラナが小さく舌を鳴らしたのを俺の耳は聞き逃さなかった。全く、あざとい奴だ。
「……なあ、茉莉花姉、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「何かしら?」
「美咲を諌めた俺が言うのもなんだけど、茉莉花姉が猫を飼うのに反対なのは、お金がかかるから?」
「……確かにそれもあるわ。でも、あの子がちゃんと動物の世話を出来るわけがないと考えていたのが一番の理由ね」
「……じゃあさ」
その言葉を聞いた俺は、ある事を口にしようとした。そんな発言をしようとしてしまうほど、俺はあの子猫に感情移入しちまってるらしい。
俺が何を言おうとしたのか予感したのだろう、茉莉花姉が割って入る。
「ストップよ樹……そうね、考えておくわ。でもこれは美咲には内緒よ……ラナさんもね。念のため」
「……ああ、そうだな」
「ご心配なく。私としては自分の去就の方が心配です」
ラナが付け加えた言葉には、茉莉花姉は顔を引きつらせて再びあらぬ方向を向いてしまう。
「考えておくわ、くらい言っていただけると幸いなのですが」
「え、ええ……か、考えておくわ……」
ミュウが家族の一員になれるかどうかは、美咲の行動次第ってことか。でも今のあいつの行いが一時的なものじゃないなら、茉莉花姉も認めてくれるかもな。
……ラナが家族の一員になれるかどうかはラナ次第だが、望み薄かもしれん。
そんな俺達の思惑を知ってか知らずが、件の子猫はいつにまにか箱の中でごろんとなっている。
俺は声のボリュームを下げてラナに尋ねた。
「ひょっとして眠いのかな?」
「そうですね。もともと猫は一日の三分の二を寝て過ごす生き物ですから」
「そんなに寝るのか? うらやましい身分だな……」
人間なんてせいぜい一日の四分の一寝られればいい方だってのによ。つい羨望の眼差しでミュウを見つめてしまう。
「まあ『寝る』『子』で『ネコ』と言われるようになったという話もありますからね」
「本当によくそんな事を知ってるなあ、お前……」
「樹さんが無知なだけです」
「うるせえよ!」
小声で怒鳴る俺。
茉莉花姉はそんなやり取りをする俺達を呆れたような表情で見つめている。ラナの正体がカエルでさえなければ、きっと茉莉花姉と何事もなく過ごせたんだろうけどなあ。
「ただいま。あれ? ミュウ?」
トイレの始末を終えたらしい美咲が座敷に入ってきた。寝床の前に立った美咲に反応したミュウはぴくりと耳を動かし、少しだけ目を開けた。
美咲は慌てて口を閉じ、ベッドからゆっくりと離れる。
「起こしちゃったのかな……悪い事しちゃった」
「おそらくまだ眠ってはいなかったでしょう。大丈夫ですよ。でもそろそろ寝かせてあげるべきでしょうね」
今の時間は九時過ぎ。今日はいろいろとあって疲れちまったな。ミュウじゃねえけど、何だか俺も眠くなってきやがった。
「さて、私はシャワーを浴びてきます。そろそろ水分の補給をしないと」
「そ、そうね。お、お願いするわ……」
あの強烈な姿を思い出してしまったのか、茉莉花姉の声が震えている。俺もあの姿は二度と見たくないから気持ちは分かる。
「そうだな。じゃあ解散しようぜ。みんな、今日は御疲れ様」
「うん。ホントにありがとう。おにーちゃん。おねーちゃん。ラナちゃん」
俺達三人に向かって頭を下げる美咲。なんだか、改まってそんな態度を取られると面映いぜ。
「へっ……まだ明日以降も続くんだし、お礼はコイツの飼い主が見つかってからでいいぜ。またアイスでもおごってくれや」
「うん……じゃあ、今度はせれぶな気分になれるアイスをおごってあげる!」
「ははっ。楽しみにしてるよ美咲」
「ふふっ、じゃあ私もご相伴にあずかろうかしら。たまにはいいわよね」
「私も出来れば小さいカップで三百円のあれを」
「小学生に容赦ないなお前!?」
いや、俺も本音はそれがいいんだけどな。
「う、うん。頑張るよ」
予算がオーバーしそうなのか、美咲が泡を吹いている。気の毒だが今回、妹には犠牲になってもらおう。
「んじゃお休み、美咲。俺もしばらくしたら寝るとするわ。コイツみたいにな」
顎をしゃくってダンボールを示す。実際、最早ミュウは寝息を立てているようだ。
「あ。でも夜にこの子の調子が悪くなったらどうしよう……あたしもそばにいてあげたほうがいいのかな?」
「そうですね……少なくとも今日はそうしましょうか、万が一に備えて。私もお供しますよ美咲さん。どうせ私の寝床はこの部屋ですからね」
そういやそうだったな。なんかもう座敷をミュウの聖域として認識してたわ。
「うーん……じゃあ、せっかくだし今日は皆で寝ましょうか? お布団を四枚敷いて」
何だか珍しいな。茉莉花姉がこんな事を言うなんて。よっぽど猫の事が気にかかってるんだろうな。
「そうだな……俺は構わねえよ」
さっきの美咲の発言で同じような事を思った俺も同意した。
「布団は三枚でいいですよ」
「ア、アホか! こんな時に変な冗談言ってるんじゃねえ!」
「あっ……そ、そうね。良く考えたら、男女を同じ部屋で寝泊りさせるなんて非常識だったわ。ごめんなさい」
赤面して取り繕う茉莉花姉。ひと時の間、茉莉花姉はラナの事を家族のように認識していたのだろうか。だとしたらそれは嬉しい事なのだが。
「大丈夫ですよ。樹さんにそんな甲斐性はありませんから。私が保証します」
「そんな保証されても嬉しくねえぞ!?」
結局。
何だかんだ言って布団は四枚敷かれる事になった。
並びはラナ、美咲、茉莉花姉、俺の順番だ。
猫に異変が起きた時に対応するため、俺と茉莉花姉、美咲とラナがそれぞれチームを組み、チーム毎に交代で眠りにつく事にした。ミュウの寝床がある側に枕を向けて、皆布団に入る。なんだか子供の時以来だ、こういうの。
「なつかしいわね……昔を思い出すわ」
茉莉花姉が俺と同じような感想を洩らした。
「ええ、私もかつて仲間と一緒に冬眠していた頃を思い出しますよ」
「……」
その状況を脳内に描いてしまったのか、布団を頭から被り、怖気をふるう茉莉花姉。
「おや、寒いのですか茉莉花さん。クーラーの温度が低すぎたのですかね?」
顔はここから見えないが、またあの口角をあげる笑みを浮かべているに違いない。まったく、アイツときたら。
「でも、なんだか嬉しいな。昔はよく一緒に寝たもんね。おにーちゃん」
「樹さんはそういう趣味があったのですか。困ったものです」
「何を想像してんだよオメーは!?」
ラナの含み笑いが聞こえる。
くそっ、俺のリアクションがラナを調子づかしてるのかもしれねえな。
「ええい、お前達はさっさと寝ろ。約束通り三時には起こすからな」
「うん。じゃあ、お願いね。おにーちゃん、おねーちゃん」
布団の中で茉莉花姉が頷く気配がした。
「ああ任せとけ。お休み、美咲、ラナ」
「お休みなさい」
「ではまた明日」
そっれきり、二人は沈黙する。
もう一人さっきから何も喋らなくなってしまった人がいるが、ちゃんと起きてはいるようだ。俺は腕を頭の後ろに組んで、天井を見上げた。
今日は本当に色々とあったな。ミュウが病気になっていた時は驚いたけど、少なくとも命に別状なくて良かったぜ。
そっと上半身を起こし、子猫のベッドを盗み見た。そこには安らかな寝息を立てているミュウがいる。あのみかん箱の中にいた時のコイツは、きっとこんなに落ち着いた気持ちで寝る事なんて出来なかっただろう。美咲のおかげで、俺もミュウもいい夢を見る事が出来そうだ。
明日以降も、ずっと元気でいてくれよ。
美咲の為に。
俺、ラナ、茉莉花姉の為に。
そして何よりお前の為にもな、ミュウ。




