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力を合わせて

 茉莉花姉が持ってきてくれたダンボールの箱は、ちゃんと拭き掃除をしてくれたのか埃一つない綺麗な状態だった。

 俺と茉莉花姉は座敷にダンボールを置き、中に厚手の布を敷いてやる。ラナはそっと仮の住処に子猫を寝かせた。


 鼻水はすでにラナと美咲の手によって一旦取り除かれたものの、時折くしゃみをするその姿は痛々しい。

 救急箱ごとガーゼを持ってきた美咲はもちろん、初めて猫を目の当たりにした茉莉花姉もつらそうに見つめている。


「他に、俺達に何か出来ることはあるか?」


 何でもいい。この子の力になりたくて俺の口は自然と動いていた。


「まずは室温管理ですね。昼は風通しを良くし、室温が上がりすぎないようにしてください。ただ、この子が出て行ってしまわないように、網戸は開けないでください。幸いこの子にはまだ戸を開ける力はありません。夜は申し訳ありませんが、クーラーを使わせてください」


 頷く茉莉花姉。


「美咲さん。この子に水を用意してあげてください。飲む元気が残っているといいのですが……」


 美咲は一声答えて台所に向かい、すぐに戻ってくる。

 目の前に水の入った皿を出された黒猫は、ゆっくりとした動作ながらも舌を伸ばし、喉を潤し始めた。


「……飲んでいますね。この分ならまだ口の中はやられていないようです。ご飯も食べてくれるかもしれません。幸い、まだ軽い症状のようですね。とりあえずは一安心といったところですか」

「そ、そうか。そりゃ良かったぜ。一時はどうなる事かと。なあ、美咲?」

「うん……ほんと、凄く怖かった……」


 弛緩した空気が俺達を包む。しかし、ラナは真面目な表情を崩さずに続ける。


「あくまでまだ症状が進行してないというだけの事ですよ。遅かれ早かれ病状は悪化していきます。なるべく早く病院に連れていってあげるべきです」


 ラナの言葉を聞いた俺の表情が引き締まる。

 そうか、まだ何も解決しちゃいないってことか。


「分かった。病院を探すのは俺に任せてくれ。すぐに見つけてやるさ」

「うん……お願いね、おにーちゃん」

「任せろ美咲。じゃあお前はその子の面倒を見てやってくれ。ラナも頼んだぜ」

「分かりました。この猫とは同じ缶詰の飯を食った仲ですからね。やはり元気になって欲しいものですよ」


 感慨深げなラナ。この前話を聞いた限りでは飯を強奪したようにしか思えなかったんだが、物は言い様だな。


 俺の内心の呟きをよそにラナは茉莉花姉の方に向き直った。


「茉莉花さんには買い物をお願いしたいのですが、大丈夫でしょうか? お時間の事もですが、経済的にという意味でもあります」

「え、ええ。ここで駄目なんて言ったら美咲に嫌われてしまうし、乗りかかった船ですからね。協力は惜しまないわ」


 苦手意識のせいか、一歩後ずさりながらの発言だったが、茉莉花姉も協力を約束してくれる。


「それは良かったです。あとでリストを御渡しします。ちょっと多くなるかもしれませんが、よろしくお願いします」


 こうして俺達は動き出した。それぞれが自分の出来る事をする為に。

 この前、ラナが言っていた家族は良いものだという台詞。

 まさしくその通りだ、と思った。



      ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 板の間で電話帳と古びたダイヤル式電話相手に格闘すること十数分。

 いくつか候補があったものの、場所が遠すぎたり、休診日なのか電話がつながらなかったりしたのだ。


 それでもあきらめずに紙面を追いかける俺の目は、新たに希望にかないそうな動物病院を見つけた。場所も近い。歩いて二十分もかからないだろう。あとは今日が診察日であることを祈るだけだ。


 俺は願いを込めてダイヤルを回す。

 ジーコロロロ、ジーコロロロ……。

 ダイヤルを回し終えると、呼び出し音が聞こえはじめ……三回目のコールが鳴り終わる前に受話器が取られた。


「はい。狭間犬猫病院です」


 耳にはいってくる、とても涼やかな声。電話越しのそれから推測するに、どうやら声の主は女性のようだ。


「その、すみません。ちょっとお聞きしたいことがありまして」

「はい。なんなりとお聞きください」

「ええと、その……実は子猫を拾いまして」

「はい」

「でも、その子の体調が悪いみたいなんです。それで……その……えっと……」

「そうですね。その猫の調子はどんな感じでしょう?」


 何を言えばいいのか分からず口ごもる俺に、電話の向こうの人は幼子に諭すような口調で続きを促した。俺はその言葉に多少冷静さを取り戻す。


「は、はい。ええっと、くしゃみをしたり、鼻水をだしたりしてて……症状はそんなに酷い訳じゃないんですけど」

「なるほど。生後何週間か……は分かりませんよね?」

「ごめんなさい、子猫ってことくらいしか。ただ、先日子猫用の餌をあげた時は普通に食べてくれましたんで、生まれたばかりって訳じゃないと思います」

「なるほど……」


 俺のあいまいな答えにも何か正解への道筋があったのか、頷いているかのような気配がした。


 俺はその反応にわらにでも縋るかのような心境で続ける。


「それで出来たら診ていただきたいんですが、大丈夫でしょうか? あ、住所は近くなんですぐに行けます」

「了解しました。では……そうですね。現在三時過ぎですが、四時にこちらにきていただく形で問題ありませんか?」

「は、はい! それでお願いします! あっ! そ、その、お代はいくらぐらいかかるのでしょうか?」

「ふふ……貴方は学生さんかな?」

「は、はい……そうです」


 突然あちらの声から事務的な調子が抜け去り、俺は戸惑ってしまう。


「そうね……出来たら保護者の方と同伴で来てもらった方がいいのだけれど、それが難しいようなら貴方だけでも構わないわ。とりあえずいらっしゃい。お金の事は今はいいわ。せっかく子猫を保護してくれたのだもの。その好意には答えないとね」

「あ、ありがとうございます! といっても子猫を連れて帰ろうと言ったのは実は妹なんですが」

「あら、そうだったの? でも貴方も十分良くやってくれてるみたいよ? じゃあ、その妹さんも出来たら連れてきなさいな」

「は、はい」


 すっかり砕けた喋り方をするあちらの女性。姉が弟を褒めるような優しげな声音は茉莉花姉を連想させた。


「あと子猫を連れてくる時なんだけど、おそらくその子は感染症に罹っているわ。他の猫達に伝染するって事ね」

「は、はい」

「だから、連れてくる時に他の猫達と接触するような事がないようにしてほしいの」


 言われて、そういえば帰ってくる途中、ラナが必要以上に周りの様子を伺っていた事を思い出した。ひょっとしてあいつもこの事を考えて?


「あと出来れば猫用のキャリーバッグに入れて連れて来てほしいのだけど、さすがに持ってないわよね?」

「は、はい。持ってないです」


 さっきラナが欲しいものリストに一度挙げていたが、値段も張るから今回は見送りましょうといっていたやつだ。


「よね。そこで悪いんだけど、洗濯ネットにその子猫を入れて連れて来て欲しいの。難しいかな?」

「せ、洗濯ネットですか?」

「ええ、脱走を防げるし、そのまま注射も出来るしで便利なのよ?」

「は、はあ……」


 聞いたこともない方法を聞かされ、うろたえてしまう俺。

 大丈夫かな? この病院……。

 でも、専門家が言ってる事だし、間違いはないのだろう。


「わ、分かりました。準備します。あと他の猫にも近づかないようにします」

「頼んだわよ少年。この町の猫達の為にね」

「が、頑張ります」

「お願いね? あ、そうそう、君の名前を教えてくれるかな?」

「藤枝樹です」

「樹クンね……では四時に」

「は、はい。ではよろしくお願いします!」


 受話器を置いた俺はほうっと一息吐いた。何だかすっげー緊張した。情けない話だが心臓が結構激しく動いてるぜ……。


「美人の女獣医とお近付きになれそうなんで興奮しているのですか? 樹さん」

「おわあっ!? いきなり耳元で喋るな! びっくりするだろうーが!!」


 俺は振り向きざまに怒鳴る。

 いつの間に近寄ってきたのか、転じた視線のすぐ先にはラナと美咲が並んでいた。


「途中からフレンドリーに話していましたし、年上キラーですね樹さんは。私というものがありながら困ったものです」

「いつもの事だが勝手な事を言ってんじゃねえよ! ていうかなんで話の内容を知ってんだよ!?」

「好きな人の事は何でも知りたくなるものです」

「その言葉だけで済ます気か!? っていや、今はお前に構ってる場合じゃない」


 俺は電話の結果を知りたいであろう美咲に目を向けた。


「お医者さん、見つかったの?」


 期待半分、不安半分といった表情で上目遣いに訪ねてくる美咲。

 俺は頭を優しく撫でてやる。


「ああ。すぐに診てくれるってさ。よかったな。美咲」

「うん! これであの子も助かるね!」


 浮かぶ満面の笑みに俺の顔も自然とほころぶ。

 さて、行く準備をしなきゃ。

 さっきの御医者さんは出来たら保護者にも来てもらいたいと言ってたけど、今保護者を兼ねている茉莉花姉は買い物に行っちまってるからな。俺が頑張らないと。


「あー、ところで用意して欲しいものがあるんだが」


 ラナは体の後ろに回していた手を胸の前に差し出してくる。そこには何やら白い網状の物が……。


「はい、洗濯ネットです」

「ほんとに全部聞いてたのかよお前!?」

「それは事実ですが、洗濯ネットをキャリーバッグとして代用するのは基本ですからね、あらかじめ準備しておきました。その獣医さんの指示は適切なものですよ」

「マ、マジか……ペットの世界って全然分かんねえ……」

「そのネットをどうするの? ラナちゃん」

「あの子猫をこれに入れて連れていくのですよ」

「ええっ!? それってあの子がつらくないのかな……」

「一見酷い事をしているように思えるかもしれませんが、理にかなった方法です。猫にとっても特に苦痛ではありません。安心してください」

「う、うん……」

「むしろ、あの子をネットに入れる際にひっかかれたりしないよう、我々が気をつけないといけないくらいです。幸い気性は激しくはないようですけどね。という訳で美咲さん、猫を抑える役目をお願いします。私がネットを被せましょう」


 俺が呆然としている間に役割分担が決定しつつあった。慌てて割って入る。さすがに、怪我の可能性があるような事をこいつらにさせるわけにはいかない。


「ま、待て。怪我する可能性があるんだろ? それくらい俺がやるよ」

「美咲さんに対するポイント稼ぎを邪魔しないでください」

「露骨な言い方するなよ!? いや、さすがにそれは俺がやるって。女の子に傷はつけられねえしな……」


 付け加えた言葉はそれほど大きな音量ではなかったのだが、ラナの聴覚はしっかりそれを捉えていたらしく、口が三日月の形になった。


「嬉しいです。樹さん。好きな子が傷物になるのは見たくないということですね?」

「都合良く解釈すんじゃねえ!」


 結局俺がネットを被せ、美咲とラナが子猫を押さえつけるという段取りになった。ぐしゅぐしゅ鼻を鳴らす子猫を二人がしっかりと保持している間に、俺は素早くネットを被せる。少し手間取ったものの、幸い子猫の爪がその真価を発揮する事はなかった。


 ラナはさっきこの方法をフォローしていたが、袋の中に囚われているかのような姿を見ると、やっぱりちょっと可哀想な事をしているように思えてしまう。早く病院に連れていってやんないとな。

 しかし、まさか洗濯ネットをこんな事に使う日が来るなんてな。あとで茉莉花姉に謝っておくか。


「おっと、そうだった。美咲、お前も一緒に来るか?」


 猫を心配そうに見下ろしていた美咲が、付いて行ける事が嬉しいのかパッと顔を輝かせた。


「行っていいの!? うん! あたしも行きたい!」

「ははっ! じゃあ急いで準備しろよ。四十分には家を出るからな」

「わかった! じゃあ、ちょっと待ってて! すぐに準備するね!」

「おう、頼んだぜ!」

「それでは私も同行しましょう」

「……仕方ねえなあ」

「なんでそんなに態度に差があるのか疑問なのですが」

「お前の日頃の言動が悪いせいだろ!?」

「やれやれ……私に対する好感度はまだ最高になっていないようですね」

「1ポイントでも上がるような事したかお前!?」


 とは言え、少なくとも今回の件に関しては結構感謝してるんだけどな。もちろん好感度は関係ないが。

 それでもこんな態度を取ってしまうのは、さっきも言ったようにラナの今までの振る舞いのせいだ。常々の行いって大切なんだなとしみじみ感じた。



      ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 俺はおそらく先に帰ってくるであろう茉莉花姉に書き置きを残し、玄関を覗いた。そこではちょうど、いつも通りの格好をしたラナがスニーカーの紐を結んでいるところだった。

 ちなみにこいつは外出に備えてさっきまでシャワーを浴びていた。たしかに外で擬態が解けたら困る。俺に出来るのはせいぜい他人の振りをする事くらいだ。


「お待たせ、こっちは準備おっけーだよ!」


 そこに子猫が入ったネットを抱えた美咲が現れた。

 俺はあの獣医さんが言っていた事を思い出す。万が一を考え、俺は美咲に向かって腕を伸ばした。


「ほれ、貸してみな。俺が持っていってやるからさ」

「むー、あたしが連れていくんだもん!」

「今回ばっかりは駄目だ。説明してなかったが、そいつの病気は他の猫に伝染するらしくてな。その子を他の猫に接触させたらいけないんだと。お前、そいつがもし暴れた時に逃がさないって保証できるか?」

「……」


 いくら洗濯ネットで包んでいるとはいえ、何があるか分からないからな。俺が責任を持たないと。俯く美咲の頭にポンを手を置く。


「安心しろ。この子だって、お前が一所懸命にやってくれているのは分かってるさ。だからそれくらい俺に頼ってくれていいんだぞ?」

「うん……わかった、おにーちゃん。お願い」


 おずおずと差し出されたそれを俺は大事に受け止める。俺みたいな奴には大した重量じゃないけど、美咲の細い腕にはそれなりに重いだろうに。


「任せとけ、こいつが怖がらないように持っていくさ」

「そうですよ美咲さん。力仕事なんて男に任せておけばいいんです」

「……今後似たような事があってもお前の手伝いだけはやらねえからな?」


 言い捨てた俺は靴を履き、玄関の扉を開けた。まだまだ四時前。傾いた太陽が熱気を浴びせてくる。でも、そんな事も大した苦にはならなかった。美咲ほどじゃないが、俺もこの猫を大事に思う気持ちに嘘は無いからな。


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