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そうだ。名前をつけよう!

「お待たせー。ご飯だよ」


 座敷を訪った俺と美咲、それにラナ。

 なぜ飯を食わすだけの事にこんなに大所帯なのかというと、処方された薬も与えなくてはいけないからだ。


 ちなみに茉莉花姉は洗い物を片付けた後、猫用トイレの作成をする事になっている。設置場所は縁側に面する廊下の行き当たりにあるドアの前。ちなみにそのドアにはWCと書かれている。要するに藤枝家のトイレだ。

 もちろん、トイレグッズはラナが茉莉花姉に購入を依頼したものの一つだ。ま、確かに言われてみれば用を足す場所がないと猫だって困るわな。


「こっちのご飯を食べてくれたらいいんだけど……」


 美咲が目を向けた方の手に握られているのは、茉莉花姉が買ってきた市販のキャットフード。

 先生に教えてもらって分かったのだが、こいつの性別はメスで、生後二ヶ月過ぎくらいだろうとのことだ。離乳食などを必要とする時期はすでに過ぎているらしい。初めてコイツに餌を与えた時の判断に間違いがなかったのが分かって、あの時はかなりほっとしたもんだ。


 対して、逆の手に握られているのはペースト状の栄養剤。これはあの梨世先生から受け取ったものだ。

 もし、普通のキャットフードをコイツが食べることが出来ない状態なら、頑張って俺達で栄養を取らせてやらなければいけない。

 先生の見立てではおそらく問題ないだろうとのことだが……さて。


「待ってください。先に鼻水を拭ってあげましょう。また鼻をぐずらせています」

「あっ……ほんとだ! ありがとうラナちゃん。ガーゼ取ってくるね」


 小走りに駆け出す美咲。

 見送りながらラナはしみじみと呟いた。


「今時珍しくいい子ですよねえ、美咲さんは」

「まあ、な」


 何だか自分が褒められたかのように嬉しい。兄バカと言われても構わないぜ。


「しかし、この子が治るまであとどれくらいかかるか……普通は十日以上かかるものですが……」

「そ、そんなにかかるのか?」

「ええ。ただ、今回は幸い初期に発見できましたし、あるいはそれよりも早く治るかもしれません」

「そうか。ならやっぱりお手柄だったんだな。美咲は……あとお前も」

「褒めても何もでませんよ、樹さん」

「やかましい」


 まったく、人が羞恥心に耐えながら言った台詞をあっさりと切り捨てやがって。ラナは俺の反応が楽しいのか小さく笑う。


「ふふ……まあ、早く治ることを私も祈りますよ……そうでないと……」

「?」


 なんだかラナの態度が腑に落ちなくて、問いただそうとした時、美咲の足音が聞こえてきた。


「持ってきたよ。じゃあ一緒にやろう、ラナちゃん」

「ええ。頑張りましょうか」


 美咲を見返すラナはいつも通りの、ひょうひょうとした顔つきに戻っていた。


 さっきのは俺の気のせいだったのかな?

 疑問を口に出す間もなく、ラナと美咲は子猫の前に屈みこんだ。





 二人による手当てのあと、この子猫は美咲が与えたキャットフードをゆっくりとだが食べ始めた。

 幸い、俺達の心配は杞憂に終わったってわけだ。

 安堵の息をつきながら見下ろす俺達だったが、唐突に美咲が顔を上げた。その瞳は蛍光灯の光を反射してキャッツアイのように煌いている。


「そうだ! この子に名前をつけてあげないと」

「猫など所詮三味線になる運命。名前なんてもったいなさすぎですね」

「なんつう事を言うんだお前は!?」

「しゃみせんって何?」

「いや、お前は気にするな。それより名前か……」


 確かに美咲の言うとおり、名前がないと不便だろう。たとえ、あまり長くない付き合いになるのだとしても。


 俺は飯をもしゃもしゃと食べている黒一色のつややかな毛並みをじっと見つめる。

 頭の中で開始される連想ゲーム。

 黒。漆黒。ぬばたまの黒。ブラック。闇。影。夜。

 なんと言うかこう、この色には男心をくすぐる何かがある。俺は自信たっぷりにのたまった。


「そうだな……ダークファングとかシャドウソウルってのはどうだ?」

「おにーちゃん……」

「厨二病をこじらせてしまったんですね……お気の毒に」

「ちっ、違うぞ!? 俺はあくまで一例として挙げただけであってだな!?」


 二人の反応に戸惑い、慌てて弁解する情けない俺。

 おかしいな、リアクションが冷たいぞ? かっこいい名前だと思ったんだが……。

 ラナは呆れたようにため息をついた。


「真っ先にそんな痛い名前が出てくるのもどうかと思いますが……やれやれ、樹さんはこんなセンスですし、美咲さんが付けてあげてはいかがでしょうか」

「いいの?」

「ええ、私は構いませんよ。まあ、私の友人だったマサハルの名をこの子に与えてもいいんですが」

「やめろその名は不吉だ! それにこいつはメスだろーが!!」

「先ほど樹さんが考えた名前も、とうていメスに付けられるようなものじゃなかったと思いますけどね」

「ぐぐ……」


 俺達に任せるとまずい事になると理解したか、美咲が元気一杯に右手を挙げる。


「じゃあじゃあ、あたしが考えるね! ちょっと待ってて」


 米炊き中の炊飯ジャーのようにうんうんと唸り始めた美咲。

 今までそんな機会が無かったから、こいつのネーミングセンスに関してはよく分からん。もっと小さいころは確かぬいぐるみに名前を付けてたはずだが、どんな名前だったかはさすがに俺も忘れちまった。安直にクロとかタマとか付けそうで不安ではある。


 しばしの間をおいて、いい名が思いついたのか俺達を見上げた。


「え、えっとね……ミュウってのはどうかな?」


 自分の考えた名前が照れくさいのか、何やらもじもじしながら言う美咲。赤らんだ頬が我が妹ながら愛くるしい。

 俺は顎に手を当て、もっともらしく頷いた。


「ミュウか。悪くないんじゃないか?」

「そうですね。ダークファングとかシャドウソウルなんかよりはよっぽどましです」

「お願いだからもうそれは忘れろ!!」


 美咲よりも真っ赤になっているであろう俺。

 くそっ……さっきの発言を歴史から抹消したいぜ。


「えへへ……改めてよろしくね! ミュウ!」


 笑顔で子猫――命名ミュウ――を見下ろす美咲。


「あ~、でも忘れんなよ? 飼う訳じゃないんだからな?」


 言いたくは無かったが念のために釘を刺す。猫の体を撫でようと伸ばされていた美咲の小さい手が一瞬、止まった。


「うん……分かってるよおにーちゃん。でも、せめて家にいる間だけは……」

「……そうだな、悪かった」


 ぽん、と美咲のつむじに軽く手を置く。


「……いい飼い主が見つかるといいですね」


 ラナが珍しくしんみりとした口調で言った。コイツも、何だかんだ言って情が移っているんだろうな。

 ラナの言葉にうなずく俺と美咲。

 そう、それは俺達共通の願いだ、今この場にいない茉莉花姉も同じだろう。


 俺達も頑張るからさ、お前も風邪なんかに負けるんじゃねえぞ?

 俺の心中の呟きに答えたか、ミュウが一声小さく鳴いた。



      ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「おねーちゃん! 聞いて聞いて! あの子の名前が決まったんだよ!」


 ミュウの食事が済み、先生からもらった薬を少々苦戦しながらも飲ませる事に成功した後、俺達はトイレ設置中の茉莉花姉の元に押し寄せた。完成具合を見るためと、もちろんあの子猫の名前を伝えるためだ。どうやらすでにトイレは完成しているらしい。初めて目にするプラスチック製の箱は、砂が盛られ、準備万端といった風情をかもしだしていた。

 茉莉花姉は上気した美咲の顔をにっこりと見返している。


「あら、そうなの? なんて名前にしたのかしら?」

「仮の名はダークファング。真の名はシャドウソウルです」

「やめろ!! やめてくれ!! 頼むから!!」

「せっかく樹さんが無い知恵絞って考えた名前なのですし、忘れ去られるのは忍びないなと思いまして」

「無い知恵は余計だ!! っていうかマジで忘れてくれ!!」


 俺のネーミングセンスに茉莉花姉までが呆れたように苦笑いを浮かべている。畜生、口は災いの元ってヤツか。


「うふふ……さすがは樹ね。でもその名前にならなくてよかったと思うわ。美咲、本当は何ていう名前なの?」

「うん! ミュウっていうの!!」

「ミュウちゃんね。うん、中々可愛らしくていいんじゃないかしら」


 その名をあの黒猫に重ね合わせたのか、軽く頷いて同意する茉莉花姉。俺発案のかっこいい名前を聞いたときとはえらい違いだぜ。


「まあ私の名前にはかないませんけどね」


 なぜか無意味に胸を張るラナ。

 いろいろと言いたい事はあったが、名前の件で反撃されそうだったので大人しく口をつぐんだ。


「ところでラナさん、トイレはこんな感じでいいのかしら?」

「ええ、問題ありません。ありがとうございます。あとはあの子に上手く躾けてあげられれば完璧ですね」

「そうね。でも、どうしたらいいのかしら?」

「まずはあの子のトイレサインを見逃さないのが肝要ですね。先ほどご飯と水を食べましたから、おそらくそろそろでしょう。あの子がそわそわして落ち着きがなくなったらこの場所に連れてきてください。健康体ならそれを何度か繰り返すとあとは自分の足で向かうようになってくれるのですが……しばらくは我々が頑張りましょう」

「うん。わかったよ。ラナちゃん」

「そしてトイレが終わったら掃除をしないといけません。猫は綺麗好きですからね。トイレを常に清潔にしておかないと嫌がるのですよ。まったく、生意気な連中です」

「お前のふてぶてしさには負けると思うけどな……とにかく分かった。トイレ掃除なんてあんま気は進まねえけど、やるとするか」

「ええ。ではトイレ掃除は全てお任せします、樹さん」

「っておい!? 俺一人にやらせる気かよ!? 皆で協力してやるんじゃないのか!?」

「昔から汚れ作業は男がやると決まってますから」

「それ酷くねーか!?」


 あまりの展開に半泣きになる俺。

 あっけに取られていた姉妹が助け舟を出してくれた。


「だ、だいじょうぶだよ、おにーちゃん。美咲もやるから……」

「そ、そうよ樹。ちゃんと私も手伝うわ」


 うう、ほんとに優しいな二人は……。

 それに引き換えこのカエル娘は。その名の通り冷血な奴だ。


「やれやれ、これではまるで私が悪者みたいですね……仕方ありません。私も参加してあげますよ」

「どう考えてもお前が悪いわ!!」


 旗色が不利と見たか、肩をすくめてあっさりと前言を撤回したラナ。まったくむかつく女だぜ本当によ!


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